番外編 制服侵攻作戦(挿絵大量)
※この話は番外編です。
時系列としては、良樹が英雄候補として認められ、三人が婚約者になった後のどこかの日常回になります。
本編の大きな流れには直接関わらないため、細かい差し込み位置はあまり気にせず読んでいただければ幸いです。
それは、ある日の夕食後のことだった。
話の流れで、良樹は日本の学校について話していた。
「日本にも学校があってな」
「子どもとか学生は、そこに通って勉強する」
「俺は高校が男子校だったから、学校の中に女子はいなかったけど」
リシアが、少しだけ首を傾げた。
「男子校?」
「男だけの学校だ」
「女はいない」
「……それはそれで、ずいぶん極端ね」
「まあな」
「ただ、通学路の途中に、お嬢様学校っていうか、そういう感じの女子校があってな」
「そこの制服は、けっこう印象に残ってる」
「制服?」
カレンが反応した。
「同じ学校の人が、同じように着る服だ」
「こっちで言うなら、学舎ごとの指定服みたいなもんだな」
クラリスが微笑む。
「良樹くんは、その制服姿の女の子たちを見ていたのですね」
「まあ、通学路が同じだったからな」
「見ようとしなくても目に入る」
「あと……」
そこで、良樹は少しだけ言葉を切った。
言うべきか。
言わないべきか。
隠すほどのことではない。
むしろ、変に隠す方がまずい気がした。
「昔、付き合ってた子も、その学校の子だった」
空気が、少しだけ止まった。
リシアの指が、茶器の縁で止まる。
カレンが、口に運ぼうとしていた菓子を持ったまま固まる。
クラリスの微笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
良樹は思った。
失言。
いや。
そこまでではないはずだ。
十年以上前の話だ。
未練があるわけでもない。
今どうこうしたい相手でもない。
そもそも、隠す方が不誠実だ。
良樹は、そう判断した。
判断したのだが。
「ふーん」
リシアが、静かに茶器を置いた。
「昔、付き合っていた子」
「ああ」
「本当に昔の話だぞ」
「分かってるわよ」
リシアは、にこりと笑った。
「十年以上前の話でしょう?」
「そうだ」
「未練があるわけでもない」
「ああ」
「隠すようなことでもない」
「そうだ」
「ええ」
「分かってるわ」
良樹は、そこで少しだけ眉を寄せた。
分かっている、という言葉の音が。
あまり分かって済ませる音ではなかった。
「へー」
「それで、その制服っていうのは、どんな服だったの?」
リシアは、何でもないことのように聞いた。
良樹は、少しだけ肩の力を抜いた。
気にしていない、らしい。
いや、気にしていないわけではないのかもしれないが。
少なくとも、昔の彼女そのものに怒っているわけではなさそうだった。
なら、制服の説明くらいは問題ない。
そう判断した。
そして、その判断は、やはり少しだけ甘かった。
「ええと、そうだな」
「まず、上は白っぽいジャケットだった」
「白?」
「ああ。真っ白というより、少し落ち着いた白だな」
「そこに青っぽいリボンがあって」
「胸元に校章……学校の印みたいなのが付いてて」
「スカートは青系のチェック柄だった」
リシアは、静かに頷いた。
「青いリボン」
「青い格子柄のスカート」
「白い上着」
「そうそう」
「で、足元は黒い靴下だったり、薄い黒っぽい……ええと、こっちで言うと透ける靴下みたいなやつだったり」
カレンが、ぴくりと反応した。
「透ける、靴下……ですか」
「靴下というか、脚全体を覆う薄い布みたいなもんだな」
「向こうだとストッキングとかタイツとか言う」
「まあ、制服によって違うけど」
クラリスが、穏やかに微笑む。
「脚元まで指定があるのですね」
「ああ」
「学校によるけどな」
「お嬢様校っぽいところは、全体的に品があった」
「派手じゃないけど、ちゃんとしてる感じで」
「通学路でも、ああ、別世界だなって思うくらいには目立ってた」
「別世界」
リシアは、その言葉を繰り返した。
「いや、悪い意味じゃないぞ」
「俺が男子校だったから余計にそう見えただけだ」
「こっちは男ばっかで、黒い詰襟の制服で」
「向こうは白い上着に青いリボンで、綺麗に揃って歩いてる」
「そりゃ印象には残るだろ」
「そう」
リシアは微笑んだ。
「印象には、残るのね」
「ああ」
「まあ、当時の話だけどな」
良樹はそこで、ようやく一つだけ補足した。
「ただ、本当に昔の話だぞ」
「今になってどうこうって話じゃない」
「分かってるわよ」
リシアは、まったく怒っていない顔で言った。
「文化の話だもの」
カレンも、少し赤い顔で頷いた。
「ぶ、文化の話ですね」
クラリスも微笑む。
「はい」
「良樹くんの故郷の、学舎文化の話です」
「そうだ」
「文化の話だ」
良樹は少し安心した。
三人がそう言うなら、たぶん大丈夫だろう。
そう思った。
なお、三人の中でその瞬間、
文化交流という名の作戦名が、ほぼ確定していた。
◇
その夜。
三人部屋の灯りは、いつもより少しだけ強く灯っていた。
婚約者会議。
議題は一つ。
良樹の制服とかいう思い出について。
卓の上には、良樹から聞き出した情報が並んでいた。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
校章。
黒い靴下。
薄い黒い脚布。
上品。
別世界。
印象に残っている。
昔付き合っていた子も、その学校の子。
リシアは、しばらく黙ってそれを見ていた。
カレンは、胸元で両手を握っている。
いつもなら困ったように目を伏せるところだが、今日は少し違った。
クラリスは、清楚に微笑んでいる。
微笑んでいるのだが、卓の端に添えた指に、妙な力が入っていた。
リシアが、静かに口を開いた。
「上書きするわよ」
きっぱりと言った。
カレンが、小さく息を呑む。
「う、上書き……」
「そうよ」
リシアは頷いた。
「過去の話なのは分かってる」
「十年以上前なのも分かってる」
「良樹に未練がないことも、たぶん分かってる」
「はい……」
「良樹さんは、隠さず話してくれました」
「そこは良樹らしいわ」
「隠さないのはいいことよ」
「嘘をつかないのも、いいこと」
リシアはそこで、一度だけ目を細めた。
「でも」
声が低くなる。
「少しだけ、鼻の下が伸びてた」
カレンの目が、珍しく鋭くなった。
「……伸びていました」
リシアが、少し驚いたようにカレンを見る。
「カレン?」
カレンは胸元で両手を握ったまま、真面目な顔で言った。
「良樹さんは、たぶん気づいていません」
「本当に昔の話だと思って話していました」
「でも」
「制服の説明をしている時、少しだけ楽しそうでした」
カレンの声は小さい。
だが、逃げていなかった。
「それは……少し、嫌です」
リシアは黙った。
カレンがここまではっきり言うのは珍しい。
普段なら、自分の気持ちを飲み込む。
我慢する。
良樹を困らせまいとする。
そのカレンが、嫌だと言った。
それだけで、この議題の危険度は一段上がった。
「同意します」
クラリスが静かに言った。
声は、いつものように柔らかい。
だが。
みし、と。
卓の端が鳴った。
リシアとカレンが、同時にクラリスの手元を見る。
クラリスの白い指が、卓の端を掴んでいた。
掴んでいるだけに見える。
しかし、木がわずかに悲鳴を上げていた。
めき。
「不快ですね」
クラリスは、清楚に微笑んだまま言った。
「私たち以外の女の記憶が」
「良樹くんの中に」
「制服という形で居座っているのは」
めきめき、と卓が鳴った。
カレンが慌てて声を上げる。
「ク、クラリス、机が……!」
「あら」
クラリスは、自分の手元を見た。
それから、にこりと笑って指の力を抜く。
「失礼しました」
「少しだけ、力が入りました」
「少しだけじゃないわよ」
リシアが言う。
「机が良樹の代わりに締め落とされるところだったわ」
「良樹くんにそのようなことはしません」
クラリスは即答した。
「良樹くんは悪くありません」
「十年以上前の話です」
「未練もありません」
「隠してもいません」
「嘘もついていません」
「ええ」
リシアは頷く。
「だから、良樹を責める話じゃない」
「はい」
クラリスは、微笑みを深めた。
「責めるのではなく」
「上書きします」
カレンが、小さく頷いた。
「……はい」
「良樹さんの昔を消したいわけではありません」
「でも」
「これから制服を思い出す時に、その人だけを思い出すのは」
