第40話 実験なら公平に(挿絵有)
拠点へ戻る道すがら、良樹はずっと試験記録のことを考えていた。
魔石信号器は、最大五百メル相当まで届いた。
ただし光量は落ちる。
反応も少し遅い。
符号表は大きく書き直す必要がある。
夜間、雨天、高台現地での確認も必要だ。
端子台通信は、二百五十メルまで短文なら届いた。
長文は厳しい。
魔力供給とは別物として扱うべきだ。
そして、もう一つ。
クラリスが良樹の手首に触れた瞬間、端子台通信の奥で何かが起きた。
良樹には、一瞬だけ、リシアとカレンの位置が分かった。
見えたのではない。
聞こえたのでもない。
そこにいる、と分かった。
リシアは、少し下った坂の手前。
草の低い場所に立っていた。
カレンは、反対側の岩の上。
符号表を胸元に抱えていた。
合っていた。
原因は分からない。
分からないが、記録しなければならない。
良樹は歩きながら、頭の中で紙面を組み立てていた。
符号表改善。
光量改善。
高台での設置位置。
通信距離。
端子台通信の負荷。
未確認現象。
「まず、符号表だな」
良樹は呟いた。
「文字を大きくする」
「左右の配置は実物と合わせる」
「種類と緊急度の区切りも――」
「それは後」
リシアが言った。
良樹は足を止めた。
「後?」
「後」
リシアは即答した。
カレンも、少し真面目な顔で頷く。
「今は、クラリスさんの確認が先だと思います」
「信号器よりか?」
「はい」
カレンは胸元で両手を握った。
「たぶん、かなり大事です」
クラリスは、いつものように穏やかに微笑んだ。
「私は大丈夫ですよ」
「「大丈夫じゃない」」
リシアとカレンの声が重なった。
良樹は、二人を見る。
「息ぴったりだな」
「良樹も他人事みたいな顔しない」
「俺も関係あるのか」
リシアが半眼になる。
「あるに決まってるでしょ」
カレンが、少し赤くなりながら小さく言った。
「たぶん、かなり……」
「帰りたい」
「帰ってる途中でしょ」
「精神的にだ」
「駄目」
リシアは短く言った。
良樹は天を仰ぎたくなった。
まだ昼間だ。
天井はない。
空は広い。
逃げ場はなかった。
◇
拠点へ戻ると、良樹はまず試験記録を広げようとした。
だが、その前にリシアが試験台の前へ立った。
「その前に、クラリス」
「はい」
「事情聴取よ」
クラリスは、穏やかに微笑んだ。
「事情聴取、ですか?」
「ええ」
リシアは腕を組む。
「さっき何があったのか」
「分かる範囲で話して」
「分かる範囲、と言われましても」
「私にも、はっきりとは分かりません」
「それは聞いたわ」
リシアは、クラリスをじっと見る。
「でも、分からない以外にもあるでしょ」
クラリスの微笑みは崩れない。
清楚。
穏やか。
落ち着いている。
いつものクラリスだった。
少なくとも、表面は。
だが、カレンはその様子を見て、小さく首を傾げた。
いつもより、少しだけ丁寧すぎる。
良樹の方を見ない。
見ようとして、直前で視線を戻す。
それから、自分の指先を見る。
良樹の手首に触れた指。
それを、何度も。
「……クラリスさん」
「はい、カレンさん」
「その」
「隠してますよね」
クラリスの微笑みが、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
だが、リシアは見逃さなかった。
「なるほどね」
「え?」
良樹が聞き返す。
カレンも、少し赤くなりながら頷いた。
「私も、何となく分かりました」
「何となくで何が分かるんだ」
良樹は眉を寄せる。
リシアは良樹を見た。
「あんたは黙って協力する」
「逃げたい」
「駄目」
「だろうな」
その後、リシアとカレンによる事情聴取が行われた。
良樹は途中で何度か席を外そうとした。
そのたびに、リシアに睨まれた。
カレンに袖を掴まれた。
クラリスに清楚な微笑みで逃げ道を塞がれた。
