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第43話 仮運用(挿絵有)

 翌朝。


 良樹は、作業場の試験台の前で紙を広げていた。


 夜間本体側確認。

 光量、弱。

 手元灯、リシア式。

 遮光、要改良。

 符号切替、視認可能。

 受信側確認、未実施。


 検証実験、一区切り。

 次回より、第一中継点を仮運用へ移行。

 雨天、疲労時、複数信号時は運用試験内で確認。


 良樹はそこまで書いてから、筆を止めた。


 手元灯、リシア式。


 別に、変な意味で書いたわけではない。

 昨日の夜、第一中継候補地でリシアが杖先に灯した魔力灯は、かなり良かった。


 明るすぎない。

 手元だけ見える。

 魔石信号器本体の光を邪魔しない。

 外からも目立ちすぎない。


 だから、基準にする。


 それだけだ。


 それだけ、のはずだった。


「手元灯、リシア式って何よ」


 横から声がした。


 リシアだった。


 良樹が顔を上げると、リシアは試験台の横から紙を覗き込んでいた。

 黒髪を肩の後ろへ流し、青い瞳を細めている。


 昨日の夜のことを引きずっているのか、いないのか。

 表情はいつも通りに見える。

 ただ、良樹と目が合った瞬間だけ、ほんの少しだけ間があった。


「お前の魔力灯を基準にするからだ」


「名前、もう少しないの?」


「夜間低照度手元灯」


「可愛くない」


「道具名に可愛さは要らねえ」


「そういうところよ」


 リシアがため息を吐く。


 その後ろから、カレンとクラリスも入ってきた。


「ですが、リシア式の方が良樹くんらしい記録ですね」


 クラリスが穏やかに言った。


「はい」


 カレンも小さく頷く。


「少し、特別な感じがします」


「二人とも黙って」


 リシアの頬が、少し赤くなった。


 良樹は紙を見た。


 夜間低照度手元灯。

 リシア式。


 どちらが記録として妥当か。


 作業者としては前者が正しい。

 だが、後で読み返した時にどちらが状況を思い出しやすいかと言われると、後者だった。


「……リシア式でいいか」


「そこで折れるのもやめなさい」


「じゃあどうしろってんだ」


「知らないわよ」


 リシアはそう言って、そっぽを向いた。


 クラリスが口元に手を添えて微笑む。

 カレンも、少しだけほっとしたように笑った。


 良樹は、筆でそのまま線を引いた。


 手元灯、リシア式。


 その下に、もう一行を書き足す。


 ギルド側説明、実施。


   ◇


 ギルドへ向かう道で、良樹は何度も頭の中を整理していた。


 魔石信号器は完成していない。


 届くことは分かった。

 第一中継候補地でも、昼間なら使えそうだと分かった。

 夜間の本体側光量も確認した。


 だが、まだ足りない。


 夜間受信側確認はしていない。

 雨天も未確認。

 疲労時も未確認。

 複数信号時も未確認。

 ギルド側の人間が読めるかも未確認。


 だから、完成品として渡すことはできない。


 ただし、試験場で全部を潰してから使うのも違う。

 使う場所でしか出ない不具合がある。

 使う人間でしか出ない問題がある。


 道具は、現場に出してから育つ部分がある。


 良樹は、それを説明しなければならなかった。


 ギルドの奥。

 いつもの卓の前に、ガレスがいた。


 大柄な身体を椅子に預け、腕を組んでいる。

 横にはニルもいた。

 呼ばれたのか、たまたまいたのかは分からない。

 ただ、良樹たちが入ってきた時点で、ガレスはニルを逃がす気がなさそうだった。


「来たか」


「ああ」


 良樹は卓の上に、魔石信号器と符号表、夜間確認の記録を置いた。


「先に言っておく」


「何だ」


「完成品じゃねえ」


 ガレスは片眉を上げた。


「まだ完成じゃねえのに持ってきたのか」


「完成してから持ってくるつもりなら、いつまでも現場に出せねえ」


 良樹は符号表を広げた。


「使う場所で出る問題は、使う場所でしか見えねえ」

「使う人間で出る問題は、使う人間に触らせなきゃ分からねえ」