「嫌です」
リシアは、満足そうに頷いた。
「決まりね」
卓の上に置かれた紙へ、リシアは新しい文字を書き足した。
目的。
良樹の制服の記憶を、私たちで上書きする。
「まず確認するわ」
リシアは、指を一本立てる。
「良樹の制服の記憶には、三つの要素がある」
指を折る。
「一つ。服」
「白い上着、青いリボン、青い格子柄のスカート」
「これは服飾屋に相談すれば再現できる」
カレンが真面目に頷く。
「はい」
「二つ。距離感」
「良樹は男子校だった」
「つまり、同じ教室に女の子はいなかった」
クラリスが静かに言う。
「そのため、制服姿の女の子は、良樹くんにとって少し遠い存在だったのですね」
「そう」
リシアは頷いた。
「三つ。関係性」
「良樹が言っていたわ」
「日本の学校には、先輩、同級生、後輩という呼び方がある」
カレンの顔が、一気に赤くなる。
「せ、先輩……同級生……後輩……」
「そうよ」
リシアは、真剣な顔で言った。
「服だけでは足りない」
「呼び方と距離感まで含めて、記憶に入る必要がある」
クラリスは頷いた。
「つまり、服装だけでなく、役割ごと良樹くんの記憶に侵入するのですね」
「侵入じゃないわ」
リシアは訂正した。
「上書きよ」
「同じことでは?」
「響きが違うわ」
「なるほど」
クラリスは納得した。
カレンは納得してよいのか少し迷ったが、最終的に頷いた。
「で、役割分担よ」
リシアは、まず自分を指した。
「私は、後輩をやるわ」
「リシアが、後輩……ですか?」
カレンが目を瞬かせる。
「そうよ」
「でも、リシアは……どちらかというと、先輩か同級生の方が似合うような……」
「分かってるわ」
リシアは腕を組んだ。
「普段の私なら、そうでしょうね」
「でも、今回は普段通りじゃ駄目なの」
クラリスが、静かに首を傾げる。
「理由を聞いても?」
「女の直感よ」
「直感」
「ええ」
リシアは真顔で頷いた。
「良樹は、たぶん」
「“せんぱい”って呼ばれたら止まるわ」
部屋が、少しだけ静かになった。
カレンは、想像した。
白い制服を着たリシアが、少しだけ首を傾げて、良樹を見上げる。
そして。
せんぱい。
カレンの顔が、みるみる赤くなった。
「と、止まる気がします……」
「でしょう?」
リシアは、少し得意げに言った。
クラリスも、口元に手を添えて微笑む。
「根拠はありませんが」
「妙に説得力がありますね」
「あるでしょ」
「はい」
「良樹くんは、止まると思います」
「決まりね」
リシアは、卓の上の紙に書き込んだ。
リシア:後輩。
呼称:せんぱい。
カレンが、その文字を見て小さく震える。
「せんぱい……」
「カレン」
「は、はい」
「あなたは同級生よ」
「ど、同級生……」
「良樹くん、って呼びなさい」
「良樹……くん」
口にした瞬間、カレンは両手で顔を覆った。
「無理です……!」
「今ので無理なら、本番はどうするのよ」
「本番……!」
「制服作戦の本番よ」
「そ、そういう意味ですよね……!」
クラリスが静かに微笑んだ。
「カレンは、そのままで十分強いと思います」
「恥ずかしがりながら、同級生として隣に立とうとする」
「良樹くんには、かなり効くはずです」
「クラリスまで……」
「事実ですので」
そして、リシアとカレンはクラリスを見た。
「クラリスは、先輩ね」
「でも、私はどうすれば?」
クラリスは少しだけ首を傾げた。
リシアは即答する。
「クラリスは、いつも通りでいいわ」
「いつも通り、ですか?」
「ええ」
「ただし、良樹にちょっとだけ上から命令するの」
「言うことを聞かせる立場らしいわ」
「言うことを聞かせる……」
クラリスは、白い指を口元へ添えた。
ふーむ。
先輩。
後輩。
良樹くん。
少し上から。
言うことを聞かせる。
けれど、怖がらせてはいけない。
良樹くんは、押しつけられるのが苦手。
でも、頼られることと、受け止めることからは逃げない。
そして。
良樹くんは、困った顔をしながらも、嫌ではない時がある。
ぽく。
先輩とは、後輩を導くもの。
ぽく。
疲れた後輩を労わるのも、先輩の役目。
ぽく。
良樹くんは、疲れていなくても疲れているような顔をすることがある。
ちーん。
つまり。
甘やかしてよい。
クラリスは、にこりと微笑んだ。
「分かりました」
リシアが、わずかに目を細めた。
「……今、何か危ない結論に至らなかった?」
「いいえ」
クラリスは清楚に答えた。
「先輩として、後輩くんを労わればよいのですね」
「まあ、そう……なのかしら」
カレンが小さく首を傾げる。
「労わる、ですか」
「はい」
クラリスは微笑んだ。
「後輩くん」
「先輩の言うことは、聞きましょうね」
リシアとカレンは、同時に黙った。
「……思ったより強いわね」
「つ、強いです……」
「そうでしょうか」
クラリスは穏やかに首を傾げる。
「いつも通りですが」
「だから強いのよ」
リシアは額を押さえた。
だが、反対はしなかった。
なぜなら、強い。
あまりにも強い。
良樹がこれを受けた時の反応が、あまりにも容易に想像できる。
「決定ね」
リシアは立ち上がった。
「私が後輩」
「カレンが同級生」
「クラリスが先輩」
カレンも、覚悟を決めるように立ち上がった。
「が、頑張ります」
クラリスも静かに立つ。
「承知しました」
リシアは、卓の中央へ手を出した。
カレンが戸惑いながら、その上に手を重ねる。
クラリスも、さらにその上へ手を置いた。
「目的は一つ」
リシアが言う。
「良樹の制服の記憶を」
カレンが、赤い顔で続ける。
「私たちで……」
クラリスが、清楚に締めた。
「上書きします」
三人は顔を見合わせた。
なぜか、試合前のような空気になっていた。
「行くわよ」
「は、はい」
「はい」
「「「おー」」」
小さな声だった。
だが、決意は妙に固かった。
◇
その日、良樹は夢を見ていた。
まだ日本にいた頃の夢だった。
高校生の良樹は、いつものように友人二人と並んで、自分の通っている男子校へ向かっていた。
黒い詰襟の制服。
肩に掛けた鞄。
朝の通学路。
電柱。
塀。
校門へ向かう学生たちの声。
何も特別ではない、いつもの朝だった。
「おい、良樹」
隣を歩いていた友人の一人が、肘で良樹をつついた。
「見ろよ。〇〇女子の子たちだぜ」
「またかよ」
良樹は面倒くさそうに言いながらも、友人の視線の先を見た。
道の向こう側。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
同じ制服を着た女子生徒たちが、何人も歩いていた。
その中に、特に目を引く三人がいた。
一人は、黒髪の少女。
背筋が伸びていて、どこか自信ありげに歩いている。
一人は、茶色の髪の少女。
鞄の紐を両手で握り、少しおとなしく歩いている。
一人は、淡い金色の髪の少女。
本を抱えて、静かに微笑んでいる。
友人が、感心したように口笛を吹いた。
「さすがお嬢様高校」
「どの子も可愛いけど、あの三人は別格だな」
もう一人の友人も頷く。
「分かる」
「あれは無理だわ」
「住んでる世界が違う」
良樹は、三人を見た。
確かに、可愛かった。
綺麗に整った制服。
朝の光。
自分たちの黒い詰襟とは違う、どこか柔らかくて明るい空気。
同じ通学路にいるのに、少しだけ別の世界を歩いているようだった。
「……ああ」
良樹は短く言った。
「可愛いな」
「けど、俺たちには縁がねえよ」
友人二人が、同時に顔をしかめた。
「お前ってやつは、本当に身も蓋もないな」
「そうだぜ」
「夢を見るくらいはいいだろ」
「事実を言っただけだ」
良樹は歩調を速めた。
「さっさと行くぞ」
「遅刻しちまう」
「はいはい、現実的なことで」
「もう少し青春しろよ、良樹」
「朝から面倒くせえな」
良樹はそう言って、足早に学校へ向かった。
黒い詰襟の男子校。
白と青の女子校。
交わることのない通学路。
それで終わるはずだった。
けれど。
なぜか、その朝だけ。
良樹は一度、振り返った。
理由は分からなかった。
ただ、少し気になった。
すれ違った三人が、まだそこにいるような気がした。
振り返る。
三人は、少し遠くにいた。
誰かがこちらを見たような気がした。
けれど、すぐに朝の光と人波に紛れて、輪郭は曖昧になった。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
それだけが、妙に鮮明に残った。
良樹は、夢の中で思った。
縁がない。
