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第8話 読めたもの、読めないもの

 朝から、良樹は失敗した。


 宿の食堂で、パンと薄いスープを前にして、何気なく言っただけだった。


「今日は三人とも、できれば近くにいてくれ」


 その瞬間、食卓の空気が止まった。


 リシアが、パンをちぎる手を止める。

 カレンが、スープの器を両手で持ったまま固まる。

 クラリスが、いつものように穏やかに微笑んだ。


 微笑んだ。


 その時点で、良樹は少しだけ嫌な予感がした。


「……良樹」


「何だ」


「朝からそういうことを言うなら、主語と目的を先に言いなさい」


「主語?」


「目的も」


「目的は訓練場での実験だが」


 リシアは額に手を当てた。


「それを先に言いなさい」


「言ってなかったか」


「言ってないわよ。近くにいてくれ、だけ言ったのよ」


「あ、あの……近く、ですか」


 カレンが小さく言った。


 耳が赤い。

 器を持つ指に力が入っている。


 良樹は首を傾げた。


「危ない実験をするからな。全員の位置を把握しておきたい」


「位置……」


 カレンは繰り返した。


 なぜか、少しだけ残念そうにも見えた。


 クラリスは、そこで静かに口を開いた。


「では、私は良樹さんの左側でよろしいですか?」


「待って」


 リシアが即座に止めた。


「自然に位置を確定しないで」


「安全確認です」


「その言い方で全部通そうとしないで」


「ですが、良樹さんの手元と身体の負荷を見るなら、左側が良いかと」


「もっともらしいのが余計に厄介なのよ」


 良樹はパンをかじりながら、三人を見た。


「右でも左でもいいが、今日は火と水と破裂を扱う。勝手に前へ出るなよ」


「破裂」


 リシアの声が低くなった。


「今、朝食中に聞きたくない言葉が出たわよ」


「小さいやつだ」


「小さいを付ければ破裂させていいわけじゃない」


「それはそう」


「納得しないで」


 カレンが、おずおずと手を上げるような仕草をした。


「あ、あの……良樹さん」


「何だ」


「私も、見える場所にいていいですか」


「見える場所?」


「はい。良樹さんの手元と、その……何をしているのか」


「助かる。反応を見たい」


「反応……」


 カレンが固まった。


 良樹は気づかない。


 リシアは気づいた。

 クラリスも気づいた。


 カレンが少しだけ前に出ようとしていることを。


 前に出るのが怖い子が。

 近づくのも、見てもらうのも怖い子が。


 それでも、遠くにいるだけは嫌だと、ほんの少し言葉にしたことを。


 クラリスは、穏やかに微笑んだ。


「では、私は反応を見守る良樹さんを見守りますね」


「ややこしいわよ」


「大切な役割です」


「役割を増やさないで」


 良樹は深く息を吐いた。


「……確認しないと事故る入力が多すぎる」


「あなたが増やしてるのよ」


 リシアのツッコミが、朝の食堂に小さく響いた。


   ◇


 カレンは、自分が少しだけおかしくなっていることを自覚していた。


 良樹さんの近くにいたい。


 そう思った。


 思ってしまった。


 それだけで、胸の奥が落ち着かない。


 怖い。

 とても怖い。


 前に出るのは怖い。

 近づくのも怖い。

 見てほしいと思うのも怖い。

 見られたら、きっと恥ずかしくて逃げたくなる。


 それでも。


 遠くから見ているだけは、もっと嫌だった。


 リシアさんは、良樹さんの隣にいる。

 当たり前みたいに、すぐ横に立つ。

 良樹さんの魔導盤を覗き込み、良樹さんの言葉にすぐ返す。

 良樹さんも、リシアさんには難しい話をする。


 それが羨ましい。


 羨ましい、と思った自分に、カレンは少し驚いた。


 私は、そんなことを思えるほど強くないはずなのに。


 それでも、胸の奥に小さな声がある。


 自分も見てほしい。


 怖がる自分を。

 迷う自分を。

 踏み込めなくて、それでも前を見ている自分を。


 良樹さんに、役に立つものとして見てほしい。


 怖さを、ただの邪魔なものとしてではなく。

 見えているものとして。

 何かに使えるものとして。


 カレンは胸元で手を握った。


 リシアさんだけが良樹さんの盤に入るのは、嫌だ。


