番外編 if-良樹の里帰り2-
何か不思議なことが起こり、良樹とリシア、カレン、クラリス。
三人の妻とともに、良樹の実家へ里帰りすることになったifストーリーです。
今回は、良樹が生まれ育った日本の暮らしと夏を、三人へ見せていきます。
本編には影響ありません。
翌朝。
上村家の朝は、異世界の宿よりも少しだけ静かだった。
いや、静かなはずだった。
「……この白いものは、何ですか?」
食卓の前で、カレンが真剣な顔をして茶碗を見つめている。
「米だ」
良樹が答える。
「こめ」
「日本の主食みたいなもんだ」
「炊いたやつだから、飯とも言う」
「ご飯……」
カレンは、箸を持ったまま固まっていた。
リシアはその横で味噌汁を覗き込み、少し眉を寄せている。
「良樹」
「この汁、見た目より複雑な味がするわ」
「味噌汁だ」
「母さんの味だな」
「味噌……」
リシアはもう一口飲む。
そして少しだけ目を細めた。
「……悔しいけど、美味しいわね」
「何に悔しがってんだ」
「良樹の好きな味に、先に入り込まれてることに」
「先って言うな」
「俺が生まれた時からある味だぞ」
クラリスは、焼き魚を箸でほぐそうとしていた。
だが、箸の扱いに慣れていないため、魚の身が思った方向へ動かない。
「あら、クラリスちゃん」
明恵がすぐに横から手を伸ばした。
「魚はね、こうやって骨に沿ってほぐすの」
「ありがとうございます、お義母さま」
「いいのよ」
「三人とも、今日から一週間で覚えることが山ほどあるんだから」
「母さん」
良樹が顔を上げる。
「そんなに詰め込まなくていいだろ」
「何を言ってるの」
「一週間しかないのよ」
明恵は当然のように言った。
「上村家の味、簡単な作法、洗濯機、お風呂、掃除機、冷蔵庫」
「それから、あんたの好きな食べ物」
「嫁として知っておいた方がいいことは、山ほどあるわ」
「洗濯機と掃除機は、向こうで再現できねえぞ」
「考え方は持って帰れるでしょう」
良樹は黙った。
反論できなかった。
十鉄が、焼き魚をつつきながら鼻を鳴らす。
「母さんの言う通りだ」
「現物が持って帰れねえなら、考え方を持って帰れ」
「親父まで」
「お前、それで飯食ってきただろうが」
「……まあな」
良樹は味噌汁を啜った。
その横で、三人の妻たちはそれぞれ日本の朝食に向き合っていた。
リシアは味噌汁と白米の関係を考えている。
カレンは箸で米を掴もうとして、米粒一つを真剣に追っている。
クラリスは明恵に教わりながら、焼き魚を丁寧にほぐしている。
あり得ないはずの光景だった。
日本の食卓。
父と母。
そして、三人の妻。
良樹は、それを見て少しだけ目を伏せた。
だが、その沈黙を破ったのは十鉄だった。
「良樹」
「何だよ」
「飯が終わったら、作業場へ来い」
良樹は箸を止めた。
「作業場?」
「ああ」
十鉄は、良樹を見た。
「昨日の話、全部飲み込んだわけじゃねえ」
「だが、母さんの指を治したってのは聞いた」
明恵が自分の指を見る。
「本当に治ったのよ」
「跡もないの」
クラリスは静かに頷いた。
「切り傷でしたので」
「切り傷でしたので、で済む話じゃないのよ、クラリスちゃん」
明恵は苦笑した。
十鉄は、茶碗を置いた。
「俺にも見せろ」
「お前が向こうで何をしてきたのか」
良樹は、しばらく父を見た。
「……いいのか」
「見たら、余計に訳分かんなくなるぞ」
「訳分かんねえ話を持ってきたのはお前だろうが」
十鉄は短く言った。
「現物を見せろ」
「話はそれからだ」
◇
上村電気の作業場は、昔とあまり変わっていなかった。
油と金属と古い木材の匂い。
壁際の図面棚。
端子台の入った小箱。
ブレーカ、リレー、タイマー、PLC。
圧着工具。
ニッパー。
線番チューブ。
剥きかけの電線。
使い込まれた作業台。
良樹にとっては、懐かしい場所だった。
だが、三人にとっては違った。
リシアは、作業場に入った瞬間、目つきを変えた。
「ここが……」
カレンは、壁に立てかけられた制御盤を見上げる。
「この箱が、本来の制御盤……」
クラリスは、作業台の上に置かれた工具を一つずつ見た。
「良樹くんの“止める”“直す”は、ここで育ったのですね」
良樹は、少しだけ照れくさそうに鼻を掻いた。
「ああ」
「俺が向こうで作ってる魔導盤の元ネタだ」
リシアが制御盤の前に立つ。
扉は開いていた。
中には整然と配線が走っている。
端子台。
ダクト。
リレー。
ブレーカ。
色の違う電線。
魔力はない。
けれど、命令が通る場所。
