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第22話 泳ぐためです(挿絵有)

 作業場付きの貸家で迎える朝は、宿の朝とは少し違っていた。


 焼いたパンの匂い。

 薄いスープの湯気。

 椅子を引く音。


 それらはいつもと同じなのに、すぐ近くには作業台があり、壁際には昨日運び込んだ工具箱が並んでいる。

 棚にはまだ空きが多く、床には一時置きされた荷物がいくつか残っていた。


 拠点。


 そう呼ぶには、まだ落ち着かない。

 けれど、宿とは違う。


 ここは、四人で使う場所だった。


 良樹は朝食を終えると、当然のように一階の作業場へ向かった。


 棚を開ける。

 閉める。

 作業台の脚を揺らす。

 窓の位置を見る。

 火を使う場所と、布を置く場所の距離を見る。

 工具箱の蓋を開け、腰袋の中身を確認し、また閉じる。


 リシアは、その背中を見てため息を吐いた。


「……朝から何してるの」


「動線確認」


「朝から?」


「朝だからだろ。使い始める前に見る」


「引っ越し祝いの朝に?」


「引っ越し祝いを安全にやるためにも必要だ」


「そこまで誰も言ってないわよ」


 良樹は本気だった。


 リシアは椅子の背にもたれ、額に手を当てる。

 カレンは少し困ったように笑い、クラリスは穏やかに良樹の肩の動きを見ていた。


「良樹くん」


「何だ」


「今日は少し、休む日でも良いと思います」


「休む?」


 良樹が振り返る。


 その顔が、まるで知らない単語を聞いたようだったので、リシアは半眼になった。


「休む、よ。知ってる?」


「知ってる」


「意味も?」


「作業効率を落とさないために、身体と頭を復旧させる時間」


「間違ってないけど、違うのよ」


 クラリスは小さく笑った。


「せっかく拠点を借りたのですから、引っ越し祝いをしてはどうでしょう」


「祝い?」


「はい。川原で簡単な焼き物など」


 カレンが少しだけ顔を上げた。


「あ、あの……川原なら、広いですし」

「火を使っても、場所を選べば安全だと思います」


「川原か」


 良樹の目が、少しだけ仕事の目になった。


「水場が近い。火の後始末もしやすい」

「ただ、足場と流れは確認が要るな」

「荷物置き場、火床、風向き、退避路――」


「待って」


 リシアが手を上げた。


「お祝いの話よ」


「だから、安全なお祝いの話だろ」


「そうだけど、そうじゃない」


 リシアは深く息を吐いた。


 だが、川原での焼き物という案そのものは悪くなかった。


 最近は依頼と確認と魔導盤の話ばかりだった。

 拠点を借りた。

 同じ家で暮らし始めた。

 なら、少しくらい、四人でそれらしいことをしてもいい。


「……それでいいんじゃない?」


 リシアが言う。


「川原で焼き物」

「肉とか魚とか、野菜とか」


「良いですね」


 クラリスが頷く。


「体力も戻せますし、良樹くんにも休んでいただけます」


「俺は休むつもりで火床を組むが」


「だから休みなさいって言ってるのよ」


 カレンが、おずおずと手を上げた。


「あ、あの……せっかく川に行くなら」

「少し、泳ぐのも……ありでしょうか」


 その瞬間、リシアの目が少しだけ動いた。


 クラリスも、静かにカレンを見る。


「泳ぐ?」


 良樹が聞き返す。


「はい」

「川なら、浅い場所もあると思いますし」

「その……引っ越し祝い、ですし」


「泳ぐなら、深さと流れの確認が先だな」

「あと、濡れた後の体温低下と、滑りやすい石――」


「良樹」


 リシアが遮った。


「何だ」


「泳ぐ服がいるわ」


「服?」


「水に入るための服」


「ああ、装備か」


「装備って言わない」


 リシアは立ち上がった。


「良樹は食材と火の準備」

「それから、どうしてもやりたいなら川原の安全確認」


「どうしてもというか、必要だろ」


「はいはい。必要ね」

「私たちは、泳ぐための服を見てくる」


 カレンの肩が揺れた。


「えっ」


 クラリスは、穏やかに頷いた。


「そうですね。水に入るなら必要です」


「お、お店に……ですか」


「ええ」


 リシアはカレンを見る。


「行くわよ、カレン」

「クラリスも」


「はい」


「は、はい」


 良樹は、何も分かっていない顔で頷いた。


「滑りにくいのにしろよ」