「だから、今日は完成報告じゃない」


 ガレスが腕を組み直す。


「じゃあ何だ」


「仮運用へ移すための説明だ」


 ニルが、少しだけ身を乗り出した。


「仮運用っすか」


「ああ」


 良樹はニルを見る。


「ニルも聞いとけ」


「俺もっすか?」


 ニルがガレスを見る。


 ガレスは短く言った。


「使うのは俺じゃねえ」

「お前らみてえな、現場に出る連中だ」

「見とけ」


「了解っす」


 ニルは背筋を伸ばした。


 良樹は、魔石信号器を手に取った。


「いきなり遠くではやらない」

「まずは短距離で見せる」


「短距離?」


「ああ」

「手信号でも見える距離だ」


 ニルが首を傾げた。


「でも、それなら手ぇ振ればよくないっすか?」


「そうだ」


 良樹は即答した。


「だから最初はそこでやる」


「え、何でっすか?」


「遠くでいきなり試して失敗したら、何が悪いか分からねえ」


 良樹は指を折った。


「距離が悪いのか」

「光量が悪いのか」

「符号が悪いのか」

「読み手が慣れてねえのか」

「外の明るさが悪いのか」


 ひとつずつ、卓の上へ置くように言う。


「最初は、距離以外の条件を潰して見る」


 ガレスが、低く笑った。


「まず、分かってる条件で試すわけか」


「そういうことだ」


 良樹は頷いた。


「最初から限界を見る試験は、原因を潰せねえ」


   ◇


 ギルド裏手の訓練場へ出ると、良樹はまず短距離で魔石信号器を置いた。


 距離は近い。

 声を張れば届く。

 手を振れば分かる。

 表情までは見えないが、相手が何をしているかは十分に見える距離だった。


 送信側は良樹とリシア。

 受信側はカレン、クラリス、ガレス、ニル。


 リシアは杖先に小さな灯りを出し、魔石信号器の光を邪魔しない程度に手元を照らす。

 良樹は光量を弱めにし、符号表を横に置いた。


「まず、試験用の符号表だ」


 良樹は紙を広げる。


「今は、状態二つ、詳細二つで組んでる」


 ニルが眉を寄せた。


「状態二つ、詳細二つ?」


「状態が二ビット」

「詳細が二ビット」

「状態が四通り、詳細が四通り」

「合わせて十六通りだ」


「十六通りって、多いんすか? 少ないんすか?」


「運用次第だ」


 良樹は即答した。


「細かい報告をしようと思えば少ない」

「現場で迷わず読むなら、多いくらいだ」


 ガレスが符号表を覗き込む。


「状態と詳細ってのは?」


「状態は大枠だ」


 良樹は符号表の左側を指す。


「正常」

「警戒」

「要対応」

「撤退」

「そういう、まず判断するための分類」


「で、詳細が中身か」


「ああ」


 良樹は右側を指す。


「方角」

「数」

「負傷」

「再送要求」

「そういうのを入れる」


 ニルが少し驚いたように言った。


「結構いろいろ送れるんすね」


「送れる」


 良樹は頷いた。


「だが、送れることと、読めることは違う」


 ニルが黙った。


「十六通りあるからって、最初から全部使うな」

「読めねえ」

「迷う」

「間違える」


「枠があるのに、使わないんすか?」


「使わない枠を残すのも設計だ」


 ガレスの目が、少しだけ細くなった。


 良樹は続ける。


「それに、増やすこともできる」

「減らすこともできる」


「減らすんすか?」


 ニルは思わず聞き返した。


「せっかく送れるのに」


「だから言っただろ」


 良樹は魔石を指で軽く叩いた。


「送れることと、読めることは違う」


 ガレスが言った。


「使う人間次第ってことか」


「ああ」


 良樹は頷く。


「送る側が慣れてる」

「受ける側も慣れてる」

「天気がいい」

「疲れてない」

「魔物が近くにいない」

「そういう条件なら増やせる」


 その指が、符号表の端を押さえた。


「逆に、初めて使う奴」

「夜」

「雨」

「疲労」

「魔物が近い」

「そういう時は減らす」


 良樹は、ニルを見た。


「読めねえ信号は、無いのと同じだ」


 ニルは、符号表を見てから小さく頷いた。


「……確かに、焦ってたら無理っすね」


