第126節 回憶 ~拒絶の夜~
見上げた寒空にはあの日に比べて小さくなった太陽がそれでも永久を主張するかのように輝き、わたくしは何故ということもなくあの日の夜の続きのことを思い出していた。
――民の疲労と兵の剣呑な気配が混じり漂うおかしな雰囲気になってしまった祭り会場にあって、わたくしは舞娘の衣装をまとったタケハヤ様と対面していた。
「姫君。もう一度言いますが、そなたこそがこのクマ国の次の大王となるべきお方。是非ともやっていただきますぞ。」
わたくしの肩をつかんで力強く捲し立てるタケハヤ様が目を伏せたまま動かないわたくしの説得を試みていた。
わたくしはその熱量に圧される自分を認識しながら、それでも彼に反発するように言葉を紡いでいた。
「……いいえ。」
わたくしは彼に視線を向けることなくただポツリと答えた。
「は、今なんと?」
「……いいえと申し上げました。わたくしにはそのようなことは承りかねます。」
今度は視線を上げてしっかりとタケハヤ様の顔を見ながら答える。
あらためて見た彼の顔にはいつものような甘やかな表情はまったく見られず、彼は至って真面目な様子でわたくしの答えを聞きいていた。
彼はその答えをまったく予想だにしていなかったようで、ひどく驚きながら応じた。
「何を仰られるか……。そなたはこのクニにあって唯一の――」
「あなたはわたくしを大王の一子とおっしゃいましたね。」
彼の意見など聞く気もないわたくしは彼の手を払い除けながら、その言葉を最後まで聞くことなく返していた。
「――あなたがご存じないのも仕方のないことでしょうが、わたくしはタギリビコの子ではありません。」
「……。」
その言葉にタケハヤ様は開きかけた口をつぐんでわたくしの語ることに耳を傾けようとしていた。
わたくしはこれを幸いとして遠慮なく自分の意見を捲し立てる。
「わたくしはタギリビコの姉の子。ですから養父とは直接血がつながってはいないのです。」
「なんと……。」
「ですからわたくしには王座を継ぐような資格なんてないのですよ。」
我ながら結構なしたり顔でそれだけ言って退けると、わたくしはタケハヤ様の応答を待った。
そして彼の言葉を待っている間にも次に言われるであろうことを予想し、返す言葉を整理しては相手の一切の意見を封じてしまおうと構える。
「いや。しかし、それはかの大王に他に子がいればの話で――」
「いいえ、違いませんわ。」
もう決して譲らない。わたくしはそういう決意の元で彼の言葉を遮っては自分の事情をつらつらと説明し、彼をねじ伏せようと試みる。
「確かに養父大王には子がありませんでした。が、そうでなくともわたくしは最初から養父の後を継ぐつもりなんてなかったのです。」
そう。わたくしが養父の養女になったのは母の急死に伴うただの成り行きにすぎない。
義父にしてみても成り行きだけで養女にした女が次の王座に座るなど面白いことではなかったはず。そしてその面白くないという感情は、後に義父に子ができた場合にわたくしとその近縁の者に生命の危機というふうに形を変えて迫ってくることが容易に想像できた。
だからわたくしは養父大王に子ができた場合に備えて、この齢になるまで誰とも交わることもなく清い身を貫いていた。
それはわたくしの中では英断とも言える結構な覚悟。下女のタエがどれだけしつこく良い殿方を紹介しようとしても、わたくしは頑としてそれを突っぱねてきたのはそういう理由があればこそ。
(タエも分かってやっていたのかしら。)
彼女があんなにもしつこく、しかも熱心に紹介してくれるものだから何度わたくしの覚悟が揺らいだことか。
わたくしは何かとお節介を焼きたがる姉のような下女のことを思い出していた。
「――ですから、わたくしには大王の座に座る資格も興味ないのです。」
わたくしはそれだけ言うと思わず顔を伏せていた。そうやって親しく交わっていた下女たちの顔が次々と思い出されると、締め付けられるような痛みがわたくしの胸を襲っていた。
それでもタケハヤ様を説得するにはもう一押しが欲しい。だからわたくしは彼に反論の機会を与えずに続けようとしていた。
「――それにわたくしなんて……。」
次の一言がタケハヤ様を翻意させられるはず。
そう思って、もう口を開こうともしない彼を言いくるめようとしても、そこで息が詰まったような気がしてわたくしはもう一度息を吸ってから言い直した。
「わたくし、なんて……。」
たった三人しかいない下女にも愛想を尽かされ逃げられた。そんなたった三人すらも繋ぎ留めておけないようなつまらない者がどうしてクニをまとめることができましょうか。
そう言いたくてもなかなか続きが出て来ない。たった二言だけでせっかく吸った息のすべてを吐ききってしまう。
(わたくしがダメな高女だから。)
それを言ってしまったらわたくしは本当に独りになってしまう。そしたらもう誰からも相手にされず消えゆくだけの存在になってしまう。そんな気がしていた。
(それにあの娘のことだって……。)
そして何時どんな時でも思い出さずにいられないのは、どうしても心に引っかかって追い出したくても追い出せないあの娘の姿。
救けてあげたくても、護ってあげたくても自分の力と勇気ではそれが叶わなかったあの娘。
結局何もできないわたくしでは皆に見限られるのも当然。
そう分かってはいてもそれを認めるのが辛くて悲しくて、どうしても涙がこぼれてきてしまう。
「……。」
「姫君……。」
どうしても最後まで言えなかった。自分の弱さ、不甲斐なさを認めるだけの勇気もなかった。
そうしてうつむいたまま悲しみの雫がこぼれるに任せているとタケハヤ様の温かくも心を貫くような声がわたくしに語り掛けてきていた。――




