第77話 休むまで保たせる服(挿絵有)
翌日。
良樹たちは、ノーラの工房へ向かっていた。
昨日、ガレスは魔導空調服を町で預かると言った。
試す。
記録を取る。
勝手に広めさせない。
その判断は早かった。
だが、雑ではなかった。
工房へ着いた良樹は、入口の前で一度足を止めた。
「……集めたな」
中から聞こえる声の数が、明らかに多かった。
金属を叩く音。
炉の熱。
油と煤の匂い。
その中に、見慣れない人の気配が混じっている。
リシアが隣で少し眉を上げる。
「ガレスが?」
「たぶんな」
良樹は扉を押した。
工房の中には、すでに何人も集まっていた。
ノーラ。
ケーン。
そしてガレス。
さらに、門番らしい男が一人。
治療所の職員らしい女が一人。
工房側の若い作業者が一人。
作業台の周りには少し空間が空けられている。
その中央に、魔導空調服を置くための場所が用意されていた。
ガレスが良樹を見る。
「来たか」
「ああ」
「……町で試すって言った翌日に、ずいぶん集めたな」
「使う奴と、直す奴と、責任を取る奴を呼んだだけだ」
ガレスは肩をすくめた。
「町で試すと言った以上、使う奴抜きで決めても意味がねえだろ」
良樹は短く頷いた。
「正しい」
「使う奴抜きで決めると、大体ろくなことになる」
「ならない、でしょ」
リシアが横から即座に言った。
良樹は一拍置いてから頷く。
「そうだな」
「ろくなことにならねえ」
カレンが小さく笑った。
クラリスも口元に手を添える。
ノーラは作業台に肘をつき、良樹が抱えてきた魔導空調服を見た。
「で」
「これが噂の涼しくなる服かい」
「涼しくなる、だけなら半分だ」
良樹は魔導空調服を作業台に置いた。
「服の中に風を入れて、熱と湿気を逃がす服だ」
ケーンはすでに背中側を覗き込んでいた。
「……背中に二つ」
「小さい羽根か」
「いや、羽根だけじゃないな」
「ファンだ」
「中に小さい魔力モーターがある」
「服というより、半分は機械だな」
「ああ」
「だから工房で見るのが筋だ」
良樹は服を広げた。
作業着を改造した、無骨な試作一号機。
背中の腰上あたりに小型ファン二基。
腰に魔力石ホルダー。
胸元に回転数調整つまみ。
ファンの外側には、ノーラとケーンが突貫で作ったフィンガーガード。
見た目は、英雄譚の挿絵になるようなものではなかった。
不格好。
無骨。
道具。
良樹は、まず背中のガードを指で叩いた。
「ここ」
「ガードを外すと、魔力線が切れる」
「つまり回らねえ」
門番の男が眉を寄せた。
「そこまで要るのか?」
「触らなきゃいいだけだろ」
「必要だ」
良樹は即答した。
「触らなきゃいい、は設計じゃねえ」
「人は触る」
「子どもも触る」
「慌てた奴も触る」
「掃除中にも触る」
「壊れた時にも触る」
良樹はガードの隙間を指差した。
「指を入れて回る道具は、道具じゃなくて罠だ」
門番の男は、少しだけ黙った。
ノーラがにやりと笑う。
「いいね」
「面倒だけど、その面倒を惜しむ奴は道具を作っちゃいけない」
ケーンも頷いた。
「ただ、ガードは外して洗えた方がいい」
「粉も入る。汗も入る」
「工房で使うなら、掃除できないものはすぐ駄目になる」
「外せるようにする」
「でも外したら回らない」
「そこは絶対に残す」
良樹は記録板に書き込む。
ガード着脱式。
着脱時停止維持。
清掃性必要。
粉塵、汗、火の粉対策。
交換可能構造。
リシアはその横顔を見ながら、小さく息を吐いた。
「本当に、欠点が出ると嬉しそうね」
「欠点が出たなら直せる」
「褒められるより?」
「褒め言葉だけ持って帰る試験なんか信用できねえ」
ガレスが笑った。
「相変わらずだな」
