表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

123/134

第117話 勉強ってなあ、楽しいもんだな

ギルドの一角にある小部屋は、妙な熱気に包まれていた。


 朝だというのに、窓は閉め切られている。

 机の上には、紙束。

 符号表。

 簡易の魔石測定具。

 小さな魔石。

 魔力の流れを書き留めたらしい走り書き。


 その中央に、ロブがいた。


 目の下には濃い隈。

 髪は乱れている。

 耳も、普段より少しだけ垂れている。


 どう見ても寝ていなかった。


 その横で、グレッグもまた、同じような顔をしていた。


 教師らしい整った服装は、辛うじて形を保っている。

 だが、髪は乱れ、襟元は少し曲がり、目だけが異様に輝いていた。


 良樹は部屋に入った瞬間、足を止めた。


「……おう、良樹」


 ロブがこちらを見る。


 声は掠れている。

 だが、口元だけは笑っていた。


「いちばん美味しいところに来たじゃねえか」


「お前」


 良樹は眉を寄せた。


「その顔、寝てねえだろ」


「上手くいくか分からねえけどな」


 ロブは、良樹の言葉を軽く流すように言った。


「成功したらお前、腰を抜かすぜ」


「人の話を聞け」


 良樹がそう言うと、グレッグが胸を張った。


「二日徹夜ですよ」


「止まれ」


「しかし、今我々は止まれませんぞ」


「止まれと言ってんだよ」


 良樹は額を押さえた。


 この顔を知っている。


 自分でも何度かした覚えがある。

 もう少しで届く。

 あと少しで分かる。

 あと一回だけ試せば、見える。


 そういう時の顔だ。


 現場では、一番危ない顔でもある。


「良樹殿」


 グレッグは、机の上の魔石を両手で示した。


「今まさに、歴史の扉が開こうとしております」


「寝てから開けろ」


「寝ている間に扉が閉まってしまいますぞ!」


「閉まる扉なら、開け方を記録してから寝ろ」


 良樹がそう言った瞬間、ロブが椅子から立ち上がった。


 ふらついた。


「おい」


「大丈夫だ」


「大丈夫な奴のふらつき方じゃねえ」


「見てろよ」


 ロブは、強引に身体を立て直した。


「今からやる」


 そう言って、部屋の奥へ向かった。


 奥には、薄い扉で仕切られた小部屋がある。

 物置として使われていた部屋だ。


 ロブはそこへ入り、扉を閉めた。


 部屋に残ったのは、良樹とグレッグ。

 そして、机の上に置かれた一組の通信魔石。


 グレッグは魔石の前に立った。


 両手を軽く広げる。

 魔石の周囲に、細かな術式が展開された。


 良樹は思わず目を細めた。


 単なる発光用の術式ではない。


 光らせるためのものではない。

 魔力を走らせるためだけでもない。


 何かを受ける形。

 そして、そこから何かを取り出す形。


「グレッグ」


「はい」


「それは」


「お静かに」


 グレッグの声は震えていた。


 恐怖ではない。

 興奮だ。


「始まります」


 魔石が、淡く光った。


 いつもの魔石通信なら、光の強弱や揺れで合図を送る。

 左上。

 右下。

 点滅。

 間隔。


 そういうものを読む。


 だが、今回は違った。


 光った、というより。


 鳴った。


 良樹の耳に、かすかな震えが届いた。


 最初は、ただの魔力の唸りに聞こえた。

 低く、細く、頼りない音。


 だが、その唸りの奥に。


 何かが乗った。


(――よしーき)


 良樹は息を呑んだ。


 聞こえた。


 はっきりした声ではない。

 普通の会話ではない。

 水の中から聞こえるような、風に千切られたような、歪んだ声。


 それでも。


(きこーえ、るか)


