第7話:最低な恩人たちと残酷な感謝と夏で終わる白いワンピース
嘘の告白から始まった私たちの関係は、いつの間にか不思議と落ち着いていた。
木戸君……一樹と私は、普段は地元を離れて東京へ出かけたり、誰の目にもつかない夜の公園で線香花火をしたりと、周囲の目を避けるように会うことが多かった。
それも当然だ。彼に「罰ゲーム」として嘘告を強要した木下たち陽キャグループに見つかれば、面倒なことになるのは目に見えていたから。
けれど今日は、少しだけ違った。
私たちの住む地元に新しくオープンした大型ショッピングモール。そこに併設された映画館で、私と羽奈がずっと大好きだったアニメキャラクターの映画が上映されることになったのだ。
どうしてもそれが見たくて、私は一樹にお願いして一緒に来てもらうことにした。
薫子さんの妹さんの店で買った、真っ白なワンピース。それに合わせて広いつばの白い帽子を被り、少しだけ丁寧にメイクをして。
映画館のふかふかのシートに座り、キャラメルポップコーンの甘い香りに包まれながらスクリーンを見上げる時間は、本当に夢のよう。
スクリーンの中でキャラクターたちが活躍するたび、私は隣に座るはずだった羽奈の笑い声を幻聴のように聞きながら、しっかりと映画の展開を記憶に焼き付けている。
(羽奈、すごく面白かったよ。天国に行ったら、最初から最後まで全部お話ししてあげるからね)
映画が終わって劇場から出た後も、私の機嫌は最高潮だった。
パンフレットを胸に抱きしめて「面白かったね!」と笑いかけると、一樹も嬉しそうに「ああ、結構迫力あったな」と目を細めてくれた。
そんな上機嫌のまま、私たちは広々としたフードコートで遅めのランチを食べていた。
冷たいドリンクを飲みながら、映画の感想やたわいもない話で笑い合う。それは本当に、普通の高校生カップルが過ごす、ありふれていて眩しい夏の日の1ページだった。
「あれ?」
ふいに、私たちのテーブルのそばを通りかかった女子高生の集団から、そんな声が上がった。
私が顔を上げると、そこにいたのは、一樹に嘘告をさせたグループの一人、根津桃香だった。派手なメイクと短くした制服のスカート。彼女は一樹のストリート系の私服とシルバーメッシュの髪に一瞬誰か分からなかったようだが、すぐに目を丸くして驚愕の声を上げた。
「ええー? あんた、木戸!?」
そして、その声に気付いて、フードコートの少し離れた席からぞろぞろと見覚えのある顔ぶれが近づいてきた。
木下。時田隆志。榊美緒。三上かなめ。
カーストの頂点に君臨する彼らが、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら私たちのテーブルを囲んだ。
「なんだよ木戸、ずいぶん気合入った格好してんじゃん。似合わねえw」
木下が、一樹の服を指差して鼻で笑った。
「てか、本当に付き合ってたんだ? ウケるんだけど」
時田隆志が同調し、榊美緒や三上かなめもクスクスと笑い声を上げる。
「でもさ、遠橋も結構頑張ってるじゃんw そんなに彼氏欲しかったの? それなら、俺が付き合ってやってもいいぞw」
「そうね。モブなのに、木戸のために一生懸命おしゃれ頑張ったんだねー」
かなめが、私の白いワンピースをジロジロと見下しながら嘲笑った。
その瞬間、ガタッ! と大きな音を立てて、一樹が立ち上がった。
彼の拳は固く握りしめられ、肩が小刻みに震えている。今にも殴りかかりそうなほどの怒気が、彼から立ち上っていた。
でも、私は少しも腹が立たなかった。
彼らが何を言おうと、私にはまったく関係のないことだから。だって、私は夏休みが終わったら死ぬのだ。彼らは私の人生において、もうすぐ完全に退場するただの「背景」でしかない。背景のノイズに、いちいち腹を立てる意味なんてない。
私は静かに席を立ち、一樹の隣に並んだ。そして、真っ直ぐに木下たちを見据えて言った。
