第4話 多分、異世界から来た変な人
翌朝。
冒険者向けの簡易宿の食堂で、良樹は固いパンを噛みながら、昨夜から何度目か分からないため息をついた。
帰れる宛はない。
金もない。
身分もない。
この世界の常識もない。
あるのは、作業用ツナギと安全靴と腰袋。
それから、胸の奥にあるらしい、よく分からない魔導盤だけだった。
「朝から難しい顔をしてるわね、良樹」
向かいに座ったリシアが言った。
第3話の森から戻って以来、彼女は良樹を「良樹」と呼ぶようになっていた。
さっき呼び捨てにしなかったか。
緊急時でした。
俺も、呼び捨てを許した覚えはないんだけどな。
私も許します。あなたが、私を呼び捨てにすることを。
その代わり、私も良樹と呼びます。
そんなやり取りの結果だった。
呼ばれるたびに、少しだけ違和感がある。
だが、悪い違和感ではなかった。
「昨日の反省だ」
「また?」
「まただ。反省は回数制限なしだろ」
「それはそうだけど」
リシアはパンを小さくちぎった。
「今度は何を考えていたの?」
「索敵だけじゃ駄目だって話だ」
良樹は指先で机を軽く叩いた。
「昨日の八本線は、魔物が近づいたかどうかを見るには使えた。けど、あれだけじゃ逃げられねえ。逆に、脚力補助だけでも駄目だ。速く動けても、何がどこから来るか分からなきゃ突っ込むだけになる」
「川に?」
「言うと思ったよ」
「言わない方が不自然でしょ」
「まあな」
良樹は苦笑した。
昨日、森の中で張った八本の魔力線。
外側四本。
内側四本。
外側は早期警戒。
内側は接近警戒。
外側は一辺およそ三十メートル。
内側はその半分ほど。
高さは膝くらい。
線そのものは動いた。
魔物が近づいたことは拾えた。
だが、それだけだった。
数は分からない。
正体も分からない。
強さも分からない。
どの辺のどこを通ったかも、ざっくりとしか分からない。
しかも、あれだけで今の魔導盤の容量をほぼ使い切った。
灰牙狼に襲われた時、リシアは言った。
それで逃げられないんですか。
私を抱えて。
あの瞬間、良樹は男として一瞬処理落ちした。
リシアさんみたいな可愛い子を抱えていいって話なら、いくらでも抱える。
役得だしな。
今そういう話をしていますか。
してねえ。
今のは俺が悪い。
あの時のリシアの顔を思い出して、良樹は少しだけ視線を逸らした。
「何?」
「いや、何でもない」
「今、何か思い出したでしょ」
「昨日の反省だ」
「本当に?」
「本当に」
「……まあいいわ」
リシアは少しだけ頬を赤くしながら、パンを口に運んだ。
良樹は話を戻した。
「前に出て、危険を拾って、生きて戻るなら、索敵と移動は同じ盤に入れなきゃ意味がねえ」
「また変なものを作ろうとしてる顔ね」
「変じゃねえ。必要なものだ」
「良樹が必要って言うもの、大抵変なのよ」
「偏見だ」
「経験よ」
リシアは涼しい顔でそう言った。
言い返せなかった。
索敵だけでは駄目だ。
移動だけでも駄目だ。
危険を拾って、生きて戻る。
それができなければ、森では死ぬ。
胸の奥にある魔導盤は、昨日より少しだけ輪郭が見える気がした。
だが、まだ足りない。
脚力補助。
姿勢補助。
停止条件。
人を抱えた時の減速。
周囲を見る線。
全部を入れるには、今の盤は小さすぎる。
線を増やせば、脚が入らない。
脚を入れれば、線が薄くなる。
安全を削れば入るかもしれないが、それは論外だ。
戻れない回路に価値はない。
良樹は固いパンを噛み砕きながら、胸の奥の空きスペースを見ていた。
◇
リシアに連れられて向かった先は、町の冒険者ギルドだった。
目的はいくつかあった。
宿代返済のための仕事探し。
昨日の薬草採集依頼の報告。
灰牙狼の痕跡報告。
それから、身元不明者としての説明。
要するに、良樹はこの町で生きるために、どうにか人間社会へ接続される必要があった。
接続先が冒険者ギルドというあたり、異世界はなかなか容赦がない。