「魔力じゃないのに、命令を通して動かすのね」
「電気だ」
「魔力とは違う」
「だが、考え方は近いところもある」
良樹は盤の中を指した。
「ここが電源」
「ここが遮断」
「ここが信号」
「ここで条件を見る」
「ここで出す」
「んで、止める条件を先に作る」
十鉄が、腕を組んだまま良樹を見た。
「ほう」
「お前、向こうでそんな説明してたのか」
「だいたいな」
良樹は三人を見る。
「こいつら、飲み込みいいんだよ」
リシアは少し得意そうに顎を上げた。
「当然でしょ」
カレンは慌てて首を振る。
「わ、私はまだ全然……」
クラリスは微笑んだ。
「良樹くんの説明は、時々長いですが、筋は通っています」
「時々じゃないわよ」
リシアが即座に言う。
「長いわ」
「そこは否定しません」
「おい」
良樹は眉を寄せた。
十鉄は、そのやり取りを見ていた。
自分の作業場に、異世界から来た三人の嫁がいる。
あり得ない。
あり得ないのに、三人は良樹の言葉を理解しようとしている。
制御盤を、ただの珍しい箱として見ていない。
良樹の土台として見ている。
十鉄は、ほんの少しだけ目を細めた。
「良樹」
「ああ」
「見せろ」
良樹は頷いた。
作業場の中央へ立つ。
リシア、カレン、クラリスが少し下がる。
だが、離れすぎない。
三人とも、良樹が何をするか知っている位置取りだった。
良樹は胸の前に手を上げた。
空気が、かすかに震える。
次の瞬間、作業場の中央に半透明の盤が立ち上がった。
金属ではない。
だが、盤だった。
光の板。
魔力の線。
端子台めいた接続部。
リレーのように並ぶ小さな構造。
制御線。
遮断部。
そして、良樹の胸の奥から繋がる太い流れ。
十鉄は黙った。
明恵は口元に手を当てた。
作業場の蛍光灯の下で、異世界の魔導盤が浮かんでいる。
「これが、俺が向こうで使ってる魔導盤だ」
良樹は言った。
十鉄は、しばらく盤を見た。
それから、低く言った。
「……おい」
「何だ」
「盤が浮いてんぞ」
「浮いてるな」
「配線がねえ」
「魔力線だ」
「電源は」
「俺」
十鉄は、少しだけ沈黙した。
「母さん」
「なに」
「ビール持ってきてくれ」
「朝です」
「素面で見ていいもんじゃねえ」
「朝です」
「二回言わなくても分かる」
「分かってないから言ったの」
明恵の声は優しいが、強かった。
リシアは横で口元を押さえている。
「良樹」
「お義父さま、かなり面白い方ね」
「昔からだ」
十鉄は魔導盤へ近づいた。
「触ってもいいのか」
「止めた方がいい」
「親父側に何が返るか分からねえ」
「分からねえなら触らせるな」
「正しい判断だ」
十鉄は短く言ってから、盤を見続けた。
「構造は盤だな」
「ああ」
「お前、向こうでこれを作ったのか」
「作ったというか、形になったというか」
「最初はもっと雑だった」
「止まらなくて川に突っ込んだ」
明恵が目を見開く。
「川?」
「その話は後でいい」
リシアが小さく言う。
「良樹が私を覗いた話も絡むから」
「待て、リシア」
「その説明は事故の導入として不正確だ」
明恵の目が良樹へ向いた。
「良樹」
「事故だ」
「本当に事故だ」
「俺も川に撃ち込まれた側なんだ」
十鉄がぽつりと言った。
「停止条件を作らずに脚力補助を走らせたんだな」
「……はい」
「馬鹿野郎」
「返す言葉もねえ」
十鉄は息を吐いた。
「だが、生きて戻った」
「なら、そこから学んだんだな」
「ああ」
良樹は魔導盤を見る。
「止め方を、考えるようになった」
「親父に散々言われたからな」
十鉄は何も言わなかった。
ただ、魔導盤の中の安全装置らしき構造をじっと見ていた。
◇
「それで」
十鉄は、魔導盤から三人へ視線を移した。
「この子たちも、これに関わってるのか」
「ああ」
良樹は三人を見た。
「見せてもいいか?」
最初に頷いたのはリシアだった。
「ええ」
「お義父さまたちには、知っておいてもらいたいもの」
カレンも、少し緊張しながら頷く。
「はい」
「良樹さんが、私達のために作ってくれた力ですから」
クラリスは静かに微笑んだ。
「私も構いません」
良樹は魔導盤の一部を切り替えた。
三つの端子台が、淡く光る。
「リシア」
「ええ」
リシアの背後に、翼のような魔導機構が展開した。
風を受ける翼ではない。
魔力と風を制御するための構造体。
薄い羽のような板が幾重にも重なり、背中から左右へ広がる。
明恵が息を呑んだ。
「……羽?」
「飛翔翼」
良樹が答える。
「リシア自身の風魔法と、俺の魔導自立盤からの供給で短時間だけ飛ぶ」