「俺の世界には、モールス信号ってのがあった」


「もーるす?」


 ニルが首を傾げる。


「一つの光や音だけで、文字を送る方法だ」


 良樹は指を一本立てた。


「短い合図と、長い合図」

「それの組み合わせだけで、会話に近いことをしてた時代がある」


 ガレスが眉を寄せた。


「一つの光だけでか?」


「ああ」


 良樹は頷く。


「一つの光でも、点け方を決めれば情報は送れる」

「短く光る」

「長く光る」

「間を空ける」

「それだけで、文字にもできる」


 ニルは目を丸くした。


「じゃあ、この魔石一個でも、もっと色々送れるんすか?」


「練度があればな」


 良樹は、そこで少し声を落とした。


「ただし、それは送る側も受ける側も訓練してる前提だ」

「符号を覚えてる」

「間を読める」

「焦っても崩れない」

「疲れても間違えない」

「そういう連中なら、一つの光でもかなり送れる」


 良樹は、ニルを見た。


「でも、初めて持たされた見張りにそれをやらせたら?」


 ニルは少し考えた。


 それから、顔をしかめる。


「……無理っすね」

「たぶん、途中で分かんなくなるっす」


「そういうことだ」


 良樹は魔石信号器を置いた。


「信号は、光が送るんじゃねえ」

「人間が送って、人間が読む」

「だから、人間の練度まで含めて設計しなきゃ事故る」


   ◇


 リシアは、黙って良樹を見ていた。


 見守っていた、というほど穏やかなものではなかった。


 指先に力が入っている。

 杖を握る手も、ほんの少し硬い。


 成功してほしい。


 そう願っていた。


 良樹のために。

 町のために。

 危ない場所に立つ誰かのために。


 それも本当だった。


 けれど、それだけではない。


 良樹がこれをギルドに認めさせれば、また一歩、英雄に近づく。

 英雄に近づけば、良樹が三人を妻に迎えると言った未来にも近づく。


 だから、リシアは願っていた。


 成功して。


 その横で、カレンは胸元で両手を握っていた。


 良樹の説明は難しい。

 状態。

 詳細。

 二ビット。

 練度。

 モールス信号。


 分からない言葉もある。


 けれど、分かることが一つあった。


 遠くで危ないものを見た人が、町へ知らせられる。

 逃げ遅れる前に、誰かが動ける。

 怖い場所を、怖いまま伝えられる。


 それは、人を助ける。


 そして、それが認められれば、良樹はまた一歩進める。


 カレンは、声には出さずに祈った。


 どうか、届いてください。


 クラリスは、良樹の横顔を見ていた。


 疲れていないわけではない。

 緊張していないわけでもない。


 それでも良樹は、できることと、できないことを分けて話している。

 できることを大きく見せない。

 できないことを隠さない。


 その正直さが、ガレスとニルに届くかどうか。


 成功してほしい。


 そう願った。


 良樹くんのために。

 町のために。

 そして、私たちのために。


 その願いは、祈りに近かった。


 その一方で。


 当の良樹は、符号表を指で押さえながら、完全に顧客説明の顔をしていた。


 英雄になる。

 三人を妻に迎える。


 そのことを忘れているわけではない。


 だが、今それを考えて説明が雑になるなら、本末転倒だ。


 目の前にいるのは、ガレスとニル。

 この道具を使う側の人間。

 良樹にとっては、運用者であり、顧客だった。


 だから良樹は、売り込まない。

 できることを大きく見せない。

 できないことを隠さない。


 ただ、使える条件と、使ってはいけない条件を説明する。


 妻の心、夫知らず。


 もっとも、その夫は今、夫になるための道を、顧客説明という形で一歩進めていた。


   ◇


 短距離のデモは、問題なく終わった。


 光は見えた。

 符号も読めた。

 状態と詳細を分ける考え方も、ガレスとニルには伝わった。


 だからこそ、次の段階へ進む。


「次は五百メルまで離す」


 良樹が言うと、ニルが少しだけ目を丸くした。


「いきなり五百っすか」


「いきなりじゃねえ」


