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第97話 この世界で生きる(挿絵有)

 夜が、更け始めていた。


 良樹は宿の一室で、椅子に腰を下ろしていた。


 寝るつもりはなかった。


 隣の部屋には、アルフたちがいる。

 リナたちも同じ宿だ。

 クリスもまた、この宿に部屋を取っている。


 三人の妻は、家に戻した。


 リシアは最後まで渋った。

 カレンも、良樹のそばに残ると言いかけた。

 クラリスは何も言わなかったが、その代わり良樹の呼吸をじっと見ていた。


 結局、三人は家で待機することになった。


 ただし、夜番は交代で行う。


 良樹の家は、この宿からそう遠くない。

 何かあればすぐに動ける。

 それでも、良樹一人を宿に残すことを、三人が気軽に納得したわけではなかった。


 当然だ。


 良樹自身も、気軽に納得されたら少し困る。


 胸元には、薄くスキャナーを展開している。


 ただし、宿の部屋で使うものではない。

 本来なら、外敵や死角を見るためのものだ。


 今は、出力を絞っている。


 見るのは、人の動きだけ。

 隣室から廊下へ出るか。

 窓へ近づくか。

 部屋の中で急な魔力反応が出るか。


 それだけだ。


 寝返りや、小さな身じろぎまでは拾わない。

 拾えても読まない。


「……尊厳保護インターロック、宿屋版だな」


 小さく呟いてから、良樹は自分で少し嫌な顔をした。


 誰に聞かれたわけでもないのに、変な名前をつける癖がある。

 たぶん、自分のせいだ。


 良樹は息を吐いた。


 監視は事前に伝えてある。


 アルフたちは、それを受け入れた。


『……分かりました』

『今の僕たちに、信用がないのは当然です』


 アルフは泣き腫らした目で、小さく頷いた。


 リナも、震えた声で言った。


『逃げません』

『兄貴に会うって、決めたから』


 他の少女たちも、不安そうではあった。

 けれど、反対はしなかった。


 門前で、良樹が隠れていたクリスを見つけたこともある。

 良樹が探索魔法のようなものを使えることは、もう分かっている。


 隠せると思わせるより、最初から言った方がいい。


 良樹はそう判断した。


 そして今。


 宿は静かだった。


 廊下の板が、時折、小さく鳴る。

 外では夜風が看板を揺らしている。

 遠くで、誰かの笑い声が少しだけ聞こえ、それもすぐ消えた。


 スキャナーの中で、隣室の反応が一つ動いた。


 良樹の目が細くなる。


「……アルフか」


 反応は、急ではない。


 飛び起きたわけではない。

 窓へ向かったわけでもない。

 誰かへ手を伸ばしたわけでもない。


 ゆっくりと起き上がった。


 少し止まる。


 それから、扉へ向かう。


 良樹は立ち上がりかけた。


 出るべきか。


 廊下で待つべきか。


 逃げようとしているなら、止める。

 付与を使うなら、止める。

 誰かを巻き込むなら、止める。


 だが。


 動きは、遅い。


 迷っている。

 逃げる足ではない。

 隠れる足でもない。


 良樹は、椅子の背に置いた手へ力を込めた。


 ここで自分から出れば、話す機会を潰すかもしれない。


 しかし、待ちすぎれば危険を見逃すかもしれない。


「……面倒くせえな」


 小さく呟いた、その時だった。


 廊下で、足音が止まった。


 良樹の部屋の前。


 短い沈黙。


 そして。


 コン、コン。


 扉が、控えめに叩かれた。


「アルフです」


 扉の向こうから聞こえた声は、少し掠れていた。


「少し、あなたと話がしたくて」

「時間を、貰えませんか」


 敵意はない。


 少なくとも、良樹にはそう聞こえた。


 だが、警戒を解く理由にはならない。


 良樹は胸元に展開したスキャナーを閉じなかった。

 出力は絞ったまま。

 隣室と廊下の動きだけを拾える状態で維持する。


「開いてる」


 短く答える。


 扉が、ゆっくりと開いた。


 アルフが立っていた。


 昼間に比べれば、少しは落ち着いている。

 だが、顔にはまだ涙の跡が残っていた。

 目元も赤い。


 頭は、クラリスの回復魔法で痛みこそ引いているはずだ。

 それでも、あの拳骨の跡は、別の場所に残っているのだろう。


「お邪魔します」


「座れ」


 良樹は椅子を指した。


 アルフは小さく頭を下げ、部屋へ入る。

 扉を閉める時の動きは、ゆっくりだった。


 良樹はそれを見ていた。


 逃げる足ではない。

 襲う手でもない。

 話すために来た動きだった。


 だからといって、信用はしない。


 それでも、聞く準備はした。


「それで」


 良樹は言った。


「何の話だ」


 アルフは、膝の上で両手を握った。


「あなたに聞かれたことを」

