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第124話 指差し呼称

 万能切断の付与が施されたナイフは、作業台の中央に置かれていた。


 鞘へ収めても、鞘ごと切断する。

 石へ押し当てれば、抵抗もなく切り裂く。

 便利という言葉だけでは済まない。


 止め方を持たない、危険な付与。


 アルフが、かつて作ったものだった。


 良樹はナイフから少し距離を取り、周囲を確認する。


 固定、ヨシ。

 退避位置、ヨシ。

 異常時の停止手順、ヨシ。

 解除後の確認物、ヨシ。


 リシア、カレン、クラリスは、少し離れた位置から見守っていた。


 アルフは、ナイフの前へ立つ。


 何度も練習した。


 石へ施した付与を解除した。

 一度だけ成功した。

 その後も、繰り返した。


 だが、今日は違う。


 練習ではない。


 自分がかつて、何も考えずに作った危険な付与を、自分の手で止める。


「始めろ」


 良樹の声に、アルフは頷いた。


「はい、師匠」


 アルフはナイフへ意識を向けた。


 万能切断の付与術式。


 幾重にも重なった線。


 切断という一つの結果へ向けて、無理やり繋ぎ合わされた流れ。


 解除の魔力を伸ばす。


 一本目。


 二本目。


 術式の結び目へ触れ、順番にほどいていく。


 だが。


「――っ」


 途中で、魔力の流れが揺れた。


 アルフの指が止まる。


 術式は半ばまでほどけたところで動きを止めた。


 解除には至っていない。


 だが、壊れてもいない。


 ナイフも、術式も、周囲も。


 何も傷ついていない。


 アルフは荒く息を吐いた。


「……失敗、です」


「違う」


 良樹は即座に言った。


 アルフが顔を上げる。


「異常を見つけた」

「押し切らずに止めた」

「対象も術式も壊してねえ」


 良樹は、止まった術式を確認する。


「今のは、正常な停止だ」


「でも、解除は……」


「できてねえな」


 そこは誤魔化さなかった。


「だから、もう一度だ」


 アルフは唇を噛んだ。


「……はい」


「話した通り」

「一度失敗したら、二度目は指差し呼称を取り入れて試す」


 良樹はアルフの隣へ立った。


「俺とやるぞ」


「――はい、師匠」


 指差し呼称。


 師匠が教えてくれたやり方。


 見たものを指し。


 行うことを口に出し。


 自分の目と耳で、もう一度確認する。


 アルフはナイフへ指を向けた。


「これより!」

「万能切断付与の解除作業を始めます!」


 良樹が声を張る。


「作業内容確認、ヨシ!」

「作業、始め!」


「作業開始指示、確認ヨシ!」


 アルフの指が動く。


「対象の配置、ヨシ!」


「付与術式の確認、ヨシ!」


「周囲の安全、ヨシ!」


「異常時の停止手順、ヨシ!」


「解除後の残留魔力、逃がし先ヨシ!」


 声を出すたびに、胸の中にあった震えが少しずつ薄れていく。


 成功しなければ。


 今度こそ。


 そう考えるのではない。


 今、目の前にある一つを確認する。


「解除術式の点検、ヨシ!」


 アルフは良樹を見た。


「解除作業の準備、整いました!」


「な、何なの、これ……」


 リシアが目を瞬かせた。


 普段のアルフとは、動きも声もまるで違う。


「いえ」


 クラリスは、アルフの呼吸を見ていた。


「これは、とても良いです」


「良いの?」


「はい」

「きちんと行うべきことを口に出し」

「目と指で確認しています」


「キビキビと決められた動作を行うことで」

「アルフくんの意識が、不安ではなく作業へ向いています」


 カレンも、アルフを見つめていた。


「ちゃんと……」

「怖いものを確認して」


「見て」


「その前に、立てています……!」


 良樹は、アルフと視線を合わせた。


「解除作業を始めよ!」


「「ヨシ!」」


 二人の声が重なった。


 挿絵(By みてみん)


