第66話 何歳になっても男の子(挿絵有)
藤田式補助リンクの試験から、一週間が過ぎた。
その一週間で、町は少しずつ変わっていた。
ギルド本部。
正門。
西門。
旧街道側の見張り台。
第一中継点。
治療所。
冒険者詰所。
そこには、仮設の魔石信号器が置かれた。
まだ完成品ではない。
木枠は急ごしらえ。
魔石の固定も仮。
符号表も、使いながら書き直している途中。
それでも、光は届いた。
定時確認。
復唱。
異常なし。
見落とし。
符号違い。
光量不足。
雨天時、要再確認。
そういった言葉が、町の一部に少しずつ馴染み始めていた。
ガレスは冒険者に復唱手順を叩き込んでいた。
ニルは文句を言いながら、符号表の写しを運んでいた。
門番たちは、最初は半信半疑だったが、遠くの光が本当に意味を持つと分かると、扱いが少し変わった。
町は、まだ何も起きていない時に、何かが起きた時の準備を始めていた。
良樹は、それを確認しながら、別のものも進めていた。
藤田吾郎の手記。
古い紙。
かすれた文字。
この世界で六十年を生きた、一人の日本人の記録。
軸。
歯車。
カム。
リンク。
クラッチ。
保持。
位置決め。
動力伝達。
良樹の《魔導盤》とは違う。
藤田の《魔導工廠》は、線を繋ぐだけではない。
力を形にする。
機構として現す。
動きを部品として外へ出す。
最初にそれを見た時、良樹は思った。
これは、遠い。
自分の《魔導盤》とは別物だ。
だが同時に、こうも思った。
繋げる。
全部は無理だ。
藤田の六十年を、一週間でなぞれるはずがない。
あの老人が積み上げたものを、二十八の若造がそのまま扱えるはずもない。
けれど、入口だけなら。
自分の盤に、藤田式の入口だけを落とし込むことはできるかもしれない。
良樹は、その一週間、ずっとそれを考えていた。
もちろん、三人は見ていた。
リシアは、作業場に降りる回数を増やした。
カレンは、良樹が紙を持ったまま固まっている時間を数えた。
クラリスは、肩の張りと呼吸の浅さを見ていた。
監視はしていた。
していたのだが。
良樹は、隠れていた。
露骨に隠れていたわけではない。
だが、三人が見ていない隙に、少しだけ進める。
寝る前に、少しだけ考える。
朝、誰よりも早く起きて、少しだけ盤を見る。
その「少しだけ」が、良樹にとって本当に少しだけで終わるはずがなかった。
◇
その日の朝。
良樹は、作業場の前で三人を待っていた。
妙に姿勢がいい。
目が明るい。
腰袋もいつも通り。
だが、顔がいつもと違った。
何かを説明したくて仕方ない顔だった。
リシアは、その顔を見た瞬間、半眼になった。
「……良樹」
「何だ」
「その顔、何かできた顔ね」
「ああ」
良樹は即答した。
隠す気がない。
カレンは、胸元で両手を握った。
「あ、あの……危ないものですか?」
「危なくならないように作った」
「それは、危ないものの説明にも聞こえます……」
クラリスは良樹の目元を見た。
「嬉しそうですね」
「ああ」
良樹は、少しだけ口元を緩めた。
「かなりな」
リシアは眉を寄せる。
「魔石通信の改良?」
「それもある」
「でも今日は違う」
「藤田の手記?」
「ああ」
「入口だけだが、形になった」
三人の空気が変わった。
藤田吾郎。
グランドマスター。
昭和二十年の日本から来た老人。
六十年分の手記を良樹へ渡した、日本人の先達。
その名が出るだけで、軽くは流せない。
良樹は、作業場の奥ではなく、家の外へ向かった。
「町外れへ行く」
「ここでは試せねえ」
「試すものなのね」
「試すものだ」
リシアが杖を持つ。
カレンが剣を確認する。
クラリスが法衣の袖を整える。
いつもの流れだった。
ただし、良樹だけが少し違う。
歩き方に、落ち着きがない。
危険へ向かう時の緊張ではない。
