第122節 たった一度
それがこの神剣に秘められた神威を直々に聞かされた最初で最後の顛末だった。
その後、御神鳥が彼方へと飛び去ってゆく背を遠目に眺めて以来、わしはかの鳥とは逢っていない。
(たった一度の奇跡、か。)
わしは御神鳥に言われたことを確認していた。
一度きりの奇跡だと確かに御神鳥は言っていたが、しかしそこは問題ない。
結局、あの時はわしが思っていた以上に後始末が上手くいったため、その奇跡の業とやらを目にする機会は失われてそのまま捨て置かれていたのだ。
だからその点に懸念はないのだ。もし懸念があるとすれば、その一度きりの奇跡とやらを本当に今使ってしまってよいのかという点だろう。
(ははっ。何を馬鹿なことを。)
わしはその懸念を笑い飛ばしていた。
そんなことは考えるまでもなく少しも惜しいことではなかったのだ。
それが例えどんなに希少な神剣を失うことを意味していようとが、それが例え神剣の取得を届け出ることなく私に使用したことで、ともすれば我が君への忠義を疑われる結果になろうが、彼女の命に代えられるのであればまったく悩むようなことではなかったのだ。
わしはこちらを見ようともしない三人の下女たちを見回した。
「ああ、よいか。」
そして、このわしだけが持つ奇跡の御業のことを説明をせんとした。が、しかし皆の暗く沈んだ視線がわしに集まることはなかった。
「――皆、聞いてくれ。」
わしは構わずに始めた。
皆言われずともわしの言葉が耳には届いているのだろうが、しかし心にまでは届ききってはいないのだろう。
しかしそれも無理のないことだ。「家族」と呼んで親しく交わっていた娘が自分たちの与り知らぬところで危険を冒し、たった一人で亡くなってしまったのだから。
わしはそんな彼女たちの辛い気持ちを分かってはいたがさりとて汲んでやることはなく、言いたいように続けていた。
「――これよりわしが行うことは、おそらくこの現世に在っては古今にも……いや、おそらくは将来に渡っても例を見ないことである、と思われる。」
そこまで言うとわしは一先ず息を吐いた。そして一向にめぼしい反応を見せぬ彼女らに少しばかりの遺憾を覚えながら次なる句を考えていた。
実はわしはこのように皆の前で朗々と語り続けるのはあまり得意ではないのだ。
だから何故一晩に二度もこのような演説紛いのことをせねばならぬのかという不満もあり、それを聞いてもいないこの三人の下女らに憤りを覚えぬわけではなかった。
しかし、かと言って彼女らに何も告げずに勝手にその「儀式」を始めてしまっては、それこそ事情を知らぬ彼女らが混乱の末にどんな妨害に出るとも限らぬ。
なればこそ、わしは草木に話しかけるかの如き虚しさを覚えながらもこうして説明を続けていた。
「これはわし自身にも初の試みであるし、わしにも何が起きるかは皆目見当がつかぬ。」
もしかしたらより悪い結果を引き寄せてしまうかも知れぬ。と、わしは包み隠さずに続けた。
彼女らの君に対する赤心は間違いのないところであり、そんな彼女らに嘘偽りや不都合を覆ってしまうなどして接することが正しいことだとはわしには思えなかった。
そして「悪い結果」と言うわしの言葉に三人がわずかに反応したようにも見えたが、それはわしの気のせいであろうか。それでもわしは構わず続ける。
「――が、よいか。わしが何をしようとも、これから何が起きようとも、決して取り乱したり驚いたりするでないぞ。」
万一にも神の不興を買うような真似だけは避けたいところなのだ。と、ここは特に肝要であると思ったため特に語気を強めて注意を促していた。
最後にそう言ったわしに、ただ下女殿だけが「神」と言うところ少しだけ意識をこちらに向けたようだったが、結局誰もわしの説明に応えようとする者はいなかった。
わしは皆の沈黙を承知と受け取ると、誰の手を借りることもなく君を仰向けに寝かせ直した。
そうして寝かせ直してやると、月の光に照らされた君の腹はその背中とは違いとても美しく綺麗な物だった。そして君の顔は……。
(本当に……君は……。)
わしは思わず君の顔に触れていた。
まるで眠っているようではないか。何の感情も面に出さぬその表情はいつ目を開けてもおかしくないものだった。
しかし……いや、やはりと言うべきか君の肌は冷たかった。
地に体の熱を奪われたのか、いつの間にか温いから冷たいに変わっていた君の温もりを感じてしまったわしは目頭が熱くなる思いがして頭を下げた。
(ええい。怯むな。)
頭を上げろ。とわしはおのれを激励した。
君が失われていることはすでに分かっていたことではないか。だから、これからその凶事を否定して見せようというのだ。そこでこのわしが怯んでどうする。
わしは面を険しく固めると、積念の敵を見るかのようにして君の顔をギッと睨みつけて揺れる気持ちを抑え付けた。
(いざ……参る!)
そして、これより十死零生の決死の地へと赴く戦士の如き強い決意を胸に宿すと、わしはついにその「儀式」を開始していた。