「今は展開だけだ」
「ここで飛ばしたら作業場が壊れる」
十鉄は、まじまじとリシアを見た。
「……飛ぶのか」
リシアは、少しだけ背筋を伸ばす。
「はい」
「短時間ですが」
「嫁が飛ぶのか」
「飛ぶ」
良樹が答える。
「そうか」
「嫁って飛ぶのか」
「普通は飛ばねえよ」
十鉄は真顔で頷いた。
「そうだろうな」
明恵がリシアを見る。
「怖くはないの?」
「最初は、少し」
「でも、良樹が止め方と戻り方を考えてくれたので」
リシアは少しだけ良樹を見る。
「私は、飛ぶことを戦う手段にできました」
明恵は、その目を見た。
ただ綺麗な嫁ではない。
息子の横で戦ってきた女の目だった。
次に、カレンが一歩前へ出る。
腰の剣に手を添える。
「カレン」
「はい」
良樹の魔導盤から細い線が伸びる。
カレンの剣が光を帯びた。
剣身が変わる。
細い剣が、盾のように広がる。
次に、刃が一瞬だけ長く伸びる。
そして、元の剣へ戻る。
十鉄の眉が動いた。
「形が変わるのか」
「はい」
カレンは両手で剣を支えながら答えた。
「良樹さんが、私の怖がりを戦える形にしてくれました」
明恵が、少し目を細める。
「怖がりを?」
「私は、怖い場所を先に見てしまいます」
「敵が来る場所」
「斬られる場所」
「傷つく場所」
「昔は、それが嫌でした」
「でも、良樹さんは、それを否定しませんでした」
カレンは剣を見た。
「怖いなら、そこに先に盾を置けばいい」
「怖いなら、そこへ刃を届かせればいい」
「そう言ってくれました」
十鉄は、良樹を見る。
「お前らしいな」
「そうか」
「ああ」
「欠点を消すんじゃなく、使い方を変えたんだろ」
「……まあな」
十鉄は、少しだけ鼻を鳴らした。
最後にクラリスが前へ出る。
「クラリス」
「はい」
クラリスの両腕に、手甲のような魔導機構が現れる。
白く淡い光。
拳から肘へ走る支え。
攻撃のためだけではない。
受け止め、支え、壊させないための形。
「私は、壊させないための力をいただきました」
クラリスは静かに言った。
「治すだけでは、間に合わない時があります」
「傷ついた後に戻すだけでは、届かない時があります」
「だから、壊れる前に支える力を」
明恵は、クラリスの手甲を見た。
「あなた達、本当に良樹と一緒に戦ってきたのね」
クラリスは頷く。
「はい」
「良樹くんは、私達を後ろに置いて守るだけの人ではありません」
「一緒に立てる形を、考えてくれる人です」
リシアが続ける。
「でも、無茶をするから止めなきゃいけない人でもあるわ」
カレンも小さく頷いた。
「はい」
「良樹さんは、自分のことを後回しにしすぎます」
クラリスは微笑んだ。
「ですから、私達が見ています」
明恵は三人を見た。
そして、少しだけ笑った。
「良樹」
「あんた、本当にいいお嫁さん達をもらったのね」
良樹は、目を逸らした。
「……分かってる」
◇
十鉄は、しばらく黙っていた。
そして、最後に言った。
「で、お前自身はどうなんだ」
良樹は顔を上げる。
「俺か」
「嫁にだけ変なもん持たせて、自分は手ぶらってことはねえだろ」
「……まあな」
空気が少し変わった。
三人の妻たちも、それを感じ取った。
リシアの表情から、先ほどまでの軽さが消える。
カレンは剣を納め、良樹を見る。
クラリスは、良樹の身体の状態を確かめるように一歩寄った。
良樹は、右手を軽く開いた。
魔導盤の奥で、重いものが繋がる。
次の瞬間、良樹の右腕に異形の装甲腕が顕現した。
人間の腕としては明らかに大きい。
長く、太く、重い。
金属のようで、魔力の塊。
拳は打撃のために作られている。
だが、ただの武器ではない。
背負ったものの形だった。
明恵が、息を呑んだ。
十鉄は、しばらく腕を見ていた。
長い沈黙。
「……おい」
「何だ」
「その腕で、人を殺したのか」
作業場の空気が、静かに沈んだ。
良樹は、逃げなかった。
「……ああ」
十鉄は、良樹の腕を見る。
そして、良樹の顔を見る。
「そうか」
それだけだった。
怒鳴らない。
慰めない。
軽く流さない。
ただ、事実として受け止める。
それから十鉄は、低く言った。
「なら、忘れんな」
「ああ」
「それは便利な道具じゃねえ」
「お前がやったことの形だ」
良樹の喉が、わずかに動いた。
「ああ」
「忘れねえ」
十鉄は頷いた。
「ならいい」
明恵は、何も言わなかった。
言えなかった。
ただ、息子の右腕を見ていた。
その腕で何をしたのか。
