八 傷跡
――衝撃
閃光
熱
―それらが過ぎ去った後に、立つことが出来ないほどの痛みと、熱があった。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い…!!
口からは意味をなさない絶叫が溢れた。
一方で。…冷えた声が思考を、体を支配する。
――損傷部位を意識しろ。左耳が、ない。とんでる。
左眼窩も、致命的な損傷だ。
集中しろ、治せ、他はどうでもいい。
――耳と目を失ったら、戦場で生きていられない――
「――っはッ…!!」
…自分の荒い呼吸で、目が覚めた。
ベッドの上、荒い呼吸を整える。…落ち着け、自分の心臓の音を、聞け。
段々と落ち着いていく呼吸音と、心音。
生きている。
私はここにいる。
……長く息を吐いた。
酷く汗をかいている…あとで体だけでも拭いたほうがいいかもしれない。
準備するか…と思ったところで。今自分がいるのが見慣れた軍管理の部屋ではなく、侯爵家の――自分の部屋であることに気づいた。
…苦笑する。
成程、久々の初陣時の夢を見たのは原因はこれか、と思い至った。
15歳が、私の初陣だった。
本来であればデビュタントのドレスでも選んでいるだろう時期。私は既に戦場に送り込まれた。
『ご令嬢は、類稀なる魔力量をお持ちです』
この国では、初等教育に入る前の7歳で、魔力量の調査が行われる。その結果がゆくゆくの進路に繋がっていくからだ。
その場所で、私は調査官が…倒れそうになるほどの数値をたたき出した。…彼が咄嗟に隠しきれなかったひと言を、私の耳は、私の目だけはとらえていた。
――化け物
両親はそんな様子など気にせず歓喜していた。栄誉ある軍閥家系。だがここ近年、魔力の強い人間は生まれていない。無論それが全てではない。魔力なしでも成り上がった人間はいくらでもいる。
だが。
『撃つ!』
――迸る魔力。
それは数百メートルにある的を粉砕…いや。
消滅させた。
…声を上げるより、周囲は身じろぎ、息を呑んだ。
『…っ素晴らしい…!さすがは稀代の、魔力量です…!』
ほんの一呼吸、遅れて讃える声。
…それは、震えていた。
あの瞬間に。
私の『生き方』は、決まったのだ。
マナーよりも、徹底した戦術を。
刺繍よりも、合理的な戦況判断を。
詩学よりも、己の心体管理を。
叩き込まれた。鋼を磨くように。
気づけば、私はデビュタントのドレスを着る前に――軍服に袖を通していた。
とはいえ。
初陣は本来『お飾り』として出征するはず、だった。
……予想外の挟撃さえ、受けなければ。
乱れる戦線。叩き込まれる砲弾。
現場の上官の指示に従って戦った。動き続けた。
――『お飾り』ゆえに、私の『性能』を連携されていなかった上官のもとで。
そこに飛び込んできた炸裂術式弾。
左前方で炸裂したそれは。
――私の『左側』を、持って行った。
そこで倒れてしまえば良かったのか。だが今なおそこで倒れるという選択肢は思い浮かばない。
倒れるかわりに私は。
……ありったけの魔力集中で、左耳と眼窩を、復元した。
治癒術など、戦場で生き延びる最低限しか習っていなかった。 …ただ生き残る為に。
――その為だけに、必死で。
…結果、耳は復元し、左目も僅かに視力を落としたとは言え復元した、が。
最後まで後回しにした皮膚は、引き攣れた傷跡を残した。
『…ヴァレンティナ嬢ご自身の魔力が、損傷箇所に定着してしまっています』
――帰国後に治療にあたった治癒師は、その顔を白くして告げた。
『そのせいで、私の…いえ、他の術師の魔力が通りません…引き剥がしたとして、完全に元通りになる保証も…ありま、せん…』
デビュタント目前の令嬢に。
それを告げるのはどれだけ心苦しかっただろうか。それを聞いた私の心は。
『そうだろうな』
そうとしか、思えなかったのに。
すでに準備されていたデビュタントのドレス。
清廉な――汚れのない純白。
15歳。
一度も袖を通すことのなかったそれを。
私は自らの手で焼き捨てた。
――コンコンコン…
扉を叩く音が現実に引き戻した。
