初冬、護衛騎士を籠絡する ~とりあえず、殿下の剣は必要なので
「ちょうどよかったわ。あなたとお話ししたいと思っていたの」
期末考査の結果が張り出されたその日、オウレリアは絶好の機会を得た。
エクトル・ディ・マルタンが独りでいる場面など、そうそうあるものではない。
この機を逃す手はなかった。
「オウレリア様――」
エクトルはいたく微妙な表情を浮かべていた。
今秋の一件以来、彼なりにも思うところが多々あるらしい。
オウレリアへの態度にも微細な変化が生じている。オウレリア「様」なんて言い出したのがいい例だ。少し前までは呼び捨てにされていたのだから。
「今……で、しょうか?」
彼が気にしているらしい視線の先には、人影が二人。
中庭の奥にいるのは王太子ルシウスと男爵令嬢ロザリンデ。
少し離れているので内容までは聞こえないが、口論しているような気配だった。
先日の言動で、ルシウスがロザリンデに責められているのだろう。まあ当然だ。
「ええ。すぐに済むから」
エクトルはこの場に遭遇したオウレリアにも気を遣っているらしい。
彼の仕える王太子殿下は、浮気相手と絶賛痴話喧嘩の真っ最中。間の悪いことに、そこへ主の正当な婚約者である侯爵令嬢が現れた。見張りに立つエクトルが気まずいのもまた、当然だった。
(こういうところ――デレクよりも神経が細やかなのよね)
オウレリアがエクトルの方を残したのは、より与しやすいと思ったからだ。
ただ時機を見定めていたからギリギリになってしまった。
もう卒業は目前だった。オウレリアは直ちにエクトル・ディ・マルタンを懐柔に掛からねばならない。その為の切り札はとっくに用意できていた。
「――私に、でしょうか?」
生真面目で、曲がったことが大嫌いなエクトル。
彼もデレク同様にロザリンデを好ましく思い、おそらくは同じくらいに魅惑されていたはずだ。それでも王太子の行動には、きちんと異を唱えていた。
『成婚前に正当な妃となる女性以外を囲い込もうとするのは、信義に悖ります』
『たとえ意中の相手であっても、容認されません』
デレクとは違い、彼はルシウスに苦言めいたことも度々言っていたらしい。
だからオウレリアは、言うべきを言わなかったデレクの方を隔離した。
「……何でしょうか」
エクトル・ディ・マルタンは現近衛騎士団長の甥にあたる。
生家は子爵家なのに本家伯爵位にだけ許される『ディ』を冠して名乗れているのは、彼が伯父の猶子になっているからだ。
伯爵家の嫡流は別にいた。エクトルの四つ下の従弟、ヴィクトルだ。
しかし、そちらは早くから側妃レジーナ陣営に捕獲されてしまっている。
気の毒にも第二王子と同じ年に生まれついたせいだった。
――いずれその巡り合わせが、身の不運にならなければよいのだが。
密やかに交わされる囁きと同じ危惧を抱いて、マルタン伯爵は甥エクトルを猶子に迎えた。父としては実子の無事と栄達を祈りつつも、家門の当主として周到に保険を掛けたわけだ。
客観的に見て騎士として優秀なのも、明らかに分家筋のエクトルである。
剣の腕に優れ、体格も立派な上に、気性も誠に騎士らしい。彼は王立学院騎士課の最優秀卒業生となる見込みだった。そしてこのまま王宮近衛に入り、王太子の専任護衛に就く。学院でも同じ任を担ってきたから、近未来はその延長線上にあった。
つまりエクトルは、次代の王ルシウスの腹心中の腹心なのだった。
「――あまり時間は取らせないわ」
エクトルの神経はルシウス達に向けられている。これも当然だ。まさか目を離すわけにはいかないだろう。
「是非ともあなたに、お聞きしたいことがあって」
エクトルが身構えるのが気配でわかった。
あまりオウレリアとは二人で話すことがない。もしかしたら初めてかもしれない。
「卒業してしまったら、気軽に尋ねる場面もないでしょう?」
「はい。それは――?」
オウレリアは、自分がエクトルに好かれているとは思っていない。
ロザリンデのような女性が好ましいなら、オウレリアはその対極だろう。
だが心証は悪くないはずだ。
