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第75話 風を着る

 ギルドの奥の部屋で、良樹は右手を開いた。


 何も出してはいない。


 ただ、自分の右手を見ていた。


 ガレスは机の向こうで腕を組んでいる。

 リシアは良樹の横に立ち、魔力の流れを見るように目を細めていた。

 カレンは少し斜め後ろ。

 クラリスは良樹の肩と呼吸を見ている。


 いつもの並びだった。


 ただし、今日は報告だった。


「で」


 ガレスが口を開いた。


「その新しい腕ってやつは、使えるのか」


「使えない」


 良樹は即答した。


 ガレスの眉が上がる。


「早いな」


「正確に言えば、まだ使う段階じゃねえ」


 良樹は右手を握り、また開いた。


「あれはオーガ戦の時の暴走腕とは違う」

「リシアに魔力の流れを見てもらった」

「カレンに怖いところを見てもらった」

「クラリスに非常停止を頼んだ」

「その上で、出して、動かして、止めた」


「随分と面倒くせえ腕だな」


「面倒くさくしてある」

「面倒くさくない力は、だいたい危ない」


 ガレスは一拍置いて、低く笑った。


「お前らしいな」


「まだ威力を見る段階じゃねえ」

「制御できるか」

「止められるか」

「俺が止まれなくなった時に、こいつらが止められるか」

「そこを見ただけだ」


 リシアが少しだけ肩をすくめた。


「だけ、って言うほど軽くはなかったけどね」


 カレンも小さく頷いた。


「良樹さん、ちゃんと解除しました」

「私たちが飛びつく前に」


 クラリスが穏やかに続ける。


「危険入力を認識して、先に止めました」

「良い停止でした」


「評価するな」


「評価します」

「必要なことですから」


 良樹は少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。


 ガレスは四人を順に見た。


「なるほどな」

「武器の報告ってより、止め方の報告か」


「ああ」


「英雄の腕じゃねえな」


「違う」


 良樹は即答した。


「少なくとも今は、英雄の腕じゃねえ」

「俺が止まるための腕だ」


 部屋に少しだけ沈黙が落ちた。


 ガレスはしばらく良樹を見ていたが、やがて椅子の背もたれへ体を預けた。


「分かった」

「その腕については、無理に使わせねえ」

「使う時は先に俺に話せ」


「ああ」


「それと」


 ガレスは視線を窓の外へ向けた。


 外では、昼前の光が町の屋根に落ちている。

 まだ真夏ではない。

 だが、日差しは少しずつ強くなっていた。


「そろそろ暑くなってくる」


「暑く?」


「ああ」

「毎年、身体を悪くする奴が出る」

「下手すりゃ死人も出る」


 良樹の目が少しだけ細くなった。


 ガレスは続ける。


「衛兵」

「冒険者」

「鍛冶屋」

「荷運び」

「治療所の人間」

「炎天下で立つ奴も、炉の前で働く奴も、血と汗と薬草の匂いがこもった部屋で動く奴もいる」


 クラリスの表情がわずかに変わった。


 治療所。


 その言葉に反応したのだろう。


「魔法使いがいりゃ、氷魔法で涼むこともできる」

「風魔法で空気を動かすこともできる」

「だが、普通はそうはいかねえ」


 ガレスは鼻で笑った。


「結局、気合いでどうにかしてる」


「気合いでどうにかするもんじゃねえ」


 良樹の返事は早かった。


 早すぎて、ガレスが少しだけ笑う。


「だろうな」

「お前ならそう言うと思った」


「暑さは気合いで勝つ相手じゃねえ」

「身体が壊れる」

「本人が大丈夫って言ってても、もう大丈夫じゃねえことがある」


 良樹は言いながら、少し黙った。


 暑さ。

 熱。

 湿気。

 汗。

 服の中にこもる空気。


 現場。


 夏場の盤前。

 熱のこもった工場。

 汗で張りつく作業着。

 安全靴の中の蒸れ。

 ヘルメットの下の熱。

 休憩所へ戻った時に、ようやく身体が自分のものに戻る感覚。


 そして。


 空気を動かすこと。


 良樹の目が、少し変わった。


 リシアがそれに気づく。


「良樹?」


「……それなら」


