第53話 事故に沈む黒い影
第53話 事故に沈む黒い影
さっきまでビアンカに蹴りを放っていた少女が、今は僕を「なおくん」と呼んで看病している。しかも、妙に慣れている。
まずい。
完璧にまずい。
どう考えてもまずい。
でも本気の本気で僕にもサッパリわからない。ほんとにこの子は誰なんだ。
とりあえず、今は何から始めればいい?
ええっと。
ええっと。
「なおくんて何なのって、どこを気にしてるのよ、この変態女狐っ。あろうことか、私のなおくんを誘拐しようとして、それができなければ精神攻撃で抹殺してしまおうなんて言語道断。その年で発想が鬼畜すぎるわっ」
「わ、わたしのなおくんですって……?」
おおっ。ビアンカの目にうっすら怒りがにじんできた。よし。魂が戻ってきた。さすがはビアンカ。あのままいつまでも呆けている子ではない。ただ、まだ少女に抱えられているヒロインな僕が、このあとどうなるのかはわからないけど......。
ビアンカと少女の視線が、空中でぶつかった。
僕を置き去りにして、また、よくないことが始まろうとしている。
「わたしのなおくんは、わたしのなおくんでしょうよ。これ以上、暗殺者と話すことはないわ。一瞬で仕留めてあげる」
少女の目が細くなり、うっすら笑う。
「ちょ、ちょっと、勝手に話を進めないで!」
「とりあえず、その、一旦離れてくれる?僕はもう大丈夫だから」
僕は、少女の腕の中からなんとか抜け出そうとした。だがやはり、少女はなかなか放してくれない。
「いいのよ。大丈夫。あの性悪女狐が、また精神攻撃をしてくるかもしれないわ。私なら、なおくんを守りながらでも全然平気よ」
「ちょ、だから余計なことを言わないで」
「い、言わせておけばこの娘は……」
ビアンカの目にはっきりと怒りがにじんでいる。もう、頼もしいほどに。
まずい。このまま怒りボルテージが上昇しすぎると、止められなくなる。
いや、もう遅いか。
と、とにかく、まずはこの子と離れないと。僕はなんとか少女の腕をほどき、立ち上がった。
すると少女は、「駄目よ」と言って、腕に絡んできた。しかし、体はしっかり、僕とビアンカの間に入っている。
ブチッ
「いいから離れなさい」
あ、だめだ。
何か音がした。
ビアンカの目が逝った。
あのバーサクモードに入ってしまった。取り返しはつかない。もう暴れないと収まらないぞ、これは。
「君、離れて。怪我するよ。あのビアンカはさっきまでのビアンカじゃない。動きのすべてが数段上がっているはずだ」
そう言って僕は、少女をしっかりと押し離した。
「あ、もう」
少女はかなり残念そうにしながらもビアンカに向き直った。
「ほう。確かに、さっきまでとは違うようね」
そう言って少女は、すうっとビアンカに向かって構えを取った。
この子の動きは本当に静かだ。1つ1つの動きにとにかく気配が薄い。
その時、動き出したビアンカが僕の目の端に映った。
「離れなさいって言ってるでしょうがっ」
ビアンカが飛び掛かる。
速い!
さっきより数段速い。
踏み込む直前、脚に力が宿る一瞬。あの張りつめた線。
あの時見たやつだ。
これだ!
ビアンカの美しさは、これなのだ。
あと、僕はもうすでに離れてるんですけど。そのあたりはバーサク状態の彼女にはもう関係ないのだろう。
ビアンカがハイキックを放つ。
「なっ」
少女は何とか腕で流すように受けたが、それでも威力を殺しきれず、後ろに飛ばされた。
わかる。
僕も飛ばされた身だから。
少女は回転して着地したが、さすがにまずいと感じたのか、さらに後ろに跳んだ。
「なんていう、力とスピードなの」
着地と同時に反撃体勢に入る。
だが、その顔は、少し引きつっている。
ビアンカは間を開けず追撃する。
目いっぱい踏み込んだところから、突きを放った。
少女は、その強烈な突きを腕と脚で受け流そうとするが、また流しきれずに後ろに飛ばされた。
「くっ」
着地すると、今度は反撃体勢に入らず、しっかり構え直した。
深く息を吐く。ジト目が一段と細くなった。次は決めにいく。そう伝わってくる。
少女の気配が一段と薄くなった。見事なものだ。この少女は、本気になればなるほど静かに、そして薄くなる。
ビアンカも、腰を落として深く構えた。
こちらからは、すさまじい圧を感じる。
こちらも見事なものだ。筋肉が張り、全身から覇気が出ている。それでも美しい。
来る。
お互い、次の一撃は、さっきまでのものとは違う。確実に仕留めに来る。
すさまじい圧と、凍えそうな静けさの境目にバチっと音がした気がした。
それを合図に2人が動いた。
お互いが猛スピードで接近する。
その時、
「そこまで」
その声とともに、黒い影が2人の間へ割って入った。
少女は、一歩踏み込み、胸の位置から、ビアンカの顔へ向けて、突きを放とうとしていた。しかし、その影に一瞬ビクッとすると、すぐに突きの軌道を捨て、しゃがみ込むようにして足払いへ切り替えた。素晴らしい反応だ。
一方のビアンカは、大きくしっかり踏み込み、腰の位置から少女の顔へ向けて突きを放とうとしていたが、そこから体を回転させ、肘打ちに切り替える。こちらも凄い。
黒い影は、少女とビアンカ、両方の突きを受け止めようとしていた。だが、2人の変化についていけていない。
次の瞬間、黒い影は少女の蹴りに足をすくわれ、体が浮いた。それでもそこからビアンカの攻撃に備えようとする。この黒い影も相当できる。
だが、ビアンカは回転することで半拍タイミングを遅らせている。黒い影の備えが、わずかに外れる。そこへ、回転の勢いを乗せた肘打ちが、もろに背中へ入った。
影から『ぐばっ』と声が漏れる。
あ、あれはモロだ。
…無理だ……。
影はグネッと奇妙に曲がった。そのまま妙な体勢で吹き飛び、地面を2、3回転がった。
動かない。
少女とビアンカは、顔を引きつらせながら、その影を呆然と見ていた。
「「ちょ、ちょっと」」
そして二人同時に駆け寄ってその倒れた影の顔を覗き込む。
「和尚さん!」
「一休殿っ!」
「え? 一休さん???」
第53話 完
【ナオえもん:修羅場の真ん中で「解説役」に徹する男のステータス】
〇バーサク状態の避難訓練度:95
(ビアンカの目が逝った瞬間、野生の勘で心のバックステップ。未来の被害者に「あのビアンカはさっきまでのビアンカじゃない」と一応警告だけは済ませて、安全圏へ避難を完了)
〇格闘技解説者としての適性:98
(踏み込み、ハイキック、突きキャンセルなどの超絶フレーム単位の攻防を看破。乱入者の確定ダウンまで、冷静に実況しきる驚異の観察眼とメンタルは一級品)
本人より一言:見える。見えるぞ。なぜか僕にはあの高速のやり取りが見えるっ!
〇当事者意識ゼロ度:99
(自分を巡る争いだったが、風向きがそれた瞬間から他人事の格闘技観戦モードへ移行。肘打ちを背中に喰らった乱入者に対して「無理だ……」と静かに合掌する姿に責任感は今のところほぼ皆無)




