冬の夜の訪問者 ~卒業舞踏会前夜(1)
「お初にお目にかかります。フィオレンティーナ・ベルンシュタインと申します」
そして最後に来たのが、フィオレンティーナだった。
卒業前夜だった。
オウレリアは寮を引き揚げ、既に自邸へ戻っていた。
(これが、あの妹――)
ロザリンデの誇る『ウチのできる子』フィオレンティーナ。
まともに会うのはこれが初めてだ。
美貌の姉と聡明な妹。現在のところは姉妹でうまく棲み分けがなされている。
だが姉は、じきに美貌の面でも妹に抜かれるだろう。姉の魅力は金髪緑眼によって嵩上げされたものだからだ。黒眸黒髪の妹にはない、派手な彩色の効果で。
顔立ち自体は圧倒的に妹の方が整っていた。
明らかに混血だが、同じ神の創り給うたとは思えない精緻さ。おそらく格段の差異がある。それとも異なる神の造形によるのだろうか。
(先々が見ものだこと――)
姉妹仲に問題がないのは、よく理解している。だがいつまで仲睦まじく、均衡を保っていられるだろうか。
「先日は――私のことまでお心に掛けてくださり、ありがとうございました」
冒頭の挨拶で端正なお辞儀をしてから、フィオレンティーナはそう申し述べた。
そしてもう一度、美しい礼をする。所作自体が美しい。姉と同じように礼儀作法を教わったそうだが、妹の方が遥かに筋が良かった。
立つ姿勢からして際立っているし、華やかさで細部の粗を補完させるロザリンデと異なり、フィオレンティーナは一つ一つの動作が綺麗だ。
きっと何一つも、学べることを疎かにしなかったのに違いない。自分は養女で、家の娘ではないと自覚すればこそだろう。
『意外とまともじゃないですか?』
目線だけをオ゙ウレリアに寄せるニケの顔にも、そう書いてあった。
「……こちらを、お返しに上がりました」
フィオレンティーナが予め差し出していた衣装箱を、ニケが開ける。
中には淡いピンク色のドレスが一着。添えられたカードも見えた。
「――この程度のこと、なのです」
フィオレンティーナは淡々と言い切った。
賢い子だ。この子はちゃんと把握できたのだな。たかが、こんなドレス一枚で。
所詮は、この程度の想いだと。
(――最後の最後に、トドメが来たわね)
フィオレンティーナは不意の客だった。
こちらから呼んだ相手ではない。本来なら、この屋敷の門さえ通れない来訪者だ。
フィオレンティーナは、招かれざる客でもあった。
しかも人を訪ねるには遅い時間。オウレリアは明日に大事な予定を控えていた。
学院の卒業式典は翌日だった。肝は夕刻からの舞踏会。そこで正式に、自分達の婚儀の日取りが公表される。
しかし珍客でも、ロザリンデ・ベルンシュタインの妹となれば話は別だ。
しかもこの妹は、わざわざ正門を閉じた後を選んで通用門から忍んで来た。
『是非とも直接侯爵令嬢にお目にかかり、直にお返ししたいモノがございます』
それも内密に。
ご丁寧に、辺境伯家の紋章入りの紹介状まで持参していた。
おかげですぐに執事長まで知らせが走り、ほぼ間を置かずにオウレリアまで伝達が届いた。だから来訪もこの場の面談も、邸内で知る者はごく僅かだ。
フィオレンティーナ・ベルンシュタインは、聞いていた以上に頭が良かった。
「……お目こぼしをいただけますか?」
阿るでも恫喝でもない。これは交渉だ。悪くない。とても現実に即している。
おそらくここが最後の機会なのだ。逆に、ここを過ぎれば身の破滅を招く。
姉とは違い、この子は事の次第がどんな結末に至るかを承知している。
姉一人のことでは済まなかった。姉だけではなく、家族全員が何もかもを失う。
家、爵位、財産――男爵家が僅かに持っている、ありとあらゆる全てを。
もしかしたら辺境伯家の秀才殿あたりから、彼が留学していたユベール王国での騒動を聞き及んだのかも知れない。
姉と同じことをした男爵令嬢がいたこと。
彼女ごと、とある男爵家が忽然と消え失せた顛末。あの悲惨な終幕を。
――よく勉強しているようね。
ユベールの第二王子の婚約者、後の女侯爵スカーレット・フォン・ヴォルダニスカに真正面から喧嘩を売り、既存の秩序に丸腰で挑戦した、命知らずな男爵令嬢。