そう言ったはずだった。
けれど、なぜか。
その言葉だけが、妙に引っかかった。
◇
目を覚ました良樹は、しばらく天井を見ていた。
「……何だ、今の夢」
懐かしいような。
そうでもないような。
昔の通学路。
男子校。
お嬢様校の制服。
たしかに、そんな記憶はあった。
ただ、夢の中の三人の顔は、もううまく思い出せなかった。
良樹は寝返りを打つ。
「縁がねえ、か」
自分で言った言葉のはずなのに、妙に胸に残っていた。
良樹は小さく息を吐いた。
「……夢だな」
そう呟いて、もう一度目を閉じた。
その日、三人が何を企んでいるのか。
良樹は、まだ知らなかった。
◇
数日後。
良樹は、三人に連れられて中央通りの服飾屋へ行くことになった。
ただし、採寸の日に良樹は同行していない。
三人がそれぞれ自分で行き、採寸し、相談し、布地を選び、丈を決め、脚元の装いまで決めてきた。
後から良樹が知ったのは、完成したあとだった。
つまり良樹は、発注仕様書を見ていない。
そして、そういう時に限って、仕様はだいたい危険な方向へよく煮詰まっている。
◇
披露の日。
良樹は、作業場ではなく居間へ呼ばれていた。
「良樹」
扉の向こうから、リシアの声がした。
「少し、時間を取って」
「何だ」
「文化交流よ」
「その言葉、最近信用できねえんだが」
「いいから」
良樹は、嫌な予感を覚えながらも、椅子に座って待った。
扉が開いた。
最初に入ってきたのは、リシアだった。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
黒から茶へ溶けるような、薄く艶のある脚布。
いつもの魔法衣ではない。
杖も持っていない。
それだけで、普段のリシアとはかなり印象が違っていた。
続いて、カレン。
同じ意匠の白い上着と青いリボン。
青い格子柄のスカート。
膝下のハイソックス。
少し緊張したように、鞄の持ち手を両手で握っている。
最後に、クラリス。
清楚だった。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
太もも半ばまでのニーハイソックス。
いつもの法衣ではない。
けれど、清楚さだけはまったく変わらない。
むしろ、少しだけ年上ぶった微笑みが、普段より危なかった。
良樹は止まった。
完全に止まった。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
黒髪のリシア。
茶色の髪を揺らすカレン。
淡い金の髪を肩に流すクラリス。
その三人が、並んで立っていた。
良樹の頭の奥で、数日前に見た夢がゆっくりと起き上がる。
黒い詰襟。
男子校。
朝の通学路。
道の向こう側を歩いていた、お嬢様校の制服姿の三人。
縁がねえよ。
夢の中の自分が、そう言った。
言ったはずだった。
それなのに。
今、その三人が目の前にいる。
しかも、自分を見ている。
良樹は、ゆっくりと天を仰いだ。
「……何だ」
「この、嬉しいような」
「嬉しくないような正夢は……」
リシア、カレン、クラリスの三人が、同時に首を傾げた。
「正夢?」
リシアが聞く。
良樹は天井を見たまま、片手で顔を覆った。
「いや」
「数日前に、夢を見た」
「夢?」
「ああ」
「高校生の俺が、男子校へ登校してて」
「通学路の向こう側を」
「白い上着と青いリボンと青い格子柄のスカートを着た」
「やたら目立つ女子高生三人が歩いてた」
三人は黙った。
リシアの目が、すっと細くなる。
「……それで?」
「友達が、あの三人は別格だとか言って」
「俺が」
「可愛いな、けど俺たちには縁がねえよ、って言った」
カレンの顔が、少し赤くなった。
「可愛い……」
クラリスは、静かに微笑んだ。
「縁がない、と」
「ああ」
良樹は顔を覆ったまま言った。
「縁がないはずだった」
「完全に縁がないはずだった」
「男子校生が通学路の向こう側のお嬢様校を眺めて」
「ああ可愛いな、でも関係ねえな、で終わるタイプの記憶だった」
そこで良樹は、ようやく三人を見た。
制服姿の三人。
まったく関係ないはずだったものが。
いま、自分の目の前で、自分のために並んでいる。
「なのに」
「なぜか今」
「その記憶が」
「お前らの顔で上書きされようとしている」
リシアは、一拍黙った。
それから、ゆっくりと笑った。
「へえ」
その笑顔は、かなり危険だった。
「もう夢にまで出ていたのね」
「違う」
「出たのはお前らじゃない」
「たぶん違う」
「いや、今となってはもう自信がねえ」
「良樹さん」
カレンが、両手で鞄の持ち手を握りながら、少しだけ身を乗り出す。
「夢の中でも」
「私たち……いえ、その三人は」
「可愛かった、ですか?」
「そこを拾うな」
「で、でも」
カレンは耳まで赤い。
「可愛いって、言ってくれたので……」
「夢の中の話だ」
「今も、ですか?」
良樹が止まった。
カレンは、そこで自分が何を聞いたか理解して、真っ赤になる。
「あっ」
「い、今のは、その……!」
クラリスが穏やかに続けた。
「後輩くん」
「まだ後輩くんじゃねえ」
「夢では縁がないと仰ったのですね」
「ああ」
「では、今は?」
良樹は黙った。
リシアが後ろ手に手を組み、少しだけ前屈みになった。
「せんぱい」
「今始めるな」
「今の私たちは」
「縁が、ありますか?」
良樹は、もう一度天を仰いだ。
天井しかなかった。
逃げ場もなかった。
「……ありすぎるだろ」
「三人まとめて婚約者だぞ」
三人の顔が、一気に赤くなった。
リシアは満足そうに笑い。
カレンは鞄の持ち手をぎゅっと握り。
クラリスは、静かに目を伏せて微笑んだ。
良樹は、深く息を吐く。
「何だよ」
「夢の中で縁がねえって言った相手が」
「目の前で制服着て」
「婚約者面して」
「俺を見てるって」
「婚約者面ではありません」
クラリスが言う。
「婚約者です」
「正面から訂正するな」
「俺が戻れなくなる」
リシアは楽しそうに笑った。
「戻らなくていいじゃない」
「せんぱい」
「その呼び方も今はやめろ」
「正夢と後輩が同時に来ると処理が落ちる」
カレンが小さく笑う。
「良樹くん」
「夢より、今の方がいいですか?」
良樹は、完全に停止した。
しばらくして。
小さく、負けを認めるように言った。
「……今の方がいいに決まってるだろ」
三人は、同時に息を止めた。
言った良樹も、少しだけ顔を赤くした。
「だから」
「それ以上聞くな」
「俺の中の男子校時代が成仏する」
リシアは、頬を赤くしたまま笑った。
「成仏させましょうか」
「やめろ」
「丁重に供養しろ」
良樹は、もう一度三人を見た。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
夢の中では、縁がないと思った。
だが、今は違う。
目の前の三人は、自分の婚約者で。
自分に見せるために、この服を着ていて。
そして、おそらく自分を逃がすつもりがない。
良樹は、ゆっくりと息を吸った。
「……お前ら」
「何よ」
「それは」
「かなり」
「まずい」
リシアの頬が、少しだけ赤くなった。
「まずい、って何よ」
「俺の中の日本が騒いでる」
「なら、成功ね」
「成功なのか」
「成功よ」
リシアは、一歩前へ出た。
だが、リシアはそれだけで終わらせる気はなかった。
後ろ手に両手を組む。
そして、少しだけ身体を前へ傾けた。
胸を張る、というより。
胸元が自然に目に入る角度を、分かった上で作るように。
あざとい。
自分でも、そう思う。
だが、今回の目的は良樹の制服の記憶を上書きすることだ。
可愛いだけで足りないなら、あざとさくらい使う。
前屈みになった拍子に、片側の黒髪がさらりと肩へ流れた。
白い上着の上に落ちた黒が、妙に目を引く。
リシアは、顎を少し引いた。
下から、良樹を見上げる。
普段なら絶対にしない角度。
普段なら絶対に使わない声。
そして、普段なら絶対に混ぜない言葉遣い。
「せんぱい?」
良樹の肩が、分かりやすく跳ねた。
リシアは内心で頷いた。
効いている。
なら、もう一押し。
「どう、ですか?」
「私、制服……似合ってます?」
敬語。
ただし、完全な敬語ではない。
ぎこちなく丁寧にしているようで。
少しだけ甘えている。
少しだけ崩している。
少しだけ、妹みたいに寄せている。
全部、分かってやっている。
良樹は止まった。
完全に止まった。
「……」
「せんぱい?」
「聞こえてます?」
リシアは、さらに少しだけ首を傾げる。