 リシアは振り返った。


「良樹」


「何だ」


「そういう問題じゃないのよ」


 そう言って、三人は家を出た。


 良樹は少し首を傾げたが、すぐに腰袋を確認した。


 食材。

 火起こし。

 風向き。

 水場。

 片付け。


 考えることは多い。


 その頃、三人娘はすでに、良樹とはまったく別の意味で考えることが多くなっていた。


   ◇


 水に入るための服を扱う店は、市場の端にあった。


 旅人や冒険者が使う簡素なもの。

 泳ぎに慣れた町の者が使う、動きやすいもの。

 水辺の祭りで着るような、少し華やかなもの。


 リシアは店先で足を止めた。


「……一応、確認しておくわよ」


 カレンが肩を揺らす。


「は、はい」


 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「確認は大事ですね」


「これは、泳ぐための服よね」


「はい。泳ぐためです」


「お、泳ぐためです」


 クラリスとカレンが頷く。


 リシアは二人を見た。


「良樹に見てもらうためじゃ、ないわよね」


 沈黙。


 とても長い沈黙だった。


 カレンは近くに掛けられていた青い水着を見つめたまま、耳まで赤くなった。


「あ、あの……泳ぐため、です」


「うん」


「でも……」


「でも?」


「良樹さんに、変だと思われたくは……ないです」


 リシアは少しだけ目を細めた。


 クラリスはにこりと微笑む。


「つまり、期待はありますね」


「き、期待……」


「ありますか?」


 カレンは真っ赤になったまま、小さく頷いた。


「……あります」


 リシアは腕を組んだまま、少しだけ顔を赤くした。


「まあ、期待だけならセーフね」


「セーフです」


 クラリスが即答した。


「せ、セーフ……ですか?」


「セーフよ」


 リシアは言った。


「カレンのは動きやすさ重視だし」

「泳ぐため」

「川辺で安全に動くため」

「良樹に可愛いと思われたい気持ちが少し混じっていても、狙いではないわ」


 カレンは、青い水着を胸元に抱えた。


「す、少し……」


 クラリスが微笑む。


「少し、ということにしましょう」


「クラリス」


「はい。カレンはセーフです」


 リシアは頷いた。


「カレンはセーフ」


 カレンが選んだのは、青系の水着だった。


 上は身体にしっかり沿う形で、肩が動かしやすい。

 下は短い布で足を邪魔しない。

 可愛いというより、爽やかで、動ける形。


 良樹の世界で言うなら、ビーチバレーの選手が着るような水着に近かった。


 もちろん、カレンはそんなものを知らない。

 ただ、見て分かる。


 走れる。

 跳べる。

 踏み込める。

 水辺でも、戻る足を残せる。


 そういう形だった。


「カレンには、無理に大人っぽいものより、こちらの方が似合います」


 クラリスが言った。


「そう?」


 リシアも頷く。


「うん。似合う」

「カレンはそういう、ちゃんと動ける感じの方がいいわ」


「動ける感じ……」


「健康的、というのでしょうか」


 クラリスが続ける。


「良樹くんも、そういうところを見てくださると思います」


 カレンは完全に固まった。


「良樹さんが……」


 リシアはクラリスを見た。


「クラリス、今のは刺さりすぎ」


「事実ですから」


 カレンは、青い水着をぎゅっと抱えた。


 次に、クラリスがリシアの手元を見た。


「では、リシアはどうでしょう」


「私?」


 リシアの手には、白いビキニと青系のショートパレオがあった。


 カレンが小さく呟く。


「白……綺麗です」


「青のパレオも、リシアらしいですね」


 クラリスが続ける。


 リシアは少しだけ視線を逸らした。


「青は、いつもの色に近いから落ち着くだけよ」

「それに白は、水辺だと暑苦しくないでしょ」

「パレオもあるから、別に露出が多すぎるわけじゃないし」


「ショートですけど」


 クラリスが言った。


「泳ぐ時に長いと邪魔でしょ」


「ビキニですけど」


「泳ぐためよ」


「良樹くんの記憶に残りそうですね」


「クラリス」


 リシアの声が低くなる。


 だが、カレンは水着を見ながら、真面目に言った。


「でも、似合うと思います」

「その……リシアは、白と青が似合います」


 リシアは言葉に詰まった。


「……そう?」


