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第32話 配分の初仕事(挿絵有)

 翌朝。


 良樹は、作業場の試験台に向かっていた。


 試験台の上には、昨夜のうちに書き出したメモが並んでいる。


 端子台供給。

 三系統。

 個別インバータ。

 共通ブレーカー。

 初期配分。

 上限。

 遮断。

 戻し。


 それから、太めに線を引いた一文。


 ――いきなり大型戦闘に使うな。


 良樹は、その文字を見て小さく息を吐いた。


「自分で書いておいて何だが、刺さるな」


「刺さらないと困るわよ」


 後ろから声がした。


 リシアだった。


 いつものように少し呆れた顔をしている。

 だが、その視線は良樹ではなく、試験台のメモに向いていた。


「昨日の今日で、もう実戦投入する気なの?」


「大型には使わない」


「小型なら使う気なのね」


「小さく試す」

「便利そうなものほど、最初は小さく試す」


 良樹が答えると、リシアは肩をすくめた。


「そこだけは安心できるわね」


「そこだけか」


「良樹自身の無茶については、別枠だから」


「ひどい評価だな」


「実績よ」


 その言い方は、最近すっかり定着していた。


 作業場の奥では、カレンが剣の手入れをしている。


 日常ではまだ、目が合うと慌てる。

 恋愛の話になると、耳まで真っ赤になる。

 だが、剣を持つ手は迷っていなかった。


 クラリスは水桶のそばで、包帯と薬草を確認していた。

 こちらもいつも通り穏やかだ。


 穏やかだが、良樹の目の下を見た瞬間だけ、少し目が細くなった。


「良樹くん」


「何だ」


「寝ましたか」


「多少」


「多少、ですね」


 クラリスは微笑んだ。


 微笑んだが、目は笑っていなかった。


「次に同じ答えをしたら、休ませます」


「まだ何もしてないんだが」


「する前に止めるのも、仕事です」


「……了解」


 良樹は素直に頷いた。


 そこへ、扉が叩かれた。


 返事をするより先に、外から低い声が響く。


「いるか」


 ガレスだった。


   ◇


 ガレスが持ってきたのは、派手な討伐依頼ではなかった。


 紙には、旧街道沿いの農家周辺の地図が描かれている。


 森。

 畑。

 低い石垣。

 家畜小屋。

 旧街道。

 少し離れた雑木林。


「大型トロルを倒した後でな」


 ガレスは地図を指で叩いた。


「森の奥から、小物が流れてきてる」


「小物?」


「灰牙狼が何体か」

「それと、コボルドらしき痕跡もある」


 リシアの表情が変わった。


「灰牙狼が街道沿いまで?」


「ああ」

「大型に縄張りを荒らされたか、餌場を変えたか」

「理由は知らん」

「だが、農家の家畜小屋の近くで足跡が出た」


 カレンが胸元で手を握った。


「家畜を狙っているんですか」


「たぶんな」


 ガレスは短く答える。


「農家の人間は一旦避難させた」

「だが、家畜は全部動かせねえ」

「畑もある」

「小屋もある」

「このまま放っておけば、冬を越すためのものがやられる」


 良樹は地図を見ていた。


 敵の位置。

 家畜小屋。

 畑。

 逃げ道。

 撃ってはいけない方向。


「大技はなしだな」


「当たり前だ」


 ガレスが即答した。


「この前の砲は使うな」

「家ごと吹き飛ばす気か」


「使わねえ」

「エレメンタル・キャノンも水蒸気爆発弾もなし」

「使える場所じゃない」


 ガレスは、ほんの少しだけ目を細めた。


「分かってるならいい」


「今日は、端子台供給の実地確認にする」


「新しい変なことを始める顔だな」


「変ではない」

「安全に小さく試す」


 ガレスは鼻で笑った。


「変なことほど、小さく試せ」

「それだけは間違ってねえ」


 良樹は地図から目を離さなかった。


「規模は」


「目撃と足跡から見て、十を超える可能性がある」

「灰牙狼が七か八」

「コボルドが五、六」

「小物と言っても、農家一軒なら潰れる数だ」


「十分だ」


 良樹は頷いた。


「勝つだけなら、たぶん勝てる」