後ろ手。
前屈み。
上目遣い。
丁寧語と甘えの混ざった呼び方。
白い上着の下で主張する身体の線。
良樹は、ようやく口を開いた。
「……リシア」
「今は、後輩です」
「その訂正がもうリシアなんだよ」
「後輩だもん」
良樹の処理が、もう一段止まった。
リシアは、勝利を確信しかける。
「せんぱい」
「ちゃんと見てください」
「制服、似合ってるかどうか」
「言ってくれないと……寂しいです」
言った瞬間、リシア自身も少しだけ詰まった。
今のは、少し計算が薄かった。
敬語。
上目遣い。
後ろ手。
前屈み。
胸元の角度。
後輩らしい甘え。
そこまでは、分かってやっていた。
けれど。
見てほしい。
良樹に。
自分を。
今の自分を。
昔の制服の女の子ではなく、自分を。
そう思ったのは、本当だった。
だから、寂しい、という言葉は。
思ったよりも、声に本音を乗せてしまった。
良樹は、止まった。
「……リシア」
「今は、後輩です」
「分かってる」
良樹は、逃げなかった。
リシアの上目遣いからも。
白い制服からも。
青いリボンからも。
そして、その言葉からも。
目を逸らさなかった。
「似合ってる」
「すげえ似合ってる」
「可愛い」
リシアの呼吸が止まる。
「……」
「あと」
「見てくれないと寂しい、は」
「かなり効いた」
「……そ、そう」
リシアは視線を揺らした。
「じゃあ」
「作戦としては、成功……です」
「今のは作戦だけじゃなかっただろ」
リシアが止まった。
良樹は、少しだけ困ったように笑った。
「そこは分かる」
「……分からなくていいです、せんぱい」
「分かるだろ」
「今のは、少し本音だった」
リシアの頬が、はっきり赤くなる。
「うるさいです」
「後輩の気持ちを、勝手に分析しないでください」
「分析じゃねえ」
「見えた」
「……見えてるなら」
「ちゃんと、見てください」
今度は、ほとんど本音だった。
良樹は短く息を吐いた。
「ああ」
「見てる」
「ちゃんと見てる」
リシアは、後ろ手を組んだまま。
少しだけ前屈みのまま。
それでも、もう先ほどほど作った顔ではいられなかった。
作戦は成功した。
ただし、思ったより自分にも刺さった。
カレンは両手で鞄の持ち手を握りしめながら、一歩前に出た。
「よ、良樹くん」
その呼び方だけで、良樹の肩がまた跳ねた。
「良かったら……今日、一緒に帰ろ?」
カレンは、両手で鞄の持ち手を握りしめながら言った。
声は震えていた。
頬は赤い。
目は、途中で何度も逸れそうになっている。
それでも、逃げなかった。
良樹を見て。
良樹の名前を、いつもの「良樹さん」ではなく。
良樹くん、と呼んだ。
良樹は止まった。
完全に止まった。
「……」
「よ、良樹……くん?」
カレンが、不安そうにもう一度呼ぶ。
その瞬間、良樹の視界が少し白くなった。
男子校。
黒い詰襟。
男ばかりの教室。
通学路の向こう側を歩く、お嬢様校の制服。
自分にはなかったもの。
隣の席の女の子。
放課後。
一緒に帰ろう、という言葉。
それを今、カレンが差し出していた。
良樹の脳内で、存在しない安全リレーが落ちた。
「良樹?」
リシアが横から覗き込む。
「白目になってるわ」
「ええっ!?」
カレンが慌てる。
「わ、私、何か間違えましたか!?」
「間違えてないわ」
リシアは真顔で言った。
「効きすぎただけよ」
クラリスも、清楚に頷いた。
「はい」
「今のは、良樹くんの持っていなかった青春へ直接入りました」
「直接……!?」
カレンはさらに赤くなる。
良樹は、ようやく息を吸った。
「……カレン」
「は、はいっ」
「それは……駄目だ」
カレンの顔が、一瞬でしゅんとした。
「だ、駄目……ですか」
「違う」
「駄目っていうのは、悪いって意味じゃない」
「効きすぎる」
「効きすぎる……」
「ああ」
「それは、男子校出身者に撃っていい威力じゃねえ」
リシアが腕を組む。
「つまり、成功ね」
「成功ですか……?」
カレンが恐る恐る聞く。
良樹は、少しだけ顔を逸らした。
「……成功だよ」
「たぶん、めちゃくちゃ成功してる」
カレンの表情が、ぱっと明るくなりかける。
けれど、すぐに恥ずかしくなって、また鞄をぎゅっと握った。
クラリスは、リシアとカレンのやり取りを見ながら、少しだけ首を傾げた。
「では」
クラリスは一歩、前に出た。
制服姿のクラリス。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
太もも半ばまでのニーハイソックス。
清楚だった。
あまりにも清楚だった。
だからこそ、良樹は油断した。
「よーしきくん」
「……何だ、その呼び方」
「えいっ」
ぽむん。
良樹の視界が、突如として暗くなった。
白い上着。
青いリボン。
柔らかい感触。
甘い香り。
そして、クラリスの腕。
押さえつけられているわけではない。
力で拘束されているわけでもない。
ただ、逃げようと思えば逃げられるはずなのに。
逃げる前に、思考が止まった。
「……」
「……」
部屋の空気が止まった。
リシアも止まった。
カレンも止まった。
クラリスだけが、きょとんとしていた。
良樹の顔を自分の胸元に受け止めたまま、少しだけ首を傾げる。
「良樹くん」
「……」
「今の演技、駄目でしたか?」
良樹は答えなかった。
答えられなかった。
呼吸。
まず呼吸だ。
吸う。
吐く。
いや、吸うな。
吸うとまずい。
何がまずいかは考えるな。
「クラリス」
リシアの声が震えた。
「その状態で聞くのは、たぶん駄目よ」
「そうなのですか?」
クラリスは不思議そうに瞬きをした。
「先輩が、少し疲れた後輩くんを励ます場面を想定したのですが」
「励まし方が近いわ!」
「近いでしょうか」
「近いです……!」
カレンが真っ赤になって言った。
「良樹さんが、戻ってきてません……!」
良樹は、ようやく片手を上げた。
「……戻っては、いる」
声がくぐもっていた。
当然だった。
まだ顔が埋まっている。
「戻ってないわよ!」
リシアが叫ぶ。
「良樹、まず離れなさい!」
「俺が離れるのか」
「クラリスが離しなさい!」
「あら」
クラリスは、そこでようやく良樹をそっと解放した。
良樹は一歩下がった。
下がったが、目線が定まっていない。
「良樹くん」
「何だ」
「駄目でしたか?」
「……駄目ではない」
その瞬間、リシアとカレンが同時に良樹を見た。
良樹は、即座に言い直す。
「違う」
「駄目ではない、というのは」
「演技として不自然ではないという意味で」
「不自然ではないのですね」
クラリスは嬉しそうに微笑んだ。
「では、良かったです」
「良くないわよ!」
リシアが卓を叩いた。
「良樹も良樹よ!」
「そこで正直に評価しない!」
「嘘つけねえだろ!」
「つきなさいよ、こういう時は!」
「嫌だって言ったら、それはそれでクラリスが気にするだろ!」
クラリスは、少しだけ目を丸くした。
それから、柔らかく微笑む。
「良樹くん」
「……何だ」
「気を遣ってくださったのですか?」
「いや」
「気を遣ったというか」
「嫌ではなかったのに嫌だと言うのは違うだろ」
カレンが両手で顔を覆った。
「良樹さん……」
「そういうところです……」
リシアは頭を抱えた。
「本当にそういうところよ」
クラリスは、良樹の顔をじっと見た。
「では」
「嫌ではなかったのですね」
良樹は黙った。
黙った。
長く黙った。
「……制服の先輩としては」
「かなり、破壊力があった」
リシアが記録紙を取った。
「クラリス先輩型」
「効果、極大」
「良樹、否定不能」
「顔面ぽむん、危険」
「ぽむんって書くな」
「必要な擬音よ」
「必要な擬音なんかあるか」
クラリスは、にこりと笑った。
「では、先輩役はこの方向でよろしいでしょうか」
「よろしくない」
良樹が即答する。
「でも、嫌ではなかったのですよね?」
「そこを盾にするな」
「先輩ですから」
「先輩って何でもありなのかよ」
リシアは深く頷いた。
「分かったわ」
「クラリスは、いつも通りでいい」
「ただし、良樹の呼吸が止まらない範囲で」
「はい」
「呼吸確認は任せてください」
「違う」
「止めるなって意味よ」
クラリスは、きょとんとした顔のまま頷いた。
「難しいですね、先輩というものは」
良樹は天井を見た。
「難しくしてるのは、お前らだ」
◇
良樹は、三人を順番に見た。
リシア。
カレン。
クラリス。