「はい」


 カレンは頷いた。


「良樹さんも、そう思うと思います」


「っ……」


 リシアの顔が赤くなった。


 クラリスが静かに微笑む。


「期待はありますか?」


「……あるわよ」


 リシアは小さく言った。


「でも、狙ってるわけじゃない」

「これは、泳ぐため」

「あと、その……」

「最初の時みたいに、事故じゃなくしたいだけ」


 その言葉に、カレンが少しだけ目を伏せた。

 クラリスも、柔らかく頷いた。


 リシアは良樹と最初に水辺で出会っている。

 それが事故だったことも、三人は知っている。


 クラリスは言った。


「リシアもセーフです」

「事故を上書きするための、正当な準備です」


「正当な準備って言い方、便利すぎない?」


「便利です」


 カレンも小さく頷く。


「リシアは、セーフだと思います」


 リシアは白と青の水着を抱え直した。


「……なら、セーフね」


 そして最後に、リシアとカレンはクラリスを見た。


 クラリスの手には、黒い水着があった。

 黒いビキニ。

 そして、同じ黒系のロングパレオ。


 リシアは黙った。

 カレンも黙った。


 しばらくして、リシアが口を開いた。


「……クラリス」


「はい」


「それは?」


「泳ぐための服です」


「本当に?」


「はい」


「黒ビキニよ」


「はい」


「ロングパレオよ」


「はい。移動中も落ち着きます」


「落ち着く?」


 リシアは眉を寄せた。


「それ、良樹が落ち着かない方の服じゃない?」


「そうでしょうか」


「そうよ」


 カレンは真っ赤になりながらも、黒い水着を見ていた。


「あ、あの……すごく、似合うと思います」


「ありがとうございます、カレン」


「でも、その……良樹さんは、たぶん困ると思います」


「困らせるつもりはありません」


 クラリスは穏やかに微笑んだ。


「ただ、私も水に入りますから」

「水に入るなら、水に入る服が必要です」

「黒は濡れても落ち着いて見えますし」

「ロングパレオなら、移動中も安心です」


 リシアは腕を組んだ。


「言ってることは正しいのよ」


「はい」


「でも、見た目が正しくないのよ」


「見た目も、水着として正しいと思います」


「そういう意味じゃない」


 クラリスは、黒い水着を胸元に当てる。


「では、判定をお願いします」


 リシアとカレンは、もう一度黙った。


 似合う。

 ものすごく似合う。


 普段の白い法衣とは違う。

 清楚なのに、黒い。

 隠しているようで、隠しきれていない。

 落ち着いているのに、危ない。


 リシアは、深く息を吐いた。


「……狙ってる?」


「泳ぐためです」


「期待は?」


「あります」


 クラリスは即答した。


 カレンが小さく震える。


「即答……」


 リシアは額を押さえた。


「そこで即答できるの、本当に強いわね」


「心の中までは罰せられませんから」


「自分で作ったルールが返ってくるの、早すぎるのよ」


 クラリスは微笑んだ。


「では?」


 リシアは黒い水着を見た。

 次に、クラリスを見た。

 最後に、カレンを見た。


 カレンは、おずおずと頷いた。


「セーフ……だと思います」

「泳ぐためですし」

「クラリスに、似合っています」


 リシアは観念したように言った。


「……セーフ」


「ありがとうございます」


「ただし」


 リシアは指を立てた。


「それを着たまま、良樹の近くで妙な身体確認を始めたらアウト」


「妙な身体確認とは?」


「今、確認しようとしてる時点で危ないわよ」


「では、普通の身体確認にします」


「普通の身体確認って何!?」


 カレンが小さく呟いた。


「クラリスも、セーフ……です」


 クラリスは、満足そうに黒い水着を抱えた。


 三人は、それぞれの水着を抱えて店を出た。


 リシアは白と青。

 カレンは青。

 クラリスは黒。


 泳ぐため。

 川で遊ぶため。

 引っ越し祝いを楽しむため。


 それは嘘ではない。


 ただ、その川辺には良樹がいる。


 だから三人は、少しだけ丁寧に選んだ。

 少しだけ、良く見られたいと思いながら。


 狙うのはアウト。

 期待はセーフ。


 その基準は、思ったよりもずっと甘かった。

 そして三人とも、その甘さに少しだけ救われていた。


挿絵(By みてみん)