ギルドは、木と石でできた大きな建物だった。
入口には、剣と盾を組み合わせたような紋章が掲げられている。
中へ入ると、いかにもそれらしい空気があった。
剣を背負った男。
弓を持った女。
革鎧の若者。
片隅で依頼票を眺める冒険者たち。
受付の奥では、職員が書類と荷物を行き来している。
酒場ほど荒れてはいない。
役所ほど整ってもいない。
仕事を受ける者と、仕事を出す者と、怪我をして戻ってきた者と、これから怪我をしに行くかもしれない者が、同じ空間に詰め込まれている。
良樹は思わず周囲を見回した。
「おお……ギルドだ」
「何その反応」
「いや、異世界っぽいなと」
「昨日の森と魔物と魔法では足りなかったの?」
「足りてた。足りすぎてた。ただ、こういう建物を見ると、また別腹で実感が来る」
「変な人」
「朝から評価が安定してるな」
リシアは小さく笑ってから、受付近くにいた二人の女性に声をかけた。
「カレン、クラリス」
呼ばれた二人がこちらを向いた。
一人は、軽装の剣士だった。
年は二十歳そこそこだろうか。
薄い革鎧に、要所だけ金属の防具。
短い戦闘用のスカート。
太ももまで伸びる黒いニーハイ。
腰には剣。
騎士というより、軽装歩兵か傭兵に近い。
身体は細すぎず、動ける人間のものだった。
脚の筋肉のつき方が、現場の階段を上り下りする作業員とはまた違う。
踏み込み。
退き。
止まる。
戻る。
そういう脚だ。
ただし、本人はおどおどしていた。
視線が落ち着かない。
肩にも力が入っている。
両手の位置も、どこか迷っている。
だが、不思議なことに、ただ怯えているだけではなかった。
入口。
窓。
梁。
床。
人の立ち位置。
通路の幅。
逃げ道。
ぶつかりそうな酔客。
壁に立てかけられた槍。
目が、危ない場所を探している。
ビビっている。
だが、ビビっているだけではない。
良樹は、そう思った。
もう一人は、白い僧衣をまとった女性だった。
柔らかな笑顔。
丁寧な立ち姿。
穏やかな空気。
いかにも清楚な僧侶、という印象だった。
だが、良樹は一つだけ引っかかった。
杖の持ち方だ。
祈るためというより、いつでも支点にできる持ち方。
足の置き方も、妙に安定している。
膝が固まっていない。
重心が浮いていない。
ぱっと見は後方回復役。
けれど、完全な非戦闘員の立ち方ではない。
「紹介するわ」
リシアが良樹を指した。
「こちらが良樹。多分、異世界から来た、まだよく分からない変な人です」
「紹介が雑だな」
「正確に言ったつもりだけど」
「変な人まで正確扱いか」
「そこは確定してるから」
「確定すんな」
軽装剣士の少女が、少しだけ目を丸くした。
「あ、あの……良樹……さん」
ためらいがちな声だった。
名前を呼ぼうとして、一度止まって、安全な距離に戻るように「さん」を付けた。
そんな呼び方だった。
「ああ。上村良樹だ」
「良い、樹……?」
カレンが、小さく首を傾げた。
「字の意味が分かるのか?」
「な、なんとなくです。良い木、みたいな……」
「まあ、そんな感じだな。良い樹で、良樹」
「素敵なお名前ですね」
白い僧侶が微笑んだ。
「クラリスです。よろしくお願いします、良樹さん」
「ああ。よろしく」
クラリスは良樹を静かに見た。
服装。
安全靴。
腰袋。
視線の動き。
立ち位置。
周囲の危険への反応。
たぶん、それらを見ている。
「リシアさんが連れている理由が、少し分かった気がします」
「会ってすぐ分かるような理由あったか?」
「ええ。少なくとも、危ないことを軽く見ない方なのですね」
良樹は少し眉を上げた。
「そこまで分かるか?」
「なんとなくです」
「そのなんとなく、結構怖いな」
クラリスはにこりと笑った。
その横で、リシアがわずかに目を細めた。
「クラリス、判断が早くない?」
「そうでしょうか」
「早いわよ」
リシアの声には、ほんの少しだけ引っかかるものがあった。