詳しい内容は、良樹の精神衛生上、記録しない方がよかった。
◇
「なるほどね」
事情聴取が終わると、リシアは腕を組んで頷いた。
「何となく分かったわ」
「私も、何となく分かりました」
カレンも頷く。
良樹は、二人を見た。
「何となくで何が分かるんだ」
「確認すれば分かるわ」
「嫌な響きだな」
「良樹」
リシアが言った。
「スキャナーを出して」
「何でだ」
「確認するの」
「何を」
「さっきの」
「原因不明って言っただろ」
「原因不明だから確認するのよ」
「正論の形をした罠に見える」
カレンが小さく手を上げる。
「罠ではないです」
「たぶん、大事な確認です」
「その“たぶん”が一番怖いんだが」
良樹は渋々、胸の前に魔導盤を展開した。
半透明の盤。
細いスキャナー線。
通常の索敵用の構成。
良樹の感覚では、半径五十メル以内の魔力反応を見るための盤だ。
「出したぞ」
「で、どうする」
リシアとカレンは、顔を寄せて小声で話し始めた。
「……この前、塩を送って背中を押したばかりなのに」
「で、でも、たぶん今回は……」
「私たちにも大事なことになりそう、よね」
「はい」
「良樹さんのスキャナーのことなら、私たち全員に関係します」
「仕方ないわね」
「はい」
良樹は眉を寄せた。
「何の合意だ」
「実験方針」
「嫌な響きだな」
リシアはクラリスを見た。
「クラリス」
「良樹に触って」
クラリスは清楚な微笑みを取り戻していた。
「はい」
そして、何のためらいもなく良樹の隣へ来る。
良樹が身構える前に、クラリスはしれっと良樹の腕に自分の腕を絡めた。
「待て」
「はい?」
「状態確認じゃなかったのか」
「接触確認です」
「腕を組む必要あるか」
「安定します」
リシアが小さく呟く。
「その顔でやると強いわね」
カレンも、なぜか感心したように言った。
「清楚です……」
「清楚って何だっけ」
良樹は、胸元の魔導盤へ意識を向けた。
スキャナーの線は変わらない。
端子台通信の奥が震えることもない。
波のような広がりもない。
何も起きない。
「何も起きねえな」
「起きませんね」
クラリスは腕を組んだまま、穏やかに言う。
リシアが頷いた。
「やっぱり」
カレンも、小さく頷く。
「たぶん、違います」
「違う、とは?」
クラリスが首を傾げる。
カレンは少し言いづらそうに、両手を胸元で握った。
「さっきは……」
「クラリスさん、もっと、その」
「隠せていませんでした」
クラリスの微笑みが止まった。
「何をでしょう」
「良樹さんに触ることを、意識していました」
リシアが、納得したように頷く。
「清楚モードじゃ駄目なのね」
「何のモードだ」
良樹が言うと、リシアが即座に返した。
「あんたは黙ってて」
「俺のスキャナーだぞ」
「今は被験者でもあるわ」
「嫌な立場が増えた」
◇
カレンがリシアの耳元へ顔を寄せた。
何かを小さく話す。
リシアは、ふんふんと頷いた。
そして、良樹を見る。
「良樹、ちょっと」
「逃げていいか」
「駄目」
「だろうな」
良樹はリシアに近づいた。
リシアは声を落とす。
「あんたも状況確認したいでしょ」
「やるの」
「ほんとかよそれ……」
カレンも小さな声で続けた。
「で、でも端子台通信は、相手と深く繋がる能力です」
「さっきの発動条件が、クラリスさんの状態に関係しているなら」
「確認しないと、次に使えません」
「理屈で逃げ道を塞ぐな」
「良樹がいつもやってることよ」
リシアが言った。
「返ってくるとつらいな」
良樹は頭を押さえた。
カレンはクラリスへ向き直る。
「クラリスさん」
「はい」
「少し、壁のそばに立ってもらえますか?」
「壁、ですか?」
「はい」
「確認です」
クラリスは、キョトンとしながらも従った。
白い法衣。
淡い金の髪。
いつもの清楚な微笑み。
壁際に立つ姿は、絵のように落ち着いていた。
「ここでよろしいですか?」
「はい」