依頼前の集中でもない。
現場確認の硬さでもない。
楽しみにしている子どもの足取りだった。
◇
町外れの野原。
何度も試験に使った場所だ。
周囲に人影なし。
家畜なし。
荷車なし。
射線の先に道なし。
背後に退避場所あり。
的に使える大岩あり。
良樹はいつものように確認した。
確認は、いつも通りだった。
だが、声の弾みだけが少し違った。
「よし」
「ここならいい」
リシアは腕を組んだ。
「それで」
「何を見せるの?」
良樹は三人を見た。
「まず、魔導盤のストック数が増えた」
カレンが目を見開く。
「増えた、というと」
「三枚だ」
「ただ、これ以上は増えねえってのは、感覚で分かる」
三人が息を止めた。
良樹の《魔導盤》は、これまで少しずつ形を変えてきた。
最初は、斥候盤。
逃げるための脚力補助。
スキャナー。
警報。
やがて、自立盤。
三人と繋ぐための支援盤。
通信。
端子台。
個別インバータ。
共通ブレーカー。
それが、三枚。
良樹は、胸元に半透明の盤を浮かべた。
「斥候盤」
線が走る。
「脚力補助」
「簡易スキャナー」
「警報」
「退避方向確認」
「移動補助」
盤の輪郭が、少し奥へ引いた。
「自立盤」
別の線が浮かぶ。
「魔石通信受信」
「符号確認」
「端子台接続」
「三人への出力補助」
「個別インバータ」
「共通ブレーカー」
そして。
良樹は、少しだけ息を吸った。
「打撃盤」
胸の前ではなく、右腕の外側に、薄い光が走った。
「クランクリンクアーム式インバータ制御打撃機構盤」
沈黙。
野原の風が、草を揺らした。
リシアが、短く言った。
「長い」
カレンが困ったように眉を下げる。
「え、えっと……覚えにくいです」
クラリスは、とても真面目な顔で言った。
「良樹くん」
「とても分かりやすいですが、とても格好悪いです」
「格好悪くねえだろ」
良樹は即座に反論した。
「クランクで回転を直線に変える」
「リンクアームで腕の外側へ伝える」
「インバータで立ち上がりと加速を絞る」
「打撃機構として出す」
「だから、クランクリンクアーム式インバータ制御打撃機構盤だ」
リシアは額に手を当てた。
「説明されると、余計に長いわ」
「正確だろ」
「正確だけど長いのよ」
「仕様名だからな」
「大体ね」
リシアは良樹を指さした。
「そんな長い名前、いざって時にすぐ言えないでしょ」
良樹は一切淀まなかった。
「クランクリンクアーム式インバータ制御打撃機構盤」
三人が黙った。
リシアが、ゆっくり瞬きをする。
「……言えたわね」
カレンも頷く。
「言えました……」
クラリスも静かに言う。
「言えてしまいましたね」
「仕様名だからな」
「間違える方が怖い」
「そういう問題じゃないのよ」
「言えることが、余計に問題なのよ」
リシアは大きく息を吐いた。
「戦闘中は絶対に打撃盤って呼びなさい」
「俺は正式名称でも言えるが」
「言えるから駄目なの」
カレンがおずおずと手を上げた。
「あ、あの」
「別名をつけるのはどうでしょうか」
「別名?」
「はい」
「戦闘中は打撃盤として」
「普段の呼び方だけ、少し短く……」
リシアが頷く。
「それはありね」
「《旋撃》とか」
良樹が微妙な顔をした。
「何だその急に格好つけた名前は」
「あなたに言われたくないわよ」
リシアは続ける。
「《螺旋衝》」
「《機鋼拳》」
カレンも少し考える。
「《守護拳》とか」
「《拳補助盤》とか」
「えっと……《良樹さんを壊さない拳》とか」
「最後だけ急に説明的だな」
良樹が言うと、カレンは耳を赤くした。
「だ、だって大事なので」
クラリスは静かに微笑んだ。
「では」
「《壊さぬ拳》」
「《慈悲の鉄槌》」
「《救済打撃》」
「《悔い改めの拳》」
空気が少し冷えた。
リシアが、クラリスを見る。
「慈悲なのに鉄槌なの?」