良樹は、その変化に気づいた。
気づいたが、理由までは分からなかった。
分からない入力は、下手に処理しない。
保留。
少なくとも、今は。
◇
その時だった。
奥の倉庫側から、鈍い音が響いた。
どん、と。
次に、木が割れる音。
さらに、何かが崩れる連続音。
ギルド内の空気が、一瞬で変わった。
「倉庫だ!」
誰かが叫んだ。
職員と冒険者たちが一斉に動く。
リシアもすぐに振り返った。
良樹は、考えるより先に足を向けていた。
現場で大きな音がした。
木が割れた。
荷が崩れた。
それだけで、身体が動く。
倉庫は、ギルドの裏手にあった。
扉を抜けると、土埃と薬草の匂いと、割れた木箱の匂いが鼻を突いた。
棚が一つ、斜めに傾いている。
その下に、木箱と布袋と樽が崩れ落ちていた。
冒険者たちが慌てて駆け寄る。
「どかせ!」
「下敷きになってる奴はいないか!?」
「早く運び出せ!」
その声を聞いた瞬間、良樹の背筋に嫌なものが走った。
動かす。
どかす。
引き抜く。
その言葉は、正しい時もある。
だが、間違えると人を潰す。
下に人がいるかもしれない。
支えている荷があるかもしれない。
ひとつ抜いた瞬間、全部落ちるかもしれない。
動かす前に、止め方を考えろ。
父の声が、胸の奥で響いた。
その時、カレンが小さく息を呑んだ。
「あ、あの……待ってください」
声は小さかった。
だが、良樹には聞こえた。
彼は振り返った。
「何だ」
カレンは崩れた荷物を見ていた。
顔は青い。
けれど、視線は逃げていない。
「下に……いるかもしれません」
周囲の冒険者の何人かが、動きを止めた。
「声は聞こえません。でも、箱の落ち方が……変です」
「どこが変だ」
良樹は即座に聞いた。
カレンはびくりとした。
「え?」
「“かもしれない”でいい。どこが変だ」
「右側だけ、少し浮いています。何かを避けて、乗っているみたいで……それに、布袋の下が沈んでなくて……」
良樹は崩れた荷物を見た。
確かに、右奥の木箱が妙な角度で止まっている。
重さが均等に逃げていない。
布袋の沈み方もおかしい。
何かに乗っている。
あるいは、何かを挟んでいる。
「ヨシ」
良樹は短く言った。
「いるかもしれない。そう思ったなら、止める理由になる」
「で、でも、間違っているかも……」
「間違ってたら、その時は外れてよかったで済む」
良樹はカレンを見た。
「今のは大事な情報だ。“変だ”と思ったなら、捨てるな」
カレンの目が、わずかに揺れた。
良樹には、それが入力に見えた。
怖い。
変だ。
嫌な感じがする。
カレンが拾っているものは、ただの臆病ではない。
危険の前触れだった。
良樹は荷物へ向き直り、大声を出した。
「全部どかすな!」
冒険者たちが振り返る。
「何だお前!」
「下に人がいたら、荷を動かした瞬間に潰すかもしれねえ!」
良樹の声に、場が一拍止まった。
そこへ、低い声が落ちた。
「誰が指示を止めた」
奥から大柄な男が歩いてきた。
短く刈った灰色混じりの髪。
片眉に古傷。
革鎧の上から、ギルドの外套を羽織っている。
周囲の冒険者たちが自然に道を空けた。
「ガレスさん……」
誰かが呟いた。
ギルドマスター、ガレス・ヴァンド。
そう呼ばれた男は、崩れた荷物と良樹を見比べた。
「リシア。こいつは誰だ」
リシアはすぐに答えなかった。
彼女の視線は、良樹の胸元と崩れた荷物の間を行き来していた。
「リシア」
「……本人の話を総合すると、異世界から来た人、としか言えません」
「異世界から来た人、だと?」
「はい。たぶん」
「たぶん、で倉庫の事故現場に立たせているのか」
「……はい」
「リシア」
「すみません。今、少し考えています」
「何をだ」
リシアは、崩れた荷物の前に膝をつく良樹を見た。
「同じ魔力線を、別の目的に使おうとしていることを」
ガレスの眉がわずかに動いた。
「何?」
「昨日は、魔物を探すために使っていました。今は、人を探すために使おうとしています」