「答えていなかったと、思い出して」


「聞いたこと?」


「何処から来たか、です」


 良樹の目が、少しだけ細くなる。


 あの門前での問い。


 アルフが答えなかった問い。


 どこから来た。


 それは、ただの出身地を聞いた言葉ではなかった。


 良樹は椅子へ座り直した。


「――聞く」


 短く言う。


「お前は、どこから来たんだ」


 アルフは、一度だけ息を吸った。


 それから、静かに答えた。


「僕は」

「ディアグランドという世界から来ました」


 良樹は黙って聞いた。


「多分」

「あなたと同じように、異世界から来ました」


 アルフの声は震えていた。


 だが、逃げてはいなかった。


「僕の能力は」

「その時、神様から頂いたものです」


 良樹は、ゆっくりと息を吐いた。


「……やっぱりか」


 アルフが顔を上げる。


「やっぱり、ですか」


「ああ」

「リシアでも、お前の術が読めねえ訳だ」


「リシア……」

「三人の奥さんの、お一人ですか」


「ああ」

「一緒にいた黒髪の魔法使いだ」


「凄いですね」


 アルフは、ほんの少しだけ苦笑した。


「三人も奥さんを貰うなんて」


 良樹は眉を寄せた。


「三人ともに惚れちまったし」

「三人とも、惚れてくれた」

「一人を選べなかったから、責任を取っただけだ」


 そこで、良樹の声が少し低くなる。


「世間話をしに来たのか」


 アルフは、すぐに首を振った。


「……いいえ」


 少し間が空く。


 アルフは、良樹の言葉を小さく繰り返した。


「責任、ですか」


 良樹は答えなかった。


 アルフは、視線を膝の上へ落とす。


「僕は」

「ディアグランドで、幼馴染たちとパーティを組んで」

「冒険者をやっていました」


「……今更だが、ファンタジーだな」


「ふぁんたじー?」


「いや」

「気にしねえでくれ」

「それで」


 アルフは、小さく頷いた。


「この世界に転移する前に」

「僕は突然、パーティを追放されました」


 良樹の表情は動かない。


 だが、目だけはわずかに鋭くなった。


「役に立たないから要らない」

「そう言われました」


 部屋の中が、静かになった。


 外では、宿の看板が夜風に揺れていた。

 廊下の向こうで、誰かが寝返りを打つような小さな音がした。


 良樹は、アルフを見ていた。


 この男が、なぜ感謝に縋ったのか。

 なぜ必要とされることに飢えていたのか。

 なぜ、助けた後を見ずに次の感謝へ向かったのか。


 少しだけ、形が見えた。


 だが、同情だけで済ませる話でもない。


「続けろ」


 良樹は言った。


「お前が話しに来たなら」

「最後まで聞く」


 アルフは唇を噛み、そして続けた。


「追放された日の夜」

「僕は、街で馬車に轢かれそうになった女の子を助けて」

「多分、死にました」


 良樹は黙って聞いていた。


 アルフの声は、昼間よりも落ち着いている。

 けれど、落ち着いているだけだった。


 傷が塞がった声ではない。

 無理に形を保っている声だった。


「それで」

「神様に会って」


 アルフは、膝の上で両手を握った。


「僕は正しい」

「だから、力を与える」

「そう言われて」


「…………」


 良樹は何も言わなかった。


 アルフは、良樹の沈黙に少しだけ怯えたように目を伏せる。


 だが、良樹は責めなかった。

 続きを急かすこともしなかった。


 ただ、聞いていた。


「それで」


 良樹が、低く促した。


「幼馴染たちが」

「戦闘で苦戦する姿を、神様に見せてもらいました」


 良樹の目が、わずかに細くなる。


「僕を追放したからだ」

「僕の付与を失ったからだ」

「だから、苦戦するんだ」


 アルフの指が、膝の上で震えた。


「……ざまぁみろって」

「そう思いました」


 部屋の中が、静かになった。


 夜の宿の音が、やけに遠い。


 アルフは俯いたまま続けた。


「最低ですよね」


 良樹はすぐには答えなかった。


 アルフは、吐き出すように笑った。


「女の子を助けて死んだ」

「神様に正しいって言われた」

「力を貰った」

「なのに、最初に思ったのがそれです」


「ざまぁみろ」

「僕を追放したからだ」

「僕がいないと、困るんだ」

「そう思って」


 アルフの声が震えた。


「嬉しかったんです」


 良樹は、そこでようやく口を開いた。


「その感情は、理解はできる」


 アルフは顔を上げた。


「要らねえと言われた」

「追い出された」

「その相手が、自分抜きで困ってる」

「ざまぁみろくらい思うことはあるだろうよ」


 良樹は、少しだけ息を吐いた。


「だけどよ」


 声が、少し低くなる。


「正しくないと」

「助けないと」

「必要とされないってのは」