 良樹は立ち上がった。


「何とか出来るかもしれねえ」


 ガレスの目が細くなる。


「何を思いついた」


「まだ分からん」

「試してから言う」


 リシアは軽くため息を吐いた。


「もう帰る顔ね」


 カレンが慌てて良樹の前へ回る。


「あ、あの」

「ちゃんと歩いて帰りましょう」


 クラリスも静かに言った。


「良樹くん、走らないでください」

「まだ完全に戻ったわけではありません」


「分かってる」

「今回は、飛ばねえ」


 良樹は自分の腰のあたりを見た。


 最初にこの世界へ来た日。

 自分を川へ撃ち込んだ、止め方のない魔導モーター。


 あれを思い出す。


「回すだけだ」


   ◇


 拠点の作業場へ戻ると、良樹はすぐに試験台の前に立った。


「まずは、ただの円盤だ」


 良樹の掌の上に、小さな円盤が現れる。


 半透明ではある。

 だが、ただの魔導盤の光とは違った。


 薄い。

 丸い。

 中央に小さな軸穴のようなものがある。


 リシアが覗き込む。


「それで風を作るの?」


「違う」

「これはテスト用だ」

「三人の魔力で、外のものを回せるか見る」


 良樹は円盤を空中に置いた。


 ふわり、と浮く。

 まだ回らない。


「リシア」

「ゆっくり回してみてくれ」


「分かったわ」


 リシアは杖を持たず、指先だけを軽く向けた。


 風でも火でも水でもない。

 ただ、魔力の流れが円盤に触れる。


 円盤が回った。


 ゆっくり。

 滑らかに。

 速度の揺れも少ない。


「問題ないわね」


「やっぱりリシアは外へ出す魔力が安定してるな」


「魔法使いだから当然でしょ」


 リシアは少し得意げに言った。


 良樹は頷き、次にカレンを見る。


「カレン」

「次、頼む」


「は、はい」


 カレンは少し緊張した顔で円盤を見る。


 剣ではない。

 身体でもない。

 怖い場所でもない。

 目の前に浮かぶ、小さな円盤。


 カレンはそこへ魔力を伸ばした。


 円盤が回る。


 だが、少し揺れた。


 速くなったり、遅くなったりする。

 止まりはしない。

 しかし、リシアの時のようにはいかない。


「ま、回りますけど……」

「少し、怖いです」

「どこに力を置けばいいのか、分かりにくいです」


「身体の外で、回す対象が定まらねえんだな」


 良樹はそう言い、円盤の動きを見ていた。


 カレンの魔力は弱いわけではない。

 ただ、置き方が違う。

 怖い場所へ先に置く。

 剣へ流す。

 身体と位置を通して使う。


 空中の円盤を直接回すような使い方とは、相性が良くない。


「十分だ」

「止めていい」


「はい」


 カレンがほっと息を吐く。


 次にクラリスが前へ出た。


「私ですね」


「ああ」

「頼む」


 クラリスは小さく頷いた。


 円盤へ魔力を流す。


 回る。


 だが、やはり揺れる。

 カレンよりは落ち着いているが、リシアのような滑らかさはない。


 クラリスは目を細めた。


「回せます」

「ただ、身体の中で流す時より、少し落ち着きません」

「外へ置いたものを、私が直接動かしている感じです」


「やっぱりか」


 良樹は腕を組んだ。


「リシアは外へ出す」

「カレンとクラリスは、身体や接触しているものを通した方が安定する」

「なら、直接回させるのは違う」


 リシアが首を傾げる。


「違うなら、どうするの?」


「回転への変換を、こっちでやる」


 良樹は、掌を開いた。


 小さな円盤が消える。


 そして、良樹は自分の中にある、古い失敗へ手を伸ばした。


 魔導モーター。


 腰に顕現し、自分の脚を勝手に押し出し、川へ射出した力。


 あれは、止め方がなかった。

 速度制限もなかった。

 非常停止もなかった。


 動かすだけの、最悪の出力だった。


 だが、概念そのものは残っている。


 回転。

 出力。

 軸。

 魔力を動力へ変える感覚。


 そこへ、藤田吾郎の《魔導工廠》の感覚が重なった。


 軸。

 保持。

 外枠。

 部品。

 残るもの。

 手に取れる形。


 良樹の掌の上で、小さなものが形を取り始めた。


 半透明の光ではない。


