第4話:嘘の彼氏の温かい手と、少しだけ邪魔な線香花火
うだるような熱気がアスファルトから立ち上る、夏の東京。
行き交う人々は皆、雑誌から抜け出してきたように洗練されていて、キラキラとしたオーラを放っている。
そんなお洒落な街のど真ん中、原宿を歩く私たちの足取りは、ひどく重かった。
「……なんか、すげぇ疲れるな、ここ」
「うん……。すれ違う人、みんな綺麗すぎてHP削られる……」
木戸君も私も、生粋の「モブ」だ。彼は今日のためにGUで一式揃えたらしい無難な服を着ていた。それは確かに没個性的だったけれど、今日のために彼が一生懸命に考えたのだと思うと、それはとても素敵な物のように見える。
だけど、私の服装は自分で見ても大事故を起こしていた。
ピンクのブラウスに、グレーのパーカー。花柄のフレアスカートに、ゴツいナイキのスニーカー。
ショーウィンドウに映る自分の姿を見るたび、その絶望的なダサさにため息が出そうになる。
それに、こうしてコーディネートが出来ないなら、せめて彼のように没個性であっても、ユニクロなどで一式そろえる位の事は出来なかったのだろうか。
こんなんじゃ全力で楽しんでると言えない。次は勉強して服や髪型、メイクも練習してキラキラのJKになってやる。
私は自分の姿を見ながら固く誓ったのだ。
「でも、パンケーキ、美味しかったね」
「あ、ああ。生クリームすげぇ量だったけどな」
気を取り直すように笑いかけると、木戸君もホッとしたように微笑み返してくれた。
さっき食べた、初めてのお洒落なカフェのパンケーキ。テレビの特集で見るたび、妹の羽奈がずっと食べたがっていたやつだ。
口いっぱいに広がる強烈な甘さと、ふわふわの生地の食感。私は神経を研ぎ澄ませて、その舌触りと匂いを記憶に焼き付けていた。
(羽奈、完璧に覚えたからね。天国に行ったら、食レポばりに思い切り自慢してあげる)
私が心からの笑顔を浮かべているのを見て、木戸君は安心したように息を吐いた。きっと彼は、私が純粋にデートを楽しんで悲しみを忘れているのだと勘違いしている。同じテーブルで同じパンケーキを食べているのに、きっと私と彼とでは、見えている景色が全く違っていた。
「そろそろ花火大会の会場、移動しよっか」
「そうだな。結構混んできてるし、はぐれないように……ほら」
雑踏の中、木戸君が不器用に差し出してくれた手を、私はギュッと握り返した。
じんわりと汗ばんでいて、少し硬い男の子の手。
(罰ゲームの嘘彼女なのに、本当に優しい人だ)
少し達観したような感謝を抱きながら、私はこの温かさを自分が死ぬ時まで絶対に忘れないようにしようと、心の一番深いところに刻み込んだ。
* * *
夕闇が迫る河川敷は、すでに身動きが取れないほどの人で溢れ返っていた。
屋台で買ったホットチリ味のケバブを片手に歩いていた、その時だった。
「あ、痛っ」
ドンッ、と強い力で肩をぶつけられ、体勢を崩した。
前から歩いてきた、前を見ていなかったガラの悪いカップルにぶつかった拍子に、派手な女の人が持っていたジュースが、私のピンクのブラウスにバシャリと零れ落ちる。
「アーごめんごめんw 前見てなかったわー」
女の人は悪びれる様子もなくヘラヘラと笑い、私の壊滅的にダサい服装をジロジロと見て、鼻で笑った。
「そんなダサい服、汚れたって別にいいじゃん。またママにでも買ってもらえよ、ブス」
――ママに買ってもらえ。
その言葉が耳に入った瞬間、呼吸が止まりそうになった。
もう、お母さんはいない。一緒に服を選んでくれる人も、買ってくれる人も、この世界にはどこにもいないのに。
理不尽な哀しみが込み上げてきて、私は何も言い返せず、ただ目を伏せることしかできなかった。
「……誰がブスだよ」
地を這うような、冷たくて低い声が響いたのは、その時だった。
「お前の方が絵の具みたいに化粧して塗りたくって、よっぽど気持ち悪いんだよ。ついであんた、さっきからすげぇ臭いよ。香水か柔軟剤か、ヘアクリームか、どれか一つにしろ。それとも風呂入ってなくて、どこかが臭いの誤魔化してんのか?」
一瞬、周囲の音が完全に消えた。
顔を上げると、木戸君がヤカラの女の人を真っ直ぐに睨み据え、容赦のない言葉の弾丸を浴びせていた。普段は大人しくてモブな彼の口から出たとは到底思えない、苛烈な怒りだった。
(怒ってくれてる……。私のために)
この世界に、私のために本気で怒ってくれる人がまだ残っていたんだ。もちろん、だからといって夏休み明けに死ぬのをやめるつもりなんて微塵もないけれど。それでも、純粋な嬉しさが胸の奥にじんわりと広がっていった。
「てめぇ、ぶっ殺すぞ!!」
真っ赤になった男が、太い腕を振り上げて木戸君に殴りかかろうとした。
(あ、ダメ!)