 良樹はアルフを見る。


「お前、辛くねえのか」


 アルフの眉間に、皺が寄った。


「……何を」


「お前が幼馴染たちと、どういう関係だったのかは俺には分からねえ」


「けど」

「最初から、そんな奴らだったのか」


 アルフの指が、膝の上で強く握られる。


「最初から、お前を道具扱いするような奴らだったのか」

「最初から、お前を役に立たねえと言って切り捨てるような連中だったのか」


 良樹は、わざと声を冷たくした。


「それなら」

「何でそんなクソみたいな奴らとつるんでたんだ」


 空気が止まった。


 アルフが、顔を上げる。


「……彼らのことを」


 声が震えていた。


 だが、それは怯えではなかった。


「よく知りもしないあなたに」

「悪く言われたくない!」


 言い切ってから、アルフ自身が息を呑んだ。


 良樹は、数秒だけ黙った。


 それから、小さく息を吐く。


「……なんだ」


 アルフが睨む。


「本音では、まだそいつらのことが好きなんじゃねえか」


「っ……」


「クソ、は芝居のつもりだった」

「悪い」

「謝る」


 良樹は、椅子に座ったまま、はっきり頭を下げた。


 アルフは、言葉を失った。


「お前を試した」

「気分のいいやり方じゃねえ」

「そこは悪かった」


 良樹は顔を上げる。


「でも、分かった」


「……何が、ですか」


「お前は、まだそいつらを嫌い切れてねえ」

「見返したい」

「ざまぁみろとも思った」

「でも、悪く言われたら腹が立つ」


 アルフは黙った。


「なら」

「そこは、まだ終わってねえんだろ」


 良樹の声は静かだった。


 慰める声ではない。

 突き放す声でもない。


 ただ、見たものをそのまま言う声だった。


「お前が傷ついてたのは分かった」

「必要とされたかったのも分かった」

「幼馴染たちを嫌い切れてねえのも分かった」


 アルフが顔を上げる。


「だからこそ」


「他人を、お前の傷を埋める道具にするな」


 アルフの顔が強張った。


「僕は、そんなつもりで――」


「つもりの話じゃねえ」

「そう見える危うさがあるって話だ」


 良樹は、扉の方へ一度視線を向けた。


 スキャナーは、まだ薄く展開している。

 廊下にも、隣室にも、大きな動きはない。


 良樹はアルフへ視線を戻した。


「お前、今の子たちはどうすんだ」


「……あの子たちは、違う」

「……と思います」


「保証はねえな」

「いつ、お前から離れていくか」


 アルフは黙り込んだ。


 否定できなかった。


 リナたちは自分を信じてくれている。

 自分を守ろうとしてくれた。

 一緒にいてくれる。


 だが、それは永遠の保証ではない。


 自分が間違え続ければ。

 自分が見ようとしなければ。

 自分が、彼女たちをただ自分の肯定に使うなら。


 離れていくかもしれない。


 その可能性を、アルフは初めて正面から見た。


 良樹は、少しだけ息を吐いた。


「俺は、日本から来た」


 アルフが顔を上げる。


「日本……?」


「地球っていう星だ」

「いや、世界って言った方が分かりやすいのか」


 良樹は少しだけ考え、すぐに諦めた。


「まあいい」

「俺は、深夜の工場で仕事してた」


「工場……」


「物を作る場所だ」

「機械があって、電気があって、制御盤があって」

「まあ、お前の世界には説明しづれえかもしれねえが」


 アルフは黙って聞いていた。


「そこで仕事してて」

「停電して、辺りが真っ暗になったと思ったら」

「この世界の森に、独りで放り出されてた」


 良樹の声は淡々としていた。


 だが、アルフはその言葉の奥にあるものを少しだけ感じた。


 独りで。


 見知らぬ世界に。


 突然。


「最初の頃は、帰りたかった」


 良樹は言った。


「親父もお袋も、どうなってるか分からなかったからな」


 そこで少しだけ、良樹の目が遠くなる。


 だが、それは長く続かなかった。


「でも、色々あって」

「この世界にいるうちに」

「三人と会って、惚れて」


 良樹は、少しだけ苦い顔をした。


「惚れちまって」

「惚れられちまった」


 アルフは黙っている。


「だから俺は」

「この世界で生きることを決めた」


 良樹はアルフを見る。


「お前はどうしたいんだ」


 アルフの肩が、小さく揺れた。


「ただ、この世界にいるだけでいいのか」

「それとも」

「この世界で、生きていきたいのか」


 アルフは答えられなかった。


 膝の上で握った手が震える。


 長い沈黙のあと、アルフは小さく言った。


「……まだ」

「分かりません」


 良樹は頷いた。


「そうか」


 責めるでもなく。

 急かすでもなく。


 ただ、その答えを受け取った。


「なら」

