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第51話 同じ失敗は、もうしねえ

 翌朝。


 良樹は、作業場で一人、興奮を隠せずにいた。


 眠気はない。

 疲れも、あるにはある。


 だが、それよりも胸の奥の盤がうるさかった。


 昨日、三人の魔力運用を読んだ。


 カレンの、怖い方向へ先に置く流れ。

 リシアの、四属性を崩さず立ち上げる順番。

 クラリスの、内側を通して外側で支える感覚。


 それを、三人へ書き込んだのではない。


 良樹自身へ書き込んだ。


 自分の中に、三人へ繋ぐための線ができた。

 行き先がある。

 戻り線がある。

 止める場所がある。


 迷わない。


 魔力が増えたわけではない。

 突然強くなったわけでもない。


 だが、無駄が減った。


 その差は、大きい。


 良樹は、試験台の前で何度も手を握り、開いた。


 出力方向指定。

 形状保持。

 外側支持。

 戻り線。

 先端制御。

 正逆転。

 過負荷時停止。


 頭の中で、昨日まで別々に考えていた線が、一本の考え方にまとまっていく。


 押し込まない。

 逃がす。

 形を保つ。

 必要な方向へだけ伸ばす。

 そして、戻す。


「……これは、すげえ」


 声が漏れた。


 最初は、真面目な確認だった。


 人には使えない。

 いきなり武器にも使えない。

 昨日の今日で、三人へ高負荷で繋ぎ直すなど論外だ。


 だから、小さいもので試した。


 壊れても被害が少ないもの。

 手元で制御できるもの。

 形状の変化が見やすいもの。


 その選択は、間違っていなかった。


 間違っていなかったのだが。


 良樹は、試験台に置かれたそれを見て、もう一度呟いた。


「……これは、現場が変わるぞ」


 その時、作業場の入口から声がした。


「……おはよう、良樹」

「早いわね」


 寝ぼけ眼のリシアだった。


 髪は少し乱れている。

 いつもの強気な目も、まだ半分眠っている。


 続いて、クラリスが入ってきた。

 眠そうではあるが、身だしなみはほとんど崩れていない。


 最後にカレンが、目をこすりながら顔を出した。


「あ、あの……良樹さん」

「もう作業ですか……?」


 三人は、そこで良樹の顔を見た。


 目が輝いている。


 眠気が、一気に薄れた。


 良樹がこの顔をしている時は、大抵何かが起きる。


 良いこともある。

 危ないこともある。

 そして、説明は長い。


「三人とも」


 良樹は振り返った。


 声が弾んでいた。


「これを見てくれ」

「こいつはすげえぞ」


 リシアは寝ぼけた目を瞬かせる。


「昨日の書き込みの成果?」


「ああ」

「かなり大きい」


 クラリスの表情が真面目になる。


「危険な変化ですか?」


「いや」

「安全側から試してる」

「人には使ってない」

「武器にもまだ使ってない」


 カレンが、少しほっとした。


「では、何で試したんですか?」


「小さいものだ」

「壊れても被害が少ない」

「手元で制御できる」

「形状の変化も分かりやすい」


 リシアは腕を組んだ。


「それなら、順番は悪くないわね」


「ああ」

「順番は合ってる」


「で、何なの?」


 良樹は腰袋へ手を入れた。


 三人が、自然とその手元を見る。