 輪郭だけの魔法でもない。


 小さな筒。

 中央に通る軸。

 軸を支える外枠。

 魔力を受ける細い筋。

 回転子のような内部構造。


 それは、掌に乗るほど小さなモーターだった。


 良樹は息を止めた。


「……残ってる」


 リシアが目を細める。


「良樹」

「それ、消えないの?」


「ああ」


 良樹は指先でつまんだ。


 硬い。


 軽い。

 だが、確かに物だ。


「消えねえ」


 カレンが息を呑む。


「それは……道具なんですか?」


「ああ」

「道具だ」


 良樹は小さなモーターを見つめた。


「今までの魔導モーターは、俺の中の回路だった」

「身体を動かすための出力だった」

「でも、これは違う」


 胸の奥が少しだけ熱くなる。


「藤田さんのスキルが噛んだ」

「魔導工廠が、回転を部品として外に出してる」

「軸も、保持も、外枠もある」

「魔力で作ってるのに、物として残る」


 クラリスが静かに言う。


「良樹くんがいなくても、そこに残るのですね」


「ああ」

「魔力を入れれば、たぶん回る」


 良樹は小さく息を吐いた。


「魔力モーター」

「……そう呼ぶしかねえな」


 リシアは、その小さな部品を見ていた。


「魔導モーターじゃなくて?」


「あれは俺の能力の中のモーターだ」

「これは物だ」

「魔力で回る、物理部品だ」

「だから、魔力モーター」


 良樹は試験台に魔力モーターを置き、先ほどの円盤を軸へ取り付けた。


「次は、こいつに魔力を流す」

「円盤を直接回すんじゃねえ」

「モーターへ魔力を入れて、モーターが回す」


 まずはリシア。


 リシアが魔力を流す。


 魔力モーターが回る。

 円盤が滑らかに回った。


「さっきより楽ね」

「回すというより、流せば勝手に回る」


「そうだ」

「回転への変換を、モーター側でやってる」


 次にカレン。


 カレンは少し緊張しながら、魔力モーターへ魔力を流した。


 回った。


 先ほどとは違う。

 円盤は綺麗に回る。

 少し遅いが、揺れが少ない。


「あ……」

「さっきより、怖くないです」

「どこへ力を置くか、分かりやすいです」


「モーターが受け口になってる」

「お前が円盤を直接回してるんじゃねえ」

「モーターに渡して、モーターが回してる」


 カレンは、回る円盤を見つめた。


 怖い場所に置く剣とは違う。

 けれど、受けてくれる場所がある。

 そこへ流せばいい。


 だから、怖さが少ない。


 最後にクラリス。


 クラリスが魔力を流す。


 円盤は安定して回った。


「これは、身体への負荷も少ないです」

「私が無理に外へ回している感じではありません」

「魔力を受け取る場所が、先に用意されています」


「よし」


 良樹は頷いた。


「魔力の使い方が違っても」

「モーターを挟めば、回転に変えられる」


 その声には、確信があった。


   ◇


「次は、風だ」


 良樹は円盤を外した。


「円盤は、ただ回るだけだ」

「風は少し出るが、効率が悪い」

「風を作るなら、風を掴む形がいる」


 藤田の手記。

 魔導工廠。

 レシプロ機。

 プロペラ。

 羽根。

 空気を掴む面。

 逃がす面。

 軸。

 保持。

 ぶれない回転。


 小さな魔力モーターの軸に、半透明の羽根が重なっていく。


 薄い羽根。

 少しだけ捻れた面。

 中央の軸受。

 外へぶれないように支える輪郭。


 カレンが目を丸くした。


「形が、違います」


「ああ」

「円盤じゃねえ」

「ファンだ」


 良樹が魔力を流す。


 小さな羽根が、ゆっくり回り始めた。


 最初は低速。

 次に、少しだけ上げる。


 ふわり、と風が出た。


 リシアの黒髪が、ほんの少し揺れた。

 カレンの前髪が額から離れる。

 クラリスの法衣の袖が、小さく膨らむ。


 三人が同時に瞬きをした。


「……風?」


 リシアが呟く。


「風だ」


「魔法じゃなくて?」


「魔法じゃねえ」

「風魔法でもねえ」

「ただ、回してる」

「回して、空気を動かしてる」


 クラリスは袖口へ当たる風を見た。


「円盤の時とは違います」

