表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

81/113

第80話 候補を外す前に

 ギルドの奥の部屋には、一着の服が置かれていた。


 立派な鎧ではない。

 魔法使いの法衣でもない。

 王侯貴族が身にまとう礼装でもない。


 ただの作業用の上着に近い。


 丈夫な布地。

 背中と腰の左右に取り付けられた小さな箱。

 その中に収まる、丸い羽根。

 外側を覆う細かな金属の格子。

 内側には、魔力石を差し込むための保持部。

 肩と腰には、まだ試作品らしい調整紐が見えている。


 机の上には報告書が並んでいた。


 オーガ戦の戦闘報告。

 良樹の魔力回路損傷と回復経過。

 暴走腕に関する本人報告。

 魔石通信網の運用報告。

 そして、魔導空調服の試験運用報告。


 藤田吾郎は、その服をしばらく黙って見ていた。


 ガレスは腕を組み、壁にもたれている。

 その横には、ニルが控えていた。

 部屋の隅にはノーラとケーンもいる。


 呼ばれたのは、報告のためだった。


 だが、藤田は報告書より先に、机の上の服へ手を伸ばした。


「これが、例の涼しくなる服か」


「ああ」


 ガレスが頷く。


「良樹が作った魔導空調服だ」

「魔力モーターと羽根は良樹製」

「外側の格子と固定具はノーラとケーンが見てる」

「布地と取り付けは、まだ試作だな」


 藤田は服を持ち上げた。


 重さを見る。

 縫い目を見る。

 肩紐を見る。

 腰の固定部を見る。


 それから、背中の小さなファンに指を近づけた。


 格子に当たる。


 指は入らない。


 藤田は目を細めた。


「先に囲ったか」


 ガレスが眉を上げる。


「そこを見るのか」


「見るじゃろう」


 藤田は当然のように言った。


「回るものを作って、羽根を剥き出しにせん」

「指を入れさせん」

「布を巻き込ません」

「試作品にしては、そこを飛ばしておらん」


 ノーラが鼻で笑った。


「あの坊主、最初にそこを言ったよ」

「涼しけりゃいいってもんじゃない」

「指を巻き込まない形にしろ」

「布を吸わないようにしろ」

「外れた時に羽根が飛ばないようにしろ」

「うるさいったらありゃしない」


 ケーンも苦笑する。


「ファンガードの穴寸法まで言われました」

「風は通せ。でも指は通すな、と」


 藤田は、小さく笑った。


「現場のうるささじゃな」


「良樹らしいだろ」


 ガレスが言う。


 藤田は答えず、今度は魔力石の保持部を見た。


「これは」


「魔力石だ」


 ガレスが説明する。


「本人の魔力でも動く」

「だが、充魔力しておいた魔力石でも動く」

「つまり、魔力が弱い奴でも使える」


「ほう」


「通常魔力なら送風」

「氷系の魔力を込めれば冷風」

「火系なら暖房にもなるかもしれねえ」

「まあ、そのあたりはまだ試験中だがな」


 藤田は服を机へ戻さなかった。


 そのまま、しばらく眺めていた。


 報告書の中には、良樹の別の姿も書かれている。


 オーガ戦。

 暴走腕。

 藤田の《魔導工廠》を怒りで無理やり噛み合わせ、保護回路を殺して動かした力。

 それで、良樹はオーガを倒した。


 町を救った。


 だが、良樹本人はそれを技とは言わなかった。


 手順でもない。

 再現していいものでもない。

 保護回路を殺して動かした。

 最悪だ。


 そう報告した。


 藤田はその文字を思い出しながら、手元の服を見ていた。


 同じ力の先にあるもの。


 腕ではなく。

 小さなモーター。

 小さな羽根。

 人の服の中を通る風。


「……着てみねば分からん」


 藤田が言った。


 部屋の空気が一拍止まった。


 ガレスが目を細める。


「爺さんが着るのか」


「当たり前じゃ」


 藤田は服を広げた。


「道具は、使わねば分からん」

「見るだけで分かった顔をする奴ほど、現場では信用ならん」


「それはそうだがな」


「なら、着る」


 ノーラが笑いながら近づいた。


「爺さん、無理に動くんじゃないよ」

「まだ試作品だからね」


「試作品なら、なおさら着る」


