第113節 「……この娘は私たちの大切な家族です。見捨てるはずがありません。」
「タケハヤ様。」
ヒラタが下女殿と共にやってきたのは、チユ殿が君の背から切り裂いた衣を器用に脱がし終えた丁度その時だった。
「何をしておった。遅いぞ。」
待望に待望を重ね、一日が千秋の如く感じられるほどの想いで待っていた二人の到着に、わしは文句を垂れて歓迎した。
「これを。」
ヒラタはわしのそんな文句に取り合うこともなく、両脇に抱えていた甕を傍らに下ろすと、どうやら無事モリヤから受け取ることができたらしい薬草袋を懐から取り出してわしに預けた。
「うむ。」
見れば、これぞまさしく求めていた薬草袋であった。
わしは元々の持ち主がヒラタであることも忘れて、この袋に間違いがないことを確認していた。
「チユ。これで足りるのかしら。」
一方で、ヒラタと共にやって来た下女殿は抱えていた多くの布をチユ殿に見せながら確認を求めていた。
チユ殿は見せられた布のその量に頷きつつもヒラタの持って来た甕の中身を覗き込んで答えた。
「いい。けど、お湯が……。」
布はともかく、湯の量が心許ないと彼女は言った。
ヒラタによってもたらされた二つの甕の中には、それぞれ湯と強く醸された酒が入っているようだった。
「今沸かしています。」
そんなチユ殿にすかさず応じたのは下女殿ではなくヒラタだった。
ヒラタの奴はおのれの持参した物に不足があるとされたことで責任を感じているように見えた。
(まったく、こやつは……。)
それは貴様のせいではあるまいに。
今沸かしているというのであれば、そもそもあった湯自体が少ないということだろう。
己が責任の範囲を大きく取りすぎるきらいを見せたヒラタを、わしは何やら苦々しい気持ちで眺めた。
「そう。急いで。」
しかしチユ殿はヒラタの回答を肯定すると、早速下女殿から渡された濡れ布をすでに露になっている君の背に当て、傷の具合を確かめ始めていた。
わしは先ほどから見せるチユ殿の迷いのなさ手際の良さにすっかり惚れ込んでおり、当初感じていた頼りないという印象がすっかり失せていた。
「チユ殿。これも使ってくれ。傷に効く。」
そして彼女の妨げにならぬよう気を遣いながら実際に効き目を確かめたわけでもないその薬草を迷うことなく供出した。
チユ殿はその薬草に見向くこともせずに「タエさんに。」と指示だけを出し、変わらず手を動かし続けている。
(つくづく見事。)
わしは彼女の仕事ぶりに甚く感心し、言われた通り下女殿に薬草を渡した。
それからヒラタは直ちに湯の追加を取りに走り、この場にいるのはわしと下女三人たち、それに目を覚まさそうとせぬ「ひいの君」だけになった。
「下女殿。そなた確かタエ殿と申したな。」
思うところがあったわしは、一体どうやれば熱くないのか次々と布を湯に浸しては絞ってそれをチユ殿に渡している下女殿に声をかけた。
下女殿はそんなわしにチラリとだけ視線を向けて応えた。
「……タケハヤ様。」
わしはぎょっとした。何と冷淡な視線であろうか。
その視線のきつく刺々しい様子に、わしは冷や水を浴びせられたかのように身がすくむ思いをしながらわしは続けた。
「……来ないのではないかと。」
慳貪な彼女の眼光に気圧されたわしは、つい礼儀も節度もないようなことを口走ってしまう。
そのいささか失礼な発言に、下女殿は少しもわしの方を見ることなく答えた。
「……この娘は私たちの大切な家族です。見捨てるはずがありません。」
「ではチユ殿を先に寄越されたのは何故に……。」
言外に痴れ者と罵られたような気がしたわしは、チユ殿にこそ道具の手配を任せた方がよかったのでは。と、どこか遣り返すような気持ちになって応えていた。
「治療のことなら私よりもこの娘の方が間違いがありません。」
わしの問いに下女殿はやはりこちらを見ようとはせず、そして少し寂しそうに答えた。
彼女の口を吐いて出たその言葉には自分にはできないことに対する羨望のような諦めのような、そういった哀愁が滲んでいることに気付いたわしは申し訳ないような気持ちになった。
「火。揺れてる。もっとしっかり。」
チユ殿の声に、気持ちの揺らぎが持っている松明に伝わったのかと思い、わしは気を取り直した。
目の前ではそのチユ殿が君の背に丁寧に濡れ布を当てて血味泥を拭っては傷の具合を確認している。
「そうであったか。失礼した。」
わしはチユ殿の求めに応じて揺らぎができぬようにしっかりと松明をかざしながら、己が発言の非を認め、我ながら愚かなことを言ってしまったと反省した。