   ◇


 良樹はその頃、肉を選んでいた。


 肉。

 野菜。

 焼き魚にできそうな小魚。

 串。

 炭。

 火打ち石。

 鉄網代わりに使えそうな金属板。

 水を汲む桶。

 濡れた服を置くための布。


 店を回りながら、荷物の重さと持ち運びを考える。


 焼くだけなら簡単だ。

 問題は火床。

 風向き。

 煙。

 川辺の足場。

 食材を置く場所。

 火の始末。

 水辺で遊んだ後の冷え。


 引っ越し祝いとは、意外と考えることが多い。


 良樹は肉屋の親父に焼きやすい肉を聞き、八百屋で火を通しやすい野菜を選び、道具屋で簡易の串を買った。


 ついでに、使い古しの薄い鉄板も見つけた。


「これ、曲がってるぞ」


「だから安いんだよ」


「叩けば戻るな」


「戻せるなら持ってけ」


「いくらだ」


 そんなやり取りをして、良樹は鉄板も買った。


 市場の端で荷物を確認していると、三人が戻ってきた。


 リシアは何でもない顔をしている。

 カレンは少し赤い。

 クラリスは穏やかだ。


 それぞれ、包みを持っている。


「買えたのか」


「ええ」


「はい」


「買えました」


「動きにくいのはやめたか?」


 リシアは一瞬、目を細めた。


「……動きにくくはないわ」


「ならいい」


 良樹は頷いた。


 リシアは、小さく息を吐く。


「本当に、そういうところよね」


「何が」


「こっちの話」


 クラリスは、良樹の荷物を見た。


「ずいぶん準備されましたね」


「火を使うからな」


「休む日ですよ」


「安全に休む準備だ」


「良樹くんらしいですね」


 カレンは、良樹の持っている鉄板を見て首を傾げた。


「あの、それも使うんですか?」


「ああ。少し曲がってるが、叩けば使える」


「本当に、準備が得意なんですね」


「得意というか、やらないと困るからな」


 良樹はそう言って、荷物を持ち直した。


「じゃあ、行くか」


「うん」


「はい」


「はい」


 四人は川原へ向かった。


   ◇


 町外れの川は、思ったより穏やかだった。


 川幅は広すぎず、浅瀬もある。

 少し離れれば流れの速いところもあるが、岸近くなら足がつく。


 川原には丸い石が多く、ところどころ平らな場所もあった。

 良樹はまず荷物を下ろすと、川を見た。


 流れ。

 深さ。

 滑りやすそうな石。

 火を置く場所。

 荷物を置く場所。

 濡れた後に休む場所。


「良樹」


「何だ」


「今、楽しんでる?」


「楽しむための確認をしてる」


「そう」


 リシアは諦めたように言った。


 良樹は火床を作り、石を並べ、買ってきた鉄板を叩いて形を直した。

 串を並べ、野菜を切り、肉に軽く塩を振る。


 カレンは薪を運び、クラリスは水を汲み、リシアは火を起こすのを手伝った。


 四人で動くと、準備は早かった。


 肉が焼ける匂いが川原に広がる。

 野菜が焦げる音がする。

 魚の皮がはじける。


「これは、いいな」


 良樹が串を回しながら言った。


「でしょ?」


 リシアが少し得意げに言う。


「たまにはこういうのも必要なのよ」


「火加減を見ながら食うのは楽しいな」


「そこ?」


「そこだろ」


 リシアは苦笑する。


 カレンは焼けた肉を受け取って、小さく息を吹きかけた。


「あ、熱いです」


「ゆっくり食べろよ」


「はい」


 クラリスは良樹の隣で、火の近くに座りすぎていないか、煙を吸いすぎていないかを見ていた。


「クラリス」


「はい」


「休みだぞ」


「はい。休みながら見ています」


「見ない休みはないのか」


「良樹くんが見ないならあります」


「俺のせいか」


「はい」


「返す言葉がねえ」


 そんなやり取りをしながら、食事は進んだ。


 少し腹が落ち着いたところで、リシアが立ち上がる。


「じゃあ、そろそろ着替えてくるわ」


 良樹が顔を上げる。


「着替え?」


「泳ぐ服よ」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「足場、濡れてるから気をつけろよ」


「分かってるわよ」


 三人は荷物を持って、少し離れた岩陰へ向かった。


 良樹は火を小さくしながら、その背中を見送る。


 しばらくして。


 三人が戻ってきた。


 リシアが最初だった。


 白いビキニ。

 青系のショートパレオ。

 黒い髪が、水辺の光で少しだけ艶を帯びて見える。


 次にカレン。


 青系のスポーティな水着。

 肩も脚も動かしやすそうで、川辺に立つ姿は思ったより自然だった。

 本人は、両手で裾を少し押さえ、完全に顔を赤くしている。


 最後にクラリス。


 黒いビキニ。

 黒系のロングパレオ。

 普段の白い法衣とはまるで違うのに、姿勢と表情だけはいつものクラリスだった。


 良樹は、固まった。


 見ない、という選択肢はなかった。


 水着だ。

 泳ぐための服だ。

 三人とも、自分で選んで、自分で着て、そこに立っている。


 目を逸らし続ける方が、かえって失礼だ。


 だから良樹は、見た。


 見てしまった、ではない。

 見た。


 そして、そこでようやく思い知った。


 この世界に来てから、良樹は三人の身体を、ほとんどまともに見ていなかったのだと。


 リシアのことは、最初に見た。

 だが、あれは事故だった。

 川へ撃ち込まれ、半氷漬けにされ、何が起きているのかも分からない状況だった。