「問題は、何を壊さずに勝つかだ」


 リシアが小さく息を吐いた。


「良樹らしいわね」


「そうか」


「そうよ」

「敵より先に畑と家畜小屋を心配してる」


「家畜小屋が壊れたら、勝ったとは言えねえだろ」


 ガレスが、少しだけ口の端を上げた。


「なら、行ってこい」

「派手な武功じゃねえ」

「だが、こういう後始末をできる奴は少ねえ」


 良樹は紙を畳んだ。


「受ける」


 リシア、カレン、クラリスが同時に頷いた。


   ◇


 旧街道沿いの農家は、町からそれほど遠くなかった。


 だが、森の気配は近い。


 畑の向こうに雑木林があり、低い石垣が境界を作っている。

 農家本棟の裏手には家畜小屋。

 その横に古い井戸跡と、硬く敷かれた石敷きがあった。


 良樹は、まず人の位置を確認した。


 農家の家族は避難済み。

 家畜は小屋の中。

 旧街道は一時的に通行を止めている。

 畑の奥には崩れた柵。

 雑木林の根元には、獣が通った跡がある。


「ここに据える」


 良樹は石敷きを指した。


 農家本棟と家畜小屋の間。

 背後に家。

 右手に家畜小屋。

 左手に畑。

 正面に崩れた柵と雑木林。


「見るにはここがいい」

「撃つには最悪だが」


 リシアが周囲を見る。


「エレメンタル・キャノンは論外ね」


「ああ」

「水蒸気爆発弾もなし」

「音と衝撃で家畜が暴れる」

「小屋も畑も巻き込む」

「今日は、撃ち抜く日じゃない」


「じゃあ何を出すの?」


「蒸気ランチャーまで落とす」


「ランチャー?」


「低出力の牽制用だ」

「小石か土弾を、圧縮蒸気で飛ばす」

「殺すためじゃない」

「足元を撃って、寄せるな、止まれ、そっちへ行け、だ」


 リシアは頷いた。


「余波は私が見るわ」


「頼む」

「エアーカーテンで散りを抑えてくれ」

「俺一人だと、土と小石が散る」


「分かった」


 良樹は腰袋を確かめ、石敷きの上に立った。


 胸の前に、魔導自立盤が展開する。


 以前の携行盤とは違う。

 その場に据えられる、大きな盤。


 良樹の意思から完全に独立しているわけではない。

 だが、手元に抱えて歩く盤でもない。


 盤の左右に、三つの小さな回転線が生まれる。


 スキャナー三基。


 一基は正面。

 一基は畑側。

 一基は家畜小屋側。


 それぞれがゆっくり回転を始めた。


 地上の反応が、点として浮かぶ。


 家畜。

 味方。

 遠くの小動物。

 雑木林の奥にある、低く動く反応。


 良樹は目を細めた。


「三基、展開」

「ただし万能じゃない」

「家畜も拾う」

「味方も拾う」

「小屋の裏は遅れる」

「だから、見えたものは声に出せ」


 そこで良樹は、端子台を開いた。


 三つの接続点。


 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 そして一つの共通ブレーカー。


「初期配分は、カレン四、クラリス四、リシア二」


 リシアが片眉を上げた。


「私が二?」


「ああ」


「低く見てる?」


「逆だ」

「お前は二で十分危ない」


 リシアは一瞬だけ黙る。


 良樹は盤を見たまま続けた。


「お前のエレメンタル・ストライクは、元々出力不足でも小銃以上の威力がある」

「そこへ俺基準の二割を乗せたら、単発なら対物ライフル級に近い」

「ここは農家の裏だ」

「畑も小屋もある」

「撃ち抜く威力はいらない」


 リシアは、少しだけ目を細めた。


「つまり、強いから絞るのね」


「ああ」

「強いから絞る」

「威力じゃなく、数と制御に回してくれ」


「……なら、文句はないわ」

「恋愛面では少しあるけど」


「戦闘面では」


「妥当ね」

「私に四も流したら、たぶん柵ごと抜くわ」


「やめろ」


「やらないわよ」


 カレンは剣を握った。


「私は、入口と家畜小屋側を見ます」


「ああ」

「剣と脚に回せ」

「盾はまだ要らない」

「届かないところへ届くために使え」


「はい」


 クラリスは、軽く拳を開閉した。


「私は抜けたものと、怪我を見ます」


「反動を逃がせ」

「威力より、壊れるな」


