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第128話 戻さなくていい

 それから数日後。


 良樹たちは、再びあの集落を訪れていた。


 良樹。

 リシア。

 カレン。

 クラリス。


 そして、アルフ。


 リナたちは町で留守番をしている。


 今日は、アルフ自身が望んだ日だった。


 井戸へ施した付与を解除する。


 自分が何も考えずに残したものを、自分の手で元へ戻す。


 そのために、石への解除を繰り返した。


 十回連続で成功した。


 万能切断のナイフも解除した。


 ようやく今日、この場所へ戻ってきた。


 集落へ入ってから、アルフはほとんど周囲を見ていなかった。


 視線は、ずっと井戸へ向いている。


 水は、今も湧いていた。


 以前のように周囲へ溢れ出してはいない。


 水位が上がれば、良樹が作った排水設備が動く。


 余った水は配管を通り、集落の外へ流される。


 水位が下がれば、設備は止まる。


 井戸の周囲に泥濘はない。


 畑も、道も、もう水に削られてはいなかった。


 だが、アルフはそれを見ていない。


 見ているのは、井戸に残る自分の付与だけだった。


「良樹さん」


 集落の長が、良樹たちへ歩み寄ってきた。


「また来てくれただか」


「ああ」


 良樹は井戸へ目を向ける。


「今日は、こいつの用事だ」


 アルフが一歩前へ出た。


 長だけではない。


 近くにいた村人たちも、アルフを見る。


 以前、謝罪に来た若い付与術師。


 この井戸へ、止まらない水を与えた男。


 アルフは深く頭を下げた。


「今日は、この井戸へ施した付与を解除するために来ました」


「解除?」


「はい」


 アルフは顔を上げる。


「もう、解除できます」


「以前はできませんでした」

「ですが、師匠に教わり、何度も練習しました」


 声は震えていなかった。


 だが、両手は強く握られていた。


「今度こそ、僕がこの井戸を元へ戻します」


 長は、困ったように良樹を見た。


 それから、アルフへ視線を戻す。


「いや」


 アルフの表情が固まる。


「このままでええよ」


「……え?」


「井戸は、このままでええ」


 長は井戸を振り返った。


「最初は、本当に困っただ」

「水を捨てても捨てても溢れて」

「道も畑も崩れかけて」

「正直、あんたを恨んだこともあった」


 アルフは黙って聞いている。


「でも今は、良樹さんが作ってくれた仕組みがある」

「水が増えれば流してくれる」

「止め方も教わった」

「おかしい時に見る場所も教わった」


 長は、井戸の縁へ手を置いた。


「井戸が枯れる心配もなくなった」

「畑にも、家畜にも、十分な水を使える」

「前より暮らしは楽になっただ」


 近くにいた村人も頷いた。


「この水がなくなったら、今度は困る」


「もう、この井戸がある前提で畑を作ってるからな」


「だから」


 長はアルフを見る。


「今のまま使わせてほしい」


「ですが」


 アルフは一歩踏み出した。


「これは、僕が勝手にしたことです」


「ああ」


「止め方も作らず」

「皆さんがその後どうなるかも考えず」

「自分が役に立ったと思い込んで、置いていったものです」


「それは、そうだな」


 長は否定しなかった。


「なら、僕が元へ戻さなければ」


「元へ戻ったら、井戸はまた枯れかけるだろ」


「それでも」


 アルフの声が強くなる。


「僕は、そのために来たんです」

「自分のしたことを、自分の手で終わらせるために」


 長は、少し困ったように眉を下げた。


「でも、おらたちは終わらせてほしくねえんだ」


「それでは僕は――」


 言葉が止まる。


 アルフは解除したかった。


 井戸のためだけではない。


 集落のためだけでもない。


 自分が犯した失敗を、自分の手で消す。


 それでようやく、償うことができると思っていた。


 だが、このままでいいと言われた。


 解除しなくていいと言われた。


 それでは。


 自分は、何をすればいい。


「アルフ」


 良樹の声がした。


 アルフは振り返る。


「師匠!」


 良樹へ駆け寄る。