「まったく、年寄りってのは頑固だね」


「お主に言われとうないわ」


 ノーラは肩をすくめながら、藤田が服を羽織るのを手伝った。

 ケーンが腰側の紐を軽く締める。

 ニルも慌てて魔力石を用意した。


 藤田は立ち上がったまま、腕を動かした。


 肩を回す。

 肘を曲げる。

 腰を少し捻る。

 背中側の箱の当たりを確かめる。


「重さは悪くない」

「じゃが、腰のここは長時間だと擦れるの」

「肩紐は、もう少し逃がした方がよい」

「背中のこれは、荷を背負う者には邪魔になるかもしれん」

「冒険者用と職人用で、形を分けるべきじゃな」


 ノーラが大きく笑った。


「まったく、爺さんまで同じこと言うのかい」

「あの坊主も似たようなことを言ってたよ」


 藤田の目が、わずかに細くなった。


「ほう」


 ケーンが頷く。


「良樹さんは、鍛冶場や工房なら背中でもいいが、荷を背負う運搬役や冒険者は腰側に逃がした方がいいかもしれない、と」

「それと、座った時に当たる位置も確認したいと言っていました」


「使う場所で試す、か」


 藤田は、低く呟いた。


 その言葉には覚えがあった。


 報告書のあちこちに、良樹の同じような考えが出てくる。


 原っぱで届いたから、本番で使えるとは限らない。

 高台で試す。

 見える場所ではなく、人が立っていい場所で試す。

 使う者が怖い時に読めなければ不良。

 道具は、使う場所で試す。


 藤田は、わずかに口元を緩めた。


「ニル」


「はい」


「魔力石を入れよ」


「はい!」


 ニルが魔力石を保持部へ入れた。


 軽い音がした。


 次の瞬間、小さな羽根が回り始めた。


 大きな音ではない。

 耳障りでもない。

 ただ、低く、細く、空気を動かす音がした。


 ふ、と。


 藤田の背中に風が通った。


 服の中にこもっていた熱が、首元へ抜ける。

 背中と布の間に、細い空気の道ができる。

 肩甲骨のあたりを通り、脇の下へ抜け、首筋へ上がる。


 藤田は黙った。


 派手に驚きはしない。

 声も上げない。


 ただ、背中を通る小さな風を、しばらく受けていた。


「……これは、持つな」


 ガレスが聞き返す。


「持つ?」


「人が持つ」


 藤田は目を閉じたまま言った。


「暑い場所で、もう一刻立っていられる」

「荷を運ぶ者が、倒れる前に戻ってこられる」

「鍛冶場の若いのが、少しだけ長く槌を振れる」

「見張りが、日差しの下で気を失わずに済む」


 羽根は回っている。


 小さな風だ。


 魔物を吹き飛ばすものではない。

 敵を裂く刃でもない。

 火球のように目立つわけでもない。

 大砲のような威力もない。


 ただ、服の中の熱を逃がす。

 汗を乾かす。

 人の身体が、もう少しだけ持つようにする。


 チートで作ったと言うには、あまりにも地味だった。


 あまりにも、実直だった。


 藤田は、思わず苦笑した。


 昭和二十年の夏を思い出した。


 焼けた工場。

 熱のこもった作業場。

 汗で張りつく服。

 水を飲む暇も惜しんで動いていた若い身体。

 油と鉄と、焦げた匂い。

 空襲警報。

 遠くから聞こえる爆音。

 それでも回さなければならなかった機械。


 あの時、こんなものがあれば。


 そう思ってから、藤田はまた苦笑した。


 詮無いことじゃ。


 あの時にはなかった。

 ワシの時代には、なかった。


 だが。


 ワシが消えた後の日本でも、技術者たちは進んでいたのだ。


 人を強くするためだけではない。

 人を楽にするために。

 人を倒れにくくするために。

 暑い現場で、もう一刻、立っていられるようにするために。


 そういう地味な発明を、積み上げてきた者たちがいたのだろう。


 それを、この若造は持ってきた。


 そのままではない。

 この世界の魔力と、藤田の《魔導工廠》と、良樹自身の魔導盤で、作り直した。


 異世界に落ちた若い技術者が。

 オーガを殴り潰した腕の後に。

 人を涼ませる服を作った。


 藤田は、背中で回る小さな羽根を感じながら、ふと零戦のプロペラを思い出した。


 昭和二十年。

 戦争のために回っていた羽根。