「明日からの、後を見る旅の中で考えてもいいんじゃねえか」


 アルフが顔を上げる。


「後を、見る旅……」


「ああ」

「お前がやったことの後を見に行く」

「お前が救ったつもりだった奴らが、今どうしてるか見る」

「謝れるなら謝る」

「戻せるなら戻す」

「戻せねえなら、戻せねえと伝える」


 良樹は、少しだけ目を細めた。


「その中で考えろ」

「自分がどこで生きたいのか」

「誰と生きたいのか」

「何のために、その力を使うのか」


 アルフは黙って聞いていた。


 良樹は続ける。


「地に足が着いてねえ奴は、危なっかしい」


 そこで、良樹は一瞬だけ言葉を止めた。


 そして、少しだけ顔をしかめる。


「……俺がこういうことを言うと」

「いつもあいつらが『お前が言うな』って顔で見てくるんだが」


 アルフが、少しだけ瞬きをした。


 良樹は扉の方をちらりと見た。


「今はいねえからな」

「内緒だ」


 アルフは、すぐには笑わなかった。


 けれど、ほんの少しだけ。

 本当に少しだけ、張り詰めていた顔が緩んだ。


「僕にも」

「そんな人が、現れてくれるでしょうか」


 アルフは、ぽつりと言った。


 リナたちのことではない。


 今の自分を肯定してくれる誰か、という意味でもない。


 間違えた時に止めてくれる相手。

 必要とされたい自分ではなく、自分そのものを見てくれる相手。

 そういう誰かの話だった。


 良樹は、すぐには答えなかった。


「……分からねえ」


 アルフが顔を上げる。


「分からない、ですか」


「ああ」

「そういうことを、簡単に保証する気はねえ」


 良樹は、椅子の背にもたれずに座っていた。

 スキャナーは、まだ薄く展開したままだ。


「お前、年は幾つって言ったか」


「十七です」


「十七か」


 良樹は、少しだけ天井を見た。


「俺は二十八だ」


 アルフは黙る。


「この歳になって」

「異世界に来て」

「訳の分からねえ魔物に追われて」

「川に撃ち込まれて」

「水浴び中の女を見て氷漬けにされて」


「ようやく見つかった」


 アルフが、少しだけ瞬きをした。


「……それは」


「事故だ」

「大事故だ」

「今でも言い訳の余地はねえ」


 良樹は咳払いした。


「まあ、三人同時は出来すぎだが」


 そこで、ほんの少しだけ声を低くする。


「でもな」


 良樹はアルフを見る。


「現れるかどうかを心配するより」

「現れた時に惚れられる男になった方がいいんじゃねえか」


 アルフは、言葉を失った。


 良樹は続ける。


「必要とされるために助けるんじゃねえ」

「惚れられるために善人面するんでもねえ」


「見られても、逃げねえ」

「間違えたら、謝る」

「止められたら、止まる」

「相手を、自分の傷を埋める道具にしねえ」


「そういう男になっておけ」


 アルフは、膝の上で手を握った。


「……なれるでしょうか」


「知らねえ」


「また、分からないんですね」


「分かるわけねえだろ」

「なるのは、お前だ」


 アルフは黙った。


 良樹は、少しだけ息を吐く。


「ただ」

「明日逃げずに見に行けたなら」

「今日よりは、一歩ましだろ」


 アルフの目が、少しだけ揺れた。


「一歩……」


「ああ」

「そうやって積むしかねえ」

「俺もそうしてる」


   ◇


 翌朝。


 良樹たちは、ギルドの奥部屋にいた。


 ガレスは机の向こうで、腕を組んでいる。


 部屋の中には、良樹、リシア、カレン、クラリス。

 アルフ。

 リナたち。

 そして、クリスがいた。


 昨日の門前とは違う。


 魔導工場は展開されていない。

 剣も、杖も、拳も構えられていない。


 だが、空気は軽くなかった。


「――という訳で」


 良樹は、昨夜アルフから聞いた話と、これまでに確認された事象を簡潔にまとめた。


 リナたちの件。

 井戸の件。

 何でも切れるナイフの件。

 そして、それらの原因がアルフの付与魔術である可能性が高いこと。


 良樹は最後に、アルフを示した。


「原因は、こいつの付与魔術らしい」


 ガレスの目が、アルフへ向く。


 アルフは肩を強張らせた。

 だが、目を逸らさなかった。


 良樹は続ける。


「急だが」

「これから、戻せるか見に行かなきゃならねえ」

「俺もついていく」


 そして、ガレスを見る。


「判断は、それからでもいいか」

「ガレス」


 ガレスは、しばらく黙っていた。


 アルフを見る。

 リナを見る。

 良樹を見る。


 その目は厳しい。


 だが、即座に断罪する目ではなかった。


「……ああ」


 ガレスは、低く答えた。


「今の時点では、人の生き死にって話じゃねえ」


 言いながらも、ガレスの内心は穏やかではなかった。


 ――こんな小僧が?