「普通はもう少し喜ぶもんだぞ」
「喜ぶのは使えるようになってからだ」
◇
最初に試着したのは、工房の若い作業者だった。
良樹より少し若い男で、炉前の作業を手伝っているらしい。
汗の染みた作業着の上から、魔導空調服を羽織る。
「じゃあ、回すぞ」
「気持ち悪くなったらすぐ言え」
「熱い、寒い、痛い、変な匂い、音、何でもだ」
「分かった」
良樹は胸元のつまみを少し回した。
魔力石から淡い光が流れる。
背中の小型ファンが、低く回り始めた。
ぶん、と小さな音が鳴る。
服の中へ風が入る。
背中がわずかに膨らみ、首元と袖口から空気が抜けた。
若い作業者の目が丸くなる。
「……おお」
「背中が張りつかねえ」
ノーラが腕を組む。
「炉前だとどうだい」
「今は炉から離れてるから分からねえけど」
「外から扇いでるのとは違うな」
「服の中を通ってる」
良樹が頷いた。
「そこが肝だ」
「外から風を当てても、服の中の熱と湿気は残る」
「これは中に入れて、抜く」
門番の男も試す。
防具は着けていないが、剣帯を巻いた状態で羽織った。
「……悪くねえ」
「だが、腰の石が当たりそうだな」
「剣帯とぶつかる」
良樹はすぐに記録する。
「腰ホルダー位置、剣帯と干渉」
「防具下着用、別確認」
「座った時のファン干渉、要確認」
門番が苦笑する。
「まだ褒めてねえぞ」
「欠点が出る方が先だ」
ケーンが背中側を見る。
「座る仕事なら、ファンの位置はもう少し逃がすか」
「門番は立つだけじゃない」
「詰所で座ることもあるだろう」
ガレスが頷いた。
「ある」
「長時間の見張りは立ちっぱなしじゃねえ」
良樹はまた書いた。
「座位確認」
「背もたれ干渉」
「詰所運用確認」
治療所の女性も服を見ていた。
「治療所では、風量を落とせる方が良いかもしれません」
「患者に直接風が当たると、嫌がる人もいます」
「風量調整は要る」
「低風量固定も要るか」
良樹は書く。
低風量モード。
患者への風当たり。
音。
布の揺れ。
「多いな」
ガレスが呟いた。
「少ないくらいだ」
「言うと思った」
◇
男物の試着が一通り終わると、ノーラが魔導空調服を持ち上げた。
「で」
「問題は女物だね」
カレンの肩が、少しだけ跳ねた。
リシアがそれを見て、目を細める。
クラリスは静かに微笑んでいた。
第76話で、カレンはすでに一度着ている。
そこで、男物流用では駄目だと分かった。
だが、まだ比較が足りない。
良樹は記録板を持ち直した。
「カレン」
「もう一度、頼めるか」
「は、はい」
カレンは魔導空調服を受け取った。
試作一号機は、やはり少し大きい。
肩が余る。
袖も長い。
腰も緩い。
それでもカレンは丁寧に羽織り、前を押さえた。
「回すぞ」
「はい」
ファンが回る。
服がふくらむ。
背中から風が入り、首元と袖口へ抜ける。
カレンは目を閉じて、自分の身体の周りを流れる空気を確かめた。
「背中は楽です」
「首元から抜けます」
「袖にも少し流れます」
「前は……あまり溜まっていません」
良樹は背中側と脇、首元を順に見る。
「カレンは風路が素直だ」
「背中から入った風が、首と袖にちゃんと抜けてる」
「前側で詰まりにくい」
「……素直、なんですね」
カレンは、少しだけ複雑な顔をした。
リシアがすぐに気づく。
「カレン」
「そこで変な顔しないの」
「へ、変な顔はしてません」
クラリスが穏やかに言った。
「流路性能が高いということです」
「言い換えないでください……」
カレンは胸元をそっと押さえる。
良いことだ。
試験結果としては、きっと良い。
風が通るのだから。
だが、胸の奥に、妙に小さな棘が刺さる。
風が、止まらない。
