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第20話 四人で使う場所

 翌朝。


 良樹は、自分の宿部屋の床を見下ろしていた。


 魔導盤の構成を書いた紙片。

 小さな魔石。

 仮置きしていた部材。

 腰袋から出した工具。

 それらは、昨夜のうちにかなり片付けたつもりだった。


 だが、改めて見ると、ひどい。


 床は床だ。

 作業台ではない。


 その当たり前のことを、良樹は今さらのように噛みしめていた。


「……これは、怒られるわな」


 呟きながら、良樹は紙片を束ねる。


 リシアは、部屋の入口近くで腕を組んでいた。

 カレンは、散らばった小さな魔石を布の上へ集めている。

 クラリスは、良樹が床へ置きっぱなしにしていた工具を、一本ずつ確認していた。


「怒られた後でそれを言うのが、良樹らしいわね」


「言い返せねえ」


「珍しく素直ね」


「悪いと思ってる時は、それなりの態度になるんだよ」


 良樹は束ねた紙片を膝の上で揃えた。


 昨日は、宿の主人にも謝った。

 ガレスにも頭を下げた。

 そこまでは済んだ。


 だが、謝って終わりではない。


 謝っただけでまた同じことをするなら、それは反省ではなく、ただの一時停止だ。


「あ、あの……良樹さん」


 カレンが、小さな魔石を布で包みながら言った。


「これ、まとめておきますか?」


「ああ。頼む。転がると危ない」


「はい」


 カレンは慎重に布を結ぶ。


 クラリスは、工具を一本手に取ったまま、良樹を見た。


「良樹くん。こちらの工具は、腰袋へ戻しておきますね」


「ああ。悪い」


「床に置くと、踏む可能性があります」


「分かってる」


「本当に?」


「……昨日で分かった」


 クラリスは、にこりと微笑んだ。


「では、大丈夫ですね」


「笑顔が圧に見えるんだが」


「気のせいです」


 良樹は苦笑しながら、最後の紙片を束ねた。


 昨日の事故のことを思い出さないわけではない。


 ベッド。

 床。

 視線の高さ。

 狭い部屋。

 見えるもの。

 見えてはいけないもの。


 全部、配置が悪かった。

 いや、配置を決めていなかった。


 魔導盤だけではない。

 人の位置も、物の置き場も、視線の高さも、全部、条件だった。


 良樹は束ねた紙片を手に立ち上がった。


「行くぞ」


「どこへ?」


 リシアが聞く。


「ギルドだ」


「ガレスさんに?」


「ああ」


「また謝るの?」


「謝罪は昨日した」


 良樹は腰袋を叩いた。


「今日は、カイゼンの相談だ」


   ◇


 ギルドの朝は、宿の食堂とは別の意味で騒がしかった。


 依頼書を見る冒険者。

 受付に並ぶ者。

 装備を確認する者。

 壁際で仲間を待つ者。

 報酬の支払いで揉めている者。


 良樹たち四人が入ると、何人かがちらりと視線を向けた。


 その視線が、以前より少し増えていることに、良樹は気づいた。

 ただし、それが何を意味するかまでは、まだ分からなかった。


 奥の卓で、ガレスが書類を見ていた。


 良樹が近づくと、ガレスは顔を上げる。


「お、反省は終わったのか?」


「ああ」


 良樹はいつもの調子で答えた。


「反省したから、これからカイゼンだ」


「カイゼン?」


 ガレスが眉を上げる。


「同じミスを繰り返さねえように、やり方を変えるってことだ」

「謝って終わりじゃ、また同じことで怒られる」


 ガレスは、良樹をしばらく見た。


「……若いわりに、妙なところが堅えな」


「あんたみてえな人に、ガキの頃から叩き込まれてるからな」


「俺みてえな人?」


「口が悪くて、仕事にうるさくて、でも筋が通ってる職人だよ」


「そいつは褒めてんのか?」


「かなり褒めてる」


 ガレスは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「口は戻ったな」


「反省は終わったからな」


「反省中ずっと昨日の調子だったら、気味が悪くて追い返してたところだ」


「俺もあの調子は長くもたねえ」


 リシアが横から呆れたように言う。


「反省が終わったら偉そうに戻るのね」


「偉そうじゃねえ。通常運転だ」


 クラリスが穏やかに言う。


「通常運転が少し偉そうなのでは?」


「クラリス、それは刺さる」


「あ、あの……でも、良樹さんはちゃんと直そうとしてます」


 カレンが控えめに庇う。


「カレン、そこはもう少し強く庇ってくれ」


「す、すみません」


「庇われただけありがたいと思いなさい」


 リシアが言うと、ガレスが低く笑った。


