表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/9

第4話 多分、異世界から来た変な人

 翌朝。


 冒険者向けの簡易宿の食堂で、良樹は固いパンを噛みながら、昨夜から何度目か分からないため息をついた。


 帰れる宛はない。

 金もない。

 身分もない。

 この世界の常識もない。


 あるのは、作業用ツナギと安全靴と腰袋。

 それから、胸の奥にあるらしい、よく分からない魔導盤だけだった。


「朝から難しい顔をしてるわね、良樹」


 向かいに座ったリシアが言った。


 第3話の森から戻って以来、彼女は良樹を「良樹」と呼ぶようになっていた。


 さっき呼び捨てにしなかったか。

 緊急時でした。

 俺も、呼び捨てを許した覚えはないんだけどな。

 私も許します。あなたが、私を呼び捨てにすることを。

 その代わり、私も良樹と呼びます。


 そんなやり取りの結果だった。


 呼ばれるたびに、少しだけ違和感がある。

 だが、悪い違和感ではなかった。


「昨日の反省だ」


「また?」


「まただ。反省は回数制限なしだろ」


「それはそうだけど」


 リシアはパンを小さくちぎった。


「今度は何を考えていたの?」


「索敵だけじゃ駄目だって話だ」


 良樹は指先で机を軽く叩いた。


「昨日の八本線は、魔物が近づいたかどうかを見るには使えた。けど、あれだけじゃ逃げられねえ。逆に、脚力補助だけでも駄目だ。速く動けても、何がどこから来るか分からなきゃ突っ込むだけになる」


