第44話 届いたから、間に合った(挿絵有)
仮運用。
言葉にすれば、それだけだった。
だが、言葉が短いからといって、やることまで短くなるわけではない。
良樹は、ギルドの作業机を一つ借り、紙を広げていた。
粗い紙。
借り物の筆。
隣には、魔石信号器の試験機。
その横には、符号表。
そして、良樹の前には、すでに書き込まれた手順が並んでいる。
送信前確認。
受信側位置確認。
符号表照合。
状態信号送信。
詳細信号送信。
終端合図。
再送要求。
不明時は不明扱い。
勝手に解釈しない。
疲労時は担当交代。
単独運用は原則禁止。
良樹は一度、筆を止めた。
「……原則、じゃ弱いか」
単独運用禁止。
そう書き直す。
その横から、ニルが覗き込んでいた。
しばらく黙って読んでいたニルは、途中で眉間に皺を寄せた。
「良樹さん」
「何だ」
「これ、正しいんすけど……」
「正しいなら問題ないだろ」
「現場のやつ、途中で読むの諦めるっす」
良樹は筆を止めた。
「読め」
「いや、読めって言われてもっすね」
「読めない手順書は手順書じゃねえ」
「なら、読める長さにしてくださいよ」
「だから書いてる」
「書いてる内容が固いんすよ」
良樹は、紙を見た。
送信前確認。
符号表照合。
状態信号送信。
詳細信号送信。
固い。
確かに固い。
だが、手順書とはそういうものだ。
曖昧な言葉で書けば、曖昧に運用される。
曖昧に運用されれば、事故になる。
良樹はそう思った。
思ったところで、横から声が入った。
「良樹」
リシアだった。
リシアは良樹の手順書を覗き込み、少しだけ目を細めた。
「正しいだけじゃ駄目よ」
「駄目か」
「駄目ね」
リシアは、紙を指先で軽く叩いた。
「読む人間に届かなきゃ、書いてないのと同じよ」
良樹は黙った。
なかなか痛いところだった。
「……耳が痛えな」
「でしょうね」
リシアは、少しだけ満足そうに頷いた。
カレンも、遠慮がちに覗き込む。
「あの……」
「怖い時ほど、短くした方がいいと思います」
「短く?」
「はい」
「たくさん書いてあると、どれを選べばいいか迷います」
「怖い時は、迷う時間が少し長くなります」
カレンは、符号表を胸元で抱えるように持っていた。
その指が、少しだけ紙の端を押さえている。
良樹はそれを見た。
怖い時は、迷う時間が長くなる。
それは、良樹一人では出てこない言葉だった。
クラリスも静かに続ける。
「疲れている人には、読む量を減らしましょう」
「目も疲れます」
「姿勢も崩れます」
「符号表を見るたびに首を下げるなら、なおさらです」
「……なるほどな」
良樹は、紙の上に新しい枠を書いた。
緊急時。
通常時。
訓練時。
分ける。
普段使うものと、いざという時に使うものを混ぜない。
現場で迷わせない。
良樹は筆を走らせる。
まず見る。
分からなければ聞く。
勝手に決めない。
危ない時は短く送る。
読めない時は読めない。
リシアが覗き込む。
「それなら読めるわね」
ニルも頷いた。
「これなら、若いやつでもいけそうっす」
良樹は紙を見た。
さっきより短い。
さっきより柔らかい。
さっきより、現場向きだった。
「……俺の手順書が負けてる」
ガレスが鼻を鳴らした。
「現場向きになっただけだ」
「負けてるだろ」
「負けてねえよ」
「使えるようになったんだ」
ガレスは、魔石信号器を見た。
「道具も手順も、使う奴がいて初めて意味がある」
「お前が全部決めようとするな」
「分かってる」
良樹は短く答えた。
分かっている。
ただし、分かっていることと、できていることは違う。