リシアの声は、どこか上の空だった。
昨日の森。
灰牙狼。
外側四本、内側四本。
近づくものを拾うための線。
それと同じものを、良樹は今、崩れた荷物の隙間へ通そうとしている。
同じ線。
同じ入力。
違う配置。
違う目的。
リシアは、その意味に意識を奪われていた。
「良樹」
リシアが呼ぶ。
「何だ」
「昨日のものと、同じなの?」
「同じだ。置き方を変えるだけだ」
「同じなのに、使い方が違うのね」
「同じ道具を同じ使い方しかできねえ方がもったいないだろ」
良樹はそう言って、崩れた木箱の前に膝をついた。
胸の奥で、盤が浮かぶ。
昨日の八入力。
ただし、囲わない。
横に二本。
奥へ二本。
高さ違いに二本。
斜めに二本。
合計八本。
魔力線そのものは単純だ。
魔力を持つものが線に触れる。
線が乱れる。
入力が立つ。
それだけ。
木箱には反応しない。
布袋にも反応しない。
石にも、土にも、普通の金具にも反応しない。
反応するのは、人間や魔物のような、魔力を持つ生き物。
だからこそ、荷物そのものには反応しないはずの場所で反応が返れば、そこには何かがいる可能性がある。
ただし、人がいる、と教えてくれるわけではない。
怪我の場所を示してくれるわけでもない。
まして、荷物の構造を読んでくれるわけでもない。
答えは出ない。
反応が返るだけだ。
「何をしている」
ガレスが聞いた。
「探してる」
「何を」
「人だ。下にいるかもしれねえ」
「探索魔法か」
「違う。センサーだ」
「……せんさー?」
ガレスの眉間にしわが寄った。
「リシア。あいつは何を言っている」
リシアは少し考えてから答えた。
「多分、良樹は自分の魔法を、ああいう言い方で整理しているんです」
「整理?」
「はい。私たちの言葉で言えば、探索というより……何かが触れた反応を見る魔法に近いと思います。答えを出すものではなく、反応を見るもの、です」
ガレスは良樹を見た。
「それで合っているのか」
「だいたい合ってる」
「だいたい、か」
「俺にもまだ分からんことが多い」
「正直だな」
「嘘ついて人を潰すよりマシだ」
ガレスは黙った。
良樹は、荷物の隙間へ意識を通した。
チッ。
一本目。
反応なし。
少し横へずらす。
チッ。
二本目。
反応が薄い。
荷物の山が複雑に重なっている。
線が遮られているのではない。
そもそも荷物には反応しない。
反応が薄いということは、線の端に何かがかかっている。
良樹は自分の位置を半歩ずらした。
胸の奥の八本線が、荷物の中で角度を変える。
チチッ。
右奥で反応が割れた。
「……ここか」
良樹はさらに腰を落とす。
高さを変える。
低く。
もう少し低く。
ジジッ。
ノイズのような乱れ。
良樹は顔を上げた。
「反応がある」
倉庫が静まり返った。
「右奥。下から二段目の奥。低い。たぶん足か腰が挟まってる」
「本当か」
ガレスが低く言う。
「分からん」
「分からん?」
「いる場所は絞れる。だが、どう挟まってるかまでは分からねえ。だから雑に動かすな」
ガレスの目が細くなった。
良樹は続けた。
「リシア、この棚を支えられるか。倒れ込んでる荷重を少しだけ抜きたい」
「できるわ。風で押さえる。埃は水で落とす。光も入れる」
「火は使うなよ」
「使わないわ。倉庫ごと燃やす気はないもの」
「ヨシ」
良樹はクラリスを見た。
「クラリスさん。もし人がいたら、身体の方を見てくれ。俺には怪我の具合までは分からん」
「分かりました」
クラリスはすぐに頷いた。
「足や腰が挟まっているなら、急に引き抜かないでください。圧迫されている場所を急に解放すると、かえって危険な場合があります」
「治す前に、悪化させないってことか」
「はい」
「いいな。それ、かなり大事だ」
クラリスは一瞬だけ目を伏せた。
「……はい」
その声は、ほんの少しだけ柔らかかった。
良樹は気づかなかった。
