第111節 非常の想い 普通の願い
ヒラタの姿が見えなくなってからすぐのこと。
(こんなことなら……。)
そこには後悔が後悔を呼び、苦悩することに苦悩する。彼女をこの手に抱きながら、何を間違えたのかをひたすら考え続けているわしがいた。
(こんなことなら、最初からヒラタの奴に任せておけば。)
最初から彼女ではなくヒラタに櫓の始末を任せておけば、奴は櫓を押さえるだけならば簡単かつ確実にやって退けていただろう。
しかし、奴にそれを任せなかったのにはそれなりの問題があったからだ。
ヒラタヒコ――
周りの者が馬子などと呼ぶこともあるが、別に馬の世話をすることが奴の本分ではない。
ヒラタはこのわし自らが見出した最初の臣であり、我が片腕と言ってよい存在だ。
こやつは馬の扱いに長けるのみならず、その忠勇については申し分ないものを持っており、その武技はわしにも伍すると言ってよいほどの剛の者だった。
(こやつこそまさしく忠義剛勇の者よな。)
だが、そんな奴にも弱い点はある。
ヒラタはお世辞にも搦め手を使える才覚があるとは言えなかった。
良くも悪くも真直ぐにしか物事と向き合えない男であり、あやつにできる精いっぱいの策と言えば、精々が相手の背後から襲い掛かり、瞬く間にそれらを片付けてしまうことぐらいだった。
(それでよい場面も多いのだがな。)
しかし此度の策ではそれが仇となるおそれがあった。
その方法では見張りが分散していたり大人数であった場合、櫓の制圧前に応援を呼ばれてしまう。
そうなっては、例え我が兵が首尾よくこの柵の内に侵入できたとしても、その後侵略者を迎え撃つ態勢となったクマ兵との正面衝突が避けられなくなってしまうだろう。
それではダメなのだ。
我が兵は元々の数からして少ないのだ。兵同士の正面衝突だけは是が非でも避けなければならないことだった。
だから、わしは多少の無理を承知していても彼女に櫓の制圧を頼んだのだ。
それにヒラタに任せていれば櫓を押さえることはできたとしても、それでは見張りもまた確実に永久に口が利けぬようにされていたことだろう。
――それで、ケガ人とか……その、死人は出ないの?――
それは彼女の望むところではなかった。
おのれをあのような酷い仕打ちに合わせた異国の兵にすら情けをかけようとは、それは君の甘さか優しさか……。
(いや。)
わしは彼女の顔ばかりを見つめていた目をすっと閉じると、おのれの心得違いを正した。
如何に「ひいの君」がヨシノの姫君で物事を俯瞰で見なければいけない立場の者だとはいえ、およそ普通の感覚であれば無用の死を厭うのは当然というものだ。
(君は普通の女なのだな。)
そうやって君の心根の優しさに気付いてみると、わしはいつの間にか人の死をも厭わない非常の人間になっていたのだということにまで気付かされてしまい、寂しさにも似た笑みが漏れていた。
しかし、たとえわしが他者の死に無頓着な酷薄な人物であったとしても、彼女をトラひげの暴威から救いたい、故郷に帰してやりたいという気持ちに偽りはなかった。
クマ制圧こそが決して忘れてはならない我が第一の目的であるとはいえ、その上でなるべく彼女の意に背かぬようにして見せようとヒラタを秘かに彼女の「二の矢」に配しておいたことはそう悪い手ではなかったはずだ。
そう、少なくとも我が目的の達成と彼女の意思の両方を立てる手段としてはまあ真っ当な方法なのではないか。
(だが……。)
それも今となっては全て言い訳に過ぎない。
我が腕の中には力なく眠り続ける彼女の姿。
こういう事態になることを碌に考えもせぬまま、いい気になって策を推し進めてしまったおのれの不覚こそが今となっては憎々しく思えてならなかった。
「君よ……すまぬ。すべてはわしの不徳の致すところ。……すまぬ。」
わしはどうあっても謝罪を聞いてはもらえない無意識の君をこの手に抱きながら、何度も何度も詫びを繰り返していた。