 カレンのことは、訓練中に何度も見ている。

 足も、腰も、動きも見てきた。

 けれど、あれは剣士としての動きであり、事故の断片だった。


 クラリスに至っては、普段は法衣でほとんど隠れている。

 身体を見るのはいつも彼女の方で、良樹がクラリスの身体をまともに見たことは、ほとんどなかった。


 それが今は、違う。


 三人の身体の線が、水辺の光の中にあった。


 リシアは、白と青だった。


 白い水着に、青いショートパレオ。

 普段の魔法衣とはまるで違う。

 けれど、色だけは確かにリシアだった。


 黒い髪。

 水辺の光を受ける白い肌。

 思っていたよりもはっきりした胸元。

 細い腰。

 短いパレオから伸びる脚。


 最初に出会った時の記憶が、一瞬だけ重なる。


 ただ、あの時とは違う。


 今回は事故ではない。

 リシアは、自分の足でそこに立っている。

 自分で選んだ服を着て、良樹の前にいる。


 カレンは、青いスポーティな水着だった。


 泳ぐだけではない。

 走る。

 跳ぶ。

 踏み込む。

 そういう動きを前提にした水着に見えた。


 細い。


 最初にそう思った。


 けれど、弱そうではなかった。


 肩は軽く動きそうで、腰は締まっている。

 脚は細いが、地面を捉える力がある。

 無駄な肉は少ない。

 だが、ただ薄い身体ではない。


 剣士の身体だった。


 そして、綺麗だった。


 クラリスは、黒だった。


 黒い水着。

 黒系のロングパレオ。


 その時点で、良樹の頭は一度止まった。


 普段の白い法衣の印象が強すぎた。

 穏やかで、清楚で、どこか柔らかく距離を取っている僧侶。


 そのクラリスが、黒を着ている。


 しかも、隠しているようで隠しきれていない。

 ロングパレオで脚は流している。

 だが、胸も、腰も、身体の線も、普段の法衣では絶対に分からなかったものが見えてしまう。


 清楚なのに、危ない。


 そう思った。


「……良樹」


 リシアが少し赤い顔で言った。


「何か言うことは?」


「……全員、似合ってる」


「全員で逃げたわね」


「逃げてねえ」


「逃げたわよ」


 クラリスが穏やかに微笑む。


「では、個別にお願いします」


「個別……」


 カレンが小さく震えた。


 良樹は、川辺より深い絶望を見た。


「リシアは……白と青が似合ってる」

「いつもの色に近いから、見慣れてるはずなのに、全然違って見える」


「そ、そう」


「最初の時は、事故だったからな」

「ちゃんと見る余裕なんてなかった」


 リシアの頬が、少しだけ赤くなる。


「……今は?」


「今は、ちゃんと見てる」

「事故じゃなくて」

「リシアが自分で選んで、そこに立ってるから」


「っ……」


 リシアは、少しだけ視線を逸らした。


「それで?」


「似合ってる」

「白も青も」

「リシアらしいし、綺麗だと思う」


 リシアは口を開きかけて、閉じた。


 怒るところを探したのかもしれない。

 けれど、その言い方には、怒る場所がなかった。


「……最初から、そう言いなさいよ」


「悪い」


「謝るところじゃないわよ」


「難しいな」


「難しくしてるのは良樹でしょ」


 リシアはそう言って、少しだけ口元を緩めた。


 次に、良樹はカレンを見た。


 カレンは、水着の裾を両手で少し押さえていた。


 右足を少し引く。

 また戻す。

 肩をすぼめる。

 視線を上げかけて、すぐ落とす。


「あ、あの……変、ではないでしょうか」


「変じゃない」


 良樹はすぐに答えた。


 カレンの肩が跳ねる。


「むしろ、似合ってる」

「動きやすそうだし、無理してる感じがしない」

「カレンらしい」


「カレン、らしい……」


「ああ」

「細いけど、弱そうじゃない」

「ちゃんと動ける身体だって分かる」

「綺麗だと思う」


 カレンは、両手で水着の裾を握ったまま、耳まで赤くなった。


「き、綺麗……」


「悪い。変な言い方だったか」


「い、いえ」

「もう一回、言ってほしいくらいです……」


 言ってから、カレンは自分で固まった。


 リシアが目を見開く。


「カレン」


 クラリスが微笑む。


「良いと思います」


「よ、良くないです……!」

「今のは、その、口が勝手に……!」


「口が勝手に出るのはよくある」


 良樹が言うと、リシアが睨んだ。


「あなたは制御しなさい」


「はい」


 最後に、良樹はクラリスを見た。


「クラリスは……」


「はい」


「黒、似合うんだな」


「ありがとうございます」


「普段と違いすぎて、少し止まった」

「その、清楚なのに圧がある」


「圧、ですか」


「悪い意味じゃねえ」

「ただ、見ないふりは無理だった」


 クラリスは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「では、ちゃんと見ていただけたのですね」


「……見た」


「はい」

「ありがとうございます」


 クラリスの声はいつも通りだった。


 いつも通りなのに、黒い水着のせいで、何もかもがいつも通りではなかった。


   ◇


 川遊びは、思ったより普通に始まった。


 リシアは浅瀬で水を跳ねさせ、カレンは足場を確認しながら慎重に進み、クラリスは濡れた石で滑らないよう、静かに歩いた。


 良樹は最初、岸辺で火の番をしていた。


 肉を焼く。

 魚を見る。

 火が強すぎないよう調整する。

 水桶を近くに置く。


