第24話 前方安全確認(挿絵有)
町外れの古い水路跡は、入口からして嫌な顔をしたくなる場所だった。
低い石組み。
半分だけ崩れた縁。
苔の生えた石蓋。
その隙間から、湿った空気が流れてくる。
地上に浅く残った水路は、ところどころで石蓋の下へ潜り、暗渠になっている。
広い場所なら立って歩けそうだが、奥へ行けば天井が低くなりそうだった。
足元には浅い水。
石の隙間には泥。
壁には黒ずんだ染み。
水音は小さいのに、妙に耳につく。
良樹は入口を見て、息を吐いた。
「暗い」
「狭い」
「濡れてる」
「足場が悪い」
「退路が限られる」
「声が反響する」
「前が止まったら後ろが詰まる」
「後ろから来られたら振り返りにくい」
並べてから、もう一度息を吐く。
「最悪だな」
リシアが横で眉を寄せた。
「よくそんなに嫌なところを並べられるわね」
「嫌なところを並べるのが仕事だ」
「そういう仕事なの?」
「俺の世界では、まあ、半分くらいそうだった」
良樹は腰袋を確かめた。
工具。
紐。
布。
小さな木片。
予備の革手袋。
魔導盤だけではない。
足場の確認や、危険箇所の印にも使えるものを持ってきている。
カレンは入口付近で膝を少し曲げ、足元の石を見ていた。
「ここ、濡れているだけじゃありません」
「石が浮いているところがあります」
声は小さい。
けれど、目は逃げていなかった。
怖い場所を、怖いまま見ている。
クラリスはカレンの右足を見て、それから水路の縁へ視線を移した。
「足首を取られやすそうですね」
「踏み込むより、置く場所を選んだ方が良さそうです」
リシアは杖を軽く持ち上げた。
「光は私ね」
「ただ、火を強くしすぎるのはやめておくわ」
「熱がこもるし、奥の空気もよく分からないもの」
「助かる」
良樹は頷いた。
「火力じゃなくて照明として頼む」
「眩しすぎると、逆に影が濃くなる」
「分かってるわよ」
「私だって、ただ燃やせばいいと思ってるわけじゃないわ」
「照明設計みたいなこと言い出したな」
「何それ」
「いいことだ」
リシアは少しだけ不満そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
良樹は入口の暗がりを見た。
水路の中は、こちらから見るよりずっと奥が暗い。
曲がり角も多い。
地上と暗渠が混じっているせいで、空間の広さも一定ではない。
全部を見るのは無理だ。
少なくとも、一人で全部見るのは。
「隊形を決める」
良樹は言った。
三人がこちらを見る。
「前は任せる」
「後ろは俺が見る」
カレンが、少しだけ目を開いた。
「前、ですか」
「ああ」
「カレンは足場、曲がり角、怖い場所を見る」
「止まった方がいいと思ったら、止めてくれ」
「はい」
「見ます」
カレンは頷いた。
その声に、震えはあった。
だが、引く気配はなかった。
「リシアは光源」
「前方と足元を照らしてくれ」
「ただし、強すぎる火はなしだ」
「分かったわ」
「クラリスは、カレンとリシアの身体を見る」
「姿勢、足首、膝、腰」
「あと、俺が変な無理をしてたら言ってくれ」
クラリスは穏やかに微笑んだ。
「はい」
「身体を見るのが私の役目ですから」
「便利な役目だな」
「便利です」
良樹は軽く息を吐き、胸の前に魔導盤を開いた。
半透明の盤。
細い線。
回転する魔導レーザー。
味方の魔力を表面で拾わず、奥を通すための未完成の線。
回転の速度を落とす箇所。
見たい方向で止めるための仮置き。
まだ完璧ではない。
むしろ実戦投入するには、まだ粗が多い。
だが、今は後ろを見るだけなら使える。
「俺は少し後ろからついて行く」
「後方スキャナーを回す」
「背後、退路、後ろからの接近を見る」
リシアが少し眉を寄せた。
「良樹が一人で後ろで大丈夫なの?」
「一人じゃねえよ」