「師匠からも、解除させてくれるように頼んでもらえませんか!」


 良樹は答えなかった。


 ただ、アルフを見た。


「お前は、この井戸に付与した時。何を考えた」


 アルフの顔が強張る。


「……戻り線も、非常停止も」

「何もありませんでした」


「違う」


「でも、師匠にそう教わって――」


「お前は、この人たちが困ってたから、助けたかったんじゃねえのか」


 アルフは言葉に詰まった。


「止め方はなかった」

「戻し方もなかった」

「迷惑もかけた」


 良樹は、井戸を見る。


「だけどな」

「それでも今、ここの人たちは、結果的にでもお前の付与を望んでくれてる」


 そして、もう一度アルフを見る。


「もう一度聞くぞ」

「お前は付与した時に、何を考えた」


 アルフは俯きかけた。


 だが、良樹を見たまま答えた。


「……役に立ちたかったです」


 一度、息を吸う。


「助けたかったです」


「なら――見てみろ」


「え?」


「周りを見ろ」


 アルフは、そう言われて初めて周囲を見渡した。


 集落へ入る前から、ずっと気負っていた。


 ここは自分が失敗した場所。


 自分が迷惑をかけた場所。


 今日、自分の手で元へ戻さなければならない場所。


 そう思い込んでいた。


 だから、周りを見る余裕などなかった。


 井戸のそばで、女たちが水を汲んでいる。


 以前のように、底近くまで桶を落とす必要はない。


 水面は十分な高さを保ち、澄んだ水が途切れることなく湧いている。


 少し離れた場所では、家畜が水を飲んでいた。


 畑では、男が水を撒いている。


 あの日、腫れた膝で水樽を運んでいた男は、日陰に座り、籠を編んでいた。


 子供たちが井戸の近くを走っている。


 だが、泥に足を取られることはない。


 井戸から溢れそうになった水は、良樹の作った排水設備へ吸い込まれ、配管を通って集落の外へ流れていく。


 誰も、水を捨てるために荷車を押していない。


 誰も、枯れかけた井戸を不安そうに覗き込んでいない。


 村人たちは、井戸を使っていた。


 当たり前のように。


 自分たちの暮らしの一部として。


「お前のやり方が正しかったとは言わねえ」


 良樹が言った。


「技術としては穴だらけだった」

「止められねえ」

「戻せねえ」

「何かあった時に、誰も手を出せねえ」


「……はい」


「だが」


 良樹は井戸の周りで暮らす人々を見る。


「助けようとしたことまで、間違いだったことにすんな」


 アルフが顔を上げる。


「お前が楽になるために、この井戸を消すのか?」


「違います!」


「この人たちが今の井戸を望んでるのに」

「お前が償った気になるために、元へ戻すのか」


「……違います」


「なら、誰のために来た」


 アルフは井戸を見る。


 今度は、井戸だけではない。


 井戸を使う人々も見た。


「この集落の」

「皆さんのためです」


「なら、そいつらの話を聞け」


 良樹は井戸の脇へ歩いていく。


「勝手に助け方を決めるな」

「勝手に償い方も決めるな」


 排水設備の前でしゃがみ込む。


「アルフ」


「……はい」


「俺はこれから、排水システムのメンテをする」


 良樹は配管へ手を置いた。


「手伝え」


 アルフは一瞬、良樹を見た。


 それから、力強く頷いた。


「……はい!」


   ◇


 良樹は、まず設備を止めた。


 停止用の魔石札を外す。


 動作表示が消えたことを確認する。


 配管内の水が抜けるまで待つ。


 アルフは、その全てを隣で見ていた。


「止めたからって、すぐ触るな」


「はい」


「中に圧が残ってるかもしれねえ」

「動かねえことと、安全なことは同じじゃねえ」


「はい、師匠」


 良樹は配管の一部を軽く叩き、音を聞く。


 次に接続部へ触れ、緩みがないかを確かめた。


「お前も見ろ」


「はい」


 アルフは反対側へ回る。


 良樹と同じように、継手へ指を当てる。


「少し、濡れています」


「どこからだ」


「この接続部です」


「締めすぎるなよ」

「締めりゃいいってもんじゃねえ」

「締めすぎても割れる」


 アルフは慎重に継手を調整した。


 挿絵(By みてみん)