「空気が、こちらへ押されています」


「羽根の角度で、空気を掴んで後ろへ押す」

「それで風が出る」


 カレンは少しだけ前に出て、手をかざした。


「魔法使いじゃなくても、風を作れるんですね」


「ああ」

「そこが大事だ」


 良樹は、回るファンを見た。


 小さい。

 まだ弱い。


 だが、風は出た。


 魔法ではない風が。


 この世界で、風は魔法使いが起こすものだ。

 リシアのような魔法使いが、魔力を外へ出し、空気を動かす。

 冷やすなら氷。

 温めるなら火。


 だが、これは違う。


 魔力を回転に変え、回転で空気を動かしている。


 魔法現象ではなく、機械現象だった。


「……いける」


 良樹は低く言った。


 リシアが首を傾げる。


「何が?」


「風を作れる」

「魔法使いじゃなくても」

「魔力を流せば、機械で風を作れる」


 カレンが手を下ろす。


「それで、暑さを?」


「まだだ」


 良樹は首を振った。


「風は出た」

「でも、これだけじゃ意味がねえ」


 リシアが少し驚く。


「意味がないの?」


「扇風機ならこれでいい」

「外から風を当てるだけなら、団扇でも魔法でもいい」

「俺が作りたいのは、それじゃねえ」


 良樹は、自分の作業着を指で摘まんだ。


「服の中に、風を通す」

「外から当てるんじゃねえ」

「服の内側を、風が抜けるようにする」


 クラリスの目が少し細くなる。


「身体の表面にこもった熱や湿気を、逃がすのですね」


「ああ」

「ファンだけじゃ駄目だ」

「服に組み込まないと意味がねえ」


 良樹は、自分の胸元を少し引っ張った。


「汗は、かくだけじゃ駄目だ」


 リシアが首を傾げる。


「汗は、身体を冷やすために出るものじゃないの?」


「ああ」

「でも、ただ濡れてりゃいいわけじゃねえ」

「汗が服の中に残って、湿ったままだと、気持ち悪いだけじゃない」

「熱が逃げにくくなる」


 良樹は指で空気の流れを描いた。


「汗は乾く時に、身体の熱を持っていく」

「だから風を通す」

「汗を乾かして、身体の熱を逃がす」

「空気が動かなきゃ、乾きにくい」

「乾かなきゃ、熱を持っていきにくい」


 クラリスが静かに頷く。


「水を蒸発させる時に、熱を奪うのですね」


「そうだ」

「汗をかく」

「風で乾かす」

「その時に熱を逃がす」

「空調服は、そこを助ける」


「くうちょうふく?」


 カレンが聞き返した。


「空気を調整する服」

「服の中の空気を動かす服だ」

「ただし」


 良樹は三人を見た。


「涼しく感じるからって、水を飲まなくていいわけじゃねえ」

「むしろ気づかないうちに水が抜ける」

「休憩もいる」

「これは、休ませなくていい服じゃねえ」


 クラリスの表情が真剣になる。


「涼しく感じても、身体の水は減っているのですね」

「本人が楽だと思って、無理を続ける可能性があります」


「ああ」

「使い方を間違えると危ない」


 リシアが少しだけ笑った。


「便利なものを作ろうとしているのに、最初から危ない話をするのね」


「便利なものほど危ない」

「使う奴が増えるからな」


 良樹は魔力モーターとファンを見た。


「まずは、俺の作業着に付ける」


「今から?」


「今からだ」


 三人が同時に、ほんの少しだけ顔をしかめた。


 良樹は先に言った。


「突っ走らねえ」

「見る役は頼む」

「リシアは魔力の流れ」

「カレンは巻き込みそうな場所と、怖いところ」

「クラリスは身体への負荷」

「何かあったら止める」


 リシアは一拍置いて、頷いた。


「分かったわ」


 カレンも真面目な顔で頷く。


「見ます」


 クラリスは微笑んだ。


「止めます」


「そこは見るでいい」


「止めます」


「……頼む」


   ◇


 仮組みは、ひどく無骨だった。


 良樹は作業着の背中、腰より少し上に小型ファンを二つ仮固定した。

 魔力モーターは、まだ良樹が具現化したままの部品だ。

 ただし、消えない。

 そこに残っている。


 腰には魔力石を入れるための仮ホルダー。

 胸元には回転数を絞るための小さなつまみ。

 緊急停止用の紐も付ける。


 紐を引けば、魔力線が切れる。