「で、そのカイゼンとやらは何だ」


「作業場所がいる」


 良樹は即答した。


「宿の部屋は狭い」

「床作業は危ない」

「四人で覗き込むには位置が悪い」

「工具も魔石も紙片も、床へ広げるもんじゃねえ」

「なら、作業場所を変える」


「反省だけしても、配置を変えなきゃまた事故る、か」


「そういうことだ」


 ガレスは腕を組んだ。


「一時的なら、裏の倉庫でも使うか?」


「助かる」


 良樹はそう言いかけた。


 だが、その横で、三人の空気がわずかに止まった。


「……倉庫?」


 リシアが小さく言う。


「あ、あの……作業だけなら、それでもいいと思いますけど……」


 カレンが言葉を濁す。


 クラリスは良樹を見る。


「良樹くん。一時的な作業だけなら倉庫でもよいと思います」

「ですが、今後も四人で活動するなら、拠点を考えた方がよいのではありませんか」


「拠点?」


 良樹が聞き返す。


「家よ」


 リシアが言った。


「家」


 良樹は、その単語をそのまま繰り返した。


 家。


 作業場ではなく、家。


 良樹は三人を見た。


「いや、それは下心ありだろ」


「どうしてそうなるのよ!」


 リシアが即座に叫ぶ。


「普通、男女逆だろ。男の俺が『四人で家借りようぜ』って言ったら、かなり最低寄りの発言になるぞ」


「パーティとしてよ!」


「お前らが言うと下心込みに聞こえる」


 リシアが言葉に詰まった。


 カレンも、目を泳がせる。


 クラリスは微笑んだままだったが、その沈黙は肯定に近かった。


「ほら見ろ」


「ち、違うわよ!」


「あ、あの……本当に、パーティでは普通です」


 カレンが慌てて言う。


「良樹くん。合理的判断です」


 クラリスも続ける。


「全員、目を逸らさずに言えるか?」


 三人は黙った。


「ほら見ろ」


「良樹、そこまで疑わなくてもいい」


 ガレスが口を挟んだ。


「パーティ単位で家や部屋を借りるのは、割と普通だ」


 良樹はガレスを見た。


「普通なのか」


「ああ。継続して動くパーティなら珍しくねえ」

「装備を置く」

「依頼前に集まる」

「怪我人を寝かせる」

「打ち合わせる」

「いちいち宿の一部屋に集まる方が面倒だ」


「……本当に、普通なのか」


「普通だ」


 ガレスは短く言った。


「少なくとも、お前が想像してるような話だけじゃねえ」


 良樹は少し考えた。


 ガレスが言うなら、少なくともこの世界ではそうなのだろう。


 現代日本の感覚とは違う。

 冒険者の生活感覚とも違う。


 なら、そこは切り分けるべきだった。


「なら……まあ、検討はする」


 その瞬間。


 リシアが、ガレスを見た。

 カレンも、胸元で手を握った。

 クラリスは、静かに頭を下げた。


「ガレスさん……」


「あ、ありがとうございます……!」


「このご恩は、忘れません」


 ガレスの眉間にしわが寄った。


「何でそんな顔になる」


 良樹も困惑した。


「今、英雄でも見たみたいな顔してたぞ」


「良樹は黙ってて」


 リシアが即座に言う。


「ガレスさんは、私たちの進む道を示してくださいました」


 クラリスが穏やかに言った。


「重い」


 ガレスが低く呟く。


「俺は普通のことを言っただけだぞ」


「その普通が重要だったんです」


 カレンが小さく言った。


「分からねえ……」


 ガレスは額を押さえた。


「まあいい。借りるなら条件をまとめろ」


「ギルドで家も扱うのか?」


 良樹が聞く。


「不動産屋ってわけじゃねえが、冒険者向けの空き拠点はいくつか管理してる」

「大家も、身元の怪しい冒険者へ直接貸すより、ギルド経由の方が安心だからな」

「問題起こした時に、こっちから締められる」


「なるほど」


「ニル!」


 ガレスが奥へ声をかけた。


 しばらくして、書類の束を抱えた少年が顔を出した。


 まだ若い。

 十七歳くらいだろうか。

 少し細身で、いかにも見習いという雰囲気がある。


「俺ですか?」


「お前だ。こいつらの条件を聞いて、合いそうな所へ連れてけ」


「家ですか?」


「ああ」


 ニルは、良樹たちを見て少し背筋を伸ばした。


「あの時は、本当にありがとうございました。ニルです」


「ニルって、あの倉庫の?」


 良樹は思い出した。


 荷崩れ。

 呻き声。

 支点を見て、抜く順番を考えた。

 リシアが補助し、カレンが周囲を見て、クラリスが足を診た。


「ああ。あの時の」


「はい」


 ニルは少し照れたように頭を下げた。


「皆さんのおかげで助かりました」