良樹は、そのことも知っていた。
◇
第一中継点へ向かう準備は、思ったより大がかりになった。
魔石信号器本体。
予備魔石。
符号表の複製。
記録用紙。
簡易設置台。
遮光具。
杭。
紐。
板。
風で紙が飛ばないようにする重し。
それから、ギルド側の人員。
ガレスは本体側を見る。
ニルは若手冒険者代表として、受信側へ入る。
良樹、リシア、クラリスは本体側。
カレンとニルが、少し離れた受信・中継側へ立つ。
見通しはある。
距離も、前回の確認で無茶ではない範囲。
ただし、周囲には低い草と茂みがある。
完全な広場ではない。
だから、試験になる。
良樹は、カレンとニルの前に立った。
「カレン」
「はい」
「怖い方向を見るのと、符号を読むのは同時にやらなくていい」
カレンは、少しだけ目を見開いた。
「……はい」
「危険を拾ったら、ニルに読ませろ」
「お前が全部やるな」
「お前は見る」
「ニルは読む」
「必要なら送る」
ニルが背筋を伸ばす。
「俺が読む役っすね」
「読むだけじゃない」
「カレンが見ている方向を見る」
「符号表を見る」
「周囲の逃げ道も見る」
「信号器を壊されない位置に動かす」
「お前も運用者だ」
「急に重いっすね」
「現場だからな」
「現場って便利な言葉っすね……」
「便利じゃねえ」
「逃げられねえ言葉だ」
ニルは小さく息を吐いた。
「了解っす」
カレンは、符号表を持った。
胸元に抱える。
良樹はそれを見て、眉を寄せた。
「それ、見づらくないか」
「少し、見づらいです」
「でも、風で飛びにくいので」
「手持ち板がいるな」
「固定具もいる」
「胸元で抱えると視線が落ちる」
カレンは頷いた。
「はい」
「怖い方を見ている時に、符号表を見ると、少し遅れます」
「それが運用負荷だ」
良樹は紙に書いた。
受信役は危険方向と符号表を同時に見られない。
補助者必要。
符号表固定具必要。
クラリスが後ろから静かに言う。
「符号表を見る角度も問題ですね」
「首を下げる時間が長いです」
「長時間だと、肩も疲れます」
「人間は設備じゃねえからな」
「はい」
クラリスは頷いた。
「人間は設備ではありません」
「……耳が痛えな」
「良樹くんには、定期的に申し上げます」
「定期点検かよ」
「必要です」
良樹は反論できなかった。
◇
通常試験は、順調に進んだ。
状態信号。
詳細信号。
終端合図。
再送要求。
カレンは読めた。
ニルも、符号表を見ながらなら読めた。
ただし、早くはない。
見て。
照らして。
確認して。
言葉にする。
その間に、周囲から目が離れる。
「読めるっす」
「読めるんすけど、慣れないと遅いっすね」
ニルが言う。
カレンも頷いた。
「私も、読めます」
「でも、怖い方を見ている時に、符号表まで見ると少し遅れます」
良樹は本体側でその報告を聞き、頷いた。
「やっぱり、緊急用は減らす」
「通常十六通り全部使うのは無理だ」
「緊急時は四つか、せいぜい八つ」
「状態と詳細を分けすぎると迷う」
リシアが、魔石信号器の光を見ながら言った。
「警戒、要対応、撤退」
「このあたりは、絶対に迷わせたら駄目ね」
「ああ」
良樹は紙に書く。
警戒。
要対応。
撤退。
再送要求。
それから、少し考える。
不明接近。
それも必要だ。
見えていない。
だが危ない。
それを送れる符号。
良樹は、そこへ丸をつけた。
◇
次の試験に入ろうとした時だった。
カレンが、動きを止めた。
符号表を見ていた目が、ゆっくり上がる。
森側。
低い茂み。
草の揺れ。
日差しの影。
何かが見えたわけではない。