 若者を空へ送り出し、人を殺す機械を前へ進めていた羽根。


 それと同じように、目の前の小さな羽根も回っている。


 だが、この羽根は違う。


 人を戦場へ運ばない。

 敵を撃ちに行かない。

 ただ、服の中の熱を逃がす。

 汗を乾かす。

 倒れそうな人を、もう少しだけ立たせる。


 同じ回る羽根でも、向かう先が違う。


 藤田は、ほんの少しだけ苦笑した。


「……なるほどのう」


 誰に向けた言葉でもなかった。


「ワシの知らん日本も、悪くはなかったらしい」


 部屋の中が、少し静かになった。


 ガレスは何も言わなかった。

 ノーラも、ケーンも黙っている。

 ニルは、何を言っていいか分からない顔をしていた。


 藤田は、背中の風を感じたまま、ゆっくり目を開けた。


「戦の道具ではない」


 藤田は言った。


「じゃが、人を死なせぬ道具じゃ」


 ガレスが小さく頷く。


「ああ」

「俺もそう思う」


「評判は」


 藤田が聞く。


 ガレスは机の上の報告書を一枚取った。


「職人連中からは上々だ」

「特に鍛冶場と荷運びだな」

「ただ、まだ長時間運用は見てねえ」

「魔力石の持続時間、汗や埃、固定具の劣化、羽根の耐久」

「問題は山ほどある」


「当然じゃ」


 藤田は頷いた。


「問題がない試作品など、信用ならん」


 ニルが、少しだけ表情を明るくした。


「冒険者側でも試せそうです」

「ただ、戦闘中に使うかはまだ分かりません」

「移動中や待機中の方が向いてるかもしれないって、良樹さんが」


「ふむ」


「あと、見習い魔導士でも、充魔力済みの魔力石なら使えるかもしれないそうです」

「本人の魔力が弱くても、仕事になる可能性がある、と」


 藤田はニルを見た。


「良樹がそう言ったのか」


「はい」

「魔力が強い者だけが使える道具にすると、広がり方が偏る」

「魔力石に込める仕事ができれば、弱い魔法しか使えない者にも役割ができるかもしれない、と」


 藤田は、もう一度背中の風を感じた。


 人を涼ませる。

 人を倒れにくくする。

 弱い者にも仕事を作る。


 チートと呼ぶには、やはり地味だ。


 だが、現場を知る者ほど分かる。


 こういう道具が、人を生かす。


「ワシの力を」


 藤田が静かに言った。


 部屋の全員が、藤田を見る。


「殴るためだけに使わなんだか」


 その声は低かった。


 だが、怒りではない。


「壊すためではなく、回すために使った」

「人を倒す腕ではなく、人を涼ませる風を作った」


 ガレスは腕を組んだまま、黙っていた。


 藤田はゆっくりと服を脱いだ。

 ノーラが受け取り、机の上に戻す。


 ファンは止められた。


 部屋に、羽根の音が消える。


 藤田は椅子に腰を下ろした。


「ガレス」


「何だ」


「オーガ戦の報告を、もう一度聞こう」


 ガレスは頷き、別の報告書を手に取った。


   ◇


「町を救ったのは事実だ」


 ガレスは言った。


「防衛線が崩れなかったのは、良樹たちがオーガを倒したからだ」

「あれを英雄の働きじゃねえなんて、俺は言わねえ」


 藤田は黙って聞いている。


「だが、良樹本人はそこを誇ってねえ」

「むしろ、かなり重く見てる」


 ガレスは報告書を指で叩いた。


「本人の言葉だ」

「あれは技じゃない」

「手順でもない」

「再現していいものでもない」

「保護回路を殺して動かした」

「最悪だ」


 ノーラが眉を寄せた。


「勝ったのに、そこまで言うのかい」


「言うのが良樹だ」


 ガレスは苦笑した。


「そのくせ、三人を守ったこと自体は間違いだったとは言わねえ」

「あいつは、そこも誤魔化さなかった」


 藤田の目が、少し鋭くなる。


「ほう」


「守るためにやった」

「だが、やり方は最悪だった」

「同じ失敗はもうしない」

「止め方を考える」

「だそうだ」


 藤田は、少しだけ目を伏せた。


 勝ったことを誇る若者は多い。

 負けなかったことを武勇伝にする者も多い。

 力が出たことを喜び、次はもっと強くと考える者もいる。


 だが、勝ち方を恥じる者は、そう多くない。


 それも、守ったことを否定せずに。


 藤田は、ゆっくり息を吐いた。