「川に?」


「言うと思ったよ」


「言わない方が不自然でしょ」


「まあな」


 良樹は苦笑した。


 昨日、森の中で張った八本の魔力線。


 外側四本。

 内側四本。


 外側は早期警戒。

 内側は接近警戒。


 外側は一辺およそ三十メートル。

 内側はその半分ほど。

 高さは膝くらい。


 線そのものは動いた。

 魔物が近づいたことは拾えた。


 だが、それだけだった。


 数は分からない。

 正体も分からない。

 強さも分からない。

 どの辺のどこを通ったかも、ざっくりとしか分からない。


 しかも、あれだけで今の魔導盤の容量をほぼ使い切った。


 灰牙狼に襲われた時、リシアは言った。


 それで逃げられないんですか。

 私を抱えて。


 あの瞬間、良樹は男として一瞬処理落ちした。


 リシアさんみたいな可愛い子を抱えていいって話なら、いくらでも抱える。

 役得だしな。


 今そういう話をしていますか。


 してねえ。

 今のは俺が悪い。


 あの時のリシアの顔を思い出して、良樹は少しだけ視線を逸らした。


「何?」


「いや、何でもない」


「今、何か思い出したでしょ」


「昨日の反省だ」


「本当に?」


「本当に」


「……まあいいわ」


 リシアは少しだけ頬を赤くしながら、パンを口に運んだ。


 良樹は話を戻した。


「前に出て、危険を拾って、生きて戻るなら、索敵と移動は同じ盤に入れなきゃ意味がねえ」


「また変なものを作ろうとしてる顔ね」


「変じゃねえ。必要なものだ」


「良樹が必要って言うもの、大抵変なのよ」


「偏見だ」


「経験よ」


 リシアは涼しい顔でそう言った。


 言い返せなかった。


 索敵だけでは駄目だ。

 移動だけでも駄目だ。


 危険を拾って、生きて戻る。


 それができなければ、森では死ぬ。


 胸の奥にある魔導盤は、昨日より少しだけ輪郭が見える気がした。


 だが、まだ足りない。


 脚力補助。

 姿勢補助。

 停止条件。

 人を抱えた時の減速。

 周囲を見る線。


 全部を入れるには、今の盤は小さすぎる。


 線を増やせば、脚が入らない。

 脚を入れれば、線が薄くなる。

 安全を削れば入るかもしれないが、それは論外だ。


 戻れない回路に価値はない。


 良樹は固いパンを噛み砕きながら、胸の奥の空きスペースを見ていた。


   ◇


 リシアに連れられて向かった先は、町の冒険者ギルドだった。


 目的はいくつかあった。


 宿代返済のための仕事探し。

 昨日の薬草採集依頼の報告。

 灰牙狼の痕跡報告。

 それから、身元不明者としての説明。


 要するに、良樹はこの町で生きるために、どうにか人間社会へ接続される必要があった。


 接続先が冒険者ギルドというあたり、異世界はなかなか容赦がない。


 ギルドは、木と石でできた大きな建物だった。

 入口には、剣と盾を組み合わせたような紋章が掲げられている。


 中へ入ると、いかにもそれらしい空気があった。


 剣を背負った男。

 弓を持った女。

 革鎧の若者。

 片隅で依頼票を眺める冒険者たち。

 受付の奥では、職員が書類と荷物を行き来している。


 酒場ほど荒れてはいない。

 役所ほど整ってもいない。


 仕事を受ける者と、仕事を出す者と、怪我をして戻ってきた者と、これから怪我をしに行くかもしれない者が、同じ空間に詰め込まれている。


 良樹は思わず周囲を見回した。


「おお……ギルドだ」


「何その反応」


「いや、異世界っぽいなと」


「昨日の森と魔物と魔法では足りなかったの?」


「足りてた。足りすぎてた。ただ、こういう建物を見ると、また別腹で実感が来る」


「変な人」


「朝から評価が安定してるな」


 リシアは小さく笑ってから、受付近くにいた二人の女性に声をかけた。


「カレン、クラリス」


 呼ばれた二人がこちらを向いた。


 一人は、軽装の剣士だった。


 年は二十歳そこそこだろうか。

 薄い革鎧に、要所だけ金属の防具。

 短い戦闘用のスカート。

 太ももまで伸びる黒いニーハイ。