 良樹は隣で見ている。


 手は出さない。


 ただ、危ない動きをした時だけ声をかける。


 しばらくして、アルフが配管の途中に取り付けられた部品へ目を向けた。


「師匠」

「これは、どうしてこの形に?」


「ああ」


 良樹は部品の外側を指で叩いた。


「その中に入ってるバネで、中の圧力を逃がすんだ」


「圧力を、逃がす」


「配管の先が詰まった時」

「ポンプが水を押し続けたら、どこかが壊れる」


 良樹は配管を指でなぞる。


「継手が外れるか」

「弱い場所が割れるか」

「ポンプそのものが壊れるか」


「その前に、ここから逃がすんですね」


「そうだ」

「壊れてから止まるんじゃ遅え」


「なるほど……」


 アルフは部品を食い入るように見つめた。


「では、これは?」


「ああ、それはな」


 良樹は隣の弁へ手を伸ばす。


「水が逆に戻るのを止める」

「設備を止めた時に、配管の中の水が全部井戸側へ返ったらどうなる」


「吸い込み側へ負荷が掛かります」

「それに、次に動かす時、もう一度配管全体へ水を満たさなければならない」


「そういうことだ」


 次に、吸い込み口を開ける。


 金網へ、小さな葉や泥が絡みついていた。


「これを取る」


「この程度でも、ですか?」


「この程度だから取る」


 良樹は葉を一枚摘まむ。


「今は流れる」

「だが、ここへ枝が掛かる」

「そこへまた葉が掛かる」

「泥が溜まる」

「少しずつ水の流れが悪くなる」


「気づいた時には、排水できなくなっている」


「ああ」


 良樹は、取り外した金網をアルフへ渡す。


「洗ってこい」


「はい!」


 アルフは井戸とは別に用意された水場へ走る。


 金網を洗い、光へ透かす。


 目詰まりが残っていないことを確認してから戻ってきた。


 良樹は受け取らずに言う。


「自分で戻せ」


「はい」


「向きに気をつけろ」


 アルフは一度、手を止めた。


 金網の形を見る。


 取り付け部を見る。


 外した時の向きを思い出す。


 確認してから、元へ戻した。


「できました」


「まだだ」

「動かして確認するまでが作業だ」


「はい」


 良樹とアルフは、村人たちにも声をかけた。


 吸い込み口。


 魔石の消耗。


 異音。


 配管の漏れ。


 停止用の魔石札。


 良樹が一つ説明するたび、今度はアルフが村人へ説明し直した。


「音がいつもと違うと思った時は、無理に使い続けないでください」


「どんな音だ?」


「今から通常の音を聞いてください」

「それと違う音です」


「言葉で全部覚えなくてもいい」

「毎日聞いていれば、違いに気づけます」


 良樹は、隣で黙って聞いていた。


 アルフは時折、良樹を見る。


 良樹が何も言わなければ、そのまま続ける。


 間違えれば、良樹が短く訂正する。


 一通りの確認を終えた後。


 停止用の魔石札を戻す。


 良樹が合図を出す。


「動かせ」


「はい」


 アルフが設備を起動する。


 魔石が淡く光る。


 ポンプが動き始めた。


 羽根が回る低い音。


 配管を水が通る音。


 圧力が上がる。


 接続部に漏れはない。


 吸い込みも安定している。


 排水先へ水が流れ出す。


 良樹は音を聞き。


 アルフは配管を見た。


 二人で、設備が正常に動いていることを確認する。


「異常なしです」


「まだ早え」

「しばらく見ろ」


「はい」


 動き始めた瞬間だけ正常でも意味はない。


 少し待つ。


 圧力が安定する。


 水位が下がる。


 設定された位置まで下がったところで、ポンプが止まった。


 静かになる。


 良樹は頷いた。


「ヨシ」


 アルフも、小さく息を吐いた。


「ヨシ、です」


   ◇


 一通りのメンテナンスを終えた二人は、井戸から少し離れた木陰へ腰を下ろした。


「お疲れさま」


 リシアが、茶の入った器を差し出す。


「おう」


 良樹が受け取る。


 カレンはアルフへ器を渡した。


「アルフさんも、どうぞ」


「ありがとうございます」


 アルフは両手で受け取り、ゆっくり口をつけた。


 冷たい茶が、乾いた喉を通る。


「随分、熱心に見ていましたね」


 クラリスが微笑む。


「はい」


 アルフは井戸の方を見る。


「知らないことばかりでした」

「どうしてその形なのか」

「どうしてそこに付けるのか」

「一つ一つ、全部に理由があって」


「理由もなく部品を増やしてたら、ただの邪魔だ」


 良樹は茶を飲みながら言った。


 少しの間、水の流れる音だけが聞こえていた。


 良樹は、井戸を眺める。


 アルフが付与した力によって、今も水は湧いている。


 余った水は、排水設備によって決められた場所へ流れていく。


「アルフ」


「はい」


「俺のいた世界には、核ってもんがあった」


「核……ですか?」


 聞き慣れない言葉に、アルフは首を傾げた。


