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9/10

九 踊れぬ靴は、置いていく

 いつもより格段に座り心地のいい馬車。

 それがかえって吐き気を覚えさせる。…緊張という名の。

 が、吐くわけにはいかない。全力で耐える。

 ――これ吐いたら弁済額で一生終わる…!!! 

 脳内のヴァレンティナ様が『そんなもの気にするな』と一蹴するがそういう訳にもいかない。

「……はあ……」

 己の勢い発言が、憎い。いやまあ、彼女があんな風に馬鹿にされるのは腹立たしい。どう足掻いても今の現状以外の選択肢はない、なかったわけだが。


「…胃が…痛い…ッ!」


 キリキリと訴えかける胃の痛みだけはどうにもならない。…ここ半年ずっと友人関係を築いてきた胃薬には裏切られた。ちっとも今日は効きやしない。

 …そもそもである。

「…夜会…苦手なんだよなぁ…」

 家関係で出席したのは数えるほど。職場関係で出席したのも数えるほど。

 ――その両手に余る回数で、確固たる苦手意識のある場所。

 政治、社交界、コネクション―重要だろう、わかる。でもそこでどう立ち回ればいいのか分からない。

 だからこれまでは極力、極力…!!目立たないようなんなら給仕の影を移動してやり過ごしてきた。だが。

 ……今日は、そういう訳にはいかない。


「恥をかかせませんように恥をかかせませんように…!」


 ブツブツブツブツと唸るような声は、蹄の音に紛れて消えた――と思いたい。







 侯爵邸。

 荘厳な――威圧感がただよう邸宅。見ただけで圧倒されるその屋敷は。

「…?」

 入ってみれば第三者から見てもはっきり分かるほど……空気がさざめいていた。

「―…一体なんだって…」

「当主夫妻がいらっしゃらないときに―…」

「若様はすでに会合に―…」

「…」

 それらは遠く、何があったかは判然としない。だが。

 ――なにか、あった。

 そう悟らせる、空気はあった。


「失礼いたしました。ニコライ・メルニク様、出迎えが滞りまして申し訳ございません。執事のセオドアと申します。応接室へご案内いたします、どうぞこちらへ」

 前に老齢の―しかし恐ろしく背筋の伸びた執事が出てきた…思わず怯みそうになる。

「いえ、あの…ヴァレンティナ様のご準備に何かあったのですか」

 案内の足取りを遮って、恐る恐る尋ねてみる。相手の顔色は、変わらない、変わらないが。

 …一瞬影がよぎったように見えたのは気のせいか。

「…お加減を崩されたようでして。今、侍女が確認に行っておりますので応接室でお待ちください」

「…っ!具合が、悪いのならば確認も何も、休まれなければ…!」

 言いかけて、飲み込む。あのヴァレンティナ様が?体調を崩す?

 ――にわかには信じ難い、信じ難いが執事がそう言っている以上そうなのだろう。 



 だが。

 


 …先ほどの、さざめく空気。



 ――この家は、荘厳だ。

 使用人ひとりひとりの動きが、洗練された兵士のようだ。その兵士たちが。

 ……令嬢の単なる体調不良で、あんな風にざわめくものだろうか。


「…ヴァレンティナ様は、自室におられるのですか」

「…左様でございます」

「…お加減が悪いということなら、ご尊顔だけでも拝見しに伺いたい」

 切り込むように告げれば、目の前の執事の眉が一瞬動いた。

「ニコライ・メルニク子爵令息様」

「はい」

「失礼を承知で申し上げます。貴方はヴァレンティナ様の婚約者ではない、今宵のためのエスコート、そうでございますね」

「…っ」



「―――踏み込む権利が、あるとお思いですか」



 言葉に、詰まる。

 ――そうだ。

 ぼくは、婚約者でもない。ましてや継ぐ爵位もない末端の…貴族とも言い難い端くれ。

 そうでなくとも。

 【英雄】と…たんなる王宮下級文官。

 