三人とも制服姿だった。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
ただし、着こなしはそれぞれ違う。
リシアは、後輩。
カレンは、同級生。
クラリスは、先輩。
良樹は、深く息を吐いた。
「……で」
「お前ら、これで何をする気だ」
リシアが、後ろ手に手を組んだまま、少しだけ前屈みになる。
「せんぱい」
「やめろ」
「話が進まなくなる」
「では、進めます」
リシアはにこりと笑った。
「これから、ほうかごでーと、です」
良樹は止まった。
「……放課後?」
カレンが、両手で鞄の持ち手を握った。
顔は赤い。
声も震えている。
それでも、彼女は良樹を見た。
「あ、あの」
「日本の学校では、授業が終わったあとに」
「一緒に帰ったり」
「少し寄り道したりするのですよね?」
「まあ……そういうこともあるな」
クラリスが微笑む。
「つまり、制服姿だけでは足りません」
「良樹くんの制服の記憶を上書きするには」
「放課後の記憶も必要です」
「必要なのか」
「必要です」
クラリスは即答した。
リシアも頷く。
「良樹は男子校だったのでしょう?」
「つまり、同級生の女の子と一緒に帰る記憶はない」
カレンが、顔を赤くしながら一歩出る。
「よ、良樹くん」
良樹は身構えた。
来る。
その一撃は、さっき喰らったばかりだ。
二度目だ。
来ると分かっていれば、耐えられるはずだった。
「良かったら……今日、一緒に帰ろ?」
耐えられなかった。
良樹の目が、少しだけ白くなった。
「戻ってきなさい、良樹」
リシアが言う。
「まだ出発前よ」
「出発前から殺しに来るな」
「殺していません」
「青春を補填しています」
「言い方が事務処理なんだよ」
「あと、二度目なら耐えられると思ってた」
「同じ技でも、当てる側が本気なら通るのよ」
カレンが、真っ赤になって両手で顔を覆った。
「わ、私、二回も言いました……!」
「二回とも効いたから安心しろ」
「あ、安心できません……!」
クラリスが、良樹の前に回る。
「後輩くん」
「先輩の言うことを聞いて、今日は私たちと出かけましょう」
「三方向から来るな」
「処理が追いつかねえ」
リシアは、勝ち誇ったように言った。
「では決定ね」
「放課後デート開始よ」
「待て」
「そもそも今、放課後じゃないだろ」
三人は止まった。
リシアが言う。
「……細かいわね」
「細かくねえ」
「今は普通に昼過ぎだ」
クラリスが微笑む。
「では、良樹くん」
「日本では、放課後は何時頃からですか?」
「だいたい午後だろうが」
「授業が終わった後だから」
「今は午後です」
「授業してねえだろ」
カレンが、おずおずと手を上げる。
「あ、あの」
「制服を着るための準備が、授業だったということでは……駄目でしょうか」
良樹はカレンを見た。
カレンは真剣だった。
真剣に、無茶な理屈を言っていた。
「……カレンまでそっち側か」
「す、すみません」
「でも、今日は……同級生なので」
「同級生、強いな」
リシアが頷く。
「そうよ」
「今日は役割があるの」
「私は後輩」
「カレンは同級生」
「クラリスは先輩」
「俺は?」
三人が同時に言った。
「「「良樹」」」
「役割じゃねえ」
クラリスが補足する。
「後輩くんです」
「俺は三人の後輩であり同級生であり先輩なのか」
リシアが腕を組む。
「そこは柔軟に運用しましょう」
「運用するな」
「設定を破綻させるな」
リシアは、良樹の腕を取った。
「いいから行くわよ、せんぱい」
カレンが、反対側からそっと袖を掴む。
「よ、良樹くん」
「一緒に、帰りましょう」
クラリスは背後から微笑む。
「後輩くん」
「逃げると先輩が迎えに行きます」
「包囲されてるじゃねえか」
「放課後デートです」
「拉致の言い換えじゃねえか」
こうして、良樹は制服姿の三人に連れられて、街へ出ることになった。
◇
街へ出た瞬間、良樹は理解した。
これは、まずい。
三人の服は、この世界の人間から見れば、少し変わった揃いの外出着に見えるのだろう。
白い上着。
青い布飾り。
青い格子柄のスカート。
この世界にも、学舎の指定服や、貴族の子女が着る揃いの服はある。
だから、街の人々は驚きはしても、叫ぶほどではなかった。
「あれ、良樹さんの婚約者さんたちか?」
「変わった服だねえ」
「でも可愛いじゃないか」
「良樹さんの故郷の服かね」
「三人とも、良樹さんに見せるために仕立てたのかい?」
違う。
良樹は心の中で即答した。
いや、違わない部分もある。
三人はたしかに、良樹に見せるためにこの服を仕立てた。
そこは否定できない。
だが、良樹が頼んだわけではない。
良樹が着せたわけでもない。
良樹の趣味を満たすために、婚約者三人へ女学生風の服を着せて街を歩かせているわけではない。
ない。
ないはずだ。
だが、周囲の視線がそう言っている気がしてならなかった。
良樹さん、若いねえ。
婚約者さんたちに、故郷の女学生服を着てもらったのかい。
いやあ、仲がいいねえ。
そう聞こえる。
誰も言っていない。
少なくとも、はっきりとは言っていない。
だが、良樹には聞こえた。
落ち着け。
良樹は、胸の内で自分に言い聞かせた。
ここは日本じゃない。
価値観も違う。
文化も違う。
そもそも、この世界の人間はJKという概念を知らない。
だから大丈夫だ。
婚約者三人に、日本の女子制服にしか見えない服を着てもらって。
いや、着てもらって、ではない。
着られている。
勝手に仕立てられて、勝手に着られて、勝手に連れ出されている。
その上で街を練り歩いて。
いや、練り歩いてもいない。
練り歩かされている。
恋人にJKのコスプレをさせて街を歩いている二十八歳男性。
ではない。
断じてない。
ここは異世界。
これは文化交流。
これは婚約者たちによる、故郷の学舎文化の理解活動。
たぶん。
おそらく。
きっと。
誰も何も思わない。
思わないはずだ。
良樹は、深く息を吐いた。
今日の天気は、やや曇り。
薄い雲が空に広がり、陽射しは少し柔らかい。
街路の石畳も、ぎらつかず落ち着いた色をしている。
しかし。
隣を歩く三人の顔だけは、妙に晴れやかだった。
リシアは、後ろ手に手を組んだまま、少しだけ得意げに歩いている。
カレンは、良樹の袖をつまみながら、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑っている。
クラリスは、いつもの清楚な微笑みより少しだけ柔らかく、満足そうに良樹を見ている。
その顔は、まるで。
上書きできた。
そう言っているようだった。
「……お前ら」
良樹は低く言った。
「なあに、せんぱい?」
リシアが、わざとらしく下から覗き込む。
「はい、良樹くん」
カレンが、言い慣れない呼び方で返事をする。
「何でしょう、後輩くん」
クラリスが、逃げ道を塞ぐように微笑む。
良樹は、空を見上げた。
やや曇り。
だが、良樹の逃げ場はどこにもなかった。
◇
街へ出ても、三人は戻らなかった。
リシアは少し後ろから、わざと小走りに良樹へ近づく。
「せんぱい」
「歩くの、少し早いです」
「普段のお前なら余裕だろ」
「今日は後輩なので」
「後輩は脚力が落ちるのか」
「せんぱいに合わせてもらうものです」
「その後輩、圧が強いな」
反対側では、カレンが良樹の袖をつかんだまま歩いている。
「良樹くん」
「あの……放課後は、こうして歩くものなんですか?」
「人による」
「では」
「今日は、こうして歩いてもいい?」
良樹は答えに詰まった。
「……いい」
カレンは、嬉しそうに笑った。
「ありがとう、良樹くん」
良樹は目を逸らした。
「だからその呼び方は効くんだよ」
後ろから、クラリスが穏やかに言う。
「後輩くん」
「照れている時は、無理に隠さなくてよいのですよ」
「お前は先輩として後ろから監督するな」
「先輩ですから」
「便利だな、先輩」
そんな調子で、三人は良樹を連れて街を歩いた。
甘味屋の前では、リシアが立ち止まった。
「せんぱい」
「放課後は、こういうところへ寄るのですよね?」
「まあ、寄る奴は寄る」
「では」
「私、これが食べたいです」
「せんぱい、選んでくれますか?」
「自分で選べるだろ」
「後輩なので」
「後輩の定義がだいぶおかしい」
カレンが隣で、メニューを見ながら小さく言う。
「良樹くん」
「私は……同じものにしてもいい?」
「別にいいけど」
「同級生なので」
「同じものを食べてみたいな、って」
良樹は額を押さえた。