「それは、どんなものなんですか?」


「この世界で例えるなら……そうだな」


 良樹は少し考える。


「魔力をほぼ無尽蔵に吐き続ける」

「だが、扱いを間違えれば、最後には周りを毒に変える」


 アルフが、ごくりと喉を鳴らした。


 リシアたちも良樹を見る。


 三人にとっても、初めて聞く話だった。


「最初は、人を殺すために研究された」


「人を……」


「俺のいた国、日本は」

「世界で唯一、その力で攻撃された国だった」


 良樹は遠くを見る。


「まあ、爺さんや、ひい爺さんの時代のことだけどな」


 軽く言ったつもりだった。


 だが、誰も口を挟まなかった。


「危ない力だった」


 アルフは、思わず視線を落とした。


 止まることなく水を吐き続けた、自分の付与。


 良樹は、それを核と同じだと言っている。


「下を向くな」

「まだ続きがある」


 アルフは、すぐに顔を上げた。


 落ち込んでいる場合ではない。


 師が話している。


 一言も聞き逃してはいけない。


「だがな」


 良樹は続ける。


「今では、その力が制御されて、色んな人の役に立ってる」


「役に……?」


「ああ」

「こっち風に言うなら」

「危ない魔力の塊でも、閉じ込めて、加減して、異常があれば止められるようにして使ってる」


 良樹は井戸へ目を向けた。


「事故がなかったわけじゃねえ」

「それでも人間は、暮らしを良くしようと、その力を使ってきた」


 そして、アルフを見る。


「お前の最初は、善意だったんだろ」


「……はい!」


「ちゃんと制御すれば」

「こうやって役に立つようになった」


「……はい!」


 アルフの返事は、先ほどよりも強かった。


「アルフ」


「はい」


「お前は、自分の力が怖いと思ったことはねえか」


 アルフは、すぐには答えなかった。


 自分の両手を見る。


「師匠に会う前は、思いませんでした」


 嘘をつく気はなかった。


「僕には何でもできると思っていました」

「もっと役に立てる」

「もっと、たくさんの人を助けられる」

「そう思っていました」


 指を握る。


「師匠に会ってからは、怖いです」


 アルフは顔を上げた。


「自分の力が、こんなに怖いものだったんだって」

「毎日、思い知りました」


「そうか」


 良樹は短く答えた。


 茶の器を地面へ置く。


「俺も、自分の力が怖え」


「――え?」


 アルフの目が見開かれる。


 リシア、カレン、クラリスも、何も言わず良樹を見た。


「オーガと戦った時にな」


 良樹は、自分の右腕を見る。


「俺は一度、自分で止まれなくなった」


「師匠が……?」


「ああ」


 良樹は、ゆっくり話し始めた。


 三人が倒れたこと。


 リシアが血を流したこと。


 カレンが動けなくなったこと。


 クラリスの肩が壊れかけたこと。


 三人を傷つけたオーガが、許せなかったこと。


「安全を見る回路が、全部焼けた」


 良樹は淡々と続ける。


「止める条件も」

「出力の上限も」

「自分の身体がどうなるかも」

「全部、見えなくなった」


 良樹の右手が、ゆっくり握られる。


「世界から、直接魔力を引っ張った」

「主幹ブレーカーを通さず」

「安全回路も通さず」

「止め方もないままな」


 アルフは息を呑む。


「オーガは倒した」


「ですが、それなら……」


「止まらなかった」


 良樹は即答した。


「倒した後も」

「まだ、許せなかった」


 良樹は、少しだけ目を伏せる。


「最後には」

「三人を傷つけさせた自分まで、許せなくなってた」


 アルフは言葉を失った。


「俺一人だったら」

「たぶん、自分を壊すまで止まれなかった」


 良樹は、三人を見る。


「だが、止めてもらった」


「皆さんに、ですか」


「ああ」


 良樹は頷く。


「俺の中だけじゃ、止める回路が足りなかった」


 リシア。


 カレン。


 クラリス。


 三人を順番に見る。


「だから、外から止める回路になってくれた」


 アルフは三人を見る。


「良樹さんが私たちを壊さないために作った、共通ブレーカーがありました」


 カレンが静かに言った。


「今度は私たちが」

「良樹さんを壊さないために、それを落としたんです」


「三人で、ですか」


「はい」


 アルフは、少し迷ってから尋ねた。


「その時」

「皆さんは、どうやって師匠を止めたんですか?」


 三人は、互いの顔を見た。


 最初に口を開いたのはリシアだった。


「あの時の良樹は、魔力を逃がしてなかったの」


「逃がしていなかった?」


「撃つ」

「殴る」

「押し込む」

「全部、出すだけ」


 リシアは良樹の右腕を見る。


「反動も、熱も、全部自分の身体へ返してた」

「正面から押し返したら、良樹ごと壊れると思った」


「では、どうしたんですか」


「横へ逃がしたのよ」


 リシアは指先で、空中に流れを描く。


