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第50話 読み出して、書き込む

 拠点へ戻った後も、良樹はしばらく作業場にいた。


 作業台の上には、紙が広げられている。


 昨日の中継小屋防衛。

 オークキング相当個体。

 エレメンタル・キャノン。

 リシアとの共同制御。

 カレンへの瞬間的な配分。

 クラリスへの負担軽減。

 端子台通信。

 信号器。

 射線確認。

 退避確認。

 撃った後の確認。


 書けば書くほど、線が増えた。


 良樹は筆を止め、眉間を押さえた。


「……そりゃ落ちるわな」


 魔力が足りなかったわけではない。


 そこは、もう分かっている。


 良樹の魔力は、普通の魔法使いのように自分の中だけで完結していない。

 世界から引ける。

 魔導盤を通せば、かなり大きな力を扱える。


 主回路は落ちていない。


 落ちたのは、制御側だ。


 出力そのものではない。

 どこへ流すか。

 どれだけ流すか。

 いつ切るか。

 誰へ寄せるか。

 どこで逃がすか。

 何を優先するか。


 そこを全部、良樹が握っていた。


 リシアへ送る。

 カレンへ送る。

 クラリスへ送る。

 三人から返ってくる信号を読む。

 端子台通信を整理する。

 信号器を見る。

 敵を見る。

 射線を見る。

 退避を見る。

 そして、キャノンを撃つ。


 それを、全部。


「……馬鹿か、俺は」


 良樹は低く呟いた。


 馬鹿だった。


 いや、戦闘中に必要だったことは分かる。

 あの場面で何かを捨てれば、誰かが危なかった。

 小屋が潰れたかもしれない。

 オークキング相当個体が、あのまま生活圏へ入ったかもしれない。


 だから、結果だけを見れば仕方なかった。


 だが。


 仕方なかったで終わらせるなら、それは設計ではない。


 良樹は紙へ書いた。


 制御負荷。

 変換ロス。

 相手側仕様未確認。


 そこまで書いて、筆が止まる。


「……これだな」


 良樹は、三人へ魔力を渡す時のことを思い返した。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 三人は、それぞれ魔力の使い方が違う。