 クラリスは柔らかく微笑んだ。


「はい」

「壊れずに届きます」


 良樹は三人を見た。


「要求は短く」

「どこへ寄せるか、声に出せ」

「俺が全部を見るんじゃない」

「お前らが見ている場所を、俺に寄越せ」


 三人が頷く。


 良樹は、端子台を接続した。


 細い魔力の流れが、三人へ渡る。


 同時に、三人から何かが返ってきた。


 最初は、良樹にもそれが何か分からなかった。


 ノイズ。


 いや、違う。


 呼吸に近い。

 気配に近い。

 だが、信号の形をしている。


「……戻りがある」


 良樹が呟く。


 リシアがこちらを見る。


「戻り?」


「こっちから流すだけじゃない」

「何か返ってきてる」

「だが、まだ読めない」


「危ないの?」


「危険な感じじゃない」

「要求信号に近い」

「ただ、まだ形になってない」


 クラリスが、軽く拳を握った。


「こちらからも、何か返せるということでしょうか」


「たぶんな」

「ただ、試すのは後だ」

「戦闘中に余計な検証はしない」


 その時、カレンが家畜小屋の方を見た。


「良樹さん」


 距離は少しある。

 だが、まだ普通の声が届く範囲だった。


「家畜小屋側、少し嫌な感じがします」


 良樹はスキャナーを見る。


「反応は薄いな」


「でも、怖いです」

「見えない場所が、怖いです」


「分かった」

「カレン、そこを見ろ」


「はい」


 良樹は、次にリシアを見た。


「リシア、上から見られるか」


 リシアが杖を握る。


「見られる」

「でも、長くは無理」

「浮いている間は、下から狙われる」


「ああ」

「下は俺が見る」


 良樹は三基のスキャナーを示した。


「地上の反応は拾う」

「お前は上から流れを見てくれ」


 リシアは、一瞬だけ息を止めた。


 下は俺が見る。


 その言葉を受けて、リシアは頷いた。


「分かった」

「上を見るわ」


 リシアの足元に風が集まった。


 風遮膜とは違う。

 身体を支えるための風。

 足首から膝へ、軽く絡むように空気が流れる。


 ふわり、とリシアの身体が浮いた。


 良樹は反射的に見上げた。


 落ちないか。

 姿勢を崩していないか。

 風の支えが乱れていないか。


 確認だった。


 確認だった、はずだった。


 リシアは少し前から服を変えていた。

 動きやすい上着。

 膝よりそこそこ上で揺れるスカート。


 その裾が、風で揺れた。


 良樹の意識が、一瞬だけ停止した。


「……良樹?」


 上から、リシアの声が降ってきた。


「はい」


「……見たいなら後でいくらでも見せてあげるから、今は周りに集中して!」


「すまん……」


 リシアは顔を赤くしていた。


 怒っている。

 恥ずかしがっている。


 だが、それでも彼女は空から戦場を見ていた。


 その瞬間だった。


《……良樹》


 今度は、耳ではなかった。


 端子台の奥から、リシアの声が届いた。


 良樹は盤を見る。


「……今の」


《聞こえた?》


「ああ」

「端子台に乗った」


 リシアの声が、端子台の奥で少し揺れる。


《じゃあ、もう一回言うわ》

《今は集中》


「分かってる」


《事故でも見たんでしょう》


 良樹は、一瞬だけ黙った。


 それから、盤を見たまま端子台へ声を乗せた。


《じゃあ、英雄になったら堂々と見る》

《好きなだけ見せてくれるんだろ》


 リシアの風が、一瞬だけ乱れた。


《……バカ》


 怒っているようで。

 照れているようで。

 少しだけ、嬉しそうな声だった。


 次の瞬間、端子台の奥から二つの声が重なった。


《《戦闘中にイチャつかないでください》》


 カレンとクラリスだった。


 良樹は盤の前で固まった。


「……今の、二人も乗ったのか」


《乗りました》


《の、乗りました……》


「端子台通話、成立」

「ただし事故要因が多すぎる」


《良樹くん》


《戦闘中です》


「……了解」


 リシアは空中で顔を赤くしたまま、即座に視線を戦場へ戻した。


 そこが、リシアだった。


 挿絵(By みてみん)