 休む日とは何だったのか。


「良樹」


 リシアが、水辺から声をかけた。


「何だ」


「まだ火を見てるの?」


「火は放っておくと危ない」


「分かってるけど、こっちも見なさいよ」


「見てる」


「火越しにじゃなくて」


 良樹は少しだけ困った顔をした。


 リシアが浅瀬から上がってくる。


「何してるの?」


「魚の焼け具合を見てる」


「私にも見せて」


 そう言って、リシアは良樹の横から覗き込んだ。


 普段なら、それだけだった。


 リシアはよく、良樹の手元をああして覗き込む。

 魔導盤を見る時も、作業を見る時も、良樹が何かを調整している時も。


 距離が近い。


 けれど、それがリシアだった。


 ただ、今日は違った。


 白いビキニ。

 青いショートパレオ。

 川遊びで少し濡れた肌。

 そして、前屈みになったせいで、胸元の谷間が良樹の視界に入った。


 良樹の手が止まった。


 魚の皮が、ぱち、と音を立てる。


「……良樹?」


「いや」


「いや、じゃないわよ。今、どこ見たの」


「魚」


「魚は下よ」


「分かってる」


「分かってる顔じゃなかったわよ」


 良樹は串を持ち直した。


「……思ってたより、胸あるんだな」


 次の瞬間、リシアの拳が良樹の腹に入った。


「どこ見て言ってるのよ!」


「水着を見ろって流れだっただろ……!」


「水着を見ろとは言ったけど、そこを寸法確認しろとは言ってないわよ!」


「悪い」

「ただ、思った順に出た」


「その順番を制御しなさい!」


 リシアは真っ赤になって怒っていた。


 怒っている。

 怒っているのだが、良樹は気づいた。


 リシアは、パレオを直さなかった。

 胸元を隠しもしなかった。


 ただ、赤い顔で良樹を睨んでいる。


「……似合ってる」


「遅い!」


「悪い」


「最初からそれを言いなさいよ!」


 少し離れたところで、クラリスはその一連の流れを見ていた。


 リシアが良樹の手元を覗き込む。

 それは、いつもの動きだった。


 だから、狙ったわけではない。

 たぶん、無自覚だ。


 ただ、今日は水着だった。


 白いビキニだった。

 前屈みになれば、普段は見えないものが見える。


 つまり。


 これは、セーフですね。


 クラリスは、心の中で静かに判定した。


 隣でカレンも、赤い顔でその光景を見ていた。


 リシアが前屈みになる。

 良樹が止まる。

 リシアが怒る。

 でも、リシアは胸元を隠さない。


 カレンは、そっと自分の胸元を見下ろした。


 青い、動きやすい水着。

 泳ぎやすくて、走りやすくて、川辺でも足を取られにくい。

 自分には、よく合っていると思う。


 思う、けれど。


 リシアのように前屈みで覗き込んでも、たぶん同じことにはならない。


 ……私には、あれは出来ないかも。


 そう思って、カレンはさらに顔を赤くした。


 違う。

 別に、やりたいわけではない。


 ただ、良樹さんが止まったのを見てしまっただけで。


 自分にも何かできるのだろうかと、少しだけ考えてしまっただけで。


 カレンは、青い水着の裾を両手でそっと握った。


   ◇


 その後、四人は焼けた肉と魚を食べた。


 川辺で食べる焼き物は、思った以上に美味かった。


 少し焦げた野菜。

 塩を振った肉。

 皮の香ばしい魚。


 良樹は火加減を見ながら、リシアに肉を渡し、カレンに魚を取り分け、クラリスに焼きすぎていない野菜を渡した。


「良樹くん」


「何だ」


「これは休みですか?」


「休みだろ」


「働いているように見えます」


「焼くのは楽しい」


「なら、休みですね」


 クラリスはそう言って、野菜を受け取った。


 食後、三人はもう一度川へ入った。


 カレンは浅瀬で足を確かめながら動く。

 青い水着は、水辺で動くとさらにカレンらしく見えた。


 細い。

 けれど、弱そうではない。


 濡れた石の上でも、足を置く場所を探している。

 滑りそうな場所では、自然に重心を残している。

 怖がっているのに、ちゃんと見ている。


 良樹は岸辺からそれを見ていた。


「良樹さん」


 カレンが気づいて、顔を赤くする。


「見てましたか」


「ああ」


「ど、どこを……」


「足」

「それと、腰」

「濡れた石の上でどう戻るかを見てた」


「そ、そうですか」


「あと、その水着で動いてると分かりやすい」

「カレンの身体は、ちゃんと動くためにできてるんだな」


 カレンは、完全に停止した。


「からだ……」


「あ、悪い。変な意味じゃない」


「い、いえ」

「変では、ないです」

「たぶん……」


 カレンは小さく両手を握った。


「ちゃんと、見てくれているなら」

「嬉しいです」


 良樹は返事に困った。


 困ったが、逃げなかった。


「ああ」

「ちゃんと見てる」


 カレンは、真っ赤になったまま俯いた。


   ◇


 唯一の明確な事故は、その後に起きた。


 食事を終え、少し休んだあと、三人はもう一度川辺に出ていた。


 リシアは浅瀬で水を跳ねさせ、カレンは濡れた石の上で足場を確かめている。

 クラリスは、黒いロングパレオの裾を片手で軽く持ちながら、岸辺へ戻ろうとしていた。


 黒い水着。

 黒系のロングパレオ。


 普段の白い法衣では隠れている身体の線が、今日は隠しきれていない。


 けれどクラリス自身は、いつも通りだった。

 穏やかで、落ち着いていて、歩き方にも無駄がない。