 昨日の読み出し。

 良樹自身への書き込み。

 安全側の確認。

 形状変化。

 先端制御。


 新しい魔導具か。

 小型の盤か。

 武器の雛形か。

 制御部品か。


 良樹は、満を持してそれを取り出した。


 一本の、ドライバーを。


 沈黙。


 作業場の空気が止まった。


 リシアが、ゆっくり瞬きをした。


「……良樹」


「何だ」


「それは?」


「ドライバーだ」


「見れば分かるわよ」


 リシアの声が低くなる。


「昨日の読み出しと書き込みの成果を」

「朝一番に」

「そんな顔で」

「見せると言って」

「出てくるのが、ドライバーなの?」


「待て」

「まだ叩くな」

「見てからにしろ」


 リシアの足元で、スリッパが少し動いた。


「今、私が何をしようとしたか分かった?」


「分かった」

「だから待てと言ってる」


 良樹はドライバーを握った。


 そして、三人の前で魔力を流した。


 最初に起きた変化は、小さかった。


 ドライバーの金属軸に沿って、薄い魔力が走る。

 半透明の光が、軸の外側を包む。


 リシアの眉が、少し動いた。


 クラリスの目が細くなる。


 カレンが、小さく息を呑んだ。


 次の瞬間。


 ドライバーの先端から、半透明の軸が伸びた。


「……」


 三人が黙った。


 良樹は、ゆっくり魔力を絞る。


 伸びた軸が短くなる。


 もう一度、伸ばす。


 今度は少しだけ角度を逃がす。


 先端の形は、崩れない。


 プラスの形を保ったまま、軸だけが伸び縮みした。


「……え」


 最初に声を出したのは、カレンだった。


 良樹は、勝ち誇った顔で言った。


「軸長が変えられる」


 リシアの目が完全に覚めた。


「ちょっと待ちなさい」

「今、伸びたわよね?」


「ああ」

「伸びた」


「先端の形は?」


「保ってる」


 クラリスが静かに言った。


「外側で支えていますね」

「内側へ押し込まず、形だけを保っている」


「そうだ」


 良樹は頷いた。


「昨日の読み出しと書き込みで、そこが安定した」

「押し込まない」

「逃がす」

「形を保つ」

「必要な方向へだけ伸ばす」


 リシアは、ドライバーを見つめた。


 ただの工具。

 の、はずだった。


 だが、目の前で軸が伸びている。


 長さが変わる。

 手元はそのまま。

 先端は崩れない。


 良樹の顔が、さらに危ない輝きを帯びた。


「しかもだ」


「まだあるの?」


「ああ」


 良樹は、ドライバーの柄を固定した。


「柄は動かさない」

「軸を保つ」

「先端形状を保つ」

「外周だけを流す」


 半透明の先端が、静かに回った。


 低速。


 停止。


 逆転。


 カレンが目を丸くした。


「回って……」


「回ってるわね」


 リシアの声が、少しだけ引きつった。


 クラリスも、さすがに少し驚いた顔をしていた。


 良樹は、完全に我慢できない顔で言った。


「手首を回してない」

「柄も動かしてない」

「先端だけが回る」

「しかも正逆転できる」

「軸長も変えられる」

「先端形状も保てる」


 良樹は、震える声で告げた。


「つまり」

「電動ドライバーならぬ――」


 一拍置いた。


「魔動ドライバーだ」


 挿絵(By みてみん)