《正面は囮》

《右、家畜小屋裏に三》

《畑側に二》

《正面にもまだいるけど、本命は右と畑》


 同時に、右側の家畜小屋裏で、青白い小さな光が弾けた。


 信号。


 火ではない。

 水と風を混ぜた、燃えない小光弾。


 カレンが即座に反応する。


「見えました」

「右へ行きます」


 声が、戦闘時のものへ変わっていた。


 日常でのオドオドした声ではない。

 怖い場所を見つけた剣士の声。


 良樹は端子台へ意識を向ける。


「カレン四維持」

「脚に回せ」

「クラリス、畑側」

「リシア、正面を流せ」


《はい》


《承知しました》


《分かったわ》


   ◇


 灰牙狼が、家畜小屋の裏から飛び出した。


 低い。

 速い。

 地面を這うように走る。


 同時に、崩れた柵の向こうから二体。

 畑側の石垣の影から、コボルドが顔を出す。


 良樹のスキャナーには点が浮かぶ。


 だが、点だけでは足りない。


 家畜が暴れ、反応が乱れる。

 味方も動く。

 魔物も動く。

 数が重なる。


《右、一体先行》

《もう一体は小屋裏で止まってる》

《コボルドが扉を狙ってる》


 リシアの声が、上から降ってくる。


 さらに、青白い光がもう一度弾けた。

 家畜小屋の扉側。


 カレンが走った。


 その足に、良樹の魔力が回る。


 速い。


 ただ速いのではない。

 戻る足を残した速さ。

 怖い場所へ、逃げ道を見ながら入る動き。


 灰牙狼が家畜小屋へ飛び込もうとした瞬間、カレンが前に立った。


「ここは、通しません」


 剣に、薄い光がまとわりついた。


 実体の刀身の先に、魔力の刃が少しだけ伸びる。


 盾ではない。

 防壁でもない。


 届かなかった半歩へ、剣を届かせるための刃。


 カレンは、灰牙狼を斬り捨てなかった。

 進路を切った。


 灰牙狼が反射的に跳ねる。

 その横腹へ、カレンの剣の腹が入る。


 倒すためではない。

 逸らすため。


 魔物の身体が横へ流れた。


《カレン、後ろ》


 クラリスの声。


 カレンは即座に半歩下がる。


 その空いた場所へ、別の灰牙狼が飛び込んできた。


 そこへ、良樹の蒸気ランチャーが鳴った。


「撃つ」


 短い破裂音。


 土弾が灰牙狼の足元を抉る。


 同時に、リシアの風遮膜が薄く走った。

 跳ねた小石を畑側へ散らさず、石垣の方へ流す。

 白い蒸気を横へ裂く。


 灰牙狼が足を止めた。


 その一瞬で、カレンが体勢を戻す。


「ありがとうございます」


「礼は後」


《右、まだ一体》


 リシアの声。


 良樹はスキャナーを見る。


 確かに、小屋裏に反応が残っている。

 だが、家畜の反応と重なって見えにくい。


「リシア、信号」


《出す》


 小屋の裏手で、青白い光が弾ける。


《クラリス、そちらから回れますか》


《回れます》


 クラリスが走った。


 白い法衣が揺れる。

 だが、足運びは僧侶のものではない。


 石垣の影からコボルドが飛び出した。

 手には石。

 狙いは、空中のリシア。


「リシア、右下!」


 良樹の声が端子台を走る。


 リシアは空中で大きく飛べない。

 自由に飛び回れるわけではない。


 だから、風を少し崩して高度を落とした。


 投げ石が、リシアの髪の上をかすめる。


 その瞬間、クラリスがコボルドの横へ入った。


「投げたのは、あなたですね」


 穏やかな声。


 だが、拳には魔力がまとわりついていた。


 手甲。


 良樹はそう見た。


 金属ではない。

 だが、拳を守る形。

 手首を抱え、肘へ衝撃を逃がす流れまである。


 クラリスの拳が、コボルドの肩口へ触れた。


 打った、というより置いた。


 次の瞬間、コボルドの身体が横へ飛んだ。


 クラリスの足元で、今度は足首から膝へ薄い魔力が走る。

 具足のように脚を包み、地面へ衝撃を逃がす。


 クラリスは、ほとんど体勢を崩さなかった。


「これは……いいものですね」


 クラリスが、ほんの少し嬉しそうに言った。


《良樹くんの愛を感じます》


「クラリス」

「その表現を戦闘中に使うな」


《技術的には何でしょうか》


「反動吸収だ」


《はい》

《愛の反動吸収ですね》


「余計な単語を足すな」


《でも、否定しきれないのが腹立つわね》


 リシアの声が混ざる。


