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番外編 if-良樹の里帰り2-

何か不思議なことが起こり、良樹とリシア、カレン、クラリス。


三人の妻とともに、良樹の実家へ里帰りすることになったifストーリーです。


今回は、良樹が生まれ育った日本の暮らしと夏を、三人へ見せていきます。


本編には影響ありません。

 翌朝。


 上村家の朝は、異世界の宿よりも少しだけ静かだった。


 いや、静かなはずだった。


「……この白いものは、何ですか?」


 食卓の前で、カレンが真剣な顔をして茶碗を見つめている。


「米だ」


 良樹が答える。


「こめ」


「日本の主食みたいなもんだ」

「炊いたやつだから、飯とも言う」


「ご飯……」


 カレンは、箸を持ったまま固まっていた。


 リシアはその横で味噌汁を覗き込み、少し眉を寄せている。


「良樹」

「この汁、見た目より複雑な味がするわ」


「味噌汁だ」

「母さんの味だな」


「味噌……」


 リシアはもう一口飲む。


 そして少しだけ目を細めた。


「……悔しいけど、美味しいわね」


「何に悔しがってんだ」


「良樹の好きな味に、先に入り込まれてることに」


「先って言うな」

「俺が生まれた時からある味だぞ」


 クラリスは、焼き魚を箸でほぐそうとしていた。


 だが、箸の扱いに慣れていないため、魚の身が思った方向へ動かない。


「あら、クラリスちゃん」


 明恵がすぐに横から手を伸ばした。


「魚はね、こうやって骨に沿ってほぐすの」


「ありがとうございます、お義母さま」


「いいのよ」

「三人とも、今日から一週間で覚えることが山ほどあるんだから」


「母さん」


 良樹が顔を上げる。


「そんなに詰め込まなくていいだろ」


「何を言ってるの」

「一週間しかないのよ」


 明恵は当然のように言った。


「上村家の味、簡単な作法、洗濯機、お風呂、掃除機、冷蔵庫」

「それから、あんたの好きな食べ物」

「嫁として知っておいた方がいいことは、山ほどあるわ」


「洗濯機と掃除機は、向こうで再現できねえぞ」


「考え方は持って帰れるでしょう」


 良樹は黙った。


 反論できなかった。


 十鉄が、焼き魚をつつきながら鼻を鳴らす。


「母さんの言う通りだ」

「現物が持って帰れねえなら、考え方を持って帰れ」


「親父まで」


「お前、それで飯食ってきただろうが」


「……まあな」


 良樹は味噌汁を啜った。


 その横で、三人の妻たちはそれぞれ日本の朝食に向き合っていた。


 リシアは味噌汁と白米の関係を考えている。

 カレンは箸で米を掴もうとして、米粒一つを真剣に追っている。

 クラリスは明恵に教わりながら、焼き魚を丁寧にほぐしている。


 あり得ないはずの光景だった。


 日本の食卓。

 父と母。

 そして、三人の妻。


 良樹は、それを見て少しだけ目を伏せた。


 だが、その沈黙を破ったのは十鉄だった。


「良樹」


「何だよ」


「飯が終わったら、作業場へ来い」


 良樹は箸を止めた。


「作業場?」


「ああ」


 十鉄は、良樹を見た。


「昨日の話、全部飲み込んだわけじゃねえ」

「だが、母さんの指を治したってのは聞いた」


 明恵が自分の指を見る。


「本当に治ったのよ」

「跡もないの」


 クラリスは静かに頷いた。


「切り傷でしたので」


「切り傷でしたので、で済む話じゃないのよ、クラリスちゃん」


 明恵は苦笑した。


 十鉄は、茶碗を置いた。


「俺にも見せろ」

「お前が向こうで何をしてきたのか」


 良樹は、しばらく父を見た。


「……いいのか」

「見たら、余計に訳分かんなくなるぞ」


「訳分かんねえ話を持ってきたのはお前だろうが」


 十鉄は短く言った。


「現物を見せろ」

「話はそれからだ」


   ◇


 上村電気の作業場は、昔とあまり変わっていなかった。


 油と金属と古い木材の匂い。

 壁際の図面棚。

 端子台の入った小箱。

 ブレーカ、リレー、タイマー、PLC。

 圧着工具。

 ニッパー。

 線番チューブ。

 剥きかけの電線。

 使い込まれた作業台。


 良樹にとっては、懐かしい場所だった。


 だが、三人にとっては違った。


 リシアは、作業場に入った瞬間、目つきを変えた。


「ここが……」


 カレンは、壁に立てかけられた制御盤を見上げる。


「この箱が、本来の制御盤……」


 クラリスは、作業台の上に置かれた工具を一つずつ見た。


「良樹くんの“止める”“直す”は、ここで育ったのですね」


 良樹は、少しだけ照れくさそうに鼻を掻いた。


「ああ」

「俺が向こうで作ってる魔導盤の元ネタだ」


 リシアが制御盤の前に立つ。


 扉は開いていた。