 ロブの声だった。


 良樹の背筋が、ぞわりと震えた。


 グレッグが、目を見開いた。


 次の瞬間、彼は叫んだ。


「ロブどのおおお!」


 机が揺れるほどの声だった。


「やりましたぞおおお!」


 奥の扉が勢いよく開いた。


 ロブが飛び出してくる。


 足元はふらついている。

 だが、その目は、完全に覚めていた。


「聞こえたのか……!」


「しかと!」


 グレッグは、両耳を指差して叫んだ。


「この両耳で!」


 それから、良樹へ振り向く。


「良樹殿にも聞こえましたな!?」


 良樹は、しばらく言葉が出なかった。


 机の上の魔石を見る。

 術式を見る。

 奥の部屋を見る。

 ロブを見る。

 グレッグを見る。


 そして、ようやく声を出した。


「聞こえた」


 自分でも、声が少し震えているのが分かった。


「間違いねえ」

「聞こえた!」


 ロブの顔が、くしゃりと歪んだ。


「グレッグ!」


「ロブ殿!」


 二人は同時に手を上げた。


 乾いた音が、小部屋に響いた。


 ハイタッチだった。


 挿絵(By みてみん)


 良樹は、その光景を見てから、慌てて両手を出した。


「待て待て待て」

「すげえ」

「すげえんだが」


 言葉が追いつかない。


「なんでこうなった」


 グレッグは、待ってましたと言わんばかりに胸を張った。


「ロブ殿の発案なのですよ」


「ロブの?」


「はい」


 グレッグは、机の上の紙束を掴んだ。


 そこには、魔石の振動らしき線。

 術式の構造。

 そして、ところどころに犬人族、遠吠え、強弱、伝達という文字が並んでいる。


「犬人族の亜人の遠吠えから着想を得たとかで」


「遠吠え?」


 良樹はロブを見る。


 ロブは、乱れた髪を乱暴に掻いた。


「ああ」

「犬人族は遠吠えで、離れた場所同士で意思の疎通をするんだ」


「遠吠えで……」


「ただ吠えてるわけじゃねえ」

「あいつらはその時、遠吠えの音の高さをほとんど変えねえんだ」

「高さを変えすぎると、声が遠くまで届かなくなるからな」


 ロブは、自分の耳に触れた。


「だから、音の高さじゃなくて」

「強弱を変化させて意思を伝える」

「伸ばす」

「切る」

「腹から強く出す」

「弱く揺らす」

「同じ高さの遠吠えでも、強さの揺れ方で意味が変わる」


 良樹の中で、何かが繋がり始めた。


 嫌な予感ではない。

 むしろ、逆だ。


 あまりにも綺麗に、何かが繋がっていく感覚。


 グレッグが、興奮した声で続ける。


「つまり!」


「声がでけえ」


「失礼!」


 グレッグは一瞬だけ頭を下げたが、すぐにまた顔を上げた。


「つまり、良樹殿の開発された通信魔石にも、遠距離に伝えるための最適な固有の魔力周波数があるのです!」


 良樹は、机の魔石を見る。


「固有の……」


「はい!」

「しかし、その周波数を変えてしまうと、魔石に負担がかかる」

「壊れる」

「あるいは短距離でしか通信できなくなる」

「遠くまで届く鳴り方は、魔石ごとにある程度決まっているのです!」


 グレッグは、術式の一部を指で示した。


「そこで、ロブ殿の発案です」

「通信魔石の固有周波数は変えない」

「その上で、強弱をつける」

「声の波を、魔石の鳴りに重ねて乗せる」


 ロブが頷く。


「それで、送る側と受ける側で役を分ける」


「役?」


「ああ」

「送る側は、声の波を通信魔石に乗せる」

「受ける側は、重ねた波から声の波だけを分ける」

「それができれば、声っぽいもんが送れるんじゃねえかってな」


 良樹は、しばらく黙った。


 頭の奥から、古い知識を必死に掘り起こす。


 工業高校で聞いた。

 資格の勉強で見た。

 深く使ったわけではない。

 通信屋ではない。

 ラジオを作ったわけでもない。


 けれど、言葉だけは知っている。


 搬送波。

 音声波。

 振幅。

 重畳。

 復調。


 良樹は、ゆっくり顔を上げた。


「……AM変調じゃねえか」


 ロブが眉を寄せる。


「あむ?」


「いや、名前はいい」