「足はもういいのか」


「はい。クラリスさんに診てもらって、しばらく休ませてもらいましたから」


 クラリスが頷く。


「無理をしなければ、問題ありません」


「ならいい。無理すんなよ」


「はい」


 ガレスが軽く咳払いをした。


「恩返しだけで仕事を任せるわけじゃねえぞ」

「ニルは空き拠点の帳面を見てる」

「倉庫も貸家も、状態をそこそこ覚えてる」

「条件を聞くなら、こいつでいい」


 ニルの顔つきが少し変わった。


 さっきまでの照れた少年ではなく、仕事を任された見習いの顔になった。


「分かりました。では、条件を確認させてください」


 良樹は少しだけ目を細めた。


「仕事の顔になったな」


「い、一応、これでもギルドの仕事ですから」


「なら頼む」


 ニルは書類を卓へ置き、簡単な帳面を開いた。


「まず、必要条件を整理します」

「作業場付き」

「四人で使える広さ」

「荷物を置ける場所」

「近隣に迷惑がかかりにくい場所」

「できれば裏庭か空き地あり」

「家賃は四人で払える範囲」

「ギルドから遠すぎない」

「このあたりで合っていますか?」


「作業台を置ける」


 良樹が言った。


「床がそこそこ丈夫」

「出入口が広い」

「通路を塞がずに動ける」

「出力確認するなら、外へ逃がせる方向が欲しい」

「魔石や紙片を置く棚もいる」


 ニルが書き足す。


「作業台、丈夫な床、広い出入口、棚、外へ逃がせる方向」


「魔法を少し使っても問題になりにくい場所がいいわ」


 リシアが続ける。


「あと、暗すぎないこと」

「良樹が変な時間まで作業してても、すぐ止めに行けること」


「最後は条件か?」


「条件よ」


 ニルは迷わず書いた。


「あ、あの……出入口は、二つあると安心です」


 カレンが小さく手を上げた。


「もし何かあった時に、逃げる道が一つだと怖いので」

「それと、前が見通せる場所がいいです」


「それは大事だな」


 良樹が頷く。


 カレンは少し嬉しそうに目を伏せた。


「休める場所も必要です」


 クラリスが言う。


「怪我人を寝かせられる部屋」

「水が使えること」

「良樹くんが作業場で寝ないように、寝室が作業場から離れすぎていないこと」


「作業場で寝る前提で対策を組むな」


「前提ではありません。予防です」


 ニルはそこも書いた。


「作業場で寝かせない導線……」


「そこはいらねえ」


「いえ、三人とも頷いているので入れます」


「多数決やめろ」


 ニルは帳面を見直した。


「この条件だと、普通の貸家は外れます」

「町中の家は近隣が近すぎますし、裏庭も狭いです」

「倉庫は作業には向きますが、休む場所がありません」

「なので、作業場付きの元職人宅が合うと思います」


「元職人宅」


「はい。少し古いですが、一軒、かなり合いそうな場所があります」


「話が早いな」


「条件がはっきりしているので」


 ニルは帳面を閉じた。


「元革工房兼親方宅です」

「一階に作業場と居間、台所、水場があります」

「二階は大部屋が一つ、小部屋が二つ」

「裏庭と小さな材料倉庫もあります」

「ギルドから歩いて行ける距離で、住宅密集地からは少し外れています」


 良樹がリシアたちを見る。


 リシアは頷いた。

 カレンも小さく頷く。

 クラリスは穏やかに微笑んでいた。


「見るだけ見てみるか」


「はい。案内します」


   ◇


 ニルが案内したのは、町の中心から少し外れた通りだった。


 市場からは遠すぎない。

 ギルドへも歩いて戻れる。

 だが、宿や商店が密集している通りとは違い、人の出入りは少し落ち着いていた。


 その一角に、古い二階建ての家があった。


 通り側に普通の玄関。

 横には広めの扉。

 荷車を横付けできそうな幅がある。

 裏へ回れば、小さな庭と低い塀が見えた。


「こちらです」


 ニルが鍵を取り出す。


「元々は革職人の親方が使っていた家です」

「親方家族と見習いが何人か住んでいたそうで、普通の貸家より少し大きいです」

「しばらく空いていたので掃除は必要ですが、建物は悪くありません」


「作業場から見ていいか」


 良樹が言う。


「普通は居間から見るんですけど……」


 ニルは少しだけ笑った。


「まあ、良樹さんならそうですよね」


 リシアが呆れたように言う。


「もう慣れられてるわよ」


「合理的だろ」


「家よ」


「作業場付きの家だ」


「そういうところよ」


 ニルは横の大きめの扉を開けた。


 埃の匂いと、かすかに古い革のような匂いが流れてくる。


 中は広かった。


 挿絵(By みてみん)


