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第47話 無名の英雄(挿絵有)

 ガレスは、机の上に一枚の地図を広げた。


 粗い地図だった。


 町。

 旧街道。

 林。

 沢。

 中継小屋。

 崩れかけた橋。

 補修用の資材置き場。


 線も、文字も、良樹の世界の図面とは比べものにならない。

 縮尺も甘い。

 方角も、細部は怪しい。


 だが、見るべき場所は分かる。


 道。

 人のいる場所。

 逃げ道。

 見通しの悪い場所。

 襲われるなら、どこか。


 良樹は、地図を覗き込んだ。


「旧街道沿いの中継小屋、か」


「ああ」


 ガレスは頷いた。


「町からは半日かからねえ」

「だが夜に戻るには遠い」

「荷運び人と補修職人が足止めされてる」


「足止めの理由は」


「橋の応急補修だ」

「資材を運び込んだところで、荷車の車輪がやられた」

「おまけに、補修職人の一人が足を痛めた」

「動かせねえほどじゃねえが、夜に無理させると悪化する」


 良樹は地図上の中継小屋を指で押さえた。


「人は」


「ギルド職員が一人」

「荷運び人が四人」

「補修職人が二人」

「若い護衛が二人」

「負傷者が一人」


「負傷者は補修職人か」


「ああ」


「護衛二人で足りなかったのか」


「本来なら足りる」


 ガレスは、そこで表情を少し険しくした。


「だが、最近は魔物の流れが変わってる」

「大型トロルの一件以降、旧街道側に小物が押し出されてる」

「灰牙狼、コボルド、オーク」

「昨日の見回りじゃ、オークの足跡も出た」


「群れか」


「たぶんな」


 良樹は、地図を見た。


 中継小屋の周囲。

 林。

 低地。

 沢。


「小屋の入口は」


「正面に一つ」

「裏に勝手口が一つ」

「窓は三つ」


「窓、多いな」


「古い小屋だ」

「荷運び人が使う場所だからな」

「風通しと明かり取りを優先してる」


「防衛には向かねえ」


「だからお前らに振る」


 良樹はガレスを見た。


 ガレスは笑っていなかった。


「追い払え、じゃねえ」

「一晩、持たせろ」

「人を死なせるな」


 良樹は、短く息を吐いた。


「倒す数じゃなく、守る数を見る仕事か」


「ああ」

「だからお前ら向きだ」


 リシアが地図を見ながら言った。


「魔石信号器は?」


「仮設する」

「町側の受信はギルドが持つ」

「ニルはこっちだ」


 少し離れた場所にいたニルが、ぴっと姿勢を正した。


「任されるっす」


 良樹はニルを見た。


「光ったら迷うな」

「まずガレスに通せ」

「符号表にない反応が出たら、勝手に解釈するな」

「受信時刻、光量、反応間隔を記録」

「分からなければ分からないと書け」


「了解っす」


 ニルは大きく頷いた。


 良樹はもう一度、地図へ視線を落とした。


「射線が欲しい」

「小屋から離して撃てる方向は」


「林側と旧街道側だ」

「ただし旧街道側は資材がある」


「資材は動かす」

「人の逃げ道を塞いでるなら、荷より人が先だ」


 ガレスが、少しだけ口元を歪めた。


「お前、まだ現場見てねえだろ」


「見てから変える」

「だが、逃げ道を塞いだ資材はだいたい悪さをする」


「違いねえ」


 カレンが、小さく手を上げた。


「あの……魔物が来るなら、林側が一番怖いと思います」


 良樹はカレンを見た。


「理由は」


「見えにくいです」

「沢の音があると、足音も消えます」

「それに、地図だと低い場所から小屋の横へ回れます」


 良樹は地図を見た。


 確かに、細い低地がある。

 そこを通れば、正面だけを見ている護衛の横へ出られる。


「そうだな」

「正面だけ固めると、横から食われる」


 クラリスは静かに言った。


「負傷者の位置も見てから決めるべきですね」

「一番奥に寝かせれば安全、とは限りません」


「ああ」

「逃げられない奥は、場合によっては袋小路だ」


 リシアは、良樹を横目で見た。


「始まったわね」


「始まらねえと死ぬ」


 良樹は地図を畳ませず、もう少しだけ見た。


 小屋。

 人。

 荷。

 魔物。

 逃げ道。

 射線。


 頭の中で、線が引かれていく。


 戦うための線ではない。


 死なせないための線だった。