 ぱこん。


 乾いた音がした。


 リシアのスリッパが、良樹の後頭部に入った。


「何すんだ!」


「こっちの台詞よ!」


 リシアは、片足だけ裸足のまま叫んだ。


「昨日のあれだけ大事な読み出しと書き込みの結果を」

「朝一番に」

「そんな大発見みたいな顔で」

「魔動ドライバーとして報告しないで!」


「大発見だろ!」

「電動じゃねえんだぞ、魔動だぞ!」

「軸長可変だぞ!」

「先端形状保持だぞ!」

「しかも正逆転だぞ!」


「名前で押し切ろうとしない!」

「便利なのは分かるわよ!」

「分かるのが腹立つのよ!」


 カレンは、両手で口元を押さえていた。


「あ、あの……」

「でも、すごいです」

「良樹さんがすごく嬉しそうなのも、少し分かります」


「分かるだろ!」


「カレン、分かってあげなくていいのよ!」


 クラリスは、口元に手を添えて微笑んでいた。


「ですが、良い確認手順です」

「人ではなく、武器でもなく、工具で先に試した」

「良樹くんは興奮していますが、順番は間違えていません」


「だろ」


「興奮していることは否定されてないわよ」


 リシアが低く言う。


 良樹はドライバーを握り直した。


「これは本当にすごいんだ」

「奥まった場所のネジに届く」

「狭い体勢でも使える」

「手首を無理にひねらなくていい」

「軸長を変えられる」

「先端形状を保てる」

「しかも回る」

「これは現場が変わるぞ」


「現場って何よ」


「現場だ」


「説明になってないわよ」


「現場は現場だ」


「朝から面倒くさいわね!」


 カレンが、そこで小さく手を上げた。


「あの」

「良樹さん」


「何だ」


「それ」

「剣にも、応用できますか?」


 作業場の空気が、変わった。


 良樹の興奮が、一段だけ沈む。


 リシアも、スリッパを下ろした。

 クラリスの目も細くなる。


 良樹は、ドライバーの先端を見た。


 伸びる軸。

 保たれる形。

 回転する先端。


「……可能性はある」


 カレンは、自分の剣に手を添えた。


「剣を大きくするのではなく」

「怖いところに、届かせることも……?」


「ああ」

「ただ、巨大剣とは違う」

「あれは大出力だ」

「今回見えたのは、精度と可変だ」


 良樹はドライバーを試験台に置いた。


「カレンの剣」

「リシアの魔法」

「クラリスの体術」

「全部、試せる可能性がある」


 リシアが、じっと良樹を見る。


「朝ごはんは?」


「……」


「良樹」


「朝飯の後だな」


「よろしい」


   ◇


 朝食を終えたあと、四人は町外れへ出た。


 町の外れには、低い草の広がる空き地があった。

 少し離れた場所には、大きな岩。

 反対側には、木片を吊るすのに使えそうな古い柵。

 人通りはほとんどない。


 良樹は、いつものように周囲を確認した。


 人影なし。

 荷車なし。

 家畜なし。

 射線の先に道なし。

 退避位置あり。

 巨岩の後方確認。

 木片の飛散方向確認。


 それから、地面に三本の線を引いた。


「今日は、完成させる日じゃねえ」


 三人が良樹を見る。


「どこまでできそうか」

「どこから危ないか」

「そこを四人で見る」


 良樹は、三人を順に見た。


「俺が全部止めるんじゃない」

「リシアは魔力の流れを見る」

「カレンは怖い場所と斬る場所の違いを見る」

「クラリスは返りと通り方を見る」

「俺は盤と接続を見る」


 リシアは杖を握り直した。


「危ないなら、やめるんじゃないの?」


「危ないからやめる、で終わらせると」

「本当に必要な時にぶっつけになる」

「それが一番まずい」


 カレンが、剣に手を添える。


「なら、戻れる場所で試すんですね」


「ああ」

「戻れる範囲で、一つずつ」

「見えたら、次の改善に回す」

「今日はそれで十分だ」


 クラリスは静かに頷いた。


「危ない場所を知るのも、試験ですね」


「そうだ」

「危ないまま使わないための試験だ」


 リシアは少し笑った。


「分かったわ」

「じゃあ、ちゃんと危ないところまで見ましょう」


「ああ」

「戻れる範囲でな」


   ◇


 最初はリシアだった。


 良樹は遠くに石板を立てた。

 それから、近距離に小さな木片をいくつも吊るす。


「威力じゃない」

「弾種だ」


 リシアが首を傾げる。


「弾種?」


「お前はもう撃てる」

「連射もできる」

「大きいのも撃てる」

「だから今日は、撃ち方を増やす」


 良樹は遠くの石板を指した。


「まず、一点を抜く形を見たい」

「次に、面で押さえる形を見たい」

「どっちも威力じゃなくて、形の確認だ」


「狙撃型と、散弾型ね」


「ああ」

「外した先と、巻き込む範囲を見る」


「分かった」

「やるわ」


 リシアは杖を構えた。