「同級生も強いな」
クラリスは、良樹を席に座らせながら微笑んだ。
「後輩くん」
「立ったまま考え込まないで、座りなさい」
「命令が自然すぎる」
「先輩ですから」
「お前、先輩を完全に使いこなしてるな」
甘いものを食べ、少し歩き、また三人に囲まれる。
放課後でーと。
そう呼ぶには、良樹の年齢と状況があまりにもおかしい。
だが、三人は楽しそうだった。
そして、それを見ている良樹も。
困りながら、照れながら、確かに楽しくはあった。
◇
そして。
人気のない通りに、一陣の風が吹き抜けた。
石畳の上を走った風が、三人の制服の裾をまとめてさらった。
「きゃっ」
カレンが真っ先に声を上げた。
「っ……!」
リシアが慌てて片手でスカートを押さえる。
「あら」
クラリスも少し遅れて、自分の裾へ手を添えた。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄の短いスカート。
そんなものを着て、人気のない通りを歩いていて。
風が吹いて。
何も起こらないわけがなかった。
良樹は、反射的に視線を逸らそうとした。
した。
したのだ。
だが、人間の視界に入力遮断の非常停止は付いていない。
見えた。
見えてしまった。
いや。
そんな逃げ方は、良樹自身が許さなかった。
見た。
ガッツリ見た。
リシア。
黒から茶へ溶けるような、薄く艶のある脚布越しに、白。
カレン。
膝下のハイソックスと、揺れたスカートの奥に、淡いライトグリーン。
クラリス。
太もも半ばまでのニーハイソックス。
その上、清楚な制服姿に似合いすぎる、青。
良樹の脳内で、盤内照明が一斉に落ちた。
主幹ではない。
たぶん主幹ではない。
だが、制御電源は完全に瞬停した。
「……」
良樹は、ゆっくり空を見上げた。
今日の天気は、やや曇り。
薄い雲が空を覆っている。
陽射しは柔らかい。
風は、もう通り過ぎた。
しかし、良樹の人生は今、確実に荒天だった。
「せんぱい」
リシアの声がした。
後輩口調だった。
後輩口調のまま、明らかに低かった。
「……何だ」
良樹は空を見たまま答える。
リシアは、片手でスカートを押さえたまま、頬を赤くして言った。
「せんぱいの、すけべ」
良樹の肩が跳ねた。
「待て」
「今のは風が――」
「風のせいにするんですか?」
「風のせいだろ!」
「でも、見ましたよね?」
「……」
「見ましたよね、せんぱい」
良樹は答えなかった。
答えられなかった。
その沈黙を見て、今度はカレンが震える声で言った。
「よ、良樹くんの……」
カレンは、そこまで言って一度口を閉じた。
顔が真っ赤だった。
耳まで赤い。
制服の袖を握る手も、わずかに震えている。
それでも、同級生役を崩さなかった。
「良樹くんの、えっち……」
良樹は片手で顔を覆った。
「カレン」
「それは男子校出身者に撃っていい言葉じゃねえ」
「う、撃つつもりじゃ……」
「でも、見たから……」
「見た」
「見たのは事実だ」
「悪い」
良樹は、空を見たまま即座に謝った。
リシアとカレンは、そこで少しだけ黙った。
言い訳はした。
風のせいとも言った。
だが、見た事実は誤魔化さない。
そういうところが、余計に良樹だった。
だが。
問題は、まだ一人残っていた。
「後輩くん」
クラリスの声がした。
穏やかだった。
いつも通り清楚だった。
だからこそ、良樹は嫌な予感がした。
「何だ」
「確認ですが」
「確認するな」
即答だった。
クラリスは、にこりと微笑む。
「まだ何も言っていません」
「お前が確認って言った時点で、だいたい危ない」
「そうでしょうか」
クラリスは、スカートの裾を指先でつまんだ。
そして、ほんの少しだけ持ち上げようとした。
「では、後輩くん」
「先ほど見えたものが正しかったか、もう一度――」
「やめろ!」
良樹が叫んだ。
リシアも叫んだ。
「クラリス!?」
カレンも真っ赤になって叫んだ。
「ク、クラリス、それは駄目です……!」
クラリスは、裾をつまんだまま、きょとんと首を傾げる。
「確認は大切では?」
「大切じゃない!」
「少なくとも今の確認は要らねえ!」
「ですが、良樹くんは先ほど、青と答えました」
「言うな!」
「正確な観測だったかどうかを――」
「観測するな!」
「俺を測定器にするな!」
クラリスは少しだけ考えるように目を伏せた。
「では、確認は不要ですか?」
「不要だ!」
「本当に?」
「本当に!」
「ですが、嫌ではなさそうな顔を――」
「してない!」
良樹は必死に否定した。
必死すぎて、逆に説得力が落ちていた。
リシアが半眼になる。
「せんぱい」
「何だ」
「今の否定、ちょっと弱いです」
「後輩に判定される筋合いはねえ」
カレンが、真っ赤な顔で小さく言う。
「良樹くん……」
「嫌では、なかったの?」
「その同級生口調で聞くな」
「俺の逃げ道がなくなる」
クラリスが裾から手を離し、にこりと微笑んだ。
「では、記録としては」
「風による偶発的な視認」
「良樹くん、正直に申告」
「リシア、せんぱいをすけべ認定」
「カレン、良樹くんをえっち認定」
「クラリス、再確認を提案」
「良樹くん、強く拒否」
「記録するな」
「特に最後から二番目を記録するな」
クラリスは、裾をつまんだ指をそっと離した。
良樹は、心底ほっとした。
よかった。
再確認は回避した。
人間として、男として、二十八歳として、ぎりぎり踏みとどまった。
そう思った。
思ったのだが。
「後輩くん」
クラリスが、いつもの清楚な声で呼んだ。
「……何だ」
良樹は警戒しながら答える。
クラリスは、少しだけ頬を赤くしていた。
けれど、表情は穏やかだった。
柔らかく、上品で、まるで何でもない確認をするように。
「今日は、服に合わせて青にしたんですけど」
良樹の動きが止まった。
リシアも止まった。
カレンも止まった。
クラリスは、小さく首を傾げる。
「似合っていましたか?」
沈黙。
人気のない通りに、先ほどの風よりも重い何かが吹いた。
良樹は、ゆっくりと空を見上げた。
やや曇り。
曇りでよかった。
青空だったら、たぶんまた余計なことを思い出していた。
「……クラリス」
「はい」
「それは」
「俺に答えさせていい質問じゃない」
「そうなのですか?」
「そうなのですか、じゃねえ」
「今のは駄目だ」
「完全に駄目だ」
「風事故のあとに撃っていい質問じゃねえ」
クラリスは、ほんの少しだけ考えた。
「ですが、先ほど見えてしまったので」
「見えてしまった、じゃなくて」
「俺が見た」
「そこは俺が悪い」
「はい」
「では、良樹くんは見ました」
「言い直すな」
「事実確認するな」
「その上で」
クラリスは、にこりと微笑んだ。
「似合っていましたか?」
「再送するな!」
リシアが頭を抱えた。
「クラリス」
「その質問は危険よ」
「危険でしょうか」
「危険よ」
「良樹の復帰手順が消えるわ」
カレンは真っ赤な顔で、両手で頬を押さえていた。
「ク、クラリス……」
「それは、その……すごく……」
「すごく?」
「え、えっちです……」
カレンが言った瞬間、自分でさらに真っ赤になった。
良樹は片手で顔を覆った。
「カレン」
「お前がそれを言うと、さっきの“良樹くんのえっち”まで戻ってくるからやめろ」
「ご、ごめんね、良樹くん……」
「謝り方まで同級生なのがきつい」
クラリスは、まだ良樹を見ていた。
逃がす気がない。
「後輩くん」
「……何だ」
「似合っていなかったなら、次から変えます」
「そういう問題じゃねえ」
「では、似合っていたのですね」
「誘導尋問するな」
「先輩ですので」
「先輩の権限じゃねえ」
良樹は、しばらく黙った。
黙った。
黙って、逃げようとした。
だが、クラリスは待っている。
リシアは半眼でこちらを見ている。
カレンは真っ赤な顔で、でも少しだけ興味ありげに見ている。
良樹は、深く息を吐いた。
「……似合ってた」
三人が止まった。
良樹は、顔を逸らしたまま続ける。
「服にも合ってた」
「青いリボンとも、全体の雰囲気とも合ってた」
「だから」
「もう聞くな」
「これ以上は俺が人として持たない」
クラリスの顔が、ふわりと赤くなった。
「そうですか」
声が少しだけ柔らかくなる。
「良かったです」
リシアは額に手を当てた。
「良樹」
「そこまで真面目に答えなくていいのよ」
「嘘つけねえだろ」
「つきなさいよ、こういう時は!」
「嫌だ」
「似合ってたものを似合ってないとは言えねえ」
カレンが小さく呟いた。