 良樹は符号表を畳まずに言った。


「短距離で見えることは確認した」

「次は距離を入れる」

「ただし、その前に決めることがある」


 ガレスが聞く。


「何をだ」


「どうなったら使えると判断するかだ」


 ガレスは少しだけ眉を寄せた。


「届いたら使える、じゃねえのか」


「違う」


 良樹は首を振った。


「光が届くことと、現場で使えることは違う」

「何を送る」

「誰が読む」

「読めなかった時どうする」

「間違えた時どう止める」

「そこを決めずに五百メル離しても、ただ光っただけで終わる」


 ニルが、ぽつりと言った。


「じゃあ、先に問題を決めるんすね」


「そうだ」


 良樹は頷いた。


「試験ってのは、答え合わせじゃねえ」

「何を確認するかを先に決めるもんだ」


 ガレスは腕を組んだ。


「なら、ギルド側で最初に欲しいのは四つだな」


「言ってくれ」


「異常なし」

「警戒」

「応援要請」

「撤退」


 ニルが手を上げる。


「あの、魔物の種類を状態に入れるのは駄目っすか?」


「駄目ではない」


 良樹はすぐに返した。


「だが、最初に知りたいのは種類じゃねえ」

「危ないのか」

「様子見でいいのか」

「応援がいるのか」

「逃げるのか」

「まずそこだ」


 ガレスが頷く。


「現場で最初に欲しいのは、名前じゃねえ」

「動くか、止まるか、逃げるか、呼ぶか、か」


「そうだ」


 ニルは少し考えてから、納得したように息を吐いた。


「種類を見てる間に近づかれたら意味ないっすもんね」


「ああ」


 良樹は符号表の一部に丸をつける。


「最初は少なくていい」

「増やすのは簡単だ」

「減らすのは難しい」

「現場で迷う信号は、無い方がいい」


 リシアが、横から小さく言った。


「試験用は増やす」

「運用用は削る」

「そういうことね」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「試験では限界を見る」

「運用では迷わせない」


   ◇


 五百メル試験は、町外れの見通しの良い場所で行うことになった。


 送信側は良樹とリシア。

 受信側はカレン、クラリス、ガレス、ニル。


 昼間。

 見通しあり。

 符号表あり。

 暗記はしない。


「今日は覚えられるかの試験じゃねえ」


 良樹は受信側に符号表を渡しながら言った。


「見て、表に照らして、読めるかの試験だ」

「だから受信側にも符号表は持たせる」


 ニルが聞いた。


「覚えなくていいんすか?」


「最初から覚えさせるな」


 良樹は即答した。


「手順書を見て使える道具にしろ」

「慣れてから覚えるのは勝手だ」


 ニルは符号表を見た。


「なるほどっす」


 良樹とリシアは、五百メル相当の距離まで離れた。


 距離が出ると、短距離とは違った。


 魔石信号器の光は見える。

 だが、切り替わりの輪郭は少し鈍る。

 光量を強くすると見えるが、目に残る。

 弱くすると、切り替わりは綺麗だが見落としやすい。


 一つ目。


 異常なし。


 これは読めた。


 二つ目。


 警戒。


 これも読めた。


 三つ目。


 応援要請。


 カレンは読めた。

 クラリスも読めた。

 ガレスは少し遅れたが読めた。

 ニルは、紙に書く時に少しだけ手を止めた。


「今の、状態と詳細の切れ目が少し分かりにくかったっす」


 戻ってきた後、ニルは正直に言った。


「どこまでが状態で、どこからが詳細か、一瞬迷ったっす」


 良樹は頷く。


「そこが問題だ」

「二ビットずつあるなら、切れ目が分からねえと読めない」

「だから、状態と詳細の間に間を置く」


 良樹は紙に書く。


 状態二点滅。

 短い間。

 詳細二点滅。

 終端合図。


「あるいは、状態は長い光、詳細は短い光に分ける」

「ただし、今度は長短の読み分けが必要になる」


 ガレスが、低く言った。


「どっちにしても慣れはいるな」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「だから、最初は数を減らす」