 そう思った自分が怖かった。


 けれど、今日は逃げないと決めた。


   ◇


 クラリスは、食堂を出る良樹の背を静かに見ていた。


 良樹さんは、私を清楚な僧侶としてだけ扱わなかった。


 そのことを、クラリスは何度も思い返している。


 杖を折った。

 拳で殴った。

 治せば済むと笑った。

 痛みを、後で処理するものとして扱った。


 そんな自分を見て、良樹は引かなかった。

 怖がらなかった。

 便利だとも言わなかった。

 褒めもしなかった。


 怒った。


 治したから大丈夫じゃない。

 壊れた事実は消えていない。


 そう言った。


 私を、私のままで怒ってくれた。


 それは、クラリスには少し怖かった。


 清楚な僧侶としてだけ見られるのは楽だ。

 穏やかに微笑み、回復し、祈っていればいい。

 誰かが望む形でいれば、少なくとも壊れたところは見られない。


 けれど良樹は、そこだけを見なかった。


 清楚な自分も。

 壊れた自分も。

 壊れても治せばいいと思っている自分も。


 そのまま見て、怒った。


 どうしようもなく、嬉しかった。


 だから、見てほしいと思う。


 この人になら、もっと奥まで見られてもいいかもしれない。


 けれど同時に、怖い。


 本当に奥まで見られた時。

 自分はまだ、清楚な僧侶として立っていられるのだろうか。


 それとも、良樹さんの前で、ただの壊れた女になるのだろうか。


 クラリスは、そっと胸元へ手を添えた。


 それでも、リシアさんだけが読まれるのは、少し面白くありませんね。


 そう思って、いつものように清楚に微笑んだ。


   ◇


 町外れの訓練場は、朝から人が少なかった。


 訓練場と言っても、整備された競技場のようなものではない。

 踏み固められた土の広場。

 端に置かれた木剣。

 古びた的。

 魔法の試射に使うらしい、焦げ跡の残った石壁。


 良樹にとっては、それで十分だった。


 むしろ、人が少ないのがありがたい。


 火を扱う。

 水を扱う。

 魔導盤を扱う。

 しかも今日は、小さくとはいえ破裂を起こす予定だった。


 屋内でやるものではない。


「本当に、ここでやるのね」


 リシアが少し不安そうに言った。


 白と青を基調にした魔法衣。

 黒い髪。

 澄んだ青い瞳。


 いつもなら、良樹の隣に立つ姿は自然だった。

 今日は少しだけ緊張しているように見える。


 良樹は腰袋からドライバーを抜き、胸の前に浮かぶ魔導盤へ先端を近づけた。


「ああ。宿の裏でやるよりはマシだろ」


「それはそうだけど」


「人がいない。燃え移るものも少ない。変な音がしても、まあ訓練場なら多少はごまかせる」


「ごまかす前提なのが嫌ね」


「俺も嫌だ」


 良樹は短く答えた。


「だから小さくやる」


 少し離れたところに、カレンとクラリスがいた。


 カレンは木剣を抱えるように持ち、そわそわと良樹の手元を見ている。

 クラリスはいつものように穏やかに微笑んでいたが、その視線は良樹の手元と、良樹の肩や手首を交互に見ていた。


「先に決めるぞ」


 良樹は言った。


「俺が合図するまで前へ出るな」

「顔を近づけるな」

「音で驚いても、反射で覗き込むな」

「カレン、怖かったら言え」

「クラリスさん、変な負荷が見えたら止めてくれ」

「リシアは俺の合図まで水を出さない」


「分かったわ」


「は、はい」


「承知しました」


 良樹は全員の位置を見る。


 人の位置。

 風向き。

 燃え移るもの。

 逃げ道。


 良樹は、魔導盤の中に走る赤と青の線を見た。


 昨日、リシアの火炎球と氷閃槍を見た。

 見た、という言い方でいいのかは分からない。


 回路として読めた。


 入力。

 供給。

 属性変換。

 圧縮。

 保持。

 射出。


 リシアの魔法は、ただ火を出しているわけではなかった。

 ただ氷を作っているわけでもなかった。


 最初に形を作る。

 出力を一気に上げすぎない。

 外殻を保つ。

 撃つ直前に圧をかける。

 崩れない範囲で押し出す。


 良樹は、ドライバーの先で赤い線の途中を押さえた。


「火が読めたんじゃねえんだよな」


「え?」


 リシアが聞き返す。


「お前の火炎球そのものをコピーできたわけじゃない」

「俺が火炎球を撃つわけでもない」