それはつまり。
カレンは、そこで考えるのを止めた。
◇
次はリシアだった。
「……私も着るのね」
「比較が要る」
「分かってるわよ」
リシアは魔導空調服を羽織った。
カレンより肩幅は合う。
だが、腰の形が違う。
胸元も、服の前側の布に当たり方が違った。
良樹が回転数を低くして起動する。
背中に風が入る。
リシアはすぐに眉を寄せた。
「……ちょっと」
「前、膨らみすぎじゃない?」
服の内側を通った風が、腰で少し絞られ、上に逃げる。
そして胸元で溜まった。
首元へ抜ける前に、前側の布がふわりと持ち上がる。
良樹は真面目に見た。
「前側で風が止まってるな」
「腰で絞られて、上に逃げた風が胸元で溜まってる」
「首元へ抜ける前に圧が残ってる」
リシアの目が細くなる。
「今、どこを見て言ったの」
「風路だ」
「便利ね、その言葉」
「便利じゃなくて必要な観察だ」
クラリスが口元に手を添えた。
「ですが良樹くん」
「観察対象が非常に誤解を招きます」
「誤解じゃなくて、現象だ」
「現象と言えば許されると思わないで!」
リシアの声が工房に響いた。
ノーラは楽しそうに笑っている。
ケーンは、笑っていいのか判断できず、金具を見ているふりをしていた。
良樹は記録板へ書く。
リシア。
腰絞りで上方流路変化。
胸元で圧溜まり。
首元抜け不足。
前側膨らみ過多。
カレンはその文字を、少しだけ見てしまった。
胸元で、風が止まる。
自分とは違う。
◇
次はクラリスだった。
クラリスはいつもの清楚な微笑みのまま、魔導空調服を羽織った。
「では、私は治療所で使う前提で確認しますね」
「ああ」
「頼む」
良樹が低速で起動する。
背中から風が入り、服がわずかに膨らむ。
クラリスは最初に普通に立った。
次に、患者を覗き込むように前屈みになる。
さらに、誰かの腕を支えるように片膝を少し曲げた。
その瞬間、胸元の布が前へ浮いた。
クラリスはすぐに頷く。
「治療所では、このままでは少し困りますね」
「どこがだ」
「前屈みになった時です」
「胸元に風が溜まると、患者さんを見る時に布が浮きます」
「それに、風が患者さんへ直接当たりすぎる場面もあります」
良樹は腕を組んだ。
「なるほど」
「リシアと同じで、前側で風が止まる」
「治療姿勢だと、前側の膨らみが邪魔になる」
「風量を落とすか、前じゃなく脇へ逃がす必要がある」
「はい」
「忙しい時ほど、使いにくいものは使われません」
良樹の目が動いた。
「それだ」
「忙しい時に使われねえなら、現場道具として欠陥だ」
クラリスは微笑む。
「治療役を守るための服なら、治療中に邪魔をしてはいけません」
「ああ」
「治せる人間を倒さないための服だ」
「でも、治療の邪魔をするなら本末転倒だ」
良樹は記録する。
治療所用。
低風量モード必要。
前屈み姿勢で胸元膨らみ抑制。
患者へ直接風を当てすぎない。
脇、肩口、背中側への逃がし。
静音性確認。
カレンは、その横で自分の胸元をそっと見下ろしていた。
リシアも、クラリスも。
胸元で風が止まった。
自分は、止まらなかった。
「……私は」
小さな声が漏れた。
リシアが振り向く。
「カレン?」
「い、いえ」
「いいことです」
「欠陥が少ないのは、いいことです……」
クラリスの目が少しだけ細くなる。
「カレン」
「今の言い方は、かなり自分を傷つけています」
「傷ついてません……」
「風が通りますから……」
リシアは額に手を当てた。
「その言い方がもう傷ついてるのよ」
良樹は、そこでようやくカレンを見た。
遅かった。
かなり遅かった。
だが、気づいた。
「カレン」
「は、はい」
カレンは顔を上げる。