 良樹は両手で頭を押さえた。


「遠吠え?」

「犬人族の遠吠え?」

「そんなところから、お前らAMに辿り着いたのかよ」


 胸の奥が熱くなる。


 良樹が教えたわけではない。


 確かに、魔石通信の最初の形は良樹が作った。

 符号表を作った。

 光らせた。

 届くかどうかを試した。

 危険種別と緊急度を分けた。


 だが、声を乗せるところへ進んだのは、この二人だ。


 ロブの耳。

 亜人の文化。

 グレッグの術式。

 教師としての整理。


 それらが勝手に繋がって、良樹の知っている技術の入口へ届いている。


「すげえ」


 良樹は、思わず笑った。


「お前ら、すげえ!」


「そうだろ」


 ロブが、疲れ切った顔で笑った。


「だから言っただろ」

「成功したら、お前、腰抜かすって」


「抜かす前に叫びそうだよ」


 良樹は、机の上の魔石を見た。


「すげえ」

「本当にすげえ」

「魔石でラジオの入口を開けてやがる」


「らじお?」


「名前はいい」

「とにかくすげえ」


 グレッグは、目を輝かせたまま言った。


「今は、この術式が使える人間にしかできませぬ」

「しかし、そこまで高度な術式というわけでもありませぬ」

「術式の最適化」

「魔石の最適化」

「受信側の分離術式の簡略化」

「それらが進めば」


 グレッグの声が、さらに熱を帯びる。


「いずれ、この技術は世に広まり」

「必ずや革新をもたらしますぞ!」


 その瞬間。


 ロブの身体が、ぐらりと揺れた。


「ロブ!」


 良樹が手を伸ばすより少し早く、ロブは机に片手をついた。


「やべ」


 ロブは、力なく笑った。


「流石に、限界近えわ」


「近えじゃねえ」

「とっくに越えてんだよ」


「……良樹」


「何だ」


 ロブは、眠そうな目で良樹を見た。


 その顔からは、いつもの棘が少し抜けていた。


「勉強ってなあ」


 声が、ゆっくり落ちていく。


「楽しい、もんだ、な」


 そのまま、ロブは前のめりに崩れた。


 良樹は慌てて支えようとしたが、間に合わなかった。


 ただし、倒れた先は床ではなく、積まれた毛布の上だった。


 おそらく、倒れることを見越して置かれていたのだろう。


 ロブは、そのまま寝た。


 完全に寝た。


「ロブ殿……」


 グレッグが、静かに呟いた。


 良樹は、まだロブを見ていた。


 勉強ってなあ、楽しいもんだな。


 ロブがそんなことを言う日が来るとは、少し前までは思いもしなかった。


 人間を睨み。

 魔石を疑い。

 妹と集落を守ることだけで立っていた亜人の青年が。


 今、魔石通信の前で、徹夜明けに倒れている。


 楽しそうに。


「……今となっては」


 グレッグの声がした。


 良樹が振り向くと、グレッグは拳を握っていた。


「己の不明を恥じるばかりです」


「グレッグ?」


「最初は」


 グレッグの声は、震えていた。


「最初は、この私が何故、亜人の教師などを、と」

「そう思っておりました」


 良樹は黙った。


 グレッグは、自分の拳を見つめる。


「殴りたい」

「あの時の私を、殴り飛ばしてしまいたい」

「偏見に満ちた、己の浅ましさごと!」


 グレッグは、眠っているロブを見た。


「技術には!」


 また声が大きくなる。


 良樹は少しだけ身構えた。


「全ての種族は平等でした!」


 グレッグの目から、涙が一筋こぼれた。


「しかし、ロブ殿は平等ではない!」

「間違いなく!」

「天に愛された才の持ち主でした!」


 グレッグは胸に手を当て、深く頭を下げた。


「私は」

「ロブ殿の教師を務めさせていただけたことを」

「生涯の誇りに致しますぞ」


 そう言って。


 グレッグも、ぐらりと揺れた。


「おい」


「……少々」

「眠気が」


「少々じゃねえ」


 良樹が言い切る前に、グレッグはロブの隣へ倒れ込んだ。


 そして、そのまま寝た。


 見事なまでに寝た。


 小部屋に、二人分の寝息が満ちる。


 ロブ。

 グレッグ。


 一人は兎系亜人の青年。