「読めたのは、もっと手前だ」


「手前?」


「ああ」


 良樹は魔導盤の中に、小さな部品のようなものを置く感覚で線を繋いだ。


「出力の上げ方だ」


 リシアが目を細める。


「出力……」


「最初から全開じゃない」

「形を作って、崩さないようにして、最後に圧をかける」

「リシアはそれを普通にやってた」


「普通に、というか……そうしないと形が崩れるから」


「そこだ」


 良樹はドライバーを止めた。


「俺の魔導盤は、今まで入れるか切るかに近かった」

「起動か停止」

「入ったら出る」

「切れば止まる」


 胸の奥で、父の声がした気がした。


 動かすだけなら猿でもできる。

 止められて初めて設計だ。


 良樹は、小さく息を吐く。


「でも、それだけじゃ駄目だ」

「直入れは危ない」

「最初から全開で入れたら暴れる」


「直入れ?」


「いきなり全力で繋ぐってことだ」

「前に、足に魔導モーターを噛ませて飛んだ時がそうだ」


 リシアの表情が少し変わった。


「川へ落ちた時の?」


「あれだ」


 良樹は魔導盤の中の線を見たまま、苦い顔をした。


「あれが何か分からなかったわけじゃねえ」

「最初から、俺にはモーターに見えてた」

「足首と膝の外側に輪が出て、脚の動きに合わせて回る」

「前にも、駆動音みたいな唸りまで感じた」

「分かってたくせに、制御がなかった」


「制御……」


「回りすぎないようにするもの」

「いきなり全力で回さないもの」

「危なくなったら止めるもの」

「そういうのが何もなかった」


 起動信号。

 出力保持。

 回転数制限なし。

 加減速時間なし。

 停止条件なし。

 非常停止なし。


「そりゃ、飛ぶ」


 川へ射出された記憶が蘇る。


 逃げる。

 魔導モーター。

 回転が上がる。

 止まらない。

 足元の駆動音。

 風。

 制御なし。

 非常停止なし。


 そして、ばしゃん。


 冷たい水。

 重くなったツナギ。

 無事だった腰袋。


 それから。


 水面から上半身を出した、濡れた黒髪の少女。


 白い肩。

 水滴の乗った鎖骨。

 腕と髪でかろうじて隠された胸元。


「……」


 良樹は、反射的にリシアから目を逸らした。


 不自然だった。


 あまりにも不自然だった。


 リシアが、ぴたりと動きを止める。


「良樹」


「何だ」


「今、何を思い出したの?」


「魔導モーターの暴走だ」


「それだけ?」


「それだけだ」


「本当に?」


「……たぶん」


「たぶん?」


 リシアの目が細くなった。


 良樹は魔導盤を見るふりをした。

 いや、実際に見てはいる。

 見てはいるが、視線の逃がし方が完全に有罪だった。


 リシアは少しだけ頬を赤くし、それでも口元を緩めた。


「ひょっとして、思い出したんじゃないでしょうね」


「何を」


「あの時のこと」


「どの時だ」


「川で」


「……」


「私を」


「……」


「見た時のこと」


 良樹は黙った。


 リシアは、勝ったように小さく笑う。


「……良樹のえっち」


「不可抗力だろ」


「今思い出したのは不可抗力じゃないでしょ」


「事故記録の再確認だ」


「都合のいい言い方しないで」


「反省はしてる」


「反省だけ?」


「……すみませんでした」


 良樹が頭を下げると、リシアは少しだけ目を逸らした。


 怒っている、というより。

 困っている、というより。


 満更でもなさそうだった。


「もういいわ」


「いいのか」


「許したわけじゃないけど」


「それ、前にも聞いたな」


「何度でも言うわよ」


 良樹は、咳払いをして魔導盤へ視線を戻した。


「あれは完全に駄目な設計だった」


「ええ。いろいろな意味で駄目だったわね」


「そこを混ぜるな」


「混ぜられたくなかったら、思い出さないことね」


「無茶言うな」


 リシアは少しだけ笑った。


 良樹は魔導盤へ視線を戻す。


「インバーター……いや、厳密には違うな」

「モータを回すわけじゃねえし、周波数制御でもねえ」

「でも、俺の感覚ではこれが一番近い」


「いんばーたー?」


「出力をいきなり全開にしないための部品だと思ってくれ」

「弱く入れる」

「ゆっくり上げる」

「上限で止める」

「必要なところで切る」