「暴れていた魔力の横に風を入れて」

「流れる場所を作った」

「止めたっていうより、燃えていた出力を少し逃がしたの」


「怖くは……」


「怖かったわよ」


 リシアは即答した。


「でも、それ以上に腹が立った」


「腹が?」


「勝手に一人で壊れようとしてたから」


 リシアは良樹を横目で見る。


「三人とも無事かどうかも確認しないで」

「自分だけ全部背負って」

「自分まで壊そうとしてた」


 良樹は何も言わなかった。


 次に、アルフはカレンを見る。


「カレンさんは?」


「私は」


 カレンは胸元で手を握る。


「良樹さんの拳の前に立ちました」


「拳の前に!?」


「はい」


 カレンは少し困ったように笑った。


「良樹さんは、私の剣の使い方を真似ていました」

「怖い場所に、先に置く」


「ですが」

「良樹さんは、使い方を間違えていました」


「間違えて?」


「守るために置くのではなく」

「自分から怖い場所へ入っていたんです」


 カレンの指が、僅かに震える。


「あのままでは、良樹さんが怖いものになってしまうと思いました」


「だから」

「拳の進行線へ、私自身を置きました」


 アルフの顔が引きつる。


「もし、止まらなかったら……」


「無事では済まなかったと思います」


「カレンさん!」


「あはは……」


 カレンは困ったように笑った。


「本当に怖かったですよ」


 一拍。


「でも」

「良樹さんが戻ってこなくなる方が」

「ずっと怖かったんです」


 最後に、アルフはクラリスを見る。


「クラリスさんは?」


「私は、良樹くんの右肩へ触れました」


「暴走していた腕の付け根ですね」


「はい」


 クラリスは静かに頷く。


「良樹くんは、自分の身体を弾薬にしていました」


 アルフの表情が固まる。


「拳を撃つたび」

「魔力を放つたび」

「右肩も、腕も、身体の中も壊れていました」


「治療をしたんですか?」


「いいえ」


 クラリスは首を振った。


「治す前に、止めました」


「あ……」


「動き続けているものを治しても、壊れ続けます」

「まず、止めなければなりません」


 クラリスは良樹を見る。


「私は右肩へ触れ」

「良樹くんへ、止まるための入力を入れました」


「リシアの魔力」

「カレンの恐怖」

「私の手」


「三つの線が、良樹くんの中へ割り込みました」


「それで」


 リシアが続ける。


「私たち三人が、良樹の共通ブレーカーを落とした」


「良樹さんが私たちを守るために作った回路が」


 カレンも続ける。


「今度は、良樹さんを守るために働いたんです」


 アルフは、しばらく何も言えなかった。


 三人を見る。


 それから、良樹を見る。


 自分の師匠が、どれほど危険な状態だったのか。


 その師匠を、目の前の三人が命懸けで連れ戻した。


「皆さん」


 アルフは神妙な顔で頭を下げた。


「本当に、すごいです」

「皆さんも、師匠も」

「無事で、本当に良かったです」


「でもね」


 リシアが、少しだけ楽しそうに口元を緩めた。


「悪いことばかりでもないの」


「はい」


 クラリスも静かに微笑む。


「あの時に、私たちは知ることができました」


「あはは……」


 カレンだけが、良樹の様子を窺う。


「あの」

「良樹さんの目の前で言うんですか?」


「それは言うわ」


「言いますね」


 良樹は、茶の器を口へ運びかけて止まった。


「……嫌な予感がする」


 アルフは三人を見る。


 何か、自分の知らない重大な事実がある。


 そんな神妙な面持ちで尋ねた。


「それは……一体?」


 三人は息を合わせた。


「「「よくも俺の女たちに手ぇ出しやがったな」」」


「ぶっ――!」


 良樹が盛大に茶を吹き出した。


 アルフは無言で卓へ突っ伏した。


「お前ら!」


 良樹が咳き込みながら三人を睨む。


「今それを言う必要あったか!?」


「あるわよ」


 リシアは少し嬉しそうに、けれど怒ったような顔で良樹を指差した。


「アルフ君」

「こいつね、こんな顔して、すっごい独占欲が強いんだから」


「あ、あの」


 カレンは頬を赤らめ、良樹を見る。


「私は、それが嬉しいですけど……」

「良樹さん」


「何でしたか」


 クラリスは思い出すように、僅かに首を傾げる。


「私たちを傷つけさせた自分を」

「許せねえ、でしたか」


「おい!」

「やめろ!」


 良樹が声を上げる。


「結構前のことだろ!」


「何よ」

「弟子の前だからって、格好つけなくていいじゃない」


 リシアはそう言うと、良樹の腕へ抱きついた。


「あら」


 クラリスは反対側へ回る。


「では、私も」


「二人とも待ってください!」


 カレンが慌てて立ち上がる。


「ずるいです!」


 正面から良樹へ抱きついた。


「お、ま、え、らああああ!」


挿絵(By みてみん)