その腕を出さなければならなかった場所で、息子が何を背負ったのか。
全部は分からない。
分かるはずがない。
だが、息子が嘘をついていないことだけは分かった。
良樹は、ゆっくりと打撃腕を消した。
重かった空気が、少しだけ戻る。
十鉄が息を吐いた。
「しかしまあ」
「何だよ」
「本当に、訳の分からんもん作りやがったな」
「親父に言われたくねえよ」
「俺はこんな腕は作らねえ」
「作れねえだろ」
「作れるか馬鹿野郎」
その一言で、作業場の空気が少しだけ緩んだ。
リシアが吹き出しそうになり、カレンがほっと息を吐く。
クラリスも、小さく笑った。
明恵は、静かに目元を拭った。
「あなた」
「何だ」
「今夜はビール、少し多めにしてあげる」
「朝にくれ」
「夜です」
「……夜まで待つか」
「待ちなさい」
◇
昼を過ぎた頃。
明恵が押し入れを開けた。
そして、奥に仕舞われていた箱を、次々と畳の上へ引っ張り出していく。
良樹は居間の入口で、その様子を見て固まった。
「母さん」
「何出してんだ」
「浴衣よ」
明恵は当然のように答えた。
「せっかく日本に来たんだから」
「夏らしいこともしないとね」
「浴衣……」
リシアが興味深そうに箱を覗き込む。
丁寧に畳まれた布。
帯。
腰紐。
下駄。
巾着。
小さな髪飾り。
三人にとっては、どれも用途がすぐには分からないものばかりだった。
カレンは、薄い布を指先でそっと摘まむ。
「こ、これを着るんですか?」
「そう」
「三人とも絶対似合うわよ」
明恵は迷いなく断言した。
クラリスは、白地に水色の柄が入った浴衣を見つめている。
「日本の礼服でしょうか」
「礼服というより、夏のお出かけ着ね」
「お出かけ着……」
クラリスは、もう一度浴衣を見た。
異世界の礼装ほど重くない。
僧服ほど身体を覆わない。
けれど、布の合わせ方や帯の形には、きちんとした決まりがあるらしい。
リシアは、濃紺に紫の花が入った浴衣を手に取った。
「軽いのね」
「でも、形はきちんとしている」
「リシアちゃんは、それが似合いそうね」
「大人っぽいし」
リシアは少しだけ笑った。
「お義母さまの目は確かね」
「リシア」
良樹が呆れる。
「そこで乗るな」
「だって、似合うなら着てみたいじゃない」
そう言いながら、リシアは浴衣を自分の身体に当てた。
濃紺の布が黒髪とよく馴染み、紫の花だけが鮮やかに浮く。
明恵は満足そうに頷いた。
カレンには、淡い色の浴衣が渡された。
朝顔と金魚の柄。
可愛らしい柄を見た瞬間、カレンの顔が真っ赤になる。
「あ、あの」
「私、これで外へ……」
「大丈夫」
「すごく可愛いわ」
「可愛い……」
カレンは浴衣を胸に抱いたまま、完全に固まった。
クラリスには、白地に水色の涼しげな浴衣が選ばれた。
明恵は三人を一通り見比べると、満足そうに手を叩いた。
「よし」
「良樹、廊下で待ってなさい」
「何で俺が追い出されるんだよ」
「着付けするから」
「そりゃそうか」
「覗いたら肘よ」
「覗かねえよ!」
十鉄が新聞を畳みながら言った。
「昔の俺なら覗いた」
「親父」
「あなた?」
明恵の声が、静かに落ちた。
十鉄は新聞を開き直した。
「冗談だ」
「今の間は冗談じゃなかったわね」
「冗談だ」
「二回言うと怪しいわよ」
良樹は額を押さえた。
「親父、頼むから嫁達の前でそういうこと言うな」
リシアが面白そうに笑う。
「良樹」
「お義父さまにも、なかなかの歴史がありそうね」
「掘るな」
「上村家の恥を掘るな」
明恵に追い出され、良樹は廊下で待たされた。
襖の向こうでは、すぐに慌ただしい声が上がり始めた。
「まず三人とも腕を通して」
「そうそう、そこは袖よ」
「カレンちゃん、固くならなくていいの」
「リシアちゃん、前を押さえて」
「クラリスちゃん、まだ帯は後だから」
一人で三人分の着付けをする明恵は、部屋の中を行ったり来たりしているらしい。
三人は、ひとまず浴衣に袖を通しただけ。
前合わせも整っていない。
帯もまだない。
明恵の手が回ってくるまで、それぞれが浴衣の前を押さえて待っている。
「これは、どちらを上にするの?」
「右を先にして、左を上よ」
「リシアちゃん、反対」
「こう?」
「そう」
「カレンちゃん、そんなに強く握ったら皺になるわよ」
「で、でも、手を離したら……」
「大丈夫だから」
「クラリスちゃん、そっちの紐を取ってちょうだい」
「こちらでしょうか」
「それは帯締め」
「腰紐はその下」
「似ていますね」
「似てないわよ」
明恵の声は忙しいが、どこか楽しそうだった。