   ◇


 中継小屋に着いた時、日は傾きかけていた。


 空はまだ明るい。

 だが、林の奥はすでに暗い。


 古い小屋だった。


 木材の壁。

 低い屋根。

 正面の入口。

 脇に積まれた資材。

 車輪の外れかけた荷車。

 補修途中の柵。

 旧街道の石畳はところどころ崩れ、沢の音が小さく聞こえていた。


 良樹は、地図を見た。


 次に、現場を見た。


「……図面と現場は違うな」


 リシアが言う。


「やっぱり言った」


「言うだろ」

「違うんだから」


 小屋の前には、疲れた顔の男たちがいた。


 ギルド職員らしい男が一人。

 荷運び人が四人。

 補修職人が一人。

 若い護衛が二人。


 もう一人の補修職人は、小屋の中で寝かされていた。


 良樹は、まず小屋の中を見た。


 負傷者は奥の壁際。

 足を固定されている。

 顔色は悪いが、意識はある。


 その手前に荷が置かれていた。


 逃げ道を、半分塞いでいる。


「これを動かす」


 良樹は即座に言った。


 荷運び人の一人が顔をしかめる。


「それは大事な資材だぞ」


「大事なのは分かる」

「だが、ここに置くな」

「入口から負傷者までの線を塞いでる」


「魔物が来たら、奥にいた方が安全だろ」


「奥にいても、出られなきゃ終わりだ」

「守るなら、先に逃げ道を作る」


 荷運び人は黙った。


 若い護衛の一人が、少し不満そうに言った。


「俺たちも守ってた」

「勝手に配置を変えられると困る」


 良樹は、怒らなかった。


 その護衛を見た。


「じゃあ聞く」

「一番嫌だった方向はどこだ」


「え?」


「どこを見てる時が一番嫌だった」

「どこから来られると対応が遅れると思った」

「夜になったら、どこが見えなくなる」


 若い護衛は、言葉に詰まった。


 責められると思っていたのかもしれない。


 だが、良樹が欲しいのは情報だった。


 カレンが、林側を見た。


「……あちら、ですよね」


 護衛の肩が、ぴくりと動いた。


 カレンは続ける。


「正面は見えます」

「でも、林の下と、沢の近くが見えません」

「それに、低い場所から回られると、気づくのが遅れます」


 護衛は、少し悔しそうに唇を噛んだ。


「……そうだ」

「昨日も、あっちで音がした」


「助かる」


 良樹は言った。


「じゃあ、そこは最初から怖い場所として扱う」


 カレンは、少しだけ息を呑んだ。


 怖い場所。


 その言い方は、カレンにとって分かりやすかった。


 怖いことは、悪いことではない。

 見えているということだ。


 良樹はすぐに指示を出した。


「荷車は小屋の正面から少しずらす」

「完全に塞ぐな」

「人が通る幅を残せ」

「資材は入口前じゃなく、側面へ寄せる」

「窓の下には軽い障害物」

「重すぎるものは駄目だ」

「逃げる時に邪魔になる」


 補修職人が、目を丸くしていた。


「冒険者っていうより、現場の親方みたいだな」


「親方じゃねえ」

「怒鳴る親父に育てられただけだ」


 リシアが小さく笑った。


 だが、良樹は笑っていなかった。


 魔石信号器を設置する場所を選ぶ。

 高すぎれば壊される。

 低すぎれば届きにくい。

 外から見えすぎても駄目だ。


 柱の上、屋根の庇に隠れる位置。


「ここだな」


 良樹は魔石信号器を固定した。


 リシアが支え、カレンが周囲を見て、クラリスは負傷者の足を確認している。


 信号器が、小さく光った。


 符号。


 到着。

 設置。

 異常なし。

 警戒開始。


 少し遅れて、町側から返りが来た。


 光が二度。


 確認。


 良樹は短く頷いた。


「よし」

「孤立はしねえ」


 その言葉に、小屋の中の空気が少しだけ緩んだ。


 荷運び人の一人が、深く息を吐く。

 ギルド職員は、震える手で記録をつけた。


 だが、良樹は森を見ていた。


 リシアも杖を握り直す。

 カレンは剣の柄に手を置く。

 クラリスは負傷者の足を見ながら、耳だけを外へ向けていた。


 夜が、近づいていた。


   ◇


 最初の反応は、薄かった。


 魔導レーザースキャナの返りが、林側でわずかに揺れた。


 点。

 低い位置。

 複数。


 良樹は眉を寄せる。


 見えている。