 住む世界が、違い過ぎる。

 いつものように俯く。落ちる視線に―…





『こんなに夜会が楽しみなのははじめてだ』

 ――弾むような声。

 それが、脳裏によぎる。





 …握った拳が、爪が手に食い込んだ。

 息を吸う――顔を上げ、告げる。



「私は、ヴァレンティナ様から『エスコートしてほしい』と願われました」

「ヴァレンティナ様が仰るのならば大人しく引き下がります。ですから…」



「どうか、お目通りを」




 執事は。

 ――静かに目礼した。

「…ご無礼を、申し上げました。承知しました。私の一存で恐縮ですが、ご案内させていただきます」

「え、あ、の」

 するりと返された掌にこちらが戸惑う。

 返される視線は訓練の行き届いた執事そのもので―…こちらからは、考えなんて読み取れるわけもなかった。

 歩き出した背を、慌てて追いかける。…速い!

 歩いてるはずなのに!そんなに速いんだ!!…その後を追うのに必死で。


「………お嬢様のことを、お願いいたします」


 本当に小さく、小さく落ちた声は。

 僕の耳には届かなかった。






「…ヴァレンティナ様、失礼いたします。ニコライ・メルニク様をお連れいたしました」

『…っニコライが…?!』

 扉越しに聞こえた声は、まさしくヴァレンティナのもの。だが。


 ――揺れている。


 今までに聞いたことのない、声音だった。

「…ヴァレンティナ様、ニコライ・メルニクです、お加減が悪いと伺いました。…ご様子は、いかがですか」

『……』

 ヴァレンティナからの返答は、ない。それで確信する。

 ――体調不良ではない。

 彼女はあまりに真っ直ぐすぎる。…自分を守るために嘘の一つも言えない。

 …であれば、何が。

「…障りなければ、お顔を拝見できるでしょうか」

 話を、と思ったところで。

 


『だめだ』



 切り捨てる、声。

『…だめ、なんだ…』

「…」

『…』

 ――沈黙が、落ちる。

 鈍いと言われるぼくでもわかった。




 拒まれている。





 気が変わられたのか。望まれないのか。…なら、このまま帰ればいい。その方がよほど気楽だ。夜会は嫌いだ。寮の自室が恋しい。…なのに。

「…楽しみだと、仰っていました」  

 なんでぼくは。

 この扉を開けたいと願っているのか。

「ヴァレンティナ様」

「せめて理由をお聞かせください」



「――でないと解が…得られません」



 感情は厄介だ。整合性がなくて面倒だ。

 それでも今。

 ここを退いてはならないと…根拠のない確信が、あった。

『…解…』

 心底困ったような、声が、落ちる。

「…」

『…』

「ヴァレンティナ様」

『…わたしも』


『わたしも、どうしたらいいか、わからないんだ』


 そして。


 静かにドアが開いた。





 扉を開けたのは、侍女だった。

 侍女は静かに扉を開けた後――壁際にたつ。

 開ける視界の先に。



 はじめて見るヴァレンティナの姿があった。



 深い紺地のストレートラインのドレス。裾とその身を飾る、美しく白く光を返す宝石たち。

 髪はすっきりと…しかし男性である自分では理解不能なほど複雑に編み込まれている。

 ――普段凛々しく、まさに戦女神といった風貌とは一線を画す姿。

 なにより。


「――顔が真っ青です…!本当にご気分が悪かったんですか?!」


 思わず侯爵邸ということも忘れ、いつものような言動になってしまった。

 それに彼女は僅かに瞠目して。


 …泣き笑いの表情を、浮かべた。


「体調は、かわりない、大丈夫だ」

 僅かに潤んだ声が告げる。

「…そうですか?でも顔色が…」

「うん、うん、そうだろうな」



「動けないんだ」



「…?」

「…本当は」

 そういって目線を扉へやる。

 …とても痛いものを見るように。

「…何度も部屋から、出ようとしたんだ、でも」



「…体が、竦んで、動かないんだ」



「…」

「楽しみだった。本当だ。ニコライがエスコートを受けてくれて、本当にすごく嬉しかったんだ。だから、らしくないと分かってても、着飾って、整えて…でも」




「着飾った自分をみて、思い知ったんだ」


  


