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結婚式で私の名前を間違えた新郎には、もう一度誓ってもらいませんでした(長編版)  作者: 白川 透


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3/14

幕間一 帰っていく客

 花嫁は気が昂っているのだ、とレオンハルトは思った。


 無理もない。王族と諸侯と各国の使節の前で、新郎が名を言い違えた。動揺しない花嫁のほうが珍しい。控えの間で少し休ませ、水を一杯飲ませれば落ち着く。そのあいだに神官長と段取りを詰めておけば、式は半刻遅れで済むだろう。


「花嫁を控えの間へ。医師も呼んでおけ」


 侍従に言うと、侍従は返事をせず、扉の方を見た。


「殿下。花嫁様は、もう」


「もう、何だ」


「お出になりました。婚礼の馬車で」


 レオンハルトは大神殿の扉を見た。開いたままの扉の向こうに、春の光が四角く切り取られている。石段の下にあったはずの白い花の馬車は、そこからは見えなかった。


 祭壇の脇では、記録係の神官がまだ書いていた。神官長が何か短く告げるたびに、ペンが動く。レオンハルトが侍従に言ったことも、書かれているのかもしれなかった。


 参列席で、誰かが立った。


 最初は後ろの方の、名前も思い出せない地方の伯爵だった。隣の夫人がその袖を引いたが、引いた夫人も一緒に立った。それから、ひとり、またひとりと衣擦れが続いた。誰も声を上げなかった。ただ、席を立つ音と、扉へ向かう靴の音だけが、高い天井へ上っていった。


 レオンハルトは祭壇の段を降りた。


 こういうときに何をすべきかは知っていた。王太子として十年近く、式典にも、宴にも、使節の応接にも出てきた。不手際があれば詫び、来てくれたことに礼を言い、場を収める。それは彼の得意なことの一つだった。


 最前列の前に立ち、よく通る声で言った。


「本日はお運びいただきながら、このような次第となり、申し訳ない。遠方からお越しの方々には、とりわけお詫び申し上げる」


 言葉は淀みなく出た。誰に書いてもらったものでもなかった。


 参列者たちは足を止め、礼を返した。丁寧な礼だった。そして、礼を終えると、また扉の方へ歩いていった。


 南の国の使節が、通りすがりに深く頭を下げた。


「殿下のお言葉、確かに承りました。本国へは、ありのままをお伝えいたします」


 ありのまま、とレオンハルトは口の中で繰り返した。使節はもう背を向けていた。


 後ろの方の席に目をやった。一つだけ空いている席があった。そこに誰が座っていたかを、彼は知っていた。いつ立ったのかは見ていなかった。


*


 大神殿の奥の小部屋で、父王は窓の外を見ていた。


 神官長が同席していた。記録係の神官は、紙を抱えて扉の脇に控えている。


「名を言い違えました」とレオンハルトは言った。「緊張していたのです。申し訳ございません」


 父王は振り返らなかった。


「それだけか」


「それで、彼女が」


 レオンハルトが言葉を探しているあいだに、神官長が口を開いた。


「補わせていただきます。殿下は、記録の書き直しをお命じになりました。それから、花嫁のご意思を伺う前に、誓い直しを始めようとなさいました。花嫁は婚姻を望まぬと申し出られ、誓いをお返しになりませんでした。婚姻は成っておりません。次第は記録のとおりです」


 神官長の声は、典礼の文言を読み上げるときと変わらなかった。


「言い違えは、取り返しがつくと思ったのです」とレオンハルトは言った。「誓い直しは禁じられていないと、神官長も」


「申し上げました」と神官長は言った。「双方が望まれるなら、と」


 父王がようやく振り返った。


「それで」


 レオンハルトは口を開いた。続きがあるはずだった。花嫁が動揺していたこと。自分は詫びるつもりだったこと。彼女なら分かってくれると思ったこと。どれも言えば言えたが、どれも、父王の「それで」の答えにはなっていない気がした。


「……それで、終わりました」


 父王はしばらく彼を見ていた。それから神官長に向かって言った。


「写しと通知は、定めどおりに」


「承知しております」


 それで話は終わった。父王は部屋を出ていった。レオンハルトには、何も言わなかった。


*


 王宮へ戻る馬車を待つあいだに、侍従が報告を持ってきた。


「花嫁様の馬車の行き先が分かりました」


「侯爵邸だろう」


「いえ。文書院だそうです」


 レオンハルトは侍従の顔を見た。


「文書院?」


「はい。王宮文書院です」


「なぜだ。あそこは辞めたはずだ」


 侍従は答えなかった。答えを持っていなかったのだろう。


 文書院。レオンハルトは、その建物を外からしか知らなかった。彼女はそこで四年働いていた。原稿を頼むと、翌日には、いつも彼の読みやすい字で届いた。それがどこで書かれていたのかを、考えたことはなかった。


 実家ではなく、あそこへ。婚礼衣装のまま。


 なぜ、ともう一度思ったが、答えは出てこなかった。


「殿下」と侍従が言った。「宴の支度は、いかがいたしましょう」


 宴の広間には、もう料理が並び始めているはずだった。各国の使節の席も、諸侯の席も、花嫁の席も。


「取りやめる」


 自分の声でそう言ってから、レオンハルトは、誰かが代わりにそう言ってくれるのを待っていたことに気づいた。誰も言わなかった。

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