第94話 その後を見ろ
「その石」
良樹の声は低かった。
「一旦止めろ」
街道の上で、若い男の足が止まった。
その後ろには、若い少女たちがいる。
容貌は、聞いていたものと一致していた。
パーティの構成も一致している。
そして、リナと思われる少女もいた。
良樹の背後では、リシア、カレン、クラリスがそれぞれに気配を張っている。
まだ誰も動かない。
誰も武器を振らない。
誰も魔法を撃たない。
ただ、止まっていた。
止めるために。
「……何なんですか、いきなり」
若い男が、眉をひそめた。
「あなた、誰なんですか」
「……自己紹介くらいは要るか」
良樹は、男を見たまま言った。
「俺は上村良樹だ。歳は二十八」
一拍。
「俺にとって必要なものだったとはいえ、『英雄』なんていう身の丈に合わねえものを背負ってる、ただの男だ」
背後で、三人の気配がわずかに動いた。
リシア。
カレン。
クラリス。
三人は知っている。
良樹が英雄になりたかったわけではないことを。
英雄という言葉を、誇るために背負ったわけではないことを。
三人を堂々と隣に立たせるため。
三人を、誰にも後ろ指をさされない形で選ぶため。
必要だったから。
だから良樹は、身の丈に合わないものを背負った。
そして今、三人はその男の隣にいる。
「お前は誰なんだ」
良樹が問う。
若い男は、少しだけ鼻で笑った。
「英雄?」
「すごい自己紹介ですね」
軽い。
良樹は、その響きを聞いた瞬間、胸の奥がわずかに冷えた。
「自称なら、僕がいたところにもたくさんいましたよ」
その言葉で、良樹はほぼ確信した。
こいつは、この世界に居る。
だが、まだこの世界に生きていない。
この世界で、本当に生きていれば。
この世界で、人と関わり、この世界の重みを知っていれば。
英雄という言葉を、そんな軽さでは扱わない。
「……貴方が、最近英雄になったっていう人間……」
若い男の後ろにいた少女が、良樹を睨むように見た。
リナ。
おそらくは、ロブが話していた少女。
「その英雄様が、アルフに何の用ですか」
「用、か」
良樹は、リナの言葉から一つ拾った。
「最初に言ったつもりなんだが」
良樹は、若い男を見る。
「もう一度言う」
「その石を止めろ」
アルフと呼ばれた男の表情が硬くなる。
だが、良樹はまだ石の細かい話には踏み込まなかった。
まず確認するべきことがある。
「アルフって名前か」
良樹は言った。
「本人からは、まだ聞けてねえが」
「改めて聞く」
良樹は、まっすぐアルフを見た。
「お前は誰なんだ」
「俺は答えたぞ」
アルフは、不快そうに口元を歪めた。
「……アルフ」
渋々、という声だった。
「アルフ・レイノルズ」
「付与術師です」
そして、少しだけ声を強くする。
「苦しんでいる人を、助けるために旅をしています」
「そうか」
良樹は頷いた。
「なら、なおさら聞く」
アルフの眉が動く。
「アルフ」
「俺は腹芸が苦手だ」
良樹は、静かに言った。
「だから単刀直入に聞かせてもらう」
一拍。
「お前は、どこから来た?」
空気が止まった。
アルフの表情から、ほんの一瞬だけ色が抜ける。
良樹は見逃さなかった。
「それとも」
良樹は続ける。
「これも俺から答えた方がいいか?」
「……それが筋なんじゃないですか?」
アルフが、わずかに顎を上げる。
「それに、どこから来たかなんて言っても、あなたには分からないでしょうし」
「分かる」
良樹は即答した。
「俺は、しばらく前に日本から来た」
アルフの目が見開かれる。
「この世界じゃねえ」
「別の世界から、ここに転移してきた」
良樹は、隠さなかった。
誤魔化さなかった。
日本。
別の世界。
転移。
その言葉を、この世界の街の門前で、当たり前のように口にした。
「この意味」
良樹は、アルフを見る。
「お前は分かるんじゃねえのか」
アルフは答えなかった。
いや。
答えられなかった。
自分が転移者であることを、アルフは誰にも話していない。
後ろにいる少女たちにすら、話していない。
言っても信じてもらえないと思っていた。
変な目で見られると思っていた。
ようやく自分を認めてくれた人たちに、距離を置かれるのが怖かった。
なのに、目の前の一回り年上の男は。
それを、隠すでもなく。
恥じるでもなく。
