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第3話 魔導盤に、入力を

 翌朝。


 良樹は、簡易宿の狭い部屋で目を覚ました。


 天井は低い。

 壁は薄い。

 階下からは、朝食の支度をする音と、誰かが椅子を引く音が聞こえてくる。


 現代日本の宿泊施設とは比べものにならない。


 けれど、屋根がある。

 壁がある。

 寝る場所がある。


 昨日の森と川と、町外れの原っぱを思えば、それだけで十分ありがたかった。


「……生きてるな」


 小さく呟いて、良樹は身体を起こした。


 身体のあちこちが重い。

 昨日は、いろいろありすぎた。


 森に落ちた。

 魔物に追われた。

 変な脚力補助が発動した。

 止まれずに崖から放り出された。

 川へ突っ込んだ。

 水浴び中のリシアを見た。

 半氷漬けにされた。

 宿代を借りた。

 町外れの原っぱで、止まる試験をした。


 情報量としては、完全に過負荷だった。


 だが、寝起きの頭が最初に考えたのは、帰る方法でも、宿代でもなかった。


 昨日のあれは、なぜ止められたのか。


 そして。


 次に必要なのは、何か。


 良樹は、ベッドの端に腰掛けたまま、まず腰袋を確認した。


 ドライバー。

 ニッパー。

 ほかも全部、昨日と同じ場所に収まっている。


 逆さにしても落ちない。

 川へ突っ込んでも濡れない。

 中身は消えていない。


「……神か」


 昨日と同じ言葉が、口から漏れた。


 いや、昨日より少し重い。


 この世界で、腰袋と工具がそのまま残っていることの意味が、昨日より分かってきたからだ。


 良樹は、腰袋からドライバーを一本抜いた。


 使い慣れた柄。

 手の中の重さ。

 指が勝手に位置を覚えている。


 それを握ったまま、胸の奥へ意識を落とした。


 そこに、薄い箱のようなものがあった。


 昨日より、少しだけ輪郭がはっきりしている。


 線。

 接点。

 端子台のようなもの。

 小さな入力表示のような微光。

 空きスペース。


 そして、腰の左右へ伸びる出力側の気配。


 良樹には、それが盤にしか見えなかった。


 魔法陣ではない。

 呪文でもない。

 奇跡でもない。


 盤だ。


 魔力でできた、制御盤。


「……魔導盤、か」


 口に出してみる。


 悪くない。


 正確かどうかは分からない。

 そもそも、この世界の魔法体系で正しい呼び名なのかも分からない。


 だが、名前がないと扱いづらい。


 現場でもそうだ。

 名前のない異常は共有できない。

 名前のない部品は図面に描けない。

 名前のない機能は、改善もできない。


 なら、これは魔導盤でいい。


 少なくとも、今の良樹にはそう見えている。


 良樹は、ドライバーの先をその薄い盤へ近づけた。


 もちろん、実体があるわけではない。

 金属板でもない。

 ビスもない。

 端子台も、本物の樹脂や銅ではない。


 だが、工具を近づけると輪郭が安定する。


 昨日の原っぱでも、そんな感覚があった。


 素手でも触れなくはない。

 けれど、線が逃げる。

 接点が滲む。

 切る位置が決まらない。


 工具を握ると、違う。


 ドライバーを持つと、押さえる場所が分かる。

 ニッパーを持つと、切る位置が分かる。

 圧着ペンチを持てば、繋ぐ感覚も安定するのだろう。


 工具に特別な能力がある、というより。


 良樹の手が、工具を通して仕事を思い出している。


「道具ってのは、使い慣れた手の延長だからな」


 呟くと、脳裏に父の声がよぎった。


 上手くいかねえ時に道具のせいにする奴は、ド三流もいいところだ。


 道具はな、ちゃんと使えば必ず使う人間に応えてくれる。


「……口悪いんだよな、親父」


 けれど、間違ってはいない。


 良樹は、魔導盤の中を見た。


 昨日、腰の左右に出たものは、モータに近かった。


 力を出すもの。

 回して、動かすもの。

 出力側の機器。


 リシアにもそう説明した。


 電気の力を、回転する力に変える機器。