良樹は廊下の壁にもたれ、天井を見る。
日本の家。
母親が、異世界から来た三人の妻へ浴衣を着せている。
襖一枚向こうに、袖を通しただけの三人がいる。
そう意識してしまい、良樹は一度目を閉じた。
「……考えるな」
小さく呟く。
聞こえるのは、帯を探す音。
布が擦れる音。
下駄を試しに履いてみたらしい、畳へ落ちる軽い音。
意味が分からない。
意味が分からないほど、ありがたかった。
そして、少しだけ危険だった。
◇
しばらくして、襖が開いた。
「良樹」
明恵が顔を出す。
「ちゃんと言いなさいよ」
「何を」
「見れば分かるわ」
明恵が横へ退く。
三人が並んでいた。
左にクラリス。
中央にリシア。
右にカレン。
最初に良樹の目を捉えたのは、リシアだった。
濃紺の浴衣に紫の花。
長い黒髪は片側へまとめられ、紫の髪飾りの下から、白い首筋が覗いている。
リシアは片手を腰へ置き、ほんの少しだけ上体を前へ傾けた。
良樹の反応を確かめるように。
閉じた浴衣の襟元。
その奥に、わずかに覗く肌。
本人は自信ありげに口元を上げている。
どう。
似合うでしょう。
そう言葉にせず突きつけてくる姿だった。
クラリスは、白と水色の浴衣。
銀に近い金髪は上品に結い上げられ、うなじが涼しげに見えている。
両手で袖口を少しだけ摘まみ、肘を小さく曲げている。
普段の清楚な微笑みに、片目の小さなウインク。
似合っていますか。
そんな、少しだけお茶目な問いかけだった。
カレンは、淡い色の浴衣。
朝顔と金魚の柄。
髪はいつものポニーテールを少し横へ流すようにまとめられている。
両手を下腹部の前で重ね、指先を落ち着かせるように握っている。
頬は赤い。
視線は良樹を見たいのに、見続けることができない。
変ではないでしょうか。
可愛いと言ってもらえるでしょうか。
不安と期待が、そのまま顔に出ていた。
良樹は、数秒黙った。
黙ってしまった。
三人の浴衣姿が綺麗だった。
それは間違いない。
だが、それだけではなかった。
いつもと違う髪。
露わになった首筋。
浴衣越しに変わって見える身体の線。
そして三人とも、自分の言葉を待っている。
全員、自分の妻だ。
その事実が、今さらのように良樹の胸を殴った。
視線を逸らすのは失礼だ。
だが、見続けるのも危険だった。
しかも後ろには父と母がいる。
良樹は一度喉を鳴らした。
リシアが、少しだけ口元を上げる。
「どう?」
「……似合ってる」
「まとめたわね」
「いや、本当に」
良樹は息を整え、改めてリシアを見る。
今度は誤魔化さず、正面から。
「リシア」
「綺麗だ」
リシアの頬が、ほんの少しだけ赤くなった。
それでも余裕を崩さず、顎を上げる。
「……よろしい」
だが、その声には満足が滲んでいた。
良樹はカレンを見る。
カレンは、呼ばれただけで肩を小さく跳ねさせた。
「カレン」
「すげえ可愛い」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ」
「本当だ」
カレンの顔が一気に赤くなる。
耳まで染まり、浴衣の袖で口元を隠した。
目だけが良樹を見上げている。
良樹はクラリスへ顔を向ける。
「クラリス」
「綺麗だ」
「すごく似合ってる」
クラリスは、少し目を細めた。
派手に照れるのではなく、胸の中へゆっくり言葉を収めるように。
「ありがとうございます、良樹くん」
ほんの一瞬だけ。
三人それぞれと良樹の間に、他の誰も入らない時間が生まれた。
短い。
だが、確かに二人だけの時間だった。
明恵が腕を組んで頷く。
「よし」
「ちゃんと言えたわね」
十鉄も新聞の向こうから言った。
「今のは及第点だな」
「採点されてんのかよ」
「嫁を褒めるのは男の基礎技能だ」
「親父が言うと説得力があるような、ないような」
明恵が十鉄を見る。
「あなたは、昔もう少し言えたら良かったわね」
「今から言ってもいいか」
「言いなさい」
十鉄は明恵を見た。
「今日も綺麗だ」
明恵は、少しだけ目を瞬かせた。
そして、照れ隠しのように十鉄の頭へ軽く手刀を落とす。
「遅い」
「痛え」
「でも、聞いてあげる」
良樹はそれを見て、少しだけ笑った。
父と母は、父と母だった。
◇
夕方。
空には、まだ青が残っていた。
西の端だけが橙色に染まり、薄い雲が金と紫を帯びている。
遠くでは、祭りの提灯に明かりが入り始めていた。
良樹たちは、近所の川沿いへ向かう。
三人の妻が、良樹の前を横に並んで歩いていた。
リシアは堂々としている。