脅しに使うでもなく。
ただ、事実として口にした。
そして、おそらく。
自分のことも、見抜いている。
良樹が一歩踏み出した。
「僕に近づくな!」
アルフの声が跳ねた。
背後の少女たちが驚く。
門番たちも、わずかに身構える。
良樹は、足を止めた。
「何故だ」
低い声だった。
「近付かねえと話ができねえ」
「そうだろ」
アルフは答えない。
良樹は、踏み出した足を戻さない。
けれど、それ以上は進まない。
「もう一度聞く」
良樹は言った。
「アルフ」
「お前は、どこから来たんだ」
答えはなかった。
良樹は、アルフの背後にいる少女たちへ視線を移した。
「隣にいる女の子たちはどうした」
良樹は問う。
「随分と若えみたいだが、お前の恋人たちか」
「……侍らせてると言いたげですね」
アルフの声が、硬くなる。
「僕からは頼んでない」
「彼女たちが好意でついてきてくれてるんだ」
「人助けの旅に!」
そして、良樹の背後を見た。
「アンタだって後ろに三人も侍らせてるじゃないか!」
良樹は、少しだけ後ろを振り返った。
リシア。
カレン。
クラリス。
三人と目が合う。
「ああ、そうだな」
良樹は言った。
「侍らせてる」
リシアの眉が動いた。
カレンが小さく息を呑む。
クラリスは、口元に手を添えた。
良樹は続ける。
「三人とも、綺麗で、可愛くて、清楚で」
「……清楚?」
リシアが小さく呟いた。
クラリスは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
カレンは俯き、耳まで赤くしている。
「良いところはそれだけじゃねえが、惚気を続けるのは趣味じゃねえ」
良樹は前を向く。
「三人とも、俺なんかには勿体ねえ自慢の嫁さんたちだ」
背後の空気が、一瞬だけ妙な温度になった。
リシアは目を逸らした。
耳が赤い。
カレンは、俯いたまま小さく呟く。
「自慢……」
「お嫁さん……」
クラリスは、清楚に微笑んでいる。
ただ、その口元は明らかに緩んでいた。
街の門前。
緊張の場。
なのに、良樹の背後だけ少しだけ空気がおかしかった。
しかし、良樹はすぐに本題へ戻る。
「だから聞いてる」
良樹はアルフを見た。
「好意でついてきてくれてると言ったな」
「なら、その好意をどう預かってる」
アルフの顔が険しくなる。
「その子たちが傷ついた時」
「帰る場所をなくした時」
「お前を信じたせいで、自分の選択肢を狭めた時」
良樹は、ゆっくりと言った。
「お前は、その後まで見る気があるのか」
アルフは答えなかった。
「それで――」
良樹は、一拍置く。
「まだ質問に答えてもらってねえな」
アルフの目が揺れる。
「どこから来たんだ」
何なんだ、この男は。
アルフは、そう思った。
この世界に来てから、皆が自分のことを認めてくれた。
付与すれば感謝された。
便利にすれば喜ばれた。
痛みを減らせば礼を言われた。
人間の姿に変えれば、救われたと言われた。
この男くらいの年齢の人間だって、自分に頭を下げた。
自分の付与をありがたいと言った。
自分がいてくれて助かったと笑った。
皆が、自分のことを正しいと言ってくれた。
なのに。
何だ、この男は。
何が言いたいんだ。
まるで、自分のことを否定しようとしているじゃないか。
「……言いたくありませんね」
アルフは言った。
「なんで、会ったばかりのあなたに、そんなことを言う必要があるんです?」
良樹は黙っている。
「もういいですか?」
アルフは、良樹の横を抜けようとした。
「通してください」
「行こう、みんな」
その瞬間。
「魔導工場」
良樹の声が、門前に落ちた。
良樹の背後に、半透明の巨大な盤が立ち上がる。
魔導自立盤。
淡く光る盤面。
浮かび上がる配線。
三つの端子台。
三つの個別インバータ。
三系統共通ブレーカー。
そして、その奥に待機する制御型打撃腕。
端子台から、三本の魔力線が伸びる。
リシアへ。
カレンへ。
クラリスへ。
リシアの背に、飛翔翼の輪郭が薄く開く。
カレンの剣が、静かに鳴る。
クラリスの袖口から、形状可変手甲が淡く顕現する。
ただし、誰も飛び出さない。
誰も撃たない。
誰も殴らない。
全員が、力を出せる状態で。
止まった。
「通す訳にはいかねえ」
良樹は言った。