 壁には古い棚がある。

 床は少し傷んでいるが、沈むような柔らかさはない。

 奥には裏庭へ出る扉。

 天井は宿の部屋より高い。

 窓は小さいが、昼なら明かりは入る。


 良樹の目が変わった。


「床は悪くねえ」


 しゃがみ込み、軽く床を叩く。


「出入口も広い」

「棚も使える」

「この壁なら紙片を貼れる」

「作業台を置くなら、ここだな」

「裏庭側に出力を逃がせる」

「人の立ち位置は……」


「家を見てるのよね?」


 リシアが言った。


「現場を見ていますね」


 クラリスが続ける。


「あ、あの……でも、分かりやすいです」


 カレンは作業場の入口と裏庭への扉を見比べていた。


「逃げる道が、二つあります」


「ああ」


 良樹は頷く。


「それは大事だ」


 ニルが説明を続ける。


「作業場の横が材料倉庫です」

「革材や道具を置いていた場所ですね」

「今は空です」


 小さな倉庫を覗く。


 棚がいくつか残っている。

 埃っぽいが、物置としては十分だった。


「魔石、紙片、予備部材……かなり置けるな」


「ここで寝ようとしないでくださいね」


 クラリスが即座に言った。


「寝ねえよ」


「本当に?」


「作業場の隣だからって、そこまで信用ないのか」


 リシアとカレンが同時に視線を逸らした。


「信用がない」


 良樹は額を押さえた。


 次に、居間と台所を見た。


 居間は四人で食事をするには十分な広さがあった。

 大きめの卓を置ける。

 壁際に棚を置けば、依頼の道具も一時的に置けそうだった。


 台所は古いが、水場がある。

 火を使う場所もある。


 クラリスが水場を確認する。


「水が使えるのは助かりますね」


 カレンは居間の入口から外へ続く道を見ていた。


「ここも、外へ出やすいです」


 リシアは台所から作業場までの距離を見ていた。


「作業場にいる良樹を止めに行くには、近いわね」


「止めに行く前提か」


「止める必要はあるでしょ」


「否定できねえ」


 ニルは苦笑しながら二階へ案内した。


「二階は、大部屋が一つと、小部屋が二つです」

「大部屋は、昔は見習いの人たちが使っていたそうです」

「寝台を三つ置いても、まだ小さな卓くらいなら置けます」

「女性三人で使うなら、かなり余裕があると思います」


 大部屋は確かに広かった。


 現代の良樹の感覚で言えば、十六畳から二十畳くらいはあるかもしれない。

 寝台三つ。

 衣装箱三つ。

 小さな卓。

 衝立。


 それらを置いても、窮屈というほどではなさそうだった。


「三人で一部屋って、狭くねえのか」


 良樹が聞く。


 リシアは少しだけ首を傾げた。


「宿の相部屋よりは、ずっと広いわよ」


「あ、あの……女性同士なら、そこまで珍しくないと思います」


 カレンも言う。


「それに、私たちはパーティですから」


 クラリスが穏やかに続けた。


「そういうもんなのか」


 良樹はニルを見る。


 ニルも頷いた。


「冒険者の拠点としては、かなり良い方だと思います」


「なら、俺が口出す話じゃねえな」


 良樹は小部屋の方を見る。


「ただ、俺は一人部屋にする」

「そこは譲らねえ」


 リシアが少しだけ目を細めた。


「そこは分かってるわよ」


「本当に?」


「本当よ」


 カレンも小さく頷く。


「は、はい。その方がいいと思います」


 クラリスは微笑む。


「良樹くんらしい判断です」


「お前らがどうこうじゃなくて、俺の感覚の問題だ」

「男女で寝る場所を分けないのは、さすがに筋が悪い」


「その辺り、本当に良樹ね」


 リシアの声には、少しだけ安心したような響きがあった。


 小部屋の一つは、良樹が使うのにちょうどよかった。


 寝台。

 小机。

 衣装箱。

 腰袋や装備置き。


 それ以上の余裕はないが、一人なら十分だ。


 もう一つの小部屋は、大部屋の近くにあった。


「ここは予備室か?」


 良樹が聞く。


「物置にもできますが、衣装箱を置く方も多いですね」


 ニルが説明する。


「元々は見習い用の小部屋だったそうです」


 クラリスが、部屋の中を見て言った。