良樹は記録板を下ろした。
「前にも言ったが」
「はい」
「俺は、女の胸が大きいとか小さいとかは気にしねえぞ」
工房の空気が止まった。
カレンの目が丸くなる。
次の瞬間、顔が一気に赤くなった。
「よ、良樹さん……!」
リシアが叫んだ。
「そういうことを!」
「工房の真ん中で!」
「真顔で言うんじゃない!」
クラリスも、珍しく少し強めに言った。
「良樹くん」
「慰めようとしている方向は分かります」
「ですが、足元確認をしていません」
「羞恥の段差で転んでいます」
「段差?」
「はい」
「今、カレンが落ちました」
「落ちてません……!」
カレンは両手で顔を覆った。
ノーラが腹を抱えて笑う。
「ははっ」
「兄ちゃん、女心の配線が雑だねえ」
「雑なのか」
「雑よ!」
リシアが即答した。
「雑です」
クラリスも頷いた。
良樹は少し困った顔をする。
「落ち込んでるように見えたから」
「落ち込んでましたけど」
「それを言われると、もっと恥ずかしいです……!」
カレンは顔を覆ったまま、小さく言った。
「……でも」
三人の声が止まる。
「少しだけ」
「嬉しかったです」
リシアは深くため息を吐いた。
「そこで喜ぶから、良樹が学習しないのよ……」
「必要ではあったと思います」
クラリスは静かに言った。
「ただし、言い方はかなり問題でした」
「言い方か」
良樹は眉間に皺を寄せた。
少し考える。
それが良くなかった。
考えた結果、良樹はさらに踏み込んだ。
「いや」
「言い方が悪かったのは分かった」
「でも、俺は本当にそういう意味で気にしてねえ」
リシアの目が細くなる。
「良樹」
「そこで止まりなさい」
クラリスも微笑みながら言う。
「良樹くん」
「これ以上具体的にすると危険です」
「抽象的だと伝わらねえだろ」
「伝えなくていい具体性もあるのよ!」
リシアの制止は間に合わなかった。
良樹は、半ば腹を括った顔でカレンを見る。
「カレン」
「は、はい」
「俺は、カレンの胸も好きだぞ」
工房の空気が、もう一度止まった。
さっきより深く止まった。
「良樹?」
リシアの声が、一段低くなる。
しかし良樹は止まらなかった。
止まれなかった。
「その」
「掌にちゃんと収まるけど」
「しっかり有る感じとか」
言った瞬間、良樹の脳裏に、以前の事故がよみがえった。
倒れそうになったカレンを抱きとめた時。
手のひらに残った、柔らかい感触。
ふにん。
良樹は固まった。
カレンも固まった。
だが、カレンの頭の中では、良樹以上にはっきりと、その時の記憶が戻っていた。
倒れそうになった自分を、良樹が抱きとめた。
良樹の手が、自分の胸をしっかり掴んでいた。
痛いほどではない。
乱暴でもない。
けれど、逃げ場がないくらい、ちゃんと手のひらに収まっていた。
あの時、自分は恥ずかしすぎて、まともに考えられなかった。
でも。
今、良樹が言った。
掌にちゃんと収まるけど。
しっかり有る感じ。
つまり、良樹も覚えていた。
それを。
あの感触を。
しかも。
カレンの胸も好きだ、と。
大きいとか小さいとかではなく。
自分の胸を。
自分の身体を。
自分を、女の子として。
良樹さんが、好きだって。
「……っ」
カレンの顔が、一気に赤くなった。
頬だけではない。
耳も。
首も。
胸元まで、熱くなる。
恥ずかしい。
ものすごく恥ずかしい。
今すぐしゃがみ込みたい。
できれば工房の床板の隙間に入りたい。
でも。
嬉しい。
嬉しすぎる。
恥ずかしさと嬉しさが同時に胸の中で跳ねて、カレンの頭は完全に処理能力を超えた。
「い、嫌じゃ……」
「ない、です……」
リシアが目を見開く。
「カレン?」
「嫌じゃないですけど」