 どう見ても、ニルと同年代。

 まだ、子供と言っていい年だ。


 その歳で、井戸を水害の原因にし、亜人の姿を人間に変え、ナイフを鞘ごと切る代物に変えた。


 そんなことができるのか。


 いや。


 できてしまったから、こうなっている。


 ガレスは、机の上で指を一度だけ鳴らした。


「良樹」


「何だ」


「お前の見立てでは、こいつに戻せる可能性はあるのか」


「分からねえ」


 良樹は即答した。


「ある、と言い切るには材料が足りねえ」

「ない、と切るにもまだ早い」

「だから、本人に見せる」

「本人に触らせる」

「本人に戻せるか確認させる」


 ガレスは頷いた。


「妥当だな」


「それと」


 良樹は、少しだけ声を低くした。


「ガレス」

「帰ってくるまでの間」

「こいつの身柄を、俺に預けてくれねえか」


 アルフの肩が、わずかに揺れた。


 ガレスの目が細くなる。


「預けろ、か」


「ああ」


 良樹はアルフを見ずに言った。


「俺が監視する」

「リシアたちもいる」

「クリスも同行できるなら、施療院側との繋ぎもできる」


 そこで、良樹はようやくアルフを見る。


「逃げ出すようなら――」


 一拍。


「責任を持って、今度は潰す」


 アルフの顔が青ざめた。


 リナたちも息を呑む。


 だが、アルフは俯かなかった。


 怯えている。

 それは隠せていない。


 それでも、ガレスの目を見る。


「……逃げたりしませんよ」


 声は震えていた。


「僕も」

「見なきゃならない」


 ガレスは、黙ってアルフを見た。


 嘘か。

 その場しのぎか。

 恐怖に押されただけか。


 判断はまだできない。


 だが、少なくとも今の言葉は、逃げる者の目ではなかった。


 久しぶりに、三人の妻たちが前へ出る。


 リシアが良樹を横目で見る。


「……良樹」

「後で、ちゃんと事情は聞くから」


「ああ」


 カレンは、アルフを見て少しだけ首を傾けた。


「でも」

「昨日よりは、怖く見えません」


 その言葉に、アルフが一瞬だけ反応する。


 カレンは続けない。

 ただ、見たものだけを言った。


 クラリスは静かにアルフを見る。


「呼吸」

「発汗」

「姿勢」

「少なくとも、先程の言葉は嘘ではないようですが」


 良樹は小さく息を吐いた。


「お前ら、本当に見てるな」


 リシアが半眼になる。


「見ろって言ったのは、誰よ」


「俺だな」


「なら文句を言わない」


「はい」


 ガレスは、そのやり取りを見て、頭を掻いた。


「お前らも行くんだよな?」


 三人は、ほぼ同時に答えた。


「当然」


「当然です」


「当然です」


 声が重なった。


 良樹は少しだけ目を閉じた。


「だろうな」


 ガレスは、椅子の背にもたれた。


「分かった」


 短い結論だった。


「なるべく解決は早い方がいい」

「放っておけば、噂も広がる」

「亜人の集落も、施療院も、長く待たせる話じゃねえ」


 ガレスは扉の外へ声をかけた。


「馬車を二台出す」

「護衛はいらねえ」

「いや、こいつらが護衛だ」


 それから、良樹へ向き直る。


「馬車なら、今から行けば日が暮れる前には余裕で着くだろうさ」


 良樹は頷いた。


「助かる」


「礼は戻ってからでいい」


 ガレスは、アルフを見る。


「小僧」


 アルフの背筋が伸びる。


「お前を信用したわけじゃねえ」

「良樹に預けるだけだ」

「それを間違えるな」


「……はい」


「それと」


 ガレスの目が、少しだけ鋭くなる。


「逃げるなら、今逃げろ」

「この後で逃げたら、良樹が言った通りになる」


 アルフは唇を噛んだ。


「逃げません」


「ならいい」


 ガレスは手を振った。


「行け」

「見てこい」