良樹は前を見る。
リシア。
カレン。
クラリス。
三人がいる。
「前にお前らがいる」
リシアは一瞬だけ黙った。
カレンは胸元で手を握った。
クラリスは、静かに目を細めた。
「……そう」
リシアは小さく息を吐いた。
「なら、前は任されるわ」
「ああ」
「頼む」
◇
水路の中は、思った以上に音が響いた。
足を置く音。
水を踏む音。
衣擦れ。
杖の先が石を軽く叩く音。
それらが壁に当たり、少し遅れて耳へ返ってくる。
リシアの灯した光が、低く前方を照らしていた。
強くはない。
眩しくもない。
足元の石。
浅い水。
曲がり角の壁。
低い天井。
必要な場所だけが、淡く浮かび上がる。
カレンは先頭寄りで進んでいた。
剣に手を添え、しかし抜き切らない。
足元を見る。
水の下を見る。
石の浮き方を見る。
前方の曲がり角を見る。
怖がっている。
それは分かる。
けれど、怖いからこそ雑に進まない。
クラリスは少し後ろから、カレンとリシアの姿勢を見ている。
法衣の裾を片手で少し持ち上げ、濡れた石に引っかけないようにしていた。
その動きが妙に自然で、白い足首が光に浮かぶ。
良樹は、後ろからついて行った。
魔導盤は後方へ向けている。
背後の暗がり。
通ってきた水路。
横穴。
崩れた石蓋の隙間。
スキャナーは後ろを見ている。
だが、目は前についている。
目の前には、腰をかがめて進む三人がいる。
カレンは、足場を見るたびに少し腰を落とす。
剣を邪魔にしないよう、身体の向きを細かく変える。
短すぎないが動きやすい服の裾が、足運びに合わせて揺れる。
リシアは光を低く落とすため、自然と前かがみになる。
黒い髪が肩から少し落ち、横顔が淡い光に照らされる。
白い肌と、真剣な目。
昨日の水着の記憶が、不用意に脳内で異常履歴を開こうとする。
クラリスは法衣の裾を押さえながら、濡れた床を滑らないように進んでいる。
上品な動きのはずなのに、足の置き方は妙に実戦的だった。
膝、腰、重心。
どこも崩れていない。
そんな場合じゃない。
そんな場じゃない。
暗所。
狭所。
水気。
足場不良。
退路制限。
後方警戒。
確認事項はいくらでもある。
だが。
目の前で三人が腰をかがめて進んでいる。
精神衛生上、これはかなり悪い。
「良樹」
前からリシアの声がした。
「何だ」
「後ろ、見てるのよね?」
「スキャナーは後ろを見てる」
「目は?」
「……前方安全確認も必要だろ」
リシアが少しだけ振り返る。
「今、前方の何を確認してたの」
「進行姿勢」
「言い方で逃げない」
「逃げ道が狭い場所でそれを言うな」
「そういう時だけ上手く返さないで」
カレンの肩が少し揺れた。
笑いそうになったらしい。
クラリスは、口元に手を添えていない。
任務中だからだ。
しかし、目元だけは少し柔らかかった。
「良樹くん」
「何だ」
「肩に力が入っています」
「誰のせいだと思ってる」
「水路のせいでしょうか」
「水路だけじゃねえ」
「では、呼吸を一つ置いてください」
「後方を見るなら、肩より目と盤です」
良樹は言い返せず、息を吐いた。
実際、肩に力が入っていた。
狭い。
暗い。
水音が反響する。
前には三人。
後ろには暗がり。
思っているより、神経を使う。
良樹は魔導盤へ意識を戻した。
後方三十。
反応なし。
後方四十。
反応なし。
曲がり角の奥。
今のところ反応なし。
大丈夫。
まだ、大丈夫。
◇
水路は途中で低くなった。
石蓋の下を通る暗渠になり、背筋を伸ばすと肩が当たる。
四つん這いになるほどではないが、腰を屈めなければ進めない。
カレンが先に立ち止まった。
「ここから、少し低いです」
「頭をぶつけないようにしてください」
「了解」
良樹は答えた。
カレンは一歩ずつ進む。
石を踏む前に、水の下へ剣の鞘を軽く入れる。
沈み方を見て、それから足を置く。