 中には整然と配線が走っている。

 端子台。

 ダクト。

 リレー。

 ブレーカ。

 色の違う電線。


 魔力はない。


 けれど、命令が通る場所。


「魔力じゃないのに、命令を通して動かすのね」


「電気だ」

「魔力とは違う」

「だが、考え方は近いところもある」


 良樹は盤の中を指した。


「ここが電源」

「ここが遮断」

「ここが信号」

「ここで条件を見る」

「ここで出す」

「んで、止める条件を先に作る」


 十鉄が、腕を組んだまま良樹を見た。


「ほう」

「お前、向こうでそんな説明してたのか」


「だいたいな」


 良樹は三人を見る。


「こいつら、飲み込みいいんだよ」


 リシアは少し得意そうに顎を上げた。


「当然でしょ」


 カレンは慌てて首を振る。


「わ、私はまだ全然……」


 クラリスは微笑んだ。


「良樹くんの説明は、時々長いですが、筋は通っています」


「時々じゃないわよ」


 リシアが即座に言う。


「長いわ」


「そこは否定しません」


「おい」


 良樹は眉を寄せた。


 十鉄は、そのやり取りを見ていた。


 自分の作業場に、異世界から来た三人の嫁がいる。


 あり得ない。


 あり得ないのに、三人は良樹の言葉を理解しようとしている。

 制御盤を、ただの珍しい箱として見ていない。

 良樹の土台として見ている。


 十鉄は、ほんの少しだけ目を細めた。


「良樹」


「ああ」


「見せろ」


 良樹は頷いた。


 作業場の中央へ立つ。


 リシア、カレン、クラリスが少し下がる。

 だが、離れすぎない。

 三人とも、良樹が何をするか知っている位置取りだった。


 良樹は胸の前に手を上げた。


 空気が、かすかに震える。


 次の瞬間、作業場の中央に半透明の盤が立ち上がった。


 金属ではない。

 だが、盤だった。


 光の板。

 魔力の線。

 端子台めいた接続部。

 リレーのように並ぶ小さな構造。

 制御線。

 遮断部。

 そして、良樹の胸の奥から繋がる太い流れ。


 十鉄は黙った。


 明恵は口元に手を当てた。


 作業場の蛍光灯の下で、異世界の魔導盤が浮かんでいる。


「これが、俺が向こうで使ってる魔導盤だ」


 良樹は言った。


 十鉄は、しばらく盤を見た。


 それから、低く言った。


「……おい」


「何だ」


「盤が浮いてんぞ」


「浮いてるな」


「配線がねえ」


「魔力線だ」


「電源は」


「俺」


 十鉄は、少しだけ沈黙した。


「母さん」


「なに」


「ビール持ってきてくれ」


「朝です」


「素面で見ていいもんじゃねえ」


「朝です」


「二回言わなくても分かる」


「分かってないから言ったの」


 明恵の声は優しいが、強かった。


 リシアは横で口元を押さえている。


「良樹」

「お義父さま、かなり面白い方ね」


「昔からだ」


 十鉄は魔導盤へ近づいた。


「触ってもいいのか」


「止めた方がいい」

「親父側に何が返るか分からねえ」


「分からねえなら触らせるな」

「正しい判断だ」


 十鉄は短く言ってから、盤を見続けた。


「構造は盤だな」


「ああ」


「お前、向こうでこれを作ったのか」


「作ったというか、形になったというか」

「最初はもっと雑だった」

「止まらなくて川に突っ込んだ」


 明恵が目を見開く。


「川?」


「その話は後でいい」


 リシアが小さく言う。


「良樹が私を覗いた話も絡むから」


「待て、リシア」

「その説明は事故の導入として不正確だ」


 明恵の目が良樹へ向いた。


「良樹」


「事故だ」

「本当に事故だ」

「俺も川に撃ち込まれた側なんだ」


 十鉄がぽつりと言った。


「停止条件を作らずに脚力補助を走らせたんだな」


「……はい」


「馬鹿野郎」


「返す言葉もねえ」


 十鉄は息を吐いた。


「だが、生きて戻った」

「なら、そこから学んだんだな」


「ああ」


 良樹は魔導盤を見る。


「止め方を、考えるようになった」

「親父に散々言われたからな」


 十鉄は何も言わなかった。


 ただ、魔導盤の中の安全装置らしき構造をじっと見ていた。


   ◇


「それで」


 十鉄は、魔導盤から三人へ視線を移した。


「この子たちも、これに関わってるのか」


「ああ」


 良樹は三人を見た。


「見せてもいいか?」


 最初に頷いたのはリシアだった。


「ええ」

「お義父さまたちには、知っておいてもらいたいもの」


 カレンも、少し緊張しながら頷く。


「はい」

「良樹さんが、私達のために作ってくれた力ですから」


 クラリスは静かに微笑んだ。


「私も構いません」


 良樹は魔導盤の一部を切り替えた。


 三つの端子台が、淡く光る。


「リシア」


