第17話(最終話) 最低の嘘から始まった、最高にカッコいい本当の彼氏
【那奈 視点】
九月一日、始業式の朝。
私たちは、堂々と手を繋いで学校の門をくぐった。
すれ違う生徒たちが、次々と足を止めて私たちを振り返る。
無理もないかもしれない。夏休み前の地味で目立たなかった私たちと、今の私たちは、纏っている空気がまるで違っていたからだ。
誰もが振り返るような、百点満点の完璧な美男美女になったわけじゃない。でも、数々のアオハルを越え、弱さと向き合い、生きることを誓い合った私たちの背筋はピンと伸びていた。
一樹の顔つきは頼もしい大人の男のものになり、私も、一樹からの愛情を一身に受けて、少しだけ綺麗になった自信がある。誰もが「あっ、なんかいいんじゃない」と目を奪われるような、八十五点くらいの男女。
そんな私たちが、真っ直ぐに前を向いて手を繋ぎ、教室のドアを開けた。
「…………っ」
私たちが教室に入った瞬間、クラス中がどよめき、ざわめきが波のように広がった。
その視線の中央を、私たちはゆっくりと歩いていく。
「おっ、一樹!」
その空気をぶち壊すように、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべた木下が、取り巻きの時田、榊、三上、根津を引き連れて私たちの前に立ち塞がった。
彼らは、私たちが纏う変化のオーラに焦りを感じているようだった。優位性を誇示するように、木下が大きな声で煽る。
「おい、嘘告バラせよw ちゃんと大声でな」
その言葉に、クラス中が息を呑んで静まり返った。
だが、一樹は繋いだ私の手を離すことなく、真っ直ぐに木下を見据え、そして――クラス全員に響き渡る、堂々とした声で言い放った。
「俺は、木下達に親の仕事の事で脅されて、那奈に嘘告した最低の男です!」
ざわっ、とクラスが大きく揺れた。
木下は「はっ、自白しやがった」と勝ち誇った顔をした。けれど、一樹の言葉はそこで終わらなかった。
一樹は私の方を向き、私の目だけを真っ直ぐに見つめて、叫んだ。
「でも、俺は本気であなたが好きです! この先もずっと、一緒にいてください!」
あまりにも真っ直ぐで、不器用で、世界で一番かっこいい再告白。
私は、自分でも驚くほど自然に、凛とした笑顔を浮かべていた。
「最初から、知ってました。――はい喜んで。ずっと一緒に居ましょう」
私がそう答えると、一樹の顔にパァッと花が咲いたような笑顔が広がった。
そして私は、凍りついている木下たち五人に視線を移し、一人一人の顔を見据えて、とびきりの笑顔で微笑みかけた。
「木下君、時田君、榊さん、三上さん、根津さん。貴方達が最低のクソ野郎だったおかげで、私、世界で一番かっこいい最高の彼氏ができたの。……本当にありがとう」
完璧なカウンターだった。
五人の顔から、一気に血の気が引いていく。
自分たちが仕掛けた陰湿な罰ゲームが、私を絶望させるどころか、彼らが一生かかっても手に入れられないほどの『絶対的な幸福』を私たちに与える結果になったのだと、突きつけられた瞬間だった。
「ふ、ふざけんな! お前、お袋がどうなってもいいのかよ!!」
完全にピエロになった木下が、顔を真っ赤にして最後のカードを切ろうと喚く。
しかし、一樹は冷ややかな目で木下を見下ろした。
「ああ、そういえば」
「……あ?」
「今朝、社長さんが言ってたよ。『クソみたいな真似をした息子と、長年うちの経理を誠実に守ってくれている君のお母さん。比べるまでもない。アイツは責任を持って転校させる』だってさ」
一樹は今朝、学校に来る前に木下の父親である社長に直談判に行っていた。
息子の陰湿な虐めと脅迫の事実を聞いた社長は、一切の言い訳をせず、高校生である一樹に対して深々と頭を下げたという。
『すまなかった。親として、恥ずかしい』
大人の男としての、筋の通った絶対的な裁き。親の威光を傘に着ていただけの木下に、もう逆転の目は残されていなかった。
「て、転校……嘘だろ……親父が、俺を……」
「この嘘告と脅迫の件、学校にも全部報告するから」
一樹がトドメを刺す。
取り巻きの陽キャメンバーたちが「お、俺たちは木下に言われただけで!」と見苦しく騒ぎ立てようとした時だった。
「やめろよ、気持ち悪い」
クラスの誰かが、ポツリと吐き捨てた。
その冷ややかな言葉はあっという間に伝染し、クラス中から五人に向かって、ゴミを見るような軽蔑の視線が突き刺さった。
完全に孤立し、いたたまれなくなった木下たちは、逃げるようにして教室から転がり出ていった。
嵐が去った後のような静寂の中、私と一樹は、顔を見合わせて苦笑した。
「朝から騒がせちゃって、ごめん!」
「ごめんなさい」
二人でクラスのみんなに向かって頭を下げると、一番後ろの席にいたクラスのお調子者が、立ち上がって大声を上げた。
「そうじゃねえだろ!」
「え?」
「そこは謝るとこじゃねえ! ハグだハグ!!」
その言葉を合図に、教室中から「ヒュー!」という冷やかしと、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
一樹は照れくさそうに顔を赤くしながらも、私の腰をぐっと引き寄せ、強く抱きしめてくれた。
そして、私の前髪をそっとかき分け、おでこに優しくキスを落とした。
窓から差し込む九月の朝日と、クラスメイトたちの最高の祝福に包まれて。
私たちは、この上ない幸せな朝を迎えたのだった。
* * *
【エピローグ】
放課後。
私は、一樹を連れて自分のアパートに帰ってきていた。
西日が差し込む、古い六畳間。
私がずっと死の影に囚われていたこの部屋は、もう陰惨な場所ではなかった。
一樹は部屋に入るなり、真っ直ぐに棚の上にある祭壇へと向かった。お母さんと羽奈の遺影の前に立ち、静かに手を合わせる。
「初めまして、一樹です。……那奈と、生きていきます」
はっきりと、力強い声で誓ってくれた。
きっとお母さんも羽奈も、天国で「いい男捕まえたじゃない!」と笑ってくれているはずだ。
「ありがとう、一樹」
「ん」
振り返った一樹と、視線が交差する。
甘い、溶けるような空気が二人の間に流れた。一樹の顔がゆっくりと近づいてきて、私もそっと目を閉じようとした、その時。
「…………」
一樹の動きが、ピタッと止まった。
不思議に思って目を開けると、一樹は気まずそうに、祭壇の上の二つの写真立てを見ていた。
写真の中のお母さんと羽奈が、見開いた目で、今まさにキスをしようとしている私たちをバッチリ見つめている。
「……ちょっとだけ、ごめんなさい」
一樹はそう呟くと、手を伸ばして、お母さんと羽奈の写真立てを『パタン、パタン』とそっと裏返しに伏せた。
「ふふっ、何それ」
「いや、なんか……お義母さんたちに見られてると思うと、緊張して」
「もう、バカだなぁ」
私たちが笑い合う声が、西日の差し込む部屋に温かく響く。
死ぬためだけのカウントダウンだった私の夏休みは、彼という光に出会って、生きるためのプロローグへと変わった。
「好きだよ、那奈」
「私も。大好き」
伏せられた写真立ての向こう側で。
私たちは今度こそ、幸せな未来を誓う、温かいキスをした。