少なくとも、今はそこまで処理する余裕がなかった。
良樹はカレンを見た。
「カレン」
「は、はい」
「崩れそうなところを見てくれ。怖かったら言え」
「怖かったら……?」
「そうだ。怖いなら、何が怖いか言え。それは情報だ」
カレンは、唇を引き結んだ。
声は震えていた。
それでも、目は荷物から逸らさなかった。
「はい……!」
リシアの風が棚を支える。
見えない風が、傾いた棚の倒れ込みを押さえた。
水の薄い膜が土埃を落とす。
光が、崩れた箱の隙間へ差し込む。
火は使わない。
倉庫の中で火を使う馬鹿はいない。
いや、いるかもしれないから、口に出して止めた。
良樹は反応の強い場所を指差した。
「その箱は抜くな。支えてる。先に上の布袋をどかす。左から。ゆっくり」
冒険者たちが動く。
「そこ、止まってください!」
カレンが叫んだ。
声は細い。
けれど、今度は届いた。
「その樽、動かしたら右が落ちます!」
冒険者が手を止める。
良樹は即座に言った。
「ヨシ。樽は触るな。リシア、右を押さえられるか」
「もう押さえてる」
「助かる」
少しずつ荷がどけられていく。
木箱。
布袋。
割れた棚板。
縄で縛られた薬草束。
中身の分からない小樽。
抜いていいもの。
支えているもの。
触ったら落ちるもの。
良樹は、それを一つずつ分けた。
内面では、荷重の逃げ方を見ていた。
どこに重さが乗っているか。
どこを抜けば崩れるか。
どこを支えれば持つか。
だが、外に出す言葉は短い。
「そこ抜くな」
「先に上だ」
「右を支えろ」
「そのまま止まれ」
「ゆっくり」
「引くな。持ち上げろ」
「カレン、右上はどうだ」
「怖いです。右の箱、ずれます」
「ヨシ。そこ触るな」
やがて、木箱と布袋の隙間から、人の腕が見えた。
「いた!」
誰かが叫ぶ。
クラリスがすぐに膝をついた。
「意識はあります。呼吸もあります。足首が挟まっています。無理に引かないでください」
職員の一人が叫んだ。
「ニルだ! 倉庫番の見習いだ!」
良樹は息を吐きかけた。
だが、すぐに止めた。
「まだだ」
動きかけた冒険者たちが振り返る。
「一人見つかったからって、終わりじゃねえ」
「他にもいるってのか?」
「いるかもしれねえ」
良樹は崩れた荷物の山を見た。
「ここに人がいた。なら、他にも巻き込まれてる奴がいない保証にはならねえ。全部見るまで、終わりにするな」
ガレスの目が細くなった。
「続けろ」
「ああ」
良樹はもう一度、胸の奥の八本線へ意識を向けた。
横。
奥。
高さ。
斜め。
反応のあった場所を避け、まだ見ていない範囲へ線を通す。
チッ。
反応なし。
半歩ずれる。
チッ。
反応なし。
高さを変える。
チッ。
反応なし。
荷物の向こう側へ回る。
リシアが風で棚を押さえ、カレンが崩れそうな箇所を見張り、クラリスがニルの呼吸と足首を確認する。
良樹は焦らなかった。
見つけた。
助かった。
よかった。
そこで終わらせたい空気を、ひとつずつ切っていく。
「左奥、反応なし」
「中央下、反応なし」
「右手前、高さ違い、反応なし」
「リシア、そっちの棚の裏に線を通す。少しだけ支えを寄せられるか」
「できるわ」
「カレン、右上の箱、動きそうなら言え」
「は、はい。今は……大丈夫です」
「クラリスさん、そっちは」
「意識は保っています。足首も悪化していません」
「ヨシ。続ける」
さらに数分。
良樹は倉庫の床に片膝をつき、崩れた荷の周囲を一周した。
八本の線を何度も置き直す。
同じ場所を、角度を変えて見る。
高さを変えて見る。
反応がないことを確認する。
最後に、良樹は大きく息を吐いた。
「……他にはいねえ、と思う」
倉庫に張り詰めていた空気が、少しだけ緩みかけた。
だが良樹は、首を振った。
「俺のセンサーで拾える範囲には、だ。断定はしねえ」
「せんさー……」
ガレスが低く呟いた。
良樹は、崩れた荷の方から目を離さないまま答えた。
「今やってるやつだ」