良樹は、端子台接続を準備する。
「一応言うが、危険があったら即止めるぞ」
「それは当然」
リシアが頷く。
「はい」
カレンも頷く。
クラリスも静かに言った。
「はい」
「お願いします」
「その顔で言われると余計にやりにくい」
良樹は小さく息を吐いた。
スキャナーを展開する。
端子台接続を開く。
クラリスと接続する。
細い線が繋がる。
まだ何も起きない。
良樹はクラリスに近づいた。
「悪い」
「確認だ」
「はい」
クラリスは微笑んだままだった。
良樹は片手を壁についた。
壁と良樹の間に、クラリスがいる。
距離が近い。
近すぎる。
クラリスの目が、少し揺れた。
良樹も平静ではない。
これは実験だ。
確認だ。
端子台通信とスキャナーの未確認現象の再現性確認だ。
そう言い聞かせる。
言い聞かせなければ、やっていられない。
良樹はクラリスの耳元に顔を近づけた。
そして、頑張って言った。
「髪飾り」
「よく似合ってるな」
クラリスの呼吸が止まった。
「……っ」
清楚な微笑みが割れる。
頬が赤くなる。
耳まで赤くなる。
視線が揺れる。
昨日、良樹が選んだ髪飾り。
今朝も、いつもの法衣に合わせて身につけていた髪飾り。
良樹がそれを見ていた。
似合っていると言った。
その瞬間。
良樹のスキャナーのレーザーが、波となって広がった。
外へ派手な光が放射されたわけではない。
壁や床を照らしたわけでもない。
だが、魔導盤の線が一瞬、波形に変わる。
端子台接続の奥で、薄い反応が広がる。
前回と同じ感覚。
いや、前回よりもはっきりしていた。
「……出た」
良樹が呟く。
リシアとカレンは、ほとんど同時に言った。
「「わかり易い」」
良樹は天を仰いだ。
「……分かり易すぎるだろ」
クラリスは真っ赤なまま、壁際で固まっている。
リシアは腕を組んだ。
「条件、かなり見えたわね」
カレンも頷く。
「はい」
「クラリスさんが清楚な時は駄目で」
「乙女の時は、通ります」
「お、乙女の時、とは……」
クラリスが小さく言う。
リシアが即答した。
「今の顔」
「……」
クラリスは両手で顔を覆いそうになった。
だが、良樹が近すぎて動けない。
「俺を挟んで検証結果を確定させるな」
「でも、合っています」
カレンが言う。
「合ってるわね」
リシアも言う。
良樹は、もう一度天井を見た。
「天井が高いな……」
「逃げるな」
◇
良樹は、何とか壁際から離れた。
クラリスはまだ赤い。
リシアとカレンは妙に真面目な顔をしている。
良樹は試験台へ戻り、紙を広げた。
「端子台通信は、ただの通信じゃない」
「相手と深く繋がる」
「たぶん、クラリスの治療魔法に近い“奥へ通す”感覚が乗った」
リシアが聞く。
「つまり?」
「つまり、まだ分からん」
「そこで逃げるのね」
「分からんものは分からん」
「ただ、発動条件の一部は見えた」
良樹は筆を持った。
「クラリスの協力が必要」
「端子台接続が必要」
「スキャナー展開が必要」
「それと……」
言葉が止まる。
クラリスが不安そうに見る。
リシアが続きを促す。
「それと?」
良樹は、ものすごく嫌そうな顔で言った。
「クラリスが清楚モードで隠してる時は駄目」
「そこを条件に書かないでください」
クラリスが抗議する。
「書きたくねえよ俺も」
「でも必要ね」
リシアが言う。
「必要です」
カレンも言う。
「地獄のチェックリストだな」
良樹は眉間を押さえた。
そこで、リシアが咳払いをした。
「それで」
嫌な予感がした。
良樹はリシアを見た。
「何だ」
「実験なら、条件を揃える必要があるわよね」
「揃える必要がある条件は、クラリスだけだろ」
「分からないじゃない」
「分かるだろ」
「確認してないでしょ」
「正論の皮をかぶった欲望やめろ」
カレンが、赤い顔で小さく手を上げた。
「あの……でも、良樹さん」
「カレンまでか」