「はい」
「壊れる前に止める慈悲です」
カレンが小さく震える。
「慈悲って、殴るものなんですか……?」
「時には」
「僧侶の返事じゃないわよ、それ」
クラリスは清楚に微笑んでいた。
怖い。
良樹は少しだけ考えた。
「戦闘中は打撃盤」
「三人内の通称は……壊さぬ拳、くらいか」
クラリスの目が少しだけ嬉しそうに細くなる。
「採用ですね」
「ただし正式名称は変えねえ」
リシアが即座に言う。
「戦闘中は打撃盤」
「分かった」
「本当に?」
「打撃盤」
「よし」
◇
良樹は右腕を前に出した。
右腕の外側に、半透明の軸が浮かぶ。
最初は一本の線に見えた。
だが、よく見ると違う。
小さな円盤。
その端に付いた短い腕。
そこから伸びるリンク。
拳の外側に沿う、半透明の機械要素。
金属ではない。
魔力でできている。
けれど、それは明らかに機構だった。
魔導盤の線ではない。
ただの魔法の光でもない。
動くための形。
力を伝えるための形。
外側から腕を支えるための形。
良樹の目が、見たことのないくらい輝いていた。
「見ろ」
声が弾んでいた。
「腕に機構だぞ」
リシアは黙っていた。
「クランクだぞ」
「リンクだぞ」
「しかもインバータ制御だぞ」
良樹は、自分の右腕の外側に浮いた機構を見た。
「男の子なら光るだろ!」
「二十八でしょ、あなた」
「二十八でも光るものは光る」
即答だった。
カレンは、そんな良樹を見て、少しだけ目を丸くしていた。
「良樹さん……」
「すごく嬉しそうです」
「ああ」
良樹は否定しなかった。
「嬉しい」
クラリスは良樹の顔を見た。
「休めてはいませんが」
「心は少し軽そうですね」
「そう見えるか」
「はい」
良樹は、右腕を少しだけ動かした。
半透明の円盤が、ゆっくり回る。
短い腕が動く。
リンクが押される。
拳の外側へ、力の流れが伝わる。
「戦えるようになったから嬉しいんじゃねえ」
良樹は言った。
三人の視線が集まる。
「もちろん、戦闘で使えるなら大事だ」
「俺が自分で止められる場面が増えるなら、それは意味がある」
「でも、そこじゃねえ」
良樹は右腕の外側を見た。
「腕の外側に、機構があるんだぞ」
「クランクが回る」
「リンクが動く」
「回転を直線に変えて」
「力の向きを変えて」
「拳の外側へ逃がす」
「それをインバータで立ち上げて、加速して、止める」
声が、少しだけ熱くなる。
「これを」
「俺が作れたんだ」
良樹の目は、魔物を殴る男の目ではなかった。
昔、画面の中で巨大な機械が腕を動かすのを見ていた少年の目だった。
リシアは、少しだけ呆れたように笑った。
「本当に、変なところで嬉しそうにするわね」
「変じゃねえ」
「変よ」
「でも」
リシアは、右腕の外側の機構を見た。
「嬉しい理由は、分かったわ」
カレンも頷いた。
「良樹さんは」
「強くなったからではなくて」
「作れたことが嬉しいんですね」
「ああ」
良樹は笑った。
「そうだ」
クラリスは、右腕の機構と良樹の肩を交互に見た。
「だからこそ危険です」
「嬉しい時ほど、身体を忘れます」
「忘れねえよ」
「忘れます」
即答だった。
良樹は反論できなかった。
◇
試し打ちは、大岩を的にした。
良樹は距離を測った。
周囲を確認した。
足場を見た。
右腕を軽く回した。
「三割出力」
「立ち上がりを絞る」
「打点は中央より少し下」
「反動は肘じゃなく、外側リンクへ逃がす」
「一発ずつ確認」
「異常があれば停止」
リシアは少し離れた位置で魔力の流れを見る。
「分かったわ」
カレンは退避方向と周囲を見る。
「人影なし」
「後方も大丈夫です」
クラリスは良樹の右腕を見る。
「手首、肘、肩」
「腰の向き」
「呼吸」
「見ます」
「頼む」
良樹は大岩の前に立った。
拳を握る。