 だが、足りない。


 数が分からない。

 距離は拾える。

 角度も拾える。


 だが、林の奥で散られると、通常のスキャナだけでは判断が遅れる。


 カレンが、剣の柄を握った。


「……来ます」


「数は」


「多いです」

「でも、まだ散っています」


 良樹はクラリスを見た。


 クラリスも、こちらを見ていた。


 言わなくても、分かっている顔だった。


 だが、ここは作業場ではない。

 野原でもない。

 ギルドの裏でもない。


 周囲には人がいる。


 ギルド職員。

 荷運び人。

 補修職人。

 若い護衛。

 負傷者。


 衆人環視だった。


 良樹は一拍、言葉を止めた。


「クラリス」


「はい」


「悪い」

「必要だ」


 クラリスは、すぐには答えなかった。


 指先が、袖口に触れた。

 視線が一度だけ、周囲をなぞる。

 そして良樹へ戻る。


 ほんの少し、頬が赤くなった。


「……はい」

「必要なら」


 リシアが、何とも言えない顔をした。


「人前でやるのね」


 カレンも赤くなりながら言う。


「で、でも、必要です……」


「俺だってやりたくてやるんじゃねえ」


 クラリスは、良樹のそばへ来た。


 静かに、良樹の手首へ触れる。


 ただ触れるだけでは駄目だった。


 クラリスが良樹を意識する。

 良樹に触れている。

 良樹に必要とされている。

 その事実が、クラリスの清楚な表面を少しだけ崩す。


 良樹は魔導盤を展開した。


 スキャナー。

 端子台接続。

 クラリスの魔力回路。

 深いところへ触れる感覚。


 返りが変わった。


 点が、面になる。

 距離が、位置になる。

 林の奥に散る反応が、良樹の頭の中に置かれていく。


「……出た」


 リシアが呟く。


「本当に分かりやすいわね」


「今、褒めないでください……」


 クラリスの声は小さかった。


 良樹は、すぐに読む。


 正面。

 六。

 いや、八。


 右低地。

 四。


 左林側。

 遅れて三。


 そして奥。


 大きい。


 明らかに大きい反応が、一つ。


「正面八」

「右低地四」

「左三」

「奥に大型」


 端子台通信を開く。


《正面八》

《右低地四》

《左三》

《奥大型》

《小屋へ寄せるな》


 リシアから返る。


《了解》


 カレン。


《右、見ます》


 クラリス。


《抜けた敵を止めます》


 良樹は、均等供給モードを入れた。


 三人へ薄く流す。

 端子台通信を維持し、軽い補助を乗せる。


 戦闘中に、細かい配分などできない。


 リシア四十、カレン三十、クラリス三十。

 カレン六十、クラリス四十。


 そういう配分も、時間をかければできる。


 だが、時間がかかる。


 戦闘中の数秒は、遅い。


 だから良樹は、最初から四つだけ入れていた。


 三人へ薄く等配分する通常モード。

 リシアへ全てを寄せるモード。

 カレンへ全てを寄せるモード。

 クラリスへ全てを寄せるモード。


 瞬時に切り替える必要があるのは、その四つだけ。


 それ以外は、今はいらない。


 迷う余地を削る。

 押す場所を決める。

 戻す場所を決める。

 止め方まで含めて、盤に入れる。


 良樹の魔導自立盤は、戦場の中で初めて、本当の意味で制御盤として動き始めていた。


   ◇


 林から、オークが出た。


 一体ではない。

 複数。


 粗末な武器を持ったオークたちが、唸りながら小屋へ向かってくる。


 正面だけではない。

 右の低地から回り込む影もある。


 若い護衛の一人が息を呑んだ。


「多い……!」


 リシアが前に出た。


「良樹」


《リシア》

《正面》

《散らせ》

《本命は残せ》


《分かったわ》


 リシアは、火球を撃った。


 だが、それは本命ではなかった。


 オークの手前。

 少し右。

 わざと地面へ。


 火が弾ける。

 オークたちの視線が動く。

 足が乱れる。


 次に風。

 土埃が舞い、視界が崩れる。


 そして、本命。


 エレメンタルストライク。


 火、水、風、土。

 四つの流れが、リシアの杖先で噛み合い、前衛のオークをまとめて叩いた。


 倒す。

 止める。

 散らす。


 ただ強い魔法を撃つのではない。