 腰には剣。


 騎士というより、軽装歩兵か傭兵に近い。

 身体は細すぎず、動ける人間のものだった。

 脚の筋肉のつき方が、現場の階段を上り下りする作業員とはまた違う。


 踏み込み。

 退き。

 止まる。

 戻る。


 そういう脚だ。


 ただし、本人はおどおどしていた。


 視線が落ち着かない。

 肩にも力が入っている。

 両手の位置も、どこか迷っている。


 だが、不思議なことに、ただ怯えているだけではなかった。


 入口。

 窓。

 梁。

 床。

 人の立ち位置。

 通路の幅。

 逃げ道。

 ぶつかりそうな酔客。

 壁に立てかけられた槍。


 目が、危ない場所を探している。


 ビビっている。

 だが、ビビっているだけではない。


 良樹は、そう思った。


 もう一人は、白い僧衣をまとった女性だった。


 柔らかな笑顔。

 丁寧な立ち姿。

 穏やかな空気。


 いかにも清楚な僧侶、という印象だった。


 だが、良樹は一つだけ引っかかった。


 杖の持ち方だ。


 祈るためというより、いつでも支点にできる持ち方。

 足の置き方も、妙に安定している。

 膝が固まっていない。

 重心が浮いていない。


 ぱっと見は後方回復役。

 けれど、完全な非戦闘員の立ち方ではない。


「紹介するわ」


 リシアが良樹を指した。


「こちらが良樹。多分、異世界から来た、まだよく分からない変な人です」


「紹介が雑だな」


「正確に言ったつもりだけど」


「変な人まで正確扱いか」


「そこは確定してるから」


「確定すんな」


 軽装剣士の少女が、少しだけ目を丸くした。


「あ、あの……良樹……さん」


 ためらいがちな声だった。


 名前を呼ぼうとして、一度止まって、安全な距離に戻るように「さん」を付けた。

 そんな呼び方だった。


「ああ。上村良樹だ」


「良い、樹……?」


 カレンが、小さく首を傾げた。


「字の意味が分かるのか?」


「な、なんとなくです。良い木、みたいな……」


「まあ、そんな感じだな。良い樹で、良樹」


「素敵なお名前ですね」


 白い僧侶が微笑んだ。


「クラリスです。よろしくお願いします、良樹さん」


「ああ。よろしく」


 クラリスは良樹を静かに見た。


 服装。

 安全靴。

 腰袋。

 視線の動き。

 立ち位置。

 周囲の危険への反応。


 たぶん、それらを見ている。


「リシアさんが連れている理由が、少し分かった気がします」


「会ってすぐ分かるような理由あったか?」


「ええ。少なくとも、危ないことを軽く見ない方なのですね」


 良樹は少し眉を上げた。


「そこまで分かるか?」


「なんとなくです」


「そのなんとなく、結構怖いな」


 クラリスはにこりと笑った。


 その横で、リシアがわずかに目を細めた。


「クラリス、判断が早くない?」


「そうでしょうか」


「早いわよ」


 リシアの声には、ほんの少しだけ引っかかるものがあった。


 良樹は、その変化に気づいた。

 気づいたが、理由までは分からなかった。


 分からない入力は、下手に処理しない。

 保留。


 少なくとも、今は。


   ◇


 その時だった。


 奥の倉庫側から、鈍い音が響いた。


 どん、と。


 次に、木が割れる音。

 さらに、何かが崩れる連続音。


 ギルド内の空気が、一瞬で変わった。


「倉庫だ!」


 誰かが叫んだ。


 職員と冒険者たちが一斉に動く。

 リシアもすぐに振り返った。


 良樹は、考えるより先に足を向けていた。


 現場で大きな音がした。

 木が割れた。

 荷が崩れた。


 それだけで、身体が動く。


 倉庫は、ギルドの裏手にあった。


 扉を抜けると、土埃と薬草の匂いと、割れた木箱の匂いが鼻を突いた。


 棚が一つ、斜めに傾いている。

 その下に、木箱と布袋と樽が崩れ落ちていた。


 冒険者たちが慌てて駆け寄る。


「どかせ!」

「下敷きになってる奴はいないか!?」

「早く運び出せ!」