右腕の外側で、半透明の円盤が回り始めた。
ぎゅん、ではない。
急に立ち上がらない。
ゆっくり。
確かに。
インバータで立ち上げるように、回転が増していく。
クランクが動く。
リンクが押される。
拳の外側に、力が乗る。
「行くぞ」
一発目。
良樹の拳が大岩へ入った。
鈍い音。
大岩の表面が、浅くへこんだ。
リシアの目が細くなる。
「今の……」
良樹はすぐに拳を引いた。
「反動確認」
クラリスが答える。
「手首への残りは少ないです」
「肘も大きく跳ねていません」
「肩に少しだけ来ています」
「肩か」
「はい」
「二発目で増えるなら止めます」
「ああ」
良樹はもう一度構えた。
二発目。
一発目と同じ間隔。
同じ軌道。
同じ打点。
大岩に、二つ目のへこみができた。
三発目。
また同じ間隔。
打撃音が揃っていた。
乱れていない。
強く殴りたいだけの拳ではない。
同じ威力を、同じ打点に、同じ間隔で置いている。
良樹は、三発目の直後に停止した。
リンクを戻す。
軸を止める。
残留魔力を逃がす。
右腕の機構が、静かに薄くなった。
良樹は息を吐いた。
「……止まった」
その声には、安堵と喜びが混ざっていた。
リシアは大岩を見る。
へこみは三つ。
大きく砕けてはいない。
派手な破壊ではない。
だが、三つの跡が揃っていた。
「この短期間で、よくここまで仕上げたわね」
リシアが言った。
カレンも、大岩の跡を見る。
「良樹さんの拳で……」
「本当に、止められるんですね」
クラリスは良樹の右腕を見ていた。
「威力」
「連打数」
「停止」
「全部、制御できています」
「手首、肘、肩への残りも少ないです」
良樹の顔が、さらに明るくなった。
「だろ」
完全に嬉しそうだった。
「威力はまだ上げられる」
「でも、まずはここだ」
「立ち上がり、打撃間隔、停止」
「ここが揃わないと実戦じゃ使えねえ」
リシアは苦笑する。
「喜ぶところも、やっぱりそこなのね」
「そこだろ」
「止まらねえパワードアームなんて怖くて使えねえよ」
「ぱわーど……何?」
「腕の外側に機械的な補助機構をつけて、力を増幅したり動きを支えたりするやつだ」
「ロボアニメだと腕がこう、ガシャンって――」
良樹は右腕を動かした。
語彙が急に雑になった。
「ガシャンってなって」
「ウィーンってなって」
「ドンだ」
リシアが半眼になる。
「急に説明が雑になったわ」
「浪漫は擬音なんだよ」
「知らないわよ」
カレンは少しだけ笑っていた。
クラリスも、柔らかく微笑んだ。
良樹が、嬉しそうだった。
それだけで、三人の空気は少しだけ柔らかくなった。
◇
一通り打撃盤を確認したあと、良樹はふいに表情を変えた。
「だが」
三人が見る。
「藤田さんからスキルを継承してから、もっと重大な変化があった」
空気が張った。
打撃盤よりも重大。
藤田式の入口。
魔導工廠。
右腕の機構。
それ以上の何か。
三人は自然と身構えた。
リシアの手が杖へ寄る。
カレンが剣の柄に触れる。
クラリスが良樹の右腕を見る。
良樹は、ゆっくり腰袋へ手を入れた。
そして、おもむろに一本のドライバーを取り出した。
沈黙。
リシアが、低い声で言う。
「……良樹」
「いいか、見てろよ」
良樹は本気だった。
冗談ではない。
目が本気だった。
ドライバーを右手に持つ。
魔力を流す。
軸の周囲に、薄い光が走った。
以前の魔導ドライバーとは違う。
軸の外側に沿って、半透明の刃が形成される。
先端の形は、ドライバーとして残っている。
だが、その周囲に、細く鋭い魔力の刃が立っていた。
長さが変わる。
刃の厚みが変わる。
光の強さが、細く絞られる。
良樹の目が、完全に少年の目になった。
「藤田さんの能力を受け継いだことで」
一拍置く。
「魔導ドライバーが」
さらに一拍。
「魔導電工ナイフドライバーへ進化した!」
