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【完結済/手直しするの止めました】神殺しの皇女  作者: 埼山一
第十一章 命の絆
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第109節 滑る水

「ヒラタぁ!」


 いよいよ目一杯飛ばして「ひいの君」の元へ向かっていたわしは、見張り櫓の足元に人影らしき物が見えるなりそれが何者かも確認せずそう呼んでいた。


「タケハヤ様。」


 しかし、そんなわしの呼びかけに応じたのはやはり馬子のヒラタの声であり、奴は月明かりだけが頼りとなる中でどうやらわしの到着を待ちかねていたようだった。

 ヒラタの元まで息も吐かずに駆け寄ると、そこには「ひいの君」の横たわる姿があった。


「どうなっておる!」


 わしは切れた息を整える暇も惜しんで、駆け寄った勢いのそのままにヒラタに状況の説明をするよう求めた。

 ヒラタの奴はおのれの袖で彼女の額を押さえたまま、一体何があったのか、おのれの知る限りのことを簡潔に説明した。そしてそれは次のようなものだった。




 ――彼女は首尾よく櫓の見張りたちを眠らせることに成功した。

 それから櫓に挑むと一度は失敗したものの、その後もう一度挑みかかり見事篝火を消すことに成功した。――




「そうか、君がやってくれだのだな。」

「はい。」


 わしは「失敗」というところが何か気になったものの、彼女こそが功労者であることを知り、その功績を讃えた。

 そしてヒラタは短く返事をすると続きを語った。




 ――しかしその後何があったのか、月明かりだけが彼女の輪郭を浮かび上がらせる中、突然その姿が消えたと思ったら……――




「不覚でした。何が起きたのかを見定められず……。」

「なんと……。」


 次に彼女の姿を見つけたのは櫓の下だったとヒラタは言った。

 自分の役目を果たしたことで気が抜けたのだろうか。

 いずれにせよ彼女の気持ちの強さと運の悪さにわしは言葉を詰まらせていた。

 こんなことになるまで彼女を突き動かしていたのは郷愁の念か、それとも篝火を消すという約束を違えまいとする義心か。

 わしはそのことに思い当たると、愕然とした。


(どちらにせよ、わしがけしかけたことではないか。)


 郷愁の念は、彼女を何かに利用できるのではないかと考えたわしがそれとなく焚き付けたものであったし、約束はわしが無理に頼んで彼女に承知させたものだ。

 だとしたら、彼女が今この様なことになってしまったのは、わしにこそすべての責任があるのではないか。


「きっ……貴様を君に付けたのはこんな事態を回避するためだぞ!」


 どうしても抑えきれない怒りと悲しみと動揺が我が心を襲い、わしはおのれの吃音を気に留めるほどの余裕もなくヒラタに掴みかかって声を荒げていた。


「申し訳ありません。」


 ヒラタはそんなわしに抵抗するでもなくただまっすぐにわしの顔を見つめ、そして真摯に謝罪していた。


(くっ……。)


 ヒラタの言葉に動揺を強めたわしはその手を放した。

 どうしても奴の顔を見ることができず、思わず目を背ける。


(違う。)


 違うのだ。

 わしは彼女の身を案じてこやつをここに配置していたわけではないのだ。

 こやつは彼女が失敗した時の次善の策、「二の矢」としてここに配しておいたのだ。

 そして今、こやつが兵舎を襲うこともせずにいつまでもこの場に留まっていたのは、ただこやつが必要を考えて機転を利かせて彼女の介抱をしていたからに過ぎない。

 だから本来であれば奴を労うことこそすれど、責めるのは間違っているのだ。

 にも拘らず、このように理不尽な叱責を浴びせるわしに異見するでもなくただ頭を下げて自らの非を受け入れてしまった我が忠臣の様子を見て、わしはどうしても目を逸らさずにはいられなかった。


「……退()け、代わる。」

「は。」


 わしはばつの悪い思いをしながら交代を命じた。

 ヒラタが彼女からその手を離すと、額からじわりと血が滲み出してきた。


(こんな思いをしてまで頑張ることではなかったのだぞ。)


 わしはおのれの衣の袖を惜しげもなく引き千切ると彼女の額に押し当てる。

 そしてそのまま彼女の背中に手を回し、そしてその体をそっと抱き起こしていた。


(これは、血だらけではないか。)


 この手に何かヌルリとする不吉な予感漂わせる物に触れたわしは愕然とした。

 まるで己が心臓が握りつぶされているような危機を感じ、どうしたって心中穏やかではいられずにたまらず彼女の顔に耳を近づけてみる。

 彼女の顔が近づくほどに緊張が高まってゆく……。

 できれば……いや、是が非でも予感だけは外れていてほしい。

 そして――


(生きて……おる。……よな。)


 微かであっても彼女の息遣いが確認出来た気がして、わしは安堵した。

 しかし、詳しく見ずとも分かるほどの重い傷を負っていた彼女。

 元々の傷が開いたのか、それとも新たに傷を受けたのか。いずれにしても相当な無理をしたものと見受けられた。

 しかも、わしの不吉な予感は一先ずは外れたとはいえ、その滑って手に纏わり付いてくる粘血を通して伝わってくる彼女のぬくもりはどこか寒々しく、生命の力強さを感じさせないものだった。


「ああ、君よ……。君よ……。」


 わしは彼女への哀情が抑えられず呼びかけていた。

 しかし、いくら呼びかけようとも彼女がその目を開くこともなければ、その口から返事が紡がれることもない。


(よもや、このようなことになろうとは……。)


 どんなに呼びかけても何も応じてはくれない彼女を前にして、取り返しのつかない過ちを犯してしまったという悔悟の念がわしを責め立てる。


(これでは、皆に何と詫びればよいのだ。)


 そうして思い出されるのはヨシノで待っている彼女の友人や家族のことだった。

 いかに彼女をヨシノに帰すためには彼女自身の自助が必要だったとはいえ、これでは本末が転倒しておるではないか。

 わしは、このぐらいのことであれば今の彼女にもできるだろうなどと、簡単に判断してしまった過去のおのれの愚かしさを悔い嘆くしかなかった。


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