「ええ」


 リシアの背後に、翼のような魔導機構が展開した。


 風を受ける翼ではない。

 魔力と風を制御するための構造体。

 薄い羽のような板が幾重にも重なり、背中から左右へ広がる。


 明恵が息を呑んだ。


「……羽?」


「飛翔翼」


 良樹が答える。


「リシア自身の風魔法と、俺の魔導自立盤からの供給で短時間だけ飛ぶ」

「今は展開だけだ」

「ここで飛ばしたら作業場が壊れる」


 十鉄は、まじまじとリシアを見た。


「……飛ぶのか」


 リシアは、少しだけ背筋を伸ばす。


「はい」

「短時間ですが」


「嫁が飛ぶのか」


「飛ぶ」


 良樹が答える。


「そうか」

「嫁って飛ぶのか」


「普通は飛ばねえよ」


 十鉄は真顔で頷いた。


「そうだろうな」


 明恵がリシアを見る。


「怖くはないの?」


「最初は、少し」

「でも、良樹が止め方と戻り方を考えてくれたので」


 リシアは少しだけ良樹を見る。


「私は、飛ぶことを戦う手段にできました」


 明恵は、その目を見た。


 ただ綺麗な嫁ではない。

 息子の横で戦ってきた女の目だった。


 次に、カレンが一歩前へ出る。


 腰の剣に手を添える。


「カレン」


「はい」


 良樹の魔導盤から細い線が伸びる。

 カレンの剣が光を帯びた。


 剣身が変わる。


 細い剣が、盾のように広がる。

 次に、刃が一瞬だけ長く伸びる。

 そして、元の剣へ戻る。


 十鉄の眉が動いた。


「形が変わるのか」


「はい」


 カレンは両手で剣を支えながら答えた。


「良樹さんが、私の怖がりを戦える形にしてくれました」


 明恵が、少し目を細める。


「怖がりを?」


「私は、怖い場所を先に見てしまいます」

「敵が来る場所」

「斬られる場所」

「傷つく場所」

「昔は、それが嫌でした」

「でも、良樹さんは、それを否定しませんでした」


 カレンは剣を見た。


「怖いなら、そこに先に盾を置けばいい」

「怖いなら、そこへ刃を届かせればいい」

「そう言ってくれました」


 十鉄は、良樹を見る。


「お前らしいな」


「そうか」


「ああ」

「欠点を消すんじゃなく、使い方を変えたんだろ」


「……まあな」


 十鉄は、少しだけ鼻を鳴らした。


 最後にクラリスが前へ出る。


「クラリス」


「はい」


 クラリスの両腕に、手甲のような魔導機構が現れる。


 白く淡い光。

 拳から肘へ走る支え。

 攻撃のためだけではない。

 受け止め、支え、壊させないための形。


「私は、壊させないための力をいただきました」


 クラリスは静かに言った。


「治すだけでは、間に合わない時があります」

「傷ついた後に戻すだけでは、届かない時があります」

「だから、壊れる前に支える力を」


 明恵は、クラリスの手甲を見た。


「あなた達、本当に良樹と一緒に戦ってきたのね」


 クラリスは頷く。


「はい」

「良樹くんは、私達を後ろに置いて守るだけの人ではありません」

「一緒に立てる形を、考えてくれる人です」


 リシアが続ける。


「でも、無茶をするから止めなきゃいけない人でもあるわ」


 カレンも小さく頷いた。


「はい」

「良樹さんは、自分のことを後回しにしすぎます」


 クラリスは微笑んだ。


「ですから、私達が見ています」


 明恵は三人を見た。


 そして、少しだけ笑った。


「良樹」

「あんた、本当にいいお嫁さん達をもらったのね」


 良樹は、目を逸らした。


「……分かってる」


   ◇


 十鉄は、しばらく黙っていた。


 そして、最後に言った。


「で、お前自身はどうなんだ」


 良樹は顔を上げる。


「俺か」


「嫁にだけ変なもん持たせて、自分は手ぶらってことはねえだろ」


「……まあな」


 空気が少し変わった。


 三人の妻たちも、それを感じ取った。


 リシアの表情から、先ほどまでの軽さが消える。

 カレンは剣を納め、良樹を見る。

 クラリスは、良樹の身体の状態を確かめるように一歩寄った。


 良樹は、右手を軽く開いた。


 魔導盤の奥で、重いものが繋がる。


 次の瞬間、良樹の右腕に異形の装甲腕が顕現した。


 人間の腕としては明らかに大きい。

 長く、太く、重い。

 金属のようで、魔力の塊。

 拳は打撃のために作られている。

 だが、ただの武器ではない。


 背負ったものの形だった。


 明恵が、息を呑んだ。


 十鉄は、しばらく腕を見ていた。


 長い沈黙。


「……おい」


「何だ」


「その腕で、人を殺したのか」


 作業場の空気が、静かに沈んだ。


 良樹は、逃げなかった。


「……ああ」


 十鉄は、良樹の腕を見る。

 そして、良樹の顔を見る。


「そうか」


 それだけだった。


 怒鳴らない。

