第121節 由緒
皆の姿を浮かび上がらせていた赤色の灯りが突然ぼっという音と共に失われると、我が後方では木棒が落ち跳ねてそして転がる乾いた音が聞こえていた。
わしが手にしていたはずの松明は気が付けば遥か後ろに放り捨てられ、それでもその灯火は消えることもなく、絶えず明後日の地面を焦がすことに余念がない様子だった。
こうして我らの頼りは天に坐しおわす月の光だけとなった。
しかし今となってはそのようなことを気に留める者もここにはおらず、月明かりが照らすその人の輪郭は我らそれぞれの心境を如実に映し出す鏡として先にも増して強い働きをしていた。
(あったではないか!)
わしはすっかり消沈しきって小さくなってしまっている三つの人影とは反対に、君を失った悲しみなどどこかに忘れてきたかのように鼻を膨らませて一人興奮していた。
その興奮は直ちに血潮に乗ると、我が四肢の隅々まで普く行き渡ってゆく。するとたった今まで冷え切って思うに任せなかったはずの体が、今度はその熱に浮かされてしまったのか、求めてもいないような動きをしたがっているように疼き始めていた。
わしはすでに握ってあった両の手をさらに目いっぱいぐりぐりと音が鳴るほどにきつく握りしめてその衝動を発散させた。
(落ち着け。)
何でもよいから一度落ち着け。そうせねば、今度はどんなしくじりを犯すか知れたものではない。
君の命がかかっている。此度は絶対にしくじりは許されないのだぞ。
――と、そう思ったわしは胸を押さえつけるようにして呼吸を鎮め、跳ね上がってばかりいる自身の気持ちを宥めすかし落ち着けた。
しかしそうなるのも無理からぬことであった。
なぜなら「あった」からだ。
あった。――この現世に於いて神にしかできないであろうと思われた神の御業が、このわしの手の中にすでに「あった」のだ。
(これがどうして興奮せずにいられようか。)
わしは折角落ち着きかけた心が再び躍動を始めたことを感じ、宥めきれぬおのれに見切りをつけると、今度はその勢いに任せて自身に叱責を飛ばしていた。
(なぜ忘れていた!)
こんなにも重要なことを忘れるなど大人物たらんとする者にあるまじき失態ではないか。
最初からこれを忘れていなければ、これほどまでに辛い時間を経てなお、皆揃って嘆きと悲しみの底に叩き落されることもなかったであろうに。
わしは目の前にへたり込んで沈んでいる三人を見て申し訳なく思った。
しかしたったそれだけのことでは、おのれの迂闊さを責め立てて浮足立つ心を鎮めようとしてもその叱責をはるかに上回る興奮と感動が我が心を絶えず奮い立たせていた。
わしはそのような些事をまったく意に介することもなく手にした匕首を見た。
(これならば、或いは。)
これは一体どういう造りの物であるのか、銀の刀身に仄白い月光を受けて放たれるその輝きは情熱的なまでに紅々としており、わしはこの刃が十拳長の剣から短小なる匕首に変わってしまった時のことを思い出していた。
――それは大いなる天津神に連なるらしい蟒蛇、災厄の化身の如き怪異を見事に討ち滅ぼした後の出来事であった。
はっきりと意識を取り戻したわしは、勝鬨を上げるどころか立っている力も残されておらずにその場にひっくり返っていた。わしはこの死線をどうにか潜り抜けたことが未だに信じられない気持ちであった。
わしは己が体を顧みた。
この体は気が付けば方々に傷を負っており、その傷のそれぞれがそれぞれ勝手に痛みを激しく主張していた。その上疲労は著しく今にも倒れて眠ってしまいそうではあったが、驚くべきことに己が五体は依然として満足のままであった。
わしは意識を飛ばさぬように懸命にこらえていた。
呼吸しようにも体のあちこちが悲鳴を上げて思うに任せない。それでもどうにか息を吐いてみれば血生臭さが鼻を突き、吸ってみれば張り裂けそうなほどに胸が軋む。
しかしその臭みも痛みもそのことが却って生きている証としてわしに生存と勝利の実感を持たせ、その苦痛も甘んじて受け入れようという気にさせていた。
(――弑し奉る。か……。)
それは留めの一撃を放った際に勝手に口を吐いて出てきた口上。
それが甚だしく嗜好に突き刺さったわしはその最後の一言を反芻しては曇りがちな夜空を仰ぎ見て勝利の余韻に浸っていた。
そして――いよいよ歩ける程度に回復したわしは何やら晩餐時らしい御神鳥に歩み寄ると言った。
「御神鳥よ。畏れ多くも貴鳥より賜りし剣を損ねてしまいました。」
わしは二つに折れた剣を差し出していた。
御神鳥は一度はわしのことを酷く睨みつけ、ともすれば威嚇しているようにも見えたが、しかし我が謝罪の言葉を聞くと気分を取り直したのか当たり前のようにそれを受け入れて返してくれた。
――それはそなたに呉れた物。――
どうなろうと妾の預かり知るところではない。と、平然と言い給うた御神鳥のその寛大な心にわしは感謝を表していた。
それからもう一つだけ、わしはどうしても怪異討伐の証を持ち帰る必要があったため、そのことを願い出ていた。
御神鳥はいくつかのやり取りの後にしばし考え、そして言った。
――剣をその身に呑みて妾に祈り、願いを捧げるがよい。さすればその剣はたった一度だけそなたら人の子には叶わぬ奇跡の業を見せるであろう。――
「奇跡とは。」
――ほほ……それは言えぬなあ。――
怪異の骸はたとえ一欠片であろうとも持ち帰ることは許されぬが、代わりにその奇跡を討伐の果てに得た力として見せつけよ。――と、存外悪くない案ではあったが結局御神鳥に煙に巻かれたためにこの話は最後まで詰められることなくそこで打ち切られていた。――