「えっと」
「その」
「良樹さんの手が」
「前に、ちゃんと……」
そこまで言って、カレンは自分が何を言いかけたのか理解した。
「……っ!」
両手で顔を覆う。
「な、何でもありません!」
「今のは何でもありません!」
「思い出してません!」
「何を!?」
リシアが叫ぶ。
クラリスは口元に手を添えた。
「思い出してしまったのですね」
「思い出してません……!」
良樹も、同時に思い出して固まっていた。
「……悪い」
「今のは、俺も思い出した」
「良樹ぃぃぃ!」
リシアの声が工房に響いた。
クラリスは静かに言う。
「両者とも記憶の復元が完了しています」
「実況しない!」
カレンは顔を覆ったまま、声を震わせた。
「うぅ……」
「嫌じゃ、ないんです」
「嫌じゃないんですけど……」
「恥ずかしくて」
「嬉しくて」
「どうしたらいいか、分かりません……」
膝が少し抜ける。
良樹が慌てて手を出しかけた。
リシアが即座に叫ぶ。
「触らない!」
「まだ触ってねえ!」
「今触ると、追加事故になります」
クラリスが冷静に言った。
ノーラは、もう完全に笑っていた。
「ははははっ!」
「若いねえ」
「いや、いいじゃないか」
「好きな男に、自分の身体も好きだって言われたんだ」
「そりゃ熱も上がるさ」
「ノーラ……!」
「言わないでください……!」
「悪い悪い」
「でも、悪い熱じゃないだろ?」
カレンは顔を覆ったまま、小さく頷いた。
「……悪い熱じゃ、ないです」
良樹は、その言葉で黙った。
リシアは深くため息を吐く。
「駄目だわ」
「これは良樹が学習しない」
クラリスは微笑む。
「ですが、カレンは救われました」
「救われ方が危険すぎるのよ」
ノーラは、笑いながらも、少しだけ声を柔らかくした。
「それにね、カレン」
「は、はい……」
カレンは顔を覆ったまま、小さく返事をする。
「男ってのは、胸も好きだが」
「華奢な体つきも、それはそれで好きなんだよ」
「自信持ちな!」
「きゃ……華奢……」
カレンの顔が、さらに赤くなる。
ノーラは、にやりと笑って良樹を見た。
「実際、兄ちゃんは必死にフォローしようとしてるじゃないか」
「やり方はまあ、だいぶ危なっかしいけどね」
「だいぶどころじゃないわよ」
リシアが即座に突っ込む。
クラリスも静かに頷いた。
「足元確認をせず、床を抜き、地下まで落としました」
「そこまでか」
良樹が低く呟く。
「そこまでです」
クラリスは即答した。
ノーラは笑いながら続けた。
「でもね」
「惚れた男がここまでフォローしてくれようとしてくれたんだ」
「いつまでも気にしてちゃ、女が廃るよ!」
カレンは、顔を覆った手を少しだけ下げた。
「……女が、廃る」
「そうさ」
「胸がどうとか、風が通るとか」
「そういうので自分を下げるんじゃない」
「その身体で惚れた男の隣に立つんだろ?」
「だったら、堂々としてな」
カレンは、ぽかんとノーラを見た。
その言葉は、からかいのようで。
でも、ちゃんと優しかった。
ノーラはそこで、作業台の向こうにいるケーンを見た。
「ねぇ、あんた」
ケーンは、工具を持ったまま、うんうんと深く頷いていた。
「うん」
「胸もいい」
「華奢なのもいい」
「というか、好きな女なら、どっちもいい」
工房の空気が、また止まった。
ノーラは満足そうに笑った。
「ほらね」
リシアが額に手を当てる。
「この夫婦、強いわね……」
クラリスは静かに微笑む。
「説得力があります」
カレンは、胸元に手を当てたまま、小さく息を吸った。
「……はい」
「少しだけ」
「自信、持ちます」
良樹は、それを見て少しだけ表情を緩めた。
「少しじゃなくていい」