 アルフは、万能切断の付与が施されたナイフへ意識を向ける。


 かつて、自分が作ったもの。


 止めることも。


 戻すことも。


 使われた後に何が起きるのかも、何一つ考えずに付与したもの。


 その結果、人を傷つけた。


 自分は、馬鹿だった。


 便利なものを作れば、誰かを助けられると思っていた。


 強い付与を施せば、それだけ役に立つと思っていた。


 作った後のことなど、何も見ていなかった。


 でも。


 今は違う。


 馬鹿は、急に賢くなったりはしない。


 それでも、馬鹿なりにできることをやってきた。


 何度も失敗した。


 何度も術式を止めた。


 何度も対象を確認した。


 何度も師匠に、止め方を叩き込まれた。


 ――今度こそ。


 胸の奥で、言葉が浮かぶ。


 ――今度こそ、応えるんだ。


 成功して、褒められたいだけではない。


 師匠が教えてくれたことに。


 師匠が自分へ使ってくれた時間に。


 応えたい。


 アルフの中から、魔力が伸びる。


 万能切断の付与を押し潰すための力ではない。


 ナイフそのものを壊すための力でもない。


 付与術式の一つ一つを見つけ。


 繋がりを確かめ。


 順番を間違えずに解き。


 本来のナイフだけを残すための、解除の魔力。


 魔力が術式へ触れる。


 一本。


 また一本。


 万能切断を形作っていた線が、静かにほどけていく。


 焦るな。


 押すな。


 飛ばすな。


 一つずつ。


 確認した順番通りに。


 最後の一本へ、魔力が触れた。


 パチン。


 驚くほど小さく、地味な音が鳴った。


 何度も聞いた音だった。


 訓練の中で、一度だけ成功した時の音。


 それから何度も。


 何度も、聞こうとしてきた音。


 ――やった。


 胸の奥から喜びが込み上げた。


 アルフは拳を握りかけた。


 ――いや。


 まだだ。


 解除できたと思うことと、解除を確認したことは違う。


「解除作業、終わりました!」


 声が震えそうになる。


 それでも、アルフは最後まで声を出した。


「確認願います!」


「ヨシ!」


 良樹が、すぐに応える。


「これより解除確認を行う!」


 良樹はナイフを手に取った。


 まず、鞘へ収める。


 刃は鞘を切断しなかった。


 そのまま引き抜き、石へ刃を押し当てる。


 石も切れない。


 次に、薄い紙へ刃を当て、軽く引く。


 紙は、普通のナイフで切ったように裂けた。


 最後に干し肉へ刃を入れる。


 刃は肉を切り分けた。


 万能切断は消えている。


 だが、ナイフ本来の切れ味は失われていない。


「解除確認、ヨシ!」


 良樹の声が響いた。


「通常機能の復旧確認、ヨシ!」


 ――アルフ。


 そう呼ばれた気がした。


 顔を上げる。


 良樹が、自分を見ていた。


「こ、これで……!」


 言葉が詰まった。


 胸の奥が熱い。


 目の奥まで、急に熱くなっていく。


 だが、まだ終わっていない。


 最後の言葉を、自分で言わなければならない。


「万能切断付与、解除作業を終了します!」


 声が裏返った。


「か、か……」


 確認。


 最後の確認。


 分かっている。


 それなのに、涙で視界が滲み、声が出てこない。


「確認……確認……」


 良樹が、アルフを真っ直ぐ見た。


「あと少しだ」


 厳しい声ではなかった。


 だが、代わりに言ってはくれない。


「最後までやり切れ」


「――はい!」


 アルフは涙を堪え、ナイフを指差した。


「確認、ヨシ!」


 静寂が落ちた。


 次の瞬間。


 良樹の手が、アルフの頭へ置かれた。


「よくやった」


 大きな手が、アルフの髪を撫でる。


「し、ししょ……」


 堪えていた涙が、とうとう零れた。


「僕……僕……!」


「まだ次もある」


 良樹は、アルフの頭を撫でたまま言った。


「いちいち泣いてちゃ、これから先もたねえぞ」


「で、でも……!」


「ああ」


 良樹の手が、もう一度アルフの頭を撫でる。


「けどまあ」


 少しだけ、声が柔らかくなった。


「今日は、よくやった」


「思い切り泣いて」

「喜んでいい」


「――はい……!」


 アルフは、もう涙を止めなかった。


 危険な付与を作ってしまった自分の手で。


 初めて。


 危険な付与を、壊さず、傷つけず、元へ戻した。


 師匠に頭を撫でられながら。


 アルフは声を上げて泣いた。


   ◇


 少し離れた場所から、その様子を見守っていたクラリスが、ぽつりと呟いた。