 端子台接続が開く。


 良樹の魔力が入る。


 前より、扱いやすい。

 押し込まれる感じではない。

 最初から、リシアが受け取れる場所へ来る。


 火が暴れない。

 水が遅れない。

 風が逃げ道を作る。

 土が芯を締める。


 リシアは、小さく息を吐いた。


「……本当に、前より入れやすい」


「リシア」


「魔力の話よ」


「分かってる」


 リシアは少しだけ頬を赤くしたまま、杖先へ魔力を集めた。


 いつものエレメンタル・ストライクとは違う。


 派手な火球ではない。

 大きな弾でもない。


 四属性を細く締めた、針のような一発。


「行くわ」


 放たれた。


 光が、空気を細く裂く。


 音は遅れて来た。


 遠くの石板の中央に、小さな穴が空いた。


 同時に、リシアの身体がわずかに揺れた。


 胸元が。


 ぽよん、と。


 揺れた。


 良樹は石板を見た。


 見た。

 必死に見た。

 石板の穴を見た。

 穴の周囲を見た。

 射線を見た。


「良樹」


 リシアの声が低い。


「石板を見てる」


「今、一瞬こっちに来たでしょ」


「反動を見た」


「どこの反動を?」


「全体だ」


「全体?」


「全体だ」


 即答が早かった。


 カレンは顔を赤くして目を逸らし、クラリスは口元に手を添えて微笑んだ。


「反動確認は大切ですね」


「クラリス、煽らない」


「技術的な話です」


「その顔で言わないで」


 リシアは少し赤い顔で咳払いした。


「……でも、反動はあったわ」

「細く締めた分、撃った後に少し返る」


 良樹は真面目に頷いた。


「そこは記録だな」

「狙撃型は射線と、反動」

「あと姿勢固定」


「姿勢固定?」


「ああ」

「揺れると次弾に影響する」


「どこが揺れると?」


「全体だ」


「また全体」


「全体だ」


 リシアは半眼になったが、追及はそこで止めた。


 次は、面制圧だった。


 リシアは近距離に吊るされた木片を見る。


「散らすのね」


「ああ」

「ただ散らすんじゃない」

「倒すより、止める形だ」

「前方だけ」

「範囲外は残す」


「了解」


 リシアの杖が横へ流れる。


 四属性の小さな粒が、扇形に散った。


 火の小片。

 水の膜。

 風の押し。

 土の芯。


 派手な爆発はない。


 だが、前方に吊るした木片が、ほぼ同時に弾かれた。


 揺れる。

 割れる。

 落ちる。


 範囲外に置いた一つだけが、揺れなかった。


 リシアは杖を下ろして息を吐いた。


「面は押さえられる」

「でも、近いわね」


「ああ」

「前衛の位置確認が要る」


「カレンとクラリスの前では撃たない」


「撃つなら、二人の足を止める合図が先だな」


 リシアは頷いた。


「記録して」

「狙撃型は射線」

「散弾型は味方位置」


「書いてる」


   ◇


 次はカレンだった。


 リシアが、小石を空中へ散らす。


 一つ。

 二つ。

 三つ。

 五つ。

 七つ。


 高さも、距離も、落ちる方向も違う。


 良樹は、カレンの前にも横にも立たなかった。


 当然だった。


 これから確認するのは、カレンが「怖い場所」を「斬る場所」に変えられるかどうかだ。

 その前や横に立つなど、試験ではなく事故待ちである。


 良樹はカレンの斜め後ろへ回った。


 剣筋。

 肩の入り。

 足の向き。

 視線。

 呼吸。


 それを見る位置。


 同時に、万一の時に端子台接続を切れる位置。


「良樹さん」


「何だ」


「後ろから、見ていてください」


「ああ」

「見てる」


 カレンは剣を握った。


 端子台接続が細く開く。


 良樹から来るのは、命令ではなかった。

 書き込みでもない。


 点だった。


 ここ。

 ここではない。

 ここは斬る。

 ここは残す。


 カレンは息を吸う。


 怖い場所が見えた。


 落ちてくる場所。

 当たる場所。

 間に合わない場所。


 そして、その全部を斬ってはいけないことも、見えた。


「……見えました」


 カレンは小さく言った。


 良樹は後ろから答える。


「なら、選べ」


「はい」


 リシアの指先が動く。


 小石が散った。


 カレンは一歩踏み込んだ。


 剣を振る。


 巨大な刃は出ない。

 地面を薙ぐような大振りでもない。


 ただ、カレンの視線が走った。


 一つ目。

 三つ目。

 右奥。

 左下。

 最後に、視界の端。


 剣が直接触れたのは、最初の一つだけだった。


 だが、空中の小石が割れた。


 かつん。

 かつん。

 かつん。


 小さな音が、遅れて重なる。


 すべての小石が、半分になって落ちた。


 カレンは剣を下ろし、息を吐く。


「斬れました」