「…私が、こんなに、見苦しいものだということを」

「…」

「これまでだったら気にならかった。散々嗤われてきた。何も気にならなかった。女らしくないと言われても、夜会で女性の輪には入れないとしても、何も……【女性】としての自分に、価値なんてなくともいいと思ってた。私は【軍人】だから、でも」


 涙が滑り落ちる。


「…ニコライの隣に立つとおもったら、怖くなったんだ…だってわたしは」

 


「…女のくせに、こんなに、『ドレス』が似合わない」



 …ああ、思い至る。

 蔑みも嘲りも。自分のものなら耐えられる。でも。

 それが――自分の大切なものに向けてなら。

 怒るだろう、跳ね返すだろう。

 でもそれが。

 もし自分のせいだとしたら。


『…あなたの名誉を、傷つけることにもなりかねません』


 かつて自分だって、そう言った。

 感情の重さは違っても。傷ついてほしくなかったから。

 ―あらためてヴァレンティナ様に目線をむけた。

 よく見るようなふわふわした令嬢とは異なる。

 気高く、触れがたい月の女神のようなドレス姿。

 …美しいと思う。でも。

 それじゃ、その言葉じゃ。



 ―――ヴァレンティナ様には届かない。



 目線が部屋をさまよう。そして。

 ……一つのものに、とまった。



「…同僚が」

「…?」

「同僚が、言ってたんです『ドレスは女性の鎧だ』って」

「…は…?」

 足をそちらへ向ける。

 部屋の片隅、そっと掛けられていたそれに。

 ――手を伸ばした。

「婚約者に贈るドレスを悩んでて。一つは流行りの型で無理のない値段で。一つは、少し個性的で、人気のある工房の一点ものとかで」

 思い出す。無神経な同僚とのやりとり。

『…無難に着られる方がいいのでは?』

『わーかってねぇ!本当に分かってないぞ!あのなぁニコライ』


『女性にとってドレスってのは鎧なんだよ!それ一つで自信を引き出して何倍も魅力的にするんだぞ?!』


 そりゃ本気で悩むに決まってんだろ!たとえ値段が…値段があ!と喚いていた同僚を。

 理解不能と思っていた。…でも今なら。


「ぼくは、今着ているドレスだって似合ってると思います、でも」


「でも…あなたが。胸を張れる衣装が一番いい」


 ヴァレンティナに向き合う。…いつもと違い、瞳を揺らしたその人に。

 どんな姿だって、きっとこの人は美しい…でも。


「胸を張った…いつもの美しいあなたなら!よろこんでエスコートします!何を着てたって!!」




 そうして。




 手にした軍服を差し出した。




 打ちひしがれたそのひとは…目を見開いた。

 その目を。




「…選ぶのは、ヴァレンティナ様です。すいません、ぼくはこんなですので、貴女を守るとか、そういったことは言えません、でも」



 真っ直ぐと、見つめ返した。



「――貴女が選ぶなら、ぼくは貴女と一緒に歩きます」












「まだドラグノワの【お姫様】は来られていないようね?」

「どうも遅刻らしい」

「まぁ…ほほ、さすがは【英雄様】ですこと」

()()身支度もかかるのでしょう、【英雄様】は大変だ」

 ――ひそひそと交わされる毒。

 …軍務儀典部所属のミハイルは、それを聞いて胸がすく思いだった。


 ――やはり、正しい場所では正しい評価がされるのだ。


 うすく嗤う。

 …あの子鬼の皮を一部だけ貼り付けたような顔。

 それを見る度に怖気が走った。

 ミハイルは貴族社会を、序列を、整然とした儀礼を心から愛している。そして貴族社会で好まれる『美』も。 

 ……あのヴァレンティナ・ドラグノワはその真逆をいく存在だった。

 何よりうんざりしたのは、そんな相手を過剰に持ち上げる軍という…軍国家という組織だった。だが。

 見ろ。あの偽善者ぶった下級文官は綺麗事を言っていたが、実際のところあの女の評価なんぞこんなものだ。

 ――精々薄暗い戦場で死ぬまで兵器として働けばいい。

 それが相応しい。表舞台にでなければより一層いい。

 