「何よ」

「嬉しいくせに」


 リシアは良樹の腕を抱いたまま、悪戯っぽく笑う。


「ほら」

「独占していいわよ」


「ど、独占してもらいます!」


「私は既に、独占されています」


 クラリスは当然のように言った。


 アルフは、師匠の意外な一面を見た。


 自分には決して見せない姿だった。


 良樹は怒っている。


 顔を赤くして、三人へ文句を言っている。


 けれど。


 その顔は怒っているようで、どこか安心しているようにも見えた。


 師匠が三人の妻をどう思っているのか。


 いやでも、アルフには伝わってきた。


   ◇


 良樹は、どうにか三人を引き剥がした。


 乱れた服を直し、座り直す。


「――コホン」


 咳払いを一つ。


 先ほどまでのことなどなかったかのように、アルフへ向き直った。


「というわけでだ、アルフ」


「…………」


「おい」


 アルフは俯いていた。


 肩が僅かに震えている。


「何で笑いを必死に堪えたような顔をしてやがる」


「す、すみま……せ……ん……」


 アルフは必死に下を向いていた。


 駄目だ。


 今、師匠の顔を見たら、確実に笑ってしまう。


「おい」

「こっちを見ろ」


「…………」


 見られない。


 見た瞬間、吹き出す。


「――打撃盤」


「え?」


 良樹の右腕を、青白い魔力が包む。


 クランク。


 リンク。


 アーム。


 巨大な機械の外装。


 良樹の右腕が、人のものではない大きさへ変わっていく。


 俯いていたアルフの視界へ、その巨大な拳が入った。


「こっちを見ろ」


「…………!」


「こっちを見ねえと」

「今度はこれでゲンコツするぞ」


 アルフは勢いよく顔を上げた。


「すみませんでした、師匠!」

「笑いません!」


「笑おうとしてたんじゃねえか!」


 三人が、一斉に吹き出した。


「お前らも笑うな!」


 良樹は打撃盤を消す。


「ったく……」


 もう一度座り直し、今度こそアルフを見る。


「いいか」


「はい!」


 アルフも背筋を伸ばした。


「解除できるようになったからって」

「何でも元へ戻せばいいわけじゃねえ」


「はい」


「作った時に、使う奴を見なかった」

「今日も最初は、使ってる奴を見ずに解除しようとした」


 アルフの表情が引き締まる。


「やってることの向きは逆でも」

「根っこは同じだ」


「……はい」


「お前の善意だけで、助け方を決めるな」

「お前の罪悪感だけで、償い方も決めるな」


「使う人の話を聞きます」


「それだけじゃねえ」


 良樹の説教は、そこから長くなった。


 動かす前に止め方を見ること。


 戻し方を考えること。


 正常に動いている時こそ、異常の兆候を探すこと。


 自分だけで判断しないこと。


 自分の中の回路だけを信用しないこと。


 怖いから捨てるのではない。


 怖いと知った上で、使える形にすること。


 今度のアルフは笑わなかった。


 背筋を伸ばし。


 時折質問を挟み。


 一つ一つ、真剣に聞いている。


 少し離れたところで、三人の妻がその様子を眺めていた。


「アルフ君、変わったわね」


 リシアが小さく言った。


「変わったというより」


 カレンは二人を見比べる。


「良樹さんに、似てきたというか……」


「初めてお会いした時は」


 クラリスも二人を見る。


「あのような顔で笑う方だとは思いませんでした」


「私もよ」


 リシアは、まだ説教を続ける良樹を見る。


「でも、良樹が可愛がるのは、何となく分かるわ」


「素直で」