「ああ」


 良樹は、後ろから割れた小石を拾った。


 断面は荒れていない。

 魔力を雑にぶつけた跡ではない。


 斬った跡だった。


「飛ばした斬撃じゃねえな」

「斬る場所を、指定してる」


 カレンは振り返った。


「怖いところが」

「斬るところに、変わりました」


 その声は震えていた。


「でも」

「全部は、斬りませんでした」


「ああ」

「そこが大事だ」


 良樹は頷いた。


「怖い場所を見るのと、斬る場所を決めるのは同じじゃねえ」

「今のは、それを分けられてた」


 カレンは、剣を胸元に抱くように持った。


「はい」

「怖いから全部斬るんじゃなくて」

「守るために、斬る場所を選びます」


「それができるなら、次の改善に進める」


 カレンは小さく頷いた。


「はい」


   ◇


 最後はクラリスだった。


 巨岩の前に立つ。


 拳の距離。

 蹴りの距離。

 杖術の距離。

 さらに、その外。


 段階を分けて、届き方を見る。


 最初は拳だった。


 クラリスは半歩踏み込み、岩へ拳を当てる。

 鈍い音。

 白い筋。


「返りは?」


「ありません」


「なら、次は蹴りの距離を見よう」


「はい」


 クラリスは一歩下がった。


 拳は届かない。

 だが、蹴りなら届く距離。


 クラリスは、右足を上げた。


 法衣の裾が遅れて揺れる。


 しなやかな脚が、太ももの付け根近くまで跳ね上がった。


 白い肌が、朝の光を切る。


 細い。

 柔らかい。

 けれど、軸はまったくぶれていない。


 可憐な見た目と、戦う身体の精度が、同じ一瞬にあった。


 そしてその端に、ほんの少しだけ紫が見えた。


 良樹の脳内で、存在しないブレーカーが落ちかけた。


「良樹」


 リシアの声が飛ぶ。


「岩だ」


「まだ何も言ってないわよ」


「先に言った」


 カレンは耳まで赤くなっていた。


「あ、あの……今のは、見えます」


「見えるわよね」


 リシアも頷く。


 クラリスは、足を上げたまま少しだけ頬を染めた。


「試験です」


「分かってる」


 良樹は岩を見た。

 岩を見た。

 とにかく岩を見た。


 クラリスの右脚が横へ走る。


 蹴りは岩に触れなかった。


 届かない。


 はずだった。


 ごん、と低い音が響く。


 岩の側面に、横一線の跡が入った。


 クラリスは足を下ろす。


「届きました」


「蹴りの意味が残ってるな」

「足そのものを飛ばしたんじゃない」

「蹴った結果だけが届いてる」


「はい」

「その感覚です」


 良樹は頷いた。


「次は杖の間合いだな」


 クラリスはさらに下がった。


 拳も届かない。

 蹴りも届かない。


 だが、杖なら届く。


 クラリスは杖を持っていない。

 それでも、足運びだけが杖術の間合いになった。


 拳を振る。


 岩の表面が、杖で突かれたように沈んだ。


 点。


 拳の面ではない。

 杖先で突いたような、鋭い一点。


「……拳なのに、当たりは杖だな」


「はい」

「拳がそのまま、杖で突いたように届きました」


「面倒なことになってきたな」


「良い改善です」


「良いかどうかは、使い方次第だ」


 クラリスは微笑んだ。


「はい」

「使い方を、これから改善していきましょう」


 その言葉は穏やかだった。


 だが、良樹は見逃さなかった。


 クラリスの目が、次の間合いを見ていたことを。


 クラリスは、さらに一歩下がった。


 杖で払っても届くか怪しい距離。


 右足が、今度は大きく横へ払われる。


 岩の表面から苔と欠けが飛んだ。


 カレンが小さく息を呑む。


「今の、届く距離じゃありません」


「だから試験だ」


 良樹は低く言った。


「クラリス、返りは」


「少しだけ、腰に」


「続けられるか」


「できます」


 クラリスは距離を取った。


 拳も届かない。

 蹴りも届かない。

 杖でも届かない。


 そこで、手のひらを岩へ向ける。


 呼吸が沈む。


 いつもの、内へ通す目。


 ただし、今は違う。


「奥へ抜けます」


「一回だけだ」


「はい」


 クラリスの手が、わずかに動いた。


 こん、と小さく岩が鳴る。


 表面はほとんど壊れていない。


 だが、岩の反対側に細い亀裂が走った。


 リシアが黙る。

 カレンも黙る。


 クラリスは、自分の手を見た。


「……貫通しました」


 良樹は息を吐いた。


「記録する」

「危険域だ」

「二回目は、条件を決めてからだ」


「はい」


 クラリスは頷いた。


 その顔は清楚だった。


 だが、目だけは静かに、岩の奥を見ていた。


   ◇


 記録は、紙一枚では足りなかった。


 リシア。

 狙撃型。

 散弾型。

 射線確認。