三人は黙った。
野原の風が、また草を揺らした。
リシアが、ぽつりと言う。
「……また工具なのね」
「工具だろ!」
「めちゃくちゃ重要だろ!」
「打撃盤の話より?」
「場合によっては上だ」
「上なの!?」
リシアの声が裏返った。
良樹は止まらない。
「こいつぁすげぇぞ」
「刃の長さが調整できる」
「切れ味も絞れる」
「被覆を剥くくらいの浅い切れ味から」
「革やロープを切るくらいまで調整できる」
「しかもドライバーとしての先端形状も保持できる」
カレンが目を瞬かせる。
「刃があるのに、ドライバーとしても使えるんですか?」
「ああ」
「そこが肝だ」
「刃だけなら短剣でいい」
「ドライバーだけなら前からある」
「でもこれは工具としての先端を保持したまま」
「必要なら外周に刃を出せる」
良樹は刃を少し短くした。
「俺は剣士じゃない」
「長剣は向かねえ」
「でも、工具に近い短い刃なら使える可能性がある」
「これは戦闘用の剣じゃねえ」
「工具だ」
「だが、工具として使えて」
「最悪、護身にも使える」
カレンは真面目な顔になった。
「短剣術に使うなら、握り方はニルさんにも見てもらった方がいいと思います」
「刃の向きと、手首の角度が大事です」
「あと、間合いが短いので、踏み込みすぎると危ないです」
良樹は少し驚いたようにカレンを見た。
「そこ見るか」
「見ます」
「良樹さんが使うなら、危ないところですから」
クラリスも近づいた。
「良樹くん」
「もう一度、刃を出してください」
「何でだ」
「手首と指の力を見ます」
「刃を出したまま手首を捻らないでください」
「自分の指を切る角度があります」
良樹は、少しだけ目を瞬かせた。
「……今日は、妙にちゃんと見てくれるな」
その言葉に、三人が少しだけ止まった。
リシアは、ドライバーを見る。
また工具。
そう言いかけていた。
いつもの良樹だ。
戦闘能力より工具で目を輝かせる。
意味が分からない。
分かるのが腹立つ。
そう言って、いつものように突っ込んでもよかった。
だが、胸の奥でノーラの言葉が鳴った。
媚びなくていい。
横に立て。
これは、良樹が沈んでいる場面ではない。
一人で背負って、重くなっている場面でもない。
好きなものを見せているのだ。
自分が作れたもの。
自分がすごいと思ったもの。
嬉しくて仕方ないものを、三人に見せている。
なら。
呆れるだけでは、横に立ったことにならない。
リシアは、魔導電工ナイフドライバーを見た。
「……良樹」
「何だ」
「切れ味の調整幅は?」
良樹の顔が明るくなった。
「そこ聞くか!」
「聞くわよ」
「危ないでしょ」
「浅い方は、被覆を傷つけずに外皮だけを切るくらいまで絞れる」
「深い方はまだ上げてねえ」
「革紐は切れた」
「ロープもいける」
「ただし金属はまだ試してない」
「無理にやると刃の保持が乱れる」
「上限を試してないのは偉いわね」
「偉いだろ」
「調子に乗らない」
「はい」
カレンも、ノーラの言葉を思い出していた。
分からないから、後ろで笑うのではない。
分かろうとして、横に立つ。
カレンはドライバーを見る。
剣ではない。
自分の得意なものではない。
だが、短い刃なら、剣士として見られることがある。
「あ、あの……良樹さん」
「刃を出す時に、握りを少し変えた方がいいと思います」
「ドライバーとして持つ時と、刃として使う時は、親指の位置が違います」
「ニルさんにも見てもらった方がいいですけど」
「今の握りだと、強く当たった時に手首が負けるかもしれません」
良樹は、手元を見た。
「なるほど」
「工具持ちと刃物持ちは違うか」
「はい」
「でも、良樹さんは工具の持ち方が安定しているので」
「そこを崩しすぎない方がいいと思います」
「そこまで見るか」
「見ます」