「真面目で」

「少し危なっかしくて」


 カレンが指折り数える。


「良樹くん、そのものですね」


「でも、良樹が素直かって言われると……」


 リシアは首を傾げた。


「それは、ないかしら」


「ある意味では、とても素直ですよ」


 クラリスが答える。


「特に夜はね」


 リシアが、にやりと笑った。


「あ、あの……」


 カレンの顔が一瞬で赤くなる。


「それは、間違いありません」


「クラリスまで!」


 三人は、声を抑えて笑った。


 良樹はまだ、アルフへくどくどと説明している。


 アルフも嫌そうな顔一つせず、何度も頷いていた。


「弟子というのもあるのでしょうけれど」


 クラリスが、少しだけ目を細める。


「良樹くん」

「アルフ君のことを、年の離れた弟のように感じているのかもしれませんね」


「でしょうね」


 リシアは頬杖をついた。


「本人は絶対、認めないでしょうけど」


「その点は」


 カレンが柔らかく笑う。


「やっぱり、素直ではないですね」


   ◇


 その頃。


 町で留守番となったリナたちは、冒険者ギルドにいた。


 リナ。


 マリカ。


 トーリ。


 シア。


 アルフたちが戻るまで、ギルドの一角を借りて待っている。


 昼を少し過ぎた頃。


 ギルドの奥にある部屋から、二人の男が出てきた。


 一人はロブ。


 もう一人は、眼鏡を掛けた、学者然とした痩身中背の男。


 二人とも髪は乱れ、目の下には濃い隈ができている。


 ロブの長い耳も、力なく垂れていた。


 どうやら、また徹夜だったらしい。


「――リナか」


 ロブが足を止めた。


 リナも立ち上がる。


「お兄ちゃん」


 ロブは妹を上から下まで眺める。


 それから、頭を掻いた。


「やっぱり、その姿だとまだ見慣れねえな」


 人間の少女となった妹。


 同じ町に滞在してはいた。


 だが、ロブは勉強と開発と実験に明け暮れている。


 こうしてゆっくり顔を合わせるのは、随分と久しぶりだった。


「おお!」


 隣にいた男が目を見開く。


「こちらが、ロブ殿の妹御ですかな!」


「はい」

「リナです」


「初めまして」


 男は胸へ手を当て、丁寧に頭を下げた。


「拙者はロブ殿の共同研究者」

「グレッグと申しますぞ」


「共同研究者……」


 リナは、少し驚いたようにロブを見る。


「お兄ちゃんの?」


「そうですぞ!」


 グレッグが力強く頷く。


「ロブ殿には、日々大いに助けていただいております」


「逆だろ」


 ロブがすぐに口を挟む。


「俺が教わってんだよ」


「今は既に、互いに教え合う仲ですぞ」


「……好きに言ってろ」


 ロブは面倒そうに返す。


 だが、本気で嫌がっている様子はない。


 リナは、そんな兄を少し不思議そうに見た。


 以前のロブなら。


 人間と、こんなふうに並んで話すことはなかった。


 少なくとも。


 自分の知る兄は、いつも一人だった。


「お兄ちゃん」


「何だ」


「元気そうだね」


「どこを見て言ってんだ」


 ロブは自分の目の下を指差した。


「今にも倒れそうだろうが」


「それはロブ殿が、あと一回だけと言って実験を続けるからですぞ」


「あんただって止めなかっただろ」


「拙者も、あと一回だけ確かめたかったのですな!」


「同罪じゃねえか」


 二人は顔を見合わせる。


 そして、同時に欠伸をした。


 少しの沈黙の後。


 ロブは、改めてリナを見る。


「なあ」


「何?」


「お前」

「元の姿に戻る気はねえのか」