カレンが良樹を見る。
良樹は、今度は余計な具体性を足さなかった。
「ちゃんと持て」
「俺は、カレンがいいと思ってる」
カレンの顔が、また赤くなる。
けれど今度は、俯かなかった。
「……はい」
リシアは小さく息を吐いた。
「最後だけ、本当にちゃんと良いのよね」
クラリスも頷く。
「はい」
「最後だけは」
「途中は?」
良樹が聞く。
「全部駄目よ」
リシアの声が、工房に響いた。
◇
良樹は、しばらくしてから記録板を持ち直した。
リシアが警戒する。
「今の流れで、何を記録するつもり?」
「必要なことだ」
良樹は書いた。
女性用は体型差で優劣をつけない。
身体に合わせて風路を作る。
服に身体を合わせさせない。
本人が嫌にならず、ちゃんと着られる形にする。
前側で詰まらないことは利点。
ただし、それを本人が劣等感として受け取るなら、設計側の説明が悪い。
カレンは顔を覆ったまま、指の隙間から良樹を見た。
良樹は、少しだけ視線を落としてから言った。
「カレン」
「は、はい」
「お前に合う形も、ちゃんと作る」
「流れがいいからそれで終わりじゃねえ」
「お前が着て、嫌じゃない形にする」
カレンは、まだ赤い顔のまま、小さく笑った。
「……はい」
「お願いします」
リシアは腕を組む。
「最後だけは、ちゃんと良かったわね」
クラリスも頷いた。
「はい」
「最後だけは」
良樹は眉を寄せた。
「途中は駄目だったのか」
「全部駄目よ!」
◇
ノーラが手を叩いた。
「さて」
「若い子らの甘酸っぱい事故はそのくらいにして」
「最大負荷試験といこうか」
カレンがまた顔を赤くする。
リシアは額を押さえる。
クラリスは微笑む。
良樹は、咳払いした。
「最大負荷?」
「そうさ」
ノーラは魔導空調服を受け取る。
ノーラは、胸が大きい。
かなり大きい。
本人はまったく気にした様子もなく、職人として服を羽織った。
「こういう身体でも使えなきゃ、女物とは言えないだろ」
その一言で、良樹の顔が真面目に戻った。
「ああ」
「その通りだ」
ノーラが魔導空調服を着る。
起動する。
背中から風が入る。
腰までは通る。
だが、そこから上で明らかに流れが止まった。
胸元の布が持ち上がる。
首元へ抜ける前に、前側で圧が溜まっている。
ノーラは自分の胸元を見下ろし、すぐに言った。
「……駄目だね」
良樹は記録板を構える。
「どこがだ」
「前だよ」
「背中から風は入ってる」
「腰まではいい」
「けど、ここで止まる」
「上に抜ける前に、前で溜まっちまう」
良樹は頷く。
「前側流路不良」
「胸元で圧が溜まる」
「首元への抜け不足」
「脇か肩口に逃がしが要るな」
「そういうこった」
ノーラは魔導空調服の前を軽く摘まむ。
「女物ってのは、男物を小さくした服じゃない」
「肩も腰も胸も違う」
「まして、これは風を通す服だ」
「身体に合ってなきゃ、見た目が悪いどころじゃない」
「道具として欠陥品になる」
良樹は深く頷いた。
「危ないってより、欠陥だな」
「男物をそのまま縮めただけじゃ、女物にはならねえ」
「風が通らない」
「動きにくい」
「前が膨らみすぎる」
「足元が見えにくい」
「治療や作業姿勢に干渉する」
「それで嫌になって着なくなる」
良樹は記録板に線を引いた。
「使われねえ道具は、不良だ」
「使う人間に合ってねえ時点で、設計ミスだ」
ノーラは満足そうに笑った。
「ようやく服の話になってきたね」
良樹は書く。
女物は別型紙。
体型差ごとの風路確認。
胸元で溜めない。
前を膨らませすぎない。
脇、肩、背中側へ抜く。
腰の絞りで風を殺さない。
身体に服を合わせる。
服に身体を合わせさせない。
◇