 その声を聞いた瞬間、良樹の背筋に嫌なものが走った。


 動かす。

 どかす。

 引き抜く。


 その言葉は、正しい時もある。

 だが、間違えると人を潰す。


 下に人がいるかもしれない。

 支えている荷があるかもしれない。

 ひとつ抜いた瞬間、全部落ちるかもしれない。


 動かす前に、止め方を考えろ。


 父の声が、胸の奥で響いた。


 その時、カレンが小さく息を呑んだ。


「あ、あの……待ってください」


 声は小さかった。


 だが、良樹には聞こえた。


 彼は振り返った。


「何だ」


 カレンは崩れた荷物を見ていた。

 顔は青い。

 けれど、視線は逃げていない。


「下に……いるかもしれません」


 周囲の冒険者の何人かが、動きを止めた。


「声は聞こえません。でも、箱の落ち方が……変です」


「どこが変だ」


 良樹は即座に聞いた。


 カレンはびくりとした。


「え?」


「“かもしれない”でいい。どこが変だ」


「右側だけ、少し浮いています。何かを避けて、乗っているみたいで……それに、布袋の下が沈んでなくて……」


 良樹は崩れた荷物を見た。


 確かに、右奥の木箱が妙な角度で止まっている。

 重さが均等に逃げていない。

 布袋の沈み方もおかしい。


 何かに乗っている。

 あるいは、何かを挟んでいる。


「ヨシ」


 良樹は短く言った。


「いるかもしれない。そう思ったなら、止める理由になる」


「で、でも、間違っているかも……」


「間違ってたら、その時は外れてよかったで済む」


 良樹はカレンを見た。


「今のは大事な情報だ。“変だ”と思ったなら、捨てるな」


 カレンの目が、わずかに揺れた。


 良樹には、それが入力に見えた。


 怖い。

 変だ。

 嫌な感じがする。


 カレンが拾っているものは、ただの臆病ではない。

 危険の前触れだった。


 良樹は荷物へ向き直り、大声を出した。


「全部どかすな!」


 冒険者たちが振り返る。


「何だお前!」


「下に人がいたら、荷を動かした瞬間に潰すかもしれねえ!」


 良樹の声に、場が一拍止まった。


 そこへ、低い声が落ちた。


「誰が指示を止めた」


 奥から大柄な男が歩いてきた。


 短く刈った灰色混じりの髪。

 片眉に古傷。

 革鎧の上から、ギルドの外套を羽織っている。


 周囲の冒険者たちが自然に道を空けた。


「ガレスさん……」


 誰かが呟いた。


 ギルドマスター、ガレス・ヴァンド。


 そう呼ばれた男は、崩れた荷物と良樹を見比べた。


「リシア。こいつは誰だ」


 リシアはすぐに答えなかった。


 彼女の視線は、良樹の胸元と崩れた荷物の間を行き来していた。


「リシア」


「……本人の話を総合すると、異世界から来た人、としか言えません」


「異世界から来た人、だと?」


「はい。たぶん」


「たぶん、で倉庫の事故現場に立たせているのか」


「……はい」


「リシア」


「すみません。今、少し考えています」


「何をだ」


 リシアは、崩れた荷物の前に膝をつく良樹を見た。


「同じ魔力線を、別の目的に使おうとしていることを」


 ガレスの眉がわずかに動いた。


「何?」


「昨日は、魔物を探すために使っていました。今は、人を探すために使おうとしています」


 リシアの声は、どこか上の空だった。


 昨日の森。

 灰牙狼。

 外側四本、内側四本。

 近づくものを拾うための線。


 それと同じものを、良樹は今、崩れた荷物の隙間へ通そうとしている。


 同じ線。

 同じ入力。

 違う配置。

 違う目的。


 リシアは、その意味に意識を奪われていた。


「良樹」


 リシアが呼ぶ。


「何だ」


「昨日のものと、同じなの?」


「同じだ。置き方を変えるだけだ」


「同じなのに、使い方が違うのね」


「同じ道具を同じ使い方しかできねえ方がもったいないだろ」


 良樹はそう言って、崩れた木箱の前に膝をついた。


 胸の奥で、盤が浮かぶ。


 昨日の八入力。


 ただし、囲わない。


 横に二本。