 当てるために、外す魔法を使っている。


 良樹は、思わず言った。


「目眩しか」


 リシアは振り向かない。


「全部を本命で撃つ必要はないんでしょ」


「……最高だ」


 リシアの耳が、ほんの少し赤くなった。


 だが、戦闘中だった。


 照れている暇はない。


 右低地から二体が抜ける。


《右》

《二》

《カレン》


《止めます》


 良樹はモードを切り替えた。


 均等から、カレン一〇〇。


 リシアとクラリスへの供給が薄くなる。

 カレンへ全てを寄せる。


 カレンの剣が光った。


 怖い方向。

 見えている方向。

 そこへ剣を置く。


 薄い盾面が開き、右から来たオークの突進を受けた。

 真正面では止めない。

 剣の角度で逸らす。

 一体の武器を弾き、もう一体の足を止める。


《維持三秒》

《張りっぱなしにするな》


《はい》


 カレンは盾を消した。

 剣を返し、オークの足元を斬る。


 倒すより、通さない。

 小屋へ行かせない。


 良樹はすぐに均等へ戻す。


 左から一体が抜けた。


 若い護衛の近くへ行く。


《クラリス》

《左》

《止めろ》


《はい》


 クラリスへ一〇〇。


 クラリスは滑るように入った。


 法衣の裾が揺れる。

 白い手が伸びる。

 掌底。


 オークの胸が沈んだ。

 そのまま肘。

 膝。

 重心を崩し、地面へ叩く。


 若い護衛は、動けなかった。


 僧侶。


 確かに法衣は僧侶だった。


 だが今の動きは、少なくとも彼の知る僧侶ではなかった。


「僧侶……?」


 クラリスは、清楚に微笑んだ。


「僧侶です」


 良樹は端子台で短く返す。


《手首》


《問題ありません》


《無理するな》


《はい》


 均等へ戻す。


 リシアが正面を押し返す。

 カレンが右を止める。

 クラリスが抜けた敵を潰す。


 良樹は盤を見る。


 入れる。

 切る。

 戻す。


 カレンが受ける一拍。

 クラリスが踏み込む一拍。

 リシアが撃つ一拍。


 その一拍だけ、出力を渡す。


 渡し続ければ壊れる。

 足りなければ届かない。

 遅れれば守れない。

 早すぎれば、身体が追いつかない。


 だから、切り替える。


 端子台。

 個別インバータ。

 共通ブレーカー。


 良樹の盤の中で、戦場が切り替わっていく。


   ◇


 オークの群れが、一瞬、引いた。


 良樹は嫌な予感がした。


 群れが逃げたのではない。


 道を空けた。


 林の奥で、木が揺れる。


 低い唸り。

 重い足音。


 そして、それは現れた。


 オークキング。


 ただのオークではない。


 大型トロル並みの巨体。

 分厚い腕。

 盛り上がった肩。

 黒ずんだ皮膚。

 錆びた金属片と骨を括りつけたような粗悪な防具。


 手には巨大な棍棒。


 だが、良樹が見たのは棍棒ではなかった。


 オークキングの視線。


 こちらを見ていない。


 小屋を見ていた。


「まずい」


 オークキングは、旧街道脇の大岩を掴んだ。


 人の背丈ほどもある岩だった。

 苔と土をまとった、重い転石。


 それを、オークキングは両腕で持ち上げる。


 荷運び人の一人が悲鳴を上げた。


 良樹は、オークキングの肩の入り方を見た。

 腰。

 腕。

 投げる方向。


 狙いは、良樹たちではない。


 中継小屋。


 負傷者。

 荷運び人。

 補修職人。

 ギルド職員。


 逃げ込ませた全員。


《カレン》

《小屋前》

《全力》

《右へ逃がせ》


 返りは、一瞬も遅れなかった。


《はい》


 カレン一〇〇。


 剣が白く鳴った。


 カレンは走った。


 逃げるためではない。

 岩の軌道へ入るために。


 怖い。


 怖いに決まっている。


 だが、今見なければならないのは、怖さではなかった。


 岩の軌道。

 小屋の入口。

 後ろにいる人たち。

 自分の足元。

 剣の角度。


 カレンは剣を前へ出した。


「ここは――通しません!」


 盾が開いた。


 いつもの盾ではない。


 剣を芯にして、半透明の防御面が広がる。

 カレン一人を守る大きさではない。

 小屋の入口を覆い、その奥にいる人間をまとめて守る大きさ。