 回して、その力で物を動かすもの。


 もちろん、昨日出たものが本当にモータなのかは分からない。

 魔力でできた半透明の何かだ。

 電気もない。

 銅線もない。

 軸受もない。

 ベアリングもない。


 けれど、良樹の世界の言葉で近いものを探すなら、モータだった。


 出力。


 問題は、そこだ。


「出力だけじゃ駄目なんだよな」


 良樹は、魔導盤の空きスペースを見ながら呟いた。


 昨日、良樹は止まる試験をした。


 一秒だけ動かす。

 一秒で切る。

 リシアが最悪止める。


 それで、どうにか止められた。


 だが、あれは本当に最低限だった。


 タイマーで切っただけ。

 自分で意識して切っただけ。


 それでは、設備としては荒すぎる。


 人が入ったら止める。

 物が来たら止める。

 位置に着いたら止める。

 近づいたら止める。

 離れたら止める。

 異常なら止める。

 条件が揃わなければ動かさない。


 設備は、そういう入力で生きている。


 動かすだけなら猿でもできる。


 父の声が、胸の奥で低く響く。


 止められて初めて設計だ。


「……入力が要る」


 良樹はドライバーを握り直した。


「検知が要る」


 昨日、自分は何をしたか。


 逃げる、という入力だけで脚力補助を組んだ。

 起動した。

 保持した。

 出力した。


 だが、止まるための入力がなかった。

 速度を見る入力もなかった。

 崖を検知する入力もなかった。

 人がいる場所へ突っ込まないための入力もなかった。


 だから、川へ放り出された。


 なら、次に必要なのは何か。


「……センサーだな」


 良樹は小さく言った。


 モータの次に必要なのは、センサーだった。


 出力だけでは設備にならない。

 何を見て動くか。

 何を拾って止まるか。

 何を条件に切るか。


 魔導盤に、入力が要る。


   ◇


 そこからしばらく、良樹は一人で試した。


 机の上に腰袋を置き、ドライバーとニッパーを並べる。

 椅子に座り、胸の前に薄い魔導盤を浮かべる。


 最初は、何をどう置けばいいのか分からなかった。


 出力側は、昨日使った。

 腰の左右へ繋がる気配がある。

 脚へ落ちる線も、なんとなく見える。


 だが、入力側は曖昧だった。


 良樹は、魔導盤の端に細い線を一本引くように意識した。


 線は、ふらついた。


「違う」


 ドライバーの先で押さえる。


 線が少し安定する。


 だが、何も返ってこない。


 今度は、机の脚へ向けて線を伸ばすように意識した。


 何も起きない。


 木の机。

 木の脚。

 普通の物体。


 反応はない。


「まあ、そりゃそうか」


 良樹は小さく息を吐いた。


 次に、小石を試した。

 昨日、宿の前で靴底に挟まっていたものを拾っておいたのだ。


 石へ向けて、魔力線を伸ばす。


 反応なし。


 普通の鉱物には反応しない。


 では、金属はどうか。


 腰袋の中の端子を一つ取り出し、机の上に置く。


 反応なし。


 鉄でも銅でもないかもしれないが、少なくともただの金具には反応しない。


 次に、良樹は自分の手を線の先へ近づけた。


 チッ。


 胸の奥で、小さな入力が立った。


「……今のか」


 良樹は息を止めた。


 もう一度、自分の指を線の近くへ動かす。


 チッ。


 反応がある。


 指を離す。


 反応が消える。


 近づける。


 チッ。


 離す。


 消える。


「俺には反応する」


 良樹は、自分の掌を見た。


 人間だからか。

 魔力を持っているからか。

 自分の魔力だからか。


 まだ分からない。


 ただ、机には反応しない。

 石にも反応しない。

 金具にも反応しない。

 自分の手には反応する。


 なら、反応する対象には条件がある。


 良樹は少し考え、部屋の隅にいた小さな虫を見た。


 窓枠の近くを、黒い小さな虫が這っている。


「……お前で試すのは、ちょっと悪いな」


 と言いつつ、良樹は線を伸ばした。


 反応はなかった。