 良樹は、赤い線の途中に置いた部品へ、青い線を少しだけ絡ませた。


「魔導インバーター、ってところか」


 言った瞬間、魔導盤の中で赤い線が細く灯った。


 リシアが息を呑む。


「今の……」


「ああ」


 良樹も、同じものを見ていた。


 赤い線は、燃えていない。

 火球にもなっていない。

 だが、確かに熱を持ったように見える。


 暴れていない。

 膨らんでいない。

 薄く、細く、制御されている。


「形になった」


 良樹の声が、思ったより低く出た。


「リシアから読めた出力の上げ方を、盤側に置けた」


 リシアは、自分の胸元に手を当てた。


 自分の魔法を良樹が読んだ。

 それは昨日も分かっていた。


 けれど今、良樹の盤の中に、自分の魔法の流れが部品として置かれた。


 火炎球ではない。

 氷閃槍でもない。


 それでも、リシアが魔法を形にする時の考え方が、そこにある。


 そのことが、少し怖いくらい嬉しかった。


   ◇


「ロウソク、あるか」


 良樹が言うと、リシアは眉を寄せた。


「ロウソク?」


「ああ。ロウが欲しい」


「火を灯すものならあるけど……何に使うの?」


「小さい破裂を起こす」


 リシアの表情が固まった。


「今、聞き捨てならない言葉が出たわよ」


「小さい、を付けただろ」


「小さいを付ければ破裂させていいわけじゃない」


「それはそう」


「納得しないで」


 良樹は腰袋から小さな金属片を出した。

 元の世界から持ち込んだものではない。

 町で買った安い金具の端材だ。


 その上に、削ったロウを少量だけ置く。


 カレンが不安そうに一歩近づきかけた。


「カレン、少し下がれ」


「あ、はい」


「クラリスさんも」


「はい」


 クラリスは素直に下がった。

 ただし目は笑っている。


「良樹さんがそこまで警戒するということは、危ないのですね」


「危ない」


「はっきり言いますね」


「はっきり言っとかないと事故る」


 良樹は金属片を地面に置いた石の上へ乗せた。

 その周囲を確認する。


 燃え移るものなし。

 人の位置。

 風向き。

 逃げ道。

 リシアとの距離。

 カレンとクラリスの位置。


 良樹は魔導盤の赤い線へ意識を向けた。


「まず、最小まで絞る」


「最小?」


「ああ」

「できたばかりの部品に、いきなり仕事をさせるな」

「まずは、どこまで弱くできるかを見る」


 良樹は、魔導インバーターの上限を下げた。


 赤い線が、ほとんど消えそうなほど細くなる。


 火ではない。

 炎ではない。

 熱と呼ぶにも弱い。


 触れば少し温いかもしれない。

 その程度の出力。


 金属片の上に置いたロウは、変わらなかった。


 リシアが首を傾げる。


「溶けてないわよ」


「だからよしだ」


「だから?」


「最小で溶けるなら、逆に怖い」

「まず、何も起きないところを確認する」

「そこから少しずつ上げる」


 リシアは一瞬だけ黙った。


「……良樹らしいわね」


「褒めてるのか」


「半分くらい」


「残り半分は」


「面倒くさい」


「必要な面倒だ」


 良樹は魔導インバーターの出力を、ほんの少しだけ上げた。


 赤い線が細く灯る。


 金属片に熱が入る。

 すぐには変わらない。

 数呼吸遅れて、ロウの端がわずかに緩んだ。


「……動いた」


 カレンが小さく言った。


「まだ溶けたとは言わねえ」

「もう少し」


 さらに、少しだけ上げる。


 ロウがゆっくり透明になっていく。

 焦げない。

 煙も出ない。

 燃えない。


 ただ、溶ける。


「ここまでは加熱だ」


 良樹は盤の中の赤い線を見る。


「火を出してるんじゃない」

「熱だけを、絞って入れてる」


「そんなことまで、できるの?」


「できた」

「リシアから読めたおかげだな」


 言ってから、良樹はまだ気づかなかった。


 リシアの頬が少しだけ赤くなる。


 クラリスの目が、わずかに細くなる。


 カレンが、リシアを見た。


 だが、良樹は実験に集中していた。


「ここからが破裂側だ」


 良樹は全員を見た。


「水は一滴だけ」

「出力は今のまま」

「水を落とした瞬間に、俺が切る」

「顔を近づけるな」

「音で驚いても前へ出るな」


 カレンが小さく頷いた。


「前へ、出ない方がいいんですね」