 次の試験では、あえて読みにくい符号を送った。


 ガレスは読めた。

 クラリスも読めた。

 カレンは少し迷った。

 ニルは、読めないと判断して再送要求に丸をつけた。


「読めなかったっす」


 ニルは、少し悔しそうに言った。


 良樹は即座に頷いた。


「それでいい」


「いいんすか?」


「ああ」


 良樹は紙に、読めなかった符号を書き込む。


「読めなかったら失敗じゃねえ」

「読めなかったことが分かれば成功だ」


 ニルが眉を寄せた。


「読めないのに成功なんすか?」


「読めない条件を見つけるのが試験だ」


 良樹は言った。


「読めたことだけ拾ってたら、現場で死ぬ」


 ガレスは、しばらく黙っていた。


 それから、少しだけ口元を緩めた。


「……なるほどな」

「こいつは、道具の売り込みじゃねえ」

「使えねえ条件を探してんのか」


「そうだ」


 良樹は短く答えた。


「使えない条件が分かってる道具は、使える」

「使えるつもりの道具が一番危ねえ」


   ◇


 試験結果は、紙の上に並んだ。


 読めた符号。

 読みにくかった符号。

 読めなかった符号。

 迷った符号。


 光量は弱すぎても駄目。

 強すぎても駄目。

 状態と詳細の切れ目には、間が必要。

 終端合図も必要。

 初期運用では符号数を絞る。


 良樹はそれを淡々と書き込んだ。


 ガレスは、その紙をしばらく見ていた。


 やがて、言った。


「よし」


 良樹が顔を上げる。


「条件付きで、ギルドとして使う」


「いいのか」


 良樹は眉を寄せた。


「まだ完成じゃねえぞ」


「だから条件付きだ」


 ガレスは指を一本立てた。


「改良は続けろ」

「読みにくかった符号、状態と詳細の切れ目、光量、遮光」

「夜と雨も放置するな」


 二本目。


「試験にはギルド側を噛ませる」

「お前らだけが読める道具にするな」


 三本目。


「魔石、板、遮光具、設置台、運び手」

「必要なものは、こっちも出す」

「その代わり、結果は報告しろ」


 良樹は、少しだけ黙った。


 それから頷く。


「分かった」


 リシアの指先から、力が抜けた。


 カレンは、胸元で握っていた手を少しだけ緩めた。


 クラリスは、静かに目を伏せた。


 通った。


 良樹の説明が。

 良樹の道具が。

 良樹の、できないことまで隠さないやり方が。


 通った。


 良樹は、その三人の気配に気づいていなかった。


 紙の上に、次の課題を書いている。


「採用されたら終わりじゃねえな」


 ぼそりと呟く。


 リシアが小さく笑った。


「そこなのね」


「そこだろ」


 良樹は真顔で返す。


「採用されたら終わりじゃねえ」

「採用されたら、責任が始まる」


 リシアは、少しだけ呆れたように、でも嬉しそうに息を吐いた。


   ◇


 その時、ニルがふと魔石信号器を見た。


「あの」


「何だ」


 良樹が顔を上げる。


「これ、受けたやつを、別のやつがもう一回送ったら駄目なんすか?」


 良樹の手が止まった。


「……今、何て言った」


「いや、五百メル先で受けたとして」


 ニルは、少し身振りを交えながら話す。


「そこにもう一個、魔石信号器を持ってるやつがいたら」

「そいつが、また別の方向に送ればいいんじゃないっすか?」


 ガレスが腕を組む。


「狼煙の受け渡しみてえなもんか」


「そうっす」


 ニルは頷いた。


「でも、狼煙より早いっすよね」



 挿絵(By みてみん)



 良樹は黙った。


 考えていなかったわけではない。


 中継点という発想はあった。

 第一中継点。

 第二中継点。

 固定された場所に設置する中継。


 だが、ニルが言ったのは違った。


 人が持つ。

 人が読む。

 人が次へ送る。


 固定された中継点ではなく、動く中継点。


「……メッシュか」


「めっしゅ?」


 ニルが首を傾げる。


「俺の世界の言葉だ」


 良樹は、頭の中で図を組んだ。


「決まった一本の道だけで繋ぐんじゃねえ」

「複数の点が互いに繋がって、届くところへ順番に渡していく」


 ガレスが目を細める。


「つまり、街道沿いに固定するだけじゃなく」

「動ける冒険者が中継役にもなれるってことか」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「しかも、この世界の人間は魔力の扱いに慣れてる」