 虫が小さすぎるのか。

 魔力が薄すぎるのか。

 そもそも対象外なのか。


 分からない。


 分からないことを、分かったことにしてはいけない。


 良樹は、魔導盤の隅へ意識で仮のメモを置いた。


 植物、石、金属には反応なし。

 自分には反応あり。

 小さい虫は不明。


 反応するのは、魔力を持つ動物以上か。


 まだ仮説だ。


 だが、仮説がなければ試験もできない。


 良樹は、細い線をもう一本置こうとした。


 その瞬間、魔導盤の輪郭が少し歪んだ。


「……容量か?」


 一点を見るだけなら安定する。

 二本目を置こうとすると、ふらつく。


 昨日の脚力補助を残したままだからか。

 入力線を増やすと、盤の中が狭くなるのか。


 良樹は、出力側の線を少し切るように意識した。


 脚力補助を完全には消さず、待機状態にする。


 すると、二本目の線が少し安定した。


「なるほどな」


 索敵を厚くすると、脚が弱くなる。

 脚を強くすると、センサーが薄くなる。


 今の携行盤では、何でも同時に積めるわけではない。


 当たり前だ。


 盤にはサイズがある。

 容量がある。

 ダクトには余裕があり、端子台には数があり、ブレーカーにも定格がある。


 魔導盤も同じらしい。


「無限じゃねえのは、逆に助かるな」


 何でもできる能力ほど、事故る。


 良樹は本気でそう思った。


 少なくとも、この魔導盤には制約がある。

 容量がある。

 詰め込めば無理が出る。


 なら、設計できる。


 何を入れるか選べる。

 何を削らないか決められる。


 安全回路は削らない。


 そこだけは、最初から決めておく。


 良樹は、細い魔力線を一本だけ安定させた。


 机でも石でも端子でも反応しない。

 自分の手が近づくと、小さく反応する。


 入力としては粗い。


 距離も分からない。

 対象の形も分からない。

 人間か魔物かも分からない。


 ただ、反応が返るだけ。


 けれど、何もないよりずっといい。


 その時、扉が叩かれた。


「良樹さん、起きていますか」


 リシアの声だった。


「ああ。起きてる。入っていいぞ」


 扉が開く。


 リシアは部屋へ一歩入って、すぐに足を止めた。


 彼女の青い瞳が、良樹の胸の前に浮かぶ薄い箱を見た。

 そして、その箱から机の上へ伸びる細い線を見た。


「……何をしているのですか」


「試してる」


「昨日の、魔導盤?」


「そう呼ぶことにした」


「魔導盤」


 リシアはその言葉を繰り返した。


「良樹さんが見ている、魔力の盤だから?」


「ああ。魔力でできた制御盤。だから魔導盤」


「そのままですね」


「名前なんか、分かればいい」


「良樹さんらしいです」


 リシアは少しだけ表情を緩めた。


 昨日より硬さが取れている。


 もちろん、完全に警戒を解いたわけではない。

 水浴び事故を許したわけでもないだろう。


 だが、良樹の横に立って魔導盤を見る姿は、昨日より自然だった。


「それで、今度は何を?」


「センサーだ」


「せんさー?」


「ああ。何かを検知する機器だ」


 リシアが首を傾げる。


 良樹は机の上に置いた小石を指した。


「例えば光を出して、反射して帰ってきた光の状態で、そこに物があるかどうかを見る」


「光で、物を探すの?」


「探すっつうか、あるかないかを見る。高価いヤツだと距離まで測れたりするんだけどよ」


「距離まで……」


「ああ。ただ、今の俺にそこまでは無理だ」


 良樹は魔導盤から伸びる細い線を見た。


「まずは、触れたかどうか。遮られたかどうか。反応が返るかどうか。それくらいだ」


「反応が返る?」


「答えが出るわけじゃねえ」


 良樹は、そこだけははっきり言った。


「ここに人がいます、とか、これは魔物です、とか、そういう便利な表示が出るわけじゃない。線に何かが触れたら、反応が返るだけだ」


「それを、良樹さんが読むのですね」


「そういうことだな」


 リシアは、魔導盤をじっと見つめた。


「魔法とは、やはり違いますね」