 だからこそ、油断があった。


 ロングパレオの端が、川辺に置かれた木箱の角に引っかかった。


「――あ」


 クラリスの身体が、わずかに傾く。


 自分一人なら、立て直せただろう。


 だが、傾いた先には火床があった。

 その横には、串や鉄板をまとめた荷物がある。

 そして、少し離れた場所には、足場を見ていたカレンがいた。


 クラリスは、そちらへ倒れないように身体を逃がした。


 逃がした先に、良樹がいた。


「クラリス!」


 良樹が咄嗟に踏み込む。


 受け止める。


 そのつもりだった。


 だが、足元の石は濡れていた。

 良樹の踏み込んだ足が、わずかに滑る。


 二人の身体が、そのまま崩れた。


 良樹は反射的にクラリスを庇い、自分が下になるように身体を捻った。


 背中から河原の砂利に落ちる。


「ぐっ……!」


 息が詰まった。


 次の瞬間、良樹の視界が黒と白で埋まった。


 柔らかい。


 柔らかいものが、二つ。


 良樹の顔を、左右から挟んでいた。


 黒い水着。

 白い肌。

 濡れたパレオの布。

 普段の法衣では絶対にありえない距離。


 呼吸しようとすると、クラリスの体温と水の匂いが近すぎた。


 時間が止まった。


「良樹くん」


 クラリスの声が、すぐ上から聞こえた。


「怪我はありませんか」


「……今、それを俺に聞くのか」


「はい。身体確認です」


「俺の顔の位置を確認してから言ってくれ」


「確認しています」


「なら退いてくれ」


「少し待ってください。私も状況確認中です」


「状況は最悪だ」


「良樹くんが下敷きになってくださったので、私は怪我をしていません」


「それは良かった」


「はい。ありがとうございます」


「礼より先に退いてくれ」


 クラリスは、そこでようやく自分の状態を確認した。


 良樹が下。

 自分が上。

 良樹の顔は、自分の胸元に半ば埋まっている。


 クラリスの目が、ほんの少しだけ見開かれた。


「……あ」


「今か」


「はい」

「今、正確に把握しました」


「正確に把握したなら、離れてくれ」


「はい」


 クラリスはゆっくりと身体を起こした。


 良樹はようやく空を見た。


 青い。

 とても青い。


 見上げる空の青さだけが救いだった。


 リシアが、少し離れた場所で固まっていた。


「……クラリス」


「はい」


「今のは?」


「事故です」


 クラリスは、いつもの穏やかな顔で言った。


「ただし、良樹くんが庇ってくださった事故です」


「判定が難しいわね……」


 カレンは真っ赤な顔で、両手を口元に当てていた。


「あ、あの……良樹さん、大丈夫ですか」


「身体はな」


「身体は……」


「精神の方は、あとで確認する」


 良樹はそう言って、ゆっくり起き上がった。


 背中には砂利の感触が残っている。

 顔には、残ってはいけない感触が残っている。


 クラリスは、膝をついたまま良樹を見ていた。


「本当に、怪我はありませんか」


「ない」


「背中を確認しても?」


「今は駄目だ」


「なぜですか」


「今確認されたら、俺の精神が追加で壊れる」


「では、後ほど」


「予約するな」


 リシアは額を押さえた。


「良樹」


「何だ」


「……災難だったわね」


「お前に同情されると、逆に怖い」


「今のは本当に同情よ」


 カレンは、まだ赤い顔のまま、クラリスを見た。


「クラリス、怪我は……」


「ありません」

「良樹くんが受け止めてくださいましたから」


 クラリスはそう言って、少しだけ良樹を見る。


「ありがとうございます、良樹くん」


「どういたしまして」


 良樹は空を見たまま答えた。


「ただ、次からはロングパレオの引っかかりも安全確認に入れる」


「はい」


 クラリスは静かに頷いた。


「次回から気をつけます」


「次回がある前提で話すな」


 リシアがぼそりと呟いた。


「……今の、クラリスだけ強すぎない?」


 カレンは自分の胸元を見て、それからクラリスを見た。


 何も言わなかった。


 ただ、少しだけ、青い水着の裾を握った。


   ◇


 その後、しばらく良樹は岸で休んだ。


 背中は痛い。

 砂利の感触が残っている。

 だが、怪我というほどではない。


 クラリスは本気で心配していた。

 だから良樹も強くは言えなかった。


 ただし。


 あの事故は、かなり危なかった。


 色々な意味で。


「良樹」


 リシアが川の中から声をかけた。


「何だ」


「良樹も入りなさいよ」


「俺はいい」


「どうして」


「もう濡れた」


「足だけでしょ」


「背中も濡れた」


「そうじゃなくて」


 リシアは少しだけ頬を膨らませた。


「私たちだけ見られてるの、ズルいでしょ」


 良樹は眉を寄せた。


「何がズルいんだ」


「ズルいものはズルいの」


 カレンがおずおずと頷いた。


「あ、あの……良樹さんも、少しは入った方が」

「その、引っ越し祝いですし……」


 クラリスも微笑む。


「はい」

「体温調整にもなります」


「川に落とす流れじゃないよな?」


「落としませんよ」


 クラリスは言った。


 だが、リシアは言っていなかった。


「リシア」


「何よ」


「お前、何か考えてるだろ」


「考えてないわ」


「今の即答は怪しい」


「大丈夫」

「ちゃんと浅いところに落とすから」


「落とす前提か!」