「俺が思ってるより、受け渡しの感覚がいい可能性がある」


 ニルが、少しだけ嬉しそうに笑った。


「じゃあ、俺らもただの試験要員じゃないっすね」


「そうだ」


 良樹は魔石信号器を見る。


「使う側が、使い方を育てる」

「これは俺の良い誤算だ」


 リシアが聞いた。


「悪い誤算じゃなくて?」


「ああ」


 良樹は短く答えた。


「良い誤算だ」

「魔力を扱うのは、俺よりこっちの世界の人間の方が上手い」

「俺は仕組みを作れる」

「だが、使い方を育てるのは、俺だけじゃねえ」


 リシアは、良樹の横顔を見ていた。


 良樹は、悔しがっていなかった。


 自分の想定を超えた使い方を、他人が出した。

 普通なら、作った者として面白くないと思ってもおかしくない。


 けれど良樹は、少しだけ嬉しそうだった。


 道具は、現場に出してから育つ。


 昨日、夜の高台で良樹が言った言葉が、リシアの中で形を持った。


 カレンも、胸元で握っていた手を少しだけ緩めた。


 良樹さんだけじゃない。

 リシアだけじゃない。

 私たちだけでもない。


 この道具を使う人たちが、使い方を見つけていく。


 それは少し怖くて。

 でも、少し心強かった。


 クラリスは、静かに息を吐いた。


 良樹くんが全部背負わなくていい。


 そのことが、何より大きかった。


 作るのは良樹くん。

 でも、使い方を育てるのは、使う人たち。


 それなら、良樹くんは少しだけ、自分を壊さずに済むかもしれない。


 ガレスは、魔石信号器を見た。


 小さな魔石。

 粗い符号表。

 まだ改良の余地だらけの道具。


 だが、運用次第で化ける。


 固定の中継点。

 移動する冒険者。

 見張り。

 荷車。

 町門。

 旧街道。


 危険を見た誰かが、声の届かない場所から町へ知らせる。


 これは、ただの便利道具ではない。


 使い方次第で、人の動き方そのものが変わる。


 ガレスは、そこで良樹を見た。


「良樹」


「なんだよ」


「お前、本当にあの三人に惚れてるんだな」


 良樹の手が止まった。


 符号表を畳もうとしていた指が、紙の端で固まる。


「……何で今その話になる」


「本気じゃなきゃ、ここまでのものをこの短期間では作れん」


 ガレスは、魔石信号器を指で軽く叩いた。


「ただ便利な道具を作っただけじゃねえ」

「置いていかないための道具だ」

「遠くにいる奴を、危ない場所にいる奴を、声が届かねえ場所にいる奴を、繋ぐ道具だ」


 良樹は黙った。


 ガレスは続ける。


「英雄になりたい理由が、三人のため、か」


 少しだけ、呆れたように笑う。


「こんな不器用な理由で英雄になったヤツを、俺は知らねえがな」


 良樹は、何も言わなかった。


 リシアも、カレンも、クラリスも、息を止めるようにしてガレスを見ていた。


 ガレスは、魔石信号器をもう一度軽く叩いた。


「だが、お前はそれでいいと思うぜ」


 良樹は、ようやく顔を上げた。


「……悪いかよ」


「悪いかどうかは、後ろの三人の顔を見て判断しろ」


 良樹は、ゆっくり振り返った。


 リシアは、目を逸らさなかった。


 頬は赤い。

 けれど、逃げていない。


 カレンは、胸元で両手を握っていた。


 泣きそうな顔で、でも嬉しそうに笑っていた。


 クラリスは、いつもの清楚な微笑みを少しだけ崩していた。


 柔らかく、静かに。

 祈りが届いたあとのような顔で、良樹を見ていた。


 良樹は、何も言えなくなった。


「……見るんじゃなかった」


「見ろ」


 ガレスは短く言った。


「そこを見ねえ男が、英雄になれるか」


 良樹は、返せなかった。


   ◇


 ガレスは、魔石信号器をもう一度見た。


「第一中継点」


 そして、短く告げた。


「仮運用開始だ」


 その言葉を聞いた瞬間、三人が小さく息を呑んだ。


 良樹は、符号表へ視線を落とした。


 読めた符号。

 読みにくかった符号。

 迷った符号。

 状態と詳細の切れ目。

 光量。

 遮光。

 ギルド側で考えられる運用。

 冒険者が中継役になる可能性。


 やることは増えた。


 採用されたら終わりではない。

 採用されたら、責任が始まる。


 だが、道具は試験台を出た。


 使う人間が、使い方を考え始めた。


 それは、完成ではない。

 成功宣言でもない。


 仮運用。


 使いながら直すための、始まりだった。


 そして良樹もまた、自分では気づかないほど静かに、英雄への工程表を一つ進めていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


第43話、魔石信号器はいよいよ検証から仮運用へ。

完成してから出すのではなく、使う場所で、使う人たちと一緒に育てていく道具になってきました。


良樹たち四人の英雄への道も、まだまだ仮運用中です。

面白かった、続きが気になる、四人の運用試験をもう少し見てやってもいいぞ、と思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回もよろしくお願いします。

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