 味方位置確認。

 反動あり。

 姿勢固定。


 カレン。

 指定斬撃。

 恐怖点と斬撃点の分離。

 味方近接時注意。

 怖いから全部斬らない。


 クラリス。

 杖術間合い体術。

 蹴りの意味の残存。

 発勁距離。

 貫通あり。

 回転付与未確認。


 そして。


 魔動ドライバー。


 良樹は、その文字を一度だけ見た。


 工具としては、文句なしに大発明だった。

 現場が変わる。

 作業が変わる。

 狭い場所のネジ締めが変わる。


 だが、それだけではない。


 今日、見えたものは全部、使える可能性だった。


 リシアは遠い一点を抜き、近い面を押さえられる。

 カレンは怖い場所を、斬る場所として選べる。

 クラリスは届かないはずの距離で、体術の意味を届かせる。


 どれも強い。

 どれも危ない。


 だから、封印ではない。


 良樹は紙に、もう一行書いた。


 危ないまま使わない。


 少し考えて、その下に続ける。


 使うために、止め方を作る。


 リシアが、その文字を覗き込んだ。


「使うのね」


「ああ」


「危ないのに?」


「危ないからだ」


 良樹は、割れた小石を見た。

 穴の空いた石板を見た。

 亀裂の入った岩を見た。


「危ないから封印、で終わらせたら」

「本当に必要になった時、ぶっつけになる」


 カレンが、剣を胸元に抱えた。


「ぶっつけで使えば……」


「ああ」

「たぶん、また俺が握る」

「無理にでも、全部まとめて通そうとする」

「それで、また落ちる」


 クラリスの表情が、少しだけ静かになった。


「良樹くん」


 良樹は、首を横に振った。


 それから、三人を見た。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 あの時、無茶をしたつもりはなかった。


 勝つために必要だった。

 守るために必要だった。

 あの場で、他に手がなかった。


 そう思っていた。


 けれど。


 三人は泣いた。


 怒っていた。

 悲しんでいた。

 怖がっていた。


 良樹が倒れたことを。

 良樹が、自分を計算に入れていなかったことを。


 あの時、良樹は初めて知った。


 自分が壊れることは、自分だけの問題ではない。


 だからこそ。


「同じ失敗は、もうしねえ」


 声は大きくなかった。


 だが、三人の前で、良樹ははっきりと言った。


「危ないから封印するんじゃない」

「使うために、危ないところを見る」

「本当に必要になった時に、ぶっつけで使わないために」

「俺がまた、全部握って落ちないために」


 良樹は、紙に書いた記録を見た。


 リシアの狙撃型と散弾型。

 カレンの指定斬撃。

 クラリスの間合い越え。


 どれも強い。

 どれも危ない。

 どれも、きっと必要になる。


「だから、試す」

「戻れる場所で」

「お前らと一緒に」

「止め方まで含めて」


 良樹は、もう一度三人を見た。


「同じ失敗は、もうしねえ」


 三人は、すぐには何も言わなかった。


 リシアは、目元を少しだけ赤くして、良樹から視線を逸らした。

 けれど、離れなかった。


 カレンは剣を胸元に抱えたまま、何度も小さく頷いていた。

 泣きそうなのに、笑っていた。


 クラリスは、いつもの清楚な微笑みを浮かべていた。

 ただ、その目だけが、いつもよりずっと柔らかかった。


 良樹は眉を寄せる。


「……何で三人ともそんな顔してんだ」


「分からなくていいわよ」


 リシアが言った。


 声は、少しだけ震えていた。


「分からねえと改善できねえだろ」


「そこは改善しなくていいです」


 カレンが、小さく言った。


「いや、でも」


「良樹くん」


 クラリスが、静かに首を振った。


「今は、分からなくて大丈夫です」


「……そういうもんか」


「はい」


 三人は、そう言って良樹を見ていた。


 言葉にすれば、きっと重くなる。

 近づけば、きっと止まらなくなる。


 だから、言わなかった。


 ただ、その場にいる三人の目は、どうしようもなく同じことを言っていた。


 良樹は、その視線に耐えきれず、紙へ目を落とした。


 そこには、今日の試験結果が並んでいる。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 そして、一番上には。


 魔動ドライバー。


「……やっぱり」


「良樹」


 リシアの声が低くなった。


「今それを言ったら、泣きそうだった分だけ本気で叩くわよ」


「……言わねえ」


 良樹は口を閉じた。


 だが、心の中では思っていた。


 魔動ドライバー。


 これは現場が変わる、と。

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