 ほとんど、防壁だった。


 岩が来た。


 衝突。


 盾面に白い亀裂が走る。

 カレンの足が地面を削る。

 剣を握る手が軋む。

 肩が落ちる。


《真正面で受けるな》

《右》

《人のいない方へ逃がせ》


 良樹の短文が届く。


 カレンは、返事をする余裕がなかった。


 ただ、剣先をわずかに右へ振った。


 盾面の角度が変わる。


 岩は、盾を押し潰すようにぶつかった。

 だが、盾はそれを真正面から止めなかった。


 受ける。

 滑らせる。

 殺しきれない力を、人のいない横へ逃がす。


 岩は盾面を削りながら軌道を変え、中継小屋の脇を外れた。

 旧街道横の空き地へ転がり、砕ける。


 地面が跳ねた。

 土が舞った。


 誰もいない場所で、岩が割れた。


 カレンは膝をつきかけた。


 だが、倒れなかった。


《停止》


 良樹は供給を落とした。


 カレンの盾が砕けるように消える。


「……守れ、ました」


 カレンの声は、震えていた。


 良樹は答えなかった。


 答えるより先に、次へ切り替えていた。


   ◇


 岩を逸らされたオークキングが、低く唸った。


 巨体が前へ出る。


 岩を投げた直後。

 肩が開いている。

 胴が流れている。

 重心が戻りきっていない。


 クラリスが見た。


 良樹も見た。


 だが、オークキングは止まらない。

 あの巨体が小屋へ突っ込めば、岩でなくても潰れる。


 良樹はリシアを見た。


 リシアも、もう分かっていた。


 キャノン。


 ただし、即座には撃てない。


 射線。

 余波。

 風遮膜。

 火、水、風、土の流れ。

 周囲の退避。


 数秒。


 その数秒が要る。


 クラリスが、静かに言った。


「良樹くん、こっちにお願いします」


 良樹は端子台へ入れる。


《クラリス》

《俺たちは撃つ》

《止められるか》


 返りは、柔らかかった。


《良樹くんの前ですから》

《格好付けさせてもらいます》


 次の瞬間、クラリスの目が変わった。


 清楚な僧侶の顔ではない。


 氷のような目だった。


 良樹はクラリス一〇〇を入れる。

 同時に、自立盤をキャノン構成へ移す準備を始めた。


 無茶だ。


 本来なら、一つずつ処理する。

 クラリスへ渡すなら、クラリスに集中する。

 キャノンを撃つなら、キャノンに集中する。


 だが、今はそれでは間に合わない。


 リシアが良樹の横へ入った。


「良樹」

「こっちは私が見る」


「頼む」


「火を先に立てないで」

「水を遅らせない」

「土は芯だけ」

「風は逃がしに残す」


「分かった」


 クラリスが前へ出る。


 走らなかった。


 滑るように、間合いへ入った。


 オークキングの拳が落ちる。

 クラリスはその真下にいない。

 半歩外。

 拳の落下線を外しながら、肘の内側へ掌底を置く。


 一つ。


 肩が開く。


 次に膝。


 二つ。


 巨体の重心が、ほんの少し沈む。


 オークキングが唸り、反対の腕を振る。

 クラリスは身を低くして潜る。

 法衣の裾が土を払う。

 白い手が、脇腹へ入る。


 三つ。

 四つ。

 五つ。


 それは牽制ではなかった。


 並の魔物なら、一つで終わる。

 普通のオークなら、最初の掌底で肋が沈む。

 灰牙狼なら、二発目で脚が止まる。

 コボルドなら、肘を受けた時点で終わる。


 だが、オークキングは倒れなかった。


 倒れないだけだった。


 効いていないのではない。

 効いた上で、まだ動いている。


 だから、クラリスは止まらない。


 拳。

 掌底。

 肘。

 膝。

 踏み込み。

 重心崩し。


 打撃というより、入力だった。


 止まれ。

 崩れろ。

 開け。


 良樹の魔力が、クラリスの身体を外から支える。

 肩が壊れない。

 肘が跳ねない。

 手首が潰れない。


 だから、打てる。


 連打。


 清楚な僧侶の動きではない。

 だが、乱暴でもない。


 どこまでも静かに。

 正確に。

 巨体の動きを削っていく。


 オークキングの足が、止まった。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 クラリスの目が、さらに細くなる。