 リシアは四属性を扱う。

 火、水、風、土。

 一見すると同時に扱っているようで、実際には流れ方に順番がある。


 カレンは怖い方向を見る。

 全身を強化するというより、剣、足、前方防御へ魔力を置く。


 クラリスは奥へ通す。

 治す時も、止める時も、殴る時も、身体の奥から返りを逃がす。


 それは、良樹もある程度分かっていた。


 だが、ある程度だ。


 今までは、良樹自身の中で無理やり合わせていた。

 端子台。

 インバータ。

 出力制限。

 共通ブレーカー。


 それで形にはなった。


 だが、そのたびに良樹の中で変換している。

 相手に合わせるたび、都度、制御側へ負荷がかかる。


 相手の仕様を読まずに、俺の中だけで帳尻を合わせている。


「そりゃ重い」


 良樹は、もう一度紙へ書いた。


 三人の魔力運用部を読み出す。

 良樹自身の魔力運用回路へ書き込み。


 その時、作業場の入口から声がした。


「また作業場にいる」


 リシアだった。


 その後ろに、カレン。

 さらにクラリス。


 三人とも、昨日の街歩きの疲れは抜けているように見えた。

 少なくとも、表面上は。


 ただ、良樹と目が合った瞬間、カレンは少しだけ胸元へ手を寄せた。

 リシアは一瞬だけ視線を逸らした。

 クラリスは清楚に微笑んでいる。


 良樹は、昨日の街で起きた諸々を思い出しかけた。


 カレン。

 クラリス。

 リシア。


 柔らかさ。

 白さ。

 青。


「違う」


「何が?」


 リシアの目が細くなる。


「何でもない」

「これは魔導盤の話だ」


「聞いてないんだけど」


「聞かれる前に否定した」


「余計怪しいわよ」


 良樹は咳払いをした。


 今それを考えてはいけない。

 昨日の事故は昨日の事故。

 今日の議題は制御負荷だ。

 二十八歳の健全な男としての脳内ノイズは、正式な試験項目ではない。


 たぶん。


 クラリスが作業台の紙を見る。


「制御負荷」

「変換ロス」

「相手側仕様未確認」


 穏やかな声で読み上げた後、クラリスは良樹を見た。


「また、無理をするための設計ではありませんよね」


「違う」

「無理を減らす設計だ」


 カレンが少し近づく。


「何をするんですか?」


「読み出しだ」


 三人の表情が、わずかに変わった。


 読み出し。


 その言葉は、もうただの技術用語ではなかった。


 端子台。

 接続。

 返ってくる声。

 内側に触れる感覚。

 そして、何回やっても慣れない反応。


 良樹は、三人が少し赤くなったのを見て、すぐに言葉を足した。


「思考や感情を覗くわけじゃねえ」

「読むのは魔力運用部分だ」

「どう受けて」

「どう変換して」

「どこへ逃がして」

「どう止めてるか」

「そこを読ませてもらう」


 リシアが腕を組んだ。


「それを読んで、どうするの?」


「俺の方を直す」


「良樹の方?」


「ああ」

「お前らを書き換えるんじゃない」

「俺自身を書き換える」

「正確には、俺の中の出力変換経路を直す」


 カレンが目を瞬かせた。


「私たちの中を読んで、良樹さんの方を直すんですか?」


「そうだ」

「受け側に無理させる設計は、設計が悪い」

「相手の仕様を読んで、俺の中の流し方を直す」

「それだけだ」


 クラリスが静かに頷いた。


「私たちには、書き込まないのですね」


「書き込まねえ」

「他人の魔力回路を勝手に改造するなんて論外だ」

「今やるのは、俺自身の魔力運用回路だけだ」


 リシアは、少しだけ息を吐いた。


「そういう線引きは、ちゃんとしてるのね」


「そこを曖昧にしたら終わりだろ」

「他人の盤を、勝手に改造するな」

「現場以前の問題だ」


「他人の盤って」


 リシアは呆れたように言ったが、少し安心したようにも見えた。


 カレンも、胸元で手を握る。


「それなら」

「私から、お願いします」


 良樹がカレンを見る。


 カレンは怖がっていた。

 それは分かる。


 だが、逃げてはいなかった。


「待ちなさい」


 リシアが言った。


「初回なら、共同制御している私の方がいいわ」

「良樹の負荷が一番出たのも、キャノンの時でしょ」


 クラリスも一歩前へ出る。


「安全確認を兼ねるなら、私が最初です」

「異常が出た場合、すぐ診られます」


 カレンが少しだけ眉を下げる。


「で、でも……」


「カレンが駄目って言ってるんじゃないわ」

「初回条件は大事なの」


「はい」

「初回の安全性は重要です」


 良樹は、三人を見た。


 カレン。

 リシア。

 クラリス。


 三人とも真面目だった。

 真面目に、自分が最初だと言っている。


 良樹は天井を見上げた。


「……何で読まれる順番で揉めるんだ」


 三人の声が重なった。


「「「大事だから」」」


「正論で包囲するな」


 このままでは進まない。


 良樹は少し考えた。


 順番。

 公平。

 短時間。

 後腐れが少ない。


 自分の世界には、便利な手順があった。


「分かった」

「俺の世界には、こういう時に使う手順がある」


 リシアが眉を上げる。


「手順?」


「ああ」

「じゃんけんだ」


   ◇


 良樹は、三人へ説明した。


 グー。

 チョキ。

 パー。


 石。

 鋏。

 紙。


 石は鋏に勝つ。

 鋏は紙に勝つ。

 紙は石に勝つ。


 リシアが真顔で聞いた。


「紙が石に勝つの?」


「包むからだ」


「包むと勝つの?」


「そういうものだ」


 カレンが小さく手を上げる。


「あの……剣なら、紙も石も斬れそうです」


「剣を持ち込むな」


 クラリスが首を傾げる。


「拳なら全部に勝てるのでは?」


「お前は競技性を壊すな」


「競技性」


「そうだ」

「これはそういう勝負なんだ」


 三人は、妙に真剣に頷いた。


 嫌な予感がした。


 良樹は、すぐにその予感を振り払う。


 今は順番決めだ。

 今後どうなるかなど、考えている場合ではない。


「じゃあ行くぞ」

「じゃんけん、ぽん」


 カレンがチョキ。

 リシアがパー。

 クラリスがパー。


「カレンの勝ちだ」


「……勝ち」


 カレンは、自分の指を見つめた。


 チョキ。


 二本の指。


 ただそれだけなのに。


 勝った。


 初めて教わった良樹の世界の勝負で。

 リシアとクラリスに。

 勝った。


「……勝ちました」


「ああ」


「私、勝ちました」


「分かったわよ」


 リシアが少し苦笑する。


「おめでとうございます、カレン」


 クラリスも微笑んだ。


 カレンは胸元で両手を握った。


 嬉しそうだった。

 本当に、嬉しそうだった。


 良樹は少しだけ口元を緩める。


「なら、一番手はカレンだ」


「はい」


 カレンは頷いた。


 怖い。

 それは顔に出ている。


 けれど、勝った。

 だから行く。


 そういう顔だった。


 続いて、リシアとクラリスの順番決めが行われた。


 カレンは恐怖センサーを全開にしたまま、自分の勝利を噛み締めていた。


 リシアは魔力による読み補助回路を、なぜかフル稼働させ始めた。

 相手の呼吸、肩、指先の揺れ。

 それらを読むための補助回路が、無駄に全力で回っている。


 クラリスの目が、すっと細くなった。

 清楚な僧侶の顔ではない。

 相手の重心、呼吸、意識の起こりを見る、武人の目だった。


 良樹は天を仰いだ。


「……じゃんけんだよな?」


「じゃんけんよ」


「じゃんけんです」


「じゃんけんですね」


「ならその出力を落とせ」


 しかし、もう遅かった。


 一回目は、あいこ。


 そこから先は、順番をめぐる死闘だった。


 なお、死闘とはじゃんけんである。


 挿絵(By みてみん)