「では、私たちの身支度部屋にできますね」


「身支度部屋?」


 良樹が聞き返す。


「着替えや髪を整える場所です」


 リシアが言う。


「寝室と分けられるなら、その方がいいかも」


「あ、あの……着替えも、そちらでできますし」


 カレンも小さく続ける。


 良樹は小部屋を見た。


 衣装箱。

 鏡。

 衝立。

 着替え。


 用途を分けるという意味では、かなり良い。


「ああ。区画を分けるのはいいな」

「寝る場所、着替える場所、作業する場所を混ぜない方が事故が減る」


 リシアの眉が動いた。


「事故って言い方」


「実際事故るだろ」


「否定はしないけど!」


 クラリスは穏やかに言う。


「見えない場所で管理する、ということですね」


「そうだ」


 良樹は頷いた。


「見えちゃまずいもんは、見えない場所で管理する」

「当たり前だろ」


「言い方!」


「正しいこと言ってるだろ」


「正しいけど、言い方!」


 ニルは少しだけ視線を逸らした。


 仕事だ。

 これは仕事だ。


 そう自分に言い聞かせている顔だった。


   ◇


 一通り見終えたあと、四人とニルは一階の居間に戻った。


 埃っぽい卓を囲むように立つ。


「注意点があります」


 ニルが帳面を見ながら言った。


「裏庭はありますが、隣家が完全に離れているわけではありません」

「大きな音や火は苦情になります」

「作業場の扉は古いので、鍵は交換した方がいいです」

「雨の日は裏庭側の土がぬかるみます」

「あと、二階の一番奥の小部屋は少し寒いです」


「ちゃんと見てるな」


 良樹が言う。


「仕事ですから」


 ニルは少し照れながらも、そう答えた。


 良樹は作業場の方を見た。


「ここなら、作業台を置ける」

「人の位置も決められる」

「出力側を裏庭へ逃がせる」

「居間で打ち合わせもできる」

「二階で寝る場所も分かれてる」


 それから、三人を見た。


「悪くねえ」


 リシアの表情が少し明るくなった。

 カレンは胸元で手を握った。

 クラリスは静かに微笑んだ。


 ニルは帳面を閉じる。


「家賃は少し高めです」

「ただ、作業場付きで、四人で使うなら相場より悪くありません」

「今は空きが続いているので、ギルド経由なら交渉できます」


「すぐ契約するかどうかは、ガレスと確認してからだな」


 良樹が言う。


「はい。仮押さえはできます」


「頼む」


「分かりました」


 そこで、リシアが良樹を見た。


「借りるなら、生活ルールも決めないとね」


「だな」


 良樹は即座に頷いた。


「作業場では寝ない」


 クラリスが言った。


「いきなりそこか」


「最重要です」


 リシアも頷く。


「作業場と生活空間は分ける」


「それは同意」


「あ、あの……ドレッサー部屋は、使う時に声をかけた方がいいと思います」


 カレンが小さく言った。


「声かけだけじゃ弱いな」


 良樹は真面目な顔になった。


「鍵だ」


「鍵?」


 リシアが聞く。


「使用中は鍵をかける」

「物理的に開かなけりゃ、俺が寝ぼけてても入れねえ」

「人間の注意力に頼るより、構造で止める方が確実だ」


 クラリスが頷く。


「正しいですね」


「はい……正しいです」


 カレンも頷いた。


 だが、三人の反応は、どこか重かった。


「何だ、その間は」


 良樹が目を細める。


「いえ」


 クラリスが微笑む。


「正しいですが、家ですから」


「家だからこそ、事故を防ぐんだろ」


「生活の余白も必要です」


「今、事故の余地を余白って言い換えなかったか?」


「いいえ」


 クラリスは微笑んだ。


 リシアが続ける。


「家なんだから、全部を作業場みたいにしないで」


「作業場でもあるんだよ」


「家でもあるの」


 カレンが小さく口を挟んだ。


「あ、あの……全部を決めすぎると、その……声をかけるのも、少し怖くなるかもしれません」


「カレンまで」


「す、すみません」


 良樹は額を押さえた。


「じゃあ、俺が間違えて女部屋開けた時に、誰か寝てたり着替えてたりしたら、何も言わねえんだな?」


 三人は同時に答えた。


「それは言う」