「クラリスさんだけだと、公平ではないと思います」
「公平性を試験項目に入れるな」
「でも、確認期間なので……」
「確認期間って便利すぎないか」
良樹はそこで、ふと止まった。
「いや、待て」
「俺、お前ら三人を嫁にするって宣言したよな」
三人が、ぴたりと動きを止めた。
「英雄になる」
「三人とも嫁にもらう」
「そのために俺を英雄にしてくれ」
「そこまで言ったよな」
リシアが、少し赤い顔で答える。
「言ったわね」
カレンも小さく頷く。
「言いました……」
クラリスは、柔らかく微笑んだ。
「はい」
「言ってくださいました」
良樹は三人を見る。
「そこまで言っても、まだ確認期間なのかよ……」
沈黙。
リシアが視線を逸らす。
「……確認期間は確認期間よ」
「何を確認するんだ、これ以上」
「色々よ」
「色々で済ませるな」
カレンが、顔を真っ赤にしながら小さく言った。
「あ、あの」
「嫁にしていただくことは、決まりましたけど」
「その……」
「夫婦になるまでの確認は、まだ……」
良樹の動きが止まった。
「カレン」
「はい」
「今、お前が一番すごいこと言ったぞ」
「えっ」
「あ、あの、違っ……違わないですけど……!」
リシアが額に手を当てる。
「カレン、たまに一番強いわよね」
クラリスは清楚に微笑んだ。
「はい」
「確認期間は、婚約後も有効です」
「制度みたいに言うな」
「大切な運用です」
「運用するな」
リシアが良樹を見る。
「いいじゃない」
「英雄になるまでは、まだ正式な夫婦じゃないんだし」
「それはそうだが」
「なら確認期間よ」
「強引だな」
「強引でも必要なの」
カレンが小さく頷く。
「はい」
「必要です」
クラリスも頷く。
「必要です」
良樹は天井を見た。
「……確認期間、便利すぎる」
リシアが、一歩前に出た。
「とにかく」
「クラリスだけ良樹に壁際で囁かれるのは、条件確認として偏りがあるわ」
「今、条件確認って言葉を盾にしたな」
「してないわ」
「目を逸らすな」
カレンは、両手で頬を押さえながら言った。
「あの」
「私も、その」
「条件を揃えるなら……」
「カレン」
「はい」
「今の声は技術者じゃなくて女の子側だろ」
「……はい」
「認めるな」
良樹は、深く息を吐いた。
「分かった」
「ただし、一回ずつだ」
「スキャナーに変化がないことを確認したら終わり」
「危険があれば即中止」
「あと、変な記録名は付けない」
「合意ね」
リシアが言う。
「合意です」
カレンも頷く。
「私は見守ります」
クラリスが微笑む。
「お前は一番反省する側じゃないのか」
「確認が終わりましたので」
「切り替えが早いな」
◇
先にリシアが壁際に立った。
腕を組んでいる。
平静を装っている。
だが、耳が赤い。
「べ、別に」
「クラリスみたいに照れてるわけじゃないわ」
「実験よ」
「実験なんだから、必要でしょ」
「その説明が一番照れてる」
「うるさい」
良樹はスキャナーを展開したまま、リシアと端子台接続を繋ぐ。
細い線が通る。
何も起きない。
良樹はリシアの前へ立った。
「同じ条件でいいのか」
「……ええ」
「壁に手をつくぞ」
「確認だから、仕方ないわね」
「仕方ないって便利な言葉だな」
「誰かさんの周りにいると、必要になるのよ」
良樹は片手を壁についた。
リシアとの距離が近くなる。
リシアは強がっている。
だが、視線が少し泳いだ。
良樹は考える。
リシアには何を言うべきか。
見た目を褒めるのは違う気がした。
いや、可愛いか可愛くないかで言えば可愛い。
だが、今言うべきことではない。
リシアが積んできたもの。
良樹が最初に見たもの。
自分では扱えない魔力の流れ。
良樹は、リシアの耳元で低く言った。
「お前の魔力は」
「綺麗だと思う」
リシアの息が止まった。
「……っ」
端子台通信の線が、一瞬だけ強く揺れた。
だが、スキャナーは波にならない。