「だろうな」


「でも、魔力は使っています」


「そこが分からねえんだよな」


「私から見ると、魔力で作った線に見えます。ただ、その使い方が変です」


「変か」


「変です」


 即答だった。


 良樹は苦笑した。


「昨日から評価が安定してるな」


「安定するだけの材料を、良樹さんが出しているのです」


「返す言葉もねえ」


 リシアは机の上の小石を見た。


「その石には反応しないのですか」


「しない」


「机は?」


「しない」


「その金属は?」


「しない」


「では、何に反応するのですか」


「今のところ、俺」


「良樹さんに?」


「ああ」


 リシアは少しだけ眉を寄せた。


「それ、試験としては不十分では?」


「不十分だな」


「では、どうするのですか」


 良樹はリシアを見た。


 リシアも、すぐに何かを察したように目を細める。


「……まさか」


「リシアさん、少し試験対象になってくれ」


「言い方」


「悪い。けど、比較対象が欲しい。魔力を持ってるだろ」


「持っていますけど」


「石も草も金属も反応しない。俺には反応する。なら、別の人間にも反応するか見たい」


 リシアは、しばらく良樹を見た。


 それから、小さくため息をつく。


「……分かりました。ただし、変なことをしたら凍らせます」


「了解」


 良樹は椅子から立ち上がった。


「部屋だと狭い。あと、万が一にも変な出力が混ざるとまずい。外でやる」


「その判断は安心できます」


「自分で切れるかどうか分からないものを、保険もなしに試す馬鹿はいねえ」


「昨日も似たようなことを言っていましたね」


「言う。何度でも言う」


 リシアは少しだけ笑った。


「では、ちょうどいい依頼があります」


「依頼?」


「薬草採集です。町外れではなく、東の森の浅い場所で採れます。危険は低めですが、魔物がまったく出ないわけではありません」


「宿代返済にもなるか」


「少しは」


「なら行く」


 良樹は腰袋を叩いた。


「ついでに、センサーの試験もする」


「ついでの比率が高そうですね」


「高いな」


「正直ですね」


「隠しても仕方ねえだろ」


   ◇


 朝食を済ませた後、良樹とリシアは依頼所へ向かった。


 依頼所は、宿からそう離れていなかった。


 木造の建物。

 壁に貼られた依頼書。

 カウンターの奥で帳簿をつける職員。

 武器を背負った男たち。

 革鎧の女。

 ローブ姿の魔法使い。


 良樹は、思わず呟いた。


「本当に冒険者っているんだな」


「そこからですか?」


「そこからだ。俺の世界じゃ、冒険者はだいたい物語の中の職業だ」


「あなたの世界は、魔物がいないのでしたね」


「少なくとも、客先工場にはいなかった」


「それは良いことです」


「たまに魔物みてえな客はいるけどな」


「それは人間なのでは?」


「人間だ。たぶん」


 リシアは依頼書の前に立ち、ひとつを指差した。


「これです。青脈草の採取。加えて、東の森で灰牙狼の痕跡が増えているので、可能なら確認」


「灰牙狼」


「狼型の魔物です。単体なら追い払えますが、群れで動きます」


「群れか」


「はい。一体が獲物を見て、別方向から回り込むこともあります」


「嫌なことするな」


「賢いんです」


 近くにいた冒険者の男が、リシアに声をかけた。


「お、リシアじゃねえか。今日も採取か?」


「はい」


「相変わらず便利屋だな。火も水も風も光も、何でもそこそこできるんだから、採取仕事じゃ助かるよな」


 男は悪気なく笑った。


「討伐なら火力専門に頼むけどよ」


 リシアは慣れたように微笑んだ。


「依頼に合った人が受けるのが一番ですから」


「違いねえ」


 男は手を振って離れていった。


 良樹は、その横顔を見た。


「今の、嫌味か?」


「違います。事実です」


「事実ね」


「私は、中級魔法なら複数扱えます。ですが、どれも専門家には及びません。火なら火の専門家に負けます。水なら水の専門家に負けます。討伐で決め手が必要なら、私より向いた人がいます」


