第87話 壊さずに奪い返す(挿絵有)
旧街道は、まだ完全には戻っていなかった。
道そのものは残っている。
人の足も、荷車の轍も、ところどころには見える。
けれど、使われなくなった道はすぐに森へ戻ろうとする。
草が伸びる。
枝が張り出す。
石が転がる。
雨で土が流れ、轍が崩れる。
そして何より、魔物が入り込む。
良樹は、胸元に斥候盤を展開しながら歩いていた。
携行型の魔導盤。
その端から、小さな魔導レーザースキャナがゆっくりと周囲を舐める。
右。
左。
前方。
崩れた石垣。
低い茂み。
道の脇に転がる古い荷車の残骸。
距離が返る。
動きが返る。
死角が見える。
「右奥、石垣の裏が見えねえ」
良樹が言うと、カレンがそちらへ目を向けた。
「……怖いです」
「見えないのが、怖いです」
「ああ」
「なら、そこは避けて進む」
「リシア、風は?」
リシアは杖を軽く握り、道の先を見る。
「まだ普通ね」
「ただ、古砦の方は少し重いわ」
「空気が溜まってるのか、魔物がいるのか」
「両方かもな」
良樹は短く答えた。
リシアは杖を持ち、いつでも魔法を撃てる位置にいる。
カレンは剣に手を添え、良樹の少し前を歩く。
クラリスは後方寄り。
良樹の呼吸、歩幅、足場、背中の動きまで見ている。
夫婦になってから初めての実戦任務。
そう考えると、少し妙な感じがした。
だが、浮ついてはいられない。
今日の依頼は討伐ではない。
正確には、討伐だけではない。
旧街道沿いに残る古い小砦跡。
そこを、隣町との街道再開に向けた中継基地候補として確保する。
井戸が残っている。
外壁が残っている。
見張り台跡がある。
魔石通信機を置けそうな石台もある。
使えるなら、商隊の一時避難場所になる。
護衛の交代地点にもなる。
有事の救援要請地点にもなる。
そして、魔石通信の中継拠点にもなる。
ただし、そこには魔物が棲みついているらしい。
ガレスは言った。
倒すだけなら、他にも頼める。
だが、使える形で残して取り返すなら、お前らだ。
良樹は、その言葉を思い出して息を吐く。
壊していい討伐ではない。
壊さずに、奪い返す。
「良樹」
リシアが声をかけた。
「見えたわ」
前方の木立が切れた先に、石造りの外壁が見えた。
古砦。
といっても、大きなものではない。
街道沿いに作られた小さな防衛拠点。
壁はところどころ崩れ、門は片側が傾いている。
見張り台の上部は半分落ち、石積みには蔦が絡んでいた。
けれど、完全な廃墟ではなかった。
壁はまだ立っている。
門も修理すれば使えそうだ。
内側には開けた広場があり、右手には井戸らしきものも見える。
左奥には、平らな石台。
良樹の目がそこへ止まった。
「……あそこだな」
リシアも見る。
「魔石通信機を置くなら?」
「ああ」
「高さもある。壁からは少し離れてる。守りやすい」
「ただ、あそこを壊されたらアウトだ」
「じゃあ、守る場所はそこね」
カレンが胸元で一度手を握った。
「入口は、怖いです」
「中が見えます」
「でも、見えない場所も多いです」
「分かってる」
「入るまでは斥候盤」
「中に入って、見通しのいい場所を取ったら自立盤へ切り替える」
クラリスが静かに頷いた。
「良樹くんが動けなくなる場所を、先に決めるのですね」
「ああ」
「動けなくなるなら、動く前に決める」
「動かす前に止め方を考えろ、だ」
リシアが小さく笑った。
「いつもの良樹ね」
「いつもの俺で済むなら安い」
良樹は斥候盤の反応を見た。
外側には目立った動きはない。
だが、古砦の内側。
崩れた壁の奥。
見張り台跡の影。
そこは見えない。
「外までは出てこないか」
「巣にしているのかもしれませんね」
クラリスが言う。
「自分たちの場所へ入ったものを襲う」
「縄張りか」
良樹は頷いた。
「なら、入ったところが反応線だ」
四人は、崩れた門をくぐった。
中は思ったより広かった。
正面に石畳の広場。
右手に井戸。
左奥に石台。
奥には崩れた小屋跡。