 慰めない。

 軽く流さない。


 ただ、事実として受け止める。


 それから十鉄は、低く言った。


「なら、忘れんな」


「ああ」


「それは便利な道具じゃねえ」

「お前がやったことの形だ」


 良樹の喉が、わずかに動いた。


「ああ」

「忘れねえ」


 十鉄は頷いた。


「ならいい」


 明恵は、何も言わなかった。


 言えなかった。


 ただ、息子の右腕を見ていた。

 その腕で何をしたのか。

 その腕を出さなければならなかった場所で、息子が何を背負ったのか。


 全部は分からない。


 分かるはずがない。


 だが、息子が嘘をついていないことだけは分かった。


 良樹は、ゆっくりと打撃腕を消した。


 重かった空気が、少しだけ戻る。


 十鉄が息を吐いた。


「しかしまあ」


「何だよ」


「本当に、訳の分からんもん作りやがったな」


「親父に言われたくねえよ」


「俺はこんな腕は作らねえ」


「作れねえだろ」


「作れるか馬鹿野郎」


 その一言で、作業場の空気が少しだけ緩んだ。


 リシアが吹き出しそうになり、カレンがほっと息を吐く。

 クラリスも、小さく笑った。


 明恵は、静かに目元を拭った。


「あなた」


「何だ」


「今夜はビール、少し多めにしてあげる」


「朝にくれ」


「夜です」


「……夜まで待つか」


「待ちなさい」


   ◇


 昼を過ぎた頃。


 明恵が押し入れを開けた。


 そして、奥に仕舞われていた箱を、次々と畳の上へ引っ張り出していく。


 良樹は居間の入口で、その様子を見て固まった。


「母さん」

「何出してんだ」


「浴衣よ」


 明恵は当然のように答えた。


「せっかく日本に来たんだから」

「夏らしいこともしないとね」


「浴衣……」


 リシアが興味深そうに箱を覗き込む。


 丁寧に畳まれた布。

 帯。

 腰紐。

 下駄。

 巾着。

 小さな髪飾り。


 三人にとっては、どれも用途がすぐには分からないものばかりだった。


 カレンは、薄い布を指先でそっと摘まむ。


「こ、これを着るんですか?」


「そう」

「三人とも絶対似合うわよ」


 明恵は迷いなく断言した。


 クラリスは、白地に水色の柄が入った浴衣を見つめている。


「日本の礼服でしょうか」


「礼服というより、夏のお出かけ着ね」


「お出かけ着……」


 クラリスは、もう一度浴衣を見た。


 異世界の礼装ほど重くない。

 僧服ほど身体を覆わない。

 けれど、布の合わせ方や帯の形には、きちんとした決まりがあるらしい。


 リシアは、濃紺に紫の花が入った浴衣を手に取った。


「軽いのね」

「でも、形はきちんとしている」


「リシアちゃんは、それが似合いそうね」

「大人っぽいし」


 リシアは少しだけ笑った。


「お義母さまの目は確かね」


「リシア」


 良樹が呆れる。


「そこで乗るな」


「だって、似合うなら着てみたいじゃない」


 そう言いながら、リシアは浴衣を自分の身体に当てた。


 濃紺の布が黒髪とよく馴染み、紫の花だけが鮮やかに浮く。


 明恵は満足そうに頷いた。


 カレンには、淡い色の浴衣が渡された。


 朝顔と金魚の柄。


 可愛らしい柄を見た瞬間、カレンの顔が真っ赤になる。


「あ、あの」

「私、これで外へ……」


「大丈夫」

「すごく可愛いわ」


「可愛い……」


 カレンは浴衣を胸に抱いたまま、完全に固まった。


 クラリスには、白地に水色の涼しげな浴衣が選ばれた。


 明恵は三人を一通り見比べると、満足そうに手を叩いた。


「よし」

「良樹、廊下で待ってなさい」


「何で俺が追い出されるんだよ」


「着付けするから」


「そりゃそうか」


「覗いたら肘よ」


「覗かねえよ!」


 十鉄が新聞を畳みながら言った。


「昔の俺なら覗いた」


「親父」


「あなた?」


 明恵の声が、静かに落ちた。


 十鉄は新聞を開き直した。


「冗談だ」


「今の間は冗談じゃなかったわね」


「冗談だ」


「二回言うと怪しいわよ」


 良樹は額を押さえた。


「親父、頼むから嫁達の前でそういうこと言うな」


 リシアが面白そうに笑う。


「良樹」

「お義父さまにも、なかなかの歴史がありそうね」


「掘るな」

「上村家の恥を掘るな」


 明恵に追い出され、良樹は廊下で待たされた。


 襖の向こうでは、すぐに慌ただしい声が上がり始めた。


「まず三人とも腕を通して」

「そうそう、そこは袖よ」

「カレンちゃん、固くならなくていいの」

「リシアちゃん、前を押さえて」

「クラリスちゃん、まだ帯は後だから」


 一人で三人分の着付けをする明恵は、部屋の中を行ったり来たりしているらしい。


 三人は、ひとまず浴衣に袖を通しただけ。


 挿絵(By みてみん)