「そう、一樹はカッコいいのよ」
何事も無かったかのように、ただの事実としてそう告げた。
一瞬、木下たちの顔からニヤニヤした笑いが消え、ぽかんとした表情に変わる。私はそのまま時田に向き直り、にっこりと微笑んだ。
「それに、私は一樹の彼女なので、あなたとは付き合えません」
まるで道を聞かれた時に「分かりません」と答えるような、そんな平坦な声だったと思う。
私は自分のバッグを持ち、一樹の腕にそっと触れた。
「じゃあ行きましょう、一樹」
私は彼を促し、そのまま歩き出そうとした。
* * *
那奈の信じられないほど落ち着いた態度に、俺は頭を殴られたような衝撃を受けていた。
馬鹿にされているのに。あきらかに見下されているのに、彼女は一切の怒りを見せず、ただ「一樹はカッコいい」と俺を肯定してくれた。
それに比べて、俺はどうだ。
こいつらの顔色をうかがって、保身のために彼女を傷つける嘘告白をして。今だって、こいつらに囲まれて足がすくんでいる自分がいる。
……ふざけるな。
俺の隣にいるこの最高に綺麗で儚い女の子を、これ以上こいつらの汚い言葉で汚させてたまるか。
「……おい」
俺は、立ち去ろうとする那奈の背中を庇うようにして、木下たちに向き直った。
腹の底から、マグマのような怒りが湧き上がってくる。
「お前ら、さっきからモブモブ言ってるけどな……お前ら、普通に那奈よりブスなのによくそんなこと言えるな?」
「はぁ!?」
根津とかなめが、顔を真っ赤にして声を荒らげた。
俺は構わずに言葉を続ける。
「周りで聞いてた人も、みんな『アイツらの方がよっぽど性格も顔もブスだ』って思ってたぞ。鏡見てから出直してこい」
そして、時田を鋭く睨みつけた。
「あと、お前は何でジャガイモみたいな顔して人の彼女口説いてんだよ? せめて顔の皮むいてから出直せ、イモ」
静まり返ったフードコートに、俺の容赦のない言葉が響き渡った。
時田は顔を青筋を立てて絶句し、他のメンバーも突然の俺のキレっぷりに圧倒されて言葉を失っている。今まで言いなりだった「モブの木戸」から飛び出した反撃に、完全に虚を突かれたようだった。
「……てめぇ」
木下が、地を這うような低い声で俺に一歩近づいてきた。
その目は、明確な怒りと脅えが入り混じっていた。
「調子に乗ってんじゃねえぞ。嘘告したのはてめぇだろうが。……始業式で別れなかったら、お前のババア、タダじゃ済まねえぞ」
親の権力。木下の父親が社長を務める会社で、俺の母親は経理のパートとして働いている。その首根っこを掴まれているからこそ、俺はこいつらの命令に逆らえなかった。
それが、この最低な罰ゲームの本当の理由。
俺の母親の生活を人質に取った、卑劣な脅迫だった。
「…………わかってるさ」
俺は、ギリッと奥歯を噛み締め、木下から目を逸らさずに言った。
「てめぇらだけじゃなく、俺が一番最低だってこと位はな」
誰よりも自分が最低なのは分かっている。自分の母親を守るために、遠橋那奈という一人の女の子の心を踏みにじった。その罪の重さは、俺が一番理解している。
でも、だからこそ。もう二度と、彼女を傷つけることだけはさせない。
俺は木下たちに背を向け、少し先で立ち止まって待っていた那奈の元へと走り出した。
* * *
騒ぎの後、私たちはショッピングモールのゲームセンターに足を踏み入れていた。
煌びやかなネオンと電子音が鳴り響く中、私は一台のクレーンゲームの前に立ち止まった。ガラスの向こうには、さっき映画で見たお気に入りのキャラクターのぬいぐるみが山積みになっている。
私はガラスに手をつき、じっとそのぬいぐるみを見つめた。
「……欲しいの?」
追いついてきた一樹が、息を整えながら私の横に並んで尋ねた。
「うん。このキャラ、私と羽奈のお気に入り……《《だったの》》」
『だった』。