けれど、カレンはそこから目を離さなかった。
符号表を胸元に抱え直す。
指先に、力が入る。
ニルが気づいた。
「カレンさん?」
カレンは、すぐには答えなかった。
風が吹く。
草が揺れる。
その中で、一か所だけ、揺れ方が違う。
「……何かいます」
ニルが森側を見る。
何も見えない。
「見えたんすか?」
「まだ」
「まだ?」
「でも、います」
カレンの声は、小さかった。
けれど、揺れていなかった。
ニルは、カレンの横顔を見た。
怖がっている。
それは分かる。
剣の柄へ置いた手に力が入っている。
肩も少し硬い。
だが、目は逸れていない。
ニルは息を呑んだ。
これは、ただ怖がっている顔ではない。
見ている顔だ。
「警戒信号っすか?」
「足りません」
カレンは短く答えた。
「良樹さんたちを呼んでください」
「撤退じゃないんすか?」
「まだ見えていません」
「でも、近づいています」
「援護を」
ニルは符号表を開く。
指が少し迷う。
カレンは森側を見たまま言った。
「右下です」
「赤い印」
「これっすね」
「はい」
「送ってください」
「了解っす」
ニルは魔石信号器に手を置いた。
さっきまでとは違う。
これは試験ではない。
送れば、向こうが動く。
間違えれば、動きが遅れる。
送らなければ、この場で抱えることになる。
ニルの指が、一瞬だけ止まった。
「ニル」
カレンの声がした。
「送ってください」
「……了解」
魔石が光った。
一度。
間。
二度。
長い終端。
要対応。
森側。
不明接近。
信号は、本体側へ飛んだ。
◇
良樹は、その光を見た瞬間、表情を変えた。
紙に書きかけていた筆が止まる。
「試験中止」
リシアが顔を上げる。
「何?」
「カレン側から要対応」
「森側、不明接近」
ガレスの目が細くなる。
「魔物か」
「まだ分からん」
良樹は、魔石信号器から目を離さなかった。
「だが、カレンが送った」
「なら動く」
良樹の胸元に、斥候盤が立ち上がる。
半透明の盤。
脚力補助。
回転するレーザーセンサー。
周囲の距離を拾うための線。
戦闘盤ではない。
見るため。
動くため。
間に合うための盤。
「リシア、クラリス」
「後から来い」
「俺が先に繋ぐ」
リシアが即座に反応した。
「一人で突っ込む気!?」
「違う」
良樹は腰を落とす。
「孤立させないだけだ」
その言葉を残して、良樹は地面を蹴った。
脚力補助が入る。
体が前へ出る。
草地。
石。
小さな段差。
低い枝。
斥候盤の線が回り、進路の障害を拾う。
右の石。
左の窪み。
前方の茂み。
カレンとニルの位置。
良樹は最短で走る。
速い。
だが、無茶ではない。
初日に止まれなかった力ではない。
止め方を作った力だ。
それでも、完全ではない。
斥候盤は、見て、動くための盤。
止めるための盤ではなかった。
◇
カレンは剣を抜いていた。
森側の茂みから、ゴブリンが出てくる。
一体。
違う。
その後ろにもう一体。
さらに、左へ回る影。
ニルが息を呑む。
「ゴブリン……!」
「下がりすぎないでください」
カレンは言った。
「私の後ろに」
「でも、カレンさん一人じゃ――」
「信号器を守ってください」
「それが、今のニルの役目です」
ニルは、一瞬だけ口を閉じた。
そして、魔石信号器を抱えるように持つ。
「……了解っす」
カレンは正面を見る。
怖い。
ゴブリンは大型ではない。
一体なら、今のカレンなら止められる。
だが、一体ではない。
正面。
左。
茂みの奥。
それから、まだ見えていない気配。
弱い魔物だから怖くない、ではない。