リシアは、光をさらに低くした。
水面の反射が強くなりすぎない位置。
足元は見えるが、目には刺さらない明るさ。
「リシアさん、少し腰が落ちています」
クラリスが言った。
「え?」
「その姿勢だと、長く続けると腰に来ます」
「光を下げるなら、腕の角度を少し変えた方がいいです」
「こう?」
「はい」
「その方が楽です」
リシアは少し試し、驚いたように目を瞬かせた。
「本当だわ」
「無理な姿勢は、後で効きますから」
クラリスはそう言って、次にカレンを見る。
「カレンさん、右足を少し外へ逃がしてください」
「その石、濡れているだけでなく、傾いています」
「はい」
カレンは素直に足を置き直した。
良樹は、それを後ろから見ていた。
自分が言う前に、クラリスが見る。
カレンが聞く。
リシアが直す。
一人で全部見る必要がない。
そう思った瞬間、背中側の盤に、かすかな反応が入った。
だが、すぐに消える。
水路内の反響か。
小動物か。
魔物か。
良樹は足を止めかけたが、まだ声には出さなかった。
もう少し見る。
スキャナーを後方へ厚く回す。
前方は薄くなる。
前は三人がいる。
なら、後ろを見る。
良樹は意識を背後へ残した。
◇
しばらく進むと、暗渠の先が少し開けているのが見えた。
低い天井が途切れ、石組みの溜まり場のような空間になっている。
水路が左右から合流し、中央に浅い水が溜まっていた。
その手前で、カレンが止まった。
急停止ではない。
足を置く前に、呼吸を止めたような止まり方だった。
「止まってください」
その声に、良樹は反射で止まった。
リシアも止まる。
クラリスも止まる。
誰も、理由を聞いてから止まらなかった。
「止まった」
良樹は短く返す。
「何か見えたか」
カレンは前を見たまま、少しだけ首を振った。
「見えたわけじゃありません」
「でも、ここから先、床の音が少し違います」
「音?」
「はい」
「水の下が、空いているかもしれません」
良樹は視線を前方の水面へ向けた。
見ただけでは分からない。
水は浅い。
石も見える。
ただ、確かに水音が少し違う。
流れが、妙に軽い。
良樹は腰袋から細い木片を取り出し、カレンの横から水面へ伸ばした。
足元に注意しながら、石の端を突く。
こつ。
その次。
こん、と軽い音がした。
空洞だ。
良樹は、さらに別の場所を突いた。
石がわずかに沈む。
水が濁る。
下の泥が抜けている。
「……よく気づいたな」
良樹は呟いた。
カレンは、まだ前を見ている。
「怖かったので」
「怖いから止まれる、か」
「はい」
「怖いまま進むと、戻れなくなる気がしました」
良樹は木片を引いた。
「助かった」
「まだ何も起きていません」
「起きる前に止まれたなら、それが一番いい」
カレンの肩が、ほんの少しだけ動いた。
嬉しかったのか。
照れたのか。
怖さが抜けたのか。
たぶん、全部だった。
その時だった。
良樹の後方スキャナーに、はっきりと反応が入った。
後方。
通ってきた暗渠。
距離、三十。
小型。
速い。
「後ろに、小型の魔物の反応あり」
良樹が言った瞬間、リシアの声が飛んだ。
「良樹! 方向と距離感!」
「距離三十!」
「通路の真ん中だ!」
リシアは振り返らない。
杖だけを後方へ向ける。
低い天井。
狭い通路。
水面。
反響。
それでも、リシアの魔力は迷わなかった。
「四魔素穿弾!」
光が後方の暗がりを裂いた。
火。
水。
風。
土。
四つの魔素を細く束ねた弾丸が、通路の中央を抜ける。
暗がりの奥で、短い断末魔が聞こえた。
何かが水を跳ねさせ、倒れる音。
良樹は肉眼では見なかった。
後方スキャナーを見る。
反応が、消える。
「反応、消えた」
「前、コボルドの群れ、います!」
カレンが叫んだ。
前方の開けた空間。
崩れかけた石組みの奥。