「良樹くん……」
「そういうところです……」
クラリスは、嬉しそうに微笑んだ。
「では、次も青にしますね」
「次を想定するな」
「似合っていたので」
「似合ってたけど!」
良樹が叫んだ、その瞬間だった。
リシアの目が、きらりと光った。
「なーーーー」
良樹は、嫌な予感がした。
「待て」
「それなら」
「待てと言ってる」
リシアは、片手でスカートを押さえたまま、もう片方の手を自分の胸元に当てた。
そして、頬を赤くしながらも、やけに堂々と言った。
「私は今日は白!」
「どうだった!?」
良樹の動きが止まった。
「……リシア」
「何よ」
「後輩口調はどこ行った」
リシアは一拍だけ黙った。
それから、慌てて少し前屈みになり、下から良樹を見上げる。
片側の黒髪が、さらりと白い上着の肩に落ちた。
「せ、せんぱい」
「私は今日は白、です」
「どう……でした?」
「混ぜるな」
「普段のリシアと後輩リシアを混ぜるな」
「あと、その質問を丁寧に言い直すな」
「クラリスだけ答えてもらうのは、不公平です」
「不公平の使いどころが終わってる」
そこへ、カレンが小さく袖を引いた。
「よ、良樹くん……」
良樹はゆっくりカレンを見る。
見てはいけない気がした。
カレンは、両手でスカートの裾を押さえたまま、顔を真っ赤にしている。
言うべきか。
言わないべきか。
言いたいのか。
聞きたいのか。
聞いたら死ぬのではないか。
そんな顔だった。
「わ、私は、その……」
「薄緑で……」
そこで一度、カレンの声が消えかけた。
けれど、同級生として。
今日だけは、良樹くんの隣に立つ女の子として。
カレンは、逃げなかった。
「似合って……なかったでしょうか」
良樹は、完全に停止した。
リシアは強い。
クラリスは危険。
だが、カレンは違う。
その聞き方は駄目だった。
責めていない。
押していない。
ただ、少し不安そうに、見てもらえたかを聞いている。
良樹の逃げ道を、情緒で塞いでいる。
「……お前ら」
良樹は空を見上げた。
今日の天気はやや曇り。
だが、良樹の倫理委員会は完全に荒天だった。
「答えなさいよ、せんぱい」
「答えてください、後輩くん」
「よ、良樹くん……」
三方向。
白。
薄緑。
青。
制服。
ミニスカート。
風事故。
放課後デート。
先輩。
同級生。
後輩。
良樹は、深く息を吸った。
「……まず」
三人が、同時に固まる。
「リシア」
「な、何よ」
「白は似合ってた」
「というか、パンスト越しに見えたから余計にまずかった」
「だからもうその話を広げるな」
「俺が終わる」
リシアの顔が、耳まで赤くなった。
「ぱ、パンスト越しって言うな!」
「せんぱいのすけべ!」
「言わせたのお前だろ!」
良樹は次に、カレンを見る。
カレンは目を潤ませかけていた。
「カレン」
「は、はい……」
「薄緑も、似合ってた」
カレンの肩が、小さく跳ねる。
「ほ、本当?」
「ああ」
「お前らしい色だった」
「柔らかくて」
「でも、ちゃんと目に残った」
カレンは真っ赤になった。
スカートを押さえたまま、うつむく。
「……よかった」
その声が、あまりにも嬉しそうで。
良樹は、また自分の逃げ道が一つ消えた音を聞いた。
最後に、クラリスがにこりと微笑む。
「では、私の青も」
「もう言っただろ」
「もう一度聞いても?」
「聞くな」
「後輩くん」
「似合ってたよ!」
良樹は叫んだ。
「青も似合ってた!」
「白も似合ってた!」
「薄緑も似合ってた!」
「全員、服に合ってた!」
「だからこの話はここで終わりだ!」
「いいな!」
沈黙。
三人は、顔を真っ赤にしていた。
だが。
その表情は、明らかに晴れやかだった。
リシアが、小さく笑う。
「作戦成功ですね、せんぱい」
カレンが、袖をぎゅっとつまむ。
「良樹くんに、似合ってるって言ってもらえた……」
クラリスが、穏やかに頷く。
「良い確認でした」
「最悪の確認だった」
良樹は、力なく言った。
「俺は二十八歳だぞ」
「異世界の路地裏で」
「制服姿の婚約者三人の下着の色を順番に褒めて」
「何をやってるんだ」
リシアは、後ろ手に手を組み直した。
「青春、じゃないですか?」
「その青春は法に触れる気がする」
「ここは日本じゃありません」
「俺の中の日本が死にかけてるんだよ」
カレンが、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。
「でも……」
「忘れませんよね?」
「忘れられるわけねえだろ」
「焼き付いたって言っただろ」
クラリスが、満足げに微笑む。
「では、上書き完了ですね」
良樹は、やや曇りの空を見上げた。
天気は曇り。
だが三人の顔は、どうしようもなく晴れやかだった。
「……俺の尊厳だけが、風に飛ばされたな」
リシアが笑った。
「大丈夫です、せんぱい」
「何がだ」
「拾ってあげます」
「拾うな」
「そっとしておけ」
◇
放課後でーと、という名の何かがひと段落した頃。
リシアは、何事もなかったように良樹の袖を引いた。
「せんぱい」
「次は、服屋さんへ寄りましょう」
「……何でだ」
「着たあとの確認です」
「急に業務っぽくなるな」
「大切なことですよ、せんぱい」
「その後輩口調で品質確認を語るな」
カレンは、まだ少し赤い顔で頷いた。
「で、でも」
「仕立ててもらった服ですし、感想は伝えた方がいいと……思うよ」
「良樹くん」
「同級生口調のまま常識を言うな」
「断りづらいだろ」
クラリスも微笑む。
「後輩くん」
「服は、着て動いてみて初めて分かることもあります」
「先輩としても、報告は大切だと思います」
「三方向から正論を撃つな」
結局、良樹は三人に連れられて中央通りの服屋へ向かった。
◇
店に入ると、服屋の女主人がすぐに顔を上げた。
そして、三人の姿を上から下まで確認する。
リシア。
カレン。
クラリス。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
三人それぞれ、靴下や脚布の違いで印象が変わっている。
女主人の目が、職人の目になった。
「お帰りなさいませ」
「着心地はいかがでした?」
「悪くないわ」
リシアが言った。
途中まで後輩口調だったのに、店に入った瞬間、自然にいつもの調子へ戻っていた。
良樹はそこで少しだけほっとした。
ほっとしたのだが。
「動きやすかったし、見た目も崩れにくかった」
「ただ、風の通る通りは危険ね」
「スカートの内側に、もう一枚押さえがあった方がいいかもしれないわ」
良樹は顔を覆った。
「その報告、具体的にするな」
「必要な改善点でしょ」
「必要なのは分かる」
「分かるから困ってる」
女主人は真剣に頷く。
「なるほど」
「風対策ですね」
「内側に軽い布を重ねるか、裾の落ちを少し増やすか」
「ただし、軽さと可愛らしさは残したいところです」
「そこは大事ね」
リシアが頷いた。
「大事です」
クラリスも頷いた。
「カレンは?」
リシアが聞く。
カレンは顔を赤くしながら、小さく答えた。
「え、えっと……」
「少し恥ずかしかったですけど」
「歩きやすかったです」
「あと、良樹くんが……その、似合ってるって言ってくれたので」
女主人の目が光った。
「それは何よりです」
「そこに食いつくな」
良樹が低く言った。
クラリスは穏やかに続ける。
「全体の印象は、とても良かったと思います」
「服に合わせた色選びもしやすかったですし」
「色選びの話は今しなくていい」
「なぜですか?」
「俺が死ぬからだ」
「では、後で」
「後でもするな」
女主人は、良樹の反応を見て、何かを理解したように微笑んだ。
良樹は嫌な予感がした。
「それで」
女主人は、リシアへ向き直った。
「街の反応はいかがでした?」
リシアは、ほんの少しだけ得意げに笑う。
「評判にはなったんじゃない?」
「うちの店の名前は?」
女主人が聞く。
リシアは、親指を立てた。
「バッチリよ」
女主人も、親指を立てた。
二人の間に、無言の勝利が成立した。
良樹は、ゆっくりとリシアを見た。
「おい」
「何?」
「まさかとは思うが」
「これ、最初から店の宣伝も兼ねてたのか」
「全部じゃないわよ」
「一部はあったんだな」
「仕立ててもらったんだから、評判くらい返してあげてもいいでしょ」
「理屈は分かる」
「だが、俺の尊厳を広告塔にするな」
良樹がそう言った時だった。
リシアの後ろで、カレンがこっそり親指を立てていた。
顔は真っ赤。