デレクの出立の朝、自分の馬と入れ替わるように見送りに来たオウレリアの姿をエクトルは視認している。そのためにあえてお忍びにはせず、彼女は早朝からフォン・エーレ侯爵家の紋章入り馬車を仕立てたのだから。
「実はね。確認したいのは、あなたのお姉様のこと」
何を聞かれるのかと警戒していたエクトルは、少しホッとしたようだった。
だが同時に、疑念がもたげたらしい。
「私の姉……カミーユ。のことでしょうか」
「ええ、そうよ。去年、騎士学校を首席卒業されたカミーユお姉様」
エクトルには一つ上の姉がいる。
外見はあまり似ていない。だが内面は正しく同じ血を持つ兄妹だった。
女性の身ながら騎士を志したカミーユは、王立学院ではなくあえて騎士学校を選択した。伯爵家に連なる血筋の姫だから、二重三重にも異例のことだ。
そしてカミーユも極めて成績優秀。
仲良く切磋琢磨し合い育った姉弟は、姉の方が一足先に首席で卒業していた。
だが惜しいことに、現状で女性騎士の受け皿は非常に少なく――否、ほとんどなかった。加えてカミーユは伯爵家の縁者だから、格下の家では抱え難い。
極めて有能な人材であるにもかかわらず、未だカミーユには出仕先が決まらないと聞いていた。
「できればカミーユ様に、わたくしの護衛を頼みたくて」
意識的に強く一歩を踏み込んで、オウレリアは本題を告げた。
同じ一歩分を物理的に退こうとしたエクトルの足が、ピタと止まる。
「え……」
驚き。戸惑い。喜び。そしてエクトルの瞳の奥に微かに勝った歓びが湧き上がるのを、オウレリアは瞬時に見て取った。
「姉を……」
「ええ。わたくしは女性の護衛が一人は欲しいと思っているの。男性ではどうしても立ち入れない場面があるもの。これは前々から考えていたことなのよ」
「それは――」
「もちろん、先々は王宮まで付いて来ていただきたいの。正式に近衛として」
エクトルの眉の間がパアッと晴れた。
「あなたから、お姉様にお話しておいてくださる?」
オウレリアはにっこりと微笑んだ。
普段からむやみにニコニコなどしないから、こういう時には効果覿面だ。
「も、もちろんです……っ!」
「なら早いうちに、是非一度お会いしたいわ」
オウレリアはあえて淡々と続けた。
「先にわたくしの実家の方で、ね。訪問の予約を入れて欲しいの。わたくしから招待状を差し上げてもよいし」
「姉が……カミーユが喜びます」
「本当に? それは、あなたが上手に説得をしてくださるということ?」
「滅相もない。姉は、喜んであなた様に忠誠を捧げるでしょう」
「まあ――」
オウレリアは目に喜色をにじませた。君の目は笑わないとルシウスは責めるが、そんなことはない。オウレリアは全身で笑いを纏える。必要とあらば。
「なんて心強いこと」
釣れた。今日はこれでじゅうぶんだ。
「では、わたくしはこれで――」
そろそろ奥の痴話喧嘩も終わりそうだった。オウレリアは悠然と引き揚げた。
まずは――これで一石。
デレクを去らせたことで、何を勘違いしたのか側妃陣営が調子づいていた。
第二王子の側近候補に取り込んでいたデレクの弟ダリオを、俄然推し始めたのだ。
一応にも情報操作という手法を心得ていたらしい。それで必要以上にデレクの悪評が蔓延しつつある。
――頼みもしないことを。
まったく。何をしてくれるのか。
王家と違い、デレクとダリオは同じ母から生まれた兄弟だ。
なのに強引なやり方が事後にどんな亀裂を残すか、お構いなしに進めている。
――あの不出来な第二王子では、とうてい王太子の対抗馬にはなり得ないと判断していたけれど。
側妃の野望は空席の王妃の座に就くことで、王太后になりたいわけではない。
そう踏んでいたが、どうやら認識を改めた方がよさそうである。
だからこそエクトルは、据え置かねばならなかった。
これ以上、ルシウスの周囲を削るわけにはいかない。護衛騎士なら暴走しない。
遠からぬ将来、側妃達を排除する事態はじゅうぶん起こり得る。
文字通り自分達の剣になる人間が、この先で必要になるのだ。