 五連続あいこの末、その死闘を制したのはリシアだった。


「……勝ったわ」


「負けました」


 クラリスは清楚に微笑んでいた。

 ただし、目だけは次の勝負を見ていた。


 カレンは、まだ自分の指を見ている。


「私、勝ちました……」


「そこへ戻るな」


 良樹は頭を押さえた。


 この日、良樹の世界から持ち込まれた公平な決定手順は、三人の間に正式採用された。


 ただし、良樹はまだ知らなかった。


 リシアが読みを磨き。

 カレンが恐怖センサーを勝負勘に転用し。

 クラリスが武人の直感をじゃんけんに持ち込む未来を。


 知らない方が、幸せなこともある。


   ◇


 一番手は、カレンになった。


 カレンは作業台の前に立ち、両手を胸元で握っていた。


 勝ったから最初。

 そう自分に言い聞かせている顔だった。


 良樹は、魔導盤を小さく開く。


「カレン」


「はい」


「無理ならやめる」


「無理では、ありません」


 カレンはすぐに答えた。


 そして、少しだけ声を落とす。


「怖いだけです」


「怖いなら、止めてもいい」


「怖いところを見るのは」

「私の役目ですから」


 その言葉に、良樹は一拍黙った。


「分かった」

「極小から行く」

「読むのは魔力運用だけだ」

「感情や思考は読まねえ」

「違和感があったらすぐ言え」


「はい」


 良樹は読み出し線を細くした。


 端子台から伸びた薄い線が、カレンの手首へ触れる。


「……っ」


 カレンの肩が小さく跳ねた。


 痛みではない。

 熱でもない。


 けれど、触れられた場所から、自分の奥へ細い線が入ってくる。


 知っている感覚だった。

 前にもあった。

 初めてではない。


 それでも。


「うぅぅぅぁ……」


 カレンは顔を真っ赤にして、胸元で両手を握った。


 逃げたいわけではない。

 嫌なわけでもない。


 ただ、良樹の読み出しを受け入れようとすると、身体が勝手に強張る。

 怖い。

 恥ずかしい。

 でも、止めたくない。


 良樹の役に立ちたい。


「カレン、止めるか」


 良樹の声が低くなる。


 カレンは首を振った。


「止めないで、ください……」


 声が、思ったより細く出た。


 カレンは自分でそれに気づき、さらに耳まで赤くなる。


「ち、違います」

「今のは、その」

「読み出しを、止めないでほしいという意味で……」


 リシアが額に手を当てた。


「分かってるわよ」

「分かってるけど、言い方」


 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「カレンは正直で可愛いですね」


「今は、そういう話では……!」


 良樹は頷き、読み出しを続けた。


 カレンの魔力は、全身へ均等に広がっていなかった。


 良樹は、そこに最初の違和感を覚えた。


 普通に身体強化するなら、脚、腕、胴体、視界。

 全体へ薄く広げ、必要な場所だけ上げる。


 そう考えがちだ。


 だが、カレンは違う。


 怖い方向。

 敵が来る方向。

 刃を置く方向。

 足を踏み込む方向。


 そこへ先に、薄く魔力を置いている。


「……全身強化じゃねえ」

「怖いところに、先に置いてるのか」


 カレンの顔が赤くなる。


「はい」

「怖いので」

「そこを、見ないと……」


「逃げるためじゃない」

「踏みとどまるために見てる」


 カレンは、胸元の手をぎゅっと握った。


「そう、できているなら」

「嬉しいです」


 良樹は読み出しをさらに細くする。


 剣へ行く流れ。

 足元へ沈む流れ。

 前方へ薄く張る流れ。


 そして、要求信号。


 ください。


 それは甘えではなかった。

 少なくとも、戦闘中のそれは違う。


 怖い方向が定まった。

 そこへ置く場所が決まった。

 だから、次の出力を求める。


「カレンの“ください”は」

「要求信号として残した方がいいな」


 カレンの顔が、さらに赤くなった。


「だ、駄目ですか?」


「駄目じゃねえ」

「むしろ必要だ」

「お前は、怖い場所を見てから要求してる」

「なら、俺が勝手に全身へ流すより、お前の要求を待った方がいい」


 リシアが頷く。


「つまり、カレンが怖いところを決めてから、良樹が流すのね」


「ああ」

「方向指定型だ」

「剣、足元、前方防御」

「そこへ細く出す」

「要求信号後に増幅」