「――通します」


 掌底。


 発勁。


 音は小さかった。


 だが、オークキングの巨体が内側から揺れた。

 膝が落ちる。

 胸が開く。

 息が詰まる。


 その一拍で、射線が開いた。


「クラリス、カレン、退け!」

「他の奴らは耳を塞いで地面に伏せろ!」


 良樹の怒号が飛んだ。


 端子台通信ではない。

 その場の全員へ届かせる声だった。


 荷運び人が伏せる。

 補修職人が負傷者の頭を庇う。

 若い護衛が、慌てて耳を塞いだ。

 ギルド職員も記録板を抱えて地面に伏せる。


 リシアは、もう良樹の隣にいた。


「撃てる?」


「お前が整えればな」


「なら、撃てるわ」


「頼む」


「任せて」


 良樹はキャノンを組む。


 火。

 水。

 風。

 土。


 四つの流れが、盤の中で膨らむ。


 リシアが横から整える。


「火が早い」

「水を遅らせない」

「土は固めすぎない」

「風は後ろじゃない」

「右へ抜く」


「合わせる」


「押さないで」

「私が通す」


「ああ」


 良樹の盤が白く鳴った。


 クラリスが作った一拍。

 カレンが守った小屋。

 リシアが整える流れ。


 全部を、一本の射線へまとめる。


「撃つぞ」


「撃てる」


 エレメンタル・キャノン。


 光と衝撃が、旧街道を貫いた。


 土が跳ねる。

 石畳が削れる。

 空気が殴られる。

 リシアの風遮膜が、余波を右の無人側へ逃がす。


 オークキングの巨体が吹き飛んだ。


 林際まで転がり、地面を抉る。


 誰もが、終わったと思った。


 だが。


 オークキングが、立った。


 片膝をつきながら。

 胸を砕かれ。

 肩を焼かれ。

 息を荒げながら。


 それでも、立った。


 良樹は息を呑んだ。


 エレメンタル・キャノンで倒れない。


 リシアも杖を握り直す。

 クラリスは呼吸を整えながら、まだ前を見ている。


 その時。


 カレンが走った。


   ◇


 怖くないわけではなかった。


 怖い。

 怖いに決まっている。


 あれだけの砲撃を受けても、オークキングはまだ立っていた。

 岩を投げ、防衛線を壊そうとして、それでもまだこちらへ来ようとしている。


 足がすくむ。

 手が震える。

 息が浅くなる。


 けれど、カレンは止まらなかった。


 怖さに怯えている場合じゃない。


 良樹が撃った。

 リシアが整えた。

 クラリスが止めた。


 なら、次は自分だ。


 怖い方向を見る。

 そこへ剣を置く。


 今、自分がやるべきことは、それだった。


《良樹さん》


 声が、震えた。


 それでも、届かせた。


《今度は》

《私にください》


 良樹の返りが、一拍遅れた。


《受けられるか》


 カレンは、オークキングを見た。


 怖い。

 怖くないわけがない。


 でも。


《受けます》

《斬ります》


 良樹は奥歯を噛んだ。


《一撃だけだ》

《外すな》


《はい》


 カレン一〇〇。


 その出力が、再びカレンへ流れ込んだ。


 剣が光る。


 ただの魔力纏いではない。

 短距離剣閃でもない。

 中範囲盾でもない。


 刃が伸びる。


 一メル。

 二メル。

 三メル。


 人間が振るには馬鹿げた大きさだった。

 剣というより、夜を断つための刃。

 数秒だけ成立する、過負荷の剣。


 良樹が思わず呟く。


「でかすぎるだろ……!」


 リシアは、それでも前を見ていた。


「でも、カレンなら振れる」


 クラリスも静かに言う。


「怖い方向を、最後まで見ています」


 カレンは地面を蹴った。


 剣を振りかぶるのではない。


 巨大な魔力刃を、自分の身体ごと上へ運ぶ。


 跳ぶ。


 夜の中で、白い刃が弧を描いた。


 落ちる。


 怖い方向へ。

 真正面から。

 逃げずに。


 オークキングが最後の抵抗で腕を上げる。

 だが、遅い。


 クラリスの発勁で動きは鈍っている。

 エレメンタル・キャノンで体勢は壊れている。

 リシアの風で余波は流れ、射線は残っている。

 良樹の端子台が、カレンへ一撃分の最大出力を渡している。


 そして、カレンは見ていた。


 肩口。

 首。

 重心。

 落とす場所。


 魔力の巨大剣が、夜を裂いた。


 一撃。


 オークキングの巨体が崩れた。



 挿絵(By みてみん)