「力を持ってるのに、後のことを考えられねえ奴を」
「この街には入れねえ」
アルフは、顔を歪めた。
「何なんですか、あなたは……!」
それでも、抜けようとする。
良樹の右腕が動いた。
「打撃腕」
魔導自立盤の奥で、何かが噛み合う。
良樹の右腕を覆うように、半透明の巨大な外装が顕現した。
人の腕ではない。
巨人の腕。
だが、怒り任せに振るうための腕ではなかった。
あの時のように、怒りだけで形になった腕ではない。
今のそれは、止めるために組まれた腕だった。
良樹は、打撃腕を振り上げなかった。
握り潰しもしなかった。
ただ、アルフが前へ進む線を塞いだ。
「答えろ」
良樹の声が、低くなる。
「どこから来た」
「何故、答えられねえ」
アルフは答えない。
「答えないなら、止めるしかなくなる」
打撃腕が、静かに軋む。
「俺たちは、多分お前たちがやってきたことを知っている」
「その後のことも、俺たちは見てきた」
良樹は、アルフを見据えた。
「答えろ!それまでここは通さねえ!」
その声に、アルフの後ろの少女たちが震えた。
だが、良樹はアルフを悪人だと決めつけているわけではなかった。
確認する。
答えないなら、未確認扱い。
未確認のまま通ろうとするなら、止める。
良樹の中では、それだけだった。
しかし、それだけで済ませられるほど、相手は単純ではなかった。
「そんなに怖えか」
良樹が言った。
「は?」
アルフが顔を上げる。
「自分が、別の世界から来たことを知られるのが」
良樹は続けた。
「自分の力が、与えられたものだって認めるのが」
一拍。
「助けた後の責任を見るのが」
アルフは言い返そうとした。
だが、言葉にならなかった。
良樹は、少し焦っていた。
道具だけならいい。
危険な付与品なら、使わせずに封印しておけば済む。
持ち主から取り上げ、保管し、使わないようにすればいい。
だが、井戸や亜人たちは違う。
あれは、ただの道具ではない。
もう、人の身体に、生活に、明日からの現実に食い込んでいる。
おそらくは。
アルフ自身でなければ、解くことはできない。
かといって、ただ解かせれば済む話でもなかった。
ここで止めなければ。
ここで気づかせなければ。
この若い付与術師は、きっとまた別の場所で同じことをする。
誰かを助けたと言って。
誰かに感謝されたと言って。
その後を見ないまま、次の町へ行く。
良樹には、アルフの力の底が見えなかった。
怖い。
それは、確かに恐怖だった。
アルフが悪人だからではない。
何をするか分からないからでもない。
善意で、人の人生を変えられる力を持っている。
そして、その怖さを本人が分かっていない。
それが怖かった。
だから良樹は、魔導工場を展開した。
三人の妻を守るため。
自分が生きると決めたこの町を守るため。
何かが起きた時、即応できるように。
けれど。
それが正しい選択だったのかどうか。
良樹にも、確信はなかった。
――クソッ。
良樹は、奥歯を噛んだ。
上手く伝えられねえ。
目の前の若い男が、ただの調子に乗った馬鹿ではないことは分かる。
前の世界で何かがあったのだろう。
戦ってでも言いたくない何かを、背負い込んでいるのだろう。
そこまでは、分かる。
だが、それでも止めなければならない。
ガレス。
藤田さん。
あんたらなら、この若い奴をどう説得する。
力を持ってしまった。
感謝されてしまった。
救ったつもりで、後ろを見られなくなった。
そんな奴に、どう気づかせる。
――親父。
良樹の脳裏に、十鉄の背中が浮かんだ。
不器用で。
古臭くて。
けれど、人として越えてはいけない線だけは、絶対に見誤らなかった男。
アンタなら。
こいつに、どうやって気づかせる。
教えてくれ――
良樹の背後で、魔導自立盤が淡く唸る。
右腕には、打撃腕。
三本の魔力線は、リシア、カレン、クラリスへ伸びている。
リシアは、良樹の横顔を見る。
カレンは、剣に手を添えたまま息を呑む。
クラリスは、良樹の身体の負荷と、心の揺れを静かに見ている。
アルフは、答えない。
良樹も、正解を持っていない。
全員が、力を出せる状態にあった。
だが、誰も動かない。
止まっている。
止まっているからこそ、怖かった。
そして良樹は、その怖さの中で。
まだ、答えを探していた。