「い、言います」


「言いますね」


「即答かよ」


「当たり前でしょ」


 リシアが言う。


「鍵を徹底しないんだろ」


 良樹は指を折った。


「罰則も作らない」

「使用中表示も義務化しない」

「全部を作業場みたいにするなと言う」

「だが事故ったら俺は言われる」


「責めるとは限りません」


 クラリスが言う。


「限りません、が一番怖えんだよ」


「あ、あの……でも、見たら、ちゃんと謝ってほしいです」


 カレンが言う。


「それは謝る」


「それと、すぐ閉める」


 リシアが言う。


「閉める」


「その後、当人同士で確認します」


 クラリスが言った。


「どうしてこうなった」


 良樹は天井を見上げた。


 ニルは完全に帳面へ視線を落としていた。


 良樹は深く息を吐く。


「安全側が多数決で負けるの、かなり怖えんだけど」


「安全は大事よ」


「じゃあ俺の案でいいだろ」


「生活も大事なの」


 リシアが言う。


「距離も大事です」


 クラリスが言う。


「は、はい……距離も……」


 カレンが赤くなりながら頷く。


「今、事故防止会議だよな?」


「生活距離確認会議です」


「名前を変えるな」


 安全対策としては、良樹の案が正しかった。


 鍵をかける。

 札を出す。

 忘れた場合の手順を決める。

 再発防止を明文化する。


 全部やれば、事故は減る。


 だが、ここは作業場ではなかった。

 家だった。

 四人で使う場所だった。


 そして多数決では、良樹は一人だった。


「……家って、現場より難しくねえか」


「今さら?」


 リシアが言う。


「はい。人間が住みますから」


 クラリスが続ける。


「あ、あの……でも、楽しそうです」


 カレンが小さく言った。


「カレン、それはフォローになってねえ」


 良樹はそう言いながらも、作業場の方を見た。


 作業場。

 居間。

 台所。

 二階の部屋。

 ドレッサー。

 裏庭。


 ここは、ただの作業場所ではない。


 食事をする場所。

 休む場所。

 準備をする場所。

 戻ってくる場所。


 四人で使う場所。


 だから、盤のように完全には割り切れない。


 それでも、現場であることに変わりはなかった。


 良樹は、作業場の床に視線を落とした。


「作業場も、家も、結局は同じか」


「同じ?」


 リシアが聞く。


「人がどこに立つか」

「物をどこに置くか」

「どこから見て、どこへ逃げるか」

「誰が止めるか」

「そこまで含めて、現場だ」


 クラリスが目を細める。


「この家ごと、良樹くんの魔導盤の外側になるのですね」


「そこまで大げさじゃねえが……」


 良樹は少し考えた。


「でも、近い」


 カレンが、作業場と居間を見比べた。


「私たちも、その中にいるんですね」


「盤の中じゃねえ」


 良樹は言った。


「現場の中だ」


 その言葉に、三人は少しだけ黙った。


 ニルは、帳面を抱え直す。


「では、仮押さえでギルドに報告します」


「ああ。頼む」


「はい」


 ニルは一度、良樹たちを見た。


「良い拠点になると思います」


「そうか」


「はい」


 ニルは少しだけ笑った。


「良樹さんたちには、合っていると思います」


 良樹は古い作業場付きの家を見回した。


 一人用の宿部屋では、四人分の距離感を運用できなかった。


 だから、四人で使う場所を探すことになった。


 作業場。

 食卓。

 休む場所。

 戻る場所。


 盤ではない。


 けれど、四人で動くための最初の現場が、少しずつ形になり始めていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

四人で使う場所ができて、良樹たちの関係も少しずつ「その場限りの仲間」から変わり始めました。

この先も、戦いと実験と恋の事故を少しずつ積み上げていきます。 楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

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