「ふうん」


「何ですか、その顔」


「いや。便利屋って、悪い言葉か?」


「……褒め言葉として使われることは、あまりありませんね」


「俺の世界だと、便利屋は現場で一番頼られることもあるけどな」


「そうなのですか?」


「少なくとも、何もできない奴よりは百倍いい」


「極端ですね」


「現場は極端なんだよ」


   ◇


 東の森は、朝の光を受けて静かだった。


 昨日、良樹が魔物に追われた森とは別の場所らしい。

 だが、木々の密度も、湿った土の匂いも、足元の悪さも似ている。


 舗装されていない地面。

 足を取る根。

 滑る苔。

 視界を遮る茂み。


 工場とは違う。


 けれど、危ない場所という意味では同じだった。


 リシアは、森の中ほどで足を止めた。


「このあたりです」


「青脈草ってのは?」


「これです」


 リシアがしゃがみ込む。


 低い草の間に、青みがかった細い葉が見えた。

 葉脈に沿って、薄い水色の光が流れているようにも見える。


「根を傷めると効能が落ちます。土を緩めて、葉脈の魔力を乱さないように採る必要があります」


 リシアは指先をかざした。


 水の魔力が土へ染み込む。

 乾いた土が柔らかくなる。


 次に、風。


 葉の周りの細かな埃や胞子が、ふわりと流れていく。


 光。


 葉脈の青い筋が見やすくなる。


 リシアは、細い根を傷つけないように、丁寧に青脈草を抜き取った。


 その動きは、派手ではない。


 火柱もない。

 雷もない。

 大きな魔法陣もない。


 だが、良樹は眉を上げた。


 検出。

 判別。

 土の調整。

 異物除去。

 採取。

 保管。


 作業として見ると、かなり細かい。


「……言うほど便利屋か?」


「何か言いました?」


「いや、まだ何も」


「まだ?」


「後で言うかもしれん」


「不穏ですね」


 良樹は周囲を見た。


 リシアは採取中、やはり手元に集中している。

 魔法で周囲を見ているのかもしれない。

 だが、視線は下がる。

 意識も手元へ落ちる。


 なら、良樹の仕事は決まっている。


「リシアさん」


「はい」


「採ってる間、周りは俺が見る」


「できるのですか?」


「できるかは今から試す」


「またそれですか」


「試運転ってのはそういうもんだ」


 良樹は胸の奥へ意識を落とした。


 外側四角形。


 一辺三十メートル。


 北。

 東。

 南。

 西。


 内側四角形。


 一辺十五メートル。


 北。

 東。

 南。

 西。


 高さは膝くらい。


 植物は拾わない。

 石も拾わない。

 落ち葉も枯れ枝も拾わない。


 魔力を持って動くものが、線を乱した時だけ入力が立つ。


 八入力。


 外側四本。

 内側四本。


 胸の奥の魔導盤が、ずしりと詰まる。


 だが、入った。


「……ヨシ」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫。今のところはな」


「不安になる言い方ですね」


「未検証だからな」


 良樹は、魔力線の状態を確認した。


 本当は、線を動かせればいい。

 固定して囲うのではなく、走らせる。

 回す。

 面として見る。


 だが、今はそこまでできない。


 固定した八本を、外と内に張る。


 それが、昨夜考えて、今朝試し、今この場で使える形だった。


 リシアが青脈草を採り始める。


 良樹は周囲の音を聞きながら、胸の奥の入力を見た。


 風が葉を揺らす。


 反応なし。


 落ち葉が転がる。


 反応なし。


 細い枝が倒れる。


 反応なし。


 いい。


 拾いすぎない。


 警報は、入りすぎると信用されなくなる。


 リシアが採取した青脈草を布袋へ入れる。


 良樹はその横で、腰袋からニッパーを取り出した。


 リシアがそれを見る。


「変なハサミですね、それ」


「ああ。ニッパーって言うんだ」


 良樹は、リシアが示した補助用の薬草の茎を根元近くで挟み、ぱちん、と切った。


「こういうことに使うもんじゃねえけど、今はこれしか持ってねえ」


「本来は、何に使うものなのですか」


「線を切る。細い銅線とか、結束バンドとか。硬いものを無理に切ると刃が欠ける」


「……大事な道具なのですね」


「大事だな。雑に扱うと親父に怒鳴られる」


 良樹はそう言いながら、次の茎に刃を当てた。


 ぱちん。


 ぱちん。


 切る位置に迷いがない。

 指の添え方も、力の入れ方も、刃を閉じる角度も静かだった。


 リシアは、しばらくその手つきを見ていた。


 魔法を使っているわけではない。

 派手な力があるわけでもない。


 ただ、道具を使い慣れた人間の手だった。


「……慣れているのですね」


「そりゃな。仕事道具だ」


「薬草を切るのも?」


「それは慣れてねえ」


 良樹は真顔で答えた。


「ただ、切る方は慣れてる」


 リシアは一拍遅れて、ふっと笑った。


「そういうところ、本当に変ですね」


「褒めてるのか」


「少しだけ」


「少しだけか」