そこに、小柄な影がいくつも動いていた。
獣じみた耳。
細い腕。
手にした錆びた刃物。
濁った目。
コボルド。
数は、五。
いや、奥にもう一体。
カレンは剣を抜いた。
クラリスは法衣の裾から手を離し、杖を構える。
リシアは後方を撃った直後だった。
魔力の流れが、まだ杖先に残っている。
クラリスが、静かに微笑んだ。
「リシアさんだけに、いいところを持っていかれるわけにはいきませんね、カレンさん」
カレンは一瞬だけクラリスを見る。
怖がっていた。
けれど、目は引いていない。
「……はい!」
「では、私たちが適当にあしらいます」
「お願いしますね」
「いきます!」
カレンが駆けた。
濡れた石の上を、踏み抜かない位置だけ選んで走る。
速い。
だが、速すぎない。
怖いところで、急がない。
クラリスがその横へ滑るように並ぶ。
法衣が水を弾く。
杖の先が低く構えられる。
僧侶の動きではない。
少なくとも、後ろで祈っているだけの動きではない。
良樹は前を見たくなった。
カレンの踏み込み。
クラリスの入り身。
リシアの魔力。
全部、見たい。
だが、背後を見る。
後方スキャナー。
通路。
暗がり。
倒れた反応の先。
さらに奥。
今はまだ、追加反応なし。
前方で、カレンが一体目のコボルドの刃を受け流した。
受け切らない。
外へ逃がす。
足を残す。
戻る場所を残す。
良樹はそれを、横目で見た。
カレンは怖いまま、前に出ている。
クラリスが左側から入り、別のコボルドの膝を杖で払った。
倒れかけた相手の顎を、柄の端で正確に打つ。
水音。
低い呻き。
だが、奥の二体が左右へ開いた。
リシアの魔力が、膨らむ。
良樹には、それが見えた。
一発ではない。
二発。
右と左。
ほぼ同時に、前方のコボルド二体を抜く線。
だが、その線上にはカレンとクラリスがいた。
リシアは撃つ。
もう、声を出して説明する余裕はない。
だから、良樹が声を出した。
「クラリス、左に寄れ!」
「カレン、下がれ!」
命令ではなかった。
リシアの射線だ。
リシアが撃とうとしている。
良樹は、その線を読んだだけだ。
クラリスは迷わなかった。
左へ跳ぶ。
カレンも、理由を問わず一歩下がった。
その瞬間、空いた。
射線が。
「四魔素穿弾!」
二つの光が、水路の暗がりを裂いた。
右。
左。
濡れた石の上を低く走り、コボルド二体を正確に撃ち抜く。
良樹は撃っていない。
だが、通した。
リシアの魔法を。
カレンとクラリスの動きを。
四人の間に一瞬だけ生まれた、戦うための回路を。
前方でコボルドが崩れた。
しかし、その瞬間、後方スキャナーにまた反応が入る。
後方通路。
先ほどの死角のさらに奥。
一体。
速い。
「リシア!」
「後方通路からもう一体!」
「足止め優先だ!」
リシアは即座に杖を返した。
「氷閃槍!」
氷の槍が、敵を直接狙わず、床へ突き立った。
一本。
二本。
三本。
濡れた石床に氷が走り、低い柵のように立ち上がる。
暗がりから飛び込もうとしていたコボルドが、急停止した。
爪が石を掻く。
足が滑る。
前へ出られない。
「止まった!」
良樹が言う。
「なら、十分!」
リシアは短く返した。
前方では、カレンとクラリスが最後の二体を相手にしていた。
カレンの剣が、相手の刃を弾く。
弾いた反動で踏み込みすぎない。
半歩残す。
怖いから、相手の爪を見る。
怖いから、足元を見る。
怖いから、止まれる位置を残す。
コボルドが横へ逃げようとした。
そこへ、クラリスが入る。
白い法衣。
細い腕。
穏やかな顔。
だが、目は冷えていた。
杖の先が、コボルドの足首を絡める。
軽く引く。
重心が崩れる。
その顎へ、杖の柄が入った。
同時に、カレンの剣がもう一体の武器を弾き飛ばし、胴を打つ。
水音が重なった。
二体が、ほぼ同時に倒れた。
静寂。
水音だけが残る。