下駄にもすぐ慣れ、浴衣の裾を乱さず歩く。
クラリスは、初めて見る夕方の日本の町並みを静かに眺めていた。
白と水色の浴衣が、夕焼けの中で柔らかく色づいている。
カレンは、下駄の音が鳴るたびに少し足元を気にしていた。
だが、顔には隠しきれない期待がある。
祭りへ行く。
良樹と一緒に。
そのこと自体が、三人を浮き立たせていた。
すぐ後ろを歩く良樹は、なるべく前方を見るようにしていた。
だが、どうしても視界へ入る。
三人のまとめた髪。
普段は隠れている首筋。
歩くたびに小さく揺れる髪飾り。
浴衣の帯。
下駄の音。
三人とも、良樹が後ろで何と戦っているのか気づいていない。
いや。
リシアだけは、一度だけ振り返った。
良樹の顔を見る。
そして、何かを察したように、少しだけ口元を上げた。
「何だよ」
「別に」
「なら前向け」
「はいはい」
リシアは前へ向き直った。
肩が少し揺れていた。
笑っている。
良樹は小さく息を吐いた。
夕焼けは綺麗だった。
だが、今の良樹には、それ以外に視線を向ける理由も必要だった。
◇
祭り会場へ近づくにつれ、音と匂いが増えていった。
提灯の明かり。
人混み。
屋台から立ち上る煙。
鉄板の音。
子どもの笑い声。
呼び込みの声。
焼きそば。
たこ焼き。
かき氷。
りんご飴。
綿あめ。
金魚すくい。
射的。
三人妻は、会場へ足を踏み入れた瞬間、そろって立ち止まった。
だが、見ている方向は全員違った。
リシアは、鉄板から立ち上る湯気と煙を目で追っている。
カレンは、金魚の泳ぐ水槽と、薄い紙の張られた道具を交互に見ていた。
クラリスは、赤や青や緑に染まった氷へ首を傾げている。
提灯の光が、三人の顔を柔らかく照らす。
その瞳は、まるで異世界へ来たばかりの子どものようだった。
良樹は、三方向へ散りかけた妻たちを見る。
「一人ずつな」
三人が同時に振り返った。
「まだ何も言ってないわよ」
「顔に書いてある」
「そうでしょうか」
「書いてある」
カレンだけは、金魚の水槽から目を離せていなかった。
◇
「良樹」
「あの煙の出ている鉄板は何?」
「焼きそば」
「焼いたそば?」
「そうだ」
「ソースで炒める」
「そーす」
「食えば分かる」
紙皿を受け取ったリシアは、割り箸で焼きそばを持ち上げた。
湯気が頬へ触れ、少し目を細める。
一口。
濃い味が口の中へ広がった。
リシアの目が少しだけ見開かれる。
「濃い」
「だろうな」
「でも、悪くないわ」
もう一度、少しだけ箸を進める。
ソースの甘さ。
鉄板の香ばしさ。
湯気。
周囲のざわめき。
全部を確かめるように味わう。
「この味、祭りの空気と一緒に食べるものね」
「分かるのか」
「貴族の宴も、味だけで成り立つわけじゃないもの」
「場の空気、音、人の動き」
「全部で食べるのよ」
「なるほどな」
リシアは、もう一口食べた。
その時、唇の端にほんの少しだけソースがついた。
良樹の視線が、無意識にそこへ止まる。
リシアが気づいた。
「何?」
「いや」
「ついてる?」
「少し」
リシアは指先で拭い、そのまま良樹を見る。
「見すぎ」
「見てねえ」
「見てたわよ」
提灯の光の下で、リシアは少しだけ笑った。
◇
カレンは金魚すくいに挑戦していた。
真剣だった。
異様に真剣だった。
「カレン」
「紙が破れるぞ」
「はい」
「破れる場所は見えます」
「水の抵抗もあります」
「魚の動きも……」
「剣士の目で金魚すくいするな」
カレンは一匹を追う。
紙の端を水面へ滑らせる。
金魚の現在位置ではない。
逃げ道へ置く。
水の流れを読む。
紙へかかる抵抗を避ける。
魚が向きを変える瞬間へ合わせる。
すくえた。
「あっ」
カレンの目が輝いた。
「すくえました!」
「おお」
「良樹さん、すくえました!」
「ああ」
「すげえ」
カレンは、強敵を倒したような顔をしていた。
だが、その顔はすぐ、年頃の少女のような笑顔へ変わった。
紙の上で跳ねる小さな金魚を見て、心から嬉しそうに笑う。
リシアが半眼で見る。
「良樹」
「カレン、さっきまで完全に戦闘の顔だったわよ」
「分かってる」
「でも楽しそうだからいいだろ」
「いいけど」
カレンはそんな二人の会話にも気づかず、店主から渡された袋を両手で大事そうに持っていた。
◇
クラリスは、かき氷を両手で受け取った。
透明な氷へ、赤と青のシロップがかけられている。
「良樹くん」
「本当に、氷へ甘いものをかけただけなのですね」
「そうだ」
「不思議です」
「食ってみろ」
クラリスは、小さな匙で氷をすくった。