「ああ」

「驚いた時ほど、人は変な方向へ動く」

「だから先に決めとく」


 クラリスが静かに言った。


「驚いた後の動きまで、安全確認に入れるのですね」


「そこまでが試験だ」


 リシアは小さく息を吐いた。


「……本当に、変なところまで丁寧ね」


「事故るよりマシだ」


「それはそう」


「リシア」


「何?」


「水を一滴だけ出せるか」


「一滴?」


「ああ」

「絶対に多くするな」


「その言い方、ものすごく不安なんだけど」


「不安で正しい」

「だから小さくやる」


 良樹は息を整える。


 赤い線。

 ロウ。

 熱。

 青い入力。

 水。

 膨張。

 逃げ道。


 閉じ込めない。

 逃がす。

 壊さない。

 小さく。


「今」


 リシアの指先から、小さな水滴が落ちた。


 水滴は、溶けたロウの上へ触れた。


 次の瞬間。


 ぱん、と乾いた音がした。


 ロウが小さく跳ねた。

 白い蒸気が一瞬だけ膨らみ、すぐに空気へ散った。


「っ」


 カレンが肩を跳ねさせる。

 クラリスは目を細める。

 リシアは息を止めていた。


 良樹だけが、魔導盤を見ていた。


 赤い線。

 青い入力。

 接触。

 膨張。

 逃げ。


 そして、停止。


「……出た」


 リシアが言った。


 良樹は、金属片の上に残った白い煙を見た。


「出たな」


 静かな声だった。


 だが次の瞬間、良樹は拳を握った。


「できた」


 その声には、隠しきれない熱があった。


「できたぞ、リシア」


「……今ので、成功なの?」


「成功だ」

「火を撃ったんじゃねえ」

「水を撃ったんでもねえ」

「条件を作った」

「熱と水と、逃げ道を組んだ」


 リシアは、魔導盤の中で赤と青の線が薄く灯っているのを見た。


 自分の火炎球ではない。

 自分の水魔法そのものでもない。


 けれど、自分の魔法を良樹が読んで、良樹の盤の中で別の形に変えた。


「……できた」


 リシアは、小さく笑った。


「できたわね」


 良樹とリシアは、同じものを見ていた。


 小さな煙。

 小さな破裂。

 ただそれだけ。


 だが、二人にとっては大きかった。


   ◇


「これ、どう使うんですか?」


 カレンが恐る恐る聞いた。


 良樹は金属片の状態を見ながら答える。


「攻撃にはしない」


「攻撃では、ないんですか」


「ああ」

「今の威力で何かを倒せるとは思えねえ」

「だから倒すためじゃない」

「止めるために使う」


「止める……」


 リシアが呟く。


 良樹は頷いた。


「目の前で鳴らせば、目を閉じる」

「耳元なら、一瞬は反応が遅れる」

「獣なら、鼻先で弾けたら嫌がるかもしれねえ」

「足元で鳴らせば、踏み込みも止まるかもしれない」


 良樹は、煙の消えた金属片を見た。


「倒せなくても、一拍止まる」

「逃げるには、それで足りることがある」


 カレンの目が少しだけ動いた。


「戻るための、一拍……」


「ああ」

「踏み込んだあと、戻る隙がない時」

「相手の動きを一瞬止められれば、戻れる可能性が出る」


「それがあれば、踏み込んだ後に戻れますか」


「使い方次第だ」

「でも、戻るための隙は作れる」


 カレンは、その言葉を胸の中で繰り返した。


 戻るための隙。


 怖いまま前に出る。

 でも、戻る道がある。


 それは、カレンにとってただの魔法ではなかった。


 クラリスも、静かに言った。


「殺すためではなく、止めるための音と光、ということですね」


「そうだ」

「ただし、人間の耳元でやるなら出力制限は必須だ」

「鼓膜や目を壊したら、制圧じゃなくて傷害だ」


 クラリスは少しだけ目を細めた。


「良樹さんらしいですね」


「らしいか?」


「はい」

「壊さずに止めようとするところが」


 良樹は少しだけ困った顔をした。


「壊さずに済むなら、その方がいいだろ」

「壊すしかない時もあるんだろうが、最初から壊す前提で組むもんじゃねえ」


 クラリスは何も言わなかった。


 ただ、その言葉を静かに受け取った。


 リシアは良樹の横で魔導盤を見ていた。


 火で倒すのではない。

 水で押すのでもない。

 熱を作る。

 水を置く。

 膨張させる。

 逃がす。


 工程を組む。