 一人は人間の教師。


 年も、種族も、立場も違う。

 少し前なら、同じ机に並ぶことすらなかったかもしれない。


 だが今は。


 同じ研究にのめり込み。

 同じ魔石を前に叫び。

 同じ成功で手を叩き合い。

 同じ限界で倒れている。


 その姿は、兄弟のようでもあり。

 遊び疲れた子供同士のようでもあった。


 良樹は、それがなんともくすぐったかった。


 くすぐったくて。

 嬉しくて。

 少しだけ、胸の奥が熱かった。


 だが、それはそれとして。


 この二人は運ばなければならない。


 良樹は部屋の扉を開け、廊下へ向かって叫んだ。


「ガレェェス!」

「こいつら運んでやってくれ!」


   ◇


 それから、良樹は街の訓練場へ足を運んだ。


 ロブとグレッグの二人をガレスに押しつけた後だった。


 正確には、押しつけたというより、運搬を頼んだ。

 徹夜明けの亜人青年と教師を、そのまま床に転がしておくわけにはいかない。


 ガレスは最初こそ面倒くさそうな顔をしたが、寝息を立てるロブとグレッグを見て、何とも言えない顔をした。


「……こいつら、何やったんだ」


「世界を少し進めた」


「何だそりゃ」


「俺にもまだ整理できてねえ」


 そう答えて、良樹はギルドを出た。


 頭の奥には、まだ魔石から聞こえたロブの声が残っている。


 ――よしーき。

 ――きこーえ、るか。


 聞こえた。


 確かに聞こえた。


 だが、今はそれを考え続けている場合ではない。


 今日はもう一つ、大事な確認がある。


 アルフの付与解除。


 かける方ではない。

 戻す方。


 良樹は腰袋の留め具を確認しながら、訓練場の入口をくぐった。


   ◇


 街の訓練場には、すでにアルフがいた。


 細身の少年は、いつもの灰褐色のマントを身につけ、中央の試験台の前で待っていた。


 表情は硬い。

 緊張している。

 だが、逃げる顔ではなかった。


 試験台の上には、小さな石が置かれている。


 何の変哲もない石だ。

 ただし、今日はそれを使う。


 万能付与。


 あらゆる状態を書き換える、便利すぎる力。

 そして、便利すぎるからこそ危うい力。


 アルフは良樹に気づくと、勢いよく頭を下げた。


「よろしくお願いします、師匠!」


「ああ」


 良樹は短く頷いた。


「やってみるか」


「はい!」


 アルフの返事には力があった。


 けれど、その指先はわずかに震えている。


 良樹はそれを見た。

 見た上で、何も言わなかった。


 震えるのは悪いことではない。

 怖いと分かっているなら、それは確認になる。


 良樹は試験台の横へ立った。


「いつも通りだ」


「はい」


「石に万能付与で重量変化をかける」

「それを解除する」

「割れたら失敗」

「砕けたら失敗」

「戻ったように見えて内部に歪みが残っても失敗」

「解除途中で暴れたら、即停止」


「はい」


 アルフは何度も頷いた。


 これまで、何度も試した。


 石を重くすることはできる。

 それ自体は、アルフにとって難しいことではない。


 問題は解除だった。


 重くした石を元に戻そうとすると、石が割れる。

 砕ける。

 表面は戻っても、中に変な歪みが残る。

 付与が残っているのか、石そのものが壊れているのか分からない状態になる。


 そのたびに、良樹は言った。


 焦るな。

 結果だけを見るな。

 止め方を見ろ。

 戻り方を見ろ。

 壊れ方を見ろ。


 何度も。

 何度も。


 アルフは試験台の石に手をかざした。


「まず、付与します」


「ああ」


 魔力が石へ流れた。


 石の周囲に、薄い術式が浮かぶ。

 線が絡み、輪郭が書き換わる。


 石が、重くなる。


 良樹は測定具を当てた。


「重量変化、確認」

「外観異常なし」

「内部振動、今のところ異常なし」


 アルフは小さく息を吐いた。


 ここまではできる。


 ここからだ。


 アルフは、石を見た。


 ただの石ではない。

 自分が書き換えた石。