「何故でしょうか」


 良樹に頭を撫でられながら、声を上げて泣いているアルフを見る。


「私は今」

「少し、アルフくんに嫉妬しているかもしれません」


「実は、私もちょっと……」


 カレンも、控えめに手を上げた。


 良樹に褒められ。


 頭を撫でられ。


 泣いて喜んでいいと言ってもらえる。


 その姿を羨ましいと思ってしまう自分に気づき、少しだけ頬を赤くする。


 リシアは、そんな二人を見てから、良樹とアルフへ視線を戻した。


「仕方ない、のかしらね」


「男女の愛と」

「師弟愛は、別みたいだもの」


 三人には入れない場所。


 けれど、奪いたいとは思わない。


 良樹が誰かを導き。


 その相手が、良樹の教えに応えた。


 それが嬉しいことも、三人には分かっていた。


 三人は、少しだけ羨ましそうに。


 それ以上に、嬉しそうに。


 良樹とアルフを見て微笑んでいた。


   ◇


 そのさらに離れた場所。


 物陰には、ニルとリナ、それにトーリたちが息を潜めていた。


 誰も、最初から姿を見せるつもりはなかった。


 自分たちが見ていると分かれば、アルフへ余計な重圧を与えてしまう。


 今度こそ成功してほしい。


 そう願っているからこそ。


 見守るだけにしていた。


 声も出さず。


 息さえ殺して。


 けれど。


 もう、我慢できなかった。


「アル――!」


 最初に飛び出したのは、ニルだった。


「ついに、やったっすね!」


 アルフが涙を拭いながら振り返る。


「ニル……」


「男になったっすね!」


「ニル」


 アルフは、泣き笑いのまま眉を寄せた。


「言い方が変だよ」


「変じゃないっすよ!」


 ニルはアルフの肩を強く叩いた。


「親友が男になったんすから!」

「それを祝うのが男ってもんっすよ!」


 それから良樹を見る。


「ねえ、兄貴!」


 良樹は少しだけ黙った。


 親友。


 その言葉を、もう一度噛み締めるようにアルフとニルを見る。


「……親友、か」


 口元が僅かに緩んだ。


「そうだな」

「それが男だな」


「やっぱ兄貴は話が分かるっす!」


「師匠まで!」


 アルフが抗議の声を上げる。


 だが、その声はまだ涙で濡れていた。


 続いて、物陰からリナたちも飛び出した。


「アルフ!」


「おめでとう!」


「やったね、アルフ!」


「本当に……本当に、おめでとう!」


「ちょ、ちょっと待って!」


 止める間などなかった。


 全員が一斉にアルフへ飛びついた。


「うわっ!」


 アルフはそのまま押し倒される。


 ニル。


 リナ。


 トーリ。


 マリカ。


 シア。


 何人もの身体に押し潰され、完全に下敷きになった。


「重い!」

「みんな、重いって!」


「誰が重いのよ!」


「そういう意味じゃなくて!」


「アルフ、おめでとう!」


「うん」


「本当に、やったんだね!」


「うん……!」


 アルフは、皆の下敷きになったまま笑った。


 涙を流しながら。


 声を上げながら。


 どうしようもなく嬉しそうに。


 良樹は、その姿を少し離れた場所から見ていた。


 その隣で、リシア、カレン、クラリスも同じ光景を眺めている。


 三人は、笑い合うアルフたちを見つめた。


 そして。


 ほとんど同時に、同じことを思った。


 ――あれ。


 ――ひょっとして。


 ――私たちも、外から見たら。


 ――ああ見えてる?


 三人は、そっと顔を見合わせた。


挿絵(By みてみん)


 少しの沈黙。


 リシアが、ぽつりと言った。


「……自分たちより若い子たちがやってるのを見ると」


 カレンとクラリスが、リシアを見る。


「私たちも」

「ちょっとだけ、自粛した方がいいのかしら」


 クラリスは、少しだけ考えた。


「ええ」


 穏やかに頷く。


「ほんの少しだけ」


 カレンも、小さく頷いた。


「はい……」


 けれど。


 すぐに、少し不安そうな顔になる。


「でも」


 二人がカレンを見る。


「全部なくすのは」

「嫌、です……」


 リシアとクラリスは黙った。


 そして、ほとんど同時に頷いた。


「それは、私も嫌ね」


「私もです」


 三人は顔を見合わせた。


 自粛はする。


 ほんの少しだけ。


 ただし。


 良樹へ抱きつくことも。


 甘えることも。


 三人で押しかかることも。


 全部やめるつもりは、誰にもなかった。


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