 周囲の空気が、僅かに止まった。


 マリカたちも、リナを見る。


 リナは、自分の手へ目を落とした。


 兎人族だった頃とは違う。


 小さな、人間の少女の手。


 それから、ゆっくりと首を横へ振った。


「戻らない」


「そうか」


「自分で選んだことだから」

「後悔してない」


 リナは兄を見る。


「元の私が嫌いだったからじゃないよ」


 一度、胸元で手を握る。


「私は、アルフが好き」


 少し頬を赤らめる。


 それでも、目を逸らさなかった。


「だから」

「アルフの隣にいても、誰にも何も言われない、この姿が好き」


「今の私を」

「私は、嫌いじゃない」


 ロブは黙って妹を見ていた。


 やがて、短く息を吐く。


「なら、それでいい」


「お兄ちゃん……」


「お前が決めたんなら」

「俺から言うことはねえよ」


 ロブは隣のグレッグへ視線を向ける。


「俺には」

「お前にとってのアルフみてえな女はいねえけどよ」


「お兄ちゃん、そういう言い方……」


「事実だろ」


 ロブは面倒そうに頭を掻く。


「でも、今はこいつがいる」

「良樹もいる」


 グレッグが、少し驚いたようにロブを見る。


「この町じゃ」

「亜人だからって騒ぐ奴も、ほとんどいねえ」


 ロブはギルドの中を見渡した。


 人間。


 亜人。


 冒険者。


 職員。


 誰も、ロブがそこに立っていることを不思議そうには見ていない。


「前とは違う」


 ロブはそれだけ言った。


 グレッグは、何も言わず力強く頷いた。


 リナも、小さく笑った。


「お兄ちゃんこそ、すごいよ」


「ああ?」


「そんな才能があったなんて」

「私、知らなかった」


 ロブは露骨に嫌そうな顔をした。


「そんないいもんじゃねえよ」


「いいえ!」


 グレッグが、ここぞとばかりに割って入る。


「確かに、ロブ殿の知覚能力は素晴らしい!」


「魔石の僅かな振動を聞き分ける聴覚!」

「一度理解すれば、それを応用する学習速度!」


「ですが!」


 グレッグは拳を握る。


「それを支えているのは」

「並々ならぬ努力ですぞ!」


「グレッグ」


「一つの音を確かめるため、何度も同じ実験を繰り返す!」


「もういい」


「理解できぬ箇所があれば、夜が明けるまで文献を読む!」


「もういいって」


「分からぬことを恥じず、理解できるまで問い続ける!」


「もういいっつってんだろ!」


 グレッグは、さらに拳を高く掲げた。


「ああ――」

「やはり、技術は平等ですぞ!」


 ロブは、呆れたようにグレッグを見る。


「お前、その台詞好きだよな」


「真理ですからな!」


「寝ろよ」


「その前に、実験記録を整理しなければなりませぬ!」


「やっぱ寝る気ねえじゃねえか」


「ロブ殿も手伝ってくださるのでしょう?」


「……仕方ねえな」


 二人は、またいつものように言い合う。


 けれど、その距離は近かった。


 教師と生徒ではない。


 人間と亜人でもない。


 まるで、ずっと前から一緒にいた親友のようだった。


 リナは、その二人を見ていた。


 アルフの隣に立つため、自分が選んだ今の形。


 技術の中に居場所を見つけ、グレッグの隣に立つ兄の形。


 同じではない。


 辿った道も。


 選んだものも。


 隣にいる相手も。


 何もかも違う。


 けれど。


 自分の形も。


 兄の形も。


 どちらも、間違いではない。


 リナは、そう思えていた。


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