この冬、舞踏会へは行きますの? (2)
「殿下に、選ばせて差しあげます」
オウレリアはスッと手をかざした。
総レースの白い長手袋。縁取りなど、ところどころは金糸である。
おそらくこの手袋だけで、ロザリンデが貰ったドレスよりも高価――だとまでは、さすがに言い過ぎか。
「今、殿下の目の前には二つの選択肢がございます」
「―――?」
「ひとつめは、可愛い白薔薇のお嬢さんを追って馬車に飛び乗る道」
「……ッ」
「まあ。それは王位継承権を放棄すること――に他なりませんけれど」
第一、もう間に合わない。
出立はたっぷり一日は前だ。早馬を飛ばしても追い付けるかどうか。
「今一つは、ここで私の手を取り何事もなかったように入場すること」
ルシウスに出来るのは、王冠に連なる道にしがみ付くことくらいなのだ。
既に転がり落ちんとしている王太子の椅子に居座り続けたいなら、それしかない。
「――――もし、手を取らなければ?」
オウレリアは鷹揚に微笑んだ。
「どうぞご自由に」
同じことだ。ルシウスにはもう、加勢する人間はいない。
右も左も、片腕になる者達は去らせた。既に両翼を捥いである。
そして愛しのロザリンデにも見限られた。
今更追おうが追うまいが、気を変えさせることはできないだろう。
これでもしオウレリアをも選ばなければ、ルシウスは自身以外の全ての人間達からも見放される。王冠は夢のまた夢で終わる。それだけのことだ。
――残念ね。時間切れ。
「それでは、わたくし達は今後二度とお会いしない。互いにそういうことで、よろしいですね?」
譲歩するのは、この一度だけだ。
彼女がこの手を引くこと。
それは文字通り、オウレリアとその侯爵家がルシウスから手を引くことを意味していた。幼少時に生母を喪い、今更他の後ろ盾を望めない第一王子から。
けれど――わたくし、手を上げたままの姿勢に疲れてしまったわ。
オウレリアは速やかに差し伸べた手を引っ込めようとした。
「ま、待ってくれ!」
しかし彼女の白い長手袋の手は、強く引き留められた。
考える頭はまだあったらしい。ルシウスは両手で彼女の手を握って、全身で制止に掛かる。
――ちょっと。痛いじゃないの。
「わ、わかった。これも公務の一環だ。共にこなそう」
は?
「私達が行かないことには舞踏会は始まらない。さあ、遅れるわけにはいかないだろう?」
そして本当に何事もなかったように、腕を差し出してくる。
――ここはもう少し、指導が要る。
「わたくし、いつあなたにエスコートをお願いしましたかしら?」
「え?」
「間に合っておりますの。あなたの代わりは幾らでもおりますから」
もうあえて「殿下」とは言わなかった。
こういうニュアンスにさえ気付かないなら、その両耳はとんだ節穴だ。
オウレリアはベルに手を掛けた。実際、室外には従兄弟達が控えている。
オウレリアが王太子と破談になれば、彼等は喜び勇んで婿入りを志願するだろう。
まあ父は渋るだろうが。
父は、生まれ来る孫の血が濃くなるのを懸念していた。
だが、ふた従兄弟達もいる。現実問題として、オウレリアは相手に不自由しない。
(お父様の望む最善ではないのでしょうけれど)
父の望みは、オウレリアが王室に入り男子を二人以上あげること。
そして次男以下に侯爵家を継がせる。臣籍降下となれば、おそらくフォン・エーレはブルグ王国で初の公爵家になる。
だが、父の野望にルシウスは必須ではなかった。
金の姫オウレリアは、まだとっておきの奥の手を隠している。
「ま、待って!」
ルシウスは、またもオウレリアの手をベルごと押さえ込もうとした。
痛いですわよ?
「放してくださいな。本当に遅れますわよ?」
「た、頼むっ。一緒に入場してくれ」
「――は?」
入場刻限が迫っていた。だが、オウレリアはあえて焦らした。
「今、何て仰って? よく聞こえませんでしたけれど?」
「頼むっ。お願いする。私のパートナーを務めてくれ」
「――お願いする?」
「そうだ。王太子であるこの私が」
「……とても、お願いされてるようには聞こえませんわね?」
オウレリアは冷たい視線をルシウスに向けた。
これまで対面では彼をこんな風に見たことはない。ルシウスの方も、オウレリアがこんな目付きをできるのを知らなかったろう。
「え……」
「二度は言いません。では、ごきげんよう」
オウレリアはルシウスの両腕から手を抜いて、踵を返した。
このまま立ち去ろう。何なら独りで入場してやろうかしら。
「ま、待ってくれ!」
ルシウスが跪く。
――それ、求婚の作法なのではなくて?
しかしどこか芝居じみていて、オウレリアには興醒めだった。
大仰な。たかがエスコートごときで。
「オウレリア・フォン・エーレ侯爵令嬢に、王太子ルシウス・フィン・ブルグントが心からお願い申し上げる」
ふうん。何を?
「今宵、どうか私のパートナーとなってください」
今宵ね。今宵だけ?
そして明日には別の相手を考える? いっそ誰か別の女を?
「そうですか。なら、いっそ明日またどなたかをお探しになればいかが?」
「――オ……オウレリア⁈」
ここまでやって、拒まれるのか⁈
ルシウスの青い眼が、驚愕に揺れていた。
それでも、彼女の変わらぬ視線の冷えには気付いたらしい。
恐る恐る上目遣いで見て来る。子犬か。しかしちっとも可愛らしくはない。
「私達は……もう十年も、うまくやれてきたじゃないか。君はこんなことで、何もかもをぶち壊すのかい?」
次は泣き落としか――もうオウレリアには失笑しか出て来ない。
――軽く百程は、反論ができそう。
ここまで「うまく」「やれた」のは、偏にわたくしの忍耐の賜物なのよ。
『こんなこと』を引き起こしたのはルシウスであってオウレリアではなかった。
ぶち壊しにかかったのは、いったいどちらなのか?
「―――……」
「オ、オウレリア」
段々泣きが入ってきた。面倒だ。本当に泣かれると鬱陶しい。
オウレリアは泣く女は許せるが、泣けばいいと思っている男は受け容れかねた。
「お願いだ。この私に、君の手を取る栄誉を与えて欲しい」
「なら――」
オウレリアは、意図的に笑って見せた。凍り付くほどに嫣然と。
今宵はよく笑えている。自覚があった。きっと愉しいからだ。
いざ始まって、佳境に差し掛かってしまえば、愉しくてしょうがない。
「ある程度は、誠意を見せてくださらないと」
「え――」
まだまだ。本題はこれからだった。




