第118話 泣く前の子供みたいな顔(挿絵有)
良樹が家へ戻った時、日は少し傾き始めていた。
玄関の扉を開ける。
いつもの木の匂い。
作業場に染みついた油の匂い。
台所の方から漂ってくる、温かい食事の匂い。
それだけで、少し肩の力が抜ける。
「ただいま」
良樹がそう言うと、奥から三つの声が返ってきた。
「おかえり、良樹」
「おかえりなさい、良樹さん」
「おかえりなさい、良樹くん」
リシア。
カレン。
クラリス。
三人が当たり前のようにそこにいる。
良樹は、それを見て少しだけ口元を緩めた。
「飯前に報告がある」
その一言で、三人の顔が変わった。
リシアはすぐに椅子へ腰を下ろす。
カレンは少し背筋を伸ばす。
クラリスは良樹の顔色を見た。
「怪我は?」
「してねえ」
「疲労は?」
「普通」
「普通の基準が信用できません」
「今日は本当に普通だ」
クラリスはじっと良樹を見た。
そして、ひとまず頷いた。
「では、報告を聞きます」
「ああ」
良樹は椅子へ腰を下ろした。
三人も卓を囲む。
「まず、ロブの方だ」
その名前を聞いた瞬間、カレンの目が少し柔らかくなった。
「ロブさん、どうでしたか?」
「すげえ」
良樹は即答した。
三人が一瞬黙る。
リシアが眉を上げた。
「それは、良い方のすごい?」
「ものすごく良い方のすげえだ」
「語彙が死んでるわよ」
「語彙なんか後でいい」
良樹は身を乗り出した。
「ロブがな、犬人族の遠吠えから持ってきたんだよ」
「遠吠え?」
リシアが首を傾げる。
「ああ」
「音の高さじゃなくて、強弱だ」
「通信魔石には固有の鳴りがある」
「その鳴りそのものは変えない」
「変えちまうと受け側が拾えなくなるからな」
「そこに、声の波を乗せる」
「声そのものを飛ばすんじゃねえ」
「鳴ってる魔石の強さを、声の形で揺らすんだ」
「分かるか?」
三人は黙った。
分かるような。
分からないような。
少なくとも、良樹の声が少しずつ早くなっていることだけは分かった。
「これ、俺の知ってる言葉で言うなら、たぶんAM変調なんだよ」
「いや、厳密には違うかもしれねえ」
「こっちの魔石通信がどういう原理で共鳴してるか、まだ完全には分かってねえからな」
「でも発想が完全にそっちなんだ」
「搬送波に信号を乗せる」
「固有魔力周波数を維持したまま、振幅に情報を乗せる」
「しかも、あいつ理屈で辿ったんじゃねえ」
「犬人族の遠吠えだぞ」
「遠吠えの強弱から、魔石通信の振幅に行ったんだぞ」
「何なんだあいつ」
「耳が良いにも限度があるだろ」
リシアは黙って良樹を見た。
カレンも黙って良樹を見た。
クラリスも黙って良樹を見た。
三人の目が、ほぼ同時に細くなる。
――あ。
三人は、ほとんど同じことを思った。
――良樹の、よく分からないけれど楽しそうな説明のスイッチが入った。
「しかもだ」
良樹は止まらなかった。
「奥の部屋からロブが送信した」
「グレッグの前の魔石から、ロブの声が聞こえた」
「はっきりじゃねえ」
「まだ歪む」
「伸びる」
「割れる」
「けど、聞こえた」
「――よしーき。きこーえ、るか」
「ってな」
「これが聞こえたんだよ」
そこで、三人の表情が少しだけ変わった。
声が、聞こえた。
その意味だけは、三人にも分かった。
「ロブさんの声が、魔石から……」
カレンが小さく呟く。
「ああ」
良樹は頷いた。
「ロブが、声を届かせた」
その言葉だけは、ゆっくりだった。
リシアは少し目を伏せた。
「……それは、すごいわね」
「すげえだろ」
「ええ」
「そこは分かるわ」
カレンも柔らかく微笑んだ。
「ロブさん、前に進めたんですね」
「ああ」
「進んだ」
「しかも、かなり変な方向に、すげえ勢いで進んだ」
「変な方向……」
「良い意味でな」
クラリスは静かに手を上げた。
「良樹くん」
「何だ」