見ていない時に来るから、怖い。
ニルが符号表を見ている時に来られたら。
信号器を持つ手を狙われたら。
自分が正面を止めている間に、横へ抜けられたら。
怖い。
だから、見る。
カレンは剣を構えた。
正面のゴブリンが飛び込む。
カレンは一歩、前へ出た。
剣が走る。
浅く止める。
殺すためではない。
足を止めるため。
ゴブリンが退く。
別の一体が、左へ回った。
その時。
草を踏み割る音がした。
魔物ではない。
速い。
低い。
迷いがない。
半透明の盤を胸元に浮かべた良樹が、森の影を抜けて飛び込んできた。
「届いた」
良樹は、短く言った。
カレンの目が揺れる。
「良樹さん……!」
「よく送った」
「間に合った」
だが、安心する時間はなかった。
良樹の斥候盤が回る。
三体。
いや、四体。
カレン正面。
ニル左側。
信号器側。
森側の影。
見えている。
見えているのに、手が足りない。
「ニル、信号器持って下がれ!」
「カレン、右半歩!」
「正面を離すな!」
「はい!」
カレンが動く。
ニルも下がる。
良樹は、ニル側へ回るゴブリンの進路へ入った。
脚力補助。
体を滑り込ませる。
腰袋の重さが揺れる。
ゴブリンの突進線をずらす。
だが、その瞬間、森側の影が動いた。
斥候盤は拾っている。
良樹も気づいている。
ただ、身体が一つしかない。
「くそ、そっちは――」
言い切る前に。
遠くから、光が走った。
細い。
けれど、速い。
四魔素の光。
リシアの長距離エレメンタルストライクだった。
火が一瞬、ゴブリンの視界を焼く。
風が軌道を押す。
水が足元を滑らせる。
土が踏み込みを乱す。
細く束ねられた一撃が、ゴブリンの進路を撃ち抜いた。
ゴブリンの身体が、横へ弾かれる。
良樹のすぐ横を、爪が通った。
「助かった!」
「礼は後!」
リシアの声が、まだ遠くから飛ぶ。
「死角を作らないで!」
「作りたくて作ってねえ!」
良樹は叫び返す。
見えていた。
だが止めきれなかった。
斥候盤は、見る盤だ。
止める盤ではない。
その事実が、胸の奥に重く残る。
けれど、残るだけで終わらせる余裕はなかった。
リシアの狙撃で生まれた、ほんの数瞬。
そこへ、白い影が草を割った。
クラリスだった。
走ってきた、というより。
風が形を持って、そこへ滑り込んできたように見えた。
ゴブリンの一体が、カレンとニルの方へ踏み込もうとする。
クラリスの足が止まった。
一拍。
白い法衣の裾だけが、遅れて揺れた。
クラリスは、顔を上げる。
いつもの清楚な微笑みはなかった。
ただ、目だけが静かだった。
静かすぎるほど、静かだった。
拳が走る。
音は、小さい。
だが、ゴブリンの身体は大きく浮いた。
横へ吹き飛び、地面を転がり、草をえぐって止まる。
ニルの喉が、ひゅ、と鳴った。
クラリスは、拳を下ろした。
「私がこの先を共に望む方と」
声は穏やかだった。
穏やかだからこそ、怖かった。
「同じ場所へ進む、大切な方々に」
クラリスは、倒れたゴブリンを見下ろす。
「狼藉を働こうとは」
そこで、ほんの少しだけ沈黙が落ちた。
「良い度胸です」
クラリスは、一歩だけ前へ出た。
「神に祈る時間は、差し上げません」
ニルが、反射的に半歩下がった。
「……カレンさん」
「はい」
「クラリスさんって、僧侶っすよね」
カレンは剣を構えたまま、小さく頷いた。
「はい」
「僧侶です」
ニルは、吹き飛ばされたゴブリンを見た。
「俺の知ってる僧侶と違うっす」
カレンは、少しだけ困ったように言った。
「私も、最初はそう思いました」
◇