説明としては雑だった。
だが、周囲の人間はそれ以上聞き返さなかった。
良樹が見えない線を何度も通し、位置を変え、高さを変え、反応の有無を確かめていたことは見ていたからだ。
「反応がないことと、絶対にいないことは違う。荷物を片付けながら、目で確認する」
ガレスが頷いた。
「聞いたな。全員、勝手に崩すな。こいつが確認した順に片付けろ。最後は目で見る」
「助かる」
良樹は短く返し、また荷物へ向き直った。
そこから、荷物は慎重に片付けられた。
リシアが棚を支え、カレンが不安定な箱を見張り、クラリスがニルの手当てを続ける。
良樹は一つずつ荷の位置を見て、抜いていいものと支えているものを分けた。
木箱。
布袋。
樽。
割れた棚板。
ひとつずつ片付けられていく。
やがて、崩れた荷の下がすべて見えるようになった。
他に、人はいなかった。
ガレスが周囲を見回した。
「他の巻き込まれはなし」
職員たちも確認して頷く。
「ありません!」
「こっちもいません!」
「奥も大丈夫です!」
良樹はそこで初めて、深く息を吐いた。
「見習いは救出済み。追加の巻き込まれなし。悪化なし」
それから、短く頷いた。
「ヨシ」
クラリスが顔を上げた。
「怪我人がいるのに、ヨシなのですか?」
「死んでねえ。悪化させてねえ。見つける前に荷をどかして潰すこともなかった。追加の巻き込まれもなかった。なら、今はそこまで確認済みだ」
クラリスは、良樹を静かに見た。
「良樹さんは、怪我を治す前の段階を見るのですね」
「そりゃ見るだろ。怪我しない方がいいんだから」
クラリスは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……そうですね」
その微笑みは、初対面の時より少しだけ深かった。
◇
ニルが運び出され、倉庫の空気が少しずつ落ち着いた頃、ガレスが良樹の前に立った。
「良樹、と言ったな」
「ああ」
「今の力は、探索に使えるのか」
「条件次第だ。万能じゃねえ」
「何ができる」
「魔力を持つものが線を乱したかは拾える。位置はざっくり絞れる。中身までは分からねえ」
「何ができない」
「誰かは分からねえ。怪我の具合も分からねえ。荷の構造も読めねえ。魔物か人かも、今の俺には怪しい。だから一人じゃ無理だ」
ガレスは黙った。
それから、低く笑った。
「できないことを先に言う奴か」
「できるって言って事故ったら、直す奴が泣く」
「変な奴だな」
「今日それ何回言われるんだ」
リシアが横から言った。
「事実だから仕方ないわ」
「おい」
ガレスはリシアを見た。
「素性は不明。魔法も不明。だが、役には立った」
「それは評価なのか?」
「このギルドでは十分な評価だ」
良樹は何とも言えない顔をした。
「リシア」
「はい」
「しばらくお前が見ろ」
「分かりました」
「保護観察、延長か」
「当然でしょ」
リシアはあっさりと言った。
ガレスも続ける。
「放し飼いにするには、変すぎる」
「お前ら全員、言い方を何とかしろ」
良樹がそう言うと、カレンが小さく笑いそうになって、慌てて口元を押さえた。
その様子を見て、リシアは少しだけ目を細めた。
カレンは、良樹の言葉を胸の中で確かめているようだった。
怖いなら、何が怖いか言え。
それは情報だ。
クラリスは、ニルの手当てを終えながらも、時折良樹を見ていた。
治す前に、悪化させないってことか。
いいな。それ、かなり大事だ。
二人とも、良樹の変なところを見た。
そしてたぶん、良いところも見てしまった。
リシアは、それを少し嬉しく思った。
少しだけ、面白くなかった。
◇
ギルドを出る頃には、昼が近づいていた。
荷崩れの後始末は、ギルド側で行うことになった。
原因は一つではなかった。
灰牙狼の増加で搬入が乱れていたこと。
急ぎで積み替えをしていたこと。
古い棚の脚が傷んでいたこと。
荷重のかけ方が悪かったこと。
良樹はそれを聞いて、ぽつりと言った。