 次の瞬間。


 風が巻いた。


 リシアの風魔法が、良樹の身体をふわりと持ち上げる。


「おい、腰袋――!」


 良樹は反射的に腰袋を掴み、岸へ放り投げた。


 それだけは守った。


 そして。


 どぼん。


 三人の真ん中に、良樹が落ちた。


 水しぶきが上がる。


「お前らなあ……」


 良樹は濡れた髪を顔から払いながら言った。


 怒ってはいる。

 だが、本気で怒鳴るほどではない。


「腰袋ごと落とすな。工具が濡れるだろ」


「そこなの!?」


 リシアが叫ぶ。


「そこだろ」


 良樹は岸へ上がると、濡れたつなぎの上半身部分を脱いだ。

 袖を腰で結ぶ。


「濡れたままだと重いんだよ」


 そう言って、下に着ていたシャツの裾を掴む。


「それも脱ぐの?」


 リシアの声が少し揺れた。


「濡れて張り付く。動きにくい」


 何でもないことのように言って、良樹はシャツを脱いだ。


 三人の声が、止まった。


 リシアも。

 カレンも。

 クラリスも。


 川の音だけが残る。


 良樹は、ボディビルダーのような身体ではなかった。

 だが、細くもなかった。


 肩。

 腕。

 胸。

 腹。

 腰。


 無駄に大きいわけではない。

 けれど、現場で重いものを持ち、工具を下げ、脚立を上り、盤の据え付けを手伝ってきた身体だった。


 使うための筋肉。

 見せるためではない身体。


 だからこそ、妙に目が離せなかった。


 良樹は濡れた前髪を片手でかき上げた。


 水が、頬から首筋へ落ちる。

 肩を伝い、胸元を流れていく。


 それだけだった。


 ただ、それだけの動きだった。


 なのに、三人は同時に息を止めた。


「……な、何よ」


 リシアが言った。


「何で、そんな……」

「鍛えてるのよ」


「重いもん据え付けるときは、最後は力が要るからな」


「理由が現場すぎるのよ……」


 カレンは、真っ赤になりながらも目を逸らせなかった。


「あ、あの……良樹さん」

「その、ちゃんと……鍛えてるんですね」


「ちゃんとってほどじゃねえよ」

「仕事で困らないようにしてただけだ」


「でも、弱そうじゃないです」


「そりゃどうも」


「……綺麗、だと思います」


 言ってから、カレンは真っ赤になって水面を見た。


 クラリスは、良樹をまっすぐ見ていた。


「良樹くん」


「何だ」


「肩と腰の筋肉の付き方が、思っていたより実用的です」

「触って確認しても?」


「駄目だ」


「残念です」


「残念がるな」


「では、見て確認します」


「それもやめろ」


「もう見ています」


「言い切るな」


 良樹はそこで、ようやく気づいた。


「……もしかして、見てんのか」


 リシアは即答した。


「見てない!」


 カレンは小さく言った。


「み、見てます……」


 クラリスは頷いた。


「はい。見ています」


「カレン!? クラリス!?」


 リシアが叫ぶ。


 良樹は額を押さえた。


「俺を落としたのはお前らだろ」


「それはそうだけど」


「なら見るなとは言わねえが……」


 良樹は濡れたシャツを絞った。


「見られる側って、結構落ち着かねえな」


 三人は、同時に少し黙った。


 それは、三人にも分かることだった。


 今日、自分たちは良樹に見てもらうための服を選んだ。

 期待はセーフだと、甘い基準で判定した。


 そして今、良樹もまた見られている。


 作業着でも。

 腰袋でも。

 魔導盤でもなく。


 一人の男として。


   ◇


 夕方。


 火は完全に消した。

 灰は水で冷やした。

 食材の残りはまとめた。

 濡れた布も、荷物も、忘れ物も確認した。


 良樹がそこまで見終える頃には、空は少し赤くなり始めていた。


 三人は着替えを済ませていた。

 良樹も濡れた服を絞り、どうにか着られる状態に戻していた。


「楽しかったですね」


 クラリスが言った。


「そうだな」


 良樹は素直に頷いた。


「準備は大変だったけど」


「休んだのか働いたのか分からないわね」


 リシアが笑う。


「まあ、でも」


 良樹は川を見た。


「悪くなかった」


 その言葉に、カレンが少し嬉しそうに笑った。


 帰り道。


 リシアが、少しだけ良樹の隣に並んだ。


「良樹」


「何だ」


「最初も、水辺だったわね」


 良樹は一拍、黙った。


「ああ」


「忘れてた?」


「忘れるわけねえだろ」


「そう」


 リシアは、少しだけ頬を赤くした。


「忘れられても困るけど」

「ずっと事故のままなのも、少し嫌だった」


 良樹は、リシアを見る。


「悪かった」


「謝ってほしいわけじゃない」


 リシアは前を見たまま言った。


「今日は、事故じゃないから」


 良樹は、少しだけ黙った。


 それから、小さく頷く。


「ああ」

「分かってる」


 リシアは、それで少しだけ笑った。


 三人は、その少し後ろを歩いている。


 カレンは照れたように目を伏せていた。

 クラリスは穏やかに微笑んでいた。


 引っ越し祝いの川遊びは、無事に終わった。


 肉も焼いた。

 魚も食べた。

 水にも入った。

 事故もあった。


 確認事項も、たぶん増えた。


 けれど、誰もそれを数えなかった。


 四人で帰る道は、夕焼けの中に続いていた。


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