 そこに。



「――帝国軍少将、ヴァレンティナ・ドラグノワ閣下。エスコート、メルニク子爵家子息ニコライ・メルニク様、ご入場!」



 …舌打ちする。

 厚かましくも本当に来たらしい。

 目線を入り口に向け。

 ―――絶句した。




 ざわついていた会場が、一瞬水を打ったように静かになる。



 カツ、と軍靴の音が響く。そう、軍靴だ。

 雪のように真っ白な軍服―胸元と肩に踊る勲章たち。

 そして――軍帽。

 結い上げられた髪は常とは違い、軍帽にしまわれている。

 …ときどき光を返すのは、髪に編み込まれた宝石が僅か輝いているのか。

 ……有り得ない。

 戦慄く唇が小さく零した。


「…遅れて申し訳ない」


 そう言って嫣然と笑う、侯爵家令嬢。

 ……彼女は男性軍人のように、礼装を纏って来場していた。


 ――有り得ないッ…!


 もう一度、呟く。

 一瞬といえど、それを、これを


 ………『美しい』と。


 そう思ってしまったことこそ。

 一番あってはならないことだった。

 





「胃が痛い胃が痛い胃が痛い…」

「ふはっ!あんなに啖呵を切っていたのが嘘みたいだ」

 小さく呻くぼくを、ヴァレンティナ様が笑う。

 …そう、笑っている。

「うん、今までなんとなくドレスで参加していたけれどこれはこれでいいな。楽だ」

 ことさら上機嫌な様子だ。鼻歌でもそのうち歌いそうだ。

 ……反してぼくは。

「…これやっぱり…ぼくのほうが馬子にも衣装になってなくて恥ずかしいのでは?!」

 今更気づいて小声で叫ぶ。

「何を言う。私の旦那様はいつだって国で一等格好いいぞ!」

「結婚してませんけど?!」

「国で一等格好いいは否定しないのか」

 ふふ、と笑うヴァレンティナ様は。

「…」

「ん?なんだ」

「いえ、いつものヴァレンティナ様だなと」

「うん、ニコライがいるからな」

「…」

「ニコライがいれば、私は令嬢でも兵器でもなく、ヴァレンティナ・ドラグノワでいられる」

 そう言って手をすい、と、持ち上げられる。

「…一緒に歩いてくれて、ありがとう」


 ――そして手の甲に顔を寄せた。 


「ぼくがエスコート役なんですけどおおおお?!」

「あっはっは!私はやっぱり攻め込む方が性に合ってるみたいだ」


 ――軽快に笑い声をたてている、と。


「お、ダンスだ、踊ろう」

「はい?!」

「なんだ、私を壁の花にする気か?」

「いや、すいません、その気はないけど先に謝ります!ぼくダンス下手です!!」

「安心しろ私も下手だ」

「どこに安心できる要素が?!」

「いいじゃないか」



「私達らしく、楽しめば」



 …そのあとのダンスは散々たるものだった。

 まずぼくが軽くふむ。

 その後、軍靴が僕の足を襲う。

 ――誇張なく、ぼくたちは双方ダンスが下手だった。

 それでも。


「…これまでの、どの夜会より楽しいぞ!」

「それはっ!何よりです!」


 ――会場の誰より、彼女の笑顔は華やいでいた。









 挨拶も義理程度にこなし。

 グラスを片手に会場を見渡す。

「…ダンス楽しかったな」

「…さすが少将殿です…まさか5曲連続とは思いませんでした…」

「ニコライはもう少し体力をつけたらいい。文官でも体力は必要だ」

「…精神的にもすり減ってることを忘れないでいただきたい…!」

「ふふ」


 そう言って、天井をみあげる彼女の目は。


「…いい夜だ」


 光をうけて、煌めいていた。

 ――類稀な菫色。


「…出征前の景気づけになった」

「…は?」

「うん、内々でな、辞令がおりた」






「また3日後には海の上だ」






「…は…」

「安心しろ、いい土産をもらった。遅れはとらない」

「…いやそれ同僚がよくフラグっていうやつ…」

「…フラグ?よくわからないが」



 目を見つめて。

 真っ直ぐに…彼女は笑って言った。






「次は旗艦を落とす。そうしたら『旦那様』ってよんでいいか?」

「――いやそれフラグですッッ!!!」

次が最終話になります。

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