木戸君は、私の死ぬまでの時間を彩ってくれる大切な「最高のアオハル提供者」なのだ。彼がここで怪我をして夏休みが台無しになるなんて、絶対に困る。それに何より、私のために怒ってくれた彼が殴られるなんて嫌だ。
ベチャッ!!
「ぐあぁぁぁッ!!? め、目がぁぁぁッ!!」
私は咄嗟に、持っていた『ホットチリ味のケバブ』を男の顔面に全力で投げつけていた。
男が顔を押さえて絶叫する中、私は呆然とする木戸君の手をガシッと掴んだ。
「逃げるよ、木戸君!!」
人でごった返す会場を、手を強く握り合って全速力で駆け出す。
ヤカラから逃げる恐怖よりも、二人で手を引いて走るこの状況のおかしさに、私たちは駆けながら声を出して笑い合っていた。
* * *
帰りの電車の中で「次は服や髪型をちゃんと勉強してレベルアップしよう」という前向きな反省会をして、私たちは地元へと戻ってきた。
アパートでシャワーを浴びて部屋着に着替え、木戸君に言われた通りに近くの公園へ向かう。
すると、街灯の下で待っていた彼の手には、コンビニの袋と水の入ったバケツが握られていた。
「公園で二人で花火しようよ。東京のでっかい花火もいいけど……こういうのも、青春っぽいだろ?」
誰もいない夜の児童公園で、二人でしゃがみ込んで小さな手持ち花火に火を灯す。
シュパパパッ!と鮮やかな光が噴き出し、火薬の匂いが夏の夜の空気に溶けていく。
東京の空を彩る打ち上げ花火には敵わないけれど、私にとってはこれこそが身の丈に合った最高のアオハルだった。
やがて花火も残り少なくなり、私たちは最後に残った数本の線香花火に火をつけた。
チリチリと音を立てて燃える、儚くも美しいオレンジ色の光を、二人で並んでじっと見つめる。
「……俺達って、こういうので良い人間かもな」
「そうだね。人それぞれで……私は、この花火が好きだよ」
私が心からの笑みを浮かべてそう答えると、木戸君は線香花火の光を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「……いつまでも、こういう時間、続けばいいのに」
それは、彼からの必死な引き留めの言葉だった。私が始業式で死ぬことを知っているからこその、痛切な願い。
でも、私は心の中で静かに息を吐いた。
(……消えなきゃ良いって? お母さんや羽奈に会う邪魔しないで欲しいなあ)
彼氏のフリをして私をこの世界に繋ぎ止めようとする木戸君の優しさは、死ぬと決めている私にとって、少しだけ鬱陶しくて邪魔だった。
「楽しくても、いつか終わるの」
ポトリ、と。
私の持っていた線香花火の赤い火玉が、寿命を迎えて暗い地面へと落ちた。
ジュッと小さな音を立てて、光が消える。
「……消えるから、キレイなんだよ」
暗闇に溶けた火玉を見つめながら、私は優しく微笑んだ。
どんなに彼が引き留めてくれても、私の命は夏の終わりにこの花火のように消える。だからこそ、このアオハルはこんなにも美しく輝いているのだ。