 奥へ二本。

 高さ違いに二本。

 斜めに二本。


 合計八本。


 魔力線そのものは単純だ。


 魔力を持つものが線に触れる。

 線が乱れる。

 入力が立つ。


 それだけ。


 木箱には反応しない。

 布袋にも反応しない。

 石にも、土にも、普通の金具にも反応しない。


 反応するのは、人間や魔物のような、魔力を持つ生き物。


 だからこそ、荷物そのものには反応しないはずの場所で反応が返れば、そこには何かがいる可能性がある。


 ただし、人がいる、と教えてくれるわけではない。

 怪我の場所を示してくれるわけでもない。

 まして、荷物の構造を読んでくれるわけでもない。


 答えは出ない。

 反応が返るだけだ。


「何をしている」


 ガレスが聞いた。


「探してる」


「何を」


「人だ。下にいるかもしれねえ」


「探索魔法か」


「違う。センサーだ」


「……せんさー?」


 ガレスの眉間にしわが寄った。


「リシア。あいつは何を言っている」


 リシアは少し考えてから答えた。


「多分、良樹は自分の魔法を、ああいう言い方で整理しているんです」


「整理?」


「はい。私たちの言葉で言えば、探索というより……何かが触れた反応を見る魔法に近いと思います。答えを出すものではなく、反応を見るもの、です」


 ガレスは良樹を見た。


「それで合っているのか」


「だいたい合ってる」


「だいたい、か」


「俺にもまだ分からんことが多い」


「正直だな」


「嘘ついて人を潰すよりマシだ」


 ガレスは黙った。


 良樹は、荷物の隙間へ意識を通した。


 チッ。


 一本目。


 反応なし。


 少し横へずらす。


 チッ。


 二本目。


 反応が薄い。


 荷物の山が複雑に重なっている。

 線が遮られているのではない。

 そもそも荷物には反応しない。


 反応が薄いということは、線の端に何かがかかっている。


 良樹は自分の位置を半歩ずらした。


 胸の奥の八本線が、荷物の中で角度を変える。


 チチッ。


 右奥で反応が割れた。


「……ここか」


 良樹はさらに腰を落とす。


 高さを変える。

 低く。

 もう少し低く。


 ジジッ。


 ノイズのような乱れ。


 良樹は顔を上げた。


「反応がある」


 倉庫が静まり返った。


「右奥。下から二段目の奥。低い。たぶん足か腰が挟まってる」


「本当か」


 ガレスが低く言う。


「分からん」


「分からん?」


「いる場所は絞れる。だが、どう挟まってるかまでは分からねえ。だから雑に動かすな」


 ガレスの目が細くなった。


 良樹は続けた。


「リシア、この棚を支えられるか。倒れ込んでる荷重を少しだけ抜きたい」


「できるわ。風で押さえる。埃は水で落とす。光も入れる」


「火は使うなよ」


「使わないわ。倉庫ごと燃やす気はないもの」


「ヨシ」


 良樹はクラリスを見た。


「クラリスさん。もし人がいたら、身体の方を見てくれ。俺には怪我の具合までは分からん」


「分かりました」


 クラリスはすぐに頷いた。


「足や腰が挟まっているなら、急に引き抜かないでください。圧迫されている場所を急に解放すると、かえって危険な場合があります」


「治す前に、悪化させないってことか」


「はい」


「いいな。それ、かなり大事だ」


 クラリスは一瞬だけ目を伏せた。


「……はい」


 その声は、ほんの少しだけ柔らかかった。


 良樹は気づかなかった。

 少なくとも、今はそこまで処理する余裕がなかった。


 良樹はカレンを見た。


「カレン」


「は、はい」


「崩れそうなところを見てくれ。怖かったら言え」


「怖かったら……?」


「そうだ。怖いなら、何が怖いか言え。それは情報だ」


 カレンは、唇を引き結んだ。


 声は震えていた。


 それでも、目は荷物から逸らさなかった。


「はい……!」


 リシアの風が棚を支える。


 見えない風が、傾いた棚の倒れ込みを押さえた。

 水の薄い膜が土埃を落とす。

 光が、崩れた箱の隙間へ差し込む。


