東京リベンジと優しくて残酷な君と叶った夢
あの絶望的な敗北から数日。自分の「戦闘力のなさ」を思い知らされた因縁の地・東京に、私たちは再び降り立っていた。
いわば、東京へのリベンジだ。
でも、今日の私たちは前とは違う。薫子さんに魔法をかけられ、淡いブルーのワンピースを着た私。そして、妹さんや従姉さんのプロデュースで洗練されたストリート系に生まれ変わった木戸君。
内心は「浮いてないかな」とドキドキしっぱなしだったけれど、すれ違う人たちの視線は、この前のような冷たいものではない気がした。
「彼氏さん、そのオーバーサイズのシャツ、ストリートっぽくてめっちゃ似合ってますよ! 彼女さんのワンピースの雰囲気とも合ってて、すごく素敵です!」
ずっと憧れだった渋谷の『109』に足を踏み入れ、勇気を出して入ったショップで、キラキラしたギャルの店員さんにそう声をかけられた時は、二人して顔から火が出るかと思った。
「あっ、いや、その……どうも」
「あ、ありがとうございます……」
しどろもどろになりながらお店を出て、私たちは顔を見合わせて吹き出した。
「なんか、すげぇ緊張したな」
「うん。でも……変じゃないみたいで、よかった」
原宿でお洒落なかき氷を食べて、渋谷の街を歩く。前回はただHPを削られるだけだった東京が、今日はまるで違って見えた。普通の高校生みたいに、キラキラしたデートができている。それがたまらなく嬉しくて、私たちにとってはものすごい大冒険だった。
「次はスカイツリー、行ってみよっか!」
すっかりテンションが上がった私が提案したものの、辿り着いたスカイツリーの足元は、インバウンドの外国人観光客でごった返していて、とても登れそうな状況ではなかった。
「うーん……残念。一回、あの上から景色を見てみたかったんだけどな」
私が肩を落とすと、木戸君が少し考えてから、ポンと手を打った。
「じゃあさ、水族館いかない?」
そうして向かった先は、スカイツリーのすぐ足元にある『すみだ水族館』だった。
ひんやりとした館内は薄暗く、外の熱気が嘘のような幻想的な光に包まれていた。
「あ、ペンギン! 木戸君、見て、すっごく可愛い!」
「お、おう。あっちにはチンアナゴもいるぞ」
砂からニョキニョキと生えるチンアナゴの不思議な動きに感心し、江戸切子と和の光で彩られた金魚のエリアでは、無数に泳ぐ鮮やかな赤色に「ここまでいると、なんだか感動だね」と二人で顔を見合わせて笑い合った。
そして、私たちは巨大なクラゲの水槽の前にやってきた。
青暗い水の中を、無数のクラゲがふわりふわりと浮遊している。まるで、命そのものが光って漂っているような、息を呑むほどの美しさだった。
「すごーい……」
私はガラスに手を付き、その青い光に魅入られながら、無意識のうちに呟いていた。
「……ちゃんと覚えて、羽奈やお母さんに聞かせてあげないと」
* * *
青い水槽の光に照らされた遠橋さんの横顔は、ひどく綺麗で、そしてひどく危うかった。
『羽奈やお母さんに聞かせてあげないと』
その言葉が耳に届いた瞬間、俺の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。
(……そんなこと、言うなよ)
喉まで出かかった叫びを、俺は必死に飲み込んだ。
天国への土産話を完成させないでくれ。死ぬための思い出なんか作らないでくれ。
そう言いたい。でも、罰ゲームの嘘告白から始まった俺に、彼女を引き留める資格なんてあるのか? 自分の保身から嘘告に加担した俺に、「生きて、ずっと俺のそばにいてくれ」なんて言う権利があるのか?