慎重に一口。
冷たさが舌へ触れる。
甘さが広がる。
クラリスは、ゆっくりと目を閉じた。
頬がわずかに緩む。
いつもの穏やかな笑みより、少しだけ無防備な顔。
「……甘いです」
「見りゃ分かる」
「冷たくて」
「甘くて」
「美味しいです」
良樹は返事をせず、その顔を見ていた。
クラリスが、あまりにも幸せそうだったからだ。
僧侶として人を支える顔でもない。
戦う時の冷たい目でもない。
良樹を諭す妻の顔でもない。
ただ、甘い氷を食べて喜んでいる一人の女だった。
クラリスはもう一口、少し大きめに食べた。
直後。
「……頭が」
「一気に食うと来るぞ」
クラリスは額へ手を当てた。
「これは、回復魔法で治すべきでしょうか」
「かき氷頭痛に回復魔法使うな」
「もったいねえ」
クラリスは少し笑った。
「日本の甘い氷は、危険なのですね」
「危険というほどじゃねえよ」
「でも、幸せな危険です」
そう言って、クラリスは今度こそ慎重に、小さく一口食べた。
◇
やがて、花火の時間が近づいた。
良樹たちは、祭り会場から少し離れた川沿いの土手へ移動した。
人々が草の上へ腰を下ろしている。
良樹たちも、少し間を空けた場所に座った。
左から、クラリス、良樹、カレン、リシア。
たまには、とでも言うように、カレンとクラリスが良樹の両隣を取っていた。
三人の浴衣の袖が、夜風に揺れる。
少し後ろに、十鉄と明恵がいる。
空は暗い。
川面には、遠い屋台の光が揺れていた。
「良樹」
リシアが空を見上げる。
「花火って、空に上げる火なの?」
「まあ、そんな感じだ」
「火薬を使う」
「火薬」
「魔法じゃねえ」
「けど、まあ」
良樹は少し考えた。
「日本の魔法みたいなもんかもな」
カレンが膝の上で手を握る。
「音は、大きいですか?」
「ああ」
「腹に響く」
「分かりました」
「驚かないようにします」
「驚いてもいいぞ」
「えっ」
「初めて見るんだから」
カレンは、少しだけ目を瞬かせた。
「……はい」
クラリスは静かに空を見ている。
「良樹くんは、子供の頃から見ていたのですか?」
「ああ」
「毎年じゃねえけどな」
「親父と母さんと来たこともある」
「友達と来たこともある」
「一人で通りがかったこともある」
「その中に、今の良樹くんがいるのですね」
「……そうだな」
クラリスの横顔は、遠い屋台の灯りに淡く照らされている。
カレンは、良樹の言葉を一つも落とさないように聞いている。
リシアも空を見ながら、耳だけは良樹へ向けていた。
良樹は三人を見る。
「見せたかったんだ」
「これを」
三人の顔が、良樹へ向く。
「俺が生まれた場所の、夏を」
言い終えたあと、誰もすぐには返事をしなかった。
クラリスは、柔らかく微笑んだ。
カレンは少し目を潤ませ、視線を伏せた。
リシアは、良樹の言葉の意味を最初に理解したように、静かに口元を緩めた。
その時だった。
夜空の向こうで、小さな光が上がった。
ひゅるる、と音が伸びる。
三人が空を見る。
次の瞬間。
どん、と腹に響く音がした。
夜空に、大輪の花が咲いた。
赤。
青。
白。
金。
光が広がり、遅れて音が来る。
リシアが息を呑んだ。
「……綺麗」
普段の余裕が、一瞬だけ消えていた。
ただ純粋に、初めて見る光景へ目を奪われている。
カレンは音に肩を跳ねさせた。
反射的に伸びた指が、良樹の黒い袖を掴む。
掴んだあとで気づいたらしく、一度離そうとする。
良樹は何も言わなかった。
カレンは、迷った末にそのまま小さく握った。
「空に、花が咲いています……」
クラリスは瞬きも忘れたように見上げている。
花火の光が、白と水色の浴衣を染める。
瞳の中に、消えていく光が映っていた。
「火の魔法ではないのですね」
「火薬だ」
「仕組みはある」
「職人もいる」
「安全に上げるための段取りもある」
良樹は夜空を見る。
「でも、こうして見ると」
「やっぱり、魔法みてえだな」
リシアは、空から目を離さずに言った。
「良樹の日本は、不思議ね」
「魔法がないのに、魔法みたいなものがたくさんある」
「俺から見りゃ、向こうも大概だけどな」
「お互い様ね」
「ああ」
また一発、花火が上がる。
紫の光が、リシアの黒髪を照らした。
濃紺の浴衣へ青い夜色が重なり、紫の花だけが浮かび上がる。
リシアは花火を見ていた。
だが一瞬だけ、良樹へ視線を戻す。
花火よりも、その花火を見せたかったと言った男を見る目。
普段の勝ち気な笑みとは違う。
妻としての、静かな熱を含んだ目だった。