《す、すごく大事にされてる感じはします……》


 カレンまで混ざった。


「端子台に余計な感想を乗せるな!」

「敵を見ろ!」


《はい》


《承知しました》


《分かったわよ》


 良樹は歯を食いしばりながら、盤を見る。


 端子台通話は便利だ。


 だが、事故要因が多すぎる。


   ◇


 正面の灰牙狼三体が、崩れた柵を越えた。


 リシアはまだ浮いている。


 だが、長くは無理だ。

 風で身体を支えるには集中が要る。

 下からの攻撃もある。


《正面、三》

《私は二のままでいい》

《数で流す》


「リシア二維持」

「威力に回すな」


《分かってる》

《強く撃てるからって、強く撃つ必要はないわ》


 リシアの杖先に、四つの魔素が集まった。


 火。

 水。

 風。

 土。


 だが、一発へまとめない。


 三つに割る。


 細い四魔素穿弾が、三発。


 一発目は、灰牙狼の足元。

 二発目は、進路の左側。

 三発目は、後ろ足のすぐ横。


 当てない。

 殺さない。

 ただ、行き先を消す。


 灰牙狼たちが反射的に右へ跳ぶ。


 そこへ、カレンがいた。


「はい!」


 カレンの剣に魔力が乗る。


 今度は、刀身の延長ではない。

 剣閃が、ほんの短く飛んだ。


 飛ぶ斬撃というには短い。

 遠距離攻撃というほどでもない。


 だが、灰牙狼の鼻先を掠めるには十分だった。


 魔物が止まる。

 止まった瞬間、良樹の蒸気ランチャーが足元を撃つ。

 リシアの風が余波を流す。

 クラリスが横から抜けた一体を止める。


 流れができていた。


 良樹は盤の中で、配分を見た。


 カレン四。

 クラリス四。

 リシア二。


 そこから、一瞬だけクラリスへ五。

 カレンへ戻す。

 リシアは二を維持。

 必要な時だけ三へ寄せる。


 良樹が一人で決めているわけではない。


《私はまだ持ちます》

《クラリス、畑側をお願いします》


《はい》

《良樹くん、私へ一瞬》


「クラリス五」

「終わったら戻す」


《十分です》


《良樹、左に一つ》

《畑へ行かせない。土煙で返す》


「リシア三」

「畑側へ逃がすな」


《分かってる》


 リシアが土の魔力を混ぜた小弾を畑の手前へ落とす。

 土煙が上がる。

 灰牙狼が畑へ入るのを嫌って向きを変える。


 そこへ、カレンが回り込む。


 怖いはずだった。

 相手は速い。

 噛まれれば怪我では済まない。


 けれどカレンは、目を逸らさなかった。


 自分一人で全部を見る必要はない。


 上にはリシア。

 横にはクラリス。

 後ろには良樹。


 だから、自分は怖い場所だけを見る。


「そこは、通しません」


 カレンの声が、澄んでいた。


   ◇


 最後のコボルドが、旧街道側へ抜けようとした。


 良樹のスキャナーには反応が出ていた。

 だが、石垣の影で一瞬遅れる。


《旧街道側、一体抜ける》


 リシアの声。


 同時に、青白い光が旧街道側で弾ける。


《私が行きます》


 クラリスが走る。


「クラリス、脚へ回せ」

「具足を使え」


《はい》


 クラリスの足元に、魔力が形を成す。


 具足。


 踵。

 足首。

 膝。


 衝撃を地面へ逃がす道。


 クラリスは一気に距離を詰めた。


 コボルドが振り返る。

 手に石。

 逃げながら投げようとしている。


 クラリスは、その腕を壊さなかった。


 手首ではなく、肘。

 肘ではなく、肩。

 肩ではなく、重心。


 体勢を崩す場所を選ぶ。


 手甲を纏った拳が、コボルドの胸元へ触れた。


 衝撃が、外へ流れる。


 コボルドは倒れた。

 だが、砕けてはいない。


 クラリスは息を吐く。


《止めました》

《壊していません》


「よし」


 良樹は周囲を見る。


 スキャナー三基。

 反応は減っている。


 逃げた灰牙狼が二体。


 しかし、そちらは森へ戻っている。

 家畜小屋方向ではない。

 畑方向でもない。

 旧街道でもない。


「追わない」


 良樹は言った。


「生活圏から離れるなら、今は追わない」

「深追いして森へ入るな」


《了解》


《はい》


《妥当ね》


 リシアがゆっくりと高度を落とした。


 地面に足がついた瞬間、少しだけ膝が揺れる。


 良樹はすぐに見た。


「リシア」