正真正銘、容貌だけが武器だったらしい幼気な狩りの獲物。
無知とはそれだけで大罪だった。たとえ緋色の業火で灼き尽くされようと、文句は言えまい。
「もし、お許しいただきましたなら。……姉を連れて、このまま郷里に帰ります」
この十三歳は悪くない。
さすが女子最年少で王立学院に合格しただけのことはある。
「そうね……」
確かに。この程度の覚悟だ。
ロザリンデ用のドレスを点検するニケの眉が吊り上がっていた。
眼が怒りに燃えている。無理もない。あまりにもよく似たドレスを、つい先日見たところなのだ。
『卒業舞踏会にこれを着て出て欲しい。必ず君の手を取って踊る』
既にオウレリアは、王太子直筆のカードをも確認した。
大した内容ではなかった。これだけなら、万一流出してもシラを切り通せる。
むしろあまりに平凡過ぎて、何の感想も出て来ない。
あまりに平静過ぎる自分のことを、どこかおかしいのかと訝ったくらいだ。
詰めの甘い王太子殿下の思惑が、容易く透けて視えた。
ロザリンデに宛てたカードには、エスコートするとは一言も書かれていない。
恋に目が眩んださしものルシウスでも、ヘタな考えは巡らせたらしい。
最初の曲を踊るとも約束していない。そこらあたりは稚拙なりにも狡猾だ。
あの甘ちゃん王太子の考えそうなことだった。
おそらく自身は婚約者であるオウレリアと仲良く並んで舞踏会ホールに入場し、すぐ後ろにロザリンデを侍らせる気なのだろう。あえて女性二人に似たような衣装を着せて。
彼からは、オウレリアにも舞踏会用のドレスが贈られている。
色は違えど、二着とも基本的なデザインは共通していた。王太子の瞳と同じ青をあしらっているのも同様だ。
だが使われている生地には明確な差を付けてあった。装飾にしても、レースの値段が桁一つ違うはずである。
見る者が見ればわかる。
王太子は婚約者オウレリアと予定通りに結婚し、ロザリンデは愛妾に召し上げるつもりだと。そして、こう解釈するはずだ。
どうやら正妻になるオウレリアも黙認しているようだと。
小賢しいこと。オウレリアは失笑した。
あれだけの想いをぶつけられて、その返答がこれ?
あれ程真摯な熱情で向き合われた、結果がこれだと言うの?
あなたのために全てを捨てると言ってくれた相手に対して、こんなドレス一枚がその返礼だと?
これはない。
これでは、誰でも愛想を尽かすだろう。たとえロザリンデでなくとも。
嗤わせる。女を、相手をなんだと思っているのか。
自分の婚約者が人として鈍いのは、薄々察していた。
ルシウスはあまり鋭敏とは言えない。むしろ他人の心情に鈍感過ぎた。
だが、ここまではっきり愚鈍だったとは。
いいや。わかっていたのだ。
ただ現実を直視したくなかっただけで。この先、自分は情動音痴で愚昧な夫をお守りし続けていく人生になるのだと、オウレリア当人が認めたくなかっただけだ。
(本当に? これで万事解決すると、本気で思っていたのかしら?)
これまでオウレリアは、陰に日向に婚約者を立ててきたつもりだ。
率先して尽くす……と言うより、その方が体裁が良かったからではあるが。
学院の定期考査では、絶対に満点を取らないよう腐心した。
奥ゆかしくも巧みに婚約者のすぐ下の成績に付けておくのは、それは骨が折れた。
オウレリアが発案して実務に落とし込んだ、生徒会主催のあれやこれ。
苦心惨憺して、さも王太子が成したように見せ掛けて花を持たせ続けた。
視察先でも、これまで自分は公的な場でルシウスを貶めたことはない。
だがすべて不毛な努力だったらしい。
そういう一切がもう無用だと、つまりはそういう意思表示をされている。
――不要な気遣いに労力を取られていたと言うのなら。
――頼んでいない、お前が勝手にやったのだろうと言う気なら。
「いいでしょう」
金の姫、オウレリアは決意した。
甘やかした結果が、これだった。舐められたものだ。いっそ嗤い飛ばしてやる。
――躾け方を改めよう。
こちらもやり様を変える。
逆に良い機会だ。いい加減、しっかりと力関係を思い知らせてやった方が良いだろう。




