↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/17

第5話: 優しい人達と変わらない決意と君のイメチェン

 あの日、自分の圧倒的な「戦闘力のなさ」を思い知った私は、自室のベッドに寝転がりながら、スマートフォンの画面を食い入るように見つめていた。

 検索履歴は、『高校生 メイク 初心者』『ダサくない服 組み合わせ』といった言葉で埋め尽くされている。しかし、動画サイトでキラキラした同年代の女の子たちが「まずはベースメイクから〜」と解説してくれても、そもそも『ベース』が何なのか、『コンシーラー』が何と戦うための武器なのか、さっぱり分からない。

 今まで、どれだけお母さんと羽奈に頼りきりだったのか。

 画面の中で鮮やかに変わっていく女の子たちを見ているうちに、何から手をつけていいか分からない自分の情けなさに、視界がじんわりと滲んできた。


 ――ピンポーン。


 その時、古びたアパートのチャイムが鳴った。

 慌てて涙を拭い、玄関のドアを開けると、そこには黒いスーツを着た綺麗な大人の女性が立っていた。ふんわりと巻かれた髪に、上品で洗練されたメイク。

 彼女は、お母さんが運送会社のパートで納品に行っていた、ドラッグストアの化粧品担当の薫子さんだった。


「お母様のこと、お店の店長から聞いて……遅くなってしまってごめんなさいね。お線香、あげさせてもらってもいいかしら」


 薫子さんは、優しく伏し目がちにそう言った。

 線香をあげてくれた後、冷たい麦茶を出しながら、私は思い切って彼女にメイクや服のことを聞いてみた。でも、知識がゼロすぎて、彼女から「普段はどんな系統が好きなの?」「肌質は?」と聞かれても、上手く答えることができない。

 しどろもどろになり、また情けなさでポロポロと涙をこぼして黙り込んでしまった私を見て、薫子さんは困った顔一つせず、そっと私の両手を握ってくれた。


「大丈夫よ。私もね、最初に化粧品部門に配属された時は、ずっと運動部だったからリップクリームくらいしか知らなくて。先輩たちの言葉が、全部何かの呪文かと思ったものよ?」


 ふふっ、と笑う彼女の手は、とても温かかった。

「服なら、私の妹が勤めてるお店があるから、そこで一式見繕ってあげる。メイクは明日、私の店にいらっしゃい。魔法をかけてあげるから」



 * * *



 次の日。薫子さんが勤めるドラッグストアの化粧品カウンターの鏡の前に、私は座っていた。

 薫子さんの手によって、肌にいくつもの魔法がかけられていく。

 やがて「はい、完成よ」と声をかけられ、ゆっくりと目を開けた。


「……えっ」


 鏡の中にいたのは、見違えるほど垢抜けた一人の女の子だった。

 昨日、薫子さんの妹さんの店で買った、淡いブルーのワンピース。それに合わせて、ほんのりと色づいた唇と、少しだけ大人っぽく整えられた目元。

 決して学年一の美少女なんていう派手なものではないけれど、クラスの男子たちが「あの子も、結構可愛いよね」と名前を挙げるくらいの、そんな絶妙な『可愛い女の子』がそこにいた。


「ね? 女の子は変わるのよ。那奈ちゃんの彼氏さんも、きっと喜ぶわ」

「……お母さんや妹も、見たら喜んでくれるかな」

「ええ! きっと褒めてくれるわ」


 私は椅子から降りて、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。……この事、忘れません」


 それは、ただのお礼ではない。「天国に行っても忘れない」という、私なりの決意の言葉だった。

 でも、薫子さんはそんな私の重い決意など知る由もなく、コロコロと明るく笑った。


「大げさねえ。このまま化粧に目覚めて、将来うちの常連のお客さんになって貰おうって思ってるんだから、いいのよ」


 常連のお客さん。ずっと続く未来を前提とした優しい言葉。

 私は、笑えなかった。私には、そんな未来は来ないから。


「……ありがとうございました」


 それだけを絞り出すように言って、私はお店を出た。



 * * *



 アパートに帰りつき、薄暗い部屋の中で、私は小さな祭壇に飾られた母と羽奈の写真の前に立った。

 新しいワンピースの裾を少しだけ広げて見せる。


「お母さん、羽奈、どうかな? これなら、ソコソコのJKに見えない?」


 写真の中の二人は、ただ穏やかに微笑んでいるだけだ。


「……みんなね、優しいの」


 静かな部屋に、自分の声だけが響く。


「私がこうしたいって言ったことを、一生懸命に手伝ってくれるの。みんないい人なんだよ。普通なら、こんな人たちと一緒に生きていけたらいいと思うはずなんだ」


 木戸君も。薫子さんも。この世界には、優しい人がたくさんいる。絶望の底にいた私を救い上げてくれるような温かい手が、確かにある。

 でも。


「……なのに。やっぱり、そっちに行きたいよ」


 どれだけ世界が美しくても、どれだけ人が優しくても、あの事故の日にポッカリと空いた胸の風穴は、絶対に埋まらない。

 私はやっぱり、二人に会いたいのだ。


 ――ブッ、ブッ。


 その時、テーブルの上のスマートフォンが震えた。

 画面には、木戸君からのメッセージ。


『イメチェンしてきた。公園で待ってる』


 私は深く息を吸い込み、頬を両手でパチンと叩いた。

 天国への土産話のために、今日も全力でアオハルをしなければ。

 薫子さんに教わった通りにリップを塗り直し、新しく買った日傘を差して、私は待ち合わせの公園へと向かった。



 * * *



 日差しが照りつける公園の入り口。

 そこに、深くキャップを被り、背中を丸めて立っている男の子がいた。


「木戸君、お待たせ」

「あっ、遠橋さん……」


 振り返った彼は、私を見るなりパチグリと目を丸くして固まった。

 私も彼の方をじっと見るが、キャップと少し大きめの服のせいで、全貌がよくわからない。


「じゃあ、せーので見せ合おうか」

「お、おう……」

「せーのっ」


 私がクルリとワンピースの裾を翻したのと同時に、木戸君がバサッとキャップを脱ぎ捨てた。


「えっ……」


 私は思わず息を呑んだ。

 そこにいたのは、あの地味で量産型モブだった木戸君ではなかった。

 髪は短くスパイキーに立ち上げられ、なんとシルバーのメッシュまで入っている。ボサボサだった眉毛も綺麗に整えられ、オーバーサイズのストリート系の服が、彼の少し高い身長に驚くほど似合っていた。

 変わりすぎている。まるで、雑誌のストリートスナップから抜け出してきたかのようだった。


「……妹と、一個上の従姉の姉ちゃんに死ぬほどいじり倒されて、気付いたらこんなことに……」


 木戸君は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに頭を掻いている。

 私を楽しませるために、いや、もしかしたら私をこの世界に繋ぎ止めるために。彼も必死で、周りの力を借りてまでこんなに変わってくれたのだ。

 その不器用な努力と、目の前の完成された姿に、私は素直な感想をこぼした。


「……カッコいい」

「っ!」


 私の言葉に、木戸君はさらに顔を赤くして、それから私の姿を上から下まで、信じられないものを見るような目で見つめた。


「遠橋さんも……すげえ、可愛い」


 夏の日差しの中。

 嘘から始まった二人のモブが、ほんの少しだけ魔法にかかって、お互いを心から褒め合う。

 ああ、今日はなんていい日だろう。

 死ぬまでにやりたかった『最高のアオハル』が、今日もまた一つ、綺麗に埋まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。