「大丈夫」

「少し疲れただけ」


 クラリスの声が飛ぶ。


「良樹くん」

「その確認は私がします」


「了解」


 良樹は素直に引いた。


 クラリスはリシアの呼吸、足、手首、魔力の乱れを見る。


「長く浮きすぎるのは駄目ですね」


「分かってるわよ」

「でも、上から見るのは有効だった」


「はい」

「ただし次回から時間制限を決めましょう」


「良樹みたいなこと言うわね」


「良樹くんを壊さないためです」


「私の話じゃなかったの?」


「全員です」


 クラリスは穏やかに言った。


 その一言で、少し空気が緩んだ。


 カレンが、剣を下ろす。


「家畜小屋、無事です」

「畑も、大きな被害はありません」


 良樹は、ゆっくり息を吐いた。


「全員、怪我は」


「ありません」


 クラリスが即答した。


「軽い疲労と、魔力消耗」

「リシアは少し多め」

「カレンは脚に負担あり」

「私は問題ありません」


「クラリス」


「はい」


「自分も確認対象に入れろ」


 クラリスは、ほんの少しだけ目を丸くした。


 それから、柔らかく微笑む。


「はい」

「では、私も少し手首に負荷があります」

「ただし、以前よりずっと軽いです」


「それならいい」


「良樹くんの愛のおかげです」


「だから、その言い方をやめろ」


 リシアが横から呟く。


「でも、実際そうなのよね」


 カレンも小さく頷いた。


「はい」

「大事にされている形でした」


 良樹は眉間を押さえた。


「戦闘後にまで続けるな」


 だが、否定はできなかった。


 クラリスの手甲と具足。

 カレンの剣と脚。

 リシアの風と魔法。


 それぞれが、良樹の魔力を自分の形へ変えていた。


 良樹が三人を動かしているのではない。


 三人が、それぞれの場所から要求を返してきた。

 どこへ流すべきか。

 どれだけ必要か。

 誰へ譲るか。


 声が、端子台を通って返ってきた。


 良樹は盤を見る。


 三基のスキャナー。

 三つの端子台。

 三つの個別インバータ。

 一つの共通ブレーカー。


 これは、俺一人の盤じゃない。


 そう思った。


 これは、三人を動かす盤でもない。


 四人で使う盤だ。


   ◇


 ギルドへ戻った頃には、日が傾き始めていた。


 ガレスは、報告を最後まで聞いた。


 灰牙狼とコボルドの数。

 農家周辺の被害。

 家畜小屋の状態。

 畑の被害。

 逃げた二体の方向。

 旧街道への流入なし。

 農家の再確認が必要な場所。


 良樹は、討伐数よりも先に、被害状況を報告した。


 ガレスは一度も遮らなかった。


 最後に、腕を組む。


「十二を超える小物の群れを、生活圏で止めたか」


「ああ」

「ただし二体は森へ逃げた」

「追ってはいない」

「生活圏から離れたからだ」


「判断は妥当だ」


 ガレスは頷いた。


「深追いして森へ入れば、逆に危ねえ」

「農家、家畜、旧街道を守ったなら仕事としては十分だ」


 良樹は黙っていた。


 ガレスは続ける。


「大型トロルを倒した後、そこで終わりにしなかった」

「流れてきた小物を止めた」

「人が死ぬ前に」

「家畜が食われる前に」

「街道へ出る前に」


 ガレスの声が少し低くなる。


「派手じゃねえが、こういう仕事が一番効く」


「倒した数は、多くない」


「数じゃねえ」

「死ぬ前に止めたんだ」


 その言葉に、良樹は少しだけ目を伏せた。


 ガレスは、四人を順に見た。


「で」

「配分は誰が決めた」


 良樹は、少しだけ考えた。


 自分が決めた場面もある。

 リシアが上から見た。

 カレンが怖い場所を言った。

 クラリスが抜けと身体負荷を見た。

 三人が、自分ではなく他の誰かに回せと言った。


 良樹は答えた。


「四人で」


 ガレスは、短く笑った。


「なら、いい」


「いいのか」


「一人で全部見ようとする奴は、早く死ぬ」

「役割を分けて、声を聞ける奴の方が長く生きる」


 リシアが小さく言う。


「珍しくまともなこと言うわね」


「いつもまともだ」


 良樹は真顔で言った。


「そこは要確認だな」


「お前に言われたくねえ」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 だが、良樹の中にはまだ、端子台を通った声が残っていた。