クラリスの時のように、奥へ通る感覚もない。
代わりに、リシア自身が固まっていた。
良樹は魔導盤を見た。
「スキャナーは変化なし」
「うるさいわね」
「いや、記録を――」
「今それ言う?」
リシアは顔を赤くしたまま、良樹を睨んだ。
睨んでいる。
だが、目が潤んでいる。
良樹は少し困った。
「悪い」
「謝らなくていい」
「いや、実験として」
「実験として謝らないで」
カレンが小さく呟いた。
「リシアさん、大きいです……」
「何が?」
リシアが振り返る。
カレンは慌てて首を振った。
「な、何でもありません」
クラリスは、口元に手を添えて微笑んでいた。
「良い確認でした」
「良くないわよ」
リシアは赤い顔のまま壁際から離れた。
そして、小さく呟いた。
「……綺麗、か」
その声は、たぶん本人は誰にも聞かせるつもりがなかった。
だが、良樹には聞こえた。
聞こえたが、聞こえなかったことにした。
今それに触れたら、事故る。
◇
次はカレンだった。
カレンは、壁際に立つ前からすでに限界に近かった。
「あ、あの」
「私は、その」
「無理なら」
「無理じゃないわ」
リシアが言う。
「無理ではありません」
クラリスも言う。
「そ、そうですか……?」
「本人より外堀が強い」
良樹は呟いた。
カレンは壁際に立つ。
胸元で両手を握り、目を伏せている。
耳は真っ赤だ。
それでも逃げない。
「カレン」
「は、はい」
「無理なら止める」
「……止めません」
声は震えていた。
だが、はっきりしていた。
「確認、します」
「分かった」
良樹はスキャナーを展開したまま、カレンと端子台接続を繋ぐ。
何も起きない。
良樹が一歩近づくと、カレンの肩が跳ねた。
「壁に手をつくぞ」
「はい」
良樹は片手を壁についた。
カレンの顔がさらに赤くなる。
近い。
クラリスとも近かった。
リシアとも近かった。
だが、カレンは距離そのものに対する反応が大きい。
逃げたいのではない。
怖い。
でも、そこにいる。
良樹は、カレンに何を言うべきか考えた。
可愛い。
それも違うわけではない。
だが、カレンに刺さるのはそこだけではない。
怖い。
怖がり。
それでも見る。
カレンがずっと持っている強さ。
良樹は、カレンの耳元で言った。
「怖いところを見てくれるお前が」
「頼りになる」
カレンの身体が、ぴたりと止まった。
「……っ」
端子台通信に、強い感情が滲む。
驚き。
羞恥。
嬉しさ。
怖さ。
全部が混ざる。
だが、スキャナーは波にならない。
良樹は魔導盤を見た。
「スキャナー変化なし」
「今それを言うのは酷いと思うわ」
リシアが低く言った。
「記録だろ」
「記録でも空気を読みなさい」
カレンは、両手で顔を覆いそうになっていた。
しかし、壁際で良樹が近いため、動ききれない。
「カレン、大丈夫か」
「だ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないです」
「でも、大丈夫です」
「どれだ」
「分かりません……」
クラリスが、清楚に微笑んだ。
「とても良い反応です」
「反応を見る実験じゃない」
良樹が言う。
リシアが即座に返した。
「反応を見る実験でもあるわ」
「いつ増えた」
「さっき」
「勝手に増やすな」
カレンは、顔を真っ赤にしたまま小さく言った。
「でも」
「嬉しかったです……」
良樹は黙った。
リシアがにやりとした。
「実験結果、出たわね」
「実験結果が感想文になってる」
◇
良樹は試験台に戻り、紙へ記録をまとめた。
クラリス。
端子台接続。
スキャナー展開。
良樹接近。
乙女反応。
波状化、再現あり。
リシア。
端子台接続。
スキャナー展開。
良樹接近。
反応大。
波状化、再現なし。
カレン。
端子台接続。
スキャナー展開。
良樹接近。
反応特大。
波状化、再現なし。
良樹は筆を止めた。
「……これは技術記録か?」