「ロブさんとグレッグさんは、二日徹夜だったのですね」
「ああ」
「まず寝かせてください」
「寝た」
「倒れたとも言う」
「倒れるまでやらせないでください」
「俺が行った時には、もう倒れる寸前だったんだよ」
「というか、二人とも目が据わってた」
「ロブなんか最後に、勉強ってなあ、楽しいもんだな、って言って寝た」
三人は、しばらく黙った。
リシアが、少しだけ笑った。
「……良かったじゃない」
「ああ」
カレンも頷く。
「良かったです」
「ロブさんが、そう思えたなら」
クラリスは目を伏せた。
「起きたら、きちんと食事を取らせてください」
「才は、寝不足と空腹で簡単に壊れます」
「お前は本当にそこだな」
「はい」
「そこです」
リシアは半眼で良樹を見る。
「良樹も、たまにそういう目をしているわよ」
「してねえ」
「してるわ」
「しています」
「してます」
三人の声が揃った。
「してねえよ」
「してるわよ」
「今も半分くらいしてたわ」
「俺は説明してただけだ」
「早口でね」
「楽しそうでした」
「とても楽しそうでした」
良樹は少しだけ口を閉じた。
否定しようとして、やめた。
楽しかった。
それは事実だった。
ロブが、自分の耳で世界を掴み、魔石通信の先へ進んだ。
それを見て、胸が躍った。
だから良樹は、短く息を吐いた。
「まあ、楽しかったのは否定しねえ」
リシアは、ふっと笑った。
「でしょうね」
◇
「それで、アルフさんの方は?」
カレンが聞いた。
良樹の表情が、少しだけ落ち着いた。
先ほどまでの早口とは違う。
声も、少し低くなる。
「あいつも、一回成功した」
三人が静かに良樹を見る。
「石にかけた重量付与を、壊さずに戻した」
「割らなかった」
「砕かなかった」
「重量も戻った」
「表面異常なし」
「反響音異常なし」
「異常振動なし」
「温度変化なし」
「重量、復元」
「確認、ヨシ」
良樹は、そこで一度言葉を切った。
「成功だ」
カレンの顔が明るくなる。
「アルフさん……」
クラリスも、ほっとしたように息を吐いた。
「亜人集落の方たちへ戻る道が、少し見えましたね」
「ああ」
「ただし、まだ一回だ」
良樹はすぐに言った。
「まだ安心する段階じゃねえ」
「これから何度も同じことをやらせる」
「同じ石」
「違う石」
「同じ付与」
「違う付与」
「途中停止」
「異常時遮断」
「失敗した時の壊れ方」
「全部見る」
リシアは頷いた。
「当然ね」
「一回できたから人に使う、なんて言い出したら私が止めるわ」
「そこは俺も言ってある」
良樹は続けた。
「完全に制御できるようになったら、次は道具だ」
「人じゃねえ」
「まずは道具にかけた付与を外させる」
「刃物」
「布」
「革」
「木」
「金属」
「魔石」
「材質ごとに戻り方を見る」
「道具で戻せねえ奴を、人に使わせるわけにはいかねえ」
クラリスが静かに頷いた。
「人に使う時は、必ず施療院の立ち会いが必要です」
「戻ったように見えても、身体の内側がどうなっているかは分かりません」
「ああ」
「だから、まだ人には使わせねえ」
「アルフにもそう言ってある」
「戻したいなら、戻せるようになるまで手順を踏めってな」
カレンは、少しだけ目を伏せた。
「アルフさんは、早く戻してあげたいと思うかもしれません」
「思うだろうな」
「でも」
「だからこそ、止めてあげる人が必要なんですね」
良樹は、少しだけカレンを見る。
「ああ」
「必要だ」
リシアは頬杖をつきながら、良樹を見た。
「良かったじゃない、師匠」
「まだ師匠ってほどじゃ――」
言いかけて、良樹は止まった。
アルフの顔を思い出した。
石を壊さずに戻した瞬間。
泣きそうな顔。
良樹の手が頭に乗った時の、あの顔。
自分は、あいつの頭を撫でた。
よくやった。
がんばったな。
そう言った。
良樹は、少しだけ視線を逸らした。