 前合わせも整っていない。

 帯もまだない。

 明恵の手が回ってくるまで、それぞれが浴衣の前を押さえて待っている。


「これは、どちらを上にするの?」


「右を先にして、左を上よ」

「リシアちゃん、反対」


「こう?」


「そう」

「カレンちゃん、そんなに強く握ったら皺になるわよ」


「で、でも、手を離したら……」


「大丈夫だから」

「クラリスちゃん、そっちの紐を取ってちょうだい」


「こちらでしょうか」


「それは帯締め」

「腰紐はその下」


「似ていますね」


「似てないわよ」


 明恵の声は忙しいが、どこか楽しそうだった。


 良樹は廊下の壁にもたれ、天井を見る。


 日本の家。


 母親が、異世界から来た三人の妻へ浴衣を着せている。


 襖一枚向こうに、袖を通しただけの三人がいる。


 そう意識してしまい、良樹は一度目を閉じた。


「……考えるな」


 小さく呟く。


 聞こえるのは、帯を探す音。

 布が擦れる音。

 下駄を試しに履いてみたらしい、畳へ落ちる軽い音。


 意味が分からない。


 意味が分からないほど、ありがたかった。


 そして、少しだけ危険だった。


   ◇


 しばらくして、襖が開いた。


「良樹」


 明恵が顔を出す。


「ちゃんと言いなさいよ」


「何を」


「見れば分かるわ」


 明恵が横へ退く。


 三人が並んでいた。


 左にクラリス。

 中央にリシア。

 右にカレン。


 最初に良樹の目を捉えたのは、リシアだった。


 濃紺の浴衣に紫の花。


 長い黒髪は片側へまとめられ、紫の髪飾りの下から、白い首筋が覗いている。


 リシアは片手を腰へ置き、ほんの少しだけ上体を前へ傾けた。


 良樹の反応を確かめるように。


 閉じた浴衣の襟元。

 その奥に、わずかに覗く肌。


 本人は自信ありげに口元を上げている。


 どう。

 似合うでしょう。


 そう言葉にせず突きつけてくる姿だった。


 クラリスは、白と水色の浴衣。


 銀に近い金髪は上品に結い上げられ、うなじが涼しげに見えている。


 両手で袖口を少しだけ摘まみ、肘を小さく曲げている。


 普段の清楚な微笑みに、片目の小さなウインク。


 似合っていますか。


 そんな、少しだけお茶目な問いかけだった。


 カレンは、淡い色の浴衣。


 朝顔と金魚の柄。

 髪はいつものポニーテールを少し横へ流すようにまとめられている。


 両手を下腹部の前で重ね、指先を落ち着かせるように握っている。


 頬は赤い。

 視線は良樹を見たいのに、見続けることができない。


 変ではないでしょうか。

 可愛いと言ってもらえるでしょうか。


 不安と期待が、そのまま顔に出ていた。


 良樹は、数秒黙った。


 黙ってしまった。


挿絵(By みてみん)


 三人の浴衣姿が綺麗だった。


 それは間違いない。


 だが、それだけではなかった。


 いつもと違う髪。

 露わになった首筋。

 浴衣越しに変わって見える身体の線。

 そして三人とも、自分の言葉を待っている。


 全員、自分の妻だ。


 その事実が、今さらのように良樹の胸を殴った。


 視線を逸らすのは失礼だ。

 だが、見続けるのも危険だった。


 しかも後ろには父と母がいる。


 良樹は一度喉を鳴らした。


 リシアが、少しだけ口元を上げる。


「どう?」


「……似合ってる」


「まとめたわね」


「いや、本当に」


 良樹は息を整え、改めてリシアを見る。


 今度は誤魔化さず、正面から。


「リシア」

「綺麗だ」


 リシアの頬が、ほんの少しだけ赤くなった。


 それでも余裕を崩さず、顎を上げる。


「……よろしい」


 だが、その声には満足が滲んでいた。


 良樹はカレンを見る。


 カレンは、呼ばれただけで肩を小さく跳ねさせた。


「カレン」

「すげえ可愛い」


「ほ、本当ですか……?」


「ああ」

「本当だ」


 カレンの顔が一気に赤くなる。


 耳まで染まり、浴衣の袖で口元を隠した。


 目だけが良樹を見上げている。


 良樹はクラリスへ顔を向ける。


「クラリス」

「綺麗だ」

「すごく似合ってる」


 クラリスは、少し目を細めた。


 派手に照れるのではなく、胸の中へゆっくり言葉を収めるように。


「ありがとうございます、良樹くん」


 ほんの一瞬だけ。


 三人それぞれと良樹の間に、他の誰も入らない時間が生まれた。


 短い。


 だが、確かに二人だけの時間だった。


挿絵(By みてみん)


 明恵が腕を組んで頷く。


「よし」

「ちゃんと言えたわね」


 十鉄も新聞の向こうから言った。


「今のは及第点だな」


「採点されてんのかよ」


「嫁を褒めるのは男の基礎技能だ」


「親父が言うと説得力があるような、ないような」


 明恵が十鉄を見る。


「あなたは、昔もう少し言えたら良かったわね」


「今から言ってもいいか」


「言いなさい」


 十鉄は明恵を見た。


「今日も綺麗だ」


 明恵は、少しだけ目を瞬かせた。


 そして、照れ隠しのように十鉄の頭へ軽く手刀を落とす。


「遅い」


「痛え」


「でも、聞いてあげる」


 良樹はそれを見て、少しだけ笑った。


 父と母は、父と母だった。


   ◇


 夕方。


 空には、まだ青が残っていた。


 西の端だけが橙色に染まり、薄い雲が金と紫を帯びている。


 遠くでは、祭りの提灯に明かりが入り始めていた。


 良樹たちは、近所の川沿いへ向かう。


 三人の妻が、良樹の前を横に並んで歩いていた。


挿絵(By みてみん)