視線も少し泳いでいる。
だが、親指だけはしっかり上を向いている。
その横で、クラリスも親指を立てていた。
清楚だった。
あまりにも清楚な顔で、まるで神殿の祝福でも与えるように親指を立てていた。
良樹は、それを見た。
「……お前らもか」
カレンの肩が跳ねる。
「は、はいっ」
「い、いえ、その……」
「私たちも、採寸してもらいましたし……」
「そこは知ってる」
「三人とも来なきゃ仕立てられねえからな」
「はい……」
「だから、その」
「お店の方には、とても丁寧に作っていただいたので……」
「恩返しの親指か」
「お、恩返しの親指です……」
「何だその可愛い言い訳」
カレンは真っ赤になって親指を隠した。
良樹は次にクラリスを見る。
「クラリス」
「はい、後輩くん」
「お前も採寸された側としての義理か」
「はい」
「即答するな」
「寸法を測る時、とても丁寧でした」
「裾の長さ、動いた時の見え方、座った時の布の落ち方、脚布との合わせ方」
「細かく相談に乗ってくださいましたので」
「待て」
「今、見え方って言ったか」
「はい」
「服として大切な確認です」
「何がどこまで見えるか、まで相談したのか」
クラリスは、にこりと微笑んだ。
「品位を守るためです」
「その言葉で全部通そうとするな」
女主人が真面目な顔で頷く。
「良樹様」
「品位は守っております」
「今日、風で全部持っていかれたんだが」
「風対策は改善項目です」
「不具合報告みたいに言うな」
リシアが腕を組む。
「実際、改善項目でしょ」
「風の通る通りでは、少し危なかったわ」
「少しじゃねえ」
「俺の倫理委員会が臨時総会を開いた」
「せんぱい」
「ここで後輩口調に戻るな」
「でも、ちゃんと見てくれましたよね?」
「事故だ」
「あと、見たことは謝った」
「謝った上で、似合ってるって言ってくれました」
「その情報を店に報告するな」
女主人が帳面を開いた。
「着用者三名、良樹様から好評」
「街の反応、良好」
「風対策、改善要」
「後輩型、効果大」
「同級生型、良樹様停止」
「先輩型、良樹様復帰困難」
「待て待て待て」
「何で俺の反応が仕様項目になってる」
リシアが当然のように答える。
「良樹に見せるための服だもの」
「良樹の反応は重要でしょ」
「そこを真正面から言うな」
カレンが、小さく袖をつまむ。
「で、でも」
「良樹くんが似合ってるって言ってくれたから」
「この服は、成功だと思う……」
良樹は言葉に詰まった。
カレンはずるい。
こういう時、一番やわらかい声で逃げ道を塞ぐ。
クラリスも微笑む。
「採寸の時から、良樹くんにどう見えるかは大切な確認でした」
「ですので、良い報告ができて安心しました」
「採寸時点で俺の反応が評価項目に入ってたのか」
「はい」
「はいじゃねえ」
女主人は、にこりと笑った。
「ご婚約者様方からのご依頼は明確でした」
「良樹様の故郷の学舎服を元に」
「それぞれの魅力が出るように」
「そして、良樹様の記憶に残るように」
「最後」
「最後の依頼文がおかしい」
リシア、カレン、クラリス。
三人は、揃って目を逸らした。
完全に心当たりがある顔だった。
「お前ら」
良樹が低く言う。
「俺の制服の記憶を上書きするために」
「採寸段階から店を巻き込んでたのか」
リシアは、少しだけ胸を張った。
「巻き込んだんじゃないわ」
「協力してもらったの」
「言い方を整えるな」
カレンが小さく言う。
「悪いことでは、ないと思います……」
「服屋さんも、とても楽しそうでしたし……」
「商機を見つけた顔だっただろ」
「はい」
クラリスが清楚に頷く。
「良い商機でした」
「お前もそっち側か」
「文化交流ですので」
「文化交流って言えば何でも通ると思うなよ」
リシアが、女主人へもう一度親指を立てる。
女主人も立てる。
その後ろで、カレンが小さく、しかし確かに親指を立てる。
クラリスも、清楚な微笑みのまま親指を立てる。
四本の親指。
良樹は、天井を見上げた。
「共犯が多すぎる……」
女主人は微笑んだ。
「良い服は、一人では作れませんので」
「綺麗に締めるな」
「俺の尊厳を縫製工程に入れるな」
リシアは、後ろ手に手を組み直した。
「せんぱい」
「何だ」
「採寸から今日まで、全部含めて」
「上書き作戦、成功です」
良樹は、深く息を吐いた。
否定したかった。
だが、否定できなかった。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
夢に出てきた、縁がないはずの三人。
リシアの黒髪。
カレンの袖をつまむ手。
クラリスの清楚な笑顔。
風。
悲鳴。
色。
そして、四本の親指。
全部、もう忘れられない。
「……成功だよ」
「成功しすぎだ」
「もう制服って聞いたら、お前らとこの店まで出てくる」
リシアの顔が明るくなる。
カレンは嬉しそうに笑う。
クラリスは満足そうに頷く。
女主人は、帳面に何かを書いた。
良樹は即座に反応した。
「今、何を書いた」
「上書き成功、と」
「店の帳面に書くな!」
店内に、三人と女主人の笑い声が重なった。
良樹だけが、深く深く息を吐いた。
◇
後日。
中央通りの服飾屋には、少し変わった新作が並ぶようになった。
白い上着。
青い布飾り。
青い格子柄のスカート。
ただし、良樹が見れば一発で分かるほど日本の制服そのもの、というわけではない。
この世界の布地。
この街の刺繍。
動きやすい丈。
冒険者の娘でも着られる丈夫さ。
良家の娘でも眉をひそめられない上品さ。
それらを混ぜ込んだ、学舎風の外出着。
服飾屋は、三つの型を用意した。
少し甘めの、後輩型。
親しみやすい、同級生型。
上品で落ち着いた、先輩型。
良樹はその札を見た瞬間、黙って店の前を通り過ぎようとした。
「良樹」
リシアが呼び止める。
「せんぱい、でしょ?」
「後日談まで続けるな」
リシアは楽しそうに笑った。
店先では、若い町娘たちが布地を選んでいる。
「私は同級生型がいいな」
「ええ、でも先輩型も大人っぽくて素敵」
「後輩型、可愛いけど少し勇気がいるわね」
「青いリボンにする?」
「私は少し緑を入れたいかも」
密かに。
本当に、密かに。
良樹の故郷の女子制服を元にした服は、街の若い娘たちの間で流行り始めていた。
良樹は額を押さえた。
「俺は何を持ち込んじまったんだ……」
クラリスが、にこりと微笑む。
「文化交流ですね」
「文化変質だ」
カレンが、少しだけ嬉しそうに店先を見る。
「でも……可愛いです」
「それは否定しねえけど」
良樹は深く息を吐いた。
否定はできない。
確かに可愛い。
この街の娘たちは楽しそうだ。
服飾屋も生き生きしている。
そして何より。
リシア、カレン、クラリスの三人が、妙に満足そうな顔をしている。
リシアが言った。
「これで、もう良樹が制服を思い出した時」
「昔の誰かだけじゃなくて」
「この街も、私たちも、思い出すでしょ?」
良樹は少しだけ黙った。
白い上着。
青いリボン。
青い格子柄のスカート。
夢の中で、縁がないと思った朝。
人気のない通りに吹いた風。
服屋で並んだ四本の親指。
そして、今日の店先で楽しそうに布を選ぶ娘たち。
昔の記憶は消えていない。
消える必要もない。
ただ、その上に、新しい記憶が重なった。
良樹は、観念したように息を吐いた。
「……ああ」
「たぶん、もうそうなる」
リシアは満足そうに笑った。
カレンは、少し照れながら袖をつまんだ。
クラリスは、静かに頷いた。
「上書き完了ですね」
「完了させるな」
「いや、もう完了してるけど」
良樹は店先の札をもう一度見た。
学舎風外出着。
後輩型。
同級生型。
先輩型。
その横に、小さく追記があった。
――良樹様反応確認済み。
「それは消せ!」
良樹の叫びが、中央通りに響いた。
後に。
その街の若い娘たちの間で、良樹の故郷に由来する学舎風の装いが、密かに流行ったという。
良樹本人は、最後までそれを文化交流とは認めなかった。
今回は番外編「制服侵攻作戦」でした。
本編ではなかなかやれない悪ふざけを、ここぞとばかりに詰め込んだ回です。
挿絵もかなり多めになってしまい、お目汚しでしたら申し訳ありません。
ただ、作者としては文章も挿絵も、とても楽しく作らせていただきました。
リシア、カレン、クラリスの制服姿と、それに振り回される良樹を少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