「……あいつ、泣きそうな顔してた」
「だから、頭撫でてやった」
「一回だけだけどな」
リシアの目が柔らかくなる。
「やっぱり師匠じゃない」
「うるせえ」
カレンは、嬉しそうに微笑んだ。
「アルフさん、嬉しかったと思います」
「だといいがな」
クラリスも静かに言う。
「きっと、嬉しかったと思います」
「良樹くんに褒められたのですから」
「大げさだ」
「大げさではありません」
クラリスは、少しだけ笑った。
「弟子にとって、師匠に褒められることは大きいと思います」
弟子。
その言葉が、良樹の胸の奥に少しだけ残った。
◇
報告が一段落し、食事を終える頃には、家の中はいつもの空気に戻っていた。
リシアがロブの遠吠え通信を少し面白がる。
カレンがアルフさんの成功を何度も喜ぶ。
クラリスが、ロブとグレッグとアルフの食事と睡眠を気にする。
良樹は、それを聞きながら飯を食べた。
温かい飯。
騒がしい妻たち。
帰る家。
それは、悪くなかった。
悪くなかったのに。
食後、良樹はふと、作業場の方を見た。
机の奥。
布包みにして置いてある、藤田の手記。
ロブは声を届かせた。
アルフは戻す道を一つ見つけた。
二人とも、前へ進んだ。
それが嬉しい。
嬉しいはずだった。
だからこそ。
その先に、藤田の姿が浮かんだ。
「良樹?」
リシアが気づいた。
「どうしたの?」
「いや」
良樹は少しだけ間を置いた。
「少し、作業場にいる」
「作業?」
「……いや」
「藤田さんの手記を、少し」
三人は顔を見合わせた。
止める理由はなかった。
だから、リシアは小さく頷いた。
「分かったわ」
「無理はしないこと」
「ああ」
クラリスも静かに言う。
「疲れたら、すぐに上がってきてください」
「ああ」
カレンは、少し心配そうに良樹を見た。
「良樹さん」
「何だ」
「一人で、抱えすぎないでください」
良樹は、少しだけ目を細めた。
「……ああ」
そう答えて、作業場へ下りた。
◇
作業場は静かだった。
良樹は灯りを一つだけ点け、作業台の前に座った。
藤田の手記を開く。
紙は古い。
だが、文字は力強い。
魔導機械。
回転。
支持。
戻り。
力の逃がし方。
受け方。
そして、クラッチ。
良樹は、手記の図をじっと見た。
藤田が、あの日具現化したもの。
力を受け継いだ時に、良樹の目の前で形になったクラッチ。
繋ぐためのもの。
切るためのもの。
力を伝え、同時に逃がすためのもの。
良樹は、右手を前に出した。
胸の奥で魔導盤が鳴る。
線を引く。
回転を置く。
入力。
出力。
接続。
切断。
滑り。
戻り。
半透明の部品が、良樹の手元に浮かんだ。
クラッチ。
の、ようなもの。
だが、すぐに分かった。
荒い。
形が悪い。
軸が逃げる。
面が噛み合わない。
繋がる瞬間に跳ねる。
切った時の戻りが粗い。
藤田が具現化したものとは、まるで違う。
「……雑だな」
良樹は呟いた。
手元のクラッチは、かろうじて形になっているだけだった。
力を繋ぐ。
切る。
滑らせる。
理屈は分かる。
言葉も分かる。
だが、手が追いつかない。
形が追いつかない。
精度が足りない。
藤田がどれほどの時間をこれに費やしたのか。
どれほど失敗し、壊し、止め、戻し、また作ったのか。
手元の荒いクラッチを見て、良樹は少しだけ息を吐いた。
あの日のことを思い出す。
藤田から力を受け継いだ時。
藤田が見せたクラッチ。
あの人の背中。
あの人の言葉。
そして、グレン。
忘れることなど、できなかった。
グレンは、藤田の弟子だった。
今の良樹には、アルフがいる。
まだ短い付き合いだ。
まだ何も教え切っていない。
叱った。
怒鳴った。
止めた。
教えた。
頭を撫でた。
それだけだ。
それだけのはずなのに。
アルフは、もう良樹にとって可愛い弟子になっていた。
だからこそ、分かってしまった。