 リシアは、胸の奥に小さな灯りがつくのを感じた。


 火の専門家には勝てない。

 水の専門家にも勝てない。

 氷でも、風でも、土でも、きっと一番にはなれない。


 けれど。


 複数の属性を、工程として並べることなら。


 そう思いかけた時、良樹が言った。


「助かった」

「リシアから読めたおかげで、魔導インバーターが形になった」


 その瞬間、空気が変わった。


   ◇


「……リシアさんから、読めた」


 クラリスの声は柔らかかった。


 柔らかかったが。


 良樹は、そこでようやく顔を上げた。


 クラリスが微笑んでいる。

 いつものように。

 清楚に。

 穏やかに。


 ただ、目が据わっていた。


「良樹さん」


「……はい」


「リシアさんからは、読めたのですね」


「まあ、昨日な」


「昨日」


「……あ」


「昨日、リシアさんと」


「いや、魔法の説明を聞いてたらだな」


「リシアさんと」


「クラリスさん、そこだけ拾うのやめてくれ」


 リシアが横で口元を押さえた。


 笑っているわけではない。

 いや、少し笑っている。

 けれど、自分でも少し困っている顔だった。


 カレンが、おずおずと手を上げるような仕草をした。


「あ、あの……」


「どうした、カレン」


「リシアさんだけ、ですか?」


 その声は、責めるものではなかった。


 ただ、小さく、残ったものが漏れただけだった。


「今のところはな」

「まだ条件が分からん」


「条件……」


「ああ」

「試してみねえと分からん」


 カレンは、リシアを見た。


 リシアさんだけが読まれた。

 リシアさんだけが良樹さんの盤に入っている。

 リシアさんの魔法が、良樹さんの新しい部品になった。


 そう思うと、胸の奥が少しだけ苦しくなった。


 クラリスは、静かに一歩前へ出た。


「では、試しましょう」


「何を」


「私で」


「待て」


「なぜですか?」


「まだ危険かどうかも分からん」


「リシアさんでは試したのでしょう?」


「結果的にそうなっただけだ」


「では、私でも結果的にそうなるかもしれません」


「屁理屈が強い」


「理屈です」


 クラリスは微笑んでいた。


 穏やかで、清楚で、柔らかい。


 だが、一歩も引く気配がない。


 良樹は眉間を押さえた。


「……分かった」

「ただし、条件を決める」


「はい」


「痛いとか、嫌な感じがしたらすぐ言え」

「変だと思ったら中止」

「俺が無理だと思っても中止」

「読めなくても失敗じゃない」

「そこはいいな」


「はい」


 クラリスは素直に頷いた。


 良樹は、右手を出した。


 昨日、リシアの魔法を読んだ時と同じように、指先から半透明の線が伸びる。


 ケーブル。


 良樹には、そう見えた。


 線はゆっくりとクラリスへ向かう。


 リシアの時とは違った。


 線が、クラリスの前で一度止まる。

 それから、そっと触れた。


 表面には触れる。


 治癒の入口。

 祈りの形。

 柔らかな魔力の流れ。


 そこまでは見えた。


 だが、その奥へ進もうとした瞬間、線が押し返された。


 薄い膜。

 いや、蓋。


 明確に、閉じている。


「……ん?」


「どうしました?」


「入らねえ」


「入らない?」


「ああ」

「表面には触れる」

「治癒の入口は見える」

「でも、その奥が見えねえ」

「途中で蓋されてる感じがする」


「蓋、ですか」


 クラリスは、微笑んだまま言った。


「ああ」

「鍵がかかってる感じだ」


 その言葉に、クラリスの指先がほんの少しだけ動いた。


 彼女には分かっていた。


 何を見せられなかったのか。


 良樹さんに見てほしかった。

 この人になら、見られてもいいかもしれないと思った。

 リシアさんだけが読まれたことが、面白くなかった。

 自分も、見ていただきたかった。


 けれど、良樹の線が奥へ入ろうとした瞬間、自分は止めた。


 見られたくなかった場所は、分かっている。


 治せば済むと思っていた自分。

 壊れた事実を、回復で覆っていた自分。

 痛みを警報ではなく、作業音のように聞き流していた自分。


 そこを、まだ良樹に見せる覚悟ができていない。


 良樹さんは、私を私のままで怒ってくれた。


 だからこそ、怖い。


 奥まで見られた時。