 クラリスが穏やかに言う。


「カレンらしいですね」


 カレンは、少しだけ目を伏せた。


「怖いだけです」


「怖いまま、見てるんだろ」


 良樹が言う。


 カレンは、ゆっくり頷いた。


「はい」

「怖いまま、見ます」


 良樹は紙へ書いた。


 カレン用。

 方向指定型。

 恐怖入力。

 要求信号後増幅。

 全身均等禁止。


 一番手の読み出しは、成功だった。


   ◇


 二番手はリシアだった。


 リシアは、作業台の前に立つと、杖を軽く握った。


 平静を装っている。


 装っているだけだと、良樹にも分かった。


「リシア」


「何よ」


「無理なら止める」


「それ、カレンにも言ってたわね」


「ああ」

「全員に言う」


「分かってるわよ」

「読むなら、ちゃんと読みなさい」

「中途半端に合わせられる方が怖いわ」


「だから読む」


 リシアは、一度だけ小さく息を吐いた。


「……来るって分かってるのに」

「何回やっても、変な感じなのよね」


 言ってから、リシアは自分の言葉に気づいた。


 耳が赤くなる。


「今のは」

「技術的な意味よ」


「分かってる」


「本当に?」


「分かってる」


「……ならいいわ」


 良樹は読み出し線を伸ばした。


 リシアの魔力へ触れる。


「……ん」


 リシアの指が杖を握る。


 カレンの時とは違う。


 カレンは、怖い方向へ魔力を置いていた。

 リシアは、流れそのものを整えていた。


 火。

 水。

 風。

 土。


 四つが同時に動いているようで、同時ではない。


 火が先に立つ。

 水がそれを冷ます。

 風が逃げ道を作る。

 土が形を保つ。


 だが、それも単純な順番ではない。


 火が立ちすぎれば暴れる。

 水が遅れれば逃げる。

 風が強すぎれば散る。

 土を固めすぎれば詰まる。


 そのわずかなズレを、リシアは感覚で整えていた。


「……くっ」


 リシアの肩が、小さく震えた。


「ちょっ……」

「や……」


 声が、そこで途切れた。


 リシア自身が、自分の声に気づいて固まる。


 良樹の手が止まった。


「止めるぞ」


「止めないで!」


 リシアは反射的に言ってから、顔を真っ赤にした。


「違う!」

「今のは、試験を止めるなって意味で!」


 カレンが両手で口元を押さえた。


「リシア……」


 クラリスは、穏やかに微笑んだ。


「分かっています」

「分かっていますが、かなり強いです」


「言わないで!」


 良樹は深く息を吐いた。


「出力を絞る」

「リシア、今の流れは俺が先に握ると邪魔になる」

「お前の流れを主にする」

「俺は少し遅れて添わせる」


 リシアは、まだ赤い顔で頷いた。


「それがいいと思う」

「良樹が先に全部決めると、私の魔法じゃなくなる」


「ああ」

「キャノンの時も同じだ」

「魔法構成側は、お前へ寄せる」

「俺は盤側、射線、安全確認、主回路制御」

「全部握らない」


 リシアは目を伏せた。


「……やっと分かったのね」


「遅かったな」


「遅いわよ」

「でも、分かったならいい」


 良樹は紙へ書いた。


 リシア用。

 均等禁止。

 追従補正。

 四属性立上げ順尊重。

 共同制御時、構成側委譲。

 良樹先行禁止。


「禁止って書いたわね」


「必要だろ」


「必要ね」


 リシアは、少しだけ笑った。


 二番手の読み出しも、成功だった。


   ◇


 三番手は、クラリスだった。


 クラリスは作業台の前へ立ち、いつものように清楚に微笑んでいた。


 ジャンケンで負けた悔しさなど、欠片も見えない。


 少なくとも、表面上は。


「クラリス」


「はい」


「まだ悔しいのか」


「いいえ」

「次は勝ちます」


「悔しいんじゃねえか」


「向上心です」


「便利な言葉だな」


 クラリスは微笑む。


 その様子は、実に落ち着いていた。


 カレンの読み出し。

 リシアの読み出し。


 二人がそれぞれ声を乱し、顔を赤くし、何回やっても慣れないと言った後でも、クラリスは平然としていた。


 良樹は読み出し線を伸ばす。


「極小から行く」

「深いところへ入りすぎたら止める」


「はい」

「大丈夫です」

「そのまま続けてください」


 クラリスの声は、乱れない。


 読み出し線が、クラリスの魔力運用へ触れる。