そこまで確認したところで、門番の男が魔導空調服を見ながら言った。
「しかし、これが使えるなら」
「夏場の交代を少し延ばせるかもしれねえな」
その言葉に、工房の空気が変わった。
門番の男に悪気はなかった。
ただ、思ったことを口にしただけだ。
炉前の若い作業者も続ける。
「炉の前でも、これなら長く立てるかもな」
「生産量も上がるんじゃねえか」
治療所の女性も、少しだけ考える顔をした。
「治療所でも、休憩を減らせれば……」
「違う」
良樹の声が、低く落ちた。
全員が良樹を見る。
良樹は記録板を下ろしていた。
「これは、仕事を増やす服じゃねえ」
工房の音が、遠くなる。
「同じ仕事をして、負担を減らす服だ」
良樹は門番を見る。
「交代を延ばすな」
「休憩を削るな」
「涼しいから大丈夫、じゃねえ」
「涼しくして、同じ仕事を安全に終わらせるための道具だ」
次に、炉前の若い作業者を見る。
「炉の前に長く立たせるための服じゃねえ」
「同じ時間、同じ仕事をしても、熱で判断が鈍りにくくする服だ」
「終わったら休め」
最後に、治療所の女性を見る。
「治療役を休ませなくていい服でもねえ」
「治療役が倒れる前に、休憩まで保たせる服だ」
良樹は短く息を吐いた。
「これを着せて仕事を増やすなら」
「俺は作らねえ」
沈黙。
クラリスが静かに続けた。
「楽に感じることと、消耗していないことは違います」
「汗が乾けば、身体から水は抜けます」
「倒れる前に戻すための服です」
リシアも言う。
「魔力石が残っていても、身体が残っているとは限らないわ」
カレンは、まだ少し赤い顔のまま、けれど真面目に口を開いた。
「見張りで倒れる人を減らすためで」
「倒れるまで見張らせるためじゃ、ないです」
ガレスが、ゆっくり頷いた。
「聞いたな」
その声は、町の責任者のものだった。
「魔導空調服を理由に、勤務時間を延ばすこと、休憩を削ること、配置人数を減らすことを禁止する」
「涼しいから休ませねえ、は無しだ」
門番の男が、少しだけ背筋を伸ばした。
「……分かった」
炉前の若い作業者も頷く。
「悪かった」
「楽になるなら、その分やれると思っちまった」
良樹は首を横に振る。
「そう思うのは自然だ」
「だから先に潰す」
「そこを間違えると、これは人を守る道具じゃなくなる」
ノーラは、静かに良樹を見ていた。
「兄ちゃん」
「あんた、やっぱり現場の人間だね」
「そうか?」
「そうさ」
「道具を作るだけじゃなく、使われ方まで見てる」
「そこを見ない道具は、人を壊す」
良樹は何も言わなかった。
◇
その後、ガレスは試験運用の形を決めた。
「まず三着だ」
良樹が頷く。
「門番」
「治療所」
「工房」
「ああ」
「ただし、持ち帰る前にここで仕様を詰める」
「記録表も作る」
「勝手に増やさない」
「勝手に売らない」
「休憩削減に使わない」
良樹は記録項目を書き出した。
使用時間。
使用場所。
魔力石残量。
水を飲んだ回数。
休憩時間。
気分が悪くなったか。
風量。
服の膨らみ。
防具や作業姿勢との干渉。
座った時の邪魔。
ファンへの粉塵、火の粉、異物。
患者への風当たり。
清掃状況。
ガード外し停止の確認。
着用者が嫌がった点。
ガレスが顔をしかめる。
「多いな」
「少ないくらいだ」
「本当に言いやがった」
リシアが小さく笑う。
治療所の女性は、記録項目を見ながら頷いた。
「水を飲んだ回数は、確かに必要ですね」
「忙しいと忘れます」
クラリスが頷く。
「忘れた時ほど、倒れます」
門番の男も、渋い顔で言う。
「休憩時間を書くのは面倒だな」
良樹は即答した。
「面倒だから効く」
「面倒じゃない記録は、だいたい誰も見ねえ」