カレンは剣を構えたまま、呼吸を整えている。
クラリスも杖を下ろさない。
リシアは後方へ杖を向けたまま、氷の壁の先を見ている。
「良樹くん、周囲は」
残心中のクラリスが問う。
良樹は即答しなかった。
魔導盤を見る。
後方。
前方。
左右の横穴。
開けた空間の奥。
探知半径を広げる。
十。
二十。
三十。
四十。
五十。
数拍。
水音。
誰かの呼吸。
リシアの氷が小さく軋む音。
「探知半径五十」
「反応なし」
「後方のやつは、逃げていった」
リシアが少しだけ息を吐いた。
「追う?」
「追わない」
良樹は即答した。
「確認依頼だ」
「ここで追えば、こっちが誘い込まれる」
カレンも頷いた。
「はい」
「追いません」
クラリスが杖を少し下ろす。
「賛成です」
「足場も悪すぎます」
良樹は、もう一度周囲を確認した。
反応なし。
今度こそ、息を吐く。
「……全員、無事か」
「無事よ」
リシアが答えた。
「大丈夫です」
カレンが続く。
「少し裾が濡れましたが、問題ありません」
クラリスが微笑む。
「それは無事の範囲なのか」
「はい」
「ならいい」
四人は、互いの顔を見た。
リシアは杖を下ろし、息を整えている。
カレンは頬を赤くしながら、それでも剣を持つ手を緩めていない。
クラリスは法衣の裾を少し濡らしながらも、涼しい顔をしている。
誰も倒れていない。
誰も無理をしていない。
誰も置いていかれていない。
良樹は、思わず右手を上げた。
三人が、不思議そうに見る。
「何?」
リシアが聞いた。
「俺の世界の、まあ……よくやった、みたいなやつだ」
「手を、合わせるんですか?」
カレンが首を傾げる。
「ああ」
「軽くな」
最初にリシアが手を出した。
ぱん、と乾いた音が、水路に響く。
「こう?」
「ああ」
カレンがおそるおそる手を出す。
ぱん。
「……できました」
「いや、そんな難しい儀式じゃねえけどな」
クラリスは微笑みながら、少し強めに手を合わせた。
ぱん。
「良いですね、これ」
「そうか?」
「はい」
「全員、無事に戻れる気がします」
良樹は少し黙った。
それから、三人を見た。
リシア。
カレン。
クラリス。
もう一度、四人で手を合わせた。
水路の中に、軽い音が四つ重なった。
◇
帰り道は、来た時より静かだった。
カレンは前を見ている。
リシアは光を落としている。
クラリスは全員の足元と身体を見ている。
良樹は後ろを見ている。
同じ隊形。
だが、行きとは少し違っていた。
良樹は、さっきの戦闘を思い返していた。
リシアは、カレンとクラリスが避けることを疑っていなかった。
カレンとクラリスも、良樹の声を聞いた瞬間、理由を問わなかった。
良樹は、リシアが撃つと分かった。
カレンとクラリスが動くと信じて、声を出した。
誰か一人が考えて、全員を動かしたわけではない。
それぞれが、それぞれを信じていた。
その間に、良樹の声が通った。
回路みたいだ、と良樹は思った。
入力がある。
条件が揃う。
信号が通る。
出力が出る。
ただし、盤の中ではない。
リシアがいて。
カレンがいて。
クラリスがいて。
自分がいる。
四人の間に、線が通っていた。
「良樹」
リシアが前から声をかけた。
「何だ」
「さっき、よく分かったわね」
「何が」
「私が撃つ線」
「ああ」
良樹は少しだけ考えた。
「お前が撃つ線が見えた」
リシアは、少しだけ黙った。
「声を出す余裕、なかったわ」
「だろうな」
「助かった」
「こっちこそ」
カレンが少し振り返る。
「私も、分かりました」
「良樹さんの声で下がったら、リシアさんが撃つんだって」
クラリスも頷いた。
「はい」
「リシアさんの魔力も、良樹くんの声も、同じ方向を向いていました」
「お前ら、もうそこまで噛み合ってたのか」
良樹が言うと、リシアは少しだけ笑った。
