【回想】 白薔薇姫の嘆き
ロザリンデの心が、どの時点でルシウスから離れたのか。
第三者たるオウレリアには測りかねる。すべてルシウス自らが蒔いた種だ。
端的に言えば、ロザリンデの天秤は王子様ではなく家族の方に傾いた。
情に厚い白薔薇姫の心の中では、昨日今日の恋情よりも姉妹の情愛がいや勝ったというわけだ。
身内の情。それはルシウスが最も餓えていたものかもしれなかった。
自分には望むべくもないものを持っていて、かつそれを分け与えてくれそうな相手。だから彼は、ああも急速にロザリンデに傾倒していったのだろうか。
オウレリアは、自身の為人が誰彼かに多大な影響を与えるとまでは考えない。
それほど思い上がってはいないつもりだ。だから最終的にロザリンデが去ったのは、オウレリアの企みによる結果ではなく偶然の産物なのだ。
この点においてだけは、オウレリアは何も手を下さなかった――はずである。
「殿下は、何もわかってはおられない……」
オウレリアの直言がルシウスに届いたのかどうか、甚だ疑問だ。
あれで伝わったとはとても思えない。だがロザリンデの涙は堪えたらしい。
「殿下にとっては、私達なんてどうでもよいのでしょう⁈」
「何を言うのだ、ロザリンデ」
「いいえ。いいえ」
ロザリンデはルシウスの手を振り払ったそうだ。
「殿下はわかってくださらない」
そして涙ながらに訴えたという。
「王族でなくとも、心を持っているのです」
理を説かれても、人は響かない。衝き動かされるのは常に感情であり、情動だ。
百の言葉より一粒の涙。ただしこの時期、白薔薇姫は毎回泣いていた。
「私達だって同じ人間なのに。あなたと同じように生きているのに。
私達にも気持ちがあるのです。傷を受けたら血を流すし、血が流れたら痛い。
悲しければ泣きます。あなたと同じ。人間だから」
「………」
人によっては不敬だと聞き咎めるだろう。言わんとすることはわかるけれど。
同じ人間ではないのだ。とどのつまりは。隔たりは、実は果てしなく遠い。
「私達にも心があるのです。母が亡くなった時、妹と私は手を取り合って泣きました。大切な家族です。それを、それをあなたは……」
彼等のやり取りの内容を、オウレリアは人伝に聞いた。
その時点で、ようやく先代辺境伯の意図を理解できた。
貴族とは名ばかりの、まるで庶民の一般家庭みたいなベルンシュタイン男爵家に何故一門の女児フィオレンティーナを託したのか。
きっと、ごく普通の家庭だったからだ。
父がいて、母がいて。お人好しで涙もろい姉までいる。
惨劇の後に唯一人生き残った子を、ごくごく普通の家庭に置いてやりたかった。おそらくは喪くしたのと、できるだけ似たような環境に。
そうでもなければ、エルンスト本家が貴重な女の子を手放すはずがない。
若い後妻がどれ程ヒステリーを起こそうと。
「ロザリンデ……」
しばらくルシウスは、ロザリンデにも距離を置かれていたようだ。
王太子は一度、徹底的に悩んだ方がいい。オウレリアはそう判断した。
だから放置した。
まさか、思い悩んだ結論があれだとは。
やはりポンコツなのか。もう嗤うしかない。
しかし己の憐憫が決定打になったなど、オウレリアは今に至るも思っていない。
「あ・ら……」
「オウレリア様――」
あれは放課後の学院図書館裏だった。
オウレリアはどうやら、幾度目かの口論の直後に白薔薇姫に遭遇したらしい。
折悪く、回廊には他に誰もいなかった。
ロザリンデは明らかに泣いた顔。まずいなと、オウレリアは思った。
王家から監視も付いていたのだが、既に退勤した時間帯だった。だからその時、オウレリアには実家の護衛しかいなかった。彼はオウレリアの身内と見なされる。よって、ここで何か不具合があっても何の証明も出来ない。
極端な話、ロザリンデがまた泣き出してもオウレリアが虐めて泣かせたと取られる。たとえば不注意で転んだとしたら、掠り傷でもそれはオウレリアが故意に怪我をさせたことにされてしまう。
だが良い機会だ。
ロザリンデと二人で話す場面など、もう金輪際ありはしなかった。
「――妹さんは、どうしていて?」
オウレリアは気になっていたことを尋ねた。
大丈夫かとは、あえて聞かない。大丈夫なわけがないからだ。
「オウレリア様……?」
まあ、自分にできることはない。せいぜいお見舞いを述べるくらいだ。
「せめて、あなたがよく慰めてあげて」
「え……」
「赤の他人のわたくしでさえ、聞いているだけで胸が痛いのだもの。
妹さんはどんなに辛くて悲しいことか」
「オウレリア様……」
「こんなことしか言えないけれど」
オウレリアはロザリンデの手を握った。
日頃視察や陳情でやる仕草だから、つい自然に出てしまった。
習慣というのは怖ろしい。
護衛が微かに顔を顰めたが、もう今更で無視するしかなかった。
「傍で一緒に泣いてくれる人がいるだけで、救いになると思うから」
「オウレリア様……」
ロザリンデは涙を零した。
「あ、ありがとうございます――」
俯いてただポロポロと泣く。上手く泣くものだ。洟なんて垂らさない。
上手に笑えると上手に泣けるのだな。オウレリアは妙な感心をした。
「オウレリア様でさえ、こんなお優しい言葉を掛けてくださるのに……」
わたくしでさえ?
少々聞き捨てならないが、まあ他意はないのだろう。
無邪気に笑い無邪気に泣くから、同じく無防備に失言したのだ。
「オウレリア様は、私なんか目障りだとお思いでしょうに……」
この辺で切り上げるのが賢明だろう。ほんの数分でオウレリアは立ち去った。
ロザリンデと話したのは、後にも先にもこれきりだ。
ロザリンデは、おそらく人間としてはごくまともだった。
情が深くて、自分の感情に正直で。
つまりは、最も王家に向かない。
何が決め手になったのかを、未だにオウレリアは知らない。
ただロザリンデがギリギリのところで踏み留まったのは事実だ。
それでおそらく、多くの人間が助かった。