 火は使わない。


 倉庫の中で火を使う馬鹿はいない。

 いや、いるかもしれないから、口に出して止めた。


 良樹は反応の強い場所を指差した。


「その箱は抜くな。支えてる。先に上の布袋をどかす。左から。ゆっくり」


 冒険者たちが動く。


「そこ、止まってください!」


 カレンが叫んだ。


 声は細い。

 けれど、今度は届いた。


「その樽、動かしたら右が落ちます!」


 冒険者が手を止める。


 良樹は即座に言った。


「ヨシ。樽は触るな。リシア、右を押さえられるか」


「もう押さえてる」


「助かる」


 少しずつ荷がどけられていく。


 木箱。

 布袋。

 割れた棚板。

 縄で縛られた薬草束。

 中身の分からない小樽。


 抜いていいもの。

 支えているもの。

 触ったら落ちるもの。


 良樹は、それを一つずつ分けた。


 内面では、荷重の逃げ方を見ていた。

 どこに重さが乗っているか。

 どこを抜けば崩れるか。

 どこを支えれば持つか。


 だが、外に出す言葉は短い。


「そこ抜くな」

「先に上だ」

「右を支えろ」

「そのまま止まれ」

「ゆっくり」

「引くな。持ち上げろ」

「カレン、右上はどうだ」

「怖いです。右の箱、ずれます」

「ヨシ。そこ触るな」


 やがて、木箱と布袋の隙間から、人の腕が見えた。


「いた!」


 誰かが叫ぶ。


 クラリスがすぐに膝をついた。


「意識はあります。呼吸もあります。足首が挟まっています。無理に引かないでください」


 職員の一人が叫んだ。


「ニルだ! 倉庫番の見習いだ!」


 良樹は息を吐きかけた。


 だが、すぐに止めた。


「まだだ」


 動きかけた冒険者たちが振り返る。


「一人見つかったからって、終わりじゃねえ」


「他にもいるってのか?」


「いるかもしれねえ」


 良樹は崩れた荷物の山を見た。


「ここに人がいた。なら、他にも巻き込まれてる奴がいない保証にはならねえ。全部見るまで、終わりにするな」


 ガレスの目が細くなった。


「続けろ」


「ああ」


 良樹はもう一度、胸の奥の八本線へ意識を向けた。


 横。

 奥。

 高さ。

 斜め。


 反応のあった場所を避け、まだ見ていない範囲へ線を通す。


 チッ。


 反応なし。


 半歩ずれる。


 チッ。


 反応なし。


 高さを変える。


 チッ。


 反応なし。


 荷物の向こう側へ回る。


 リシアが風で棚を押さえ、カレンが崩れそうな箇所を見張り、クラリスがニルの呼吸と足首を確認する。


 良樹は焦らなかった。


 見つけた。

 助かった。

 よかった。


 そこで終わらせたい空気を、ひとつずつ切っていく。


「左奥、反応なし」

「中央下、反応なし」

「右手前、高さ違い、反応なし」

「リシア、そっちの棚の裏に線を通す。少しだけ支えを寄せられるか」


「できるわ」


「カレン、右上の箱、動きそうなら言え」


「は、はい。今は……大丈夫です」


「クラリスさん、そっちは」


「意識は保っています。足首も悪化していません」


「ヨシ。続ける」


 さらに数分。


 良樹は倉庫の床に片膝をつき、崩れた荷の周囲を一周した。


 八本の線を何度も置き直す。

 同じ場所を、角度を変えて見る。

 高さを変えて見る。

 反応がないことを確認する。


 最後に、良樹は大きく息を吐いた。


「……他にはいねえ、と思う」


 倉庫に張り詰めていた空気が、少しだけ緩みかけた。


 だが良樹は、首を振った。


「俺のセンサーで拾える範囲には、だ。断定はしねえ」


「せんさー……」


 ガレスが低く呟いた。


 良樹は、崩れた荷の方から目を離さないまま答えた。


「今やってるやつだ」


 説明としては雑だった。


 だが、周囲の人間はそれ以上聞き返さなかった。


 良樹が見えない線を何度も通し、位置を変え、高さを変え、反応の有無を確かめていたことは見ていたからだ。


「反応がないことと、絶対にいないことは違う。荷物を片付けながら、目で確認する」