ケーンが苦笑した。
「それは分かる」
ノーラは魔導空調服を作業台へ戻した。
「で、ファンと魔力モーターは兄ちゃんにしか作れないんだったね」
「ああ」
「今のところはな」
「だが、枠、ガード、ホルダー、服側の加工、清掃構造」
「そこは職人の仕事だ」
ノーラは腕を組んだ。
「なら、こっちはこっちでやるさ」
「服屋も呼ぶ必要があるね」
「女物は特にだな」
「男物もだよ」
「工房用、門番用、治療所用」
「全部同じ服で済むと思うな」
「だな」
良樹はまた記録する。
用途別型。
門番用。
治療所用。
工房用。
女性用別型紙。
体型差対応。
リシアがその文字を見た。
「どんどん増えるわね」
「増えるのが普通だ」
「使う場所が違うなら、同じ道具で済む方がおかしい」
◇
話が一段落したところで、リシアが魔力石を見た。
「良樹」
「何だ」
「魔力石への充魔力は、見習い魔導士に任せられるかもしれないわ」
ガレスが反応する。
「戦闘に出せねえ魔導士見習いはいる」
「魔力はあるが、魔法が荒い奴もな」
「そういう人でも、魔力石に魔力を込める仕事ならできるかもしれません」
リシアの声には、少し期待があった。
だが良樹は、すぐに首を横に振った。
「最初から仕事にするな」
リシアは少しだけ眉を上げる。
「分かってるわよ」
「試験でしょ」
「ああ」
「誰が込めても同じ時間動くとは限らねえ」
「属性で回り方が変わる可能性もある」
「容量違いを間違えない形もいる」
「交換目安もいる」
「色分けもいる」
「弱い石を満充填扱いされたら事故る」
ガレスが呆れたように笑う。
「お前、本当に夢を壊すのが早えな」
「事故る夢なら壊す」
ノーラが膝を叩いて笑った。
「いいねえ」
「その言葉、工房の壁に書いておきたいくらいだ」
「やめろ」
「嫌な標語になる」
「事故る夢なら壊せ」
「悪くないじゃないか」
リシアは苦笑した。
「良樹らしいわね」
◇
夕方近く。
作業台の上には、魔導空調服と記録用紙が並んでいた。
そこに集まっていたのは、冒険者だけではない。
門番。
治療所の者。
工房の職人。
町の責任者。
皆が、武器でも防具でもない服を真剣に見ていた。
良樹は記録板を見下ろした。
そこには、良い点よりも欠点の方が多く並んでいる。
防具との干渉。
腰ホルダー位置。
座った時のファン。
女性用前側流路不良。
治療所用低風量モード。
工房用粉塵・火の粉対策。
清掃性。
水分補給記録。
休憩記録。
魔力石残量。
充魔力品質差。
リシアが横から覗き込む。
「欠点だらけね」
「ああ」
カレンが少し不安そうに聞く。
「大丈夫、なんでしょうか」
良樹は頷いた。
「大丈夫だ」
「欠点が出たなら、直せる」
クラリスが微笑む。
「出なかった欠点の方が怖いですね」
「そういうことだ」
ノーラは腕を鳴らした。
「直し甲斐があるねえ」
ケーンも頷く。
「枠から作り直しかな」
ガレスは頭を掻いた。
「三着で済むのか、これ」
「済まねえかもな」
良樹は記録板を閉じた。
「でも、最初は三着だ」
「試して、記録して、直す」
敵を倒す道具ではない。
門を破る力でもない。
英雄を飾る力でもない。
けれど、門に立つ者が倒れる前に戻れる。
治す者が、治される側に回らずに済む。
炉の前に立つ者が、壊れる前に手を止められる。
風は、戦わない。
だが、戦う前に倒れる者を減らす。
働く者が、壊れる前に戻る道を作る。
魔導空調服は、仕事を増やすための服ではない。
同じ仕事をする人間の、負担を減らすための服だ。
良樹の第二発明は、ノーラの工房で欠点を並べられながら、町の道具として初めて分解され始めた。