「事故ってのは、大体ひとつの原因じゃ起きねえんだよ」
リシアは何も言わなかった。
ただ、その言葉を覚えておこうと思った。
ギルドの外で、カレンが小さく良樹を呼び止めた。
「あの……良樹……さん」
「何だ」
「怖い時は、言ってもいいんですか」
良樹は、少しだけ不思議そうにカレンを見た。
「言え」
「でも、間違っていたら」
「外れてたら笑えばいい」
「笑うんですか……?」
「いや、悪い意味じゃねえ。外れてよかったって笑えるだろ」
良樹はギルドの倉庫の方を見た。
「当たってて、動かした後じゃ笑えねえ」
カレンは息を呑んだ。
「怖いってのは、危ないを拾ったってことだ。捨てるな」
「……はい」
カレンは、小さく頷いた。
怖がるな、とは言われなかった。
怖いなら言え。
何が怖いか言え。
それは情報だ。
それは、カレンにとって初めての言葉だった。
自分の怖さは、邪魔なものだと思っていた。
剣士として恥ずかしいものだと思っていた。
前に出る者が持っていてはいけないものだと思っていた。
けれど、良樹は違うと言った。
怖いなら、言え。
それは、危ないを拾ったということだ。
カレンは胸の前で手を握った。
「良樹……さん」
「何だ」
「私、怖いです」
「ああ」
「でも、次からは……何が怖いのか、言います」
「それでいい」
良樹は短く頷いた。
その横で、クラリスが静かに微笑んでいた。
「良樹さん」
「何だ」
「先ほどのニルさんですが、足首はしばらく安静です。無理に歩かせなければ、後遺症は残らないと思います」
「そうか。よかった」
「ええ。良樹さんが、無理に引き抜かせなかったからです」
「クラリスさんが止めたんだろ」
「良樹さんが、私に身体を見ろと言いました」
「俺には怪我の具合なんか分からんからな」
「分からないと言えるのは、大事なことです」
クラリスは柔らかく言った。
「治せるからといって、壊してよいわけではありませんから」
良樹は、その言葉を聞いて少しだけ頷いた。
「そうだな」
その時、クラリスの目がほんの少しだけ揺れた。
何かを思い出したようにも見えた。
だが、良樹にはまだ分からなかった。
リシアが隣に並ぶ。
「良樹」
「何だ」
「今日のは、昨日の森と同じ線だったのよね」
「ああ」
「でも、全然違う仕事になった」
「置き方を変えたからな」
「それだけ?」
「それだけじゃねえ」
良樹は少し考えてから言った。
「昨日は、魔物が来るかを見るために置いた。今日は、荷物の下に人がいるか見るために置いた。同じ線でも、何のために置くかで仕事が変わる」
「魔物を探す線で、人も探せる」
「探せるってほど立派じゃねえ。反応を拾えるだけだ」
「その反応を、どう読むかは?」
「こっちの仕事だ」
リシアは少しだけ笑った。
「良樹らしいわね」
「褒めてるのか」
「半分くらい」
「残り半分は」
「やっぱり変な人だと思ってる」
「そこは固定なのか」
「固定ね」
リシアの声は、朝より少しだけ柔らかかった。
良樹は自分の胸に手を当てた。
索敵だけじゃ駄目だ。
逃げるだけでも駄目だ。
魔物を探す線で、人も探せる。
ただし、答えが出るわけではない。
反応をどう読むかは現場判断だ。
一人では無理だった。
リシアが棚を支えた。
カレンが崩れる場所を見た。
クラリスが身体を見た。
ガレスが周囲を止めた。
良樹の八本線だけでは、人は助けられなかった。
危険を拾って、生きて戻る。
そのための盤がいる。
索敵と移動を同じ盤に入れる。
戻れるようにする。
人を抱えるなら、首と腰と膝を壊さない。
怖いという声も、変だという違和感も、ちゃんと拾う。
胸の奥で、まだ形にならない回路が、静かに詰まり始めていた。
同じ線でも、置き方を変えれば仕事が変わる。
魔力線は、答えを出してくれるわけではない。
ただ、反応を返すだけだ。
その反応を、誰がどう読むか。
たぶん、そこから先が現場なのだ。