言えない。言えるわけがない。
だから、せめてもの抵抗として、俺は絞り出すように言った。
「……何回も、秋もきて覚えたらどうかな?……」
一度の土産話で終わらせないでくれ。生きて、秋にも、冬にも、来年も一緒に来てくれ。そんな痛切な願いを込めた不器用な言葉だった。
遠橋さんは、水槽からゆっくりと顔を向け、俺の顔をじっと見つめた。
その瞳の奥が一瞬だけ、揺らいだように見えた。生きたい。そう思ってしまった自分を、必死に殺し、無理やり蓋をして押さえ込んでいるような、そんなひどく悲しい瞳だった。
やがて彼女の目に、深い諦めの色がスッと広がる。
「……木戸君は、優しいね」
「え……」
「そして、残酷だね」
俺の秋への誘いを、彼女は静かに拒絶した。
俺の生半可な優しさが、死を決意している彼女にとってどれほど残酷な猛毒か。その一言が俺の胸を鋭くえぐった。
彼女は再び前を向き、ゆっくりと歩き出してしまった。
俺は、立ち止まったまま動けなかった。
(あの日と、同じだ……)
誰もいない夜の公園。彼女の手から線香花火の火玉が落ちて消えるのを、ただ見ていることしかできなかったあの時と。
このままでは、遠橋さんは本当に俺の手の届かないところへ消えてしまう。
(……それなのに、俺は自分のちっぽけな罪悪感で動けないのか!?)
資格がない? 権利がない?
ちげえだろ、俺。
あの日、俺が嘘の告白をしたと知って「わかってたって」と背を向けた彼女を、俺はどうした?
ただ見送ったか? 違う。俺はなりふり構わず、嘘からでいいからと縋り付いたじゃないか!
あの時は動けたのに、今ここで手を伸ばさなくてどうするんだ!
俺は思い切り床を蹴り、足早に遠ざかる彼女の背中を全力で追いかけた。
「……木戸、君?」
追いつきざまに、俺は彼女の手を強く握りしめた。驚いて振り向く彼女の顔を見ないまま、前を向いて歩き出す。
「あのさ!」
「へっ?」
「最高の夏で、彼氏彼女の思い出作るなら……な、な、那奈って呼んでいいかな?」
顔が沸騰しそうなくらい真っ赤になっているのが自分でもわかった。
繋いだ手から、彼女が目を見張って硬直したのが伝わってくる。
やがて、彼女は小さく吹き出し、くすっと笑った。
「良いよ。でも、『なななな』じゃなくて那奈ね(笑)。……か、か一樹?」
俺は足を止め、振り返って彼女の顔を見た。
「うん、『一樹』ね」
青い水槽の光の中で、俺たちは繋いだ手の熱さに照れくさそうに笑い合った。
* * *
その日の夜。
木戸家のリビングでは、「なにニヤニヤしてんの? キモっ」と妹の加奈子にドン引きされる一樹の姿があった。
「う、うるせえな! 別になんにもねえよ!」と誤魔化しながらも、彼氏として下の名前で呼び合えたことへの高揚感で、一樹のニヤけは一向に止まらなかった。
そして同じ頃、古びたアパートの自室で。
私もまた、ベッドの上でクッションを抱きしめながら、一人で顔を綻ばせていた。
「フフッ。一樹……一樹かあ」
口に出してみると、なんだか不思議で、くすぐったい響きだった。
男の子と下の名前で呼び合うなんて、少し前までのモブだった私には考えられないことだ。水族館で手を引かれた時の彼の横顔と、必死に名前を呼んでくれた声が、耳にこびりついて離れない。
私はベッドから起き上がり、部屋の片隅にある祭壇の前に立った。
写真の中で微笑むお母さんと羽奈に、そっと語りかける。
「お母さん、羽奈。……また一つ、夢がかなったよ」
彼氏に名前で呼ばれること。普通の女子高生が当たり前に経験する、最高のアオハル。
それがまた一つ埋まった。これでまた、天国への特別なお土産話が増えたのだ。
写真を見つめながら、私は静かに微笑んだ。