 深い。


 最初から、深かった。


 表面ではない。

 皮膚でもない。

 筋肉でもない。


 もっと奥。


 魔力が、身体のどこを通り、どこで止まり、どこへ返りを逃がしているか。

 クラリスは、それを当然のように使っていた。


 良樹は思わず眉を寄せる。


「……お前、こんな深いところを普段から見てるのか」


「はい」


 クラリスは、静かに頷いた。


「身体は、表面だけでは分かりませんから」


「治療もか」


「はい」

「壊す時も、止める時も、治す時も」

「見る場所は、近いです」


 リシアとカレンが、わずかに黙る。


 クラリスは、本当に平然としていた。


 良樹の読み出し線が、自分の奥へ触れている。

 それでも呼吸は乱れない。

 指先も震えない。

 声も、いつものままだった。


「外側だけでは、浅いです」


 クラリスは、自分の手首へ視線を落とした。


「拳を支えるなら、表面を覆うだけでは足りません」

「中を通して、外で支える」

「そうすると、返りが逃げます」


 リシアが半眼になる。


「言い方」


「技術的な話です」


「分かってるわよ」

「分かってるけど、言い方」


 クラリスは清楚に微笑むだけだった。


 その余裕が、少しだけ二人の心を刺激した。


 カレンは、クラリスを見ていた。


 清楚な微笑み。

 乱れない呼吸。

 赤くならない頬。


 自分はあんなに震えた。

 リシアも、あんなに声を乱した。


 なのに、クラリスは平然としている。


 カレンは、少しだけ唇を尖らせた。


「……ずるいです」


「同感ね」


 リシアが、小さく答える。


 良樹は嫌な予感がした。


「お前ら」


 だが、止めるより早く、リシアが何気ない顔で言った。


「そういえば良樹」

「この前、クラリスの髪留め、よく似合ってたなって独り言を言ってたわよね」


 クラリスの呼吸が止まった。


 良樹の手も止まる。


「リシア」


「何よ」

「事実でしょ」


「今言うことか」


「必要な確認よ」

「清楚モードの耐久確認」


「そんな確認項目はねえ」


 カレンも、少しだけ申し訳なさそうに続けた。


「あの……良樹さん、言ってました」

「小さな声で」

「クラリス、あの髪留め似合ってたな、って」


「カレン」


 良樹が低く言う。


「今、お前まで乗ったな」


「す、すみません」

「でも、クラリスだけ平気そうだったので……」


「理由が可愛いが、やってることは攻撃だぞ」


 クラリスは、清楚に微笑もうとした。


 できなかった。


 頬が熱い。

 耳が熱い。

 袖を握る指先が、少しだけ落ち着きをなくす。


 髪留め。


 あの日、良樹が選んだ髪留め。

 自分で何度も鏡を見た。

 似合っているか気にした。

 良樹くんに、もう一度見てほしいと思った。


 それを。


 良樹くんが、一人で思い出していた。


 よく似合っていた、と。


「……良樹くんが」


 クラリスは、小さく言った。


「私のいないところで……」


 その瞬間だった。


 良樹の読み出し線が、クラリスの奥へ触れた。


「……んっ」

「あ、良樹くん」

「やめ……ないで」


 小さな声が、途切れながら漏れた。


 作業場の空気が止まった。


 クラリス自身が、一番驚いた顔をしていた。


 これまで、読み出しでクラリスがこういう声を出したことはなかった。


 診断なら耐えられる。

 治療なら整えられる。

 身体の奥を通す感覚も、クラリスにとっては慣れたものだった。


 だが今のクラリスは、診断役ではなかった。

 清楚な僧侶でもなかった。

 戦う時の氷の目でもなかった。


 良樹に髪留めを褒められたことを知ってしまった、一人の乙女だった。


 良樹は即座に出力を絞った。


「止めるぞ」


 言ってから、今の言葉を思い出す。


 やめないで。


 良樹の手が止まった。


「……いや」

「止めるぞ」


「い、いえ」

「大丈夫です」

「今のは、その」


 クラリスは、耳まで赤くしたまま袖を握った。


「少しだけ、心が乱れただけです」


 リシアが半眼になる。


「少しで、今の声なの?」


 カレンも、顔を真っ赤にしながら小さく言う。


「クラリスでも、そうなるんですね……」


「……見ないでください」


 クラリスは小さく言った。


 良樹は非常に困った。


「今は見ないと試験にならねえ」