 自分が元へ戻さなければならない石。


 彼の中で、術式が組み上がっていく。


 解除術式。


 ただ付与を消すのではない。

 消すだけでは、壊れる。


 何を見て。

 何を止めて。

 何を戻すのか。


 良樹に何度も言われた言葉が、頭の中で線になる。


 異常検知。

 二重遮断。

 異常検知の異常検知。

 主回路遮断。

 石のあらゆる状態を入力。


 表面。

 内部。

 重量。

 温度。

 振動。

 魔力の残り。

 付与の掛かり方。

 解除した時の逃げ道。


 万能付与の解除術式に、考えうる限りの安全回路を組み込む。


 良樹から教わったこと。

 失敗した時に書き留めたこと。

 石が割れた時の音。

 砕けた時の手応え。

 良樹が止めた時の声。


 全部を、術式の中へ入れる。


 アルフは息を吸った。


「――いきます」


「ああ」


 良樹は、試験台の横で静かに見ていた。


 止める準備はしている。

 だが、手は出さない。


 アルフは石へ意識を集中させた。


「――解除!」


 術式が走った。


 次の瞬間。


 それは、遮断された。


 石に届く直前で、解除術式が止まる。


 異常検知が働いた。

 自分で組み込んだ安全回路が、解除を止めた。


 何も起きなかった。


 石は割れない。

 砕けない。

 戻りもしない。


 ただ、解除できなかった。


 アルフの肩が落ちた。


「……っ」


 唇を噛む。


 また駄目だった。


 そう思った。


 恐る恐る、良樹を見る。


 怒られるだろうか。

 呆れられるだろうか。

 まだ駄目か、と言われるだろうか。


 良樹は、真剣な表情のままだった。


 眉間に皺がある。

 笑ってはいない。

 甘やかす顔でもない。


 だが、見捨てる顔ではなかった。


「もう一度だ」


 短い言葉だった。


 アルフは、目を見開いた。


 良樹は続けない。


 大丈夫だとも言わない。

 惜しかったとも言わない。

 説明も、慰めもない。


 けれど、その顔が言っていた。


 今のは、ちゃんと止まった。

 壊れる前に遮断できた。

 戻り方は見え始めている。


 だから、もう一度やれ。


 アルフの胸の奥が熱くなった。


 師匠は、まだ僕を見捨てていない。


 まだやれると思ってくれている。

 まだ、僕にやらせる価値があると思ってくれている。


 亜人の集落の人たちを元に戻すのは、僕の責任だ。


 あの石を作った。

 使えば変われると、思わせてしまった。

 戻れるかどうかも見ないまま、人の身体と暮らしに手を入れてしまった。


 集落を混乱させた。

 戻れなくなった人もいる。

 戻りたいのか、戻りたくないのかさえ、簡単には言えなくなった人たちもいる。


 これは、僕の罪だ。

 僕が見なければならない後始末だ。


 そうだ。


 そのはずだ。


 それなのに。


 アルフは、石へ向き直った。


 ごめんなさい。


 心の中で、亜人の集落の人たちへ謝った。


 でも、今この瞬間は。


 罪の償いよりも。

 責任よりも。

 後始末よりも。


 師匠の期待に応えたい。


 応えてみせたい。


 アルフは震える指を握りしめた。


「もう一度、いきます」


「ああ」


 良樹は頷いた。


「見ろ」

「石を見ろ」

「術式だけを見るな」

「戻そうとするな」

「戻れるところを探せ」


「はい」


 アルフは息を整えた。


 石の表面を見る。

 魔力の流れを見る。

 付与の残り方を見る。

 重くなった状態そのものを見る。


 元に戻す。


 そう考えると、術式が走りすぎる。


 だから違う。


 戻る道を探す。

 戻れる順番を探す。


 表面からではない。

 中心からでもない。

 付与が石を掴んでいる場所。

 そこを一つずつ外していく。


 外れなければ止める。

 戻らなければ止める。

 割れそうなら止める。

 止めたことを失敗にしない。


 止められるなら、次がある。


 アルフの中で、術式がもう一度組み直される。


「――解除!」