 カレンの怖い場所。

 リシアの広い視界。

 クラリスの身体を見る感覚。


 それらが、声になって返ってきた。


 俺を英雄にしてくれ。


 そう言ったのは、自分だった。


 なら。


 その声を聞け。


 良樹は、そう思った。


   ◇


 拠点へ戻る道で、カレンが少し遅れて歩いていた。


 疲れているのだろう。

 だが、表情は暗くない。


 リシアはそれに気づき、少し歩調を緩めた。

 クラリスも自然に隣へ並ぶ。


 良樹が振り返る。


「カレン、足は」


「大丈夫です」

「少し疲れただけで」


「本当に?」


「はい」


 カレンは頷いた。


 それから、少しだけ顔を赤くした。


「あの」

「今日、戦闘中は……怖かったです」


「ああ」


「でも」

「リシアが上から見てくれて」

「クラリスが抜けたところを見てくれて」

「良樹さんが後ろで見てくれて」

「だから、私は入口を見られました」


 良樹は黙って聞いた。


「一人だったら、無理でした」

「でも、三人がいてくれたから」

「怖い場所だけ、見られました」


 リシアが、少しだけ目を伏せる。


「私もよ」

「良樹が下を見てくれてたから、浮けた」

「一人であれをやるのは、正直怖いわ」


 クラリスも頷く。


「私も、二人が止めてくれると分かっていたから」

「抜けたものだけを、壊さず止められました」


 三人は、少しだけ顔を見合わせた。


 そして、カレンが小さく言った。


「やっぱり」

「三人じゃないと、駄目ですね」


 リシアは苦笑する。


「そうね」

「誰か一人でも欠けたら、良樹も私たちも幸せになれないわ」


 クラリスは、柔らかく微笑んだ。


「はい」

「ですから、良樹くん」

「迷った時は、私たちの声を聞いてください」


 良樹は、三人を見た。


「……強いな、お前ら」


「今さら?」


 リシアが言う。


「つ、強くなりたいです」


 カレンが言う。


「良樹くんの隣に立つためです」


 クラリスが言う。


 良樹は、少しだけ息を吐いた。


「心臓に悪い」


 リシアが肩をすくめる。


「慣れなさい」


 クラリスが微笑む。


「夫になる方ですから」


「お、おっと……」


「まだだ」


 良樹が即座に言うと、クラリスはそのまま清楚に微笑んだ。


「予定です」


 リシアが頷く。


「確定予定ね」


 カレンは耳まで赤くなりながら、それでも逃げなかった。


「よ、予定です……」

「でも、撤回はしません……!」


 そこで、クラリスがふと思い出したようにリシアを見た。


「それはそうと、リシア」


「何? クラリス」


 リシアが何気なく返す。


 カレンが、胸元で両手を握ったまま、おずおずと口を開いた。


「あ、あの」

「いくらでも見せてあげるとは……」


 リシアの肩が跳ねた。


「カレン?」


 クラリスは、いつもの清楚な微笑みを浮かべた。


「ルール違反かどうか」

「あとでお話しましょう」


 にこり。


 あくまで清楚に。

 あくまで穏やかに。

 だが、逃がす気はなかった。


「だから、あれは違うのー!」


 リシアの声が、旧街道に響いた。


 良樹は黙って前を見た。


 ここで口を挟むと、たぶん自分も巻き込まれる。


 それくらいは、今日の端子台通話で学習していた。


 良樹は眉間を押さえた。


「外堀の埋め立て速度がおかしい」


 リシアが胸を張る。


「工程短縮よ」


「安全審査を通せ」


 クラリスがにこりと微笑んだ。