良樹は見返し、先に視線を逸らした。
カレンは、まだ良樹の袖を掴んでいる。
大きな音が鳴るたびに指へ少し力が入る。
だが、その顔は怖がっているだけではない。
「大きな音なのに」
「怖いだけではありません」
「そうか」
「はい」
カレンは花火を見上げたまま、少し笑った。
「良樹さんが隣にいるので」
良樹は、少しだけ言葉に詰まる。
「……そうか」
クラリスは、消えていく光まで静かに目で追っていた。
夜風が、結い上げた髪の後れ毛を揺らす。
「この光も、音も」
「きっと忘れません」
良樹は、何も言えなかった。
言えなかったが、それでよかった。
花火の光を受けた三人は、昼間とは違って見えた。
浴衣を着てはしゃぐ、可愛い女達ではない。
リシアも。
カレンも。
クラリスも。
自分が選び、自分を選び返した妻たちだった。
花火の光が、頬を照らす。
唇を照らす。
首筋を照らす。
浴衣の襟と指先を照らす。
綺麗だった。
ただ綺麗という言葉だけでは、足りなかった。
◇
少し後ろで、明恵が四人を見ていた。
「あの子、笑ってるわね」
「ああ」
十鉄は短く答えた。
「向こうでも、ああやって笑えてるのかしら」
「あの子たちがいるなら、大丈夫だろ」
明恵は、三人の妻たちを見る。
リシアは良樹の近くで、堂々と空を見ている。
カレンは良樹の袖を少しだけ掴んでいる。
クラリスは三人と良樹を包むように、穏やかに微笑んでいる。
「……そうね」
明恵は小さく頷いた。
「大丈夫ね」
十鉄は何も言わなかった。
ただ、夜空の花火を見ていた。
息子が生まれた日本の夏。
その夏を、息子が選んだ三人へ渡している。
なら、自分たちは何を渡すのか。
たぶん、送り出すことなのだろう。
十鉄は、そう思った。
◇
花火は、何度も夜空に咲いた。
赤い花。
青い花。
金のしだれ。
白い星。
大きな輪。
小さな連なり。
やがて、打ち上げの間隔が短くなる。
土手にいた人々が、次々と立ち上がった。
良樹たちも立つ。
連続して上がる花火を、四人で見上げた。
画面の手前から並ぶように。
リシア。
クラリス。
カレン。
良樹。
濃紺の浴衣。
白と水色の浴衣。
淡い色の浴衣。
そして、良樹の黒い服。
リシアの片側へまとめた黒髪が、光を受ける。
クラリスの結い上げた髪と白い首筋が、金色に縁取られる。
カレンの横へ流した髪が揺れ、その手は良樹の服へ触れたままだった。
良樹は、その三人のすぐ後ろに立つ。
三人の表情は見えない。
花火を見上げた口元。
顎。
首筋。
髪。
浴衣。
それだけが、次々と変わる光の中へ浮かんでは消える。
だが、どんな顔をしているのかは分かった。
リシアは、きっと目を輝かせながら仕組みを考えている。
カレンは、音に驚きながらも次の花火を待っている。
クラリスは、消えていく光まで大切そうに見ている。
良樹は、花火より少しだけ長く、三人を見ていた。
「良樹」
リシアが空を見たまま言った。
「見られてよかったわ」
カレンも頷く。
「はい」
「良樹さんの日本を、また一つ知れました」
クラリスが続ける。
「この景色を持って帰ります」
「良樹くんが生まれた場所の夏として」
良樹は三人を見る。
胸の奥が、少しだけ詰まる。
「ああ」
「持って帰ってくれ」
夜空に、ひときわ大きな花火が上がった。
どん、と音が響く。
光が広がる。
その光の下で、良樹は思った。
自分は、日本を捨てるわけではない。
異世界を選んだからといって、日本で生きた自分が消えるわけでもない。
父に叩き込まれたこと。
母に食べさせられた味。
作業場の匂い。
制御盤。
夕焼けの道。
祭りの灯り。
夏の夜。
花火の音。
全部を持って、向こうで生きる。
そして今、その一部を三人へ渡せた。
良樹が生まれた日本の夏を、三人は胸に刻んだ。
十鉄と明恵は、息子が帰る異世界の輪郭を、少しだけ見た。
残された時間は、一週間。
短い。
あまりにも短い。
けれど、その一週間は。
確かに、始まっていた。
今回は、ひたすら三人妻の浴衣姿を楽しむ回になりました!
浴衣!
髪飾り!
屋台!
花火!
せっかく日本へ里帰りしたのだから、三人には日本の夏をしっかり満喫してもらいました。
特に後半は、完全に三人妻の浴衣祭りです。
本編には影響しないifストーリーですが、楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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