藤田にとってのグレンも、きっとそうだったのだろう。
才能があって。
危うくて。
眩しくて。
間違えて。
それでも、弟子だった。
藤田は、その弟子を止めた。
止めるためとはいえ。
世界を守るためとはいえ。
手を下した。
一度、半殺しにしてでも止めた。
どれほどの葛藤があったのだろうか。
自分なら、できるだろうか。
もしアルフが。
もう一度間違えたら。
善意のまま、人を傷つける道具を作ったら。
戻せない付与を、また誰かへ使ったら。
止めても止まらなかったら。
その時、自分は。
良樹は、手元のクラッチを指先で弄んだ。
繋ぐ。
切る。
滑らせる。
何度も噛ませては、切る。
切っては、また繋ぐ。
半透明の部品は、その度に少しずつ歪んだ。
精度が悪い。
藤田のものとは違う。
「……藤田さん」
声は、小さかった。
誰に聞かせるつもりもなかった。
「アンタ、どんな気持ちで止めたんだよ」
作業場に、答えはなかった。
◇
「――良樹?」
「居るの?」
階段の方から、リシアの声がした。
良樹は手元のクラッチを消さずに、顔だけ向けた。
「ああ」
「いる」
リシアが作業場へ入ってきた。
夜着ではない。
けれど、外へ出る格好でもない。
家の中で過ごすための、少し柔らかい服装だった。
リシアは良樹の手元を見た。
「それ、何?」
「クラッチ」
「藤田さんの手記にあった」
「特に何をしたかったわけでもねえ」
「ちょっと、真似してただけだ」
「真似?」
「ああ」
「形も荒いし、精度も悪い」
「遊びみてえなもんだ」
リシアは黙って近づいた。
そして、当然のように良樹が腰掛けている長椅子へ、ぴたりとくっついて座った。
距離が近い。
近いが、良樹は何も言わなかった。
リシアはじっと良樹の顔を覗き込む。
「何もしてなかったけど」
「何かを考えてた顔ね」
「そうか?」
「そうよ」
「私には話せないこと?」
良樹は少しだけ目を逸らした。
「大したことじゃねえよ」
「――あっそう」
リシアはそう言った。
次の瞬間。
良樹の頭を両腕で抱え込み、その顔を自分の胸に押しつけた。
「おい」
「いきなり何を――」
「よしよし」
「いい子、いい子」
リシアの手が、良樹の髪を撫でる。
ゆっくり。
雑ではなく。
逃がさないように、けれど押しつけすぎないように。
「……ガキじゃねえんだぞ」
「あら、嫌だった?」
「悪くない感触だと思ったんだけど」
「嫌では、ねえ」
「なら、いいじゃない」
リシアは、良樹の頭を抱いたまま少しだけ笑った。
「それに――」
「泣く前の子供みたいな顔してたわ」
「……そんなことはねえよ」
「そう」
「じゃあ、私がこうしたい気分なの」
「付き合って、ね?」
良樹は何も言わなかった。
リシアの胸に顔を埋められたまま、されるがままだった。
しばらく、作業場にはリシアが良樹の頭を撫でる音だけがあった。
やがて。
良樹が小さく口を開いた。
「……藤田さんとは、特別親しかったわけじゃねえ」
リシアは黙って聞いていた。
「死んだって聞いた時」
「そこまで悲しいとか、思ったわけでもねえ」
「けど」
良樹の声が、少しだけ低くなる。
「グレンは、あの人の弟子だった」
「あの人自身の手で、グレンを半殺しにしてでも一度止めた」
「――今の俺には、アルフがいる」
リシアの手は止まらない。
ただ、聞いている。
「もしアルフがまた間違えたら」
「俺は同じようにできるか、とか」
「そうするまでに藤田さんがどれくらい悩んだのか、とか」
「今なら、分かるような気がしてよ」
言葉は多くなかった。
泣き叫ぶでもない。
声を荒らげるでもない。
ただ、遅れて来たものが、少しだけこぼれただけだった。
リシアは、良樹の頭を抱いたまま静かに言った。
「――大丈夫よ」
良樹は、少し自嘲気味に笑った。
「根拠がねえよ」
「あるわ」
「どこに」
「良樹は、藤田さんじゃないわ」