「横に、いますから」
言ってから、カレンは少しだけ赤くなった。
良樹は、その言葉を不思議そうに聞いた。
クラリスも、ノーラの言葉を思い出していた。
横に立つとは、甘く頷くことではない。
嬉しそうに差し出されたものをちゃんと見ること。
危ないところは、危ないと言うこと。
「良樹くん」
「何だ」
「便利ですが、危険です」
「ああ」
「刃を出す時、右手首の外側に力が残っています」
「打撃盤の試験後ですから、疲労もあります」
「今は、刃の長さを伸ばす試験はここまでです」
「いや、まだ――」
「ここまでです」
笑顔だった。
しかし、目は笑っていなかった。
良樹は黙った。
「はい」
クラリスは満足そうに頷いた。
良樹は、三人を見た。
「……今日は、本当に妙にちゃんと見てくれるな」
リシアは肩をすくめた。
「いつも見てるわよ」
カレンは、少しだけ目を伏せる。
「今日は、その……」
「分かろうと思って見ています」
クラリスは微笑む。
「私は、危ないところを見ています」
良樹は少し考えた。
「つまり、いつも通りか」
リシアは、小さく笑った。
「そうね」
「いつも通りよ」
三人は、良樹の前でも、後ろでもなかった。
横にいた。
◇
その後も、確認は続いた。
打撃盤の切替時間。
斥候盤から自立盤。
自立盤から打撃盤。
三枚同時に完全運用はできないこと。
切替には隙があること。
中身を詰めすぎると、良樹の処理負荷が上がること。
良樹は、そこを隠さず説明した。
「三枚あるからって、全部同時に全開で使えるわけじゃねえ」
「斥候盤で索敵しながら、自立盤で三人に供給して、打撃盤で殴る」
「そんな器用なことをやったら、たぶん俺が詰まる」
リシアが頷く。
「つまり、戦闘中は役割を決める必要があるわね」
「ああ」
「打撃盤を使う時は、俺が前に出るというより」
「近づかれた時に止める」
「押し返す」
「時間を作る」
「そのくらいで見る」
カレンが言う。
「良樹さんが前衛になるためではないんですね」
「ならねえ」
「俺がカレンの真似をしても死ぬだけだ」
「死なないでください」
「だから真似しねえ」
クラリスは頷いた。
「正しい判断です」
「良樹くんは、拳で戦う身体ではありません」
「何度聞いてもひどいな」
「事実です」
良樹は苦笑した。
だが、嫌ではなかった。
三人がちゃんと見ている。
右腕の機構も。
工具も。
戦闘への使い道も。
身体への負荷も。
ただ笑っているのではない。
ただ呆れているのでもない。
見ている。
それが、妙に嬉しかった。
◇
リシアは、大岩のへこみをもう一度見た。
「本当に、この短期間でよくここまで仕上げたわね」
良樹は、キラキラした顔で即答した。
「ああ!」
「なんせ、ほとんど寝ずにやってるからな!」
沈黙。
野原の空気が、今度こそ完全に止まった。
リシアの表情が消えた。
カレンの笑顔が固まった。
クラリスの微笑みから温度が消えた。
良樹は、一拍遅れて、何かを間違えたことに気づいた。
「……ん?」
リシアが、ゆっくり口を開く。
「良樹」
「何だ」
「今、何て言った?」
「ほとんど寝ずに――」
「座りなさい」
声が低かった。
「いや、まだ試験が」
「座りなさい」
「打撃盤の連続使用時間が」
「座りなさい」
カレンも一歩前に出た。
「良樹さん」
「それは駄目です」
「いや、これは技術的に」
「駄目です」
カレンの声は小さいが、逃げていなかった。
クラリスは良樹の顔を見た。
「目の下が重いです」
「肩も張っています」
「呼吸も浅い」
「興奮でごまかしていますね」
「いや、これは技術的興奮で」
「疲労です」
「はい」
良樹は座った。
ほとんど反射だった。
草の上に正座に近い形で座る。
リシアは腕を組んで見下ろした。
「明日は作業禁止」
「いや、非常時の対応が」