 クラリスは、さらに顔を赤くした。


「では、見てください」

「でも、見ないでください」


「矛盾で盤が落ちる」


 それでも、クラリスの読み出しは重要だった。


 良樹は出力をさらに細くし、深度を制限する。


「クラリス」

「外側だけじゃ駄目だってのは分かった」

「ただ、深く入りすぎると危ない」

「内側を通して、外側で支える」

「でも深度制限を入れる」


 クラリスは、まだ赤い顔で頷いた。


「はい」

「その方が、安全です」


「連続供給も禁止だ」

「反動逃がし優先」

「回復線、診断線とは混線させない」


「はい」

「良いと思います」


 リシアが横から言う。


「髪留め関連語句は?」


 良樹は無言でリシアを見る。


「外乱要因だな」


「書くな」


「書かねえよ」


 良樹は紙へ書いた。


 クラリス用。

 内側通過。

 外側支持。

 反動逃がし。

 深度制限。

 連続供給禁止。

 回復・診断線と分離。


 少し迷ってから、筆を止める。


 髪留め関連語句。


 書きかけて、やめた。


 リシアが見ていた。


「今、何を書こうとしたの?」


「技術記録だ」


「本当に?」


「……技術記録として処理したい」


「処理できてないわよ」


 良樹は、黙ってその行を消した。


   ◇


 三人の読み出しが終わった。


 作業場には、妙な疲労感が残っていた。


 カレンは胸元で両手を握り、まだ耳を赤くしている。

 リシアは腕を組み、良樹から少しだけ視線を逸らしている。

 クラリスはいつも通り清楚に微笑もうとしていたが、指先だけが落ち着きなく袖を撫でていた。


 良樹は紙を見た。


 見たのは魔力運用だ。

 感情ではない。

 身体でもない。

 まして、妙な意味ではない。


 そのはずだった。


「……外乱が多い」


「良樹?」


「何でもない」


 リシアの目が細くなる。


「今の外乱って何?」


「技術的な外乱だ」


「本当に?」


「技術的な外乱として処理したい」


「願望じゃない」


 良樹は答えなかった。


 とにかく、情報は揃った。


 カレン。

 怖い方向へ魔力を置く。

 全身均等ではなく、剣、足元、前方防御。

 要求信号後増幅。


 リシア。

 四属性均等禁止。

 立ち上げ順と逃がしを尊重。

 良樹は追従。

 共同制御時は、魔法構成側をリシアへ寄せる。


 クラリス。

 内側通過。

 外側支持。

 反動逃がし。

 深度制限。

 連続供給禁止。


 良樹は、紙を見ながらしばらく黙った。


「読むだけじゃ足りねえ」


 三人が良樹を見る。


「設定を変える」


 リシアが少し身構えた。


「設定を変えるって、私たちの?」


「違う」

「俺の方だ」


 カレンが目を丸くする。


「良樹さんの、ですか?」


「ああ」

「お前らを書き換えるんじゃねえ」

「俺自身を書き換える」

「正確には、俺の中の出力変換経路を直す」


 クラリスが静かに言った。


「私たちには、書き込まないのですね」


「書き込まねえ」

「今の段階で他人に書くのは論外だ」

「相手の設備仕様を読んで、俺の中の流し方を直す」

「受け側に無理させる設計は、設計が悪い」


 良樹は魔導盤を開いた。


 大きくは展開しない。

 作業台の上に、小さく、しかし細かく。


 端子台。

 三系統。

 個別出力。

 共通負荷監視。

 警告灯。

 出力制限。

 再投入禁止時間。


 これまで良樹の中で都度組んでいた変換経路へ、三人の読み出し結果を反映する。


 カレン用。


 全身均等補助をやめる。

 剣。

 足元。

 前方防御。

 方向指定型。

 要求信号後増幅。


 リシア用。


 四属性均等同期を禁止。

 火、水、風、土の流れへ追従。

 リシアの制御を主にして、良樹は少し遅れる。

 共同制御時、魔法構成側を委譲。


 クラリス用。


 外側だけではなく、内側を通して外側で支える。

 ただし深度制限。

 連続供給禁止。

 反動逃がし優先。

 回復線、診断線と分離。


 共通。


 合計負荷監視。

 変換ロス警告。

 過負荷時出力制限。

 再投入禁止時間。


 良樹は息を整えた。


 これは、読み出しではない。


 書き込みだ。


 ただし、三人へ書くのではない。


 自分自身の魔力運用回路へ書く。


「新しい力を足すんじゃねえ」