 ファンが止まる。


 良樹は仮組みした作業着を羽織った。


「行くぞ」


「ゆっくりよ」


「ああ」


 魔力を流す。


 背中の二つのファンが回った。


 ぶうん、と小さな音。


 作業着が、少し膨らんだ。


 首元から風が抜ける。

 袖口からも、わずかに空気が流れる。

 裾からも空気が逃げている。


 カレンが目を丸くした。


「服が膨らみました」


「中に風が入ってる」


 リシアは魔力の流れを見ていた。


「流れは安定してる」

「でも、上げすぎると風が荒れるわね」


「ああ」

「回転数制限がいる」


 クラリスは良樹の顔と呼吸を見ていた。


「呼吸は?」


「問題ない」

「むしろ楽だ」


「涼しいですか?」


 カレンが聞く。


「涼しい」

「外から風を浴びてるんじゃねえ」

「服の中の熱が抜けてる」


 良樹は首元から抜ける風を手で受けた。


 弱い。

 だが、確かに違う。


 服の中にこもる熱が動いている。

 湿気が抜ける。

 背中に布が張りつく感じが薄い。


「……これは、いける」


 そう言った直後だった。


 カレンが眉を寄せた。


「良樹さん」

「腰袋の紐が、近いです」


「どこだ」


「右のファンの下です」

「動いた時に、吸い込まれるかもしれません」


 良樹はすぐに止めた。


 ファンが止まる。


「記録だな」

「紐、布、髪」

「巻き込み対策がいる」


 クラリスも言う。


「座った時、背中の部品が当たりそうです」

「転んだ時も危険です」


「固定位置も考え直しだ」


 リシアがファンを覗き込む。


「指も危ないわね」

「触れたら、切れるほどではないかもしれないけど」


「切れるかどうかじゃねえ」

「入る構造がある時点で駄目だ」


 良樹は作業着を脱いだ。


「風は作れた」

「服の中にも通った」

「でも、このままじゃ駄目だ」

「ガードと固定具がいる」

「服も見ないと駄目だ」

「職人の手がいる」


 リシアはすぐに理解した。


「ノーラとケーンね」


「ああ」

「行くぞ」


 クラリスが良樹の前に立つ。


「歩いて行きます」


「分かってる」


「作業着は脱いで行きます」


「分かってる」


「走りません」


「分かってる」


 カレンが小さく笑った。


「三回言われました」


「信用がない」


「実績があります」


 クラリスは清楚に言った。


 良樹は反論しなかった。


   ◇


 ノーラとケーンの工房は、いつも通り熱かった。


 炉の熱。

 金属の匂い。

 油。

 煤。

 叩かれた鉄の余韻。


 良樹は作業着と小さな魔力モーター、それにファンを抱えて入った。


 ノーラは腕を組んで、良樹を見た。


「今度は何だい」


「便利なもん作った」


「見りゃ分かるよ」

「変なもんだってことはね」


「着てみろ」


「アタシが?」


「ああ」

「鍛冶場なら一発で分かる」


 ノーラはしばらく良樹を見ていた。


 それから、面倒くさそうに鼻を鳴らした。


「いいよ」

「そこまで言うなら、着てやる」


 良樹は仮組みの作業着を説明しながら、ノーラに渡した。


 背中に二つの小さなファン。

 腰に魔力石ホルダー。

 胸元につまみ。

 緊急停止用の紐。


 見た目は、正直よくない。


 ノーラは眉を寄せた。


「格好よくはないね」


「試作品だ」


「売る気あるなら、見た目もいるよ」


「まだ売る話をしてねえ」


「するだろう?」


「聞け」


 良樹が魔力石ホルダーへ仮の魔力石を入れる。

 今回は良樹が充魔力した石だ。


「魔力を流す」

「ファンが回る」

「服の中に風が入る」

「首元と袖口と裾から抜ける」


「外から扇ぐんじゃないのかい」


「違う」

「中へ入れて、抜く」


 ノーラは眉を上げた。


「ふうん」


 起動。


 ファンが回る。


 ノーラの着た作業着が、少しだけ膨らんだ。

 炉の熱は変わらない。

 暑いことは暑い。


 だが、首元から風が抜ける。

 袖口から、こもった熱気が逃げる。

 背中に張りつきそうだった布が、張りつかない。


 ノーラが黙った。


 炉の前へ一歩近づく。