さらに向こうに、見張り台へ続いていたであろう階段の残骸。
壁は崩れているが、完全には落ちていない。
修理すれば使える。
門も、補強すれば一応閉じられそうだ。
良樹は、瞬時に位置を決めた。
「ここだ」
中央より少し手前。
背後に門。
右に井戸。
左奥に石台。
正面は広い。
囲まれる危険はある。
だが、見える。
「斥候盤を閉じる」
胸元の携行盤が消えた。
良樹は、その場で一度目を閉じる。
斥候盤は、歩きながら使う盤だった。
見るための盤。
距離を拾い、死角を探り、危ない場所を見つけるための盤。
だが、ここから先は違う。
動きながら見るのではない。
この場所に根を下ろし、三人へ繋ぐ。
良樹は息を吸った。
胸の奥に、盤の輪郭を立てる。
端子台。
流路。
個別インバータ。
三系統共通ブレーカー。
戻り線。
停止条件。
そして、その奥に薄く重なる、藤田から継いだ魔導工廠の力。
しばらくの後。
良樹の前へ、半透明の大きな盤が立ち上がった。
魔導自立盤。
三つの端子台。
三つの流路。
三つの個別インバータ。
奥には三系統共通ブレーカー。
良樹は、その場に足を止めた。
「ここからは俺は大きく動けねえ」
「リシア、上を取る準備」
「カレン、前と右」
「クラリス、石台側」
そして、一拍置いて。
「三人とも、頼む」
三人は、返事より早く動いていた。
「任せて」
「はい!」
「承知しました」
その瞬間だった。
崩れた壁の奥で、何かが動いた。
がら、と石が落ちる。
小型の魔物が一体、壁の隙間から飛び出した。
牙をむき、低く唸り、一直線に良樹の方へ走る。
哀れな一番槍だった。
「リシア」
「見えてるわ」
リシアは翼を出さなかった。
構えすら、大きくは変えない。
杖先が、わずかに動く。
火。
水。
風。
土。
四つの魔素が、細く、速く、崩れずに重なる。
四魔素穿弾。
エレメンタル・ストライクの狙撃型。
一条の光が、古砦の空気を裂いた。
小型魔物の額を、正確に撃ち抜く。
魔物は勢いのまま一歩、二歩と走り、そこで糸が切れたように地面へ転がった。
リシアは、何事もなかったかのように杖を下ろす。
「一体」
声は平静だった。
良樹は盤から目を離さない。
「奥は」
「まだいるわ」
「今ので、動いた」
崩れた壁の奥。
小屋跡の影。
見張り台跡の下。
複数の影が動き出す。
一体。
三体。
五体。
さらに増える。
「十以上」
リシアが言った。
「小型が十数体」
「奥に、大きいのがいる」
良樹は端子台へ意識を向けた。
「接続する」
三つの端子台から、魔力線が伸びる。
リシアへ。
カレンへ。
クラリスへ。
端子台接続。
魔力供給開始。
初期出力は三系統均等。
リシアがカレンとクラリスを見る。
カレンが頷いた。
クラリスも静かに頷く。
「散らすわ」
リシアの杖先が横へ流れた。
四属性の小さな粒が、扇形に広がる。
エレメンタル・ショットガン。
撃ち抜くためではない。
殺し切るためでもない。
軽いダメージ。
足止め。
牽制。
面制圧。
走り出そうとしていた小型魔物の群れに、四魔素の粒が降り注ぐ。
火が皮膚を焼く。
水が足を滑らせる。
風が体勢を崩す。
土の芯が小さく打ち込まれる。
小型魔物たちは、勢いを削がれた。
その間に、良樹は次の展開へ移る。
「リシア系統、飛翔翼準備」
「カレン系統、可変剣待機」
「クラリス系統、手甲待機」
「打撃腕、展開」
「スキャナー、起動」
魔導自立盤の横に、半透明の腕が一本、顕現する。
オーガ戦で暴走した、あの腕ではない。
短く、太く、戻り線の見える腕。
関節も、停止位置も、出力制限もある。
制御型打撃腕。
同時に、盤の上部でスキャナーが展開する。
その時、クラリスが良樹へ近づいた。
良樹は、それだけで察した。
前にもあった。
クラリスの精神状態。
良樹との接触。
それによって、スキャナーが異常な広がりを見せた。
戦闘中にやることか。
普通なら、違う。
だが、今は必要だった。
「クラリス」
良樹が呼ぶ。