「アルフくんも、グレンじゃない」
リシアは一つずつ言った。
「カレンがいる」
「クラリスがいる」
「私が、いる」
良樹は黙っていた。
「これが、大丈夫の、根拠」
「あてにならない?」
良樹は無言のまま、少しだけ首を振った。
あてにならないとは、思わなかった。
ただ、その根拠があまりにも温かくて。
少しだけ、言葉にできなかった。
◇
作業場の扉のすぐそばで、カレンとクラリスは静かに立っていた。
中から聞こえる声に、二人は入るべきか迷った。
だが、リシアの声があまりにも優しかったから。
そして、良樹がそれを拒んでいないと分かったから。
二人は、扉を開けなかった。
クラリスは静かに目を伏せる。
――出遅れました、けど。
今回は、リシアに譲ってあげるとしましょう。
けれど、胸の奥で別の言葉も浮かんでいた。
大丈夫です、良樹くん。
もしあなたが止まれなくなったら。
もしあなたが、一人で背負おうとしたら。
私が止めてみせます。
私が、います。
隣で、カレンは小さく息を呑んでいた。
――私じゃ、あれは出来ない……。
そう思って、カレンはそっと自分の胸元へ視線を落とす。
しばらく沈黙。
それから、少しだけ頬を赤くした。
――でも、太ももで膝枕なら、できるかも。
今度は。
今度は、私が膝枕してあげます。
私だって、います。
◇
作業場の中で、リシアは良樹の頭を撫で続けていた。
やがて、ふっと笑う。
「――どう?」
「私にメロメロになったかしら」
良樹は、リシアの胸に顔を埋められたまま、少しだけ息を吐いた。
「……ああ」
「とっくにな」
リシアの手が、一瞬だけ止まった。
それから、彼女はにやりと笑う。
「じゃあ今日は、このまま二人で寝ましょうか?」
作業場の扉の外。
カレンとクラリスの顔が、同時に引き攣った。
見えない笛の音が、鳴った気がした。
「リシア」
扉が開く。
クラリスが、清楚な笑みを浮かべたまま立っていた。
「そこから先は、譲れませんし、見逃しませんよ」
「聞いてたのね」
「聞こえました」
「言い方」
次の瞬間、クラリスは当然のようにリシアから良樹をひったくった。
「おい、クラリ――」
良樹の抗議は、最後まで続かなかった。
クラリスの胸に、顔面から埋められたからである。
「フゴッ!?」
「大丈夫です、良樹くん」
「私も、います」
「フゴ、フゴゴッ!?」
良樹がじたばたする。
少し遅れて、カレンも作業場へ飛び込んできた。
「良樹さん!」
「カレン、待――」
「私だと、ち、小さいので!」
カレンは真っ赤な顔で叫んだ。
「こっちに!」
クラリスは、一瞬だけカレンを見た。
そして、場を読んだ。
すっと良樹を渡す。
「パスします」
「パスすんな!」
良樹の叫びは、再び途中で潰れた。
今度は、カレンの太ももの間に顔を押しつけられたからである。
「フゴゴゴッ!?」
「だ、大丈夫です、良樹さん」
「私だって、います」
「フゴーーーーー!?」
リシアはその様子を見て、くすくすと笑った。
「あら」
「もうちょっとで独り占めできたのに」
「残念ね」
「リシア」
クラリスが静かに言う。
「独り占めは、妻会議の規定違反です」
「そうだったわね」
リシアは悪びれずに笑った。
「じゃあ、皆で一緒に寝ましょうか?」
クラリスは、即座に頷いた。
「それなら異論はありません」
カレンも、良樹の頭を抱えたまま勢いよく頷く。
「私も無いです!」
「フゴーーーーー?!」
藤田が一人で抱えたものを。
良樹は、まだ一人で抱えようとしていた。
けれど。
リシアが、その頭を抱きしめた。
クラリスが、その手を止めると決めた。
カレンが、その膝で支えると決めた。
良樹は、一人ではなかった。
いや。
三人の妻たちが。
良樹を、決して一人にはさせなかった。
なお。
良樹は未だ、カレンの太ももの間でフゴフゴ言っているままだった。