そこからは短かった。
カレンが正面を止める。
良樹が斥候盤で敵の位置と退路を見る。
リシアが遠距離から牽制する。
クラリスが、抜けようとした敵を潰す。
ゴブリンは強敵ではなかった。
だが、信号器運用中の受信役や中継役にとっては十分に危険だった。
符号表を見る。
信号器を操作する。
周囲から目が離れる。
その一瞬を突かれれば、弱い魔物でも人は死ぬ。
最後の一体を、カレンが止めた。
剣で足元を払う。
倒れたところを、良樹が位置を指示し、クラリスが押さえる。
リシアの風が、森側の草を払った。
もう動く影はなかった。
ニルは魔石信号器を抱えたまま、深く息を吐いた。
「……本当に来た」
カレンは、まだ剣を下ろさなかった。
森側を見ている。
それから、小さく答えた。
「はい」
「届けば、来てくれます」
◇
戦闘が終わった後も、カレンの指は剣の柄を握っていた。
強く。
強く。
白くなるほどではない。
けれど、力が抜けきっていない。
怖かったのだろう。
良樹は、そう思った。
怖かったはずだ。
最初に違和感を拾った。
まだ見えない段階で、危険だと判断した。
ニルに送らせた。
ゴブリンが出てきた。
良樹が来るまで、ニルと信号器を守った。
怖くないわけがない。
良樹は、カレンの前に立った。
「カレン」
「は、はい」
カレンが顔を上げる。
目は潤んでいない。
けれど、呼吸が少し浅い。
「ニルを守ったな」
「……はい」
「信号も送った」
「はい」
「よくやった」
そう言って、良樹はカレンの頭に手を置いた。
カレンの肩が、小さく跳ねた。
リシアが、少しだけ目を見開く。
クラリスは、静かに見ていた。
良樹は余計な説明をしなかった。
子ども扱いではない。
慰めでもない。
戦った仲間への労いだった。
それでも、カレンにとっては、それだけではなかった。
剣を握る指から、少しだけ力が抜ける。
カレンは、すぐには答えなかった。
少し遅れて、良樹を見上げる。
「怖かったです」
「ああ」
「でも」
そこで、言葉が一度止まった。
カレンは、胸の奥で息を整える。
それから、まっすぐ良樹を見た。
「信じてました」
良樹の手が、一瞬だけ止まる。
「送れば」
「良樹さんは、来てくれるって」
良樹は、少し黙った。
リシアが何か言いかけて、口を閉じる。
クラリスも、ただ静かに微笑んでいた。
良樹は、もう一度だけカレンの頭を撫でた。
「ああ」
短く。
けれど、はっきりと。
「届いたら、行く」
カレンの剣を握る手から、ようやく力が抜けた。
◇
ガレスへの報告は、その場で行われた。
良樹は、まず自分から説明しようとした。
だが、その前にニルが一歩前へ出た。
「ガレスさん」
「何だ」
「これ、使えます」
ガレスはニルを見た。
「どう使えた」
ニルは、魔石信号器を見た。
それから、カレンを見た。
「魔物を倒したのは、信号器じゃないっす」
「ああ」
「でも、信号器がなかったら」
「俺とカレンさんは、たぶん孤立してました」
ニルは、順番に話した。
最初に気づいたのはカレンだったこと。
自分には、まだ何も見えていなかったこと。
カレンは怖がっていたが、判断は早かったこと。
警戒では足りないと判断したこと。
援護要請を送ったこと。
良樹が本当に来たこと。
そして。
「でも、良樹さん一人で全部止めたわけじゃないっす」
ニルは続けた。
「見えてたみたいなんす」
「でも、手が足りなかった」
「そこにリシアさんの魔法が飛んできて」
「そのすぐ後にクラリスさんが詰めた」
ニルは、少しだけ息を吐いた。
「だから、間に合ったんす」