「身体は」


「クラリスの治療で塞がってる」

「日常の動きは問題ねえ」

「ただ、魔力回路はすぐには戻らなかった」

「一週間以上、三人に止められながら回復してた」


「止められながら、か」


「放っておいたら紙に書き始める」

「工具を持つ」

「手記を開く」

「確認だけだと言う」

「だから三人が止めてた」


 藤田は、小さく笑った。


「止める者がいるのは、よいことじゃ」


「ああ」

「特にあいつには必要だ」


 ガレスは頷いた。


「で、戻ってから作ったのが、その服だ」

「暴走腕の再現じゃねえ」

「もっと強い腕でもねえ」

「魔導モーターと、羽根と、風だ」


 藤田は机の上の魔導空調服を見た。


 戦闘報告書。

 暴走腕。

 魔導空調服。


 普通なら、繋がらない。


 だが、藤田には繋がって見えた。


 力を、どう使うか。


 壊すためか。

 守るためか。

 自分を飾るためか。

 現場を変えるためか。


「ニル」


「はい」


「魔石通信の方はどうじゃ」


 ニルは姿勢を正した。


「はい」

「現在、ギルド本部、正門、西門、旧街道側監視所、外縁農家方面、臨時待機所、治療所、冒険者詰所」

「八か所で試験運用しています」


「四つでは足りなんだか」


「足りませんでした」


 ニルは少し苦笑した。


「良樹さんは、最初から増やすなら符号表と配置を見直せと言っていました」

「光る数が増えれば便利になるんじゃない」

「読む場所を間違えたら事故になる、と」


「その通りじゃな」


「実際、増やしたら混乱しかけました」

「それで、危険種別と緊急度、送信元を分ける形に変えています」

「復唱も入れました」

「良樹さんは、報告までが仕事だと」


 藤田は、机の上の報告書をめくった。


 良樹の言葉が、あちこちに残っている。


 使う場所で試す。

 読めた気がする、は駄目。

 怖い時に迷うなら不良。

 端に立たないと見えないなら不良。

 報告までが仕事。

 止め方を考える。

 同じ失敗は、もうしない。


 派手な言葉ではない。


 だが、どれも現場の言葉だった。


 藤田は、若い頃の自分を思い出した。


 剣で誰よりも強かったわけではない。

 魔法で山を吹き飛ばしたわけでもない。


 橋を直した。

 門の開閉機構を変えた。

 荷を運ぶ巻上機を作った。

 壊れた馬車を直した。

 籠城戦で、罠と搬送路と退避路を組んだ。

 怪我人を運ぶ台車も作った。


 戦える現場を作った。


 そうして、人が死なずに済む場所を、少しずつ増やした。


 英雄とは、自分で名乗るものではない。

 あとから人が勝手に呼ぶものだ。


 藤田は、そう思って生きてきた。


 だが、候補と呼んだ若造は今、その入口に立っている。


   ◇


「決めるのか」


 ガレスが言った。


 部屋の空気が少し変わった。


 藤田はすぐには答えなかった。


 机の上には、魔導空調服。

 その横には、報告書。


 オーガを倒した報告。

 暴走を失敗として扱った報告。

 魔石通信網。

 魔導空調服。

 小さなファン。

 背中を通った風。


「まだじゃ」


 藤田は言った。


「まだ、ワシは決めん」


 ガレスは眉を上げた。


「まだ足りねえか」


「足りぬというより、聞かねばならん」


「何をだ」


「本人の口で」


 藤田は、良樹の報告書へ手を置いた。


「英雄とは何かを」


 部屋が静かになる。


 ノーラが腕を組んだ。

 ケーンは黙って藤田を見た。

 ニルは少し緊張した顔になっている。


 ガレスは、しばらく藤田を見ていた。


「英雄認定か」


「候補を外す前に、最後に聞く」


「良樹だけ呼ぶのか」


 藤田は首を横に振った。


「三人の娘もじゃ」


 ガレスは少しだけ笑った。


「だろうな」


「あの若造が、この世界に杭を打った理由は、あの三人から始まっておる」


 藤田は静かに言った。


「リシア」

「カレン」

「クラリス」


 その名を、一人ずつ置く。


「英雄になりたい理由が、三人を妻にするため」

「最初は、それでもよい」

「浅い理由ではない」