「はい。少しだけです」


 良樹はニッパーで薬草を切りながら、周囲へ意識を向けた。


 薬草は見分けられない。

 そこはリシアに頼るしかない。


 だが、切る作業はできる。

 根を残して、茎を傷めすぎず、必要な分だけ切る。


 工具の用途としては間違っている。

 ニッパーに謝りたい気もする。


 だが、今はこれしかない。


 その時だった。


 チッ。


 胸の奥で、短い反応が立った。


「南、外」


 良樹は顔を上げた。


「何か来ましたか?」


「分からん。南側の外の線が乱れた」


 数秒後、草むらから小さな獣が飛び出し、森の奥へ走っていった。


 良樹は、思わず口元を押さえた。


 入った。


 本当に入った。


 昨日の夜に考え、今朝試した入力線。

 それを八本に増やして、森で使った。


 理屈ではいけると思った。

 でも、理屈通りに現場で動くかは別だ。


 それが、動いた。


「……マジか」


「良樹さん?」


「いや、すげえな、これ」


「自分で作ったのでは?」


「作ったけど、動くと嬉しいだろ」


「少し得意げですね」


「少しどころじゃねえ。正直かなり得意げだ」


「自分で言いますか」


「動いたんだから仕方ねえだろ」


 リシアは呆れたように笑った。


 だが、その目には驚きもあった。


「今のは、本当にすごいです」


「だろ?」


「ただ、何が来たかまでは分からないのですね」


「そこが穴だな」


 良樹は胸を軽く叩いた。


「今のは南の外側が乱れた。それだけだ。南側のどこかまでは分からねえ。同じ個体か、別の何かかも分からねえ」


「それでも、何もないよりはずっといいです」


「それはそう」


 良樹は、少しだけ笑った。


 だが、その笑みはすぐ消えた。


 チッ。


「東、外」


 良樹は低く言った。


 リシアの手が止まる。


「内側は?」


「まだ来てねえ」


 数秒。


 また、東の外側。


 チッ。


「また東、外」


「同じ個体ですか?」


「分からねえ。同じやつが外側をうろついてるのか、別のやつが東側にいるのか、この入力じゃ読めねえ」


 リシアの表情が硬くなった。


「こちらを見ているのかもしれません」


「見てる?」


「狼型の魔物は、すぐには飛びかかってきません。距離を取りながら、獲物の反応を見ます。弱い方、逃げ道、隙を探します」


「嫌なことするな」


「賢いんです」


「なら、こっちも見させてもらう」


 良樹は、東側の外側ラインだけ意識を強くした。


 高さを少し下げる。


 膝より下。


 チチッ。


 反応が細かく割れた。


「細かい」


「何がですか?」


「乱れ方だ。脚を拾ってる可能性がある。四足なら、足が何本も線を跨ぐからな」


 今度は、線を少し上げる。


 膝より少し上。


 チッ。


 さっきより太い反応。


「上げたらまとまった」


「つまり?」


「低い位置で細かい。少し上げると太い。小型から中型の四足かもしれねえ」


「分かるのですか?」


「分かるんじゃねえ。推測してるだけだ」


 良樹は東の茂みを睨んだ。


「探索魔法じゃねえ。センサーは答えを教えねえ。置き方と動かし方で、こっちが答えに近づくんだよ」


「……良樹さんの世界の工業は、回りくどいのですね」


「その代わり、魔法素人でも使える」


「魔法素人がこれを使える時点でおかしいのです」


「それは俺も思ってる」


 リシアが、東の茂みへ視線を向けた。


「東側でこちらを見ていて、小型から中型の四足。灰牙狼かもしれません」


「一体か?」


「一体とは限りません」


 その言葉を待っていたかのように。


 チッ。


「北、外」


 続けて。


 チッ。


「南、外」


 良樹の口元から、さっきまでの笑みが完全に消えた。


「……増えた」


「囲まれています」


「いや、囲まれてるかもしれない、だ。けど、その前提で動いた方がいい」


 次の瞬間。


 チッ。


「東、内」


 リシアの目が鋭くなる。


「近いですね」


「ああ」


 茂みが割れた。


 灰色の影が低い姿勢で飛び出す。


 狼。


 いや、狼よりも背が低く、筋肉が詰まっている。

 牙が長い。

 目が薄く黄色い。


 灰牙狼。


 リシアは火を使わなかった。


 指先から風が走る。


 灰牙狼の跳躍が、わずかに横へずれた。


 続いて水。


 着地点の土が緩み、狼の前足が沈む。


 氷。


 薄く、細く、地面を走る。

 広く凍らせるのではない。

 狼の足元だけを、滑らせる。


 灰牙狼が体勢を崩した瞬間、光が弾けた。


 目を焼くほどではない。

 ただ、一瞬だけ視界を奪う程度の光。


 灰牙狼は低く唸り、茂みの奥へ飛び退いた。


「倒さねえのか」


「採取依頼です。森を荒らしてまで討伐する必要はありません」


「正解だな」


 良樹は短く言った。


 だが、終わりではなかった。


 チッ。

 チッ。


「北、内。南も内」


 良樹は奥歯を噛んだ。


「まずいな」


「数は?」


「分からねえ。北と南で内側が乱れた。それだけだ」


「灰牙狼は群れで来ます」