 まだ暑い。


 だが、違う。


 服の中に溜まる熱が、明らかに抜けている。


 長い沈黙のあと、ノーラは低く言った。


「……良樹」


「何だ」


「これ、売る気あるかい」


「まだ試作品だ」


「売る気あるかい」


「だから聞け」


 ケーンは、ノーラの背中のファンをじっと見ていた。


「外から風を当ててるんじゃないな」

「入れる場所と、抜ける場所がある」

「服全体が、風の通り道になってる」


「ああ」

「だから服がいる」

「ファンだけじゃ意味がねえ」


「なら、服の形が大事だ」

「抜け道がないと膨らむだけだな」

「固定する場所も決めないといけない」

「毎回違う場所に付けたら、風も変わる」


「だから相談に来た」


 ケーンは頷いた。


「一個だけなら手で合わせればいい」

「十個作るなら、穴位置を決める」

「枠を決める」

「同じ向きで付いて」

「同じように外せて」

「同じように直せるようにする」


「治具か」


「そうだ」


 良樹は思わず笑った。


「ケーンさん、めちゃくちゃ現場分かってるな」


 ノーラが胸を張る。


「うちの亭主を舐めるんじゃないよ」


「舐めてねえ」

「かなり助かる」


 良樹は次に、小さな魔力モーターを作業台へ置いた。


「それと」

「これを見てほしい」


 ノーラの目が変わった。


「……消えないのかい」


「ああ」

「消えねえ」

「俺の魔導モーターの概念と、藤田さんの魔導工廠が噛み合った」

「物理部品として残ってる」


 ケーンが慎重に手に取る。


「軽い」

「だが、軸がある」

「外枠もある」

「……これは、部品だな」


「魔力モーター」

「魔力を入れると回る、小さな部品だ」

「俺にしか作れないかもしれねえ」

「でも、どこまで再現できるか見てほしい」


 ノーラが目を細めた。


「再現?」


「ああ」

「全部を今すぐ再現しろとは言わねえ」

「しばらくは俺が作る」

「小さいから、何個かなら作れる」

「でも、俺一人で全部は無理だ」


 良樹は指を折った。


「モーターそのものが無理でも」

「外枠」

「固定」

「ガード」

「服」

「魔力石ホルダー」

「交換部品」

「そこは頼みたい」


 ノーラはにやりと笑った。


「そういうことなら、話は早い」


「ただし、条件がある」


「出たね」


 良樹はファンを指差した。


「子どもの指が入らない幅」

「布の端が吸い込まれない形」

「髪が巻き込まれにくい吸気方向」

「掃除できるように外せる」

「でも使用中には外れない」

「羽根が割れた時、破片が外へ飛ばない」

「ガードを外した状態では起動しない」


 ノーラが額に手を当てた。


「多いね」


「少ないくらいだ」


「こんな小せえ羽根で指が飛ぶかい」


「飛ぶかどうかじゃねえ」

「入る構造がある時点で駄目だ」


 ケーンが小さく頷いた。


「壊れた時のことを先に見てるんだな」


「壊れる前提で作る」

「壊れた時に、人を巻き込まないようにする」


 ノーラはしばらく良樹を見ていた。


 そして、にやりと笑う。


「気に入った」

「そういう面倒くせえ注文は嫌いじゃないよ」


 良樹はさらに続けた。


「ガードそのものを回路に入れる」

「ガードが付いてる時だけ、魔力線が繋がる」

「外れたら止まる」


 ノーラが目を丸くする。


「服の風車にまで安全回路かい」


「回るものには全部いる」


「そこまでやるのかい」


「外して使う馬鹿が絶対に出る」


 ノーラは即答した。


「いるね」


 ケーンも頷く。


「いるな」


 リシア、カレン、クラリスも同時に頷いた。


「いますね」


 良樹は三人を見た。


「そこは揃うのか」


「揃うわよ」

「人は外すもの」


 リシアが言った。


「危ないと言われても、外す人はいます」


 カレンが続く。


「外した方が風が強い、と言う人が出ますね」


 クラリスが静かに締めた。


 良樹は深く頷いた。


「だから外したら回らないようにする」


   ◇


 魔力石ホルダーの話になった時、リシアがふと口を開いた。


「良樹」

「これ、使う人が魔力を流さなくてもいいの?」