 リシアは堂々としている。

 下駄にもすぐ慣れ、浴衣の裾を乱さず歩く。


 クラリスは、初めて見る夕方の日本の町並みを静かに眺めていた。

 白と水色の浴衣が、夕焼けの中で柔らかく色づいている。


 カレンは、下駄の音が鳴るたびに少し足元を気にしていた。

 だが、顔には隠しきれない期待がある。


 祭りへ行く。


 良樹と一緒に。


 そのこと自体が、三人を浮き立たせていた。


 すぐ後ろを歩く良樹は、なるべく前方を見るようにしていた。


 だが、どうしても視界へ入る。


 三人のまとめた髪。

 普段は隠れている首筋。

 歩くたびに小さく揺れる髪飾り。

 浴衣の帯。

 下駄の音。


 三人とも、良樹が後ろで何と戦っているのか気づいていない。


挿絵(By みてみん)


 いや。


 リシアだけは、一度だけ振り返った。


 良樹の顔を見る。


 そして、何かを察したように、少しだけ口元を上げた。


「何だよ」


「別に」


「なら前向け」


「はいはい」


 リシアは前へ向き直った。


 肩が少し揺れていた。


 笑っている。


 良樹は小さく息を吐いた。


 夕焼けは綺麗だった。


 だが、今の良樹には、それ以外に視線を向ける理由も必要だった。


   ◇


 祭り会場へ近づくにつれ、音と匂いが増えていった。


 提灯の明かり。

 人混み。

 屋台から立ち上る煙。

 鉄板の音。

 子どもの笑い声。

 呼び込みの声。


 焼きそば。

 たこ焼き。

 かき氷。

 りんご飴。

 綿あめ。

 金魚すくい。

 射的。


 三人妻は、会場へ足を踏み入れた瞬間、そろって立ち止まった。


 だが、見ている方向は全員違った。


 リシアは、鉄板から立ち上る湯気と煙を目で追っている。


 カレンは、金魚の泳ぐ水槽と、薄い紙の張られた道具を交互に見ていた。


 クラリスは、赤や青や緑に染まった氷へ首を傾げている。


 提灯の光が、三人の顔を柔らかく照らす。


 その瞳は、まるで異世界へ来たばかりの子どものようだった。


 挿絵(By みてみん)


 良樹は、三方向へ散りかけた妻たちを見る。


「一人ずつな」


 三人が同時に振り返った。


「まだ何も言ってないわよ」


「顔に書いてある」


「そうでしょうか」


「書いてある」


 カレンだけは、金魚の水槽から目を離せていなかった。


   ◇


「良樹」

「あの煙の出ている鉄板は何?」


「焼きそば」


「焼いたそば?」


「そうだ」

「ソースで炒める」


「そーす」


「食えば分かる」


 紙皿を受け取ったリシアは、割り箸で焼きそばを持ち上げた。


挿絵(By みてみん)


 湯気が頬へ触れ、少し目を細める。


 一口。


 濃い味が口の中へ広がった。


 リシアの目が少しだけ見開かれる。


「濃い」


「だろうな」


「でも、悪くないわ」


 もう一度、少しだけ箸を進める。


 ソースの甘さ。

 鉄板の香ばしさ。

 湯気。

 周囲のざわめき。


 全部を確かめるように味わう。


「この味、祭りの空気と一緒に食べるものね」


「分かるのか」


「貴族の宴も、味だけで成り立つわけじゃないもの」

「場の空気、音、人の動き」

「全部で食べるのよ」


「なるほどな」


 リシアは、もう一口食べた。


 その時、唇の端にほんの少しだけソースがついた。


 良樹の視線が、無意識にそこへ止まる。


 リシアが気づいた。


「何?」


「いや」


「ついてる?」


「少し」


 リシアは指先で拭い、そのまま良樹を見る。


「見すぎ」


「見てねえ」


「見てたわよ」


 提灯の光の下で、リシアは少しだけ笑った。


   ◇


 カレンは金魚すくいに挑戦していた。


 真剣だった。


 異様に真剣だった。


挿絵(By みてみん)


「カレン」

「紙が破れるぞ」


「はい」

「破れる場所は見えます」

「水の抵抗もあります」

「魚の動きも……」


「剣士の目で金魚すくいするな」


 カレンは一匹を追う。


 紙の端を水面へ滑らせる。


 金魚の現在位置ではない。


 逃げ道へ置く。


 水の流れを読む。

 紙へかかる抵抗を避ける。

 魚が向きを変える瞬間へ合わせる。


 すくえた。


「あっ」


 カレンの目が輝いた。


「すくえました!」


「おお」


「良樹さん、すくえました!」


「ああ」

「すげえ」


 カレンは、強敵を倒したような顔をしていた。


 だが、その顔はすぐ、年頃の少女のような笑顔へ変わった。


 紙の上で跳ねる小さな金魚を見て、心から嬉しそうに笑う。


 リシアが半眼で見る。


「良樹」

「カレン、さっきまで完全に戦闘の顔だったわよ」


「分かってる」

「でも楽しそうだからいいだろ」


「いいけど」


 カレンはそんな二人の会話にも気づかず、店主から渡された袋を両手で大事そうに持っていた。


   ◇


 クラリスは、かき氷を両手で受け取った。


 透明な氷へ、赤と青のシロップがかけられている。


「良樹くん」

「本当に、氷へ甘いものをかけただけなのですね」


「そうだ」


「不思議です」


「食ってみろ」


 クラリスは、小さな匙で氷をすくった。


 慎重に一口。


 冷たさが舌へ触れる。


 甘さが広がる。


 クラリスは、ゆっくりと目を閉じた。


 頬がわずかに緩む。


 いつもの穏やかな笑みより、少しだけ無防備な顔。


「……甘いです」


「見りゃ分かる」


「冷たくて」

「甘くて」

「美味しいです」


 挿絵(By みてみん)


