第12話:終わらないでと願う夏。君と重ねる肌と、消えゆく命のタイムリミット
【一樹 視点】
ジリジリと肌を焼く真夏の太陽。
波の砕ける音と、潮の香り。どこまでも広がる青い海。
俺達は、電車を乗り継ぎ少し遠くの海水浴場まで来ていた。
「一樹ー! 早く早く、海入ろうよ!」
白い砂浜を駆け出しながら、那奈が振り返って手を振る。
その姿を見た瞬間、俺の脳細胞は完全に焼き切れて、思考が停止した。
彼女が着ているのは、昨日一緒にショッピングモールで選んだ、淡い水色のビキニだった。普段は制服や少し大きめのTシャツで隠れているから気づかなかったけれど、那奈は驚くほどスタイルが良い。白くて華奢な肩、キュッと引き締まったウエスト、そして、その……とにかく、男としては目のやり場に困るほど刺激的だった。
「お、おう! 今行く!」
俺は顔から火が出そうなのを必死に誤魔化しながら、浮き輪を抱えて彼女の後を追った。
海に入ると、彼女は容赦なく水をかけてきたり、浮き輪につかまってプカプカと浮きながら無邪気に笑ったりした。
USJであんなにディープな夜を過ごして、もう俺たちは正真正銘の恋人同士のはずなのに。いざ真っ昼間の太陽の下で、こんな水着姿を見せられると、やっぱり俺はただの限界男子高校生に戻ってしまう。
少しでも彼女の肌に触れるたびに心臓が跳ね上がり、ドギマギして変な声が出そうになる。
でも、それがたまらなく楽しかった。
夜の公園で泥だらけになって誓った通り、俺たちは今、間違いなく『最高のアオハル』のど真ん中を駆け抜けていた。
* * *
夕方になり、海から上がった俺たちは、駅前の繁華街の裏手にあるホテル街へと足を向けていた。
あの年代で、しかも一度結ばれた高校生が、一日中デートをしてそのまま健全に帰る……なんて選択肢があるわけがない。
ただ、お互いの家に行くことはできなかった。
俺の家には母親がいるし、鋭い妹の加奈子がウロウロしているから、絶対に連れ込むなんて無理だ。
一方の那奈は一人暮らしをしているが、「私の部屋は、ちょっと……」と、彼女の方から明確に線を引かれていた。俺としては、一人暮らしの女の子の部屋に転がり込むなんてハードルが高すぎるし、何か彼女なりの事情があるのだろうと思って、それ以上は踏み込まなかった。
だからこそ、俺たちは高校生のお財布事情でウンウン唸りながら、少し背伸びをしてラブホテルへとやってきたのだ。
「うわぁ……! すっごい綺麗! お城みたい!」
「だろ? ネットで調べて、一番設備が良さそうなところを選んだんだ」
部屋に入った瞬間、那奈は目を輝かせて歓声を上げた。
アンティーク調の家具に、巨大な液晶テレビ。奥には信じられないくらい広いジャグジーバスが見える。
本当は、その……目的のためだけに来たはずだった。
しかし、非日常的な空間と豪華な設備を前にして、俺たちの高校生らしい好奇心とテンションが完全に爆発してしまった。
「一樹、見て見て! カラオケがついてる! しかも最新機種!」
「マジか! よし、とりあえず歌うか!」
俺たちはベッドには目もくれず、マイクを握ってアニソンや流行りの曲を熱唱し始めた。
備え付けのタブレットでルームサービスを頼み、熱々のピザやポテトをベッドの上で貪り食う。もはやラブホテルというよりも、豪華な貸切の遊園地にいるような気分だった。
「あー、お腹いっぱい。……って、一樹、これ何?」
那奈が不思議そうな顔で、タブレットの画面を指差した。
そこには『レンタルコスプレ 無料』の文字が並んでいる。
俺の心の中の煩悩センサーが、ピコン!と激しく反応した。
「な、那奈。俺たちさ、学校がブレザーじゃん? だから俺、昔から『セーラー服』ってやつに、すげー憧れがあって……」
「……着てほしいの?」
「い、いや、無理にはとは言わないけど! もし良かったら……」
俺がモジモジしながら言うと、那奈はクスッと笑って「いいよ。一樹が喜んでくれるなら」と、あっさり承諾してくれた。
数分後。洗面所から出てきた那奈のセーラー服姿は、もう言葉にならないくらい破壊力があった。清楚で、可愛くて、本当にどこかのお嬢様学校の生徒みたいだった。俺はテンションが上がりすぎて、スマートフォンで何十枚も写真を撮りまくった。
「一樹、はしゃぎすぎ。恥ずかしいよ」