クラリスは、こくんと頷いた。
良樹は一瞬だけ戦場を見た。
それから、クラリスをまっすぐ見る。
「俺の嫁になったクラリスは」
「今までより、ずっと可愛い」
クラリスの顔が、瞬間的に赤くなった。
乙女モードが、発動した。
頬が染まる。
目元が潤む。
唇が小さく震える。
両手が胸元へ寄りかける。
けれど、戦場であることは忘れていない。
その瞬間、良樹のスキャナーが変質した。
レーザーで順番に舐めるものではない。
一瞬だけ、周囲へ薄く広がる。
壁の裏。
崩れた小屋跡。
井戸の陰。
石台の周囲。
門の脇。
小型魔物の位置。
奥で動く巨大な影。
ほとんどレーダーのように、古砦内の状況が返ってくる。
良樹は、盤の情報を一気に読む。
「……毎回これやらなきゃなんねえのか」
クラリスは真っ赤な顔で、少しだけうつむいた。
「……ごめんなさい」
リシアが空を見上げかけたまま、半眼になる。
「戦闘中に何やってるのよ、あんたたち」
カレンも耳まで赤くしていたが、口元は少しだけ緩んでいた。
「で、でも……今ので、位置が分かりました」
「分かってるわよ」
「分かってるから余計に腹立つのよ」
クラリスは我に返った。
少し名残惜しそうに、良樹から離れる。
「では」
カレンが剣を構えた。
「行きます!」
リシアが杖を掲げる。
「ええ!」
良樹は魔導自立盤を見る。
三系統接続。
供給安定。
リシア、飛翔翼準備完了。
カレン、可変剣準備。
クラリス、手甲待機。
打撃腕、可動範囲内。
周囲把握済み。
「ああ」
「夫婦になってから初めての実戦だ」
一拍。
「ここを壊さず奪還できなきゃ、英雄なんて名乗らせてもらえねえぞ!」
三人が笑った。
リシアの胸元に、軽装鎧が顕現する。
胸部と背中、肩周りを支えるための、淡い魔導装甲。
その背に、薄く鋭い翼が開く。
零戦の翼の記憶。
翼の付け根には、F-2の面影を宿した推進筒。
リシアは、地を蹴った。
浮遊魔法。
補助。
姿勢制御。
推進筒へ魔力を送り、背中から風を噴く。
テイクオフ。
リシアの身体が、低い空へ出た。
高くは飛ばない。
見張り台跡より少し上。
古砦全体を見渡せる高さ。
その場で、ふっと速度を殺す。
翼が風を受ける。
推進筒が細く風を吐く。
足元ではリシア自身の風魔法が下へ逃げ、身体を支えていた。
ホバリング。
リシアは空中に留まったまま、下を見る。
「右奥、壁の裏に三体!」
「小屋跡の中に二体!」
「井戸の縁には近づけないで!」
「奥の大きいの、出てくるわ!」
空からの声が飛ぶ。
カレンは頷いた。
「はい!」
カレンの剣が光る。
一本の剣が、柔らかい帯のように広がった。
次に、その一部が刃へ変わる。
小型魔物が右から二体、井戸の方へ走る。
リシアの声。
『カレン、右の二体! 井戸の縁は残して!』
『はい。井戸は切りません』
端子台通信越しに、カレンの声が返る。
カレンの剣が、無数の実体刃へ分かれた。
細く、薄く、しかし本当にそこにある刃。
それらが走る。
小型魔物だけが斬られた。
井戸の石縁は無傷。
崩れた桶も、ロープも切れていない。
カレンは息を吐く。
「切るものだけ、切ります」
良樹は盤を見る。
「カレン系統、出力上昇」
「範囲展開、制御良好」
その時、崩れた小屋跡の奥から、重い音が響いた。
石が転がる。
木材が折れる。
巨大な影が、奥から姿を現した。
トロルだった。
前に四人がかりで倒した相手と同じ種。
分厚い腕。
厚い皮膚。
不格好な巨体。
だが、膂力だけなら人間の比ではない。
しかもここは、古砦の中だ。
トロルが暴れれば、壁が崩れる。
井戸が壊れる。
石台が砕かれる。
倒すだけなら、やりようはある。
だが、それでは依頼失敗だ。
「来たわ!」
リシアが上から叫ぶ。
「石台の方へ向かう!」
トロルは唸り、石台の方へ足を踏み出した。
クラリスが前へ出る。
「クラリス!」
良樹が呼ぶ前に、クラリスはもう頷いていた。
「出ます」
クラリスの左右の腕へ、手甲が顕現する。