 良樹は返事をせず、その顔を見ていた。


 クラリスが、あまりにも幸せそうだったからだ。


 僧侶として人を支える顔でもない。

 戦う時の冷たい目でもない。

 良樹を諭す妻の顔でもない。


 ただ、甘い氷を食べて喜んでいる一人の女だった。


 クラリスはもう一口、少し大きめに食べた。


 直後。


「……頭が」


「一気に食うと来るぞ」


 クラリスは額へ手を当てた。


「これは、回復魔法で治すべきでしょうか」


「かき氷頭痛に回復魔法使うな」

「もったいねえ」


 クラリスは少し笑った。


「日本の甘い氷は、危険なのですね」


「危険というほどじゃねえよ」


「でも、幸せな危険です」


 そう言って、クラリスは今度こそ慎重に、小さく一口食べた。


   ◇


 やがて、花火の時間が近づいた。


 良樹たちは、祭り会場から少し離れた川沿いの土手へ移動した。


 人々が草の上へ腰を下ろしている。


 良樹たちも、少し間を空けた場所に座った。


 左から、クラリス、良樹、カレン、リシア。


 たまには、とでも言うように、カレンとクラリスが良樹の両隣を取っていた。


 三人の浴衣の袖が、夜風に揺れる。


 少し後ろに、十鉄と明恵がいる。


 空は暗い。

 川面には、遠い屋台の光が揺れていた。


挿絵(By みてみん)


「良樹」


 リシアが空を見上げる。


「花火って、空に上げる火なの?」


「まあ、そんな感じだ」

「火薬を使う」


「火薬」


「魔法じゃねえ」

「けど、まあ」


 良樹は少し考えた。


「日本の魔法みたいなもんかもな」


 カレンが膝の上で手を握る。


「音は、大きいですか?」


「ああ」

「腹に響く」


「分かりました」

「驚かないようにします」


「驚いてもいいぞ」


「えっ」


「初めて見るんだから」


 カレンは、少しだけ目を瞬かせた。


「……はい」


 クラリスは静かに空を見ている。


「良樹くんは、子供の頃から見ていたのですか?」


「ああ」

「毎年じゃねえけどな」

「親父と母さんと来たこともある」

「友達と来たこともある」

「一人で通りがかったこともある」


「その中に、今の良樹くんがいるのですね」


「……そうだな」


 クラリスの横顔は、遠い屋台の灯りに淡く照らされている。


 カレンは、良樹の言葉を一つも落とさないように聞いている。


 リシアも空を見ながら、耳だけは良樹へ向けていた。


 良樹は三人を見る。


「見せたかったんだ」

「これを」


 三人の顔が、良樹へ向く。


「俺が生まれた場所の、夏を」


 言い終えたあと、誰もすぐには返事をしなかった。


 クラリスは、柔らかく微笑んだ。


 カレンは少し目を潤ませ、視線を伏せた。


 リシアは、良樹の言葉の意味を最初に理解したように、静かに口元を緩めた。


 その時だった。


 夜空の向こうで、小さな光が上がった。


 ひゅるる、と音が伸びる。


 三人が空を見る。


 次の瞬間。


 どん、と腹に響く音がした。


 夜空に、大輪の花が咲いた。


 赤。

 青。

 白。

 金。


 光が広がり、遅れて音が来る。


挿絵(By みてみん)


 リシアが息を呑んだ。


「……綺麗」


 普段の余裕が、一瞬だけ消えていた。


 ただ純粋に、初めて見る光景へ目を奪われている。


 カレンは音に肩を跳ねさせた。


 反射的に伸びた指が、良樹の黒い袖を掴む。


 掴んだあとで気づいたらしく、一度離そうとする。


 良樹は何も言わなかった。


 カレンは、迷った末にそのまま小さく握った。


「空に、花が咲いています……」


 クラリスは瞬きも忘れたように見上げている。


 花火の光が、白と水色の浴衣を染める。


 瞳の中に、消えていく光が映っていた。


「火の魔法ではないのですね」


「火薬だ」

「仕組みはある」

「職人もいる」

「安全に上げるための段取りもある」


 良樹は夜空を見る。


「でも、こうして見ると」

「やっぱり、魔法みてえだな」


 リシアは、空から目を離さずに言った。


「良樹の日本は、不思議ね」

「魔法がないのに、魔法みたいなものがたくさんある」


「俺から見りゃ、向こうも大概だけどな」


「お互い様ね」


「ああ」


 また一発、花火が上がる。


 紫の光が、リシアの黒髪を照らした。


 濃紺の浴衣へ青い夜色が重なり、紫の花だけが浮かび上がる。


 リシアは花火を見ていた。


 だが一瞬だけ、良樹へ視線を戻す。


 花火よりも、その花火を見せたかったと言った男を見る目。


挿絵(By みてみん)