 地面が揺れる。

 土が舞う。

 残っていたオークたちが、悲鳴のような声を上げて逃げ出す。


 カレンは着地した。


 巨大な魔力刃が、薄い光になって崩れていく。


 膝が、少しだけ揺れた。


 良樹は即座に端子台を落とした。


《停止》

《カレン》


 返ってきた声は、震えていた。


《……止まりました》


《怪我》


 少し遅れて、返る。


《手が、少し震えます》

《でも、大丈夫です》


 クラリスが駆け寄る。


「見せてください」


 リシアは、まだ杖を構えたまま周囲を見ている。


 良樹は中継小屋を見た。


 負傷者がいる。

 荷運び人がいる。

 補修職人がいる。

 若い護衛が、呆然と立っている。

 ギルド職員が、震える手で記録板を握っている。


 誰も、倒れていない。


 カレンが、小さく聞いた。


「……守れましたか」


 良樹は、短く答えた。


「ああ」

「守った」


   ◇


 戦闘は、終わった。


 少なくとも、その場にいたオークたちは逃げた。

 オークキングは動かない。

 林の奥の反応も遠ざかっている。


 良樹は、勝利を確認するより先に声を出した。


「人数確認」

「負傷者」

「火元」

「信号器」


 端子台は落とした。

 自立盤も畳んだ。

 それでも、頭の奥がまだ白く鳴っている。


《全員、状態》


 返りが来る。


《問題なし》


 リシア。


《大丈夫です》


 カレン。


《負傷者、無事です》


 クラリス。


 良樹は息を吐いた。


 その瞬間、鼻の奥が熱くなった。


 ぽたり、と。


 赤いものが、足元の土に落ちた。


「……良樹?」


 リシアの声が変わった。


 良樹は手の甲で鼻を押さえた。


 赤い。


 それだけではなかった。


 目尻にも、薄く血が滲んでいた。


 カレンの顔から血の気が引く。


「良樹さん……!」


 クラリスは、もう走っていた。


「動かないでください」


「いや、これは――」


「動かないでください」


 声は清楚だった。

 だが、逆らえる声ではなかった。


 良樹は黙った。


 クラリスは良樹の顔を見た。


 鼻血。

 目尻の出血。

 呼吸。

 脈。

 瞳。

 魔力回路の乱れ。


 一つずつ見て、表情を消した。


「過負荷です」


 良樹は、苦笑しようとした。


「まあ、あれだけ切り替えればな」


「笑わないでください」


 その一言で、良樹は口を閉じた。


 リシアが良樹の腕を掴む。


「座りなさい」


「いや、カレンの腕を先に――」


「良樹」


 リシアの声が低くなった。


「良樹さん」


 カレンも、困ったように眉を下げた。


「良樹くん」


 クラリスが、にこりともせずに言った。


「今は、あなたの番です」


 良樹は、黙った。


 リシアが肩を貸す。

 カレンが震える手で良樹の腰袋を押さえる。

 クラリスが良樹の前に立ち、顔色を見る。


「目を閉じないでください」

「頭痛は」

「吐き気は」

「視界は欠けていますか」


「頭は痛い」

「吐き気はない」

「視界は……白いが、見えてる」


「今日はもう盤を開かないでください」


