【回想】 王太子殿下の大失言
「可愛いお嬢さん。今日は、前のようにはいかないよ?」
ルシウス達は余程口惜しかったのか、日を置いて再びフィオレンティーナを同じサロンに呼び付けた。
その頃、フィオレンティーナはエルンスト辺境伯家の王都邸に滞在していた。
他の受験生たちと一緒に試験に来たが、皆が順次帰る中で、彼女だけが辺境領との年末最後の定期便で帰省する予定になっていた。
どうやら王都邸で、アリスティドの手伝いをしていたらしい。
王都邸の者達は、新しく主人になったアリスティドの思考の速さに付いて行けず相当難儀していたようだ。万事に物おじせずほぼソツがないフィオレンティーナは、アリスティドの個人秘書みたいな扱いで重宝されていた。
それでしばらくは王都にいた。
「今日は、特別な客人もお呼びしたからね」
なんて大人気ない――。
フィオレンティーナと対局させるためだけに、ルシウスが王弟殿下が主催するチェス・アカデミーから若手を借りて来たと聞いた時は、オウレリアでも頭痛がしたものだ。
チェスは近年とみに人気の競技になって、各地で競技会も開かれていた。
中でもブルグ・ユベール・エドナの三国間持ち回りで開かれる王室杯国際大会が有名だ。しかし毎回のように優勝をユベールに持って行かれるので、王弟殿下肝煎りでアカデミーを設立して俊才達を育成している。
「まあ西の辺境領の代表だと思って、頑張りたまえ。健闘を期待しているよ」
だがルシウスの意に反して、勝負はかなりいい線を行った。
生意気なフィオレンティーナの鼻を折り、動じない少女の泣きべそを見たくてたまらなかったらしいルシウス達は、大いに当てが外れた。
動員されたのはデビュー前のアカデミー期待の星だったが、彼を相手にフィオレンティーナは善戦した。対局は白熱した。大健闘したのだ。
やがて、ルシウスの顔が引き攣り始めた。
姉妹達の方でも共謀していたらしい。
対局も終盤に差し掛かる頃、ロザリンデが寮母室から猫を連れて来て、サロンに放した。猫は賢かった。誤たずにチェス盤まで華麗なジャンプを決めてくれたのだ。おかげで駒はグチャグチャ。熱戦はそこで平和にお開きとなった。
「可愛い猫に助けられました。私にはもう手がありませんでしたから」
フィオレンティーナは愛らしく微笑んだそうだ。
これではどちらが大人かわからない。
「偶然ですね。私もですよ」
対戦相手の青年も素晴らしかった。爽やかに握手の手を差し伸べて、清々しくも互いの健闘を称え合った。ホッと胸を撫で下ろしましたと笑い飛ばして見せたあたり、さすがは王弟殿下アカデミーの新鋭である。若年でも人間が出来ていた。
「……お茶にしましょう」
ここまではよかった。
そこそこに雰囲気も和やかだった。
フィオレンティーナを引き留めて、懲りずにお茶を振舞ったルシウスが余計な話をするまでは。
「王弟殿下のアカデミーは、面白いところですよ」
新鋭の青年がそう言ったので、デレクまでがピクリと反応していた。
「お嬢さんは、興味はありませんか」
「ありがとうございます」
フィオレンティーナは実年齢よりも大人だった。
「とても光栄に思います。けれど、進路はもう決めているので」
「そうなのですか」
「はい。文官試験を受けて、外務部に入りたいのです」
デレクは今度は目を剝いた。ルシウスもエクトルもだ。
文官試験で登用された女性なんて、まだほとんどいない。
「もしかして……外交官志望ですか?」
「はい」
「東の皇国にでも行かれますか?」
フィオレンティーナの容貌を見てそう聞いたのだろう。
チェスの名手は観察眼も卓越していたのだ。
「はい。そうしたいと考えています」
「遠いですよ」
「ええ。――でも、会いたい人がいるので」
「東の……?」
デレクがあっと言う顔をした。何か勘付いたのだろう。
「やめておけ。フィオレンティーナ、あれは蛮族の国だぞ?」
「?」
「殿下――」
なのにデレクはルシウスを止めなかった。やはり重大な落ち度だ。
「彼の国では、未だに古代の風習を踏襲しているらしい。皇帝の第一の側室を貴妃……というのだったか? その貴妃を、先帝が崩御したら黄泉路の道連れにと、殺してしまったのだそうだ」
色を失う。あの時のフィオレンティーナの顔をそういうのでしょう。
後でエクトルが沈痛な面持ちで語っていた。私がお止めするべきでした。
「寵愛した貴妃を殉死させて、帝陵に副葬してしまった。神話の時代じゃあるまいし、今ドキ有り得ない――」
ガシャーンと大きな音がして、ようやくルシウスが口を閉じた。
フィオレンティーナがカップを落としたからだ。カップは粉々に砕けていた。
「……違う! 違うわっ、フィオナ‼」
咄嗟に妹を抱き締めたロザリンデが、おそらく一番まともだった。
「………」
血の繋がらない、明らかに混血の義妹フィオレンティーナ。
東方の面影を色濃く受け継いだ黒い瞳と黒い髪。
ここへ来て、エクトルでさえも察したらしい。
「なんてことを仰るのです‼」
「ロザリンデ……?」
状況をわかっていなかったのは、おそらくルシウスだけだ。
王太子はロザリンデが自分に怒る理由がわからなかった。
眉を吊り上げ、一度も見せたことのないような鬼の形相に驚きはしたが。
「何て、何て酷いことを……私の、私の妹にっ!」
「ま、待て。ロザリンデ、」
「そんな虚言っ、二度と聞かせないでくださいましっ‼」
「え、虚言なんかでは――」
現状を把握したデレクが速やかに動いた。
「フィオレンティーナ嬢は体調が優れないようです。早くお送りしましょう」
妹を辺境伯家王都邸へと返すべく急ぎ手配した馬車には、ロザリンデが同乗した。その夜ロザリンデは、寮には戻らなかった。