 ガレスが頷いた。


「聞いたな。全員、勝手に崩すな。こいつが確認した順に片付けろ。最後は目で見る」


「助かる」


 良樹は短く返し、また荷物へ向き直った。


 そこから、荷物は慎重に片付けられた。


 リシアが棚を支え、カレンが不安定な箱を見張り、クラリスがニルの手当てを続ける。

 良樹は一つずつ荷の位置を見て、抜いていいものと支えているものを分けた。


 木箱。

 布袋。

 樽。

 割れた棚板。


 ひとつずつ片付けられていく。


 やがて、崩れた荷の下がすべて見えるようになった。


 他に、人はいなかった。


 ガレスが周囲を見回した。


「他の巻き込まれはなし」


 職員たちも確認して頷く。


「ありません!」

「こっちもいません!」

「奥も大丈夫です!」


 良樹はそこで初めて、深く息を吐いた。


「見習いは救出済み。追加の巻き込まれなし。悪化なし」


 それから、短く頷いた。


「ヨシ」


 クラリスが顔を上げた。


「怪我人がいるのに、ヨシなのですか?」


「死んでねえ。悪化させてねえ。見つける前に荷をどかして潰すこともなかった。追加の巻き込まれもなかった。なら、今はそこまで確認済みだ」


 クラリスは、良樹を静かに見た。


「良樹さんは、怪我を治す前の段階を見るのですね」


「そりゃ見るだろ。怪我しない方がいいんだから」


 クラリスは、ほんの少しだけ微笑んだ。


「……そうですね」


 その微笑みは、初対面の時より少しだけ深かった。


   ◇


 ニルが運び出され、倉庫の空気が少しずつ落ち着いた頃、ガレスが良樹の前に立った。


「良樹、と言ったな」


「ああ」


「今の力は、探索に使えるのか」


「条件次第だ。万能じゃねえ」


「何ができる」


「魔力を持つものが線を乱したかは拾える。位置はざっくり絞れる。中身までは分からねえ」


「何ができない」


「誰かは分からねえ。怪我の具合も分からねえ。荷の構造も読めねえ。魔物か人かも、今の俺には怪しい。だから一人じゃ無理だ」


 ガレスは黙った。


 それから、低く笑った。


「できないことを先に言う奴か」


「できるって言って事故ったら、直す奴が泣く」


「変な奴だな」


「今日それ何回言われるんだ」


 リシアが横から言った。


「事実だから仕方ないわ」


「おい」


 ガレスはリシアを見た。


「素性は不明。魔法も不明。だが、役には立った」


「それは評価なのか?」


「このギルドでは十分な評価だ」


 良樹は何とも言えない顔をした。


「リシア」


「はい」


「しばらくお前が見ろ」


「分かりました」


「保護観察、延長か」


「当然でしょ」


 リシアはあっさりと言った。


 ガレスも続ける。


「放し飼いにするには、変すぎる」


「お前ら全員、言い方を何とかしろ」


 良樹がそう言うと、カレンが小さく笑いそうになって、慌てて口元を押さえた。


 その様子を見て、リシアは少しだけ目を細めた。


 カレンは、良樹の言葉を胸の中で確かめているようだった。


 怖いなら、何が怖いか言え。

 それは情報だ。


 クラリスは、ニルの手当てを終えながらも、時折良樹を見ていた。


 治す前に、悪化させないってことか。

 いいな。それ、かなり大事だ。


 二人とも、良樹の変なところを見た。

 そしてたぶん、良いところも見てしまった。


 リシアは、それを少し嬉しく思った。


 少しだけ、面白くなかった。


   ◇


 ギルドを出る頃には、昼が近づいていた。


 荷崩れの後始末は、ギルド側で行うことになった。


 原因は一つではなかった。


 灰牙狼の増加で搬入が乱れていたこと。

 急ぎで積み替えをしていたこと。

 古い棚の脚が傷んでいたこと。

 荷重のかけ方が悪かったこと。


 良樹はそれを聞いて、ぽつりと言った。


「事故ってのは、大体ひとつの原因じゃ起きねえんだよ」


 リシアは何も言わなかった。


 ただ、その言葉を覚えておこうと思った。


 ギルドの外で、カレンが小さく良樹を呼び止めた。


「あの……良樹……さん」