「今さら?」
「今さらなのか」
「そうよ」
「恋敵ではあるけど、仲間だもの」
クラリスが穏やかに微笑む。
「敵ではありませんから」
カレンは少し顔を赤くしながらも、はっきり言った。
「二人がいるなら、前に出られます」
「怖いですけど」
「でも、見られます」
良樹は何も言えなかった。
三人はもう、互いを信じている。
リシアはカレンが前で止めると信じている。
クラリスが無理を見てくれると信じている。
カレンはリシアが必要な時に撃ってくれると信じている。
クラリスが隣で捌いてくれると信じている。
クラリスはカレンが怖くても前を見続けると信じている。
リシアが無茶な火力を出さず、必要な線を撃つと信じている。
その信頼の中に、自分の声が入った。
邪魔をしなかった。
通せた。
良樹は、胸の奥で何かが決まっていくのを感じた。
◇
水路跡から出ると、外の光が眩しかった。
湿った空気から抜け、乾いた風が頬を撫でる。
四人はしばらく、入口の外で立ち止まった。
良樹はもう一度、水路跡を振り返る。
暗い。
狭い。
濡れている。
戻りにくい。
嫌な場所だった。
だが、戻ってこられた。
カレンは前を見ていた。
リシアは光を落としていた。
クラリスは足元と身体を見ていた。
自分は後ろを見ていた。
一人ではなかった。
前を任せられた。
後ろを見ることができた。
それが、思った以上に大きかった。
「助かった」
良樹は言った。
リシアがこちらを見る。
「それ、誰に言ってるの?」
「全員にだ」
カレンは少し困ったように眉を下げた。
「私は、怖かっただけです」
「怖いから止まれた」
「それに助けられた」
カレンの顔が、少し赤くなる。
「……はい」
クラリスが静かに言った。
「良樹くんは、後ろを見ていました」
「ああ」
リシアが聞く。
「前は?」
「任せた」
「任せられた?」
良樹は、少し黙った。
そして、頷いた。
「ああ」
「任せられた」
リシアは、何かを言いかけてやめた。
カレンは胸元で手を握った。
クラリスは、柔らかく微笑んだ。
良樹は、三人を見た。
この三人となら進める。
そう思った。
ただの仲間ではない。
ただの魔法使い、剣士、僧侶でもない。
守る対象だけでもない。
一緒に危険な場所へ入り。
一緒に止まり。
一緒に戦い。
一緒に戻ってこられる相手だ。
ガレスの言葉が、胸の奥で蘇る。
英雄。
妻を何人も娶れる男。
優秀な血を残すための制度。
そんな大層な話ではないと思っていた。
今でも、世界を救いたいわけではない。
名誉が欲しいわけでもない。
だが。
三人を泣かせたくない。
三人を曖昧な立場に置きたくない。
三人と胸を張って並びたい。
そのための道があるなら。
険しくても、そこへ行くしかない。
「良樹?」
リシアが呼ぶ。
良樹は顔を上げた。
「……いや」
「どうかしましたか?」
カレンが不安そうに聞く。
良樹は、三人を見た。
逃げるな。
できねえ理由を並べる前に、どうすりゃできるか考えろ。
十鉄の声が、頭の奥で鳴った気がした。
「戻ったら、話がある」
三人が、少しだけ動きを止めた。
クラリスが静かに問う。
「大事なお話ですか?」
「ああ」
良樹は頷いた。
「逃げずにする話だ」
リシアは、少しだけ目を細めた。
カレンは胸元で手を握った。
クラリスは、真っ直ぐ良樹を見た。
「分かりました」
リシアが言った。
「聞くわ」
「はい」
カレンが頷く。
「聞きます」
クラリスも微笑まずに頷いた。
「私も、聞きます」
良樹はもう一度、水路跡の入口を見た。
暗い。
狭い。
濡れている。
戻りにくい。
だが、出てこられた。
前を任せて。
後ろを見て。
四人で。
良樹は、小さく息を吐いた。
「前は任せた」
三人がこちらを見る。
良樹は、少しだけ口元を引き締めた。
「次は、俺が前に出る番だ」