「必要があれば」


「ありません」


「いや」


「ありません」


 クラリスの声は静かだった。


 良樹は、言い返すのをやめた。


 少しの沈黙。


 クラリスは、ようやく小さく息を吐いた。


「命に関わる状態ではありません」

「ただし、過負荷です」

「今日はもう、絶対に駄目です」


 その言葉を聞いて、リシアの顔から張り詰めていたものが抜けた。


 カレンは、胸元で手を握ったまま、小さく息を吐いた。


「……よかった」


 その声は、勝った者の声ではなかった。


 守れた者の声でもなかった。


 大切な人が、まだそこにいると分かった女の声だった。


   ◇


 その場にいた者たちは、呆然と見ていた。


 誰が見ても、凄まじかった。


 リシアは、群れを寄せつけなかった。

 火を囮にし、風で視線をずらし、土で足を止め、水で動きを鈍らせる。

 ただ強い魔法を撃つのではない。

 当てるために、外す魔法を使っていた。


 クラリスは、常識の外にいた。

 僧侶の法衣を揺らしながら、オークキングの懐へ入り、一撃一撃を正確に叩き込んだ。

 並の魔物なら、それだけで終わる。

 そんな打撃を、何度も。


 カレンは、最後に王を斬った。

 巨大な岩を盾で逸らし。

 震える手で剣を握り。

 怖さに怯えている場合じゃないと、前へ出た。

 そして、あの巨大なオークキングを切り伏せた。


 英雄のような働きだった。


 誰もが、そう思った。


 凄いのは、彼女たちだった。


 けれど。


 荷運び人は、見ていた。

 補修職人は、聞いていた。

 若い護衛は、気づいていた。

 ギルド職員は、震える手で記録していた。


 あの三人が動くたびに、良樹の声があった。


 短い指示。

 出力の切り替え。

 退避の確認。

 伏せろという怒号。

 撃つ前の射線確認。

 撃った後の負傷確認。


 彼女たちを前へ出したのは、良樹だった。

 彼女たちを壊さずに止めたのも、良樹だった。


 そして、自分の目と鼻から血を流しても、最後に確認したのは自分の身体ではなかった。


 人数。

 負傷者。

 火元。

 信号器。

 三人の怪我。


 そんな男のもとへ、英雄のような働きをした女たちが集まっている。


 リシアが心配そうに顔を覗き込む。

 カレンが泣きそうな顔で手を握る。

 クラリスが静かに、けれど一歩も引かずに状態を確認する。


 無事だと分かると、三人はようやく安心した顔を見せた。


 その時、誰かが小さく呟いた。


「ああ……」


 その声には、納得が混じっていた。


 この男が、中心なのだ。


 一番派手に敵を倒したわけではない。

 一番前で剣を振り続けたわけでもない。

 一番恐ろしい魔法を見せたわけでもない。


 けれど、あの三人は、良樹の元へ戻ってきた。


 戻る場所のように。

 守るべき場所のように。

 そして、守られてほしい人のように。


 その場にいた者たちは、分かってしまった。


 今、この中継小屋で。

 この一晩を守った、無名の英雄が誰だったのかを。


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