リシアは、顔を赤くしたままそっぽを向いた。
「技術記録でしょ」
「どこがだ」
「確認したじゃない」
「何を」
「色々よ」
カレンは両手で頬を押さえながら、俯いていた。
「あ、あの……でも」
「必要な確認だったと思います……」
「カレンまでそっち側か」
「す、すみません」
「でも、必要でした」
クラリスは、穏やかに言った。
「良樹くん」
「少なくとも、私だけで起きたことは分かりました」
その声は、少し真面目だった。
良樹はクラリスを見る。
「そうだな」
クラリスは、自分の指先へ視線を落とした。
「私が清楚に隠している時は、通りませんでした」
「ですが、隠しきれなかった時は、奥へ通りました」
「ああ」
「もし、私がその“奥へ通す”感覚を、意識して制御できれば」
「良樹くんのスキャナーは、もっと奥を見られるかもしれません」
良樹の目が変わった。
「範囲を広げるんじゃなく」
「返る場所を深くするのか」
「はい」
クラリスは頷く。
「治療魔法では、皮膚で返すのか、筋肉で返すのか、骨の際で返すのかを選びます」
「それに近いことが、良樹くんの線でもできるのかもしれません」
「……それ、かなり重要だ」
「でしょうね」
リシアが言う。
「だからやったのよ」
「壁ドンをか」
「必要な確認よ」
「現場検証って言えば何でも許されると思うな」
カレンが小さく言った。
「良樹さんが、いつも言っていることです……」
「返ってくると痛いな、本当に」
良樹は、もう一度紙を見た。
クラリス協力時。
スキャナー波状化。
発動条件、要追加確認。
そこまでは書ける。
だが、その下に何を書くべきかで筆が止まった。
クラリス乙女反応時。
書けない。
書きたくない。
書いたら終わる気がする。
「これ、記録として残すのか……」
「残すしかないでしょ」
リシアが言う。
「でも、言葉は少し選んだ方が……」
カレンが困ったように言う。
「乙女反応、という記録名は反対です」
クラリスが静かに言った。
「俺も反対だ」
「じゃあ何にするのよ」
リシアが聞く。
良樹は少し考えた。
「……深部接続反応」
クラリスが、微妙な顔をした。
「それも少し……」
カレンも顔を赤くする。
「言い方が……」
「じゃあどうしろってんだ」
「未命名でいいんじゃない?」
リシアが言う。
「最初からそれでよかっただろ」
良樹は紙に書いた。
未命名。
クラリス協力時、スキャナー波状化。
発動条件、要追加確認。
本人の精神的負荷に注意。
その横に、小さく追記する。
実験項目に公平性を混ぜるな。
リシアが覗き込み、勝手にその横へ書き足した。
必要な場合を除く。
「おい」
「必要だったでしょ」
「俺の記録に勝手に追記するな」
カレンはそれを見て、真っ赤になりながら目を逸らした。
クラリスは、そのやり取りを見て、くすくすと笑った。
良樹は、その笑い方に少しだけ目を向ける。
いつもの、清楚な微笑みではなかった。
取り繕った僧侶の顔でもない。
戦闘中に見せる、氷のような目でもない。
誰かを壊す場所を静かに見ている顔でもない。
良樹に見られて。
良樹に触れられて。
良樹に踏み込まれて。
それでも隠さずに笑っている、一人の女の子の顔だった。
「クラリス?」
「はい」
「何で笑ってる」
「嬉しいからです」
クラリスは、まだ少し赤い頬のまま言った。
「清楚では、通らなかったので」
「そこ、喜ぶところなのか」
「はい」
クラリスは、もう一度くすりと笑った。
「良樹くんには」
「清楚な私だけでは、届かなかったということですから」
良樹は、返す言葉を失った。
リシアが小さく息を呑む。
カレンも、顔を赤くしたままクラリスを見る。
クラリスは微笑んでいた。
その顔は、いつもの清楚な顔ではなく――
好きな人に、隠していた自分まで届いてしまったことを、少し恥ずかしそうに、けれど確かに喜んでいる女の子の顔だった。