「ぐちゃぐちゃの配線に線番を振る」

「行き先を決める」

「戻り線を作る」

「迷子にしない」

「それだけだ」


 リシアが静かに聞いた。


「それだけで済む話なの?」


「済まねえ」

「だから低出力でやる」


 良樹は、最初の線を書き換えた。


 カレン用の出力経路が細く変わる。

 リシア用の追従補正が、良樹の内側へ入る。

 クラリス用の深度制限が、良樹の内側の端子手前に置かれる。


 それぞれの線に、行き先が付く。

 戻り線が付く。

 警告灯へ繋がる。


 良樹の額に、薄く汗が浮いた。


 だが、前のような頭の奥の熱ではない。


 負荷はある。

 しかし、流れが追える。

 どこで何をしているかが分かる。


 書き込みが、入った。


 良樹は、すぐには動かなかった。


 身体が軽くなったわけではない。

 魔力が増えたわけでもない。

 突然、強くなった感覚もない。


 ただ。


 静かだった。


 今まで、三人へ繋ごうとすると、良樹の中でいくつもの線が同時に走っていた。


 カレンへ合わせる線。

 リシアへ合わせる線。

 クラリスへ合わせる線。


 そのたびに、行き先を探し、太さを決め、逃がしを作り、止め方を確認していた。


 それが、今は違う。


 線が、ある。


 カレン用。

 リシア用。

 クラリス用。


 自分の中に、三人へ向かうための細い下書き線が置かれている。


 良樹は、ゆっくり息を吐いた。


「……迷わねえ」


 リシアが聞き返す。


「迷わない?」


「ああ」

「今までは、繋ぐたびに俺の中で線を探してた」

「今は、行き先がある」

「線番が振ってある」

「戻りもある」

「止める場所もある」


 カレンが、胸元で手を握った。


「良樹さんの中に、私たちへの線が……」


「言い方は危ないが、そうなる」


 クラリスが、柔らかく微笑む。


「良樹くんの内側に、私たちの場所ができたのですね」


「だから言い方」


 良樹は眉間を押さえた。


 だが、否定はしなかった。


 自分の中に、三人へ向かう線がある。


 それは、思ったより奇妙な感覚だった。


 仕事の線だ。

 魔力供給の線だ。

 制御の下書きだ。


 そう分かっている。


 分かっているのに。


 カレンへ向かう線。

 リシアへ向かう線。

 クラリスへ向かう線。


 その三つが自分の中にあることを、良樹は少しだけ意識してしまった。


「……外乱が多いな」


「また外乱って言った」


 リシアが半眼になる。


「技術的な外乱だ」


「本当に?」


「技術的な外乱として処理する」


「処理しきれてないわよ」


 良樹は咳払いをした。


「勘違いするな」

「これは強化じゃねえ」

「整理だ」


 三人の顔が少し真面目に戻る。


「魔力量は増えてない」

「限界も消えてない」

「ただ、同じことをする時の無駄が減った」

「だから、過信したら前より危ない」


 カレンが不安そうに良樹を見る。


「前より危ない、ですか?」


「ああ」

「楽になった時が、一番事故る」


 良樹は、もう一度盤へ意識を向けた。


「だから、まだ終わりじゃねえ」


「え?」


「書いたら、読む」

「読めたら、動かす」

「動いたら、止める」

「そこまでやって確認だ」


 リシアが、少し呆れたように笑った。


「本当に現場の人間ね」


「設定だけ変えて、確認しないで帰る奴は信用できねえ」

「今やったのは、俺自身への初めての書き込みだ」

「なおさら、確認なしでは終われねえ」


 良樹は、自分の中に書いた線を順に読み返した。


「カレン用、方向指定型」

「要求信号後増幅」

「全身均等補助は禁止」


 カレンが、少しだけ顔を赤くする。


「私の、ですね」


「ああ」


 次に、リシア。


「リシア用、四属性均等同期禁止」

「リシア側の立ち上げ順へ追従」

「良樹先行禁止」


 リシアが腕を組む。


「良樹先行禁止って、文字にされると妙ね」


「必要だ」


「必要ね」


 最後に、クラリス。


「クラリス用」

「内側通過」

「外側支持」

「深度制限」

「連続供給禁止」

「回復・診断線と分離」


 クラリスは静かに微笑んだ。


「深度制限が少し残念です」


「残念がるな」


 良樹はそこで、ようやく小さく頷いた。


「読み返しは通った」

「次、動作確認」


 再度、三人へ極小接続する。