 自分はまだ、この人の前で笑っていられるのだろうか。


「……そうですか」


 クラリスは、いつものように微笑んだ。


「私は、閉じているのですね」


「悪いことじゃない」

「勝手に開けるもんじゃねえ」


 良樹は線を引いた。


 クラリスは、それを見送った。


 胸の奥に、静かな痛みがあった。


   ◇


「あ、あの……」


 次に声を出したのはカレンだった。


 カレンは、木剣を握る手に力を入れていた。


「私も、試してもらっていいですか」


「カレンも?」


「はい」

「リシアさんだけは、その……嫌なので」


 言ってから、カレンは固まった。


「……あ」


 リシアが目を丸くする。

 クラリスが微笑む。

 良樹は一拍遅れて、何とも言えない顔をした。


「カレン」


「は、はい」


「無理ならいい」

「読めないから悪いわけじゃない」

「嫌だったら止める」


「はい」

「大丈夫、です」


 カレンは頷いた。


 声は少し震えていた。

 けれど、逃げなかった。


 良樹はもう一度、半透明の線を伸ばした。


 線はカレンへ向かう。


 クラリスとは違った。


 触れる。


 確かに繋がる。


 踏み込みの入口。

 足へ魔力を通す直前の緊張。

 剣を握る手。

 重心を前へ送る一瞬。

 戻ろうとする癖。


 見える。


 だが、奥へ進もうとすると、輪郭が崩れた。


 壁ではない。

 蓋でもない。

 拒絶でもない。


 霧。


 踏み込む。

 戻る。

 怖い。

 見える。

 迷う。

 下がる。

 それでも前へ出たい。


 それらが混じっている。

 まだ形になっていない。

 一つの回路として閉じていない。


 良樹は、ゆっくり息を吐いた。


「……クラリスさんのは蓋だった」

「カレンのは、霧だ」


「霧……」


「ああ」

「奥がないんじゃない」

「たぶん、まだ形が決まってない」


 カレンの顔が不安に揺れた。


「私が、駄目なんでしょうか」


「違う」


 良樹は即答した。


 カレンが目を見開く。


「読めないことは欠陥じゃねえ」

「形が決まってないことも、悪いことじゃない」

「お前は今、怖いとか、戻りたいとか、それでも前に出たいとか、そういうのを全部抱えてる」

「それがまだ一つの形になってないだけだ」


「でも……」


「怖いなら、何が怖いか見ればいい」

「分からないなら、分からないところからでいい」

「読めないから駄目、じゃねえ」


 カレンは木剣を握る手に、さらに力を入れた。


 涙が出そうになるのを、こらえた。


 駄目ではない。


 良樹さんは、そう言った。


 怖いままで。

 迷ったままで。

 まだ形が決まっていないままで。


 それでも、駄目ではないと言った。


「……はい」


 カレンは小さく頷いた。


 良樹は線を引いた。


 霧は、霧のまま残った。


   ◇


 良樹は、しばらく黙っていた。


 魔導盤の中で、リシアから読めた赤い線が細く灯っている。

 魔導インバーター。

 熱を絞るための部品。

 水滴一滴で、小さな破裂を作った部品。


 読めたものはある。


 だが、クラリスには蓋があった。

 カレンには霧があった。


 読めないものもある。


 良樹は、自分の指先を見た。


 半透明の線。

 相手の中へ伸びる線。


 便利だ。

 そう思うことは簡単だった。


 だが、これは便利なだけのものではない。


 読出は、相手の中に線を入れる行為だ。


 口でいいと言っても、奥が開かないことがある。

 本人が本当に見せていいと思っていなければ、通らないことがある。

 本人でも、まだ形にできていないものがある。


 それを、無理に開けていいわけがない。


「……嫌なら嫌でいい」


 良樹は言った。


 三人が、良樹を見る。


「読めないことは欠陥じゃねえ」

「閉じてるなら、それでいい」

「霧なら、霧でいい」

「勝手に開けていい盤じゃない」


 風が吹いた。


 訓練場の土を、薄く撫でていく。


 リシアは、胸の奥で小さく息を吐いた。


 自分の魔法は読まれた。

 良樹の盤に入った。

 魔導インバーターになった。


 嬉しい。

 怖いくらい嬉しい。


 だが、だからこそ分かる。


 読まれることは、特別だ。


 クラリスは、微笑んだまま目を伏せた。