拳。
手首。
前腕。
肘。
白い法衣の袖の上に、半透明の装甲が重なる。
トロルの腕が振り下ろされた。
クラリスは、正面から受けなかった。
半身になる。
左手甲で触れる。
衝撃を受ける。
そのまま斜め下へ逃がす。
地面が鈍く鳴った。
トロルの腕は、石畳を叩くように落ちる。
だが、石台へは向かわない。
クラリスの身体は、吹き飛ばされていなかった。
手甲が、負荷を受けている。
だが、トロルは止まっていない。
地面へ落ちた右腕が、再び持ち上がる。
『クラリス、トロルの右腕が戻る!』
リシアの声。
『カレン、右腕を少し止めてください』
クラリスが端子台通信で要求する。
『はい!』
カレンの実体刃が走る。
トロルの腕そのものを斬るのではない。
腕に絡まっていた古い梁。
振り回す勢いを増していた邪魔な木材。
そこだけを切った。
トロルの腕の勢いが鈍る。
『良樹くん、右手甲に少しください』
クラリスの声は静かだった。
良樹は盤を見る。
「クラリス系統、一秒だけ寄せる」
「上限はそのまま」
『十分です』
クラリスは、トロルの踏み込みを見る。
肩。
肘。
膝。
腰。
重心。
対人ではない。
だが、腕があり、足があり、重心がある。
さばける。
クラリスは一歩入り、トロルの肘を手甲で受ける。
正面から止めず、外へ流す。
同時に膝の動きを見る。
トロルの足が石台側へ向いた。
その時だった。
崩れた壁の隙間から、ゴブリンが一体、良樹の背後へ回り込んだ。
良樹は動けない。
魔導自立盤を展開したまま、三人への供給を切るわけにはいかない。
リシアの飛翔翼。
カレンの可変剣。
クラリスの手甲。
その三つを支えたまま、自分だけ逃げることはできない。
だが、無防備ではなかった。
盤の端から、巨大な右腕が立ち上がる。
短く、太く、戻り線の見える腕。
関節の位置も、停止位置も、出力上限も決まっている。
オーガ戦の時のような、怒りで歪んだ腕ではない。
止め方を持った、制御型打撃腕。
ゴブリンの爪が、良樹へ届く直前。
巨大な右腕が、その攻撃線へ割り込んだ。
受け止めない。
真正面から殴り返さない。
爪の軌道を、横へいなす。
ゴブリンの身体がわずかに流れた。
その瞬間、巨大な右腕の指が閉じる。
ゴブリン程度なら、握り潰せる。
力だけを見れば、それで終わる。
だが、ここは古砦の中だった。
壁は修理して使う。
井戸は残す。
石台には魔石通信機を置く。
床も、門も、可能な限り傷めたくない。
魔物を潰して終わりではない。
血肉を壁へ叩きつけるのも、石台へ飛ばすのも、依頼としては失敗に近い。
だから、潰さない。
握り砕かない。
壁へ叩きつけない。
井戸の方へ飛ばさない。
ただ、攻撃線を外し、体ごと掴み上げる。
ゴブリンの足が、石畳から離れた。
「リシア!」
良樹が叫ぶ。
答えるより早く、光を伴った弾が走った。
四魔素穿弾。
エレメンタル・ストライクの狙撃型が、ゴブリンを正確に貫く。
巨大な右腕は、貫かれたゴブリンを地面へ投げ捨てなかった。
ゆっくりと下ろす。
盤の外へ倒す。
井戸にも、石台にも、壁にも当てない。
良樹は盤を見たまま呟いた。
「自衛範囲、問題なし」
「掴み保持、問題なし」
「戻り、良好」
「出力、上げなくていい」
上空のリシアが、それを見ていた。
『良樹』
『何だ』
『その腕、怖くないわね』
良樹は、一瞬だけ黙った。
『……止まるようにしたからな』
『そう』
リシアの声が、少しだけ柔らかくなった。
『いい腕よ』
良樹は、ほんの少しだけ息を吐いた。
だが、戦闘はまだ終わらない。
スキャナーの反応は、残りひとつ。
小型ではない。
壁の影に隠れていた反応でもない。
井戸の陰を走り回るような軽い動きでもない。
古砦の奥で、重く、大きく、こちらへ向きを変える反応。
トロルが吠えた。
巨体を揺らし、今度は真っ直ぐに石台へ向かって突進する。
石台。
魔石通信機を置く予定の場所。
この中継基地の要になる場所。
