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第16話:最低の告白と愛の鉄拳、そして温かい「お帰り」

【那奈 視点】


 警察での事情聴取と、病院での手当てを終えて。

 すっかり日が落ちて暗くなった頃、私たちは一樹の家に帰ってきた。

 私の腕には、砕け散ったガラスで切った傷を覆うように、真っ白な包帯が巻かれている。


 通されたリビングには、重苦しい空気が漂っていた。

 テーブルを挟んで、一樹のお母さん、加奈子ちゃん、そして美尋さんが、腕を組んで横一列に並んでいる。その目の前で、一樹は借りてきた猫のように、背筋をピンと伸ばして正座をしていた。


「……で? 警察沙汰になった赤ちゃんの救出劇についてはよくわかったわ。本当に、よくやったと思う」


 お母さんが、低く静かな声で口を開いた。

 その目は全く笑っていない。


「でも、問題はその前よ。あんたがここ数日、死んだ魚みたいな顔をしてご飯も食べなかった理由。そして……那奈ちゃんが抱えていたっていう『事情』について、全部話しなさい。一樹」

「……はい」


 一樹は深く深呼吸をしてから、私の方をちらりと見た。

『言っていいか?』という確認の視線。私は静かに頷いた。

 もう、隠す必要なんてないのだ。私は生きると決めたのだから。


 一樹は、ポツリポツリと語り始めた。

 私のお母さんと羽奈が、理不尽な交通事故で亡くなったこと。それを、私が警察からの電話で一人きりで知らされたこと。

 私がその罪悪感から、夏休みが終わったら死のうとしていたこと。


 話が進むにつれて、お母さんも美尋さんも息を呑み、目元をハンカチで押さえていた。加奈子ちゃんも、羽奈の顔を思い出したのか、ポロポロと涙を流して俯いている。


「俺は、どうしても那奈を止めたかった。だから美尋ちゃんに頭を下げて二十万貸してもらって、全力で思い出を作って、俺と生きる理由を作ろうとした。……でも、ダメだった。今日、あそこで加奈子たちが来てくれなかったら、俺は那奈を救えなかった」


「……そう。一樹、あんた一人でそんな重いものを背負って……」


 お母さんが、労うような優しい声を出した、その直後だった。


「でも」


 一樹が、ビクッと肩を震わせて、ギュッと目をつむった。

 そして、覚悟を決めたように、大声で叫んだ。


「そもそも俺たちが付き合い始めたのは、俺が罰ゲームで、那奈に『嘘の告白』をしたのがきっかけなんだ!! 最低な始まりだったんだよ!!」


 ピタッ、と。

 リビングの空気が、文字通り完全に凍りついた。


「…………は?」


 美尋さんの、地を這うような低い声が響いた。

 お母さんの顔から表情が消え、加奈子ちゃんの目がスッと細められた。


「ばっ、罰ゲーム……? 嘘の、告白……?」

「はい……。俺が友達との罰ゲームで、那奈の気持ちを弄んで……」

「この、大馬鹿息子ォォォォォッ!!!」


 バチィィンッ!!!!


 お母さんの渾身の平手打ちが、一樹の頬にクリーンヒットした。

 一樹の体が横に吹っ飛び、畳の上に転がる。


「ちょっと待ちなさいよ! アタシが貸した血と汗の結晶の二十万は、そんな最低なふざけた真似の尻拭いだったわけ!?」

「美尋ちゃん、違うんだ! それは本当に那奈を救うために――」

「問答無用!!」


 ゴツンッ!!

 立ち上がろうとした一樹の頭に、美尋さんの容赦ない拳が振り下ろされた。


「痛っ! ぐあぁっ!」

「最低。人間のクズ。ゴミ虫。お姉ちゃんに対する冒涜。切腹して詫びて」


 トドメとばかりに、加奈子ちゃんが一樹の耳を思い切り引っ張り上げた。


「い、痛い痛い痛い! ちぎれる! 加奈子、耳ちぎれる!!」

「ちぎれればいいのよ! あんたなんかの耳!!」

「あんたって子は、なんてことしてくれたの! 女の子の心をなんだと思ってるの!!」

「ちょっと一発じゃ足りないわね、歯ぁ食いしばりなさい一樹!!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 女性三人からの容赦ない物理攻撃と罵倒の嵐に、一樹は抵抗することなく、ただ「すみません! 本当にすみません!」とボコボコにされ続けている。


「あ、あの! 待ってください!!」


 私はたまらず立ち上がり、一樹を庇うように彼にしがみついた。


「違うんです! たしかに最初は嘘だったけど……でも一樹くん、すぐに泣きながら土下座して謝ってくれて……! それから、本当に私を繋ぎ止めるために、一生懸命になってくれたんです!」

「那奈ちゃん……」

「それに……嘘でも、嬉しかったんです。罰ゲームでも、一樹くんが私を見てくれたことが、私を天国から引きずり戻してくれたから……っ」


 私の言葉に、女性陣の動きがピタリと止まった。

 お母さんが、真っ赤に腫れ上がった一樹の頬と、私を庇うように前に出た彼の不器用な背中を見て、ふう、と深く息を吐き出した。


「……たく。バカ息子が、本当にごめんなさいね」


 お母さんの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。


「最低の始まりだったけど……よく、逃げずにこの子を繋ぎ止めてくれた。一人で、辛かったね」


 その言葉は、一樹への怒りではなく、深い愛情に満ちていた。

 そして、お母さんは私の前にしゃがみ込み、私の両肩をガシッと掴んで、真っ直ぐに私の目を見た。


「那奈ちゃん」

「……はい」

「大馬鹿野郎!! 娘が後追いして嬉しい母親なんかいるわけないでしょうが!!」


 雷のような、でもひどく震えた声だった。

 お母さんの目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。


「あんたのお母さんはね、あんたに生きてほしかったに決まってるじゃない! 残されたあんたが自分を責めて死ぬなんて、絶対に許さないわよ!」

「おばさん……っ」

「貴方はもう、うちの子なんだからいつでも来なさい。……もし一樹と喧嘩したら、うちは全力で那奈ちゃんの味方だからね」


 お母さんの大きく温かい腕が、私を力強く抱きしめた。

 お母さんの匂いがした。ずっとずっと欲しかった、絶対的な安心感と、許しの温もり。

 私がこの世界にいてもいいと、生きてもいいのだと。この温かい家族が、私を世界に繋ぎ止めてくれた。


「私も……」


 加奈子ちゃんが、照れくさそうに歩み寄ってくる。

 その顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。


「羽奈ちゃんがいつもお姉ちゃんの自慢するから、正直、ずっと羨ましかったんだ。……だから、これからは私のことも妹だと思って。那奈ねぇって、呼んでいい?」

「加奈子ちゃん……ううん、加奈子」

「うんっ……!」


「じゃあ、アタシは姉だと思ってなんでも相談しなさい」


 美尋さんも、意地悪そうに、でも底抜けに優しい笑顔でウインクをした。


「一樹の弱点なら、たくさん知ってるわ。泣かされたらすぐに言いなさい、アタシが社会的に抹殺してあげるから」

「美尋ちゃん、それシャレにならないから……!」


 ボコボコにされて頬を腫らした一樹が情けない声を出して、部屋の中に温かい笑い声が響いた。

 私は、お母さんの腕の中でポロポロと涙を流しながら――この夏一番の、とびきり素敵な笑顔で笑った。


 そこにはもう、死へのカウントダウンも、呪いも、絶望もない。

 ただ、不格好で温かい、私の新しい『家族』が待っていたのだった。

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