「魔力石に込めておけばな」


「なら、見習い魔導士でも仕事にできるかもしれないわ」


「見習い?」


 良樹が顔を上げる。


 リシアは魔力石ホルダーを見ながら言った。


「強い魔法は使えない」

「戦闘にも向かない」

「でも、魔力を込めることはできる人がいる」

「そういう人が、魔力石に魔力を込める仕事ならできる」


 良樹は少し黙った。


 魔力石。

 魔力を込める。

 使う。

 切れたら替える。

 戻して、また込める。


「……充電屋みてえなもんか」


「じゅうでん?」


「いや、こっちなら充魔力か」

「魔力石に魔力を込める仕事」


 ノーラが笑う。


「道具を作るだけじゃなく、仕事まで増やす気かい」


「俺が増やすんじゃねえ」

「必要なら、勝手に増える」

「ただし、品質管理はいる」


 良樹はすぐに指を折り始めた。


「魔力石の容量」

「込めた量」

「属性」

「使用時間」

「交換目安」

「異常時の停止」

「全部決めないと事故る」


 ケーンが魔力石ホルダーを見た。


「交換式にした方がいいな」

「作業中に切れたら、石を差し替える」

「同じ形、同じ向きで入るようにする」


「逆差し防止もいる」

「容量違いの印もいる」

「属性石は色分けだな」


 ノーラが肩を揺らして笑った。


「また面倒くさいこと言い出したよ」


「逆に入って動く道具は信用できねえ」


 リシアが少し考え込む。


「魔法があるから、逆に抜けてたのかもしれないわね」


「何がだ」


「風を起こすなら風魔法」

「冷やすなら氷魔法」

「温めるなら火魔法」

「そう考えるのが普通だった」


 良樹は頷いた。


「俺の世界でも、冷やす道具はあった」

「でも、こいつは冷やす道具ってより、逃がす道具だ」


「逃がす?」


「熱と湿気を、服の中に溜めない」

「身体の周りの空気を動かす」

「汗を乾かす」

「汗が乾く時に、身体の熱を持っていく」

「それだけだ」


 ノーラが炉の前で、低く笑った。


「それだけ、ね」

「現場じゃ、その“それだけ”が革命だよ」


 良樹は返事をしなかった。


 ただ、試作中の作業着を見た。


 武器ではない。


 敵を倒すものではない。

 魔法の威力を上げるものでもない。

 英雄の見た目を飾るものでもない。


 だが、暑さで身体を壊す前に、少し余裕を作れる。


 それだけで、十分だった。


   ◇


 その日の工房は、途中から完全に突貫製作の空気になった。


 ノーラは金属枠を叩き出す。

 ケーンは穴位置と固定具を決める。

 良樹は魔力モーターとファンを具現化し、回転数制御と停止条件を組む。

 リシアは魔力の流れを見る。

 カレンは巻き込みそうな位置、危ない紐、座った時の当たりを見る。

 クラリスは良樹の肩、呼吸、集中のしすぎを見る。


「良樹くん」

「右肩が上がっています」


「今いいところだ」


「だから止めています」


「……分かった」


 良樹は一度手を止める。


 カレンがすぐに水を差し出した。


「飲んでください」


「ああ」


 リシアは魔力線を見ながら言う。


「ここの流れ、ガード側を通したら?」

「ガードが外れたら切れるんでしょ」


「そうだ」

「羽根より先にガードだ」

「ガードがないなら、回らない」


 ノーラが叩いた金属枠を水で冷やす。


「ここまでやるなら、売り物にする時は高くなるよ」


「安全を削って安くするな」


「分かってるよ」

「言ってみただけさ」


 ケーンが小さな導通片を枠へ組み込む。


「これで、ガードが閉まった時だけ繋がる」

「外れたら切れる」


「助かる」


「ただ、掃除の時は外せるようにしないと詰まる」


「そこも要る」


 作業は続いた。


 背中に二つの小型ファン。

 金属製のフィンガーガード。

 腰に魔力石ホルダー。

 逆差しできない形。

 胸元に回転数調整つまみ。

 緊急停止紐。

 内側には簡易の風路。

 首元、袖口、裾へ空気が抜けるように、服の一部を調整する。


 見た目は無骨だった。


 格好いいとは言いづらい。

 背中に小さな風車を二つ背負っているようにも見える。

 腰のホルダーも、胸元のつまみも、いかにも突貫品だった。