 普段の勝ち気な笑みとは違う。


 妻としての、静かな熱を含んだ目だった。


 良樹は見返し、先に視線を逸らした。


 カレンは、まだ良樹の袖を掴んでいる。


 大きな音が鳴るたびに指へ少し力が入る。


 だが、その顔は怖がっているだけではない。


「大きな音なのに」

「怖いだけではありません」


「そうか」


「はい」


 カレンは花火を見上げたまま、少し笑った。


「良樹さんが隣にいるので」


挿絵(By みてみん)


 良樹は、少しだけ言葉に詰まる。


「……そうか」


 クラリスは、消えていく光まで静かに目で追っていた。


 夜風が、結い上げた髪の後れ毛を揺らす。


「この光も、音も」

「きっと忘れません」


挿絵(By みてみん)


 良樹は、何も言えなかった。


 言えなかったが、それでよかった。


 花火の光を受けた三人は、昼間とは違って見えた。


 浴衣を着てはしゃぐ、可愛い女達ではない。


 リシアも。

 カレンも。

 クラリスも。


 自分が選び、自分を選び返した妻たちだった。


 花火の光が、頬を照らす。

 唇を照らす。

 首筋を照らす。

 浴衣の襟と指先を照らす。


 綺麗だった。


 ただ綺麗という言葉だけでは、足りなかった。


   ◇


 少し後ろで、明恵が四人を見ていた。


「あの子、笑ってるわね」


「ああ」


 十鉄は短く答えた。


「向こうでも、ああやって笑えてるのかしら」


「あの子たちがいるなら、大丈夫だろ」


 明恵は、三人の妻たちを見る。


 リシアは良樹の近くで、堂々と空を見ている。


 カレンは良樹の袖を少しだけ掴んでいる。


 クラリスは三人と良樹を包むように、穏やかに微笑んでいる。


「……そうね」


 明恵は小さく頷いた。


「大丈夫ね」


 十鉄は何も言わなかった。


 ただ、夜空の花火を見ていた。


 息子が生まれた日本の夏。


 その夏を、息子が選んだ三人へ渡している。


 なら、自分たちは何を渡すのか。


 たぶん、送り出すことなのだろう。


 十鉄は、そう思った。


   ◇


 花火は、何度も夜空に咲いた。


 赤い花。

 青い花。

 金のしだれ。

 白い星。

 大きな輪。

 小さな連なり。


 やがて、打ち上げの間隔が短くなる。


 土手にいた人々が、次々と立ち上がった。


 良樹たちも立つ。


 連続して上がる花火を、四人で見上げた。


 画面の手前から並ぶように。


 リシア。

 クラリス。

 カレン。

 良樹。


 濃紺の浴衣。

 白と水色の浴衣。

 淡い色の浴衣。

 そして、良樹の黒い服。


 リシアの片側へまとめた黒髪が、光を受ける。


 クラリスの結い上げた髪と白い首筋が、金色に縁取られる。


 カレンの横へ流した髪が揺れ、その手は良樹の服へ触れたままだった。


 良樹は、その三人のすぐ後ろに立つ。


 三人の表情は見えない。


 花火を見上げた口元。

 顎。

 首筋。

 髪。

 浴衣。


 それだけが、次々と変わる光の中へ浮かんでは消える。


 だが、どんな顔をしているのかは分かった。


 リシアは、きっと目を輝かせながら仕組みを考えている。


 カレンは、音に驚きながらも次の花火を待っている。


 クラリスは、消えていく光まで大切そうに見ている。


 良樹は、花火より少しだけ長く、三人を見ていた。


挿絵(By みてみん)


「良樹」


 リシアが空を見たまま言った。


「見られてよかったわ」


 カレンも頷く。


「はい」

「良樹さんの日本を、また一つ知れました」


 クラリスが続ける。


「この景色を持って帰ります」

「良樹くんが生まれた場所の夏として」


 良樹は三人を見る。


 胸の奥が、少しだけ詰まる。


「ああ」

「持って帰ってくれ」


 夜空に、ひときわ大きな花火が上がった。


 どん、と音が響く。


 光が広がる。


 その光の下で、良樹は思った。


 自分は、日本を捨てるわけではない。


 異世界を選んだからといって、日本で生きた自分が消えるわけでもない。


 父に叩き込まれたこと。

 母に食べさせられた味。

 作業場の匂い。

 制御盤。

 夕焼けの道。

 祭りの灯り。

 夏の夜。

 花火の音。


 全部を持って、向こうで生きる。


 そして今、その一部を三人へ渡せた。


 良樹が生まれた日本の夏を、三人は胸に刻んだ。


 十鉄と明恵は、息子が帰る異世界の輪郭を、少しだけ見た。


 残された時間は、一週間。


 短い。


 あまりにも短い。


 けれど、その一週間は。


 確かに、始まっていた。


今回は、ひたすら三人妻の浴衣姿を楽しむ回になりました!


浴衣!

髪飾り!

屋台!

花火!


せっかく日本へ里帰りしたのだから、三人には日本の夏をしっかり満喫してもらいました。


特に後半は、完全に三人妻の浴衣祭りです。


本編には影響しないifストーリーですが、楽しんでいただけたなら嬉しいです。


久しぶりに、ブックマークや評価もいただけると励みになります!

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