「それから、話をしろ」


 良樹は立ち上がった。


 リシア、カレン、クラリスも続く。


 アルフも、少し遅れて立ち上がった。


 リナが、その袖を掴む。


 昨日と同じように。


 ただし、その手の意味は少し変わっていた。


 引き留めるためではない。


 一緒に行くための手だった。


   ◇


 馬車は二台用意された。


 一台目には、良樹、リシア、カレン、クラリス、クリス。

 二台目には、アルフとリナたち。


 完全に離すわけではない。


 良樹のスキャナーが届く距離。

 クリスも、必要があれば馬車の間へすぐ動ける位置。


 道は、施療院へ向かう街道だった。


 舗装された道ではないが、馬車が通るには十分な幅がある。

 左右には林が続き、ところどころで道が緩く曲がっている。


 アルフは二台目の馬車の中で、黙って座っていた。


 リナは、まだ袖を掴んでいる。


 昨日と同じ手だった。


 だが、昨日とは少し違う。


 止めるためだけではない。

 逃げないためでもある。


 アルフは、その手を振り払わなかった。


 馬車が街道を進んでしばらくした頃だった。


 最初に顔を上げたのは、カレンだった。


「良樹さん」


 声が低い。


 怯えではない。

 だが、カレンが怖い場所を拾った時の声だった。


「はい、周りにたくさんの怖い気配があります」


 良樹は馬車の外へ視線を走らせた。


 林。

 道の両側。

 前方の緩い曲がり。

 馬車二台分の速度と、御者の反応時間。


 良樹はスキャナーを展開する。


 魔導工場に接続されたスキャナーが、周囲を舐める。

 右。

 左。

 前方。

 林の奥。

 道の脇。


 返ってきた反応を見て、良樹は短く息を吐いた。


「――囲まれたか」


 御者が息を呑む。

 アルフたちの乗る馬車からも、動揺が広がる気配があった。


 良樹は手綱を取る御者へ言う。


「馬車を止めろ」

「前に出すな」


 馬車が止まる。


 周囲の林の奥で、影が動いた。


 小型のフォレストラット。

 ニードルバット。

 グレイウルフ。


 中型のラストソードゴブリン。

 ブレードリザード。

 アイアンボア。


 その奥には、ひときわ大きいハイオークウォリアーの影も見える。


 数は、およそ三十。

 中型が多い。


 良樹は立ち上がった。


「迎撃する」

「行くぞ」

「クリスも手伝ってくれ」


 リシアは杖を握り、口元だけで笑った。


「さっさと終わらせるわ」


 カレンは剣に手を添え、すでに怖い方向を見ていた。


 クラリスは静かに袖を整える。


「兄様の戦いを見るのは久しぶりです」


 クリスは、涼しい顔で馬車から降りた。


「あちらの馬車のお嬢さん方には」

「毛の先すら近付けはさせないさ」


「言い方がいちいちキザなんだよ」


「性分でね」


 良樹は息を吐いた。


 そして、胸の奥に盤を立てる。


「魔導工場」


 半透明の巨大な盤が、馬車の間に立ち上がる。


 三つの端子台。

 三つの個別インバータ。

 三系統共通ブレーカー。

 戻り線。

 停止条件。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 それぞれへ、魔力線が伸びる。


 接続確認。

 立ち上がり、よし。

 上限、よし。

 馬車側への遮断、確認。

 緊急停止、確認。


 良樹は盤を見た。


「よし」


「良樹、飛ぶわよ」


「了解」

「空から索敵と、できるだけ間引いてくれ」


 リシアは片眉を上げた。


「誰に向かって言ってるのかしら」


 直後。


 リシアが空を舞った。


 浮くのではない。


 飛ぶのだ。


 風を掴み、身体を傾け、空気を切り裂く。

 飛翔翼が淡く輝き、リシアの身体を空へ押し上げる。


挿絵(By みてみん)