 ただし今度は、書き込み前と同じ条件にそろえた。


「比較にならねえと意味がない」

「さっきと同じ出力」

「同じ立ち上がり」

「同じ接続時間」

「違うのは、俺の中の変換経路だけだ」


 細い線が三人へ伸びる。


 カレンが剣に意識を向ける。

 リシアが小さく風を作る。

 クラリスが手首に魔力を通す。


 良樹は、自分の中の負荷を見る。


「……下がってる」


 リシアが顔を上げた。


「本当に?」


「ああ」

「立ち上がりの跳ねが小さい」

「変換ロスも減ってる」

「三系統同時でも、前ほど制御側が熱を持たない」


 カレンが、胸元で手を握った。


「良かったです」


 クラリスも頷く。


「書き込み成功ですね」


「まだだ」


「まだ?」


「ああ」

「動いただけじゃ駄目だ」

「止まるか確認する」


 三人が、少しだけ姿勢を正した。


 良樹は出力を上げない。

 代わりに、盤の中で疑似的に負荷条件を作った。


「実際に危険域までは上げない」

「警告だけ見る」

「警告灯、黄」


 盤の端に、小さな灯りが変わる。


「出力制限、入るか」


 カレンへの線が、わずかに絞られる。

 リシアへの追従補正が遅くなる。

 クラリスへの深度が浅くなる。


 良樹は頷いた。


「入った」

「赤はまだ試さない」

「今日は黄まで」

「再投入禁止時間も、仮設定だけ確認」


 短い間を置いて、線が再び細く安定する。


「……よし」

「書き込みテスト、第一段階完了」


 リシアが小さく息を吐いた。


「そこまでやって、やっと成功なのね」


「ああ」

「書いた」

「読んだ」

「動かした」

「止めた」

「ここまでで、ようやく第一段階だ」


 カレンが小さく頷く。


「でも、安心します」


 クラリスも穏やかに言った。


「はい」

「良い書き込みでした」


「まだ第一段階だ」

「良いかどうかは、次の試験で分かる」


「そういうところよね」


 リシアは呆れたように言いながら、どこか嬉しそうだった。


 ただし、良樹はすぐに紙へ書く。


 大出力未検証。

 キャノン時未検証。

 戦闘中未検証。

 長時間運用未検証。

 過信禁止。


 リシアがそれを見て、少しだけ笑った。


「成功した後に、禁止事項を書くのね」


「成功した後が一番危ない」


「ほんと、良樹ね」


   ◇


 良樹は、最後に紙を整理した。


 読み出し。


 カレン。

 リシア。

 クラリス。


 書き込み。


 対象、良樹自身の魔力運用回路。


 そして、もう一行。


 相手を変えず、自分の中の流し方を変える。


 良樹は筆を置いた。


 三人を書き換えなかった。


 カレンの怖さの置き方を読んだ。

 リシアの四属性の流し方を読んだ。

 クラリスの奥へ通す手を読んだ。


 そして、自分自身を書き換えた。


 相手を変えるのではなく。

 相手に合わせて、自分の中の流し方を変える。


 それが、初めての書き込みだった。


 良樹は、小さく息を吐く。


「……落ちる前に、止める」


 三人が、良樹を見る。


「止めるためには、まず知らなきゃならねえ」

「相手も」

「自分も」

「どこで重くなるかも」


 リシアが頷く。


「次に無茶しそうになったら、その灯りを見るわ」


 カレンも言う。


「私も見ます」

「良樹さんが大丈夫って言っても、見ます」


 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「止めます」

「必要なら、強制的に」


「強制的に、の中身は後で相談だ」


「必要な医療的工程管理です」


「その言葉で押すな」


 良樹は苦い顔をした。


 それでも、反論はしなかった。


 止められる仕組みを作った。

 止められる相手に見せた。


 なら、止められることも受け入れるべきだ。


 それも設計だ。


 作業場の小さな警告灯は、静かに灯っていた。


 守る対象ではなく。

 守る側を守るための灯り。


 それはまだ、小さかった。


 未完成で。

 低出力で。

 実戦には程遠い。


 けれど、確かにそこにあった。


 良樹は、紙の最後にもう一行だけ書き足した。


 止めるのも、仕事。


 そして。


 自分の出し方を変えるのも、仕事だった。

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