 見てほしかった。

 でも見せられなかった。


 何を閉じたのかは分かっている。

 良樹に見てほしい。

 けれど、奥を見られた後も、清楚な僧侶として立っていられるかは分からない。


 カレンは、木剣を胸の前で抱いた。


 自分も見てほしかった。

 でも、自分の奥は霧だった。


 何が怖いのか、まだ言葉にならない。

 何を隠したのかも分からない。


 だから、探さなければならない。


 良樹は魔導盤を閉じた。


 リシアから読めた回路で、魔導インバーターができた。

 小さな蒸気破裂もできた。

 一拍を作る手段が見えた。


 だが、読めたから使えるわけではない。

 読めないことは失敗ではない。


 読めたものがある。

 読めなかったものがある。


 そして、読めないままでいいものもある。


   ◇


 その夜。


 良樹は宿の部屋で、ひとり魔導盤を開いていた。


 昼の訓練場で見たものが、まだ頭から離れない。


 リシアからは読めた。

 クラリスさんには蓋があった。

 カレンは霧だった。


 人の奥は、勝手に開けていい盤じゃない。


 それは、もう分かった。


 だが、危険は拾わなければならない。


 カレンが踏み込める距離。

 戻れる距離。

 リシアが魔法を置ける距離。

 クラリスさんが止めに入れる距離。

 良樹が一拍を鳴らす距離。


 それらを全部、人の中から読もうとするな。


 良樹は魔導盤の端に置かれた、既存の魔導センサーを見た。


 魔力を持った動物以上が、範囲に入ったかどうか。

 どの位置のセンサーが反応したか。


 そこまでは、今の盤でも取れる。


 だが、それだけだ。


 入った。

 入っていない。

 どの線がオンした。


 それでは足りない。


「知りたいのは、距離だ」


 良樹は呟いた。


 魔物がいる。

 人がいる。

 獣がいる。


 それだけなら、今のセンサーでも分かる。


 だが、その相手が五十メートル先なのか。

 三十メートル先なのか。

 十メートル先なのか。

 もう五メートルまで来ているのか。


 そこが分からなければ、止める一拍を置く場所が決められない。


 良樹は、元の世界の部品を思い出した。


 レーザーセンサー。


 名前だけを思い出しても、魔導盤は反応しなかった。


 良樹は目を閉じる。


 部品の役割を思い出す。


 光を出す。

 対象に当たる。

 返ってくる。

 その返り方を見る。

 距離に変える。


 ただのオンオフではない。

 遮ったかどうかだけを見る部品ではない。


 知りたいのは、そこにいるかどうかではなく、どれだけ離れているかだ。


 最大五十メートル。

 精度は一メートル単位でいい。

 細かい寸法を測るわけじゃない。

 索敵と退避判断に使うだけなら、それで足りる。


 検知対象は、今までの魔導センサーと同じ。

 魔力を持った動物以上。


 ただの枝や岩を拾われても困る。

 見るのは、魔力を持って動くもの。


 その代わり、重い。

 普通の魔導センサーより、盤を食う。


 二倍。

 下手をすれば三倍。


 数は置けない。


「なら、一本を動かして使う」


 良樹がそう条件を置くたびに、魔導盤の端に小さな箱のような輪郭が浮かんだ。


 前面に、細い光を出す口。

 返りを受ける口。

 その奥に、距離を刻む荒い目盛り。


 まだ荒い。

 まだ揺れる。


 だが、ただのセンサーではない。


 距離を見る入力。


「……形は、見えたな」


 良樹は小さく息を吐いた。


 万能なんかない。

 どう使うかだけだ。


 高い部品を入れれば安全になるわけではない。

 距離が分かれば勝てるわけでもない。


 距離は答えではない。

 判断材料だ。


 だからこそ、要る。


 人の奥を勝手に開けないために。

 外の距離を見る入力を、盤に置く。


 良樹はもう一度、魔導盤へドライバーを当てた。


「ここから調整だな」


 細い光が、魔導盤の端で一瞬だけ伸びた。


 まだ安定しない。

 距離の返りも荒い。


 だが、入口は見えた。


 読めたものがある。

 読めなかったものがある。

 読まないと決めたものがある。


 その代わりに、良樹は外を見る線を作り始めた。


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