「非常時でもないのに、非常時の顔をしない」
良樹は言葉に詰まった。
カレンが、少しだけ膝を折って良樹の目線に近づく。
「良樹さん」
「明日は、ちゃんと休んでください」
「お願いします」
お願い。
その言い方に、良樹は弱い。
クラリスは、さらに静かに言った。
「良樹くん」
「今の状態で打撃盤を実戦投入すれば」
「身体ではなく、判断が壊れます」
良樹の表情が少し変わった。
「判断……」
「はい」
「身体は私が止められます」
「手首も、肘も、肩も、見ます」
「ですが、疲労で判断が遅れた時」
「止める前に、良樹くんは選び間違えます」
クラリスの声は柔らかかった。
だが、内容は重かった。
「だから、休んでください」
良樹は、反論しようとした。
打撃盤はまだ確認が足りない。
魔導電工ナイフドライバーの刃の上限も見ていない。
斥候盤との切替も、自立盤との相性も、通信盤との負荷も確認したい。
記録も取りたい。
図も書きたい。
藤田の手記の該当箇所も見直したい。
言葉はいくらでもあった。
だが、三人の顔を見た。
リシアは怒っていた。
カレンは心配していた。
クラリスは止める目をしていた。
三人とも本気だった。
良樹は、小さく息を吐いた。
「……休む」
リシアはすぐに頷いた。
「よろしい」
「ただし、記録だけ――」
「駄目」
「頭の中で整理だけ――」
「紙も筆も禁止」
「魔導盤の確認だけ――」
「打撃盤も禁止」
「工具の手入れは」
三人が同時に言った。
「「「禁止」」」
良樹は肩を落とした。
「厳しい」
「自業自得よ」
リシアが言った。
カレンは少し困ったように笑う。
「でも、明後日なら」
「ちゃんと寝たあとなら、見ます」
クラリスも頷いた。
「休んだ身体で確認しましょう」
「その方が、打撃盤にも良いです」
良樹は、右腕を見る。
もう機構は消えている。
それでも、そこにあった感覚は残っていた。
クランク。
リンク。
インバータ。
腕の外側に顕現した、藤田式の入口。
作れた。
それは、確かに嬉しかった。
嬉しすぎて、寝るのを忘れた。
それは、どう考えても駄目だった。
「……悪い」
良樹は素直に言った。
「嬉しかった」
リシアの表情が、少しだけ緩む。
「知ってるわよ」
カレンも微笑んだ。
「すごく、分かりました」
クラリスも柔らかく言う。
「だからこそ、止めます」
良樹は苦笑した。
「何歳になっても男の子ってやつか」
リシアが即座に言う。
「男の子なら、寝なさい」
カレンが続ける。
「良樹さんは、大人でもありますから」
クラリスが締める。
「大人の男の子は、休養も仕事です」
「大人の男の子って何だよ」
「良樹くんです」
「逃げ場がねえな」
良樹は、空を見上げた。
青い空だった。
その日の魔石信号器は、何も鳴らなかった。
それは、いいことだった。
少なくとも。
その夜までは。
あとがき
良樹、完全に男の子でした。
強くなったことよりも、
「腕の外側に機構がある」
「クランクが回る」
「リンクが動く」
「しかもインバータ制御」
という部分で目を輝かせています。
たぶん本人としては、武器を手に入れたというより、
ずっと憧れていたものを、自分の手で形にできた感覚なのだと思います。
リシア、カレン、クラリスからすれば、
「すごいのは分かる」
「危ないのも分かる」
「でも、そこまで嬉しそうにする理由は分からない」
という感じでしょう。
男の子の夢は、時に周囲を置いていきます。
ただし、置いていかれた三人も、
良樹を放っておく気はありません。
嬉しそうだから見守る。
危なそうだから止める。
分からないなりに、横に立つ。
そういう回でした。
そして最後に少しだけ。
その夜までは、何も起きませんでした。
では、その夜の後は?
次回もよろしくお願いします。