 だが。


 形になった。


 夕方近く。


 良樹は、完成した作業着を見た。


「……できたな」


 ケーンが頷く。


「試作品だ」


 ノーラも腕を組む。


「売り物じゃないね」

「でも、動く」


 良樹は頷いた。


「ああ」

「動かす」


 良樹が作業着を着る。


 三人が即座に周囲へ立った。


 リシアは魔力の流れを見る。


「魔力の流れは安定してる」

「ただ、上げすぎると風が荒れるわ」


 カレンは腰と背中を見る。


「ここ、腰袋の紐が近いです」

「座る時は背中の部品に注意してください」

「転んだ時、背中から落ちると危ないです」


 クラリスは良樹の顔と呼吸を見る。


「呼吸は楽そうです」

「肩の力も抜けています」

「ただし、冷やしすぎは駄目です」

「汗が乾くから大丈夫、ではありません」

「水を飲んでください」


「分かってる」

「水は飲む」

「休憩も取る」

「これは、働き続けるための道具じゃねえ」


 良樹は腰の魔力石ホルダーへ、充魔力した魔力石を差した。


 向きは一方向にしか入らない。


 カチリ、と小さな感触。


「逆差しなし」


 ケーンが頷く。


「なしだ」


 良樹は胸元のつまみを最小へ戻した。


「低速から行く」


 リシアが頷く。


「いいわ」


 カレンが息を呑む。


「見ています」


 クラリスが静かに言う。


「止めます」


「だから、見るでいい」


「止めます」


「……頼む」


 良樹はつまみを少しだけ回した。


 ぶうん、と。


 背中で、小さな音が鳴った。


 二つのファンが回る。


 作業着が、少しだけ膨らむ。


 首元から風が抜けた。

 袖口から空気が流れた。

 裾から、こもった熱が逃げていく。


 炉の熱はまだある。

 工房は暑い。

 汗も出る。


 それでも、違った。


 服の中の空気が動いている。

 背中に張りつくはずの布が、張りつかない。

 首元から抜ける風が、こもった熱を外へ連れていく。


 良樹は目を細めた。


「……涼しい」


 リシアが目を見開く。


「本当に服の中を風が通ってるのね」


 カレンが袖口に手を近づける。


「外から扇いでいるのと、違うんですか?」


「違う」

「服の中の熱が抜ける」

「身体の周りの空気が入れ替わる」


 クラリスが静かに微笑んだ。


「壊れる前に、余裕を作る服ですね」


 良樹は頷いた。


「ああ」


 そして、少し考えてから言った。


「魔導空調服だ」


 ノーラがその名前を聞いて、鼻を鳴らした。


「名前は硬いけど、悪くないね」


 ケーンは背中のファンを見ていた。


「まだ直すところは多い」

「固定も、ガードも、風路も、もっと詰められる」


「分かってる」

「突貫試作だ」

「まだ売り物にはできねえ」


 ノーラが笑う。


「でも、売る気はあるんだろう?」


「聞け」


「聞いてるよ」

「売る気あるかい」


「だからまだ試作品だって言ってるだろ」


 リシアが小さく笑った。

 カレンも、ほっとしたように笑う。

 クラリスは良樹の呼吸を確認しながら、静かに微笑んでいた。


 良樹は、背中で回る二つの小さなファンの音を聞いた。


 懐かしい感覚だった。


 夏場の現場。

 汗で張りつく作業着。

 腰に付いたファンの音。

 首元から抜ける風。

 それでも暑くて、水を飲み、日陰で息を吐いた記憶。


 良樹にとって、それは知っている風だった。


 だが。


 リシアが目を見開き、カレンが袖口から抜ける空気に手をかざし、クラリスが良樹の呼吸を見ながら静かに微笑んでいる。


 ノーラは売り物の匂いを嗅ぎ取り、ケーンはもう次の固定枠を考えている。


 この世界にとっては、初めての風だった。


 魔法ではない風が、作業着の内側を通っている。


 敵を倒す道具ではない。

 誰かを強く見せる道具でもない。

 英雄の一撃でもない。


 ただ、暑さで身体が壊れる前に。

 倒れる前に。

 少しだけ、余裕を作る道具。


 その日、この世界で初めて、風を着る服が動いた。

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