「だろうな」


「良樹さん。逃げます」


「倒せないのか?」


「一体ずつなら追い払えます」


「じゃあ――」


「でも、ここで戦うべきではありません」


 リシアは即答した。


「採取中の荷物があります。森も深い。相手の数も分かりません。火を使えば延焼の危険があります。氷で止めても、別方向から来られたら守り切れません」


「……撤退か」


「はい。逃げます」


「正解だ」


 良樹は頷いた。


 その時、リシアがこちらを振り返った。


「良樹さん!」


「何だ!」


「あなた、昨日、足を速くする魔法で川に飛び込んできたって言っていましたよね!」


「言い方!」


「今は選んでいる余裕がありません!」


 リシアは杖を構えたまま叫ぶ。


「それで逃げられないんですか!? 私を抱えて!」


 一瞬、良樹の脳が妙な方向へ転がった。


 抱えて。


 リシアを。


 この状況で。


「リシアさんみたいな可愛い子を抱えていいって話なら、いくらでも抱える! 役得だしな!」


「今そういう話をしていますか!?」


「してねえ! 今のは俺が悪い!」


 良樹は即座に頭を切り替えた。


「けど無理だ。今の俺の盤に入ってるのは侵入検知だ。脚を速くする出力は入ってねえ」


「じゃあ、戻せないんですか!?」


「戻せねえ、今は!」


「なぜですか!」


「盤を丸ごと組み替える必要がある!」


 良樹は胸の奥の魔導盤を意識した。


 昨日、脚力補助を止める試験はした。

 感覚は残っている。


 だが、それを今この場で安全に戻せる確信はない。


「線を一本増やすとか、感度を変えるとかならまだできる! でも、侵入検知から脚力補助に戻すのは別物だ!」


「どれくらいかかるんですか!」


「昨日から試した感じだと、ざっと一時間!」


「一時間……!」


「そんな悠長な時間、今取れるか!?」


「取れませんね!」


「だろ!」


 リシアは即座に前を向いた。


「私が道を作ります。良樹さんは後ろと左右を見てください」


「了解」


「転ばないでくださいね」


「善処する」


「善処では困ります!」


 リシアが風を走らせた。


 前方の草が左右に倒れる。

 視界が開く。


 次に水。


 ぬかるんだ地面が、薄く締まる。

 滑るためではない。

 踏めるようにするためだ。


 良樹は走った。


 現場装備で森を走るのは、やはり最悪だ。

 だが、昨日よりはましだった。


 昨日は何も分からず走った。

 今は、少なくとも後ろが少しだけ見える。


 チッ。


「南、外!」


「後ろですね!」


 リシアは振り返らずに氷を置いた。


 広く凍らせるのではない。

 追ってくる足元だけを、細く、浅く。


 獣の足音が乱れる。


 チッ。


「東、内! 右、近い!」


「良樹、右!」


 リシアの声が飛んだ。


 良樹は反射的に右へ身を捻る。


 茂みから灰色の影が飛び出しかけた。

 リシアの光が弾ける。

 影が怯む。


 二人は木の間を抜けた。


 息が焼ける。


 足が重い。


 脚力補助はない。

 あるのは、自分の足と、リシアの作った道と、胸の奥で鳴る細い入力だけ。


 チッ。

 チッ。


「北、外。南、外。まだ追ってる!」


「分かりました!」


 リシアが風で枝を払い、水で足場を整え、氷で追手を遅らせる。


 火は使わない。


 森を燃やさないために。

 薬草を駄目にしないために。

 依頼を討伐へ変えないために。


 良樹は、走りながら思った。


 こいつ、全部切り替えてる。


 目的を見て。

 状況を見て。

 使う魔法を選んでいる。


 火力がないから火を使わないのではない。


 今、火を使うべきではないから使っていない。


   ◇


 森の浅い場所まで戻った時、灰牙狼の気配は遠のいていた。


 リシアはそこでようやく足を止めた。


 良樹は木に手をつき、肩で息をした。


「……生きてる」


「はい。生きています」


「逃げ切ったか」


「少なくとも、ここまで来れば追ってはこないでしょう」


 リシアも息を乱していた。

 額には汗が滲んでいる。


 それでも、法衣は大きく乱れていない。

 杖を持つ手も震えていない。


「……結局、逃げることになりましたね」


 リシアが、ぽつりと言った。


「正解だろ」


「正解、ですか?」


「依頼は採取と調査だ。討伐じゃねえ。目的外の作業を増やして事故るより、生きて帰る方が正しい」


「でも、倒せませんでした」


「倒す必要がなかった」


「私は、やはり器用貧乏です。火力では専門家に負けます。拘束でも、探索でも、どれも一番にはなれません」


 リシアは、少しだけ笑った。


 自嘲というほど暗くはない。

 けれど、言い慣れた言葉なのだと分かる笑い方だった。


「火なら、火の専門家には勝てません。水なら水の専門家に負けます。風も、光も、氷も。同じです」


「……魔法のことは、俺には分からん」


 良樹は正直に言った。


「この世界の魔法使いの基準も知らねえ。誰が一番で、何が上手いのかも分からん」


「なら――」


「けど」