「三者承認済みです」


「発注者の承認がない」


 その時、クラリスがカレンを見た。


「カレン」

「いつものを言ってあげてください」


 リシアも腕を組んで頷く。


「そうね」

「ここはカレンの台詞ね」


「えっ」

「い、今ですか?」


「今よ」


「今です」


 カレンは困ったように二人を見る。

 それから、良樹を見る。


 顔は赤い。

 声も震えている。


 けれど、その目は逃げていなかった。


「よ、良樹さんの退路は――」


「待て」


「塞ぎました……!」


「待てと言った」


 リシアが即座に言う。


「もう塞がってるわ」


 クラリスも続ける。


「埋め立て済みです」


「施工じゃなくて埋め立てだ」


「そこを訂正するのですね」


 カレンは、胸元で両手を握った。


「に、逃げなくていいように、です……」


 良樹は、言葉に詰まった。


 それを言われると、弱い。


 逃げ場を奪われたのではない。

 逃げなくていい場所を、三人で作られた。


「……反則だろ、それ」


「す、すみません……」

「でも、撤回はしません……」


 リシアが少しだけ笑った。


「強くなったわね、カレン」


 クラリスも頷く。


「はい」

「とても」


 カレンは真っ赤になって俯いた。


 だが、良樹の退路は塞いだままだった。


   ◇


 拠点へ戻ると、良樹は試験台へ向かった。


 メモを取るためだ。


 リシアが即座に腕を組む。


「良樹」


「分かってる」

「長くはやらない」


 クラリスが静かに言う。


「時間を決めましょう」


「三十分」


「十五分です」


「二十分」


「十五分です」


「……了解」


 カレンが少し笑った。


 良樹は椅子に座り、紙を広げる。


 書くべきことは多い。


 スキャナー三基。

 平面索敵。

 リシア高所索敵。

 信号弾。

 蒸気ランチャー。

 エアーカーテンによる余波制御。

 端子台通話。

 カレンの剣への魔力纏い。

 刀身延長。

 短距離剣閃。

 クラリスの手甲と具足。

 反動吸収。

 共通ブレーカー配分。


 そして、最後に一行。


 四人で使う盤。


 良樹は、その文字を見た。


 自分一人では、あの戦場は見えなかった。


 リシアが上を見た。

 カレンが怖い場所を見た。

 クラリスが身体と抜けを見た。

 自分は地上と盤を見た。


 四つの視界が繋がって、初めて仕事になった。


 良樹は、静かにペンを置いた。


「十五分」


 クラリスの声がした。


「まだ十二分だ」


「残り三分で片付けてください」


「厳しいな」


「大事にしていますので」


 良樹は、言い返せなかった。


 リシアが笑い、カレンが小さく頷き、クラリスが穏やかに微笑む。


 良樹は、メモを畳んだ。


 英雄になるには、まだ遠い。


 だが、今日一つ分かった。


 英雄になる道は、一人で歩くものではない。


 三人が声を返してくれる。


 その声を聞けるなら。


 たぶん、自分はもう少し遠くまで行ける。


 良樹は、三人を見た。


「今日は助かった」


 リシアが肩をすくめる。


「当然でしょ」


 カレンが胸元で手を握る。


「はい」

「これからも、助けます」


 クラリスが微笑む。


「良樹くんを英雄にするためですから」


 良樹は、少しだけ笑った。


「頼む」


 三人が、同時に頷いた。

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