「人が世界に根を下ろす理由など、案外そういうものじゃ」


 ガレスは黙って聞いていた。


「じゃが、今のあやつは、それだけでは済まなくなっておる」

「町に関わり」

「人に関わり」

「失敗し」

「倒れ」

「それでも、現場を変えようとしておる」


 藤田は目を細めた。


「あの三人の前で聞かねばならん」

「あの若造が、何を背負うつもりなのかを」


 ガレスは深く頷いた。


「分かった」

「明日、良樹と三人を呼ぶ」


「場所は」


「奥の部屋でいいのか」


 藤田は少し考えた。


「いや」


 藤田は首を振った。


「ギルドホールでよい」

「ただし、外へ出られるようにしておけ」


 ガレスの口元が、わずかに上がる。


「派手にする気か」


「派手にするのではない」


 藤田は、静かに言った。


「見せるのじゃ」


「誰に」


「良樹に」


 藤田は、机の上の魔導空調服へ視線を落とす。


「英雄とは、称号ではない」

「褒美でもない」

「自分を飾る名でもない」


 背中に通った風を、まだ覚えている。


 小さな風だった。

 だが、その向こうに、多くの人の顔が見えた。


 暑い鍛冶場の若者。

 荷を運ぶ者。

 門で立つ見張り。

 治療所へ走る者。

 冒険者。

 職人。

 町の人間。


「背負う顔を、見せてやらねばならん」


 ガレスは、しばらく藤田を見た。


 それから、短く笑った。


「爺さん、悪い顔してるぞ」


「年寄りは大抵そうじゃ」


「否定しねえのか」


「事実じゃからの」


 ガレスは立ち上がった。


「ニル」


「はい!」


「明日の手配だ」

「ホールを空ける」

「だが、良樹には詳しく言うな」

「重要な話がある、とだけ伝えろ」


「はい!」


「ノーラ、ケーン」


 ノーラが手をひらひら振った。


「分かってるよ」

「明日は顔を出す」

「この服の件も、少しは話せるようにしておくさ」


 ケーンも頷く。


「ファンガードの件は、必要なら説明します」


「助かる」


 ガレスは扉へ向かった。


 出ていく直前、振り返る。


「爺さん」


「何じゃ」


「本当に、決めるんだな」


 藤田は答えなかった。


 ただ、机の上の服を見た。


 それだけで、ガレスには十分だった。


   ◇


 人が部屋を出ていく。


 ニルは手配へ走り、ノーラとケーンも帰っていった。

 ガレスも、ギルド職員へ指示を出すために部屋を離れた。


 奥の部屋には、藤田だけが残った。


 机の上には、一着の魔導空調服。


 藤田は、もう一度その服へ手を伸ばした。


 背中のファンを、指先で軽く回す。


 羽根が、くるりと回った。


 小さな羽根だった。


 あまりにも小さい。

 あまりにも地味だ。


 だが、藤田は知っている。


 現場を変えるものは、いつも派手とは限らない。


 一本の釘。

 一つの滑車。

 少し広くした通路。

 倒れにくくした台車。

 見やすくした札。

 逃げ道。

 止め方。

 声の届く仕組み。


 そういうものが、人を生かす。


「殴る腕ではなく、風か」


 藤田は、低く呟いた。


 自分の力を継いだ若造。


 怒りで暴走し、オーガを殴り潰した男。

 その失敗を忘れず、止め方を考え、同じ失敗をしないと言った男。

 そして今、暑い現場で人を倒れにくくする服を作った男。


「面倒な若造じゃ」


 藤田は苦笑した。


 だが、その声には、どこか嬉しさが混じっていた。


 窓の外からは、町の音が聞こえる。


 荷車の軋む音。

 職人の声。

 冒険者たちの笑い声。

 子どもたちの走る足音。

 遠くの鍛冶場から響く槌の音。


 明日、あの若造に見せるべきものがある。


 称号ではない。

 褒美でもない。

 自分を飾る名でもない。


 この顔を背負うということ。


 藤田は、机の上の報告書を閉じた。


「ならば、問わねばならん」


 誰に聞かせるでもなく、そう言った。


「あの若造が、英雄という名を背負う気があるのかを」


 候補を外す前に、最後に一つ、聞いておくべきことがあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