 良樹は、リシアの言葉を遮った。


「器用貧乏って言葉だけで済ませていいことをしてるようには、見えねえぞ」


 リシアが、わずかに目を見開いた。


「今日、お前は薬草を見つけた。根を傷めないように土を緩めた。風で匂いを流した。氷で追手を遅らせた。光で目を潰した。火は使わなかった。森を燃やさないために」


 良樹は、胸を軽く叩いた。


「俺の八入力は穴だらけだ。来た方向しか分からねえ。辺のどこかも分からねえ。数も、正体も、強さも分からねえ。しかも脚力補助には戻せねえ」


 そこで、少しだけ息を吐く。


「でも、お前がいたから逃げ切れた」


「……私は」


「火力で一番かどうかは知らねえ。魔法使いとして何番目かも知らねえ」


 良樹は肩をすくめた。


「でも、今日の現場じゃ必要なことを全部やってた。少なくとも俺には、そう見えた」


 そして、少しだけ口元を緩める。


「言うほど器用貧乏か?」


 リシアは、すぐには答えなかった。


 風が、森の葉を揺らす。


 遠くで鳥が鳴いた。


「……変な評価ですね」


「変か?」


「はい。魔法使いを、そんなふうに見る人はあまりいません」


「だろうな。俺は魔法使いじゃねえし」


「では、電気屋ですか?」


「雷を操るおっかねえ魔法使いだ」


「それ、半分冗談なのでしょう?」


「半分は本当だ」


「本当に変な人ですね」


「それは否定しねえ」


 リシアは小さく笑った。


 その笑顔は、昨日の川で見たものとは違っていた。


 警戒でもない。

 怒りでもない。

 あきれだけでもない。


 少しだけ、何かが緩んだような笑いだった。


 良樹は息を整えながら、胸の奥の魔導盤を意識した。


 索敵だけじゃ駄目だ。


 脚力補助だけでも駄目だ。


 前に出て、危険を拾って、生きて戻るなら。

 索敵と高速移動は、同じ盤に入れなければならない。


 次の課題は、それだ。


「そういや」


 良樹はふと思い出した。


「さっき呼び捨てにしなかったか?」


 リシアの肩が、わずかに揺れた。


「してません」


「しただろ。良樹、右って」


「緊急時でした」


「緊急時なら呼び捨てなのか」


「そういうこともあります」


「俺も、呼び捨てを許した覚えはないんだけどな?」


 リシアが、ぴたりと足を止めた。


「……それを言いますか」


「言うだろ。俺は昨日、リシアさんに『呼び捨てはまだ許していません』って言われた側だぞ」


「覚えていたのですか」


「覚えてるわ。半氷漬けで言われたことは、だいたい忘れねえ」


「では、分かりました」


「何が?」


 リシアは、少しだけ顎を上げた。


「私も許します」


「何を」


「あなたが、私を呼び捨てにすることを」


「……おい」


「その代わり、私も良樹と呼びます」


「交換条件みたいに言うな」


「不満ですか?」


「いや……不満ってわけじゃねえけど」


「では、決まりですね。良樹」


 さらりと呼ばれて、良樹は一瞬だけ返事に詰まった。


「……急に来るな」


「許可制なのでしょう?」


「そうだけどよ」


「なら、問題ありません」


「問題はないが、処理が追いつかねえ」


「変な人ですね」


「お前にだけは言われたくねえよ、リシア」


 名前を呼んだ瞬間、リシアの耳がわずかに赤くなった。


「……今のは、少し早いです」


「お前が許したんだろ」


「許しましたが、慣れたとは言っていません」


「面倒くせえな」


「凍らせますよ」


「すみません」


「それと」


「まだ何かあるのか」


「先ほどの、可愛い子を抱えるのが役得、という話ですが」


「そこ戻るのか」


「戻ります」


 リシアは、じっと良樹を見た。


「どういう意味ですか」


「……事実確認だ」


「何の事実ですか」


「リシアは可愛い」


 一拍。


 リシアは、さっきよりも分かりやすく耳を赤くした。


「凍らせます」


「褒めたのに!?」


「褒め方の問題です」


「すみません」


「それと」


「まだあるのか」


「呼び捨てにした直後にそれを言うのは、少しずるいです」


「……悪い」


「でも」


 リシアは小さく息を吐いた。


「嘘ではないのですね」


「嘘で言うかよ」


「なら、今回は半分だけ許します」


「半分?」


「残り半分は、保留です」


「保留多くねえか」


「良樹は保護観察中ですから」


「まだ続いてんのか、それ」


「当然です」


 異世界二日目。


 宿代返済のために出た仕事で、魔力線センサーは動いた。

 八入力の侵入検知は、確かに役に立った。


 だが、穴だらけだった。


 数は分からない。

 正体も分からない。

 強さも分からない。

 脚力補助には戻せない。


 それでも、生きて戻れた。


 リシアがいたからだ。


 良樹は、腰袋を軽く叩いた。


 工具はある。

 課題もある。

 借りもある。


 そして、隣には、器用貧乏というには妙に頼れる魔法使いがいる。


 情報量としては、今日も十分に過負荷だった。


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