「信号を送ったから」
「良樹さんが繋いで」
「リシアさんとクラリスさんも間に合った」
ガレスは、黙って聞いていた。
それから、魔石信号器を見る。
「……なるほどな」
「こいつは、救援を呼ぶだけの道具じゃねえ」
良樹が眉を寄せる。
「違うのか」
「救援を呼ぶだけなら、笛でも狼煙でもいい」
ガレスは言った。
「こいつは、危険を見つけた奴を、戦線から孤立させねえ道具だ」
良樹は黙った。
それは、良樹がまだ言葉にしていなかったことだった。
ニルが見た。
ガレスが言った。
使う側の言葉だった。
ガレスは、良樹を見る。
「良樹」
「何だ」
「お前が最初に飛んでいくのは分かった」
「だが、毎回お前が一番槍じゃ保たねえ」
「分かってる」
良樹は、斥候盤を見た。
「斥候盤は、見る盤だ」
「止める盤じゃねえ」
「なら、運用に書け」
ガレスは短く言った。
「最初に駆けつける奴は、倒す役じゃねえ」
「戦線を繋ぐ役だ」
良樹は少しだけ考えた。
そして、頷く。
「ああ」
「それは書く」
◇
良樹は、その場で記録を取った。
カレンの危険感知は有効。
危険感知者と送信者の分担は有効。
ニルの送信補助は有効。
援護要請信号は実戦で機能。
受信側・中継側の単独配置は禁止。
ゴブリン程度でも、信号器運用者を狙われると危険。
信号器を持つ者には護衛、または補助者が必要。
第一到着者は単独制圧ではなく、戦線接続を目的とする。
斥候盤は即応に有効。
ただし対応能力には限界あり。
リシアの長距離狙撃は第一到着者の死角補助に有効。
クラリスの近接制圧は後続到着時の戦線安定に有効。
緊急時の簡略符号が必要。
警戒、要対応、撤退の区別をさらに明確化する。
書くことが多い。
多すぎる。
だが、それでいい。
何も起きなかった試験より、起きたことがある試験の方が見えるものは多い。
良樹は筆を止めた。
「読めたから成功、じゃねえ」
「今回は間に合った」
「だが、危なかった」
リシアが、魔石信号器を見る。
「でも、届いたわ」
カレンが小さく頷く。
クラリスも、静かに言った。
「そして、届いたから間に合いました」
「ああ」
良樹は、魔石信号器を見た。
「こいつは、敵を倒す道具じゃねえ」
「危険を、一人で抱え込ませないための道具だ」
ガレスは何も言わなかった。
ただ、少しだけ口元を緩めた。
◇
帰り道。
カレンは、魔石信号器をもう一度見た。
怖かった。
手は震えた。
符号表を見る目も揺れた。
ニルに送ってもらう声も、少し硬かった。
それでも、送れた。
送ったら、届いた。
届いたら、来てくれた。
怖さは、消えない。
カレンは、自分がこれからも怖がることを知っている。
森の影も。
草の揺れも。
鳥の声が消える瞬間も。
きっと、怖い。
けれど、怖さを伝える方法があった。
怖いだけでは、誰にも届かない。
でも、送れば届く。
カレンは、剣の柄に触れた。
良樹の手が頭に置かれた感触が、まだ少し残っている気がした。
「カレン」
良樹が呼んだ。
「はい」
「次も、怖い場所を見てくれ」
カレンは、すぐには答えなかった。
森側を見る。
何もいない。
今は、何も。
それでも、カレンは見る。
少し息を吸う。
それから、頷いた。
「はい」
声は小さかった。
でも、逃げていなかった。
「見ます」
魔石信号器は、ゴブリンを倒したわけではない。
ただ、怖いと気づいた声を、離れた仲間へ届けた。
それだけで、孤立するはずだった場所に、戦線が繋がった。
仮運用の最初の日。
第一中継点は、完成しなかった。
けれど。
届いたから、間に合った。