その過去形の響きが、自分の口から出た瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。羽奈はもういない。一緒にこの映画を見ることも、このぬいぐるみを抱きしめて喜ぶことも、永遠にない。
だから、これは過去形なのだ。
私が少しうつむくと、一樹は黙ってポケットから百円玉を取り出し、迷うことなくコイン投入口に入れた。
「えっ……」
手慣れた様子でジョイスティックを操作し、ボタンを叩く。アームが正確にぬいぐるみの重心を捉え、見事に持ち上げて落とし口へと運んだ。
コロン、と。たった一回であっさりとぬいぐるみが手に入る。
私は目を見張って驚いた。
「すごい……! 一回で取れちゃうなんて」
「……俺さ、昔からこういうの得意で。よく妹に、取ってやってたんだよ」
照れくさそうに笑ってぬいぐるみを差し出した一樹の言葉に、私はピクリと肩を震わせた。
妹。
一樹には、加奈子ちゃんという妹がいる。そして彼は今でも、妹の喜ぶ顔を見るためにこうしてクレーンゲームの腕を磨いたりしているのだ。
生きている妹がいる一樹。妹を永遠に失ってしまった私。
「……そうかぁ。一樹って、いいお兄ちゃんなんだね」
私はぬいぐるみを両手で受け取り、その柔らかい感触を確かめるように抱きしめた。
私だって、羽奈にとっていいお姉ちゃんでありたかった。こうして映画を見た後に、クレーンゲームでぬいぐるみを取ってあげて、二人で笑い合いながら帰りたかった。
でも、もう遅い。私がどれだけ望んでも、羽奈はもう帰ってこない。
「私は……羽奈に、怒られちゃうかな」
ゲームセンターの喧騒にかき消されるほどの、小さな小さな声だった。
自分だけが生き残って、こうして一樹という優しい男の子と一緒に最高のアオハルを過ごしている。天国で待っている羽奈は、そんな私を見て怒っているだろうか。それとも、「お姉ちゃん、良かったね」と笑ってくれているだろうか。
* * *
ショッピングモールを出ると、夏の強い日差しが傾きかけ、空はオレンジ色に染まり始めていた。
並んで歩く道すがら、一樹がぽつりと口を開いた。
「さっきは……ごめん」
「……? なにが?」
私がキョトンとして首を傾げると、一樹は苦しそうな顔でうつむいた。
「だって、俺がもっと毅然としていれば、あいつらにあんなこと言われずに済んだのに……」
一樹の事情。始業式で別れなければ、お母さんがひどい目に遭うという脅し。
私はそれを理解している。だからこそ、彼の罪悪感なんて、私にとっては些細なことだった。
「一樹の事情は分かってるもの。気にしてないよ」
「でもさ……」
「あのね」
私は歩みを止め、振り返って彼に真っ直ぐに向き直った。
「彼氏がカッコいいっていうのも、他の人に付き合えって言われて断るのも、彼女として当たり前のことだもの」
「那奈……」
「そして、あの人たちは……始業式まで、私にこんなに素敵な彼氏をくれた恩人だもの。感謝してるけど、怒ってなんてないの」
私の言葉に、一樹は息を呑んで立ち尽くした。
最低な理由で始まった関係。最低な脅迫。それでも私にとっては、彼らが嘘告を強要してくれたおかげで、一樹という不器用で優しい男の子に出会えた。
この夏休みの一ヶ月間だけ、最高のアオハルを味わうことができる。
だから、彼らは私にとって『恩人』なのだ。
「だから……その時まで、私を一樹の彼女でいさせてね」
* * *
夕日に照らされた白いワンピースの裾が、夏の終わりの風にふわりと揺れた。
白く広いつばの帽子を押さえながら、那奈は俺に向けて心からの笑顔を浮かべた。
その姿は、痛いほどに美しくて。そして、今にも夕暮れの空気に溶けて消えてしまいそうなほど、圧倒的に儚かった。
あと少しで終わってしまう、期限付きの夏。
俺が彼女と一緒にいられる時間は、彼女の命を繋ぎ止めるための猶予は、もう手のひらからこぼれ落ちる砂のように、残り少なくなっていた。