「何だ」


「怖い時は、言ってもいいんですか」


 良樹は、少しだけ不思議そうにカレンを見た。


「言え」


「でも、間違っていたら」


「外れてたら笑えばいい」


「笑うんですか……?」


「いや、悪い意味じゃねえ。外れてよかったって笑えるだろ」


 良樹はギルドの倉庫の方を見た。


「当たってて、動かした後じゃ笑えねえ」


 カレンは息を呑んだ。


「怖いってのは、危ないを拾ったってことだ。捨てるな」


「……はい」


 カレンは、小さく頷いた。


 怖がるな、とは言われなかった。


 怖いなら言え。

 何が怖いか言え。

 それは情報だ。


 それは、カレンにとって初めての言葉だった。


 自分の怖さは、邪魔なものだと思っていた。

 剣士として恥ずかしいものだと思っていた。

 前に出る者が持っていてはいけないものだと思っていた。


 けれど、良樹は違うと言った。


 怖いなら、言え。

 それは、危ないを拾ったということだ。


 カレンは胸の前で手を握った。


「良樹……さん」


「何だ」


「私、怖いです」


「ああ」


「でも、次からは……何が怖いのか、言います」


「それでいい」


 良樹は短く頷いた。


 その横で、クラリスが静かに微笑んでいた。


「良樹さん」


「何だ」


「先ほどのニルさんですが、足首はしばらく安静です。無理に歩かせなければ、後遺症は残らないと思います」


「そうか。よかった」


「ええ。良樹さんが、無理に引き抜かせなかったからです」


「クラリスさんが止めたんだろ」


「良樹さんが、私に身体を見ろと言いました」


「俺には怪我の具合なんか分からんからな」


「分からないと言えるのは、大事なことです」


 クラリスは柔らかく言った。


「治せるからといって、壊してよいわけではありませんから」


 良樹は、その言葉を聞いて少しだけ頷いた。


「そうだな」


 その時、クラリスの目がほんの少しだけ揺れた。

 何かを思い出したようにも見えた。


 だが、良樹にはまだ分からなかった。


 リシアが隣に並ぶ。


「良樹」


「何だ」


「今日のは、昨日の森と同じ線だったのよね」


「ああ」


「でも、全然違う仕事になった」


「置き方を変えたからな」


「それだけ?」


「それだけじゃねえ」


 良樹は少し考えてから言った。


「昨日は、魔物が来るかを見るために置いた。今日は、荷物の下に人がいるか見るために置いた。同じ線でも、何のために置くかで仕事が変わる」


「魔物を探す線で、人も探せる」


「探せるってほど立派じゃねえ。反応を拾えるだけだ」


「その反応を、どう読むかは?」


「こっちの仕事だ」


 リシアは少しだけ笑った。


「良樹らしいわね」


「褒めてるのか」


「半分くらい」


「残り半分は」


「やっぱり変な人だと思ってる」


「そこは固定なのか」


「固定ね」


 リシアの声は、朝より少しだけ柔らかかった。


 良樹は自分の胸に手を当てた。


 索敵だけじゃ駄目だ。

 逃げるだけでも駄目だ。


 魔物を探す線で、人も探せる。


 ただし、答えが出るわけではない。

 反応をどう読むかは現場判断だ。


 一人では無理だった。


 リシアが棚を支えた。

 カレンが崩れる場所を見た。

 クラリスが身体を見た。

 ガレスが周囲を止めた。


 良樹の八本線だけでは、人は助けられなかった。


 危険を拾って、生きて戻る。

 そのための盤がいる。


 索敵と移動を同じ盤に入れる。

 戻れるようにする。

 人を抱えるなら、首と腰と膝を壊さない。

 怖いという声も、変だという違和感も、ちゃんと拾う。


 胸の奥で、まだ形にならない回路が、静かに詰まり始めていた。


 同じ線でも、置き方を変えれば仕事が変わる。


 魔力線は、答えを出してくれるわけではない。

 ただ、反応を返すだけだ。


 その反応を、誰がどう読むか。


 たぶん、そこから先が現場なのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