「いや、最高だって! まじで可愛い! ……あっ、そうだ那奈、もう一つだけお願いしてもいい?」
「えっ、まだあるの?」
「この『猫耳メイド』ってやつ……」
「それは却下。絶対に無理」
秒で断られた。
まあ、さすがにハードルが高すぎたかと諦め、俺はシャワーを浴びるために洗面所へ向かった。
――そして。
シャワーから上がり、腰にバスタオルを巻いて部屋に戻った俺は、自分の目を疑った。
ベッドの端にちょこんと座っていたのは、フリルのついたメイド服を着て、頭に黒い猫耳のカチューシャをつけた那奈だった。
彼女は顔を真っ赤にして、恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で、上目遣いに俺を見た。
「に、似合うか、ニャ……?」
「…………ッッッ!!!!」
俺の理性のメーターは、音を立てて粉々に吹き飛んだ。
こんなの、ズルすぎる。可愛すぎる。
俺は「うおおおおっ!」と叫びながらベッドに飛び込み、悲鳴を上げて笑う彼女を腕の中に閉じ込めた。
バカみたいに楽しくて、幸せで、どうしようもなく甘い時間。
俺たちは、この夜が永遠に続くことを祈るように、何度もお互いの肌を重ね合わせた。
* * *
【那奈 視点】
静かになった部屋の中。
私の隣で、一樹は安心しきったような顔をして、規則正しい寝息を立てていた。
私は彼を起こさないようにそっと身をずらし、彼のがっしりとした腕の温もりを感じながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
――楽しかった。
海ではしゃいだことも、ホテルでピザを食べながらカラオケをしたことも、恥ずかしかったコスプレも。
すべてが、私にとっては生まれて初めての、キラキラと輝くような経験だった。
一樹の驚いた顔や、照れたような笑顔を見るたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。この人と一緒にいられて、本当に良かった。
私の人生の中で、今が間違いなく一番幸せな時間だ。
だからこそ。
私は、自分の内側にどろどろと広がる、醜くて浅ましい感情に蓋をしなければならなかった。
『……生きたい』
一樹の寝顔を見るたびに、その思いが頭をもたげてくる。
夏休みが終わっても、この腕の中にいたい。彼と一緒に学校へ行って、笑い合って、大人になって、そしていつか、彼の本当の家族になりたい。
そんなありえない未来を想像しては、私は自分で自分の頬を強く叩きたくなるほどの自己嫌悪に陥る。
ダメだ。そんなこと、絶対に許されるはずがない。
私のアパートの部屋には、今も祭壇がある。
そこは、私がお母さんと羽奈と一緒に暮らしている、絶対に誰も立ち入らせることのできない神聖な場所だ。
一樹をアパートに呼ばないのは、一人暮らしだからじゃない。お母さんたちの視線がある場所で、私が一樹と幸せに笑い合うことなんて、絶対にできないから。
私は、二人だけを残して生き残ってしまった罪人なのだ。
こうしてホテルの密室や外の世界で、お母さんたちから隠れて、彼との時間を盗み取っているだけでも、本当はひどく罪深いことのはずだ。
『那奈が生きてるだけで、俺は最高に幸せだもん』
いつか一樹が言ってくれた言葉が、胸を締め付ける。
一樹は優しい。彼なら、私の罪も過去も全部受け入れてくれるかもしれない。
でも、だからといって、私が生きる理由にはならない。
お母さんと羽奈は、今も天国で私を待っている。私だけが、この温かい世界で幸せになることなんて、どうして許されるだろうか。
私は、彼岸へ行くための切符として、一樹とのこの『最高のアオハル』を手に入れたのだ。彼が私にこんなにも素晴らしい思い出をくれたからこそ、私は彼を置いて、ちゃんと死ななければならない。
楽しければ楽しいほど。
一樹を愛せば愛するほど。
その残酷な『呪い』は、私の首を真綿のように締め付けていく。
「……ごめんね、一樹。大好きだよ」
私は音を立てずにポロポロと涙を流し、彼の温かい胸に頬をすり寄せた。
彼とこうして肌を重ねられる夜も、もう数えるほどしか残っていない。
終わらないでと願う夏は、確実に終わりへと向かっている。
消えゆく命のタイムリミットが、すぐそこまで迫っていた。




