冬の始まり ~鉄、或いは黄金
2026.10/9 タイトルのみを修正(内容は同じです)
「金の姫。……そんな異名で呼ばれて、君は悦に入っているのか」
王立学院卒業を一ケ月後に控えた、或る朝だった。
そろそろ予鈴が響きだすであろう回廊で、婚約者がオウレリアに絡んできた。
話し掛けられるのも久し振りだった。少し前に彼女が相当耳に痛いことを言っておいたから、しばらく避けられていたのだ。
――またか。
正直な感想はこれだった。
婚約者である王太子ルシウスは、しばしばオウレリアを詰るようになっている。
気弱な少年だったルシウスは、この半年ほどでいたく攻撃的になった。
決して芯は強くない。むしろ脆いところがあって、すぐクヨクヨする男の子だったけれど。絶えず誰かれかの慰めを必要としていた少年は、もういない。
王太子としての自覚と自信が出たのだと好意的に捉える向きもあるようだが、それは違う。ルシウスが虚勢を張るのは自分にだけだと、オウレリアは知っている。
そしてさも王太子然と振る舞って格好を付けたがるのは、特定の一女生徒の前でだけなのだ。
「そんな風に呼ばれて満足か。嬉しいのか」
金の姫オウレリア。
いつからだろうか。自分がそう呼ばれているのは承知していた。
だが深く考えたことはない。
金眸金髪の彼女の容姿か、名前からの連想だろう。綽名なんてそんなものだ。
或いは単なるお追従の類かもしれない。
ブルグ王国筆頭侯爵家フォン・エーレの一人娘。
家柄、容姿、教養、礼儀作法。すべてを兼ね備えた完全無欠の貴族令嬢。
そして王太子ルシウスの十年来の婚約者。
一年後には王太子妃になる女。つまりは近い将来の王妃。
そうした複合要因からだと解した時期もある。
『まことそなたは、黄金の名に相応しい』
今上陛下にそうお褒めの言葉を頂いた時には、嬉しく誇らしく感じたけれど。
オウレリアがあらゆる努力を積み重ねてきたからこその『金』の呼称だと、陛下だけが認めてくれた。
しかしその実、個人としての自分はいたく平凡でありふれた人間だ。
彼女はそう謙虚に自覚していたのだが、どうやらその自認は誤っていたらしい。
「だがそれは黄金ではない。君の心は冷たい鉄なのだ」
――ああ。太古の昔には黄金も青銅も錫も、金属はみな一緒くたに『金』だったのよね。鉄はどうだったのだかしら?
彼女だけに辛辣なルシウスの言葉に、彼女はついそんなことを考えてしまう。
(なんでこんなに平気なのかしら? 本当に。わたくしはもう何も感じなくなってしまった)
可愛げがないとか、笑い方が不自然で目が笑っていないとか。
そういうショボいことをチマチマ言われるよりは、鉄の喩えはマシな気がする。
「冷え切った硬い鉄。そうに違いない」
また今日は。いつも以上にくどいこと。
昨今、オウレリアにはいたく不毛な習慣が付いている。
婚約者の言葉は、そのまま受け流す。
無視はしないし、相手にしないわけでもない。仮にも王族だ。不敬になる。
ただし決して真には受けない。まともに相手をするとロクなことにならないのを学んでいた。いちいち騒いで振り回されては、徒に摩耗するだけだ。
「なんて冷たい女なんだ……」
さっきから。『冷たい』以外にこの方は形容詞をご存知ないのかしら?
だが彼女がこんなにすっぱり割り切れるようになったのは、婚約者にこうも悪し様に言われるようになってからである。
そしてルシウスの言葉と態度がかくも硬化したのは、確実に今年以降のことだ。
きっかけはわかっている。
ロザリンデ・ベルンシュタイン。あの男爵令嬢が登場してからだ。
原因もまた然り。
彼女が入学した学院最終年、ルシウスは明らかに変わった。
「君の仕業なのだろう……」
――柔らかくて加工しやすい金よりも、高熱で鍛える鉄の方がわたくしらしい。
オウレリアはそう受け止めた。
でも鉄なんて、何からそんな話になるのかしら。
「よくも、よくもあんなことが出来たな……」
ああ。デレクか。
すぐにアタリは付いた。
思い出した。今の今まで綺麗に忘れていた。
ルシウスはつい先日、右腕のデレクを奪われていた。
――それはむしろ、殿下の仕業なのでは?
学院最上級の三年。後期も終盤、そろそろ卒業が近いこの時期になって、王太子のお目付け役デレク・フォン・グランツは、エドナ王国遊学が決まった。
それで幼馴染の退場にキレたルシウスが、オウレリアに怒りの矛先を向けているようだ。
「仰る意味がわかりかねますわ、殿下」
「何を。白々しい」
「宰相閣下のご嫡男の留学です。それをお決めになったのは国王陛下。わたくしではございません」
この時点で、既にデレクは出国していた。
卒業後には宰相補佐の肩書を貰い、王宮でルシウスにそのまま側近として仕える予定だったデレク。そしてゆくゆくは父から宰相を継げるはずだった。
その将来に水を差したのは、他ならぬルシウスである。
「君がそう父上に進言したんだろうっ⁈」
「わたくしが?」
オウレリアは重ねて否定した。
「何故? どうして? なんの理由でわたくしが、殿下の近習を遠ざけたり致しましょう?」
半分は嘘だ。ルシウスの邪推はあながち的はずれでもない。
ルシウスの不始末の責を、誰かが負わねばならなかった。
是非とも王太子本人以外の人間で。
国王陛下がオウレリアにも意見を求められたのは事実だ。
『護衛は必要かと存じます』
王太子の懐刀でもある文官育成課程の秀才デレクと、同じく王太子専任護衛を務める騎士科の雄エクトル。
スケープゴートをどちらにすべきか? 陛下は選ばねばならなかった。
王家としては、たぶんどちらでもよかった。
オウレリアは、悩める陛下に道筋を示したに過ぎない。
それをルシウスは、彼女が誘導したのだと決め付けている。
成婚前の婚約者にそこまで影響力があると、本気で思っているのだろうか。
(まあ何かに付け、陛下が殿下に考えを尋ねられることはないものね……)
そして事実として、卒業を待たずにデレクは友好国エドナへと送られた。
彼は最終考査さえ受けられなかった。急がされたのは、それが懲罰だからだ。
かつてユベール王国へ国費留学した新しい宰相補佐殿とはわけが違う。
エドナに遣られるのは栄誉ではなかった。有り体に言って左遷だ。
当のデレクは、文句ひとつ言わなかった。ただでさえ健康状態が優れない宰相を余計に弱らせた不肖の息子は、黙って発った。
(そんなに憤るなら、陛下に直談判して止めればよかったものを)
だが、そんなことはしなかったろう。王太子は父王には逆らわない。
廃嫡を恐れているからだ。異母弟と違い、彼には庇い立ててくれる生母はいない。
だからその鬱憤を、見離されないと思い込んでいるオウレリアにぶつけてくる。
自身の最大の後ろ盾が、オウレリアの実家であることはちょくちょく忘れてしまえるようだ。都合のよい思考回路である。