 アルフは、馬車の中からそれを見上げていた。


 ディアグランドにも、空に浮く魔術はあった。


 だが、これは違う。


 浮いているのではない。


 飛んでいる。


「なんだ、あれ……」

「浮い、いや」

「鳥みたいに飛んでる……」


 リナの手が、アルフの袖を掴む。


 リシアは空中で一度旋回した。


 その視線が、林の奥を走る。

 良樹の魔導工場から送られる情報と、自分の魔力探知を重ねる。


「ざっと三十体」

「中型クラスが少し多いわ、二十体ほど」

「小型から間引く」

「離れて」


 カレンとクラリスが同時に下がった。


 クラリスはクリスへ声を飛ばす。


「兄様、こちらへ!」


「心得たよ」


 リシアの杖が、空で光った。


 見る。


 風の流れ。

 魔物の走る線。

 馬車へ向かう最短経路。

 味方の位置。


 今。


「エレメンタル・ストライク!」


 昼の光の中でもなお鮮やかな、多数の光条が空から降った。


 火。

 水。

 風。

 土。


 四つの魔素を束ねた穿撃が、小型モンスターの群れを正確に撃ち抜く。


 悲鳴が上がる間もなかった。


 フォレストラットが地面へ転がる。

 ニードルバットが落ちる。

 グレイウルフが足を止め、そのまま倒れる。


 小型のほとんどが、馬車へ近付く前に地面へ沈んだ。


 アルフは息を呑む。


 一発の大魔法ではない。

 爆発で吹き飛ばしたのでもない。


 狙っている。

 選んでいる。

 味方も馬車も巻き込まず、危険なものから先に落としている。


 少女たちの誰かが、小さく悲鳴を漏らした。


 けれど、その悲鳴はすぐに止まる。


 怖い。


 だが、自分たちへ向けられた怖さではない。


 守るために、外へ向けられた力だった。


 リシアは空で杖を構え直した。


「次は牽制を入れるわ!」

「そのあとお願い!」


 良樹が叫ぶ。


「全員、着弾後に前へ出ろ!」


「エレメンタル・ショットガン!」


 無数の小さな魔力弾が、扇状にばら撒かれた。


 撃ち抜くためではない。

 足を止めるため。

 視線を逸らすため。

 突進の線を乱すため。


 着弾。


 その瞬間、カレン、クラリス、クリスが走り出した。


「良樹さん、お願いします!」


「カレン、右だ」

「怖いところを潰せ!」


 カレンの剣が魔力を帯びる。


 ただの魔力剣ではない。

 輪郭が厚みを持ち、重さを持ち、実体を伴う大型の剣へと変化していく。


 カレンは中型三体を見た。


 いや、正確には、その三体が通ろうとしている場所を見た。


「――あそこが、怖い」


 刺突の構え。


 だが、間合いの外だ。


 アルフはそう思った。


 あの距離では届かない。

 少なくとも、剣の間合いではない。


 カレンの意志に応えるように、剣が変化した。


 刃が伸びる。

 細く、鋭く、必要な場所へ。


 次の瞬間。


 ラストソードゴブリン三体が、ほぼ同時に地へ倒れ伏した。


 アルフは何が起きたのか分からなかった。


 剣を振ったようには見えない。

 走り込んだようにも見えない。


 ただ、怖い場所へ剣が届いた。


「今……届いて……?」


 リナが呟いた。


「カレン! 後ろ!」


 空からリシアの声が落ちる。


 中型の一体が、錆びた剣を振りかぶってカレンの背後へ迫っていた。


 カレンは振り返らない。


 間に合わない。


 だが。


 届かない。


 カレンの背中で、剣の一部が盾を形成していた。


 錆びた剣が盾に弾かれる。


 その一瞬後。


 鈍い音が響いた。


 中型の身体が横へ吹き飛ぶ。


 クラリスだった。


 彼女は、まだ中型の間合いの外にいた。

 だが、形状可変手甲の打撃だけが届いていた。


 クラリスは静かに拳を引く。


「届きました」


「ありがとうございます、クラリス」


「まだいます」

「私は、あの一番大きいのを」

「カレン、ほかのを頼めますか」


「任せてください」


 アルフには、何が起きたのか分からなかった。


 白い法衣。


 アルフには、それが治療師の装いに見えた。


 クラリスも、クリスも、戦場に立つ者というより、人を癒やす者に見えた。


 だが。


 その二人が、いちばん近い距離で魔物を止めていた。


 クラリスの拳は届いていないはずだった。


 なのに、中型の魔物が吹き飛ぶ。


 何をしているのか分からない。


 ただ、分かる。


 近付けば、落とされる。


 その会話の横で、死角から別の中型が馬車へ迫った。


 アルフたちの乗る馬車だ。


「いやぁぁぁ!」


 少女たちの悲鳴が上がる。


 アルフが反射的に立ち上がりかけた。


 だが、彼の付与より早く。


 上から、拳が落ちた。


 ゴヅン。


 良樹の打撃腕が、ブレードリザードの脳天、その真上から振り抜かれていた。


挿絵(By みてみん)


