その冬、黄金の心は ~卒業舞踏会前夜(2)
「それで――いつ発つの?」
「今夜にでも」
オウレリアの問いに、眼前のフィオレンティーナが間髪入れずに答える。
「この足で参ります」
今から? 王都の最後の門が閉じるのには、ギリギリで間に合うだろうか。
だが馬車の通れる大門はもう閉鎖した後だ。つまり姉だけを、先に王都から出してあるということ?
このところ姉の方が寮と辺境伯家の王都邸を頻繁に行き来していたのは把握している。時に外泊していたのも。
「私だけ。後から一人で出ることになっております」
少しだけ躊躇って、フィオレンティーナは付け足した。
「いただいた手紙は、実家に戻れた時点ですべて私が燃やします。確実に」
成程。
まだ十三歳だ。オウレリアが見つめるその指先は震えていた。
フィオレンティーナはオウレリアの視線に気付いて、ギュッとスカートを握る。指も手も、すぐに真っ白になった。
――ただでさえ色白さんなのにね。
東方の血が色濃い、きめ細やかな肌。独特の光沢で、それは昼の陽光よりも夜の灯りに映える美しさだった。だが今は、その皓さが緊張で蒼褪めている。
こんな時間に、こんな女の子が独りで来た。
何もかもが彼女の独断だとは思わないし、筋書き全部をこの十三歳が考えたとも思えない。
「――それを、わたくしに信じろと?」
だがこの子は独りで、今この瞬間わたくしと対峙している。
その点にだけは、応えてやらねばならない。
「どなたか、信頼のおける同行者をお付けいただいても結構です」
夜の外出なのだ。当然、行き帰りには辺境伯家の者が付いているのだろう。
万一この子を返さなければ、何らかの処置を講じてくるはずだ。
武門のエルンストは、大昔この国が大公国だった頃から物騒な連中だった。
それにあの食えない宰相補佐殿は、とんだ曲者だと睨んでいる。
(わたくしは今、試されている。寛大さを。統べるものとしての度量を)
ただ、オウレリアはこういう試され方が嫌いではない。
「………」
ルシウスは赦さない。決して無罪放免では捨て置かない。
眩暈がする程おめでたいロザリンデも、何がしかの見せしめにすべきだ――とか、ニケあたりには言われそうだが。
「…………」
けれど。この十三歳の勇気には報いてやってもよい。
この子になら。温情を掛けてもいいだろう。ただの一度くらいは。
「……………」
先に沈黙を破ったのはオウレリアだった。
「――通行証はあるの?」
「は、はい。ただ、叶いますならば何かお印をお借りできれば」
怯えてはいても周到だ。本当に賢い。
エルンスト辺境伯家が便宜を図っているのは、想定内ではある。
ベルンシュタイン男爵家とは寄子寄親の関係なのだから。
さらに侯爵家のお墨付きを示せれば、王都のどの門でも通してもらえるだろう。
それはつまり、このしっかり者の妹が不用心で脇の甘い姉の首に縄を付け、引っ張って帰る為の安全保障なのだ。
「オットー」
オウレリアは執事長を呼んだ。通常の事態ではないので、すぐ外に彼が自ら控えていた。
「はい。お嬢様」
「我が家の者達が王都の出入りに使う、標準の通行証があるわね? あれを一枚、この子に貸してあげて」
オットーはちらとフィオレンティーナを一瞥した。だが何も言わない。
「かしこまりました。緊急、でございますね?」
「ええ。これから彼女が王都を出るから。家族そろって急遽帰省することになったらしいの」
「――承知いたしました」
「それから。ミカエルには辺境領に一番近いウチの屋敷まで移動しておいて欲しいのよ。連絡を頼めるかしら?」
「はい。いつまでに?」
オウレリアはフィオレンティーナの顔を見た。
鳩を使うが、最低でも三日は欲しい。
「あなた達の帰宅まで一週間くらい……かしら?」
「はい。そのくらいです」
「では、今週の内に」
理解も仕事も速いオットーに、オウレリアは簡潔に述べた。
「彼女がね、自邸に帰ったら処分しなければならない物があるそうなの。
一人では大変だから、到着の日に合わせて手伝いを頼みたいのですって。
それならミカエルが適任だと思って」
オットーにはこれで意図するところ全てが通じる。
同時にフィオレンティーナに対しては警告だ。
ミカエルが当家でどういう存在か。この子の頭なら分かるだろう。
それに、ミカエルにも姉妹の顔を覚えさせられる。
危害を加えさせる気はなかった。今はまだ、純粋に保険として赴かせるだけだ。
「数はどれくらいになるのかしら?」
「十二通でした」
ふふふ。オウレリアは感心した。
言い淀みもしない。きっと漏れもないのだろう。
姉の所持品を一切合切、必死に点検している妹の様子が目に浮かんだ。
「そう。中身は――」
「すべて灰にします。必ず。燃やし尽くします」
フィオレンティーナは即座に言い切った。
ほんの僅かに、オットーの眼が光る。
ああ。手紙の方は相当にマズい内容なのか。
まさか署名なんぞはしていないでしょうね?
もしや、封蝋に王太子の御印なんか押してたりするの?
――穏当に済ませるべき?
その選択肢も瞬時、頭を過ぎりはした。が、止めた。穏健案は即時に却下。
恩知らず恥知らずに掛ける情けを、オウレリアは持ち合わせない。
愛されたいわけでも親しまれたいわけでもなかった。自分がなりたいのは、懼れ敬われる絶対無二の存在だ。
だから、徹底的にやることに決めた。
「――では、気を付けてお帰りなさいな」
オウレリアは艶やかに嗤った。話は終わった。交渉成立だ。
フィオレンティーナ・ベルンシュタインは、速やかに帰す。
今こそ正しく彼女は理解した。この心は鋼ではない。輝く黄金だったのだ。