壊されれば、任務は失敗だ。
リシアが空中で姿勢を変える。
『残り二分くらい!』
『ここで決めるわよ!』
良樹は盤を見る。
「了解」
「ここで終わらせる」
リシアが四魔素穿弾を撃つ。
狙うのはトロルの頭ではない。
目の前の地面。
光を伴った弾が石畳を穿ち、トロルの視線と踏み込みが一瞬ずれる。
カレンが叫ぶ。
『足元、切ります!』
無数の実体刃が走る。
トロルの足元の瓦礫だけが切られる。
踏み込みが沈む。
巨体の軸がわずかにずれる。
その瞬間、カレンの剣が揺らいだ。
「っ……!」
無数に分かれていた実体刃が、細い光へほどけていく。
刃の輪郭が保てない。
柔らかい帯へ戻るより先に、形そのものが崩れ始めた。
良樹が盤を見る。
「カレン系統、顕現限界!」
カレンは剣を握り直そうとした。
だが、もう刃は増えない。
五メルの大剣にもならない。
形状可変剣の顕現時間が、終わる。
「す、すみません……!」
「謝るな!」
良樹は即座に返した。
「足元は切った!」
「仕事は終わってる!」
『カレン、下がって!』
リシアの声が、上空から飛ぶ。
カレンは悔しそうに歯を噛んだ。
けれど、無理に踏みとどまらない。
限界を越えて振れば、剣は暴れる。
守るものまで斬る。
それは、カレンの剣ではない。
カレンは一歩下がった。
その隙を、リシアが埋める。
上空から、光を伴った弾が走った。
一発。
二発。
三発。
四発。
エレメンタル・ストライク。
頭でも、胸でもない。
両肩。
光を伴った四発の弾が、トロルの両肩を正確に貫いた。
トロルの巨体が、わずかに止まる。
本当に、わずかだった。
だが、その一瞬で十分だった。
『クラリス、今!』
リシアの声。
クラリスが前へ出た。
カレンが切った足元。
リシアがずらした視線。
良樹が寄せた供給。
その全部が、一瞬だけトロルの軸を空けていた。
トロルの膝へ、クラリスの右拳が触れる。
振りかぶらない。
拳は、もう当たっている。
そこから、ほんのわずかに身体が沈む。
足裏。
膝。
腰。
背中。
肩。
肘。
手首。
拳。
手甲。
そして、良樹の魔導自立盤から供給される力。
『クラリス系統、浸透撃用に一瞬だけ寄せる』
『カレン系統、顕現終了。保護側へ落とす』
『リシア系統、残り維持』
『はい』
『壊しません』
『止めます』
クラリスの拳が、ゼロ距離から打ち込まれた。
音は小さい。
だが、トロルの膝が抜けた。
巨体が崩れる。
倒れる先は、石台側だった。
『リシア!』
『分かってる!』
リシアが上空から風を入れた。
土煙を逃がす。
瓦礫を石台側へ飛ばさない。
倒れる方向を、ほんの少しだけ外へ押す。
クラリスの手甲が、崩れるトロルの肩を受ける。
正面から止めず、斜めへ逃がす。
トロルの巨体は、石台の手前で横倒しになった。
地面が揺れる。
だが、石台は砕けなかった。
井戸も無事。
門も残っている。
外壁も、崩れてはいない。
リシアが着地した。
背中の翼が、淡く揺れる。
推進筒の風が消え、胸部の軽装鎧が薄れていく。
カレンは剣を下ろした。
クラリスは手甲を見て、静かに息を吐いた。
良樹は魔導自立盤を見たまま、最後の供給を切る。
トロルは倒れた。
だが、小砦は崩れていなかった。
井戸は残っている。
門も、修理すれば使える。
魔石通信機を置く予定の石台にも、大きな傷はない。
前にトロルと戦った時、四人は倒すことで精一杯だった。
今は違う。
倒すだけではない。
壊さずに、取り戻した。
良樹は、静かに息を吐いた。
「……今のは、俺一人じゃ無理だった」
リシアが翼を消しながら笑う。
「当たり前でしょ」
カレンが剣を胸元に抱いた。
「私たちは、四人です」
クラリスが手甲を消し、柔らかく微笑む。
「夫婦ですから」
良樹は、少しだけ笑った。
「……そうだったな」
古砦の広場に、風が抜ける。
倒れたトロル。
残った井戸。
守られた石台。
修理すれば使える門。
中継基地予定地、奪還完了。
壊さずに、奪い返した。