 ブレードリザードは地面へ沈む。


 アルフは固まった。


「あんなもので……」

「僕は、ゲンコツされようとしてたのか……」


 良樹は打撃腕を戻しながら言った。


「だから左手にしただろうが」


「そういう問題なんですか……?」


「そういう問題だ」


 その横から、クリスが涼しい顔で歩いてきた。


「良樹君」

「君の打撃は力強い」


「褒めてんのか、それ」


「もちろん」

「しかし、我が家の男なら技術も必要だ」


「誰が我が家のだ!」


 クリスは笑った。


「いいかい」

「例えば――飛ばす打撃」


 そう言った瞬間、クリスの姿が沈んだ。


 低い。


 速い。


 中型の懐に、ほとんど滑り込むように入る。


 線を外し、距離を潰し、相手が力を出す前に芯を撃つ。


 クリスの拳が、アイアンボアの胴へ触れた。


 触れたようにしか見えなかった。


 次の瞬間。


 アイアンボアの身体が宙を飛んだ。


 良樹の目が見開かれる。


「あの細身で、なんでそんな力があるんだよ……」


「力ではない」


 クリスは指を一本立てた。


「技術さ」


 彼は次の中型へ目を向ける。


「次は少し難しい」


 同じように潜り込む。


 だが、今度は飛ばさない。


 ラストソードゴブリンの身体が、少しだけ浮いた。


 いや、浮かされた。


 その一瞬に、クリスの拳が中型の身体の奥へ沈む。


 めり込む、という表現が近かった。


 外から殴ったのではない。


 中へ透した。


 ラストソードゴブリンの目が見開かれ、身体が硬直する。


 次の瞬間、糸が切れたように崩れ落ちた。


 クリスは、自分の拳を見て少し首を傾げる。


「おや」

「少し加減を間違えたか」

「もっと優雅に、中へ透すつもりだったのに」


 良樹は半眼になった。


「今ので優雅じゃねえなら、優雅って何だよ」


「父上なら、もっと派手に飛ばす」


「比較対象が悪すぎる」


「クラリスなら、もっと可憐に撃つ」


「お前ら一家の護身術、護身って言葉に謝れ」


 クラリスが遠くから声を上げた。


「兄様、良樹くんをからかわないでください!」


「おや、怒られてしまった」


「嬉しそうにすんな!」


「あの人……」

「治療師、なんじゃ……」


 少女の一人が呟いた。


 アルフは答えられなかった。


 白い法衣の男は、確かに治療師に見えた。

 少なくとも、最初はそう見えた。


 だが今、その細身の男は中型の懐へ潜り込み、拳一つで巨体を宙へ浮かせていた。


 残った中で、最も大きな影が前へ出た。


 ハイオークウォリアー。


 中型に分類される魔物ではある。

 だが、体格はほとんど大型に近い。

 分厚い肩。

 丸太のような腕。

 錆びた大剣を片手で引きずりながら、そいつは馬車へ向かって踏み込んだ。


 良樹のスキャナーに、赤い反応が大きく映る。


「クラリス!」


「はい」


 クラリスはすでに動いていた。


 白い法衣の裾が揺れる。

 形状可変手甲が、彼女の拳に重なる。


 ハイオークウォリアーが大剣を振り上げた。


 重い。


 まともに受ければ、馬車の車輪ごと叩き割られる。


 クラリスは、その正面へ入った。


「正面!?」


 アルフが思わず声を上げる。


 だが、クラリスは止まらない。


 踏み込む。

 線を外す。

 大剣の軌道から半身だけずれる。


 そして、拳を引いた。


 良樹の魔導工場から送られる魔力が、手甲の内部で収束する。


 クラリスの呼吸が、細くなる。


「エレメンタル――」


 火。

 水。

 風。

 土。


 四魔素が、拳の一点に重なる。


「発勁」


 音は、小さかった。


 けれど。


 次の瞬間、ハイオークウォリアーの巨体が内側から弾けるように跳ねた。


 鎧のような筋肉が波打つ。

 大剣が手から離れる。

 その身体が、数歩分、宙を滑った。


 そして、地面へ叩きつけられる。


 どん、と重い音が街道に響いた。


 ハイオークウォリアーは、動かなかった。


 クラリスは拳を下ろし、静かに息を吐く。


「……制圧しました」


 良樹はスキャナーの反応を見る。


「敵性反応、なし」

「全員、怪我確認」

「馬車確認」

「荷物確認」

「道の損傷確認」


 リシアが空から降りてくる。


「魔物より先にそれなのね」


「戦闘は終わった後の確認までが戦闘だ」


 アルフは、その言葉を聞いた。


 昨日、良樹が言ったこと。


 やった後は、必ず確認しろ。


 それが、戦闘の後にも同じように出てくる。


 良樹たちは、強かった。


 だが、それ以上に。


 終わった後を、当たり前のように見ていた。


 クリスがゆっくりとクラリスの方へ歩いてきた。


 いつもの軽い笑みを浮かべている。

 けれど、その目は先ほどよりも少しだけ真面目だった。


「今のは」


 クラリスが振り向く。


「兄様?」


「一撃の威力なら」

「僕よりも遥かに強いね」


 クラリスの目が、少しだけ見開かれた。


 クリスは微笑む。


「よく鍛錬しているじゃないか、クラリス」


「いえ」

「良樹くんの授けてくれた、この小手のお陰で――」


「それを扱えるところまで含めて、さ」


 クリスは、穏やかに言った。


 クラリスが言葉を止める。


「道具が優れているだけでは、あれは撃てない」

「良樹君が君に託したものを」

「君が受け止めて」

「君の身体で」

「君の技として使った」


 クリスは少しだけ、誇らしそうに笑う。


「強くなったね、クラリス」


 クラリスの頬が、ほんのり赤くなった。


「……ありがとうございます、兄様」


 良樹は少し居心地悪そうに視線を逸らす。


「いや、まあ」

「俺は手甲を渡しただけだしな」


 クリスが即座に振り向いた。


「良樹君」


「何だよ」


「妹を強く、美しく、可憐に育ててくれてありがとう」


「育てた覚えはねえ!」


 クラリスが慌てて口を挟む。


「兄様!」


「おや、照れたかな?」


「照れます!」


 リシアが呆れたように肩をすくめる。


「戦闘終わった瞬間にこれなのね」


 カレンは小さく笑った。


 アルフは、馬車のそばで立ち尽くしていた。


 リナの手が、まだ袖を掴んでいる。


 少女たちも、声を出せないまま良樹たちを見ていた。


 強い。


 それは、もう分かった。


 だが、それだけではなかった。


 この人たちは、昨日、自分たちに勝てた。


 力で押し潰すこともできた。

 馬車の前で、話す必要などなかった。


 それでも、話した。


 勝てるのに、話した。

 潰せるのに、止めた。

 倒せるのに、見に戻れと言った。


 リナの手に、少しだけ力が入る。


 アルフは、その手を見た。


 逃げるな、と言われている気がした。


 いや。


 一緒に見る、と言われている気がした。


 アルフは、その手を振り払わなかった。


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