 今度は、走りすぎなかった。


 術式が石に触れる。


 石の状態を拾う。

 付与の掛かりを拾う。

 重さを変えている線を探す。


 一つ。


 外す。


 石が微かに鳴る。


 止めない。

 まだ割れていない。


 二つ。


 外す。


 内部の魔力が揺れる。


 アルフは全神経を石の状態検知と術式の調整へ注いだ。


 焦るな。

 押すな。

 引き剥がすな。

 戻れる道を探せ。


 三つ。


 外す。


 その瞬間。


 ぱりん。


 そんな音が、聞こえた気がした。


 アルフは息を止めた。


 割れたのか。


 失敗したのか。


 だが、石は砕けなかった。

 表面にも亀裂は見えない。


 アルフは肩で息をしていた。


 視界が少し揺れる。

 膝が笑いそうになる。


 良樹が、静かに石へ近づいた。


 腰袋からドライバーを取り出す。


 先端で、石の表面を軽く小突いた。


 こん。


 乾いた音。


 良樹は目を細めた。


「表面異常なし」


 もう一度、小突く。


 こん。


「反響音異常なし」


 測定具を当てる。


「異常振動なし」

「温度変化なし」


 良樹は石を持ち上げた。


 手のひらで重さを確かめる。

 次に、試験用の秤へ置く。


 針が揺れる。


 止まる。


 良樹は、深く息を吸った。


「重量、復元」


 アルフは、息を呑んだ。


 良樹が、ゆっくり頷く。


「確認、ヨシ」


 その言葉を聞いた瞬間、アルフの目に涙が溜まった。


 できた。


 戻った。


 壊さずに。

 砕かずに。

 割らずに。


 自分がかけた付与を、自分で外せた。


「し……」


 声が詰まる。


「師匠、僕、僕は……」


 言葉にならなかった。


 良樹は石を試験台へ戻した。


 そして、アルフへ近づく。


「――よくやった」


 その声は、低かった。


 派手ではない。

 大げさでもない。


 けれど、真っ直ぐだった。


「がんばったな」


 良樹は右手を上げた。


 アルフは一瞬だけ身を固くした。


 いつものゲンコツかと思った。


 けれど違った。


 良樹の右手は、握られていなかった。


 開いていた。


 その手が、アルフの頭に乗る。


 大きな手だった。


 ごつごつしている。

 工具を握る手だ。

 戦う手でもある。

 何度もアルフの頭にゲンコツを落とした手でもある。


 その手が、今日はアルフの髪をくしゃくしゃと掻き回すように撫でた。


「し、しょ……」


 アルフの声が震える。


「僕、僕は……」


「まだ安心するな」


 良樹は、手を置いたまま言った。


「まだ一回成功しただけだ」


「……はい」


「本当に使えるかは、ここからだ」

「同じことを何回もやる」

「別の石でもやる」

「材質を変えてやる」

「付与の種類を変えてやる」

「途中停止も試す」

「失敗した時に、どこで止まるかも見る」


「はい」


 アルフは涙をこぼしながら頷いた。


 良樹は、少しだけ口元を緩めた。


「だが」


 その声が、少し柔らかくなる。


「この一回の成功はでけえ」

「よくやったぞ、アルフ」


 アルフの顔が、くしゃりと歪んだ。


「師匠……!」


「褒めてんだから、そう泣くな」


 良樹は困ったように言った。


「ゲンコツでもねえだろ」


 それでも、アルフは泣いた。


 止まらなかった。


 頭に置かれた良樹の右手は、ただただ大きかった。


 何度も自分を止めた手。

 何度も叩いた手。

 失敗を見逃さず、危ない時には容赦なく遮った手。


 その手が、今は優しく髪を撫でている。


 何よりも、暖かかった。


 アルフは泣きながら、その暖かさを受け止めた。


 師匠は、まだ自分を見てくれている。


 失敗した自分を。

 壊した自分を。

 戻さなければならない自分を。


 まだ、見捨てていない。


 それだけで、今は立っていられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