「入って構わない」
そう声をかければ、入室した侍女が僅かにその顔を強張らせる。
「…もう起き上がられていたのですか」
「…すまない、普段はひとりなものでな。声をかけられるまで横になっている、というのが馴染まないんだ」
「いえ…では身支度のお手伝いをしても?」
「…ああ、頼む」
そこは譲らない、という圧を受けて、気を重くしながら了承する。
返事を受けて、最初に声をかけた侍女を筆頭に五人入ってくる。
…これから待ち受ける試練に小さく溜息をつく。
――夜会の準備でもなければ、寄り付きもしない令嬢。
さぞかし扱いに困ることだろう。それでもその丁寧で正確な仕事ぶりには感嘆する他ない。
…しかし。
簡単に清めればいいと思った身は、しっかりと湯で清められ香油を塗りたくられ…髪も爪もこれでもかと整えられる。
「……軍での行軍訓練のほうがよほど楽だな……」
「何かおっしゃいましたか」
「いや何も」
「…この後は装飾品などの確認の予定ですが、いつも通りこちらにお任せいただく形でよろしいでしょうか」
「ああ……あ、いや…」
「?」
「…今回は、私も、確認する」
いつもは興味なく、侍女まかせの最終確認だった。…それを、今回は。
いつもと違う答え。それを受けて侍女は僅かに目を開いた、が。
「承知しました」
何もなかったかのように、頭を下げる。
―本当は。
ドレスも装飾品も髪型も、何がよくて何が駄目なのか…よくわからない。でも。
『私ごときが身を引くことで、逆にあの方を貶められるなど、釣り合わない』
あの声を思い出す。
好いているとは、思っていた。だが。
…頬が熱を持つ。
彼は気が弱いが卑怯ではない、知っていた、知っていたけれど。
――自分のために、あんな風に静かに怒ってくれるなんて。
思っても見なかった。…鼓動が早くなる。頬がより一層熱を訴える、だから。
…らしくなくても、分からなくても。
自分が選んだもので。
――見初めてほしいと、思った。
…ほぼ半日を費やした準備が終わった。
「準備が整いました。ただいま先方には迎えをやっております。来られるまで自室でお待ちになられますか」
「…ああ、そうだな」
「…お茶をお持ちします。夜会はこれからですので、何か簡単につまむものも」
そういって侍女は去っていく。すでに疲労困憊になっているのを見透かされたようだ。…苦笑する。
…全身に生じる、違和感が凄まじい。
特に頭部。
普段流すままになっている髪。それは複雑に編み込まれ、ひっつめられ、飾りまで一緒に編まれている…頭痛がしそうだった。
「…座っているのも、肩がこる…」
眉根をよせて、立ち上がる。普段とは違う靴は歩きづらい、が、実際じっと座っているよりマシだ。
そう思い、体をほぐすように部屋を歩く。
その時。
姿見が―――目に入った。
姿見に改めてうつる、今の自分の姿。
……私は。
わたしは、こんなに醜かっただろうか。
…豪奢に編み込まれた髪。美しく色を重ねられた化粧。
――それをもってして、隠しきれない顔の傷跡。
…顔だけではない。
ドレスはそう露出の多いものではない。首から精々鎖骨周りを出す程度だ。
にも関わらず、その僅かな場所にすら…なんなら手袋までの僅かにでる二の腕まで。
――数え切れぬ、隠し切れぬ傷跡が、ある。
…指先が、震えた。
傷跡だけではない。
夜会で会う令嬢たちは、今にも折れそうな手足だったのに。
…それに比べて、私は。
いかにも軍人らしく、がっしりとして見えて。
ドレスだって華やかに動けば舞うような型は似合わないから、落ちるような形のもので。
…これまでも、何度も、ドレスで夜会に出たことなど、ある。
何度も、何度も。
その時には欠片も気にはならなかった。
何も…どんな視線を浴びたとしても。
傷跡を恥じたことなど、自らの姿を恥じたことなど、一度もなかった。蔑むような視線こそ鼻白んできた。なのに。
――ニコライ。
彼の隣に立つ自分。
――見初めてほしいと、願った。
願ったのに。
「……」
――生まれて初めて。
『ドレス』の似合わない自分を、恥じた。




